義朝を探して

■ショートシナリオ


担当:松原祥一

対応レベル:フリーlv

難易度:難しい

成功報酬:0 G 84 C

参加人数:3人

サポート参加人数:1人

冒険期間:09月23日〜10月01日

リプレイ公開日:2008年11月07日

●オープニング

 源義朝。
 江戸に現れた源義経の父親であり、源徳家康の前の源氏長者である。
 源氏嫡流の総領であり、坂東武士の支配者だったが、980年頃の貴族の内乱に巻き込まれ、987年に亡くなった。
 義朝不在中に関東に地盤を拡げていた源徳家康は源氏の後継者争いに勝利し、元は源氏であるか否かも怪しい三河の田舎大名だった彼は、その後、一気に摂政まで上り詰める事になる。
 10世紀後半は中央で権勢を握る藤原氏に陰りが見えていた。
 歴史の闇に葬られた平将門の乱から百年を経て再び大乱の兆しが現れたもので、治天を巡る神皇と上皇、摂関の争いに次の覇権を狙う源氏と平氏が加担し、大きな内乱の様相を呈していた。
 祖父の代から都に進出していた平織家が躍進するのもこの頃であり、争乱は中央でそれまで権力を握っていた多くの者を消した。995年に5歳の安祥が即位し、源平藤の党首となった家康、虎長、秀吉が表向き協力体制を取った事で争乱は終結する。
 10世紀末は長崎・江戸で相次いで月道が発見された頃でもあり、それまで鎖国同然だったジャパンは一気に開国する。ジャパンで初めて冒険者ギルドが設立されたのも、この頃である。


 神聖暦一千三年九月。ジャパン京都。
 冒険者ギルドを訪れたアルスダルト・リーゼンベルツ(eb3751)が用向きを伝えると、手代は難しい顔つきで聞き返した。
「源義朝様の事を?」
「そうじゃ。わしはこの国の者では無いからの。ジャパンの歴史に詳しいとは言えぬでな。近頃の騒乱の事を知るのに、一度その辺りから調べてみたいと思ったのじゃよ」
 アルスダルトは、源義経の父、源義朝がどのような経緯で当時の京都の戦に巻き込まれ、敗れたのかを調査したいという。
 同時に、義朝の死の頃は、源徳・平織家・藤豊家がそれぞれ源平藤の首魁として台頭してきた時期と重なる。
 アルスダルトは少し待たされた後、別室に案内され、弓削是雄が姿を見せた。
「ギルド長のお出ましとは‥‥それほどの大事かね?」
 老エルフが軽い調子で聞くと、弓削は曖昧な笑顔を向ける。
「大丈夫とは思いますが、都の闇は深い。その頃の話を、良く思わぬ者もまだ都には居るでしょう」
 僅か二十年ほど前の話だが、その後、開国やら何やらでジャパンが大きく変わったせいか、大昔の事のように感じると弓削は言った。
「気を付けた方が良いように思います」
 アルスダルトが実力不問の依頼として申請したのを、忠告しているのか。いや、それ以上の何かを感じるが。さすがに海千山千の冒険者の元締めだけあり、弓削の表情は読めない。が、彼と話している事自体が何かの警句のようだ。
「心配は無用じゃよ。ただジャパンの歴史を調べるだけの事じゃからな」

 さて、どうなるか。

●今回の参加者

 eb0254 源 靖久(32歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 eb3751 アルスダルト・リーゼンベルツ(62歳・♂・ウィザード・エルフ・フランク王国)
 ec0312 烏 哭蓮(35歳・♂・僧侶・ハーフエルフ・華仙教大国)

●サポート参加者

白翼寺 涼哉(ea9502

●リプレイ本文

 源靖久(eb0254)がこの仕事を受けたのは、その名が原因だ。
 源義朝。人が、同じ名を持つ人間に興味を持つ。ありふれた話だが、靖久の場合はそれだけでは無い。靖久には昔の記憶が無かった。
 忘れてしまった己の源流を探す靖久は、絶えたと言われた源氏の嫡流、その最後の継承者に特別な関心を抱いた。
「‥‥‥」
 靖久が京都の冒険者ギルドに来た時、店内に他の参加者の姿は無かった。
「先に出かけましたよ。調査だけなら特に組んで動く必要もないわけで」
 ギルドの係員は、夜になれば酒場に戻ってくるだろうと言った。その時に情報交換をするといいと教えてくれる。
「久々の依頼ゆえ、迂闊だったか」
 靖久は出発前に他の二人と話をしていない。
 勘が鈍ったか、それとも記憶を探る事への躊躇が無意識にあるのか。
 靖久は端正な顔をしかめ、ギルドを出た。
 さて、何から調べよう。

「実は私‥‥5月にこの地に足を踏み入れるまで、極東の事は知らないんですよね」
 烏哭蓮(ec0312)は白翼寺涼哉の部屋に転がり込むと、暫く取りとめのない世間話をした後に、唐突にそう切り出した。
「お前は華国の黒坊主だろう。それほどジャパンに疎いとも思えんが」
「クククッ、おかしな事を。何故私が極東猿などに関心を持たねばならないのです?」
 ハーフエルフの烏哭は極端な選民思想の持ち主だ。ジャパンに来る華国僧侶ならジャパンに関心があると思うのも先入観か。
(「‥‥それならこいつは何しにジャパンに来たのかね?」)
 涼哉は疑問がちらりと脳裏をかすめた。
「義朝公がお亡くなりになったのが16年前。‥‥まだ鎖国していた頃か。俺も歳をとったものだ」
「鎖国?」
「京都の月道は神皇家が厳しく管理していてな。ジャパン人は殆ど誰も、外の国の人間を見た事は無かったんだよ」
 貿易商人や外交官が京都を訪れる事はあったが、ごく一部の人間を除けば接触する機会はなく、外国人の事を鬼や妖怪と同じように考える者も少なくは無かった。
「極東猿の浅ましさには言葉もありませんね。‥‥それでは極東に人は居なかったのですか?」
 人とは外国人の事か。日頃、人やエルフを猿だ兎だとこき下ろす烏哭には珍しい言い回しだ。仕事で滞在した役人や商人以外は居ないと涼哉は言ってから、否と言い直した。
「僧侶は少し事情が違ってな。華国とは交流があったのだ。華国に留学したり、反対に来日する僧侶も少しはあったと聞く」
「ふむ」
 興味が無さそうに涼哉を見て、
「それで貴方‥‥現在の三傑が台頭になるまでどこにいましたか?」
「‥‥この辺だ」
 現在32歳の涼哉は当時16歳。まだ出家しておらず、畿内にいた‥らしい。
 当時は江戸も長崎もただの田舎、ジャパンの中心はこの京都だった。貴族の内乱で荒れていた都は一旗あげるには格好の場所で、若い涼哉が都を夢見たとしても不思議ではない。数年後に長崎で新しい月道が発見されるなど、誰も予想していなかった。
「は? この辺では分かりませんよ」
「悪いが昔の事は‥‥話したくない」
 ひどく真面目な顔で答えられて、烏哭は眉をぴくりと動かした。
「存外に、物の用に立たない方ですねぇ」
「すまん」
 冷やかに言われて素直に弁解する涼哉。この二人、妙に仲が良い。
 彼は代わりに、武士ほどは知らないが彼の知る事を烏哭に話した。色々と記憶違いや間違いもあるだろうが、それも含めて都人の認識と言って良い。

 何から調べるか。
 義朝が亡くなったのは十数年前だから、その頃活躍していた武士や貴族ならば当事者として生の話が聞けるだろう。
 しかし、当事者故に利害関係があり、正確な事実が聞けない恐れもある。
 事情に通じていれば聴き方もあるが、そもそも事情に通じていればこんな依頼は出さない。
「知識と情報に通じる第三者‥‥源氏にゆかりのある寺院から当たってみるかのう」
 依頼人であるアルスダルト・リーゼンベルツ(eb3751)は、まずは冒険者ギルドで手頃な寺社が無いかとたずねた。
「石清水八幡宮など、源氏と縁が深いと聞きますな」
 また源氏は平氏と並ぶジャパンの二大武門だけに、有力寺院とは何がしか縁があるはずだと話した。
「なるほど。では高野山真言宗派の寺でどこか由緒のある寺院も教えて頂けぬかな」
「それならば東寺でしょう」
 他にもギルド員は幾つかの有名寺社の名を挙げたが、回りきれないのでアルスダルトはひとまずこの二つを訪ねる事に決めた。
 アルスダルトが東寺に向かう道すがら、源靖久と合流する。
「貴殿の行先を聞いて追いかけてきた。同道させて貰えぬか」
「これは心強い味方ぢゃな」
 老エルフは靖久が志士であった事を思い出していた。京都の案内人としてこれほど適役はいまい。
「いきなり出向くのは失礼ぢゃろ。それに、ワシは東寺の誰に話を聞けば良いかも知らぬ。先にそれを調べたいが‥‥何か思案は無いかのう」
 寺院関連の案内なら烏哭蓮が適役かもしれないが、白翼寺の住処を出た烏哭が何処に向ったかを二人は知らない。
「大した知恵は出ぬが、ふむ。源氏ゆかりと申せば、この近くに六孫王神社がある」
「六孫王神社?」
 六孫王とは源経基の別称で、清和源氏の祖である。靖久の話では清和源氏といえば数ある源氏の代表格で、源義朝も清和源氏だという。
「近いのか。では先に話を聞こう」
 東寺から二人が北に向って歩くと、すぐに六孫王神社だ。
「源義朝様のお話を聞かせてほしいのぢゃ」
「ほほう」
 神主は五十代の色黒の背の高い男で、精悍な顔つきは神職より戦場が似合いそうだ。
「何故、義朝公の話を?」
 中に通されたアルスダルトは丁寧に礼を述べた上で、依頼の経緯を語った。
「つまりの、ワシ達冒険者は依頼があればジャパンの戦や政治関係の仕事も請ける。義朝公の事を知れば、仕事の役に立つ事もあろうと思うてのう」
「道理ですな。貴方は、どなたか諸侯の味方をされているのか?」
 神主の問いに老エルフは頷く。
「今は誰に味方もしておらぬのう。暫く欧州に戻っておったしな。ただ少し前に小田原で武田と戦い、その前には宇都宮で荷駄の護衛を引き受けた冒険者ぢゃよ」
 神主は靖久にも同じ質問をした。
 靖久も正直に答えた。欧州で修行した志士であり、昔の記憶が無いので同じ名の義朝に興味を持ったと。
「記憶をなくされたと‥‥志士ならば記録が残っているかもしれませぬ」
 志士は神皇家に許可を受けて精霊魔法の秘伝を下賜された家柄だ。志士自体が新しい制度でもあり、身元が不確かな者は居ない筈である。
「私は神職ゆえ何も力になれぬが、志士を束ねる平織家や精霊魔法を管理する陰陽寮の者を頼れば、何か手掛かりが得られるかもしれない」
「忝い。その御言葉だけで十分です」
 神主は二人とも怪しい輩では無さそうだと見て、幾分表情を和らげた。
「私の知る事で良ければ、お話しましょう」
「有難い。ワシが知りたいのは、源義朝公がどの様な経緯で都の抗争に巻き込まれ、敗れ、亡くなったかぢゃ」
 アルスダルトの問いに神主は少し考えた。事情を知らぬ者に説明するには、問いが大雑把である。
「どの程度ご存じか知らぬが、義朝公は乱れていた東国をまとめて源氏の棟梁となられた英雄だ」
 関東の地は都から遠く、たびたび反乱が起きた。義朝公が生まれた頃の関東は平氏や源氏の諸勢力が争っていた。これを一つにまとめた義朝の基盤を、死後引き継いで完成させたのが源徳家康である。
「義朝公は当代随一の武士であったから、神皇は公を頼みとされて、争乱の都に戻されたのです」
 当時の都は、上皇と神皇の争いに有力武家と公卿が加担して、内乱にまで発展していた。義朝にも武力で成し遂げた関東統一に朝廷の認可を受ける必要があり、神皇の為に奮戦した。
「義朝公が神皇側ならば、上皇側は平氏か?」
「源平どちらも両陣営に分かれておりました。義朝公は父や弟と戦われたのです」
 義朝は都の親族と不仲であったとも言う。事実は分からない。
 この争いは神皇側が勝利し、義朝は関東の所領を認められ、神皇の側近として中央で出世した。藤原氏から信西なる奸臣が出て再び世が乱れ、義朝はこれを討ち果たして武官の頂点に立つ。しかし、畿内は元々平氏の力が強い土地であり、義朝の台頭に不満を覚えた平氏は隙をついて御所を奪い取った。神皇家を押さえられた義朝は戦ったがやぶれ、一時関東に逃れようとしたがその途中、尾張で家来に殺害される。
 義朝公を騙し討ちにしたのは長田某という者で、源平の境界線である尾張と三河の狭間の小領主だったが、当時は源氏に所属していた。長田は三河の源徳家康に攻め殺され、主君の仇を討った家康は義朝の後継者争いを有利に進める。
「なるほどのう」
 アルスダルトは礼を言って神社を辞した。
 源氏の神社だけに話半分と思うべきだろう。予備知識を得て東寺と石清水八幡宮に行く。話の内容はそれほど変わらない。老エルフはそれぞれ一つだけ質問した。
「義朝公の御子息、源義経公の存在を、今の朝廷はどう思っておるのかの? ありていに言えばぢゃ、義朝公の最期が敗軍の将ならば、逆賊の子となるのであろうか」
 時代が変わっている。
 暗殺された時、義朝は逆賊だった。しかし、世の混乱も静まらぬうちに、長崎にて月道発見の大事件が起こる。
 平氏をまとめた平織虎長と、源氏の後継者となった源徳家康、それに月道を発見し、ノルマン復興に尽力して一躍世界に名を轟かせた藤豊秀吉の三人は、表向き協調路線を取り、源平藤の三巨頭体制を取ることでジャパンの均衡を図った。
 この時に義朝の名誉は回復している。
 それぞれの聖職者達は、異口同音に義経が本物であれば義朝の子として彼が逆賊扱いを受ける事は無いと答えた。無論、それは親の代に限った話だ。今代の源平藤の争いにおける義経の評価は、彼自身の行動による。
 義経を神輿に使う伊達政宗の策は今のところ空振りだが、朝廷も伊達を無視出来なくなりつつある。近い将来に義経の存在が焦点となる可能性はあった。

「‥‥」
 靖久はアルスダルトを手伝いつつ、当時の関係者を探したが、闇雲に探しても見つかるものでは無かった。英雄だけに義朝を知る者は星の数ほども居るが、当事者と呼べる直接の関係者は何故か殆どが死んでいる。争った神皇や上皇、陰謀の最中にいた藤原氏の重鎮達、平氏の長者、源氏の嫡流、悉く鬼籍の主だ。


 源とリーゼンベルツが京都でお寺を回っていた頃、烏哭蓮は韋駄天の草履をつかって京都から尾張まで移動していた。蓮と名乗り、旅人として熱田神宮に参拝し、尾張平織家が平氏の棟梁となり皇家の重職に就いた経緯を尋ねる。
「何故そのようなことをお聞きなさる?」
 市女笠をかぶった奇妙な旅人に、熱田の神人は不審を覚える。
 この時、烏哭は魔法で白翼寺の顔に変装していた。市女笠をかぶったのは、涼哉の顔立ちが目立つと不満を覚えたからだが‥‥それならもっと地味な男に化ければ良い訳で、烏哭の執心が窺える。
「それは勿論、今をときめく平織家の隆盛に興味があるからですよ。国へのいい土産話になりますからね」
 烏哭の嘘に、土地の古豪は頷いて物語を始めた。
 尾張平織家は古くは他の平氏と同じく、公家を護る武官であり、尾張を領する貴族に仕えた。虎長の祖父正長の代に、それまで栄華を誇っていた藤原氏の権勢が揺らいだ。正長は中央に出る好機と見て、豊かな尾張の財力を注ぎ込んで神皇家に寄進し、都に進出する。その子、信秀は中央で父と同様に朝廷に仕えて信を得つつ、その権威を背景に領国拡大に励んだ。一時は実質的に尾張を支配し、隣国三河にまで影響力を持った。
 この頃、三河領主の息子だった幼少の家康が人質として数年を尾張で過ごしている。
 しかし、義朝が関東をまとめた事で信秀は東国の源氏の圧迫を受け、都の権力闘争の激化と相まって奔走するうちに流行病にて信秀は急死。
 19歳で尾張平織家の家督を継いだ虎長は信秀に抑えられていた同族や敵を相手に戦い、数年で尾張を統一。義朝と同様、中央の混乱に巻き込まれたが虎長は舅であった美濃の斉藤道三と同盟し、急速に力をつける。
 当初、虎長は義朝と友好関係を築いたが源平の対立が深刻化すると、平織家も平氏の一門として義朝の敵に回る。神皇家と義朝を切り離し、義朝の敗れた戦には虎長も参加していた。
 義朝の死後、近江も影響下に置いた虎長は、平氏の棟梁と目され、三代の忠臣として神皇家の信頼も得た。当初、泥沼になると思われた義朝の後継者争いは若き家康の勝利で早々と終結し、関東が平定された事で源平の大衝突が予期された。
 しかし、長崎の月道が発見され、落ち目だった藤原氏はこの快挙で一気に盛り返した。経済手腕に長けた藤豊秀吉が西国諸藩をまとめると、虎長、家康、秀吉は話しあい、三者の協調体制が生まれる。
 それまでの源平の対立を水に流し、虎長と家康が手を組んだ事には、二人が年少の頃に友誼を交わした幼馴染みであったからとも言われる。家康を立てて安祥神皇の擁立を助けた虎長だが、その後江戸で月道が発見され、家康が政治の中心を徐々に江戸に移すにつれ警戒感を募らせていく。
「ふむ。面白いかと思いましたが、思ったより普通でしたねぇ」
 烏哭は涼哉の顔で不躾な台詞を残して神人を唖然とさせる。もっと調べたかったが、細かく調べれば間者と疑われるかもしれず、尾張ジーザス会に見つかるのも面倒と思った烏哭は都に戻った。

 三人がギルドに戻ると、たまたま表に出ていた弓削是雄は安堵の表情を浮かべた。
 アルスダルトは弓削に何か問いかけたが、声に出さなかったのは年の功か。