【和平交渉】家康説得

■ショートシナリオ


担当:松原祥一

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:16 G 29 C

参加人数:5人

サポート参加人数:-人

冒険期間:08月22日〜09月01日

リプレイ公開日:2008年09月07日

●オープニング

 神聖暦一千三年8月。ジャパン京都。
 関白藤豊秀吉は、東国の騒乱に終止符を打とうと動いていた。

 まず東国の源徳家康と、伊達政宗(反源徳連合)の騒乱。
 事の始まりは昨年春だ。
 数年続いた上州の反乱に決着を付けようと源徳家康は関東諸侯の大軍団にて新田義貞を囲んだ。
 しかし、応援に駆け付けた奥州藤原氏の伊達軍が江戸城到着直後に裏切り。
 武田信玄、上杉謙信も敵に回り、逆に囲まれた家康は冒険者の活躍で辛くも脱出に成功するが、源徳信康が守る江戸城は落城し、家康は房総を回って旧領三河に逃れた。
 江戸を占領した伊達政宗は絶えたと言われていた源氏の嫡流、源義経を擁立して雄藩連合による新しい関東秩序を朝廷に願い出るが、これは黙殺される。しかし、西国にも問題を抱えた朝廷に強力な反源徳連合を討つ力は無く、事実上の放置が続いた。伊達政宗は仮の江戸城代として江戸に地盤を築いていく。
 その間、家康は諸侯の動向を探りつつ、尾張平織家と同盟する事で反抗の狼煙を上げようとした。だが運命の悪戯により、家康は平織家との同盟と嫡男信康を失い、尾張と緊張した源徳は全く動きが取れなくなる。
 当然あるべき家康の攻勢が無いと知った伊達政宗は拍子抜けしつつ、着実に江戸の支配を深めていく。伊達の侵攻は武蔵の外に広がり、源徳親藩の小田原藩と、下総の千葉氏が狙われた。
 家康が動かない事で動いた者も居た。八王子の大久保長安は源徳長千代を大将に迎えて独自に決起し、安房の里見は家康に代わる関東支配を夢見る。
 今や小田原を武田に奪われ、千葉を伊達に占領され、三河の源徳家康は窮地に立たされている。

 もう一つは、近年の騒乱で発生した尾張平織家と源徳家の緊張。
 平織虎長と源徳家康は共に都の内乱を生き延びて勢力を広げ、幼い安祥神皇を支える盟友だった。しかし江戸が発展するに従い、二人の間に距離が出来た。黄泉人の乱での家康の動きはまるで畿内の疲弊を願うように重かった。何かと江戸を優先する家康に虎長は不信感を強め、江戸城の地下にて草薙の剣が発見された事で溝は深まる。その後、虎長は沖田総司に暗殺され、平織家は‥いやジャパン中が大混乱に陥った。
 一年半後、平織市が尾張を統一した時には、鉄の御所から人喰い鬼が溢れ、長州藩と組んで三種の神器を奪った五条の宮が大宰府を新たな都と宣言していた。一時は源徳家と同盟締結寸前に至るが、流れた事で対立感情が高まる。
 現在、尾張平織家は畿内最大勢力。三河の家康を捻り潰すに十分な国力がある。

 つまり、三河の源徳家康は東西二人の強敵に挟まれて、どちらから攻められても必死の状況にあるのだ。
 ここに来て、秀吉が平織家や反源徳連合の諸侯に家康と和睦するよう使者を派遣した。今は人間同士が争う時でなく、諸侯は禍根を水に流して未曾有の国難に対処すべきだと説いたのだった。



 京都、御所。
「という訳でな、諸侯に和睦を勧めておるが、鍵を握るは家康殿よ」
 藤豊秀吉はギルドの冒険者を御所に招いて、気さくに話しかけていた。
「家康殿が和睦を承知せぬと申したら、全て終わりじゃの」
 伊達や平織が和睦を受け入れても、源徳が断ればそれまでだ。家康にとって不利な条件での和睦は避けられないだけに、徹底抗戦を選ぶ可能性はある。はたまた、和平交渉を逆手に取って逆襲を考えるかもしれない。
 天下に覇を唱えていた時を思えば、見る影もないとは言え、今も家康は大身の大大名であり、今も安祥神皇の摂政だ。
「容易な交渉相手でないことは、わしが一番知っておる。本来ならば、わしが直接三河に出向く所なのじゃが、今は神皇様のおそばを離れる訳にはいかぬのだ」
 秀吉は家康説得を冒険者に依頼した。
 無論、関白は他にも家康説得の方策を考えているが、ジャパンで初めてギルドを設立し、手塩に育てた冒険者の声は家康に届くと期待を寄せている。
「家康殿に良からぬ事を吹き込むかもしれませんよ?」
 逆に言えば、冒険者こそ家康を唆すかもしれないが。
「その時はその時じゃな」
 鷹揚に頷く秀吉だった。

●今回の参加者

 ea4295 アラン・ハリファックス(40歳・♂・侍・人間・神聖ローマ帝国)
 eb2258 フレイア・ケリン(29歳・♀・ウィザード・エルフ・フランク王国)
 eb2304 室川 太一郎(38歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb5246 張 真(30歳・♂・武道家・河童・華仙教大国)
 ec0135 フィディアス・カンダクジノス(30歳・♂・バード・エルフ・ビザンチン帝国)

●リプレイ本文

 三河岡崎城。
 三河を発祥とする源徳家の主城である。
 源徳家は今でこそ源氏長者にして神皇の姻戚、摂政と位人臣を極めているが、源氏の血を引くというだけで、元は名門とは言い難い三河の小名だ。
 武田や新田、(本物だとすれば)源義経等と比べると、家康の生まれた家格は数段落ちる。実際、家康の先祖の系譜は良く分かっていない。源氏の血を引くというが、先祖は藤原氏や賀茂氏ともいう。
 その家康が幼い頃の関東の支配者は源義朝。源氏嫡流で長者の義朝はジャパンの覇を、同じく武門の棟梁たる平家や、陰りを見せてはいたが未だ強力な藤原氏と競い、中央の覇権争いにどっぷり浸かっていた。
 三河は関東を基盤とする源氏と畿内に勢力を誇る平氏の最前線で、家康は幼少期に人質として一時期を尾張で過ごし、虎長と知り合ったと云われている。
 少年時代は関東で過ごした。人質同然であったともいう。何事も無ければ、源氏方の一武将として成長したに違いない。義朝は都の内乱に巻き込まれ、主人不在の東国で若い家康は頭角をあらわしていく。産声をあげたばかりの江戸で家康は太田道灌と交友したという。ちなみに同じ頃、幼馴染みの虎長も若くして平織家の家督を相続すると瞬く間に尾張を統一し、平家の中枢に入り込んでいた。
 987年に都で義朝が死ぬと後継者争いで関東は混乱した。その頃には源家の番頭格まで出世していた青年家康は対抗勢力を次々に破って勝利する。
 989年に長崎で月道を発見されると、それまで鎖国同然だったジャパンに開国の波が一気に押し寄せた。家康は時代の荒波を泳ぎ切り、甥の安祥神皇を即位させて自らは摂政となると、東国支配を合法化した。

「‥‥つまり?」
「20代30代の若い私達にとっては、源徳家康と言えば歴とした関東覇者ですが、40代50代の古びた者から見れば、成り上がりの田舎者だという話ですよ」
 三河までの道すがら、バードのフィディアス・カンダクジノス(ec0135)は聞きかじった家康の半生を仲間達に聞かせた。
「若いって、フィディアスもフレイアも家康殿の御祖母様ほどの年齢アルよ?」
 河童の張真(eb5246)は呆れ顔で横槍を入れる。
「まあ。淑女に年齢の事を云うなんて嫌な半魚人ね」
「全くです。なんと無神経な方なのでしょう」
 フレイア・ケリン(eb2258)とフィディアス、二人のエルフに頭上から口撃されて、張は逃れるように彼の驢馬に近寄った。
「二人して苛めて‥‥我が輩が何かしたアルか?」
「ご挨拶ですね。親切に政治知識を教えてあげているというのに」
 政治。
 武将としても勇名を馳せる張は首を傾げる。なるほど自分は政治に疎い。だが、一流の政治学者が入り用だというなら、そもそもギルドに依頼するのがおかしい。
「それはそうですね」
 フィディアスは考える。秀吉も、冒険者達の政治力を買ってはいまい。では、私達は何を期待されているのか。まさか家康が、冒険者可愛さに首を縦に振るとでも‥‥有り得ない話だ。
「どう思います?」
 フレイアは後ろを歩く浪人、室川太一郎(eb2304)を振りかえった。太一郎は紫綬仙衣の上に千早を重ね着て、街道では少々目立つ格好だ。政治話に興味が無いのか会話に加わらず、護衛のように何気ない仕草で周囲に気を配っていた。
「藤豊公の意図は知りませんが‥‥そうですね。沈黙する家康に刺激を与える、とすれば冒険者を送るのも合点のいく話かもしれませんよ」
 良くも悪くも冒険者は刺激的な存在だ。
 或いは、秀吉は家康が和睦を拒むならその時はその時で構わないと、考えているのかもしれない。冒険者達は己の立場を考えながら、家康をどう説得するか頭を悩ませつつ、ゆっくりと三河に近づいた。


●秀吉
 アラン・ハリファックス(ea4295)は出立前に御所を訪ねた。
 藤豊秀吉に会うためだ。
「ようござった」
 秀吉は笑顔で迎えた。最高権力者にしては、この小男は驚くほど気さくい。面会は、御所の北側にある相国寺だった。
「御所の中では肩が凝るでな。茶でも飲みながら話を聞こう」
 関白は自らアランを茶室に案内する。秀吉はアランの前に茶碗を置きながら、
「千石でどうじゃな?」
 と聞いた。用件を察している。三河へ行く前にわざわざ立ち寄ったのは、秀吉に仕官の意思を伝えるためだった。
「秀吉公にお仕えしたいと思っておりました」
 アランは涙を堪えた。秀吉は有能な士を喉から手が出るほど求めていたから、秀吉も嬉しい。
「して、おぬしは三河に藤豊家臣として行くのか、それとも冒険者としてか?」
 問われて、戦士は首を捻った。秀吉の配下として行けば無茶がし難いように思える。また立場上、今回の責任を負う事になる。
「冒険者として」
「左様か。ではわしの所に来るのは無事戻って来た後じゃな」
「それは今」
 素直な反応に、秀吉は田舎親爺のように素朴な笑みをこぼした。
「ははぁ。依頼はついでかね」
 アランは赤面し、必ずや家康に和睦を承知させて戻ると約束した。
「どう承知させる気じゃな」
 秀吉はアランのやろうとしている事を聞くと、ちょっと難しい顔をした。危険なのである。
「死ぬか?」
「死ぬ気はありません、死ぬ覚悟はありますが。‥‥政と戦は同じですからな」
 さて、どうなるだろう。


●家康
 二人のエルフと河童の武闘家、そして一人の浪人が三河に着いたのは8月22日。室川ははじめ韋駄天の草履を使っていたが、他の三人に合わせる為に脱ぎ、のんびりとした道中だった。
 途中、平織領を通過したが関白の正式な使者であり、また張真が居た事から特に問題は起きなかった。三河の関所もなんなく通って、岡崎へ入る。
 城下町で数日前に尾張藩の使者が来ていた事を耳にする。
「尾張で情報を集めておけば良かったでしょうか」
 ここで四人はアランと合流する。秀吉に面会した後、アランは馬で移動し、一足先に岡崎に到着していた。
「どこへ行っていたアルか?」
「うむ。天海和尚に会ってきた」
 子供扱いされたと不満げに鼻をならす。
「それは残念」
 フレイアは天台宗と平織家の修復を天海に頼む事を考えていた。

 五人は本多正信の屋敷で暫く待たされた後、岡崎城にて源徳家康と対面を果たす。
 アラン、太一郎、真の三人は礼服で臨み、フレイアとフィディアスは普段着だった。
「なんで藤豊家の使者として相応しい服装をしないアルか?」
 真は怒ったが今更遅い。
「今から二人の衣装を用意する暇はありませんし、家康公が冒険者の放埓さに寛容である事を期待するしかないですね」
 真は二人を家康に会わせない事まで考えたが、太一郎が間に入った。
「御使者殿、よくぞ参られた」
 やがて五人の前に現れた家康は、やつれて見えた。これが日ノ本一の武士と言われた男かと驚いた者も居たが、声には出さず平伏する。五人は挨拶は手短に済ませて、本題を切り出した。
「この度の和議は朝廷の意を汲んで、藤豊様が動かれたアル。戦乱に苦しむ民の為、諸侯が力を合わせ、人外の勢力に立ち向かうアル。平和への第一歩として、関東諸侯の方々と源徳家、平織家の和睦を願うアル」
 真が使者の口上を述べた。筋目からすれば唯一の武士である太一郎だが、見届け人を自任する彼は遠慮した。アランには別の算段があり、フレイアとフィディアスは堅苦しい口上を嫌った。異国渡りの河童が、と思うとおかしみがあるが、真が尾張武将である事実を思えば奇妙でもある。
「使者殿、喜ばしい事じゃな。平織家との和睦は成っておる」
「え?」
 真だけでなく他の四人も驚いたが、数日前に岡崎を訪れた平織家の使者の前で、家康は和睦に承知する返答をしていた。摂政を辞任し、今後平織家に敵対せず、和睦の証しとして正室を人質に差し出す屈辱的な条件を家康は受け入れた。
「摂政辞任は関白との約束だ。平織殿に言われるまでも無い」
 安祥神皇が無事に成長すれば、関白に譲る。元々摂政、関白が同時に存在する事が不思議なのだが理屈は合う。ただ安祥神皇はまだ13歳、十分成長したかは疑問だ。負け惜しみである。
「平織などの脅しに、戦わず膝を折り、女房を質に出すとは殿は大馬鹿じゃ!」
 使者の前であるのも憚らず、隻眼の武将が立ちあがって主君を罵った。後で聞けば、猛将として知られた本多作左衛門だという。作左衛門はそのまま退座し、呆気に取られた冒険者達に家康は非礼を詫びた。
「和睦を不満に感じる家臣も居られるようですね」
 と言ったのは、家臣達の表情を見ていた太一郎。
「左様な事は無い。あの者は生来の変わり者でな」
 家康はそう答えたが、家臣が和睦に服していれば、作左衛門の退室を黙って見送るのも不思議である。和平の使者とは言え、下手をすれば生きて岡崎を出られないかもしれないなと太一郎は感じた。


●天海
 アランは岡崎城に入る前に、天台宗真福寺で天海と会った。まず面会の礼にと、アランが風雅の茶筅を贈ろうとしたが、老僧は受け取らなかった。
「和尚には、今回の和議に口添えをお願いしたい」
「いずれの御家との話かな?」
「無論、伊達家平織家との和議です」
 天海は不快な表情を浮かべた。
「貴方は藤豊様の御使者であるとか。ならば、源徳様に直接話せば良い」
「それでは断られるかもしれない。和尚が賛同してくれれば、家康公を説得し易い」
 天海には迷惑な話だ。
「ついでに、尾張の使者がどうなったかもお聞かせ願えれば幸い」
 図々しい男である。
「和議に応じなければ、源徳家は滅びます。既に関東でも、里見義堯が伊達討伐は是非里見にと朝廷に接近しているらしい。時が過ぎるほど、状況は悪化するでしょう」
 アランは思う所を語った。天海は家康の幕下にあるとは言え、正真の僧侶だ。和平自体に不満はあるまいとアランは思った。
「拙僧は比叡山で教えを受けた。延暦寺を攻めた平織家と和を結ぶのは面白くないが」
「‥‥天台僧は、皆、平織を憎んでいるのでしょうか」
 天台座主の慈円は虎長を仏敵と言った。覆らない限り、平織家と天台宗の関係は悪化したままだが、次の天台座主次第だろう。
「平織虎長は真実、魔王の一体で、平織家は日本を侵略する悪魔の巣窟である。これを討ち滅ぼすは聖戦だと‥‥そのように話す者がいるとか」
「それは‥」
 冒険者にもそうした考えの者はいる。延暦寺の僧侶達も吹聴しているようだ。
「相当な覚悟とお見受けしたが、無理はしないが宜しい」
 天海はアランに平織家と和睦が成立した事を話さなかった。外交の秘事を漏らさないのは当然だがアランは落胆した。


●交渉の結果
「平織家との和議は重畳。源平の確執はあれど、平織市は信義を破るような人物ではありません。源氏も平氏も共に朝廷を守る御家柄、安祥神皇の下に天下を一統するのに、これほど喜ばしい事はないでしょう」
 フレイアは平織家の和睦の正当性を説き、和睦を祝った。見方によっては降伏したに近い格好だが、最大の脅威を取り除いたのも確かだ。
「この上は伊達家とも和約を交わし、早々に関東の戦を終わらせるアル」
「伊達と和せねばならぬか」
 家康の反応は固い。
「平織殿とは誤解があったが、元より尾張との戦はわしの本意では無い。だが、伊達とはもはや弓矢で無ければ、決着はつくまいぞ」
「無理強いはしませんが‥‥安祥神皇肝入りの関白からの和睦仲介、拒絶するのは好手とは言えないかと」
 フレイアは家康に再考を促す。表面上は和睦を受け入れ、神皇家との強いパイプを利用して伊達に政治戦を仕掛ける方法もあると。
 例えば、武蔵藩主の権限にて(朝廷は伊達を無視しているので建前上は今も家康は武蔵の国主だった)、江戸を神皇に献上し、伊達家に武蔵からの退去を勅命にて要求。伊達が素直に従う筈もないが、正面から戦うよりも朝廷を立てて大義名分を得た方が遥かに有利になる。何と言っても家康は安祥神皇の叔父なのだから。
「和睦を拒めば、武田や伊達が攻め込む口実を作るアル」
 真も必死に説得した。真は時間をかけるべきだと論じた。今回の和議は拒んでも受諾しても、どこかに角が立つ。急速に事を進めれば小田原の二の舞もある。それなら、のらりくらりと即答を避けながら、時期が熟するのを待つのが上策と話した。
「しかし、興味深いですね。貴殿は、今伊達と戦って勝算がおありか?」
 フィディアスはどこか楽しそうだ。困難に立ち向かう気概を見るのは面白い。吟遊詩人の詩想が刺激される。
「海道一の弓取と言われた貴殿だ、武田に遅れは取らないと承知していますが、上杉伊達新田をも同時に相手は出来ないのでは?」
 源徳家が関東に出た場合、伊達武田上杉新田の反源徳連合はほぼ無敵である。だから今まで動けなかった。今動くのなら、小田原が落とされる前に何故動かない。
 一日では説得出来ず、五人は岡崎に泊る。

 二日目。
「‥‥」
 太一郎は交渉の記録をスクロールに記していた。
 一段落した所で、思う所があって家康に話しかけた。
「私は主家を持たない一介の浪人‥‥私一人がどうなろうと政局、戦況は変えられません」
「それがどうした?」
 家康は太一郎の処世観に興味はない。
「今は、過去ではなく将来について議論するのが賢明かと。家康公自身が今後どうされたいのかが重要と思っております。願わくば、家康公には後悔のない人生を生き抜いて欲しいのです」
 或る意味、これほど無遠慮な進言も珍しい。
「それだけです」
 家康はじっと太一郎を見たが、太一郎は黙然として筆記に戻った。奇妙である。

「貴殿は建前と本音の使い分けが出来る御仁とお見受けしました」
「里見公に謁見する機会があり、関白に近づく事を進言しています。巷の噂では、彼は朝廷に使者を送ったとか。源徳公が里見と盟を結べば、かの藩を通じて関白の力も引き出せましょう。それもこれも即ち、源平藤の合一‥」
 フィディアスとフレイアは交互にやってきて、しきりと献策する。フィディアスは如何にして関東諸侯を分裂させるか、フレイアはどのように朝廷をコントロールするかという話だ。
「妙手じゃな」「道理である」
 と家康は相槌を打つが、本気が読めない。
 二人のエルフの後に、アランが家康と面会した。決死の形相で、何事かと脇の家臣達が警戒するが、家康の前に来たアランはいきなり礼服を脱いだ。礼服の下には白装束。
「和議の良し悪し、最早言葉を繰り返す気は無い。家康公が君主として、武人として、一人の男という勝負師として諦めないとあらば、なにとぞ和議を受けて下さい」
 額を擦り付けて懇願する。
 可愛い男だ。
「断る」

 平織家とは和睦するが、伊達家とは戦う。片手落ちの和平は良く言えば順当、悪く言えば平和と縁遠い交渉結果になった。
「成功、したのか?」
「判断に迷うアル」
「関白や平織家もこれをどう受け取るか‥」
「私はジャパンが面白くなればそれで」
「‥‥」