●リプレイ本文
●罠か証拠か
人々で賑わう街の市場。馴染みの行商人が出店を構えているテントの影で、トール・ウッド(ea1919)とレジエル・グラープソンは無事落ち合った。共に、尾行者は何とかまくことに成功した。だが、いつまでも長く一緒にいるのはまずい。
「手っ取り早く、用件のみを‥‥。まず、これをお渡しします」
問題の羊皮紙が、レジエルの手からトールへと渡される。
「内容はそちらの方で確かめてください。扱いにはくれぐれも気をつけて。こちらで調べた限りでは、これを書いたのは例の傭兵貴族ではありません。また、実際に企みごとを行なっているのはそちらかもしれません。更に詳しいことがわかったら改めて」
「了解した」
受け取った羊皮紙を懐に入れ、トールは力強く頷いた。
果たして。トールがもたらした羊皮紙は、ベルナルドの依頼を受けた彼らにも波紋をもたらした。
「これは、どういうことです?」
「おそらく、先日聞きつけたという密談の答え、だよ。多分ね」
羊皮紙にある走り書きに近いゲルマン語に、眉をひそめたナスターシャ・エミーリエヴィチ(ea2649)に対し、イリア・アドミナル(ea2564)が硬い表情のまま答える。
「ご子息の身が危険に晒されても、か‥‥まったく」
マリウス・ドゥースウィント(ea1681)が顔をしかめて呟く。ガブリエル・アシュロック(ea4677)もまた、その反応にもっともだ、というように頷いた。
これはもともとは、子供同士の他愛ない喧嘩のはずだったのだ。それに周囲の大人たちの思惑が絡み、結果として貴族間の抗争の態を示し始めている。もはや、オスカーとベルナルドという当事者2人の名誉だけの問題ではない。
「おそらく連中からすれば、ベルナルド殿を傷つけ、それをバルディエ側の陰謀、ということにして、向こうの失墜を狙っているんじゃろうが。‥‥おそらく、向こう側のほうが一枚上手じゃろうな」
冷静に言うのは、フランク・マッカラン(ea1690)。
決闘は仕切りなおしとなり、その結果、余計な動きがあちこちで見え隠れし始めた。これもまた思惑通り。そういうことなのだろう。しかし、自分たちはまだ負けたわけではない。そう思い通りになどさせはしない。
フランクの言葉にマリウスも頷き、口を開いた。
「これから決闘まで、ベルナルド様や奥方に取り入ろうとする連中に気をつけた方がいいな。そこから、何かわかるかも知れない」
「向こうも、バルディエ側の動きには注意すると言ってる。何かわかったことがあれば、知らせてくれるそうだ」
連絡役のトールが言う。一同はそれに頷いた。
「では今回、奥方様の護衛兼監視は私が引き受けましょう。幸い私は、前回の決闘の件には間に合いませんでしたから、奥方の風当たりもそう強くはないでしょうし。何より立場的に、奥方には一番信用されやすいかもしれませんしね」
いたずらっぽく微笑み、そう言ったのはガブリエル。新参者の外国人である自分なら、この国で後ろ盾を得ようと躍起になっている、と思わせることは容易い。そして人は、『自分と同じ立場』の人間にこそまず気を許すものだ。彼の意図を読み、フランクが頷く。
「うむ、その点についてはお任せする。奥方としては、わしらが再び決闘代理人として動くことに良い感情を持っておらんはず。その点の矢面にはわしが立とう。皆、存分に動いてくれ」
「じゃ、じゃあ‥‥がぶりえる、さんは、僕達とはあまり接点がない、と、思わせておいた方がいい、ですね。‥‥じゃあ、がぶりえる、さんとの連絡は、僕が、やります」
利賀桐 まくる(ea5297)が控えめに申し出た。
●想いと願い
事態を動かすために、冒険者達は改めて依頼人ベルナルドと接見した。
先日、あわや命を落としかけた少年は、まだ受けたショックが冷め切らない表情をしていたが、目の色はしっかりしている。確かに今回の相手であるオスカーには及ばないかもしれないが、かといって周囲に徒に踊らされるだけの人形ではない。この様子に、グラン・バク(ea5229)は内心でそっと快哉をあげる。
「過日は力及ばず、その身を危険に晒してしまい、申し訳ございません」
礼式にのっとり、恭しくひざまずいてイリアが一礼する。ベルナルドはそれに、「気にしないで」というように首を横に振った。
「いや。僕の依頼を遂行しようとしての結果なんだから、気にしなくていい。お母様は怒っていたけど、でも君達をクビにする、というのは何とか食い止めた‥‥と思うから。最後まで、よろしく頼むよ」
「ありがたきお言葉‥‥」
一同が恭しく一礼する。礼式にのっとった会話はこの辺りでいいだろう。素早く辺りを確かめ、聞き耳を立てているような輩がいないことを確信してから、まずイリアが口を開く。
「まず、これを見てください。ベルナルド様」
例の羊皮紙を手渡す。その内容を確かめて、ベルナルドが困惑げな表情になった。まあ、当然の反応といえよう。なるべく驚かせないよう注意しながら、イリアは続けた。
「これはオスカーさん側の冒険者殿から貰ったのだけど、どうやらベルナルドさんを狙う刺客が居るようなんだ。でもきっとベルナルドさんを守ってみせる」
瞳に微かに不安の色が浮かんだものの、しっかりと頷くベルナルド。
「それで、提案なんだけど。決闘が終ったら、この情報を持って来てくれたオスカーさん達に感謝の言葉と、仲直りをして貰いたいと思うんだ。たぶんそれが一番良い結果となると思っている」
「オスカーに?」
訊ね返すベルナルドに、イリアは頷く。
「そう。もう君達の間に遺恨はない。そう思わせれば、この件に関して悪巧みをしようという連中は動きが取れなくなると思う」
「差し出口失礼します、ベルナルド様。‥‥僭越ながら、私は今回の件は、貴方にとっての大きなきっかけと思っていますよ。貴方の人生に分岐点があるとしたら、それは今でしょう。オスカーを蹴落とし、貴族として地位と名誉を求める道。オスカーと手を取り、清廉な騎士として誇りを貫く道。どの道を選択しようと私は何も言いません。ですが、これは貴方が貴方の意思で決めてください。貴方にとって何が大切か。‥‥それを選ぶだけです」
「僕‥‥」
ナスターシャの言葉に、ベルナルドが俯く。
本当なら、それだけで済ませたい。それが、この少年の紛れもない本音だろう。だが決闘は行なわれ、いかな策略や思惑のなせる業か、それでも決着はつかなかった。
しばしの沈黙の後、ベルナルドは言った。
「うん。‥‥謝ってみるよ。許してもらえるかどうかわからないけど」
その言葉を受けて、ナスターシャも頷く。
「かしこまりました。ならば、私たちは貴方の望む結末を迎える為に全力を尽くすとしましょう」
「では、これから決闘が終わるまで。私とグラン、そしてトールがあなたをお守りします。御母堂の方にはガブリエル。フランクが補佐に。イリアとナスターシャは、この羊皮紙の件について調査を行ないます」
マリウスが今後の行動について報告する。続けて、まくるも。
「あ、あの。僕は可能であればあれくす卿の警護につきたい‥‥のですが。よろしいでしょうか」
「――? バルディエ卿の? どうして」
「その、べるなるど様にはおつらいこと‥‥かもしれません、が。今回、奥方様の方、に、一計があって。あれくす卿、は、それを利用しようと、している‥‥かも、知れないから、です。それに、あれくす卿、は今ケガで、右腕が‥‥使えません。万一のこと、あるかも知れません、し‥‥」
それにバルディエの側に張り付いていれば、何らかの情報や証拠が得られる可能性もある。ベルナルドはしばし眉をひそめていたが、やがて頷いた。
「うん、わかった。好きにするといい。でも」
「わかって、ます。もし‥‥万一のことがあったら、捨ておいて‥‥ください」
にこ、と笑って、まくるは言った。
その後間もなく、オスカーからベルナルド側に親書が届いた。親書の内容は、次に行なわれる決闘を遺憾なきものに終わらせるために、開始前、その結果がいかなものであろうと受け入れることと、互いに和解することを司祭に宣誓することを提案するものだった。
勿論、そのことに異論はない。早速ベルナルドはその親書に返事を送った。
だが何よりベルナルドを安心させたのは、その親書とはまた別に、あちらの連絡係であるレジエルが、トールを通じてもたらしたオスカーからの個人的な手紙だった。
とりあえず、後で一発殴らせろ。
今回の件はそれでチャラってことで異論はないな?
ただこれだけの文面だが、それがどれだけこの少年を安心させたか、想像には難くない。
「良かったな」
心底安心したような表情を浮かべたベルナルドを見て、グランが微笑う。
あとは――こちらの仕事だ。
●動く者踊る者
マリウス、イリア、そしてナスターシャの3人は、ベルナルドの護衛や、サロンに出入りする貴族達を調べることで、貴族達のつながりと動きを少しでも明らかにするべく動いた。表向きは、決闘相手であるオスカーの支援者であるバルディエを調べる、と見せかけている。だが実際に調べているのは。ベルナルドや奥方に近寄った貴族達やその関係者の中に、バルディエと繋がりがあるもの、あるいは、『バルディエ以外の何か』に繋がっているものがいないかどうか、そのことだった。
「‥‥どうやら危惧していたような、『対外勢力』の介入はないようですね」
集まりだした情報を前に、マリウスが言う。もっとも、彼が危惧している『対外勢力』の影がこの時点で見えたらとしたら、既にこちらは出遅れたのだ、と思わねばならない。幸いだったが、しかし現在の事件を発端に国内の貴族間抗争が更に激しくなったら、それだけ対外勢力に付け込まれる隙ができるということだ。少なくとも奥方――ベルナルドの母親は、そこまで先の事態を読みきれてはいないだろう。
「それにしても、狐狸妖怪とはよく言ったものだね。正直うんざりするよ」
「まあ、それはどの国も似たようなものでしょうけれどね」
呆れたように一人ごちるイリアに、ナスターシャが苦笑する。
明確に誰かを支持し、特定の派閥に与している、というのならばまだいい。今回イリアを閉口させたのは、門閥貴族達以上に、よく言えば『中庸』、悪く言えば『どっちつかず』な連中の多さだった。こういった連中は自らの利になるならば、所属陣営の乗換えなどいとも簡単にやってみせる。ある意味、もっとも性質が悪い。そういった点においては、自ら派閥の将領となり、主義主張のかみ合わない輩とは抗争、闘争も辞さないバルディエの方が、むしろ潔く思えてくるほどだ。
調査を行ないながら、一方ではベルナルド側が、バルディエ側を警戒し調査活動を行なっている、との噂をそれとなく広めておく。これは、こちらの意図に対する煙幕、というのが第一の目的だが、それ以外にも、バルディエの配下のものを誘い出せないか、という狙いもあった。もし上手くいけば、その配下から襲撃者の情報など得られるかもしれない。そう思ってのことだったが、しかし、期待したような動きは今のところ見られない。
「あとは‥‥ガブリエルやまくるさんの成果待ち、ですかね」
マリウスが呟く。護衛の名目で奥方の側に控えているガブリエル、バルディエの方についている、まくる。彼らならまた違った角度で何かを掴めるかも知れない。
また、こんな噂も聞こえてきた。
今回の決闘の裏で、何者かがベルナルドを狙っている企みがあるらしい、というものだ。だがこうして人の口の端にのぼっている以上、実行するほどの愚か者はいないだろう――それが、周囲にさざめく貴族達の一般的な見解であった。
●奇策と奇跡
「♪重要なのは偶然が、重なり発生したものかどうか。考えられない重なりを‥‥人それを『奇跡』という‥‥♪」
思いつくままに浮かんだ言葉をフレーズにして口ずさみながら。フレイハルト・ウィンダムは、今回の決闘が行なわれる場所を訪れていた。
決闘が行なわれるのは、寺院前の広場。周辺地域をまとめる、それなりの規模のものだ。とすれば、おそらく自分が期待しているものは間違いなくあるはず。
一人では手に余るので気心知れた相方にも協力を願い、朝もまだ早いうちからその寺院を訪れ、時間をずらし、念入りに周囲の状況を観察する。
果たして。やはりその場所はあった。
「やっぱり、あったな。この時刻‥‥この位置、か」
ニヤリ、と微笑み、視線を上に向ける。そこにあるのは、高い尖塔に飾られたセーラ神の聖印と、その威光を具象する艶やかなステンドグラス。
それは、降り注ぐ日差しを受けてより一層鮮やかに輝き、光の欠片を周囲に振りまいている。
ちょうどその頃。グラン・バクもまたその場所を訪れていた。より確かな結果を求められる次の決闘では、いかな仕掛けが施されるかわからない。それを防ぐためには、事前に『決闘の場』を知り、『どのような仕掛け』が有用かつ実行可能か知っておく必要がある。
視線を戻したフレイは、注意深く周囲を検めながら近付いてくるその騎士に、すぐ気付いた。
――あれは‥‥向こうの決闘代理人さんじゃない。
ちらり、と周囲を確かめる。特に監視されている様子はないが、あまり人のいないこの状況では、万一見咎められた場合言い逃れができない。咄嗟にそう判断し、さりげなく、グランと入れ替わるようにその場を後にするフレイハルト。そしてある程度距離を取り、いかにもふと思いついた、というように、自身の楽器であるオカリナを奏で始める。
「‥‥ん?」
突如、脳裏に声が響いたような気がして、ふとグランが足を止めた。しかし周囲からは風に乗りオカリナの音が流れてくるだけで、声をかけてきたような人影はない。にも関わらず、その『声ならぬ声』ははっきりと聞こえ続ける。耳ではなく頭に。
(「ハーイ、代理人さん。会場の下見とは、感心ね!」)
「‥‥?! 誰だ?」
(「私はフレイハルト・ウィンダム。『フールのプディング』で通ってる。知ってるだろ? ああ、イチイチ声は出さなくて結構。どこで誰が聞いてるかわかったもんじゃないから。ここはココロでオハナシしよう♪」)
どうやら相手は魔術で話しかけてるようだ。何とも落ち着かないが、ひとまず言われたことに倣うグラン。
(「確かキミは、オスカー様側の冒険者だな? キミも会場の下見か?」)
(「まあね。次の決闘に関してちょっとした策があってね。‥‥ここでキミに会えたのは実に僥倖だったよ。協力してもらえるかい? 上手くいけば、決闘は間違いなく『引き分け』で終わるはずだ」)
(「策?」)
(「そう。まずは、そうだな‥‥その場所から5歩ほど歩いて、寺院の方を見てくれないかな?」)
(「――なるほど」)
フレイハルトの指示通りに行動し、続けて彼女の言う『策』について聞き、したり顔で頷くグラン。策としては悪くない。だが‥‥
(「しかし、そうそう上手くいくかな? 時間は合わせれば何とかなるとして、都合よくこんな状況になるかどうかは」)
(「そんなん、やってみなきゃあわかんないだろ!」)
あっけらかん、と答えるフレイハルト。
(「もちろん、偶然にばかり頼る気はないよ。打つべき手は、打つ。どう?」)
(「‥‥了解。まあ、何もしないよりは確実だろう」)
(「話がわかるね♪ アレクシアスには、こっちから話を通しておくよ。あとは全て当日に。ぶっつけ本番になっちゃうけど、そこは何とかしてね!」)
偶然は重なる。
その考えられない重なりを
人それを『奇跡』という。
だが、ただひたすら『偶然』が重なるのを待っているだけでは『奇跡』にはならない。
●真相と真意
バルディエの邸には、今日も動きがない。
周辺に用心深く潜み、利賀桐 まくるは決闘の日以来、すっかりなりを潜めている男の居館を見据えていた。
邸には常日頃から様々な人々が訪れ、あるいは待機している。訪れる人物たちの人となりは実に様々で、『人材』と呼んでも遜色はない。
――決闘は明日‥‥。今回は動かないつもり、なのかな?
そんなまくるの視線の先で、一台の馬車が停まった。訪問者が多いこの館には珍しいことではない。だが、その馬車から降りてきた人物を見て、はっとなる。
――あれは! ‥‥ガブリエルさんからの情報にあった!
それは、奥方に付き従い、彼女に関わる貴族達に関しての情報を集めていたガブリエルの報告の中にいた人物だった。
ただし、この人物は貴族ではない。奥方と、そして彼女が懇意にしている貴族達。それらに繋がりを持つ有力商人だ。
――繋がった‥‥。やっぱり今回の件は、こちらに筒抜けなんだ!
コク、と息を呑む。おそらく奥方も、そして懇意にしている貴族も、このことを知らないのだろう。知っていたとしても相手は商人。商用があればどのような場所にでも赴いて当たり前だ。言い訳は、如何様にもできる。
急いで知らせないと‥‥。そう思ったまくるの首筋に、ひたり、と冷たい感触が押し付けられる。
「――!」
「動くな‥‥」
流暢なラテン語がそう告げる。
「懲りない奴だな。前にも忠告を受けたことがあるだろうに‥‥。我々の隊長ははるかに広い視野と、深い心眼をお持ちだ。いかに有力者の血を引くとはいえ、年端も行かない子供をどうにかして有利な立場を得よう、などというケチな工作はしない」
「じ、じゃあ、何を‥‥企んでいるっていうんだ‥‥?」
「さぁな。それぐらいは自力で気付いてほしいものだな。ヒントは十分に与えたはずだ。ともかく、これは覚えておけ。我らが長は、自身が主君と認めたものを貶めるような真似はしない‥‥む?」
怪訝そうな気配と共に、首筋に押し当てられていた刃の感触が消える。一拍おいて響く、刃と刃がぶつかり合う音。背後の気配は確かに自分から離れている。
――じぇいらん!
仲間の援護に心底感謝しつつ、その隙を突いてまくるはその場から逃れることに成功した。
この決闘騒ぎに潜むカラクリは、はっきりした。
何らかの形でベルナルドを襲撃し、その事件はバルディエ、あるいはオスカー側の仕業とみなす。それが奥方とその支援者が描いた図だ。
しかしおそらく、この図面は既にバルディエに筒抜けになっている。
もし策の通りベルナルドの身に万一のことがあったとしても。バルディエ側は事の真相を公表すればいい。そうすれば、窮地に立つのは奥方をはじめとするベルナルドの方になる。あの男のことだ。おそらく証拠になるものの一つや二つ、既に用意してあるのだろう。
あとは、コトが起こるのをただ待てばいいのだ。起こらなかったとしても、こちらに不利になることは何もないのだから、捨て置けばいいだけだ。
●勝敗と未来
決闘の場所となるのは、前回と同じ。パリ郊外の寺院の前広場である。代理人として立つ騎士も勿論同じで、オスカー側はアレクシアス・フェザント。ベルナルド側はグラン・バクが務める。
この日もまた、物見高い見物人達がぞろぞろと集まってきていた。何しろ、一度決着がつかない、という結果で終わった、いわく多い決闘だ。今度は一体どんなことが起こるのか‥‥そんなことを楽しみにしている輩もいるかもしれない。
そして刻限よりやや早い頃合に、当事者であるベルナルド、そしてオスカーの一行が、代理人達を伴い会場に現れる。それを確かめて、会場の警備に当たる冒険者たちは改めて気を引き締める。この決闘の裏で動いている陰謀は、これから動き出すのだ。
刻限を前に、代理人達に今日の決闘で使用するための剣が渡される。確約どおり、アレクシアスの剣はバルディエが、グランの剣は奥方が用意したものだ。傍目からも業物であると知れる長剣である。
「‥‥これならば折れることもないでしょう。これと貴人の信頼を持ちて名誉挽回と機会とさせて頂く」
奥方が手ずから差し出した剣を、グランは恭しく受け取る。そして、その言葉の証明、といわんばかりに、手近な岩に向けて剣を一閃する。
何とも形容しがたい音が響き、次の瞬間、周囲の人々の目に映ったのは、見事に一刀両断にされた岩の姿だった。喚声と感嘆のため息が漏れる。
「期待しておりますよ」
口元に扇を当て、奥方が微笑む。
会場内には不審者を一刻も早く見つけ出すべく、冒険者たちがそれぞれ散り、警戒に当たっている。しかし今のところ、それらしい不審者は見当たらない。
さて、刻限である。
まずは、前回のような武器破壊、というような事態が起こることのないよう、立会人が双方の使う剣を念入りに検分した。これには、『それでも剣が折れた場合は、決闘に結論がでたとみなす』ための前準備であり、また何か余計な仕掛けが武器にされていないかどうか、確かめると言う意味合いもある。城戸 烽火の意見を汲み、オスカーが申し入れたことだ。 続けて、代理人と当事者2人が司祭の前に進み出る。決闘がいかな結果に終わろうとも、それによる判定に従う、ということと、以後の和解を宣誓するために。
異変は、そのときに起こった。
それはおそらく、集まった面子のほとんどが気付くことができなかったろう、そんな些細な異変だった。
宣誓を行なうために、司祭の前に立ったベルナルド。その彼の周辺の空間が一瞬だが、うっすらと輝く壁に包まれたのだ。
――来た!
イリアが即座に立ち上がり、素早く周囲を見回す。そして、言った。
「あそこだ、寺院の裏! ――オレノウさん!!」
「心得ました」
イリアの合図を受けて、オレノウが高らかに手にした三味線をかき鳴らす。それは声にならない声となって、会場のそこかしこにいる仲間たちに伝わった。
(「近くにいるものは寺院の方へ! 一部の人は残って! まだ他にもいる可能性があります!」)
(「了解した!」)
レジエル、巴、ナスターシャ、そしてトールが、指示された場所へ向かって動き出す。
にわかに慌しくなる会場。人々の視線は、いきなり物珍しい楽器をかき鳴らしたオレノウに集中するが、オレノウはそれをさりげなくも強引な笑顔でかわす。
「失礼、調弦の手が滑ったようです。司祭殿、宣誓前の御無礼、どうかご容赦いただきたい」
「はあ‥‥」
何が起こったのかわからず、ぽかん、となっている司祭に向かって先を促す。司祭本人は顔中に『?』マークを浮かべつつも、改めて宣誓を行なおうとしている2人の少年に向き直った。こほん、と咳払いをし、つとめて厳かに宣誓の儀を始める。
「ではオスカー・ヴォグリオール、並びにベルナルド・ヴォグリオール。汝ら両名は本日の決闘において‥‥」
逃げた刺客は、やがて追いかけた面々によって捕らえられた。
いささか簡単すぎる気がしたが、おそらくこれも策のうちなのだろう。襲った張本人が命令者の名を漏らす‥‥ある意味、もっとも納得されやすい状況だ。
「他に仲間は?」
巴が問うが、その男は小馬鹿にしたような目線を向けるばかり。しかし試しに右手の日本刀をさりげなく咽喉元に突きつけると、あっさりとギブアップした。「何でも喋るから、命だけは助けてくれ」ときたものだ。ナスターシャが肩を竦め、言う。
「わかりました、助けて差し上げます。とっととどこへなとお逃げなさい」
「‥‥へっ?」
途端に、間の抜けた表情になる刺客の男。てっきり捕らえられると思っていたのだろう。それを「逃げろ」と言われて、判断に困ったようだ。
「お、おい。いいのかよ‥‥?」
「構いませんよ。貴方が喋るだろうことはもうわかっていますから。そうですね‥‥貴方の雇い主は『傭兵貴族』アレクス・バルディエで、黒幕は今広場にいる少年オスカー、というところじゃないですか?」
「‥‥な、な、なんで?」
レジエルの言葉に、男は目を白黒させる。その様子に、トールは呆れたようにため息をついた。どうやらこの男、正真正銘の『駒』でしかないらしい。手配したのが誰かは知らないが、もう少しましな人材はいなかったのか。少なくともこの時点で、この事件自体を起こしたのはバルディエではない。そう断言できてしまうではないか。
「なんでもへったくれも、ない。生憎だが手の内は全てわかってるんだ。このまんまとっ捕まっても何の意味もない。むしろあんたが捕まって、余計なことをベラベラ喋れば喋るほど、誰もお前を助けてくれなくなるぞ。だから今のうちに逃げるんだな」
「依頼人に忠義立てして捕まるのは自由ですから、お好きに。でも、その結果どうなっても、それはあなたが選んだ道ですから。‥‥どうなさいます? 残りの人生賭けてお試しになる?」
にこやかに微笑みつつ、ナスターシャが言う。実に美しい微笑だったが、その裏に見え隠れする明らかな脅しの色に、男は決断を下した。
素直に尻尾を巻いて逃げる、という決断を。
宣誓の儀式が厳かに進む中。優雅に広げられた扇の向こう側で、奥方の顔色が変わったのがわかった。心なしか、扇を持つ手も震えている。
「奥方様、お加減でも?」
側に控えるガブリエルが、さりげなく尋ねる。その声に奥方ははっとなり、こっそりと言った。
「‥‥息子が、何者かに狙われているよう、ですわ。本当に役に立たない冒険者たちだこと‥‥取り逃がさないよう、追いかけていただけませんこと?」
「いや‥‥あれは逃がした方がよろしいかと存じますよ」
ガブリエルの答えに、奥方が驚いたように目を見開く。同じように傍らに控えていたフランクが、低い声で囁いた。
「此度の策については、既にあちら側に筒抜けでございましたぞ、奥方様」
「‥‥‥‥!」
「嘘だと思うなら、これから言う商人の取引先などお調べになるとよろしい。そしてあの襲撃者は、取り逃すのが最も最良の策と愚考致します。さもなくは、色々とまずいことになりましょうな」
「ここであの男を逃がせば、どちらも権威が下がると言うことはない。しかし捕らえてしまえば‥‥おわかりですね?」
ガブリエルが囁く。奥方からの返答はない。ただ、その白い手に挟まれていた艶やかな扇が、音もなくその足元に落ちていった。
やがて宣誓が終わり、立会人がおごそかに決闘場の中央に立った。それに従い、代理人のアレクシアスとグランも対峙し、手にした剣を構えあう。
「――はじめ!」
立会人から鋭い号令が飛ぶ。それを合図に、鋭く斬り込みあう両名。腕の程はほぼ互角。しかし技量の点において、グランの方にやや分がある、といったところだ。互いに隙を突きあい、激しい剣戟が繰り広げられる。
巧みに打ち合いながら、実にさりげなく、2人は目的の場所に位置を移していった。
――くそ、お天道さんがイマイチだぜ‥‥ホントに何とかなるんだろうな?
この決闘自体に『勝敗』を持ち込むつもりはもちろんない。しかし『決着』をつけるまでは本気でやる。前の決闘から決めていたことだ。
「‥‥はぁあ!」
「!」
気合と共に、グランが激しく攻め込んでいく。速い攻めに、アレクシアスはたちまち受けの体制に追い込まれた。巧みな剣さばきで繰り出される攻撃を防ぐが、それが精一杯だ。攻撃に転じることができない。
そのときだ。
さわり、と風が動いて、隠れていた太陽がゆっくりとその姿を見せる。
差し込む光は、寺院に施されたステンド・グラスに反射し、そして――
「――ッ!」
乱反射する光が、まっすぐグランの目を射抜いた。目がくらみ、冗談抜きで瞼を閉じて光から目を逸らす。演技でもなんでもなく。
もちろん、その隙を逃すアレクシアスではない。手首が翻り、グランめがけて自身の剣を振り下ろした。その気配に、グランも反射的に手にした剣を構える。
キィィ‥‥ン
澄んだ、音が響いた。
グランの視界には、まだ白い残光が残っている。
だがその目が捉えた自分の右手には、剣がない。
手の甲から手首にかけて痺れるような痛みが走り、深紅の筋が滴っている。
思わず口元に、皮肉げな笑みが浮かぶ。
「勝負あり! 勝者、アレクシアス‥‥」
「いや、これは相打ちだ」
高らかに勝利を宣言しようとした立会人を、当のアレクシアスが止めた。怪訝そうな表情になる彼に、アレクシアスがゆっくりと振り返る。
笑みの浮かんだその頬に、鮮やかに走っているのは‥‥一条の傷。
「な‥‥」
唖然、となる立会人と観衆。沈黙した空気の中、2人の代理人はそれぞれの剣をおさめ、ゆっくりと歩み寄った。
「いい手合わせだった。感謝する」
「――ああ」
そして互いに笑いあい、固い握手を交わした。それが合図のように、拍手が鳴り響く。
拍手の主は、オスカー。そして、ベルナルドだ。楽しげに笑い、声をそろえて宣言する。
「「勝負あり。今回の決闘に勝者はなし! ――以上!!」」
その声と共に、会場は大歓声に包まれた。そして、2人の少年に引っ張り出される司祭。もちろん、代理人の受けた傷を、神の奇跡で癒してもらうためだ。
歓声の中、フレイハルトがオレノウを誘い、高らかに楽器をかき鳴らす。
かくして今日も神様は、地上に生きる子羊に
粋な贈り物をくだされる
偶然と言う名の贈り物
重なり合った偶然は これ神様の思し召し
人、それを奇跡という――
歌いながら、こっそりと空を見上げる。
光に紛れて、どこにいるかわからないけれど。
この奇跡に貢献した、小さな同胞に向かって。フレイハルトは極上の微笑を浮かべた。