●リプレイ本文
源徳軍本陣。
鶺鴒団の伊勢誠一はチサト・ミョウオウイン、十野間空を伴い、伊達軍の使者として家康に停戦を説く。
「わしは江戸城をこの手に掴む所まで来ておる。諸々の事は、決着をつけてからでも遅くは無かろう」
「‥‥」
伊勢は同行した二人の話に耳を傾けてくれるよう頼む。
チサトと空は中立派。
一口に中立派と言っても様々だが、神皇の宣言と大宰府の危機が知られて以来、イザナミと戦う為に諸侯の講和を望む者が増えた。
「どうしても停戦は無理なのでしょうか。長崎に迫ったイザナミ軍の脅威、家康公ならばお分かりでしょう」
「そこまで云われては仕方無い。条件を呑むならば軍を止めよう」
チサトの言葉に家康が出した条件は江戸城開城と伊達政宗の首。
「法外ではあるまい」
房総等を条件に入れず、家康から条件を口にしたのは大きな譲歩か。終わりにする気は無いだろうが、戦は止まる。
「関白は江戸城をくれても良いと申していたな」
条件は違うが事情も違う。今は朝廷と江戸城の方が喉元に剣を突きつけられている側だ。依然、家康は劣勢だが、この場の立場は逆転している。
「公とて、血路の末に眼前にした城を前に、ただ一言帰参せよでは納得し難いでしょう。江戸城にて別れの時を過ごされては如何?」
家康は空を睨んだ。
「使者殿は家康を愚弄する算段か?」
「すみません、そんなつもりは無いです」
小さくなった空。
「‥‥せめて親征だけは‥‥ジャパンが光を失わないために、神皇陛下の親征にだけは、源徳の剣を向けないで頂けないでしょうか」
チサトは江戸の月道に関して、親征に伴う輸送に対する両軍の紳士協定を提案。
月道施設を中立にして非戦地帯――月道近隣での両軍の戦闘を禁止する。
「紳士協定とは良く云ったものだが」
月道は江戸城に近過ぎる。月道利用を阻害せず城を攻めるとなると、攻め手は限定される。源徳側のアイーダは不平等な協定に不満を示し、分割管理案を出していた。アイーダ案は逆に城側の不利が目立つが。
「云うまでもなく、月道は重要目標。わしは開戦直後に制圧する故、その後は地下の月道を使われよ。地上の月道も我らの敵以外は使用に不都合無い」
攻撃予告に変えられた。
交渉は失敗、けれど源徳軍は必ずしも親征を妨げない事を示した。チサトらがこれを朝廷に告げると安祥は喜び、源徳武士の神皇軍参加までの短い停戦という形を結ぶ。つまりは揉める前に両軍の兵を神皇の下に送ってしまえ、という事だ。
時間を稼げる江戸城側に否やは無い。
北武蔵、河越城。
江戸で戦端が開かれる前、河越城で軍議が開かれた。
「上州攻めは諦めましょう。残念ながら時機を逸したでござる」
結城友矩が別働隊の主柱である畠山重忠に私見を述べる。
「事ここに至っては北武蔵連合が江戸へ向かうを阻止するのが肝要と存ずる」
本来なら北武蔵を制圧し、新田義貞の本拠である上野を脅かす予定。所が、反源徳側の冒険者のおかげで松山城に集結した連合軍を抜けず、戦線は膠着。
「策がある様子」
「しからば、我らは北武蔵を伊達より解放するのでござる。この河越の周辺所領を一つ一つ攻め申す」
机上の地図に目を落とし、結城は北武蔵の城を指し示しながら説明。その中には畠山の館もある。
「それで連合の江戸行きを阻止出来るか?」
「武士は領地に依って立つ者、己の民と城を捨てて、戦う者はござらん」
重忠は頷いた。尤も、家康の遠征はこの原則を逸脱していたが。
「仮に、連中が江戸を選ぶなら好都合、という訳だな」
陸堂から遊撃隊の指揮を引き継いだ飛葉獅十郎が言葉を繋ぐ。
「こちらから攻撃するが無理はしない。この河越の守りを優先し、敵軍が迎撃に出て来ても、江戸へ向おうとしても対応出来る体勢を整えておく」
敵軍を誘いつつ、守る。
八王子軍で勇名を馳せ、天下の猪武者と評される結城にしては大人しい献策だ。穴に落ちた反省か。
「悪くない、と思うがね。睨みあいで終わればそれはそれで‥‥宇都宮軍も動いてくれたようだしな」
北条軍のマクシーム・ボスホロフがそう云うと、獅十郎の傍らに立つ飛葉静馬が頷きを返す。
「しかり。秀康様、宇都宮軍が起たれたのは朗報。おかげで我らは、連合相手に全力を出せる」
静馬は宇都宮軍との連携強化を進言。反対意見は出ない。河越単独では連合との力勝負も厳しい、孤立を避ける意味でも秀康の存在は心強いものだ。
「しかし、二千とは‥‥秀康様も無茶をするもの」
眉を顰めたのはジャン・シュヴァリエ。房総からの転戦組で、今は北条軍の指揮下で河越の防衛を担当。
「本来なら宇都宮が用意できる兵は一千程度‥‥猫も杓子も、と集めたのでしょうが」
その質は他国の軍に劣る。が、数は力だ。秀康は己の指揮に自信があるのだろう。
方針を固めた遊撃隊は、軽装兵と騎馬を中心に二百の攻撃隊を編成。結城を大将に、二匹のドラゴンを引き連れたガユス・アマンシール、弓騎兵のアザスト・シュヴァン、それに北条軍の大蔵南洋が同行した。
「家康の動き、いよいよ不穏。そろそろ、先々を考えるべき時かもしれぬ」
大蔵は渡部夕凪に、源徳軍本隊の主人宛の手紙を託した。北条軍は源徳傘下だが、譜代の臣に非ず。恫喝を受け、家康に降伏して人質を取られた身。先日岡崎城で変事が生じ、駿河の人質――正当な駿河国守たる竜王丸は武田に奪われた。
「大蔵様、今回も北条の力を頼る事になります」
伝令と話す南洋に、綾辻糸桜里が声をかける。
「心得ております。けれど北武は敵の縄張り、連れて来た風魔も多くは無い故、あまり確信は持てませぬ」
正直な弁である。綾辻は意外に感じたが、大蔵も北武蔵での敗北は望んでいない。ならば駆け引きは無駄。
「過剰な自信は身を滅ぼす元、大蔵様のお心を聞けて、私も安心しました」
綾辻は微笑し、大蔵を通じて北武蔵に放たれた風魔と情報を交換する。
「一人、連絡が無い者が居ります」
「宇都宮が動いた以上、迂闊には動けない」
それが松山城に入った冒険者らの共通認識であった。
ではどうするか。
彼らがとった方針は、河越と宇都宮軍の動静を探り、両者が松山城を攻めるならば籠城し、江戸へ向うならば追撃し、敵軍に合わせてこちらも動く。
「戦の主導権を自ら捨てると云うのか?」
松山城に集まる連合の諸将は不満。
「河越はわしの城。武略とあれば致し方も無いが、理由をお聞かせ願いたい」
松山勢に自城奪還の助勢を頼む河越重頼は、鋭い眼光を冒険者に向ける。
「宇都宮軍という不安定要素が増え、現状の河越城の冒険者戦力も未知数。敵が待ち構えている可能性もあります」
「だとしても、相手が動くのを待つ事はない。まず一戦し、それから見極めれば良かろう」
戦力不足なら消極策も頷けるが、この場にはグレイ・ドレイク、ルーク・マクレイ、グレナム・ファルゲン‥‥北武蔵連合を成して松山城を守った戦士達が揃い、更に人数が増えていた。これに連合の将兵を加えれば、城の一つや二つ、取れない道理が無い。
「敵は河越だけではありません」
宇都宮軍も敵の一手に過ぎない。北武蔵連合が拠って立つ所は江戸城に他ならぬ。江戸の為にも軽々しく動けない故の慎重論。
「むう。伊達殿に従うと決した以上は、是非も無い」
「ですな。窮屈な事にござる」
多少の不満は残したが、主家を持てば避けられぬ辛抱。北武の城主達は籠城と出撃、双方の準備を行う。
要となるのは、敵軍の情報を正確に把握することだが。
「口で云うのは簡単ですが、机上の空論です」
木下茜は作戦の危うさを指摘する。敵軍には北条忍びが付いている。情報戦での優越は望み薄。
「ふーむ。忍者の観点から、対応策があれば教えてくれ」
と聞いたのはグレイ。彼は軍議の後、連合の結束を高めるために熊谷衆の説得を担当していた。
「優秀な忍者を敵の三倍集めて下さい」
松山勢の冒険者中、本職の忍びは木下一人。敵側に勝っているとは思えない。
「これでも精一杯に人を集めたのだ。城主達にも云ったが、戦はここだけではない」
優秀な戦士、術師、忍者‥‥何れも勝利に欠かせぬ要素、むしろ松山城は十二分に戦力が整った方だ。
「でありましょう。ですが、忍者の戦も表の戦と変わりませぬ。勝敗を決するは数、私一人では不安がございます」
しかも敵の出方を窺って動く以上、情報戦の敗北は致命的。
「分かった。城主方に頼んで、物見を三倍に増やして頂く」
ツケは攻守に現れるが‥‥説得の課題が増えたと戦士は頭を抱えた。
「有難うございます。後は、敵にとって北武蔵戦の重要度がそこまで高く無い事を祈りましょう」
もし、服部半蔵や風魔小太郎が出張って来れば歯も立たない。さすがに、彼らが主戦場たる江戸を離れるとは思えないが。
源徳軍も反源徳軍も当初、北武蔵を重要視していなかった。積極的な介入は返って火種を大きくすると、手控えていた節がある。現に、反源徳軍は今も正規の軍勢を北武に送っていない。この戦場は冒険者が作ったと云える。それはどちらに吉で、どちらに凶か。
「ご注進!」
「河越城より敵が出撃、坂戸の浅羽城を攻撃中!」
伝令の報告を聞いてグレナムは舌打ちした。仲間が危惧した通り、報告がワンテンポ遅い。
「むうう」
浅羽五郎行長は顔面蒼白。
「敵の狙いは何だ?」
物見の情報では、敵軍は二百名ほど。
「誘いだ、その手には乗らぬ」
連合の兵は松山城に集めている。浅羽が落ちても戦える。
「どちらにせよ、今からでは間に合いません」
程なく浅羽落城の報せが届く。城側は劣勢ながら勇猛に戦った。武芸に長けていた行長の息女が陣頭指揮を取り、最後は池に身を投げた事などが伝わると、浅羽勢は号泣し、河越勢への怒りを強めた。
「敵軍は勝呂を攻める動きを見せておりまする」
物見を増やしたのが功を奏したか、敵軍の動きが続々と入る。
「勝呂の後詰に出ましょう」
グレナムが進言した。予定と違うが、敵は連合の泣き所を突いている。このまま蹂躙を許せば、盤石と云えない連合の結束に亀裂が生じるは明白。
「我らは北武蔵の味方であるはず。江戸の為に味方を見殺しにするが如きは、誠意ある者のする事では無いでしょう」
「お主、匹夫の勇と大義を見誤りはしまいな」
救いに行ったが為に大戦で敗北すれば、浅羽の死者は犬死。将士ならばその区別は必須だが、見極めは至難。
「深追いは致しません」
松山城の守りは疎かに出来ない。松山勢は勝呂恒高に兵二百を預けて勝呂に派遣。グレナム、トレント・アースガルト、エレノア・バーレン、フェリシア・ダイモスが同行する。
「無理はするなよ。この老骨一人でこの城を守るのは、ちと荷が重いでのう」
七刻双武はそう言って、エレノアを見送る。七刻とエレノアは超越術師。貴重な大魔法使いを反源徳軍は二名も北武蔵に投入していた。
「かかったか!」
勝呂に松山勢現ると聞き、獅十郎は手を叩いた。すぐに河越城で準備していた手勢を繰り出す。
「退け退けぇ!」
松山勢の攻撃を受けた結城隊は浅羽まで後退。誘い込んで獅十郎の部隊と挟撃を狙った。勝呂隊は追撃せず、松山城に戻る。そして今度は松山城から浅羽隊が出撃し、浅羽奪還を図る。慌てた河越城は増援を送る。
「‥‥見事に膠着したわね」
河越城を守るリーリン・リッシュの溜息。出撃を重ねても、小競り合いで終わってしまう。敵と味方の方針は似ている。戦力にはっきりした優劣が無く、共に守り優先で決着がつかない。河越勢と松山勢、奇しくも参加した冒険者も同数。
「敵兵を止めるのが目的なら、既に達しています。これ以上、戦い続ける必要は、無いはずです」
畠山にそう進言したのは、河越で救護活動を行うビーツァー・パルシェ。
ビーツァーは戦場で敵味方の分け隔てなく救いの手を差し伸べた。河越勢に属しながら敵も助けるので味方の反感を買うが、陸堂明士郎の名を出されて黙認された。
「兵の命も民の命も須く尊いもの。命を助け、守るのが聖職者の務め」
ビーツァーの進言に北条勢が味方した。
「お互い決め手を欠いてるようだし、このまま続けても消耗戦だ」
マクシームが云い、大蔵やジャンも賛同。
「北条には渡りに舟だろう」
「何を云われる?」
「小田原戦の折、敵を味方に押し付けて逃げ出した先陣の軍があったと聞く」
敵味方共に甚大な死傷者を出した小田原の戦い、北条の弱兵ぶりは印象的だった。鎌倉でも敵将を取り逃し、源徳武士は北条軍に不信を募らせている。
北条は源徳に服していない。
「聞き捨てならぬ雑言、在り得ぬ誤解でござるぞ!」
大蔵は激怒する。陣中に不和を抱えて松山勢と決戦を挑むは無謀。河越勢は徐々に攻勢を控え、宇都宮を待つ方針に移行。
「駄目だ」
地上防衛の一翼を担うアラン・ハリファックス、いまは藤豊軍江戸派遣隊の指揮官として左近衛将監という大層な肩書きを持つ西洋武人の、にべも無い拒絶。
「何故? ホレこの通り、ミーは探索の許可を受けた者でござるよ」
アランと対峙する冒険者の中から、暮空銅鑼衛門が進み出て許可証を見せる。暮空たちは江戸城地下探索隊。
「源徳とつながっている魔王が、江戸城の地下に居ては不味いであろう。ミーたちが調査するでござる(‥‥と、言いつつ本当の目標は江戸城地下に隠された「何か」の探索でござるよ〜)」
後半は心の声ながら、何となくその場の全員が意味を察した。テレパシーなんて必要ない。
「という事なのだが、通して貰えんものかね?」
と発言したのは、腕組みして推移を見守る壬生天矢。
「いえ。遺跡探検のために部外者の自由な出入りを認める篭城戦なんて、聞いた事もないですから」
表情を変えず、淡々と答えるレベッカ・カリン。
「‥‥正論だな」
地下空洞は単に広いだけの空間では無い。月道もあれば、謎の焔法天狗も居る。解明されている部分は全体の一割にも満たない。
「探検を口実に敵が侵入して破壊工作を行う可能性もありますし、いっそ城内に侵入を図る自称中立の冒険者は源徳側と見做して攻撃すべきではないかと」
探索隊に遭遇する前、レベッカはそうアランに進言していた。壬生達にそのやり取りまでは知る由も無いが、シフールの冷たい眼差しは能弁である。
「残念だが、諦めざるを得んな。職務に忠実で結構な事だ、ではこちらも冒険者らしい方法を取るとしよう」
探索隊に同行していたデュラン・ハイアットは薄らと笑みを刷く。
「‥‥待てデュラン」
尾上彬は何故か先が読めた。嫌な予感しかしない。
「動くなデュラン・ハイアット!」
「誰に物を言っている。ここからは冒険者らしく、紳士的に冒険だ!」
高速詠唱ストーム。これでアラン達をどうにか出来るとは思わない。彼はただ、突撃のラッパを鳴らしただけ。
「さあさあ、そこのけそこのけ冒険者が通るぞ!」
暮空、壬生、尾上は別々の方向に、一斉に駈け出した。
「追え! 貴様は、今がどんな時か認識しているのか」
アランは地下へ逃げた面々の追跡を指示しつつ、捕縛したデュランを憎々しげに見下ろす。
「愚問。今だからこそ、だろう? 残念だ、折角この私が地下の秘密を押えてキャスティングボードを握る予定だったのに」
ニヤリと笑う冒険馬鹿に、もはやアランは一瞥も惜しむ。
「しかし、な‥‥周りは戦争、戦争か。冒険を楽しもうという輩が、少なすぎるとは思わないか、なあ左近衛将監?」
縄で両手を封じられつつ、秋の空を仰いで魔術師は独白。
「ええ、分かったわ。冒険者ってのは救いようのないアウトローよね。貴方も私も御存じの通りよ」
薄暗い闇の中、リリアナ・シャーウッドは地上からの念話で競争相手の存在を知る。デュランは正しい――今だからこそ、地下の秘密が必要だ。だから反源徳陣営は、精鋭と呼べる一団を地下最深部へ派遣していた。
シフールの案内で地中を進むのはイレイズ・アーレイノース、ファング・ダイモス、黒閃の彩女、ミラ・ダイモス、ガルシア・マグナス。
かの戦団を異常としても、名高い冒険者は一兵卒に非ず。武将級の働きを期待出来る。決戦中に地下探索など本来なら論外もいい所だが。
「急ぎましょうか。一度行った事のある場所だし、連中に先廻りされるとは思わないけれど」
最下層、と呼ばれる階層へ至る道は複雑だ。一体、どれだけ深くに降りているのか、そもそも本当に一番下なのかも分からないが、リリアナの体感としては江戸城のちょうど真下辺り。
「出来過ぎかしら‥‥」
世の中には凄い偶然が、意外と溢れている。太田道灌、そして源徳家康がこの場所に城を建てた理由を聞きたい。
「リリアナさん、この罠は誰が?」
松明の明かりを頼りに、彩女が罠を発見する。
「侵入者対策に、黒脛巾があちこちに仕掛けてるの。もっと古い物もあるわね」
正式な調査をする時間も人員も無いので判然としないが、この洞窟は何世代も前から人の手が入っている。遺跡、と呼べる箇所もあり、城の陰陽師によれば洞窟自体が古代遺跡らしい。
「‥‥おかしくないか? 発見されたのはつい最近だろう」
「そうね」
普通に暮らしていれば気づくまい。地上への穴、出入口は無数にある様子だが、それらは埋められ、隠されていた。偶然迷い込んだ者くらいは居ても不思議は無いが。
今ここでソレを考えるのは止めた。
複雑な道を、慎重に降りていく。リリアナ一人の時より時間はかかったが、6人は最深部に到達。重苦しい空気が漂う。
「さてと」
待つまでもなく、虚空にぱっと炎が踊った。徐々に渦を巻きつつ大きさを変えた炎は、巨大な人型を形成する。最下層の焔法天狗。リリアナが調べた限り、彼こそは神剣の護り手。
『む、汝は‥?』
「私はシンノウの使いで参った者。かつて貴方にお預けした物が再び必要となりました。地上の争いを鎮めるため、どうかお返し下さいますよう」
用意した口上を述べるリリアナ、冒険者らは緊張した面持ちで炎の巨人の反応を見守る。
「嘘ではありません。これがシンノウ配下の証し」
ミラは調べて来た平将門の家紋を焔法天狗に見せる。
『‥‥? あの剣を我に預けた者の使いだと。んーん、では神剣は如何した‥‥いや待て』
焔法天狗はでかい顔を90度傾げる。
『‥‥齟齬があるな。人違いをしている、我は炎の精、この地では天目一箇神とも呼ばれたもの』
遠い昔の誰かの溜息が聞こえた。
「天目一箇神? 貴方は天津神だと云うの?」
6人の中に日本神話に詳しい者は居なかった。
『この身は炎の精、剣を鍛つもの、やまとの番人‥‥人の子ゆえ、油断した。汝らはあの魔と同じ、侵入者か』
焔法天狗の身体が膨らんだ。
「いけないっ」
イレイズは周囲に聖なる結界を張った。その隣りでファングはテンペストを抜き放つが、果たして倒して良いものか逡巡する。
「ままま待って。わんもあぷりーず! 神剣って云われても色々あって分からない。どれの事を云っているの!?」
『‥‥世迷言を。神剣はただ一振りのみ』
ボケた精霊だ。神剣は複数ある。そもそも、天目一箇神とは草薙の剣を鍛えた神の名。まだ誤謬が在るのか。
「誤解をときたいけど、またにするわ!」
身を翻すリリアナ。敵はイフリーテ、今の彼女達なら倒さず逃れるのもそれほど難しくない相手‥‥。
『逃さんぞ、やまとの敵対者』
焔法天狗が炎の腕を振ると、地面から炎の柱が立ち上り、生きた蛇のように伸びる。踵を返した冒険者を通り越し、炎の壁となって唯一の出口を塞いだ。
「どうする?」
ガルシアはファングとミラに護りを付与する。
「‥‥優先事項は忘れ物を持ち帰ること」
「弱らせて隙を作り、その間に後退しましょう」
頷き合い、ファング、ミラ、ガルシアが前に出た。
焔法天狗は白熱した両手で結界に触れる、音も無く砕かれるホーリーフィールド。
彩女の頬を汗が伝い、落ちる。冒険者を囲む炎壁と巨人の放射する熱、周囲の温度がこの短時間で急激に押し上げられている。
「そこまでだ、犬」
地の底に響く声。激しい音が響き、後ろの炎壁が黒く変色する。はじめ、リリアナをして其れが何か知覚出来なかった。
「――――!!」
漆黒の濁流が炎の壁を突き破り、広間に流れ込む。無数の鳥だった。炎に焼かれた真っ黒な烏の大群が、吐き気を催す悪臭を撒き散らして空間に満ちる。
「何故?」
烏の助けで最下層を脱出した一行の前に、双頭烏の魔王が佇む。
「汝らは欲の申し子、我が子も同然だもの」
「嘘」
「‥‥助言をしよう。アレは主人を待っている。知恵を持たぬ愚者、騙すのは造作も無いぞ。アレの主人が誰か、よもや分からぬとは云うまい。今度はしくじるな」
それだけ云うと魔王は消えた。
「罠、でしょうか?」
「考える迄も無く、ね。私達に焔法天狗を攻略させたいのでしょう」
無敵に近い魔王が、手を出さない理由は‥。
尾張那古野城。
神皇の剣を自任しながら第六天魔王虎長との内紛を抱える平織市。
その剣は美濃に向うか、信濃に向うか、はたまた――周囲の関心を集める平織家当主の下に、各地から冒険者が訪れた。
鶺鴒団の志摩千歳は伊勢誠一の書状を手渡す。
「ところで、志摩さん? 伊達の一家臣の手紙を、平織の当主が相手にする理由が見当たらないのだけど‥‥これは伊達の総意と思って良いのかしら?」
政宗や重臣を代表して、というなら分かるが。内容は先日の物資輸送に対する詰問、政宗が不問とした物を一家臣が問い質す。まだ恋文と言われた方が洒落になる。正義に燃える烈士壮士の類か。
「直接問いに来たならば、認めてあげても良いのだけれど。‥‥一つ、勘違いは正してあげましょう。我が平織は神皇家の剣、中立などでは断じて無いわ」
大平織家の当主、となれば一日に面会する人数も膨大。志摩に続き、この日の最後の相手はオリバー・マクラーン。
「お市様が信濃兵を傘下に収めれば、憂いなく京都へ援軍に駆けつけられましょう。彼らの槍をどうかお使いください。また、先の件の発端になった人質ですが平織家に御預けせよと処置、しかとお受けいたします」
「それは誠の話か?」
オリバーの口上はあっさりしていたが、事は重大。再度念を押す平織の重臣に、これまでの確執をどこ吹く風とオリバーは首肯した。平織の南信濃支配を武田が認め。そして岡崎城より武田が奪取した伊豆、駿河の人質を市に預けると話した。
「何卒、南信濃の民には寛大な処置を賜りたく、お願い申し上げます」
彼は南信濃の国人衆に対する罪の軽減を願い出る。平織に対し、武田がここまで腰を低くした事はかつて無い。
(信玄の病、重いという噂だけど‥‥)
「私が承知しても、南信濃の民が納得するかしら?」
「情勢が変わりました。陛下をお守りし、イザナミを倒すため、今は貴方様と謙信公の上洛が何よりも優先。武田は力添えを惜しみませぬ」
「‥‥」
話が美味い。
立場が逆なら平織は武田に美濃の半分を差し出したか?
「武田も尻に火が付いてるし、今の内に平織と仲良くしたいんじゃない」
尾張平織家の軍議。水上銀は諸侯の変化を口にする。
「そうですね。家康公の事もですが、権力者が次々に豹変する様はあまり楽しいものではありませんが‥‥」
国乃木めいは、お市様は変わらないで下さいねと視線を投げた。諸侯の背後には超常の力が見え隠れする。ともあれ高遠城のネフィリム・フィルスに連絡し、武田とは穏便に済ませるよう指示を出した。
「所で、諸侯会議の件だけどさ」
銀は市に、彼女を議長とする新たな枠組みを進言。それは神皇の剣となり盾となる事を結束する盟、上下の別なく諸侯の合議で物事を決めていく連合作りを、平織家臣や何人かの有力な冒険者の連名で提案。
「反乱を起こす気は無いわよ?」
「分かってる」
「いいでしょう。許可します」
この件は冒険者達に任された。
「うむ。これで後は、家中の問題を解決しなくちゃな」
風雲寺雷音丸はお市に向き直り、姿勢を正した。
「市様、神皇様の剣となり盾となる。この言葉に偽りなきならば我らが道は唯一つ!」
平織家中冒険者の総意を改めて、伝える。
「どうあっても、私に第六天魔王と和睦しろと云うの」
岐阜の虎長と和解し、それにより内紛寸前の平織家を統一する。
ミリート・アーティア、神木秋緒、水上、国乃木、尾上楓‥‥この場に居ない高遠城のネフィリムや、伊勢に向ったクロウ・ブラックフェザー等、主だった者は同じ意見らしい。
「一時的な事でも、兄様の皮をかぶった悪魔と手を結べると思う?」
市にとって、これほどの冒涜は無い。休戦とは云え、魔王の手を借りて只で済むとも思えない。まだ第六天魔王の事は良く分かっていないのに。
「月道は塞げるとも聞くけど、あのイザナミにそんな理屈が通じるかな。九州まで奪われそうだし、今イザナミを止めなきゃ、魔王どころじゃないよ。内紛終決と親征参加は、その為に家中で一致した意見なの」
「‥‥」
ミリートの懸命な説得も市の耳に届かない。
相手は魔王。愛する兄の顔と声を持つ悪魔‥‥敵として存在するのはまだ耐えられる。だが仮初にも手を握るなど。狂う。
「市様!」
「‥‥うー」
市は倒れた。
「これは気鬱の病ですな」
何日も床から起き上がれない市に、典医はそう診断を下す。
病状は回復せず、暫くして都から上杉、武田と共に上洛を促す使者がやってきた。
「‥‥はい」
人形のように応じる市。
「さてと‥‥あたしはもう一つの問題を片づけてこようかね」
銀はそっと席を立った。決はまだ出ていないが、虎長との共闘、伝えねばならぬ人物が居る。
「公はあたしらの首を望むかい? 落とし前は必要だよね。ただ謝りはしないよ。天に恥じる所はないからさ」
上杉軍を訪れた銀は、謙信に事情を説明する。
「‥‥」
酷い裏切りだと銀も理解している。
「ただ、せめてお市様とは絆を結んで欲しいけどさ」
「‥‥私が源徳を討たんとしたは、家康が虎長暗殺を行ったと知ったからだ」
「え?」
謙信にそれを教えたのは毘沙門天。鵜呑みにはしなかったが、調べてみると実行犯が沖田総司と分かる。事件は不可解そのもの。
「沖田が魔剣の使い手でも、果たして一人で虎長を暗殺出来ようか」
謙信は軒猿を使い、密かに沖田を探し続けた。冒険者には頼れない。
「だけど沖田は‥」
沖田総司は行方不明の筈。
「私は沖田を見つけた」
巷で云われる偽物で無い事は確認した。彼を尋問し、魔王となる虎長を殺すよう家康に命じられた事を知った。
「途中で翻意したようだが‥‥虎長公は殺された。沖田も誰が殺したかは知らない、しかし明白だ。故に沖田は逃げた」
謙信は源徳打倒を決意。が、魔王虎長が与太話でないと知り、事情は遥かに複雑と考えるようになった。謙信は第六天魔王に会い、真実を見極めようとしている。
「家康が沖田に?」
俄かには信じ難い話だ。証拠も無しに信じる方がどうかしている。
「‥‥それで、沖田総司は今どこに?」
「大事な生き証人だ、場所は私しか知らぬ」
「それを聞いて安心した!」
銀の肉体が跳ねた。隠し持っていた短刀を謙信の首に突き立てる。
「がっ」
謙信は尾張武将を突き飛ばし、血の吹き出る首に手を当てる。淡い白光、致命傷と思える傷を塞ぐ。
「ここで死ね、謙信。沖田の居場所は貴様の死体に聞く、奴などどうでも良いが、あの剣は欲しい!!」
銀の顔が歪み、耳障りな哄笑をあげた。ふらつく謙信に代わり、本物が吼えた。
「ふざけんじゃないよ!」
部屋に雪崩込んで来たのは銀と楓、それに国乃木。
「銀さんが二人? じゃなくて‥‥悪魔ね。第六天の手の者ですか?」
警戒していた国乃木が異変を感じ取り、間一髪という所。
「‥‥」
悪魔が視線を泳がせる。冒険者に続いて現れた親鸞が謙信を守るように結界を張っていた。
「くくく」
「あ」
魔物は自刃。
そして季節は秋から冬へ。
「‥私は、神皇様の剣」
廃人と化したに見えた平織市が回復したのは11月に入ってから。大宰府が陥落し、ついに神皇軍本隊が親征に出るとの報せが尾張に届いていた。
「ごめんなさい。私は征夷大将軍、陛下の剣です。岐阜の平織虎長の謹慎を解きます、平織家は全力で神皇様の親征に応じましょう」
本当に狂えたら、どれほど楽だったか。
平織市は冒険者と重臣らの説得を容れて、虎長との手打ちを行う。
「よーし、これで決まりだ」
岐阜城へ。その先には征夷大将軍としての戦いが待つ。