春霞は恋で染めて

■ショートシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 31 C

参加人数:4人

サポート参加人数:-人

冒険期間:03月20日〜03月23日

リプレイ公開日:2005年03月27日

●オープニング

 外気に春のにおいが漂いはじめ、木々の小さな芽が先端を見せ始めてくると、心なしか人々の体も軽くなってくる。そんなある日の昼下がり。
 とある貴族の娘、オーレリーは窓辺でカップを傾けながらそっとため息をついていた。
「どうしたの、姉上。ため息なんかついて。いい天気だというのに」
 不思議そうに聞いてきたのは、ちょうど部屋の外を通りかかった弟のミシェルだった。
 二歳下の弟に気づいた姉は、穏やかな外の様子とは逆に、物憂げに寂しげな微笑だけを返す。今にも空気に溶けてしまいそうなほどだ。
 ミシェルにはどうして姉がそんな顔をするのか、まったく見当がつかない。オーレリーはついこの前縁談が決まったばかりだというのに。もちろん相手は申し分のない家だ。
 オーレリーはそんな弟の気持ちを見透かしたように話し出した。
「季節は春だけど、私には春は来ないわ。だって、春を感じる間もなく嫁ぐんですもの。‥‥一度でいいから、恋をしてみたかったわ」
 ミシェルはハッとすると、お茶のおかわりを持って来ると言って部屋を出て行った。
 自室で彼は悩んでいた。
 もうすぐこの家からいなくなってしまう大切な姉のためにできること‥‥。
 恋を、経験させたい。
 しかしこれは簡単なことではない。そもそも相手がいないと恋は成り立たないのだ。自分の学友ではダメだろう。
「もっと劇的で運命的で大胆で‥‥ああもうっ、肝心の時に僕は役立たずだっ。無茶なのはわかってるけど、でも。嘘でも芝居でもいいから、誰か‥‥ん? 芝居?」
 何か重要なことに気づいたように、ミシェルはぶつぶつ言いながらさらに思考を深めていった。

 翌朝、昨日とは打って変わって上機嫌の姉がミシェルに言った。
「ねぇ、今度の休日にピクニックに行きましょうよ。もしかしたら、素敵な出会いがあるかも‥‥なんて!」
 意味ありげに微笑む姉に、ミシェルはドキリとした。
 自分の計画など、この姉はとうにお見通しなのでは‥‥?

●今回の参加者

 ea1565 アレクシアス・フェザント(39歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea5804 ガレット・ヴィルルノワ(28歳・♀・レンジャー・パラ・フランク王国)
 ea5970 エリー・エル(44歳・♀・テンプルナイト・人間・神聖ローマ帝国)
 ea9387 シュタール・アイゼナッハ(47歳・♂・ゴーレムニスト・人間・フランク王国)

●リプレイ本文

●出会いは暴れ馬と共に
 楽しみに待っていた休日は、春のあたたかな香りのするよく晴れた日となった。蝶が飛ぶにはまだ早いが、真新しい若草が生えるにはちょうどよい。
 オーレリーとミシェルの姉弟は、ピクニック道具一式を持って屋敷からほどなく離れた小高い丘へやって来ていた。
「いい天気でよかったわ」
「そうだね。よし、このへんにしよう」
 ミシェルは大きな袋から下に敷く布を取り出して広げた。その上にオーレリーが二人分にしては量の多いお弁当の包みをおろす。
 と、その時、オーレリーは考え事をしているふうの冒険者の姿を見た。
 法衣にとんがり帽子という出で立ちからウィザードだと思われる。
「ごきげんよう、冒険者さん。考え事ですか?」
 あんまり夢中になっているとつまづきますよ、と微笑むオーレリー。
 その声に我に返ったシュタール・アイゼナッハ(ea9387)は、年甲斐もなく照れたように後頭部に手をやった。
 軽く自己紹介をしたシュタールは、錬金術のことを考えていたのだと話した。
「海賊やドラゴンの襲来で錬金術の研究どころではなかったですしのぅ」
 錬金術で果たしたい目的でもあるのか、シュタールは寂しそうに呟いた。しかし次の瞬間には、
「‥‥まあ、最近は『研究以外も、また楽し』という気分ですが‥‥」
 と穏やかな笑顔を見せた。
 そして立ち去ろうとした彼をオーレリーは引き止めた。
「あの、よろしかったら一緒にお昼はどうですか? 私が作ったものなので、味のほうは自信ないのですが」
「よいのですか? その‥‥」
 と、ミシェルを見やるシュタール。
「あ、弟のミシェルです。お弁当も作りすぎてしまったので、ぜひ‥‥」
「それでは、ご一緒させていただきましょう。いや、これは運がいい」
 ミシェルは冒険者が来てくれたことを喜び、心の中でガッツポーズを作った。
「ここも、少しずつ発展していますね。きっと立派な街になりますわ」
 お弁当を並べ終えたオーレリーは、軽めのワインを注いだ杯をシュタールに差し出す。次いで自分達の分も注ぐと「乾杯」と言って三人で杯を合わせた。
 穏やかに時は流れていくはずだった。
 しかし、それは突然やって来た。
 それによって全てが狂わされていく。いや、ここからが本番と言うべきか。

 はじめ、空耳かと思うほどだった地響きはたちまち振動を伴って大きくなっていった。同時に叫び声も響いてくる。
「誰か止めてぇー!」
 暴走する馬の首にしがみついているのは、赤毛の少女だった。
 暴れ馬は真っ直ぐにこちらに突っ込んでくる。
「二人共下がれ!」
 シュタールが法衣を翻し馬の進路に立ちふさがる。
「危険よ!」
 止めるオーレリーに背を向け、シュタールは身構えた。地の精霊魔法発動のため意識を集中させる。
「せっかくのピクニックを無粋な暴れ馬なんぞに邪魔されてたまるか!」
 馬の足を石化させて止めようとした。しかしそれは期待ほど動きを止めることはできず、力強さに破かれてしまった。
 次の蹄の餌食にシュタールが選ばれるかと思った時、飛び込んできた黒い影が暴れ馬の手綱をがっちりと掴み、頭絡ごと押さえつけた。
 それでも馬は急に止まれない。芝がめくれるほど押されて、ようやく馬は落ち着きを取り戻した。あと少し進んでいたらオーレリー達へ突っ込み、お弁当も何もかもめちゃくちゃにしていただろう。
「た‥‥助かった‥‥」
 馬の背に乗っていた少女が、精魂尽き果てたようにすべり落ちる。
「怪我はないか?」
 暴れ馬を静めた男は、死にそうな少女よりも先にオーレリー達の安否を気遣った。
 まだ激しく脈打つ心臓のまま、オーレリーは何度も頷いて答える。
「大丈夫です。あの、そちらの方は‥‥」
 と、彼女が暴れ馬の少女に心配そうな目を向けると、男はため息混じりに少女の腕を掴んで立たせた。
「妹だ。本当に申し訳ない。ほら、おまえも」
 男は妹と呼んだ少女の頭をやや乱暴に押し下げる。
 それから彼は騎士の礼でもってオーレリーに自己紹介をしようと一歩踏み出した。
 と、なぜか突然小石が出現して男の足を取った。石化した芝につまずいたのだが、二人は気づかなかった。
 バランスを崩した男はオーレリーを巻き込み、地面に倒れこんだ。
 見ようによっては大変危険な体勢となってしまった二人に、男の妹とミシェルはオロオロとうろたえる。ただ一人、シュタールだけはびっくりした表情の奥に忍び笑いをちらつかせていた。
 まさか彼が‥‥?
「あの‥‥俺はアレクシアス‥‥アレクシアス・フェザントと言って‥‥」
 すっかり気が動転しているアレクシアス・フェザント(ea1565)は、頭の中を真っ白にして名乗りだした。
 彼に押し倒される形になったオーレリーは、顔を真っ赤にしながら小さく頷く。
「もう、お兄ちゃんしっかりしてっ」
 その妹のガレット・ヴィルルノワ(ea5804)がアレクシアスの襟首を引っ張る。
「んぐっ、し、しまっ‥‥首絞まっ‥‥」
「あ、ごめん」
 慌ててガレットが手を放すと、アレクシアスは酸素を求めて大きくあえいだ。
 まだポーッとなっているオーレリーをミシェルが助け起こす。
 その陰でそっと奥歯を噛み締めるシュタール。小石でアレクシアスを転ばせ、オーレリーに格好悪いところを見せようとしたのだが、裏目に出てしまったようだ。
 本当なら自分が格好良く暴れ馬を止めてオーレリーの心を鷲づかみ! のはずだったのに‥‥と、シュタールの内心は穏やかでない。
 兄妹が改めて自己紹介をしていると、大きなバスケットを抱えた少女がやって来た。
「ちょっとガレットぉ、いったいどうしたの? あなたが持ってたはずのお弁当、ひどい姿で転がってたけどぉ?」
「え、あぁ! お弁当!」
 金髪で幼い顔立ちの少女、エリー・エル(ea5970)に言われてやっと思い出したように叫ぶガレット。
「せっかく買ったお弁当が‥‥」
 みるみる情けない顔でしおれていく。
 今にも泣き出しそうな彼女に、励ますようにオーレリーが自分のお弁当を指した。
「ね、ねぇ、よかったら私のお弁当食べて。せっかくこんなに集まったんですもの、みんなで食べましょうよ」
 とたんにガレットの涙は引っ込んだ。
 そんなわけで、最初は姉弟二人だけだったピクニックは、総勢六人と賑やかになったのである。

●ナイト、疑心暗鬼に陥る
 オーレリーは明らかにアレクシアスを意識していた。暴れ馬に蹴られるところを目の前で助けられたのだから、彼女のような箱入り娘なら気になってしまうのも仕方ないかもしれない。
 オーレリーはそれを表に出さないようにがんばっているようだったが、バレバレだった。
 ガレットはそんなオーレリーとアレクシアスをくっつけようと二人を並んで座らせたり、そっちの方向に話を持っていこうと話題を振ったりとマメである。
 いよいよ耐えられなくなったオーレリーが助けを求めるように弟を振り返ると、離れたところでシュタールと会話していた。
 自分で切り抜けるしかない、となぜか悲愴なほどの決意を胸にオーレリーはアレクシアスに向き直る。
「アレクさん、パンまだありますよ」
「あ‥‥ありがとう」
 受け取った皿にオーレリーがパンを盛りつけ始めると、ガレットがアレクシアスの肘を強く引いた。そしてヒソヒソと声をひそめて叱咤する。
「ちょっと、何よ今の素っ気無い返事は! もっと褒めて雰囲気出さなきゃ」
「う‥‥む」
 彼は心の在り方は情熱的だが表面はクールである。軟派男のようには到底振舞えない。しかしあまり愛想がないのも相手を傷つけてしまうかもしれない。
 葛藤が起こった。
 まるでモンスターと戦うような鬼気迫る雰囲気で考え込んでいると、目の前にパンとチーズの盛られた皿が差し出された。
 顔を上げると、少々心配そうなオーレリー。
「あの、どこか具合でも? まさか、さっき馬を静めた時に‥‥」
「あ、いや、違‥‥」
「ねぇん、私のお弁当も食べてぇん」
 接近しかけた二人の間に無理矢理体を割り込ませるエリー。半分くらいアレクシアスに乗っている。
 エリーはますます接近しながら、アレクシアスの口元に料理を近づけた。
「はい、あ〜ん」
 と、問答無用で押し込む。
 アレクシアスが目を白黒させるのも構わず、エリーはかわいらしく笑って「おいしい?」と小首を傾げる。
 端から見ているとまるで恋人同士のような二人だった。
 その様子に呆然としているオーレリーに、エリーは怒ったような冷たい目を向けた。
「何でアレクと一緒にいるのぉん。アレクはぁ、私みたいな何でもできる子と一緒にいるのが一番幸せなんだよぉん」
 意地悪な物言いにオーレリーはショックを受けたように視線をさまよわせた。
 アレクシアスが何か言おうと口を開いたが、すかさずエリーに次の料理を突っ込まれ封じられてしまう。
 ガレットは今後の展開に不安と期待をもって見守っていた。

 その頃、シュタールとミシェルは少し違う話題にかまっていた。
 それはオーレリーの結婚相手のことだ。
「差し支えなければ、オーレリーさんの嫁ぎ先のことなど教えてくれんか?」
 という問いに、ミシェルは「かまいませんよ」と言って話し出した。
「別に遠くに行くわけではないんです。ここの名士のご子息のところに行くんです」
「姉君は、お相手のことを詳しくご存知で?」
「ええ。パーティで何度か会ってます。確かつい最近二十四歳になったんだったかな。なかなかご立派な方でしたよ。あの方なら僕も安心です」
 大切な一人娘である。ミシェルの両親は嫁ぎ先のことは念を入れて吟味しただろうが、それ以上にこの結婚には大事な意味があることも話した。
「お互いの家に繋がりができれば、家も栄えて街のためにもなるらしいです。政略結婚‥‥てやつですね。両親は僕には詳しく話してくれませんでしたけど」
 それでも弟は弟なりに姉を心配して、結婚相手のことを観察していたらしい。
 隣で起こりそうなご婦人向け芝居風愛憎劇を無視して、二人はそんなことをのんびりと話していた。
 と、突然ミシェルは背中に衝撃を受ける。
「うわぁ!」
「ミシェル君、何してるの?」
 体当たりのように背後を襲ってきたのはガレットだった。本人は無邪気にくっついてみただけなのだが、ミシェルにとっては不意打ちだったのでかなりのショックだったのだ。
 おまけに食べかけだった料理が変なところに引っかかり激しく咳き込む。
「ミシェル君、大丈夫!?」
 慌てて背中をさするガレット。
「し‥‥死ぬかと思った‥‥」
 息も荒くあえぎながら、ミシェルはやっと言葉を発した。
 落ち着きを取り戻したミシェルに、ガレットは声をひそめて告げた。
「お姉さん達、うまくいきそうだよ」
 言われて見てみれば、いつの間にかエリーもこちらに移動していて、オーレリーとアレクシアスが初めてのデートのように、多少ぎこちなく向かい合っていた。
 けれど、なかなかいい雰囲気ではある。
「姉さん‥‥楽しそう」
 ほっとした時、シュタールが荒々しく立ち上がった。
「うぬぅ、アレクめ」
 思い出したように対抗心を燃やし、目にも止まらぬ早さでクリスタルソードを現す。
 そしてまばたきの間に二人へと踊りかかっていた。
「ちょっと待ったぁ!」
 クリスタルソードの切っ先は寸分違わずアレクシアスの首を狙う。
 しかし相手はナイト。剣はあっさり防がれた。
 日本刀とクリスタルソードがギリギリと押し合う。
 息がかかりそうなほど接近しながらシュタールは押し殺した声で言った。
「後からやって来た若造がちゃっかりお嬢様の隣陣取ってんじゃねぇよ」
 何やら人も変わっているようだ。
 それに対し、アレクシアスはどこまでも冷静な表情で返す。
「どこに座ろうが俺の勝手だろう。文句を言われる筋合いはない」
「ぬぬぅ、生意気な」
 つい先程まで女性達の争いだったのが、今度は男性達の争いである。しかも刃物まで持ち出して物騒この上ない。
 唐突に血生臭い雰囲気が漂う中、オーレリーの脳は目の前の現実を受け入れることを拒否し、別のことに気がそれていた。
 凶悪な目つきでクリスタルソードを構えるシュタールに、オーレリーは小さな声で疑問をぶつけた。
「シュタールさん‥‥どうして剣なの? ウィザードじゃなかったの‥‥?」
 その問いかけが隙となったかはわからないが、シュタールの手からクリスタルソードははじかれ、少し離れた地面に突き刺さった。
 少しの間の後、フ、と短く笑ったシュタールは地の精霊魔法ストーンでアレクシアスを生き埋めにしようと魔法を発動させた。
「ちょっと背が高いからとか顔がいいからって奢ってんじゃねぇぞ。わしがその根性を叩き直してやろう!」
「いや、俺は別に‥‥」
「すかしてんじゃねぇ!」
「だから、誤解だって‥‥」
「問答無用! 恵まれない男達の妬み嫉みをその身に刻むが‥‥ぐはぁ!」
 アレクシアスへの攻撃に夢中になっていたシュタールの脇腹に、ガレットの放ったシューティングPAが命中した。
 シュタール、轟沈。
 彼は脇腹を押さえ、声もなく悶えている。
 そんな彼を、エリーが容赦なく引きずっていった。
「人はこれを逆恨みと言うってね。いや〜、お兄ちゃんも大変だね!」
 バシン、と背中を叩くガレットにアレクシアスは素早く囁いた。
「おい、こんなの予定にあったか?」
 危うく生き埋めにされるところだったのだ。これくらい聞いてもいいだろう。
 ガレットはいたずらっぽく肩をすくめ、とぼけたふうに舌を出した。
「まぁ、何事もハプニングは付き物で。そんなことより、オーレリーさんビックリして固まっちゃってるよ。つけ込むチャンス!」
「人聞き悪いな、オイ」
 アレクシアスを石像のように立ち尽くしているオーレリーに押し出し、ガレットはミシェルのところへ行ってしまった。
 気まずい沈黙が流れた。
「み、みんな過激で困るよな‥‥ハハハ」
 その言葉にようやく我に返るオーレリー。
「あの‥‥よく、あのようなことがあるのですか?」
「ま、まぁ、ほんの冗談だよ。本気なわけないだろ。仲間なんだから、さ」
 言っていて、だんだん自信がなくなっていくアレクシアス。先程のシュタールの血走った目は、どう見ても本気としか思えなかった。
(これは全部芝居‥‥芝居だよな!?)
 何か質の違う汗が額ににじんでいる気がするが、きっと気のせいだと思い込むことにする。下手に疑うと、実はオーレリー達も含め、全員が自分をからかうために一芝居打っているのでは、などという結論に達してしまいそうだった。
 そんなわけはない。
 これは、ミシェルが姉のために持ってきた依頼だ。
 アレクシアスは表情には出さないまま、心の中で何度も何度も「これはオーレリーのための依頼だ」と繰り返した。
 慣れないポジションで追い詰められているのかもしれない。
 ある程度気持ちが落ち着くと、まだ日本刀を抜いたままだったことに気づく。慌ててそれを収めると、オーレリーが冷たい水を入れた杯を差し出していた。
「ああいう遊び、私にもできるかしら」
 噴きそうになった水を無理矢理飲み込むアレクシアス。
「や‥‥やらないほうがいいと思う‥‥」
「ふふふ、冗談ですよ」
 クスクスと笑うオーレリーに、アレスシアスの脳裏に先程の疑念が甦る。
 するとそこに復活したシュタールが再び現れた。
 彼はうやうやしくオーレリーの手を取り、
「オーレリーさんにその気があるなら、わしがお教えしよう。いつどんな時も向上心は忘れたくないものですな」
「シュタールさん、お体は平気ですの?」
「フフ、冒険者は心身共に丈夫じゃないと務まらないのですよ。あんなもの‥‥ぐほっ」
「はいはい、あっちへ行こうね〜」
 格好つけていたシュタールの脇腹を、音もなく接近したガレットがド突いた。もちろん、シューティングPAが当たった場所と寸分違わずだ。
 ガレットは、その小柄な体のどこにそんな力があるのかと思わせるパワーで、動けないシュタールの足首を掴んで引きずっていった。見た目はかわいいのに、やることはけっこう過激だ。
 アレクシアスはいよいよ頭を抱えそうになっている。
 確かに、シュタールは妨害担当だったはずだ。しかし、ここまで激しかっただろうか?
(俺、騙されてる!?)
 疑念はどんどん深まっていく。
 やや虚ろな目でエリーを探すと、彼女はミシェルに迫っていた。
 ずっこけそうになるのをこらえ、言葉が出てこないのを咳でごまかす。
「私も冒険者になれればなぁ‥‥。そうしたら、アレクさんと一緒にいろんな冒険できるのにね」
「それってロマンスの冒険も含まれてる?」
 オーレリーの呟きに、戻ってきたガレットが期待たっぷりの視線を向ける。
 オーレリーはとたんに頬を真っ赤に染めて手で覆ってしまった。
 恥ずかしさで背中を向けてしまったオーレリーの前面に回り込み、ニヤニヤ笑いで覗き込むガレット。
「ねぇねぇ、どうなの?」
「え‥‥あの、えっと‥‥」
 ぷるぷると肩を震わせ再び身を翻すと、当のアレクシアスと目が合ってしまい、耳まで真っ赤にして別の方向に体の向きを変えると、ガレットと同じ表情のエリーがいた。
「そんなにアレクが好きなら、しょうがないから譲ってあげるわぁん。私にはミシェル君がいることだしねぇん」
 エリーの両腕は、しっかりとミシェルの腕に絡まっていた。
 ミシェルはと言うと、自分の置かれた状況がよくわかっていない様子だった。姉にかりそめでも恋を体験させる計画のはずが、何故自分まで巻き込まれているのか?
 オーレリーの逃げ道は断たれた。
 その上経験のない彼女は、適当にごまかす方法も知らない。
 頭の中はぐるぐるしだし、目には涙が浮かび、今にも卒倒しそうだった。
「おまえら‥‥やりすぎ」
 見ていて気の毒になったアレクシアスが、ようやく助け舟を出す。
「あの‥‥わ、私は‥‥」
「大丈夫大丈夫。ちょっとからかわれただけだから」
「そうなんですか‥‥」
 ホッとしたとたん、オーレリーの目から滝のように涙が流れた。
「ごめんさない、私‥‥これは夢なんだってわかってても、そう思えば思うほど、どうしようもなくなって‥‥」
 この時、オーレリーは今までの人生で厳しく躾けられてきた「貴族らしい振る舞い」を忘れていた。後から思えばみっともないほどに泣きじゃくってしまったのだった。
「全部、わかってたはずなのに‥‥これが、本物だったらいいな‥‥なんて勝手なことを思っちゃって‥‥」
「えぇ!? 姉さん、知ってたの?」
 素っ頓狂な声を上げたのはミシェルである。
 黙って頷くオーレリーに、ミシェルはがっくりと肩を落とした。
「僕の計画はいつも姉さんにバレバレなんだよなぁ」
 彼は計画を練る時に独り言にしては大きい声で呟いていることに、いまだ気づいていなかった。
 なかなか泣き止まないオーレリーの手を、アレクシアスはそっと取った。
 そろそろオレンジに染まってきた日差しが、彼女の白い手を赤く彩る。
「今だけは‥‥お芝居の中だけは、本物でもいいんじゃないか?」
 アレクシアスはそう言うと、優雅に膝をついてその手の甲へキスをした。

●終劇
 日が暮れればピクニックは終わりである。
 たくさんはしゃいだ後の片付け作業は、どことなく切ない。楽しさが大きければ大きいほど、その時の時間は夢のようで、今が寂しい。
 まだまだ騒いでいたい気持ちが残っている。今日の充足感が胸に満ちるのは、ベッドに入る頃だろうか。それとも朝になってからだろうか。あるいは、夢の中で‥‥。
 みんなで行なった片付けは、たいして余韻に浸る間もなくたちまちのうちに済んでしまった。
 名残惜しさで、オーレリーの口は別れの挨拶を出すことができない。
 そんな彼女の気持ちを察してか、シュタールが年長者らしい顔付きで言った。
「結婚してから旦那さんに恋をする‥‥というのも有りかもしれませんのぅ」
「結婚してから‥‥ですか?」
「愛ってぇ、相手を幸せにすることでもぉ、感じることはできるんだよぉん」
 大切なことを教えるように言うエリー。
「まあ、わしは研究一筋だったのでわかりませんがのぅ」
 そう言って明るく笑うシュタールの横で、そっとこめかみを押さえるエリー。「せっかくいい話だったのに」と言いたげな表情だ。
 しかしエリーはすぐにミシェルを振り返ると、手を取って顔を近づけた。
「どぉ? 私とホントに恋してみない?」
「えぇ?」
「あふれて困っちゃうほど愛してあげわよぉん」
「ええっと‥‥」
 明るくかわいい女性に迫られて悪い気のする男はいない。ましてやミシェルも姉同様、恋愛に免疫がないのだ。
「お二人ともいつの間に‥‥しかしエリーさんは確かお子さんがいたはず‥‥」
 シュタールが感心しつつもらした言葉に、ミシェルは文字通り飛び上がって驚いた。
「もぅ、シュタール君たらぁん」
 頬をふくらませるエリーは、むしろオーレリーよりも幼く見える。
 ミシェルは驚きと混乱の頭でエリーは何歳なんだろうと考えた。
 それに気づいたエリーが「こら」とミシェルの額を指ではじく。
「女性の年齢を考えないの」
「あ‥‥すみません」
「‥‥いい男になるのよぉん。そしたらまた、会いに来てねぇん」
「はい‥‥えぇ!?」
 最後まで振り回されっぱなしのミシェルだった。
「そろそろ、帰りましょうかのぅ」
 シュタールが別れがたさを振り切るように促す。
 無言のままのガレットがアレクシアスを肘でつつき、耳打ちした。
「何か言わなくちゃ。心に残る名言を言うんだよ!」
 難しい注文をしてくる。
「えぇと‥‥」
 と、見送るオーレリーの前に進み出るアレクシアス。
「気の利いたことは言えないが‥‥貴女の行く先に幸多からんことを」
 そのとたんに、オーレリーの目から再び大粒の涙がこぼれた。
「アレクさん‥‥せっかく涙が引っ込んだのに、ダメですよ‥‥」
 ハンカチで何度も涙をぬぐった後、オーレリーは初めて自分からアレクシアスに触れた。
「アレクさんのこと、みなさんのこと、死ぬまで忘れません。今日の恋は私の中で永遠です。私もアレクさん達の幸せを祈ってます。その‥‥大好きです」
 姉弟は、冒険者達の姿が見えなくなるまで見送っていた。