真夏の夜の眠り姫

■ショートシナリオEX&
コミックリプレイ


担当:マレーア

対応レベル:1〜5lv

難易度:難しい

成功報酬:1 G 62 C

参加人数:2人

サポート参加人数:-人

冒険期間:08月22日〜08月27日

リプレイ公開日:2004年08月30日

●オープニング

 その日、パリにある冒険者ギルドの扉を叩いたのは、少々奇異な風体の男だった。
 年齢は老人と言っていいだろうか。
 かつては艶やかだったブロンドは色が抜け、雪のように白かった。
 顔は多くの皺を刻み始めているものの、優男の甘いマスクの名残を色濃く残しており、若い頃はさぞ貴婦人達にもてはやされた事が伺えた。
 しかし、背筋はピンと伸び、衰えを感じさせなかった。
 着ている服は只のローブだが、その物腰はあくまで優美――そう、高貴な御方を見ているかのようだった。
 故にギルドの受付嬢の第一印象は、奇異な風体だったのだろう。
 着ている人物の印象と服装とが、妙にちぐはぐなのだ。
 ――もっとも、ここは冒険者ギルド。
 多種多様な人種が、冒険者の助力を求めて訪れる場所なので、いちいち気にしていたらキリがないのだが‥‥。

「遺跡の探索に、冒険者を雇いたいのです」
 老ウィザードはマックスフリードと名乗ると、そう用件を切り出した。
 遺跡の探索や護衛も冒険者の仕事の一つだ。
 見たところ彼はウィザードだから、古文書を解析して未盗掘の遺跡を発見し、探索の為に冒険者を雇いに来た――と受付嬢は思った。
「確かにこれから向かう遺跡は未盗掘ですが、私は50年も前からその存在は知っているのですよ」
「え!? す、すみません!」
「はっはっは、依頼人が信用できるかを探るのもギルドの仕事でしょうから、気にしていませんよ。お嬢さんが百面相をしていたという事もありますけど、この歳になると妙に勘が鋭くなりましてね」
 考えている事を見事に言い当てられた受付嬢は、驚いた後深々と頭を下げた。
 マックスフリードは紳士、いや貴族なのだろう。自然とそうしてしまう雰囲気を漂わせていた。
 彼は温厚な笑みを湛えたまま、一頻り笑った。
「その遺跡は『氷の寝床』と呼ばれていまして、常に低い温度を保っているのです。中には侵入者を排除するトラップがあり、最深部にはボーンゴーレムがいます」
「‥‥そのような遺跡がある事自体、初めて耳にしましたが、お詳しいんですね」
「言ったでしょう、私は50年も前からこの遺跡の事を知っているのですよ。多分、もう、知っているのは私だけだと思いますが‥‥」
 マックスフリードはローブの胸元から、銀製のロケットを取り出しながら受付嬢の質問に答えた。
 ロケットの中には一枚の肖像画が入っていた。
 年期が入っているようで、擦り切れたり色褪せてしまっていたが、中には一人の令嬢が微笑み掛けていた。
 姫や王女の名を冠するに相応しい、高貴さと可憐さを纏っているのが見て取れた。
「綺麗なお姫様ですね‥‥」
「ありがとうございます。私の元恋人です」
 その美しさに息を飲む受付嬢に、マックスフリードは歳甲斐もなく照れた。
「彼女は19歳という若さで、不幸にも不治の病を患ってしまいましてね‥‥不治の病というくらいですから、治療法はありません。そこで彼女は、未来に治療法が発見される事を託して、眠りに就いたのです‥‥」
「‥‥それでは、氷の寝床というのは‥‥」
「‥‥ええ、氷の寝床は元々彼女の家に眠っていた遺跡でしたが、その最深部に私が掛けたアイスコフィンに抱かれて眠る彼女が居ます」
 元恋人の事が口に登る度に、心が茨で締め付けられるように痛むのだろう。
 マックスフリードはロケットに視線を落として伏し目がちに、声を殺して依頼の内容を話した。
「私は治療法の研究を始めましたが、残念ながら50年経った今も、その方法は発見できませんでした‥‥お陰で未だに独身ですけどね」
 それでこのように身なりですが、と老ウィザードは悪戯っ子っぽくローブの袖口を掴みながら両手を軽く持ち上げた。
 受付嬢は最初に感じた奇異さの理由が氷解した。
 彼は元々貴族で、ウィザードになったのだ。
 そして50年間、ロケットの中のお姫様を愛し続け、治療法を探したのだ‥‥しかし。
「その分、私は老いてしまいました。後何年生きられるか分かりません‥‥死ぬ前に、もう一度彼女に逢いたいのです! 逢って話がしたいのです!!」
 マックスフリードは冒険者ギルドに来て、初めて感情を露にした。
 死ぬ前にもう一度逢って話がしたい――それがマックスフリードの依頼の目的だった。
「この歳になると遺跡のトラップもやり過ごせませんし、守護者として置かれたボーンゴーレムも倒せません。そこで信頼がおける冒険者に、同行をお願いしたいのです」
 遺跡の場所へはマックスフリードが連れていき、またその場所も他言無用でお願いしたいという。
 マックスフリードの願いを叶えられ、且つ、約束を厳守できる冒険者にこの依頼は委ねられる事となった。

●今回の参加者

 ea1872 シスイ・レイヤード(28歳・♂・クレリック・エルフ・ロシア王国)
 ea1944 ふぉれすとろーどななん(29歳・♀・武道家・エルフ・華仙教大国)

●リプレイ本文

●出会
 ヒスイ・レイヤード(ea1872)とふぉれすとろーどななん(ea1944)はギルドの壁に貼られた依頼書の中から見付けた、マックスフリードという老ウィザードからの依頼を、成し遂げなければならないものだと感じた。
 未盗掘の遺跡『氷の寝床』までの護衛の依頼‥‥一見、ありふれた護衛の依頼かも知れないが、直接依頼内容を聞いたギルドの受付嬢の話を耳にすると、そうではなかった。
 生い先短い老人が、どうしても遺跡へ行かなければならない理由‥‥それを知った以上、ヒスイもななんも放って置く事はできなかった。

 二人は、セーヌ川で分割された町の東側に広がる冒険者街を、ギルドへ向かって歩いていた。
 エルフの2人組という取り合わせは冒険者街では珍しくはないが、それが美女達なら話は別だ。
 腰まであるプラチナブロンドは伸ばすに任せたきらいがあるが、紅玉のような双眸と相まって、ななんを一層凛々しく魅せた。
 着ている武闘着は故郷の華国独特のデザインのものだが、袖はなく、またズボンになっていた。武道家の生命線ともいえる素早さと身体の動きを束縛しない物を好んでいるからだろう。
 色は瞳と同じく紅く、白い縁取りがされていた。その上から防御力を補う為に革の短甲を付けている。手には変わった形の金属拳。手の甲から肘に掛けて、爬虫類の甲羅を思わせる物で覆われており、肘の先端は牙のように鋭くなっていた。
 物々しい出で立ちにも関わらず、ななんはほっそりと見える。
 ななんを『動』と現すなら、ヒスイは『静』だろうか。
 首の後ろで束ねた長いブロンドは羨ましい程に艶やかで、耳の上に添えられた髪止めがワンポイントだ。黒い袖なしの法衣に身を包み、腕に付けたスリーブと法衣の縁は金糸で彩られ、首から下げたネックレスが、ヒスイが再現神タロンに仕える黒クレリックである事を示していた。
 端正な顔立ちを彩る瞳は名前同様翡翠色で、法衣のスリットから覗く長い脚はつい目が行ってしまう程の脚線美を体現していた。
 二人は正反対の雰囲気を纏っていた。
 だが、ヒスイは歴とした男性である――本物の女性以上に女らしく、気付くのは女性達くらいだったが。

「あ、来ましたよ」
 ヒスイとななんが冒険者ギルドに着くと、その姿を認めた受付嬢が傍らにいた老人にその旨を伝えた。
 彼が依頼主、マックスフリードだろう。
 皺を刻み始めた顔は若かりし頃の優男の甘いマスクを色濃く残しており、若い頃なら街に繰り出せば、擦れ違った女性のうち、10人中8人は振り返っただろうな、とヒスイは思った。もちろん自分もその1人だ。
「約束の時間よりも早いわね‥‥女の子を待たせないのはいいわね。先に来て待つくらいの忠実(マメ)なタイプに、女の子って弱いのよね」
「一所懸命走ってきたりしたら、あたしは少しくらいの遅刻なら赦してあげるけどネ。もしかしたら何かアクシデントに遭って遅れたかもしれないシ」
 約束は正午だったが、まだそれを告げる鐘は鳴っていない。
 彼の人柄だろうか――依頼主が冒険者を待たせまいと早く来ているには好感が持てた。
 受付嬢はマックスフリードにヒスイとななんを紹介した。
「2人ですか‥‥私の身勝手な依頼ですから、仕方ありませんね」
「そんな事ないヨ! 話は聞いたけど、マックスフリードさんの気持ちは分かるし、恋人さんも絶対逢いたいって思うに違いないヨ!」
「ご心配には及びません。それにこんなチャンス、もうあるか分かりませんよ? 二度と会えなくて後悔するよりマシだと思いますわ」
「それにこの2人は、『沼の守護者・拳』と『悲恋法師』という二の名を持つ、うちでも指折りの実力者ですから、安心して護衛を任せられますよ」
 案の定、ヒスイが危惧していたように、依頼人は同行する冒険者がたった2人だけという事に心配になったようだ。しかし、自戒にも似た自嘲から自分を責めているように思えた。
 ななんは話を聞いた時、2人を少しでも幸せにしたい、その手伝いがしたいと心から思った。その気持ちが自然と口に上ったのだ。
 ヒスイは悲恋を悲恋のままで終わらせたくない、とばかりに、受付嬢の後押しを受けて、痛い所を突きながら自分達だけでもで大丈夫だと説得した。
「‥‥マックスでいいですよ。そこまで思って下さる方の気持ちを無下にする方が失礼です。道中、よろしくお願いします」
「2人が少しでも幸せにいられるよう、最善を尽くすヨ」
「私達にお任せあれ。これでも私、寒い所は得意なの」
 マックスが親愛の意を込めて愛称で呼ぶよう告げると、ななんはどんと胸を叩き、ヒスイはウインクを以てそれに応えた。

●思慕
 パリから氷の寝床がある貴族の領地までの道中は順調だった。
 というのも、彼が思いの外、二人の足を引っ張らなかったからだ。
 氷の寝床は鬱蒼と茂る森の中に埋もれている。遺跡がある事と、中で当家の姫が眠っている事もあり、貴族は極力森の中に人の手を加えようとはしなかった。
 ななんを先頭に、マックス、ヒスイの順で、彼の記憶を頼りに獣道を分けて進む。
「無理しないで、疲れたら遠慮なく言ってネ」
「流石に持久走は無理ですが、徒歩でしたらまだまだ大丈夫ですよ。それにジュリアが待っていますから」
 マックスはななん達エルフより体力のある人間といっても、もう歳だ。ななんは、常に後ろの彼の体調を気遣っていたが、それは取り越し苦労で済んでいた。
 老人と言うべき歳でありながら背筋をピンと伸ばし、確実な足取りで歩いている。疲れた様子はほとんどなく、手にした着ているウィザードのローブに合わせたスタッフも杖として使っていなかった。
 この歳でこの健脚ぶりは、若い頃、相当足腰を鍛えていたのだろう。
 なお、ジュリアとは、氷の寝床で眠る恋人の名前だ。
 彼女の不治の病を治す為のポーションを創ろうと、彼はありとあらゆる薬草を収集していたのだという。普段は錬金術に没頭しているが、ひとたび些細な噂でも聞き付ければ、自ら出向いて確かめていた。それがこの健脚に繋がったようだ。
 また、彼の錬金術と薬草や毒草の知識は達人の域に達していた。錬金術を覚えたてのななんにとって、マックスの錬金術の話は実に興味深かった。ヒスイはななん以上に植物に詳しく、薬草の中でもハーブの話になると、「あのハーブは匂いがよくてお洒落だったわ」とか、「このハーブは料理の隠し味にもってこいね」と、会話に加わった。

 遺跡が近付くにつれ、夏だというのに森の中にもやが掛かり始めていた。
 氷の寝床の中は古代の魔法技術によって、常に氷点以下を保っていると、マックスは解説した。そこから外へ流れ出た冷気がもやを発生させているのだ。
 森の中は日が暮れ始めるとすぐに暗くなる事から、ななんの提案で早めにキャンプを張る事にした。
 昨日の夕食はヒスイが作ったので、今日はななんの当番。彼女が焚き火で料理を作る傍ら、マックスは首に掛かった銀製のロケットを手に取って中の肖像画を眺めていた。
「綺麗な人ね。本物はもっと綺麗なのでしょうね」
 ヒスイが横から覗き込むと、彼はそれを首から外して渡した。ヒスイの目から見ても美貌の姫君だった。
 ロケットの中の彼女は長い髪を結って束ね、重厚なドレスを纏っていた。一見、ややぎこちなく微笑んでいるようにも見える。描き手の所為だと思ったが、よく見ると愛想笑いを浮かべるのが苦手なタイプかもしれない。
 確かに可憐ではあるものの、『深窓の令嬢』というより気が強そうな。そう、棘のある薔薇のような雰囲気を醸し出していた。
「‥‥その通りですよ。ジュリアはいささか慎みさに欠けていましてね。活発という程ではありませんが、思った事は何でも言ってしまうんです」
「貴族令嬢としては型破りだけど、だからこそマックスさんはジュリアさんに惚れたんじゃないかしら?」
 相手の表情から考えを読み取るのは、マックスの得意とするところのようだ。
 一方、ヒスイの指摘は女の勘(?)だった。容姿も性格もいいマックスは、若い頃は社交場に出れば貴族令嬢達に相当もてはやされた事だろう。その中からジュリアを選んだのは、ありきたりな貴族令嬢にない魅力を持っていたからだとヒスイは思えたのだ。
 彼は破顔した。
「型破り‥‥まさにその通りですよ。こういう事を言うのは失礼ですが、外見や能力だけで言い寄ってくる女性達には興味がなかったんです。でも、ジュリアは違っていました。プロポーズをしたのも彼女からなんですよ」
 貴族としてはおおよそ考えられない事だ。ヒスイは改めて型破りなお姫様の肖像画に目を落とした。
「男が一生を賭けて惚れられているんだから、あなた、幸せ者よ‥‥」
 そう呟くと、不思議と肖像画のジュリアが照れ笑いを浮かべているように見えた。

●奇襲
 翌日、ヒスイ達は渡された防寒服を身に着けて遺跡に臨んむ。植物の蔦や根がびっしりと貼り出して、木々や草花の中に埋没していた氷の寝床の入口は、切り出した石を積み重ねて作られていた。
 中も同様で天然の洞窟が石壁で覆われており、3人が横に並んでもまだ余裕がある。思ったよりも広い。
「防寒服なしじゃ、まともに動けないネ」
「そ〜お? 氷の寝床というだけあって、綺麗だけどね〜。寒いけど、まあ、故郷に比べればずっとマシだわ」
「あたしも綺麗だとは思うヨ。守護者との戦いに備えて、身体を温めておかないとネ」
 ななんの吐く息は真っ白だった。防寒服の恩恵を受けられない金属拳を着けた手はまともに寒さを感じていた。
 ヒスイの視線は天井へ向けられていた。つられてななんが手を擦り合わせながら見上げると、天井一面に無数の氷柱ができており、入口から差し込む僅かな陽光に照らされて、きらきらと幻想的な輝きを放つ。極寒のロシア生まれの彼には、それを楽しむだけの余裕があった。
 その間にマックスが外でランタンの用意をしていた。壁や床には霜が降りており、ランタン1つでも光が反射して充分明だった。
「‥‥ななんさん、丁度いいウォーミングアップになるかもよ」
 隊列を整えて、改めて氷の寝床の中へ入ろうとしたその時、ヒスイがブラックホーリーを詠唱。放たれた聖なる光は入口の上に伸びた木の中へ吸い込まれ、次の瞬間、ななん達の前にゴブリンが落下する。それを皮切りにゴブリン達が次々と木の上から飛び降りてきて、落ちたのを合わせて4匹は氷の寝床の中へと入っていった。
 ななん達が中へ入ったのを見計らって、背後から奇襲を仕掛けるつもりだったようだ。間一髪、ヒスイがその殺気に気付いたのだ。
「‥‥気付かなかったヨ。ありがとうヒスイさん」
「この辺りにゴブリンは棲んでいませんでしたけどね」
「50年前は、でしょう? 人が入ってこないのなら、ゴブリンには棲みやすいと思うの。この辺りを縄張りにしていたんじゃないかしら?」
 ななんはヒスイに礼を言うと、ゴブリン達の追撃に出た。その後に続いてマックスとヒスイが氷の寝床の中へ雪崩込んだ。

 空気が冷たいからだろうか。ななんの靴の音がやけに大きく響いている。
「あれ!?」
 ななんはふと立ち止まる。ゴブリンが入ってから自分が追撃に出るまで、そう時間は経っていないし、通路も入口からここまで一直線だった筈――。
 にも関わらず、ゴブリンの姿を見失ってしまったのだ。
「待って下さい。その先の通路にはアロー・スリットが設置されています。それ以上進むと危険です」
 再び、走り出そうとするななんを、追い付いたマックスが呼び止めた。
 アロー・スリットは特定の床を踏むと、壁から矢が発射される仕組みのトラップだ。石造りの壁には、矢の発射口と思われる穴が模様のようにあった。
 何分、50年前の事だから、マックスはどこの床を踏むと仕掛けが作動するかまでは覚えていなかった。
「あのゴブリン達がこの辺りを縄張りにしていたのなら、当然、この遺跡にも入るわよね。もしかしたら遺跡のトラップを利用しているんじゃないかしら? これだけ寒ければ普通の動物なら動きが鈍るし、トラップもある、絶好の狩り場だと思うの」
「ええ、矢は簡単にセット出来ます」
「確かにマックスさんに呼び止められなかったら、あたし、矢でやられていたかもしれないよネ。という事は、この辺りに潜んでいるのかナ?」
 ヒスイは狡賢いなゴブリンなら、アロー・スリット程度の罠を利用するのではないかと思い当たった。それなら先行するななんを、姿を現して迎え撃たないのも合点がいった。
 問題は何処に隠れているかだった。
「‥‥そういえば、逃れられないようにスライド・ウォールも一緒に仕掛けられていましたね」
「稼働壁!? それだヨ!」
 2人の言葉に導かれ、マックスの記憶の扉が1つ開いたようだ。
 スライド・ウォールもアロー・スリット同様、特定の床を踏むと仕掛けが作動して壁が移動し、通路が閉じてしまうというトラップだ。
「破〜‥‥爆虎掌!!」
 ななんはスライド・ウォールと思われる壁にあたりを付けて叩きまくった。
 数発目にして壁越しに何かが吹き飛ぶ音がした。すると壁が移動し、中から見えざる攻撃によって仲間を倒され、パニックに陥ったコブリン達が飛び出してきた。ななん達の姿を見ると更に驚き、這々の体でアロー・スリットの方へ逃げてしまい、自分達が装填していた矢によって、理不尽にも葬られてしまった。
 ヒスイはマックスからスタッフを借りると、それをロープに括り付けて投げ、アロー・スリットの仕掛けの有無を確認しながら先に進んだ。

●隠蔽
 通路の先は縦長の長方形の部屋になっていた。
 中央に10m近くに渡ってピット(落とし穴)が開いており、それによって部屋が分断される形になっていた。
 ピットの底には鋭利な先端の氷柱が、天井と同じように一面に植わっていた。強度を保っている氷だ。その殺傷力はスピアに匹敵するだろう。
 ピットにはボロボロの橋が架かっていた。ななんが試しに足を乗せてみると、ギシギシと今にも崩れそうな嫌な音を立てて揺れた。
 1人ずつなら渡れない事はないが――。
 向こう側にはロングボウを構える木彫りの像が立っていた。こけ威しではなく、おそらくウッドゴーレムだ。どのような命令を受けているかは分からないが、その仕種からピットを渡ってきた者に攻撃をするのかも知れない。
 ウットゴーレムの後ろには通路が続いていた。
「足場の悪い橋を渡っている時に矢を射られたら、かわせるかどうか微妙だヨ」
「あのウッドゴーレムも後ろの通路も、正答を欺く為のトラップですよ」
 どう橋を渡ってウッドゴーレムの攻撃をやり過ごそうか考えていたななんに、マックスがやんわりと橋の下を指差した。
 覗き込むとそこには横穴があった。
「ウッドゴーレムと通路に目がいっていれば、ここは見付けられないわね」
 最深部まで行った経験のあるマックスの案内がなければ、罠に充分注意しているヒスイも気付かなかっただろう。大方、通路の先にはデス・トラップが待ち受けていると彼女は思った。
 ななんは用意してきたロープを垂らすと、マックスを背負ってロープを降り、横穴へと入る。

 横穴は軽い上り坂になっており、霜の所為でよく滑った。ななんとヒスイはここぞとばかりに、重い思いをして持ってきた砂を撒いて滑り止め。
 上り坂の終点には観音開きの重厚な扉があった。この先が最深部――ジュリアの眠っている玄室だ。
「問題はローリング・ストーンのトラップですね。確かどこかに仕掛けられていたはずですが‥‥」
「ローリング・ストーンって‥‥あれのコト?」
 マックスが注意深く最深部への扉を見つめていると、ななんが扉の横にある通路の奥から転がり始めている、この通路いっぱいの大きさの巨大な岩を指差した。
 彼は「ええそうです」と至って冷静に頷いた。
 ななんは焦った。自分1人なら走って逃げる事も可能かもしれないが、マックスを背負ったら少なくとも全速力は出せないし、横穴から吊してあるロープへ上手く飛び移れるか自信が無かった。
「考えている暇はないわよ」
 気が付くと、2人の目の前に金色の鬣を湛えた白馬が現れた。ヒスイがミミクリーで変身したのだ。
 ななん達はその背に飛び乗ると、轟音と地響きを背中で聞きながら下り坂を掛け降り、危機一髪、横穴から部屋へ飛び出した。
 その直後、岩は横穴からピットへ落下すると、氷柱を砕きながら別の方向へ転がっていった。岩はどこかへ排除される構造になっているようだ。
 ななん達が滑り止めに撒いた砂が岩の速度を僅かだが遅め、ヒスイにミミクリーを使う時間を与えたのだ。

●奈落
 歩みを進めるに従って、周囲の気温が確実に下がってきているのを感じる。
 ここは『氷の遺跡』。気温が下がってきたということは、それだけ中心に近付いてきたという事なのだろう。周囲の石畳にはうっすらと霜が貼りつき、足元も徐々に凍り付いてきているのがわかる。ぼんやりと歩いていると足を取られそうだ。自然、意識は足元に集中される。
「――気をつけてください」
「足元なら、もうさっきから気をつけてるけど?」
 ふいに口を開いたマックスに、ヒスイが振り返って答える。しかしマックスは『そうではなくて』と言うように首を横に振る。
「私の記憶では、この辺りにはトラップが仕掛けてあるんです。特定の石畳を踏むと床が抜ける仕組みです」
「つまり、落とし穴?」
「そうです。下がどうなっているのかまでは判りませんが‥‥」
 どちらにしろ、底に有るのは碌でもない物と相場は決まっている。ただ、どこの石畳がキーに当たるのか? までは流石に彼も覚えていない。ななんもヒスイも歩みを進める足先に注意がいく。
 ――それが、逆に仇となった。
 最初に兆候に気付いたのはななんである。武道家の常として、彼女もまた周囲の気配には敏感だ。そんな彼女の意識の端できしりと何かが軋んだような気がする。
 それは、鋭い『気配』となって頭上から彼女に襲い掛かる!
「‥‥!」
 猫を思わせる身のこなしで、咄嗟にその場から飛び退くななん。果たして、落ちて来たのは高い天井から下がっていた氷柱の欠片だった。長く凍り付いていたものが、何かのはずみで砕けたのだろう。
 しかし、ほっと息をつく余裕はなかった。頭上からの奇襲は何てことのないものだったが。それとはまったく別の手ごたえ――正しくは『足ごたえ』を、ななんは着地した自身の足から感じていた。
――特定の石畳を踏むと、床が、抜けるんです――
 先刻のマックスの言葉がゆっくりとななんの脳裏を駆け巡り。同時に野太い悲鳴が、鬱屈とした空間に響く。
「マックスさんっっ!!!」
 足元に突如開いた奈落に彼が飲み込まれる寸前。間一髪でヒスイの伸ばした腕が、彼の腕を上手く捕らえた。掛かる重みに一瞬息が詰まったものの、ここで手を離したりするわけにはいかない。ヒスイは渾身の力で踏ん張り引っ張りあげた。
「だ、大丈夫っっ?」
 何とか奈落から逃れ、思いっきり脱力しているマックスとヒスイに、ななんが慌てて近寄る。ふと落とし穴を見下ろせば、底など見えない闇が広がるばかり。落ちたらどうなるか、そんなことすら判らない‥‥。
「ですので、気をつけてください、と‥‥」
「くぉの、おばかものッッ!!」
 さすがのマックスも顔色が真っ白だ。ヒスイも額に汗を浮かべ、ぎろりと『原因』であるななんを睨みつける。二人の様子に、ななんはひたすら恐縮するばかり。
 落とし穴は、一定時間が過ぎると閉じる仕掛けになっていた。きりきりとからくりが動いて閉じた床を、気を取り直して慎重に進み始める。
 ここまで来れば、あと一息。そのはずなのだ。

●決戦
 七曲がりの通路を経て、漸く辿り着いたのは小さな部屋。軋む青銅の扉を開けると、目の前に文字の書かれた壁が現れた。
「不治の病に冒されし我がジュリア、凍りし時を生きて待つ。旅人よ、この先に姫が他に宝無し。神よ、願わくば病を破る日の来たらん事を。マックス‥‥。これって」
 ラテン語とゲルマン語とイギリス語の3つの言葉で記された文字。そして、氷の中に眠る姫の物語が、絵でも綴られている。
「文字を刻んだ粘土を、焼いてあるわ」
 ヒスイの声に、
「その時が何時になるのか判りませんからね」
 氷付けの羊皮紙だけでは心許ないとマックスは寂しい顔をする。
「この向こうに‥‥」
 ななんが両開きの扉を開けると、冷気が一層強まったように感じられた。
 ここが最深部であり、氷の寝床の中の冷気を発生させている場所。
 そして、マックスの元恋人ジュリアが、氷の棺に抱かれて眠る場所だった。
 中はがらんとしており、先ず目に飛び込んできたのは、ロングソードとミドルシールド、ラメラアーマーとチェーンヘルムで武装した骸骨――ボーンゴーレム――だった。
 ボーンゴーレムは扉が開いても微動だにせず、空洞の瞳でヒスイ達を見つめていた。
 対峙するだけでななんの額に汗が浮かんだ。物々しい武装は伊達ではない。少なくともボーンゴーレムはそれらを使いこなすだけの技量を持っていると、武道家の勘が告げていた。
 強敵に間違いないだろう。
 ボーンゴーレムの後ろには、一段高くなった祭壇のような場所があり、そこに直方体の氷塊が安置されていた。氷塊の表面は霜で覆われていて、入口からでは中はよく分からないが、うっすらと人影のようなものが見えた。
「‥‥ジュリア‥‥」
 マックスの呟きから、人影はジュリアに間違いなかった。
「またこれは、厄介なのが出てきたわね〜。マックスさん、前に来た時は倒したのかしら?」
「いえ、私は薬草探索などに必要な補助系の魔法しか覚えていないので、前に来た時はアイスコフィンで動きを封じました」
「それで、そのままボーンゴーレムにお姫様を護らせているのね‥‥倒すと護る者が居なくなるのよね〜」
 ヒスイはボーンゴーレムとマックス、氷塊を見て逡巡した後、オーラエリベイションを発動させて気力を高め、臨戦準備を整えたななんに耳打ちした。
「‥‥難しいけど、やるしかないよネ! さぁ、職務に忠実なトコ悪いけど、通させてもらうヨ!!」
 ななんが玄室に一歩、足を踏み入れると、途端にボーンゴーレムは与えられた命令を実行する為に動き出した。即ち、侵入者の排除である。
 ボーンゴーレムの最初の一撃を、ななんは軌道を読んで回避する。その剣風から一撃が強く重く、喰らえば軽傷では済まないと実感した。
 ななんの牽制の拳はミドルシールドでいとも簡単に防がれてしまった。その後に来る突きを、金属拳の甲で受け流すが、それだけでも腕が持っていかれそうになる衝撃が走る。
(「強い。かわすのが精一杯だヨ」)
 それがななんの本心だった。的確な攻撃と牽制を読む防御、どちらも一流の腕前だ。
 紙一重で攻撃をかわし、目立った傷は負っていないが、かわし損ねたり、受け流し損ねた切っ先が、着実にななんの身体に無数の切り傷を刻み始めていた。
「後、もう少しで感動の再会なんだから、どいてもらうわよ?」
 ヒスイはホーリーフィールドを展開させようと思ったが、部屋に入らなければ襲われる事はないだろうし、ななんの援護の方が最優先だと思った。
「もらったヨ! 破ァァァ!!」
 ヒスイのブラックホーリーの直撃を受け、上体が泳いだところへ、ななんは裂帛の気合いと共に前掃腿を繰り出し、ボーンゴーレムを転倒させた。
 ななんの後ろにはアイスコフィンの詠唱を終えたマックスの姿があった。ボーンゴーレムの体はたちまち氷に覆われていった。

●邂逅
 ヒスイとななん、マックスは祭壇の上の氷塊を囲んでいた。
 彼が手で霜を拭うと、氷に抱かれて眠るジュリアの顔が現れた。静かに目を閉じ、口元には微笑みが浮かんでいた。
 その安らかな表情は恋人を信じて待ち続けているのだろう。厚手のドレスを纏い、ティアラを付け、横たわりながら、19歳のままで‥‥。
「対面の前に‥‥ちょっとすとっぷ! もう、そんな格好で感動の再会する気なの!? これだから男の人は!! ほら、こっちの服に着替えてください! あと髪も切って、髭も!!」
 マックスがアイスコフィンを解除しようとすると、ななんがその肩を掴んで振り返らせた。
 冒険の最中という事もあり、彼はお世辞にも綺麗とはいえなかった。それで使用人の血が黙っていられなかったのだろう。ななんはてきぱきとマックスの身だしなみを整え、素敵な老紳士に仕上げた。
 その手際には、ヒスイもマックスも圧倒されっぱなしだった。
 改めてマックスはアイスコフィンを解除した。
 氷が音もなく溶けていき、そこにはジュリアが横たわっているだけとなった。
 唇に仄かに紅が差し始めると、ドレスの上からも分かる豊かな胸が上下し始める。
 閉じられていた瞼が開かれ、濃い青い瞳を覗かせると、虚空を見つめていたそれに意志の光が灯った。
 身体の感覚を確かめるように指先が小刻みに動いた後、彼女はゆっくりと上体を起こした。
 真っ先に飛び込んできたのは、微笑みながら自分を見つめる老紳士だった。
「‥‥ジュリア」
「‥‥マックス‥‥老けましたわね」
 ななんとヒスイが固唾を呑んで見守る中、恋人同士は50年ぶりの言葉を交わした。マックスが年老いても尚、恋人はその姿を認めていた。
「ロケットの肖像画も綺麗だったけど、本物は一層綺麗よね」
「心から必要とされている人は、例え姿形は変わっても、分かるんだネ」
 ヒスイとななんは積もる話もあるでしょうから、と‥‥2人を陰から見守っていた。
「あれから50年経っていますから」
「‥‥眠って50年ですの? その様子ではダメだったようですわね」
「ええ、ですから最期に謝りに来たのですよ。治せなくてすまなかった、と」
 マックスが謝罪をすると、その時初めて毅然と振る舞っていたジュリアの表情が翳った。
 その表情を見たななんは、それがジュリアの本心だと分かった。
 ななんやヒスイは、外見は二十代の半ばだが、その3倍の年月を生きている。マックスの年齢より長いだろう。
 エルフから見て短命な人間の、50年という決して短くない歳月を賭けても、マックスは恋人を蝕む病を救う事はできなかったのだ。
「‥‥病気の治療法はあたしに任せて、2人一緒に眠る事、できないかナ‥‥? 次目覚めた時1人ぼっちって、きっともの凄くつらいョ‥‥」
 ななんは居ても立ってもいられず、恋人の間に割って入った。マックスはジュリアに、ななんとヒスイを紹介すると、彼女は優美に挨拶をした。
「それは遠慮いたしますわ。次目覚めたら、マックスより素敵な恋人を作りますもの」
「その方がいいですね。次にあなたが目覚めるとしたら、病が治る時でしょうからね」
「そうそう。生きているうちに、また会えるとは、かなり運がいいわよ〜」
 しかし、ジュリアの答えはななんの期待していたものではなく、マックスのそれも同様だった。
 悪態を付いているように感じられるが、ジュリアは彼の後顧の憂いを少しでも無くそうと、マックスは彼女に自分に構わず生き終わって欲しくないという想いを込めた言葉だった。
 2人のジュリアの気持ちを察したヒスイは、この再会自体を喜んだ。

 それから数時間に渡って話をした後、ジュリアは再びマックスのアイスコフィンによって、目覚めの時を知らない、長い永い眠りへと就いた。

 氷の寝床の中の掃除をして出てきた時には、外は真っ暗だった。
「真夏の夜の眠り姫、ね」
 木々の間から覗く星空を見上げながら、ヒスイはジュリアの事をそう比喩した。
「ありがとうございました。お2人のお陰で、ジュリアに会う事ができました」
 深々と頭を下げるマックスの首には、あの銀のロケットは掛かっていなかった。
 氷の棺の中で眠るジュリアが、その手にしっかりと握っていたからだ。
「最後にもう1つだけお願いがあるのですが‥‥長命なお2人にしか頼めない事なのです」
 彼はバックパックから羊皮紙の束を取り出すと、ななんに渡した。
 それはジュリアが患っている病に関する記録と、治療法の草案だった。
「まだ完成していませんが、この研究を引き継いでくださる方を捜して欲しいのです。ジュリアだけでなく、あの病に掛かっている他の人を救う為にも」
「もちろんだヨ‥‥でも、ジュリアさんのコトは他言無用だよネ?」
 ななんが力強く頷くと、マックスは嬉しそうに笑い掛けた。
 ななんは医学に関する知り合いに、この不治の病の治療法が少しでも早く確立するよう手を打つつもりだった。
 そしてヒスイと一緒に、ジュリアが眠っている話も‥‥。

 その後、どこかの遺跡で眠り続ける、『真夏の夜の眠り姫』の噂が、まことしやかに囁かれるようなったという。

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