●リプレイ本文
●結婚相手の条件
「フェート様、護衛のイリア・アドミナルと申します。宜しくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
丁寧に挨拶するイリア・アドミナル(ea2564)に、護衛対象であるところのフェート嬢も優雅に頭を下げた。
「貴女方の助力に感謝しますわ。これで、きっと大丈夫ですわね」
「はい、どんと大船に乗った気でいて下さい。結婚を愛ではなく利で行うなんて、絶対に阻止して見せます」
頼もしく請け負うイリアに、石動悠一郎(ea8417)も頷く。やはり、何とかしてやりたいと馳せ参じたのだ。
「意に添わぬ婚儀、しかも自分の父親より年上とは‥‥貴族というのも難儀な物よな」
「権益拡大のための政略婚‥‥貴族の娘なんかに生まれたばっかりに意に添わない結婚なんて辛すぎる事じゃん」
それは、ジェイラン・マルフィー(ea3000)も同じだった。
「まあ、今回は婚姻を無効にできる打開策があるからまだマシか」
「そうでやんすね。回避する手立てがあるのなら、あっしも出来る限り協力しやすよ」
以心伝助(ea4744)もまた同意を示し‥‥けれど、素朴な疑問を口にした。
「しかしねぇ。そもそも、なんで好きでもない者が利益でくっ付くのに神様が祝福するのでしょうか。その辺り、あっしにゃさっぱり理解出来ないっすよ」
だって、伝助は思うのだ。
「‥‥他人の都合だけで生きる人生なんて『生きてる』って言えないと思うっす」
と。
だが、そんな伝助に対して、直接の依頼人である黒衣の騎士‥‥アレクス・バルディエは重々しく告げた。
「神は、多くの賜物を与え給うた者に、より多くのものをお求めになる。家名を背負うと言うことはそういうことだ」
多くのモノを手にしているというのは、その分多くの義務や責務を背負うという事なのだと。
「あら、ではおじ様は私に大人しくノアール様の妻になれ。と、そう仰るのですね?」
「いや、それは‥‥あ〜、ゴホン」
けれど、フェートから剣呑な笑みを向けられ、バルディエは誤魔化すように咳払いをした。彼にとっても、それは望ましい事ではない。
「そうです! 一番大切なのは、フェート様のお気持ちですもの」
「う‥‥うむ」
更に反対側からイリアに抗議され、視線をあさっての方向に彷徨わせたりもして。
「政略結婚は貴族の常。だからこそ、それを翻したければ、策を巡らせねば」
その苦境を救ったのは、カイザード・フォーリア(ea3693)だった。
「そうそう。それと、迅速な行動あるのみ」
そして、キウイ・クレープ(ea2031)がバルディエに頼んだ。
「って事で、馬車か何か貸して欲しいんだけど」
「よかろう。フェートにケガをさせるわけにはいかぬからな」
「ありがとうございます、おじ様」
今度は素直な笑みだった。
「ところで、フェートさん。相手はフェートさんが逃げて来た事を知ってるんですかね?」
「ええ、知られていると見て間違いないですわ」
「なら、変装しないとっすなぁ」
「いや‥‥もっていきようでは、その必要もないのではないか」
伝助とカイザードが早速、これからの方針を練る中。悠一郎は所在なさげに佇む若き騎士に声を掛けた。
「で、そっちも当然、一緒に来るんだろ?」
「えっ‥‥えっと、あの‥‥」
「恋人が体張ってるんだから、当然付いてくるんだろ?」
問いかけというよりは確認‥‥念押しといったニュアンスの悠一郎に、
「‥‥はい」
騎士は会話するフェート達をチラと見、小さく頷いた。
「ところで、ノアールさんってのは、どういう人なんでやんすかね?」
「そうだな。一言で言うなら、切れ者‥‥といったところか」
伝助の質問に答えたのは、バルディエ。
「フェートの言い方も悪いのだろうが、エロ爺とか色ボケとかでは決してない。私と同世代、私以上の策士であり有能な男だ。ノアール・ノエルと言う男は‥‥」
だから厄介なのだが、という内心が読み取れる評価だ。
「でも、冷たい方です。全て理詰めで判断なさるわ‥‥彼とは正反対。少なくとも、私は好きではありません」
「‥‥しかし、有能な方なのは、確かですぞ」
そこに、一つの声が割って入った。何時の間にかそこに、一人の老人が立っていた。
「爺‥‥どうして此処に?」
「お嬢様に力を貸そうとする皆様方の御心はこの老いぼれ、嬉しく思いますぞ。じゃが、お嬢様の事を思って下さるなら、ここは引いては下さらぬか?」
老人はフェートの問いには答えず、冒険者達に向かって深々と頭を下げた。
カイザードは気付かれぬよう、イリアに合図し下がらせる。万が一の為の影武者を申し出ていたイリアである。顔を知られない方が良いとの判断だ。
「アレクス様もアレクス様ですぞ。もしお嬢様の為を思われるなら、お諌め下さるのが筋というもの」
気付いた風もなく、老人はバルディエを責めている。
「いや、だが、一番大事なのはフェートの気持ちではないかな?」
イマイチ説得力の無い抗弁には当然、老人も納得しない。
「年こそ離れているものの、ノアール様は能力、手腕とも優れておられる。ノアール様ならば、フェート様が幼き頃より煩わされてきたゴタゴタを無事、収めて下さるでしょう」
それが、それこそがフェートの幸せなのだと。
「代母代父様方が次々と替わられた事からも分かる通り、所領を治めるは並大抵の事ではありませぬ。それはそこら辺の者には到底、務まらぬ事なのです」
「‥‥」
悠一郎の横、騎士は無言で唇を噛み締めた。
「‥‥」
一方。意外な、そして、よく知る人物の訪問に動揺していたフェートに、カイザードがそっと目配せをした。
「爺、私はやるべき事があって此処にいるのです」
それに気付いたフェートは即座に、態勢を立て直した。
「そう、此度の事を亡きお父様、お母様にご報告する為に。この方たちはその為の護衛ですわ」
キウイが悠一郎が各々、頷く。
「‥‥そうですか。ではその旨、ノアール様に報告致します。どうかくれぐれも、短慮は起こされませぬよう」
勿論、それを頭から信じ込んだわけではないだろう。それでも、老人は溜め息混じりに釘を刺した。
「お祖父さま‥‥」
「ワシは貴様のような孫を持った覚えは、無い」
老人は、そして、若き騎士の呼びかけを一言の元に切り捨て、場を辞した。
パタンと音を立てて閉まった扉、何となく重々しい空気の中。
リュシエンヌ・アルビレオ(ea6320)はヘタな慰めを言う代わりに、フェートの肩をポンと叩いた。
「引っくり返せる悲劇なら、引っくり返すべきよね。ハッピーエンドのために」
「ええ!」
ニッコリ笑むリュシエンヌに、顔を上げたフェートからも同じ様な笑みが返ってきた。
●それぞれの事情と思惑と
「成る程、幼馴染みねぇ」
うんうん、と納得するリュシエンヌに、フェートは「はい」と頷いた。
バルディエ達に見送られた一行は、御者役をカイザードに任せ、出発した。
その行程、イリアやリュシエンヌは不安だろうフェートを気遣い、少しでも気を紛らわせようとお喋りに花を咲かせていた。
リュシエンヌが想像していた通り、フェートとのお喋りは楽しいものだったし。
「私の両親は幼い頃に事故で亡くなりましたが、その時護衛してくれていた彼のお父様も一緒に‥‥。私達はその後、爺‥‥彼の祖父に育てられたようなものです」
「あぁ、先ほどの‥‥」
「ですが爺は、私が彼と愛し合っていると知ってから、怒って出て行ってしまって‥‥今は叔母の所にいるらしいです」
「って事は、今回の結婚を仕組んだのも?」
「‥‥そうは思いたくないですけど」
「大丈夫よ、二人の気持ちが本物なら、きっといつか分かってくれるわ」
「そうですわ。愛無き結婚なんて、セーラ様もお喜びになりませんもの」
口々に励ますリュシエンヌとイリア。もれ聞こえてきた少女達の会話に、カイザードの隣で周囲を警戒しているキウイはそっと頬を緩めた。
「ふむ‥‥どうにも覇気がないな」
一方。肩を落とした騎士に、悠一郎は馬を並べた。
「平時に尻に敷かれる事自体は悪いとは言わん。が、それだけではいかんぞ、いざと言う時には互いに支えあえるようでないとな」
煮え切らない騎士を、諭すように激励する。
「相手を心から想う強い気持ちがあるなら、出来るはずだ」
「ですが‥‥」
俯く騎士の気持ちも分からないではない。老騎士の言葉にもあったように、フェートの背負うものは大きい。
それでも、相手を大切に想うなら、心底愛しているなら、出来るはずだ、と。
「ほら、そんな風に深刻な顔していたら、出来るはずの事さえ出来なくなってしまうのではないか?」
「‥‥はい」
やはりシャキッとしない騎士に、悠一郎は
「そうだな」
と発破をかけるように続けた。
「結婚の反故が出来たら速攻で式を挙げて早々に既成事実を作ってしまうのも手ではあるぞ」
「はぁ‥‥って、ええぇぇぇぇぇぇっ?!」
ぼんやりと相槌を打った後、騎士は悲鳴に似た声を上げた。何事かと馬車から顔を出したイリア達が目にしたのは、真っ赤な騎士と苦笑した悠一郎であった。
「来たよ!」
続く、穏やかな道行。それが途切れたのは、行程を半分ほどきた時だった。
周囲を警戒していたキウイの警告が、いち早く飛び。即座に馬を止めるカイザード。
直後、その足元に刺さったのは矢だ。浮き足立ちかける馬を冷静に宥める。
「ここにいて。大丈夫、私達を信じて待ってて」
リュシエンヌはフェートに言い置き、即座に馬車から飛び出した。
「こっちは任せておきな」
入れ違いに、万が一の為にキウイがフェートとイリアに付く。すれ違いざま一瞬だけ視線を合わせ、リュシエンヌは碧の瞳で鋭く周囲を見。
ほぼ同時に完成する、高速詠唱ムーンアロー。魔法はその瞳の先を、正確に捉えた。
「‥‥ぐはぁっ!?」
「ごめんね、キミ達は厄介だから、早めに潰させてもらうわね」
手を押さえ苦痛の悲鳴を上げた射手から、リュシエンヌは次の標的へと視線を移した。
同じく展開したジェイランは、既にスクロールのストーンアーマーで防御力を上げていた。
「右に同じ、だぜ」
そしてスクロールを使い、飛んでくる矢の射手に向かってライトニングサンダーボルトを放ったのだった。
射手が無効化されていく事に焦れ、多少のダメージを覚悟し突っ込んでくる敵。その手には、ロングソードがある。
「‥‥」
その時、馬車からさっと出でたる人影があった。
「やはりフェートには手出ししないよう、命令されているか」
一瞬動きを止めた敵、カイザードはその剣を盾で受け、カウンターをお見舞いした。
「冬の目覚めは、二度の息吹と共に‥‥『氷河衝撃(アイスインパクト)』!」
そして、フェート‥‥否、フェートの格好をしたイリアのアイスブリザードが敵にたたき付けられる。
「大した相手ではありませんわね」
「拙者たちの命を奪うつもりはないようだが‥‥それでは、止められぬぞ」
馬車の防御に専念しながら、悠一郎も負けじと棍棒を振るった。その横ではやはり、騎士が剣を振るっている‥‥意外な事に結構、様になっている。
「恋人を心配する気持ちも分かるけど、先ずは自分の身を守る事を考えな‥‥勿論、あたいが指一本触れさせないけどさ」
フェートをガッチリとガードしながら、キウイは冷静に戦況を眺め、呟いた。
「もっとも‥‥あたいが出るまでもないようだね」
「大人しく降参した方が利口っすよ」
キウイの見立て通り、ダブルアタックとスタンアタックで敵を行動不能にする伝助、その動きもまた安定したものだ。襲撃者が烏合の衆ならば、余計に。
「罠に掛かったのは、そっちだったってコトっすよ」
一同は予め襲撃を予想していた。不意を突かれなければ後れを取るわけはない‥‥連携の取れた迎撃に、襲撃者達は瞬く間に倒されていった。
「さて、誰に頼まれたのだ?」
襲撃者達を無効化した後、カイザードは問い詰めた。
「時間をかけている暇はない。言わぬなら、痛い思いをしてもらうが‥‥」
カイザードの横、キウイがバキバキっと指を鳴らし、悠一郎が棍棒を構え。
「待ってくれ! 俺たちゃ何も知らねぇんだ!」
無言の圧力に、既に完膚なきほどに叩きのめされた襲撃者達が抗えよう筈もなく。
「頼まれたんだ」
「屋敷から出てくる馬車か馬を襲ってくれって」
「大金を渡されて‥‥」
「ちょいと脅すだけだ、って」
「命まで取るつもりはなかったんだ、信じてくれ!」
「俺たちはただ、頼まれただけなんだ!」
助かろうと、我先に言い募る男達。
「使い捨てって感じじゃん。さすがに、用心深いって事だな」
「トカゲの尻尾切りって奴っすね。追求してもおそらく、御大にはたどり着かないでやんす」
ジェイランと伝助は苦々しく襲撃者達を見下ろした。
ドレスタットはまだ若い。希望と活気に溢れていると同時に、一攫千金を夢見るものや荒事などを求めて訪れる者達も多い。この者達もそういった、金さえ積めば何でもやるといった類の連中だろう。
「先を急ごう」
そんな男達にはもう目もくれず、カイザードは御者台に足をかけた。
「この男達はただの足止めだろう。だとすると‥‥」
「目的地がヤバいって事じゃんか」
ジェイランに無言で頷く。その言葉の意味する事に気づいた皆の表情も、変わる。
「エリーとヴェガ、それにアッシュ‥‥どうか無事で」
先行してくれている筈の仲間達‥‥リュシエンヌは心からその無事を祈った。
●証を立てる為に
「う〜ん、今回は久しぶりに本業をしっかりやっちゃおうかなぁん」
という事で、珍しくもちゃんと神聖騎士らしい格好をしたエリー・エル(ea5970)は、アッシュ・クライン(ea3102)とヴェガ・キュアノス(ea7463)と共に、一足先に目的地‥‥書類が安置されているだろう教会の近くに、辿り着いていた。
「む?! 何じゃあの者達は‥‥何ぞ起こっておるのやもしれぬ」
アッシュの馬に乗せてもらっているヴェガは前方を指差した。
見ると、そちらから司祭や神官騎士と思しき一行がやってくる。
「とにかく、行ってみるのじゃ」
無意識に触れた胸元。そこには、フェードがしたためた手紙が収められている。自分はこれを届けねばならないのだ‥‥託された想いと共に。
「皆さぁ〜ん、一体どうしたんですかぁ?」
「この先で隊商が野党に襲われたという連絡がきたのです。大勢のケガ人が出たと」
それでこれから救助活動に行くのだと、司祭は応えた。
「ちょっと待ってくれ。俺たちが通ってきた道で、そんな騒ぎはなかっ‥‥」
ハッ、と顔を上げたアッシュに、ヴェガは頷いた。
「罠やもしれぬ‥‥急ぐぞ」
「なるべく大騒ぎにならないようにしたいんだが‥‥やはり無理みたいだな」
アッシュは溜め息混じりに呟くと、
「しっかり捕まっててくれよ」
ヴェガに声を掛け、馬を走らせた。
「ん〜、って事で、そのネタは99パーセントの確率でガゼなのでぇ、あなた方も早く教会に帰った方がいいと思うよ」
エリーもまた言い残すと、その馬首を教会へと向けたのだった。
「油の臭い‥‥ちっ、手早く証拠隠滅するつもりか!」
馬を止めたアッシュはヴェガに手を貸し降ろしてやりながら、周囲の気を探った。
「一人‥‥いや、二人か‥‥」
日本刀を構えて、走る。先代の司祭が残しただろう、フェートとノアールの父との代父契約を記した、書類。それが無ければ‥‥無くなってしまえば、フェートがいくら結婚の無効を唱えてもムダだ。例え、先代司祭の証言があったとしても。
「そこまでだ!」
教会の壁に何かを‥‥油のようなものを掛けていた影はギクリと身を強張らせ。直ぐに懐から取り出した獲物を構えた。さすがにこの自らも巻き込まれかねない位置では、火は放てない‥‥やはり、金で雇われたならず者のようだ。
動いたのは、ほぼ同時。戦いは、もう一方でも始まっていた。
「神聖な教会に火をつけようたぁ、セーラ様が許してもこの私が許さないよぉん!」
口調はイマイチ緊張感に欠けているものの、フェイントアタックを繰り出すエリーの攻撃は容赦がない。
「神を冒涜する所業、許せぬ! この恥知らず共めが」
静かながら、怒りの激しさはヴェガも勝るとも劣らない。こちらはアッシュやエリーの様子を見ながら、サポートする為に魔法の詠唱に入る。
「峰打ちだ、安心しろ」
刀を打ち合せるわけにはいかない‥‥アッシュは刀の背で相手の腹を強く薙いだ。
「コアギュレイト!」
そして、ヴェガの呪文がエリーの相手を束縛し。
「人の恋路を邪魔する人はぁ、馬に蹴られてやられちゃえ!」
エリーは言って、腹部にスタンアタックを叩き込む事で、勝負を決めたのだった。
戻って来た司祭達が何事かと驚く中、三人はその顔に安堵を浮かべて、頷き合った。
「信心深き、さる御婦人から告白を受け、此度の婚姻が近親婚であると確認する必要が生じたのじゃ」
混乱が一応の落ち着きを見せるのを待って、ヴェガは司祭達に訪れた事情を話した。どさくさに紛れてフェートの叔母もこちら側に巻き込んでしまえば、もうノアールに利用もされまい、そう考えての事だ。
「それならば、書庫を探してみましょう」
フェートからの手紙もあり、何より、教会を救ってくれたヴェガ達に感謝した司祭は直ぐに請け負ってくれ。
そうして、フェート達が着いた頃には、件の書類はヴェガの手に握られていたのだった。
●選んだ未来は
「これでノアール様との結婚は無効になるのですね」
「うんうん、良かったでやんす」
はしゃぐフェートに、伝助もつられた様に微笑んだ。
「だけど、フェート‥‥本当にいいのかい?」
なのに、恋人である騎士はこの期に及んでまだ、そんな事を言うのだ。
「僕は君を愛してる。でも、お祖父さまの言う通り、ノアール様の方が君を‥‥君の民を幸せに出来るのだと思う」
「あなた、女心というものがまったく分かっていませんわ」
「そうそう。大切なのはやっぱ、愛でしょ愛」
と、イリアとエリーが『まったくもう』な感じで深く深ぁ〜く溜め息をついて見せた。
「私は‥‥私は別に貴方に幸せにして欲しいわけではありませんわ」
そして、フェートは、騎士を真正面から見つめ、キッパリと言い切った。
「楽になりたいから、全てを放りだしたいから結婚するわけではないもの。私の民は私が幸せにする、少なくともその努力をしますわ‥‥必要なのは、私を支えてくれる人。心を許せる貴方に、私は側にいて欲しいの」
そこにいたのは、ただの女の子ではなかった。幼き頃より苦労して、周囲の外圧と戦って所領を治めてきた、紛れもない領主の姿がそこにはあった。
「そうだよな。背中を預けられる相手がいるからこそ、安心して戦えるってモンだ」
その言葉にジェイランは大きく頷いた。同時に、背中が妙に寒く感じて‥‥ちょっと寂しくなった。大切な者がいるから安心して戦える‥‥自分もフェートも強くなれるのだ、きっと。
「まったく、情けないわね」
そんなフェートの姿。動かない、動けない騎士の背中をリュシエンヌは容赦なくドツいた。
「元はといえば、あなたに度胸が無いせいでしょうが。後悔したくないなら、根性見せなさい!」
背中を押された騎士はよろめくように一歩フェートに近づき、そして、もう一歩を自分の意思で踏み出した。
「僕は‥‥僕でも、いいの?」
「貴方でなくちゃ、ダメなんです」
フェートの瞳は微かに潤んでいたようだった。そんな瞳で見上げられた騎士は心を決めたように、その華奢な身体をそっと抱きしめた。
「善は急げとも言う。婚姻無効の宣言をした後、二人の婚約の儀を執り行うぞえ」
「いえ‥‥」
提案するヴェガに、だが、若き騎士は首を横に振った。
「今回の事で僕‥‥私はもっと強くなりたいと、ならなければと痛感しました」
彼女の横に並ぶ為に、彼女の重荷を共に背負う為に。一緒に、歩いていく為に。
「だから、彼女に正式に申し込むのは、もう少し己を鍛えてからにしたいと思うのです。‥‥少なくとも祖父に認められるくらいになってから」
「でも、それではフェート様がお婆さんになってしまうのではないですか?」
「が、が、が、頑張ります!」
青年の答えにイリアは、優しく微笑んだ。
「ところでぇ、あの軟弱そうな彼のぉ、どこに惚れたのぉん?」
一方、ツツツ〜とフェートに近づいたエリーが聞いたのは、ずっと抱いていた疑問。
「優しいんです、すごく‥‥だから」
ぽっと頬を染めるフェート。だけど、エリーはやっぱり分からない顔で率直な感想を口にした。
「優しいってのはイコール、情けない、面白みがないって事じゃ‥‥モガモガ」
もっとも、それは途中で途切れた。キウイに後ろから羽交い絞め‥‥というよりほとんど吊り上げられた為だ。
「幸せなカップルに水を差す事もないだろ」
フェートの傍ら、今も警戒を続けながら、キウイはそう耳打ちした。
「さて、盛り上がってるトコ悪いが、無事に帰るまでが仕事だ。ちゃんと気合を入れ直してくれ」
そんな皆を見回したカイザードは、やや呆れたように注意を促したのだった。
●かくて一つの事件は終わる
『セーヌに船着場が出来ればルーアンまで二〜三日、イギリスまでも一週程度‥‥』
事件に無事決着が付いた後、黒衣の騎士はカイザードからの手紙に目を通していた。
『教会への喜捨・実名での寄付共に一定額以外は受け付けず等と言った規律を早々に定めるべきかと‥‥前例が出来ぬ内に』
「いい読みだが、既に遅いかもしれんな。おそらく今頃ノアールの奴は『事件に巻き込まれたとの事、謹んでお見舞い申し上げます』とか何とか理由をつけて、件の教会に多額の寄進でも送っているだろうからな」
苦々しい顔でもらすバルディエ。それでも、手紙を丁寧に折りたたみ懐にしまった騎士は、報告がてら届けてくれたクレリック‥‥ヴェガに視線を向けた。
「今回も世話になった、礼を言う」
「何、礼を受ける程の事でもない」
「ノアールの尻尾は掴めなかったが、フェートとの結婚が無効になっただけでも良しとしよう」
勿論、フェート自身への愛情もあるだろうが、そこにはやはり施政者としての判断も混じる。
「あの若き騎士。奴の父親は良き騎士だった‥‥とすれば、案外これから化けるかもしれんしな」
「そう願いたいところじゃな」
ヴェガは鷹揚に笑むと、少し悪戯っぽく問うた。
「ところで、此度は斯様な結果と相成ったが、閣下はルル様の結婚についてはどの様にお考えかえ?」
リンゴ〜ン。鳴る教会の鐘の音。純白のウェディングドレスに身を包んだルルがその瞳に涙を浮かべ、言う。
『お父様、今までお世話になりました』
そして、離れ行く手‥‥。
バルディエはそんな妄想を振り払うように、慌てて叫んだ。
「ルイーザの結婚だと?! いや、まだ早い早すぎる!」
そこにはもう有能な施政者の顔はなく、ただの親バカ‥‥普通の父親の顔があったのだった。