サイレント・蛭
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■ショートシナリオ
担当:内藤明亜
対応レベル:8〜14lv
難易度:普通
成功報酬:2 G 98 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:06月28日〜07月01日
リプレイ公開日:2008年06月30日
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●オープニング
●役立たずの沼地
王領ラシェットは復興の始まったばかりの土地だが、王都から大河を下ってラシェット領へ向かう途中には、広い沼地がある。
この沼地は役立たずの沼地と呼ばれていた。
その場に立ってみれば分かるが、見渡す限りの湿地帯。ところどころに申し訳程度の地面が突き出ている以外、一面の泥沼なのだ。
水はけが悪く、泥沼の底にたまったゴミはたまりっぱなしで、嫌な臭いを放つ。
その上、これは地形か土地の精霊力に原因があるのだろうが、昼間はよく霧が発生する。
農業はおろか定住にも適さない。ただそこに立っているだけで不快な気分になってくる、まったくの役立たずの土地なのだ。
だから近隣の領主にも、この土地の領有権を主張する者はなく、土地の管理者不在の中立地帯として長らく放置されてきた。
「ま〜ったく! 何もこんな所にまで見回りに来なくたってい〜じゃねぇか!」
不機嫌なドラ声の主は、ルーケイ水上兵団の見回り兵である。
かつて王領ラシェットを支配していた悪代官が討伐されて後、討伐隊の主力となったルーケイ水上兵団は引き続きラシェット領に留まり、土地の警備を担っている。
で、本来ならラシェット領のすぐそばにある領主不在の沼地など、警備の管轄外なのだが。
「そう文句たれるな。このところラシェット領でも魔物騒ぎが多いからな。この沼地に魔物でも隠れていたなら、後で面倒なことになるぜ」
一緒にやってきたもう1人の見回り兵が、不平を言う同僚をなだめる。
「仕方ねぇな、さっさと見回りを終わらせて、こんな辛気くせぇところからはおさらばしようぜ」
2人の見回り兵は沼地の端っこから、どんどん沼地の奧へと進む。
嫌なことに、それまでうっすらと沼地に立ちこめていた霧が濃くなってきた。
足元の地面はぬかるんで歩きづらい。
「おい、何か聞こえねぇか?」
歌声のような音に気づいて足を止め、耳をそばだてると確かに歌声が聞こえる。
♪生きてるものは みんな死ぬ
大人も子どもも みんな死ぬ
おとうも おかあも みんな死ぬ♪
調子っ外れな子どもの歌声だ。
「おい、あれを見ろ!」
立ちこめていた霧がわずかに晴れると、沼地の岸辺に人の姿があった。
小さな子どもだ。だが着ているものはボロボロで、髪の毛は伸び放題。
「ありゃ何だ、孤児か?」
「孤児がこんな所で生きていけるかよ! 魔物の類かもしれねぇぞ!」
だがその歌声は、確かに子どもの声だ。
♪あたしは一人 ずうっと一人
みんなみんな死んで あたしは一人
でももうすぐ お迎えがくる
愛しいあの人の お迎えがくる♪
霧が再び濃くなり、子どもの姿は霧に隠れる。だがその時、見回り兵達は霧の中にうごめく不気味な影を、ちらりと見たような気がした。
「やべぇ! こいつはやべぇぞ!」
霧が薄くなり、隠れていた子どもの姿が現れる。
子どもの目は見回り兵達をにらんでいた。
「アハハハハハハ! 見ぃ〜つけた!」
けたたましい笑い声と共に、見回り兵達を指さす子ども。
「やっちゃえ! やっちゃえ!」
子どもが声を上げると、いきなりの中から何かが襲ってきた。
「ゲェヘェヘェヘェ!!」
「ギィィィィーッ!!」
魔物だ。翼の生えた醜い小鬼に、体長1mを越える大ネズミ。
「うわあっ! 邪気を振りまく者だっ!」
「霧吐く鼠だぁ! しっしっ、あっちいけ!」
見回り兵達は剣を引き抜き振り回し、魔物を追い払おうとする。ところが足場が悪いものだから、2人とも足を滑らせて泥沼の中に落っこちた。
どぼんっ! どぼんっ!
「畜生っ!」
「やっちまった!」
同時に魔物どもも霧の中に姿をくらます。
「魔物どもは行っちまったか?」
「気をつけろ、また襲ってくるかもしれねぇぞ」
落っこちた沼の中で、見回り兵達は身じろぎもせず、油断なく周囲に目を凝らし物音に聞き耳を立てる。
だが、魔物とは別のおぞましい生き物が、静か〜に静か〜に迫りつつあった。その接近があまりにも静かだったものだから、見回り兵達はそいつらが体に吸い付くまで気が付かなかった。
「うっ! 何だ!?」
沼の泥水の中に沈んだ腕に嫌な感触を感じ、泥水の中から引き上げてみると、黒くてぶよぶよして細長いものが1匹、2匹、3匹、4匹‥‥。
「うわあっ!! ひ、蛭(ひる)だぁ!!」
沼地に住み、沼地に落ちた動物の体にへばりついて生き血を吸う、あの気持ち悪い蛭である。しかもこの沼地の蛭は、体長15センチにもなる。
「早く沼から上がれ! この泥沼は蛭だらけだぁ!」
あたふたしながら岸辺に這い上がろうとするも、焦るあまり足を滑らせ、泥沼の中でじたばた。そうするうちに、さらにおぞましい生き物が近づいてきた。
どぶん、どぶん、どぶん‥‥。
水音を立て、泥沼の水面にその姿を見え隠れさせながら接近するその姿に、見回り兵達は凍りつく。
またしても蛭、しかも今度は体長30センチとさらにどでかい。そいつらがわらわらと、泳ぎながら寄って来るではないか。
「アハハハハハハ! みんなみんな蛭に食われちゃえ!」
狂喜した子どもの叫びが耳に聞こえたが、見回り兵達の理性は既にぶっ飛んでいた。
「ギャアアアアアアーッ!!」
「ヒエエエエエエエーッ!!」
その後、どうやって沼の中から逃げ出したかは、まるで記憶に残っていない。気がつけば2人の見回り兵達は、沼地のはずれでぐったりとなっていた。
●シェーリンの出番
ここは冒険者ギルド。
成り立て冒険者で鎧騎士見習いのシェーリン・ラシェット、今日もふらりと掲示板の前にやって来た。何か依頼はないだろうか?
張り出された依頼書の一枚が目に止まる。
『王領ラシェットの西側、大河に面した沼地に巣くう魔物を退治すべく、人員を求む』
「え!? これってフェイクシティのすぐ近くじゃないの」
シェーリンは悪代官に取って代わられる前の、ラシェット領の領主の娘で、今は冒険者と共に都市型訓練施設フェイクシティの建設に関わっていたりする。その近くの沼地に魔物が巣くっているとは、いただけない。
「この依頼、あたしが参加するしかないわね」
依頼書の後の部分には、詳しい状況の説明が書いてあった。
「沼地は蛭だらけ? うわ、嫌だなぁ‥‥。でも、ゴーレムを借りられるようだから、それに乗っていけば、まあ問題ないか」
依頼では人型ゴーレム・バガンを1体、フロートチャリオットを1体、それにゴーレムグライダーを1機、借り受けることが出来る。ただし霧がよく発生する土地で、視界は悪い。人型ゴーレムも沼地での移動は困難だ。
「にしても‥‥沼地で目撃された子どもって何なのかしら? こいつが蛭使いの魔物? それとも魔物と契約した人間? それとも魔物にたぶらかされているだけの、ただの子どもなのかしら? ‥‥まあ、いいわ。こいつを捕まえてみて、正体を確かめてみればいいことだし」
●リプレイ本文
●船の上で
ここは依頼の現地に向かう川船の上。話をしているのは時雨蒼威(eb4097)とシェーリン・ラシェット。
実は、2人は婚約を交わした仲だったりする。まあ、過去に色々あって‥‥。
「その少女、両親が死ぬとか歌っていたわけだ」
「見張り兵の言う通りならね」
「しかし、子どもの足で他領から来たとは思えん。近隣で子供が行方不明とか起きてないか?」
「子どもの行方不明なんて、ザラにあるわよ」
「そうか。むしろラシェットの状況を考えれば、事件が多すぎてどれがどれの関係者か分からないか。‥‥にしても、フレーデンの処刑はいつだ?」
「聞いた話だとあの悪代官、まだ取り調べが続いているみたいよ。‥‥え? 何でそんな目であたしを見るのよ?」
「つうかシェーリン。魔法の武器無くても、ゴーレム使えば完璧とか思って安易に参加したろ?」
「だって、せっかくゴーレム使わせてくれるんだし‥‥」
「あのな‥‥。ゴーレムは体格と重量ゆえに使い辛い時が多々あるし、いつも借りられる訳じゃない。今回は場所が沼地だし、下手にはまるとまずいぞ。だから、これを渡しておく」
と、蒼威はシェーリンに自分の斬妖剣とインビンシブルガントレットを渡す。
「両方とも魔力帯びてるし、軽いから女性でも楽に扱える」
「高い品物なんでしょう? 有り難く使わせていただくわ」
シェーリンと別れると、蒼威はペットのグリフォン『山茶花』の所へ行き、
「もう‥‥俺が居ないとダメなんだから」
とか言いながらグリフォンの足や自分の鎧に塩を塗る。塩を塗るのは蛭(ヒル)対策のためだ。
●機織り戦法?
で、船の中でも作戦会議は続いていたりして。
「機織り戦法だって?」
これを提案したのはリュドミラ・エルフェンバイン(eb7689)。
「自分の動かすグライダーと時雨さんのグリフォン、ルエラさんの動かすチャリオットの軌道を機織り機の横糸と縦糸と見なします。まず自分が囮となり、敵を上空から攻めて格闘戦に持ち込み、それと交錯する様にグリフォンとチャリオットが横撃を見舞うというものです」
仲間の冒険者達は考え込む。
「それで上手くいくのか?」
「現地は霧で視界が悪いのに」
シェーリンが言う。
「とりあえず、現地の様子を見てから決めない?」
そういうことで落ち着いた。
●探索
「で、ここが役立たずの沼地?」
沼地にたどり着いた一行の前に広がるのは、昼間だというのに霧が立ちこめ、臭気漂う鬱陶しい沼地。
霧の立ちこめ具合は一様ではなく、時には部分的に濃くなったり薄くなったり。
「では、行きます」
5人の仲間を乗せ、ルエラ・ファールヴァルト(eb4199)の操縦するフロートチャリオットが沼地へと進み始める。
蒼威とリュドミラは、それぞれグリフォンとゴーレムグライダーに乗って空へ。
シェーリンはバガンに乗って、沼の外れで待機だ。
「それにしても‥‥カオスの魔物ども、いくら倒しても減ったような気がいたしませぬな。どこかにカオス界に通じる穴でもあるのでしょうかな? 穴から現れた魔物をフロートシップで輸送して、各地にばら撒いているとか‥‥」
セオドラフ・ラングルス(eb4139)がつぶやいていると、
「しっ!」
ディアッカ・ディアボロス(ea5597)が身振りで注意する。
「歌声が聞こえませんか?」
耳を澄ますと、確かに遠くから歌声が聞こえた。子どもの声だ。
「あの歌声に向かって進むべきかと」
「了解」
ルエラがチャリオットの進路を変更。空を飛ぶ蒼威のグリフォンも、チャリオットを見失わないよう、高度を低く保って旋回を繰り返す。
「帰ったら山茶花は丸洗いだな‥‥。こうも匂いがきついと、女性を誘って空をドライブとかできん」
やがて、ユラヴィカ・クドゥス(ea1704)が身につけた龍晶球の指輪が、仄かな光を放ち始める。
「気をつけるのじゃ。魔物はここから半径50m以内におるようじゃぞ」
ユラヴィカは、連れてきたペットのフェアリーに問いかける。
「わしら以外に、沼地で呼吸している『人間』がいるかのぅ?」
フェアリーはブレスセンサーの呪文を唱えると、ユラヴィカに「50mくらい先に、人間の子どもがいるみたい」と伝えた。
「例の子どもか? 呼吸するからには魔物ではなさそうじゃが‥‥」
突然、ディアッカが警告を発する。
「魔物がすぐ近くまで来ています」
ディアッカの携える『石の中の蝶』が羽ばたいている。魔物は半径15m以内にいる。身構える冒険者達。すると──。
べしゃ! チャリオットの中に何かが投げ込まれた。
「うわ、何だ!?」
べしゃ! べしゃ! べしゃ!
立て続けに投げ込まれるそれは、蛭だ。1匹、2匹、3匹、4匹──。
「誰です、蛭を投げ込んでくるのは?」
レイピアを持つセオドラフが、1匹1匹と蛭を退治していると、沼の方からだみ声の笑い。見れば沼の泥水の中から、翼の生えた小鬼が飛びだし、そいつは霧の中に消えた。
「あれの仕業ですか。悪質な悪戯にも程があります」
気がつけば、霧の中から聞こえていた歌声は止んでいる。
「もう一度、調べて欲しいのじゃが」
再びユラヴィカがフェアリーに頼み、フェアリーは魔法を使って霧の向こうを指さした。今度は30mくらい先。
「待って、何か聞こえます‥‥」
ディアッカの言葉に一同が耳を澄ますと、霧の中から子どもの笑い声が聞こえる。
「アハハハハハハ‥‥!」
ルエラは笑い声の方角にチャリオットを進めるが、しばらくすると笑い声は止む。そのままチャリオットを進めると、霧の中からおぼろな姿が現れた。
蒼威とそのグリフォンだ。沼の泥水の中から突き出した、小さな陸地の上に立っている。
「遅かったな。一瞬、霧が薄くなった時に、ちらりと子どもの姿が見えたので舞い降りたのだが。再び霧が濃くなった隙に逃げられた。だが、魔物は近くにいるようだ」
蒼威の持つ『石の中の蝶』が羽ばたいている。
「とりあえず、蛭避けにこいつを沼に投げ込んでおくか」
用意した袋を、蒼威は遠くの水面に放り投げる。袋の中味は死肉と血。蛭を引き付け、冒険者から引き離すことが出来ればいいが‥‥。
●魔物
「それにしても、魔物はどこに‥‥」
冒険者達の持つ『石の中の蝶』はさっきから羽ばたきっ放し。しかしここは霧に覆われた沼地。『龍晶球』や『石の中の蝶』で魔物の接近は分かっても、視界が悪くて正確な位置を突き止められない。
「困ったのぅ。パッシブセンサーも役立たずなのじゃ」
ユラヴィカは自らにパッシブセンサーをかけていたが、魔物が魔法を使ってこなければ、その位置をつかめない。
いつどこから魔物が襲っても対処できるように、ジャクリーン・ジーン・オーカー(eb4270)は強弓「十人張」に矢をつがえ、魔物の出現を待つ。
いきなり沼の方から何かが飛んできた。
「来たわね!」
ジャクリーンが矢を放つ。矢は命中し、飛んできたそれは刺さった矢もろともチャリオットの床に転がった。
「‥‥何よこれは?」
それは、先ほど蒼威が投げ込んだ袋。だけど中味は肉と血の代わりに、蛭が何匹も詰まっている。
「ゲェヘェヘェヘェヘェ!!」
沼地からだみ声の笑い。
「魔物は我々をバカにしておりますな」
セオドラフはレイピアの先に袋を引っかけ、沼に放り捨てた。
「奴等、俺達が手も足も出ねぇと思ってるのか?」
いい加減、じりじりと痺れを切らしたオラース・カノーヴァ(ea3486)が、ダミ声に向かってソードボンバーを叩き込む。
どばしゃっ!!
泥水の跳ね上がる音と共に、ダミ声が止む。
だがしばらくすると、別の方向からダミ声が。
「ゲェヘェヘェヘェヘェ!!」
「あ〜あ、これじゃいつまで経っても、ラチがあかねぇぞ」
ルエラが提案する。
「チャリオットの走行で、魔物を攪乱してみるか」
「この際だ、何でも試してやろうじゃねぇか」
と、オラース。
「では、しっかりつかまってて下さい」
そしてチャリオットはジグザグに沼地を走り出す。時にはスピードを早め、時には車体を左右に振るように。
だが走っても走っても、魔物は姿を現さない。ダミ声の笑い声はしばらく続いたかと思うと、急に鳴りを潜め、しばらくすると別の場所から聞こえてくる。
周囲は霧、下は泥水。そのどこに魔物が隠れているか分かりはしない。
「魔物は走るチャリオットを巧みに避けているのか? 奴等は霧の中を見通せるのか?」
「こりゃ、出直した方がよくねぇか?」
ルエラが走行を止め、オラースが音を上げた時。空を飛んでいたリュドミラのグライダーが、チャリオットの真横に舞い降りてきた。
「自分が囮となり、魔物を引き付けてみましょう」
「気をつけて」
グライダーはホバリングしながら、超低空飛行で沼地を進み始めた。噴射される空気が泥水を派手に跳ね飛ばす。チャリオットとグライダーとの距離は、ぐんぐん開いていく。
「それ以上離れるな! グライダーが霧で隠れて、こちらから見えなくなる!」
ルエラが叫んだ時──そいつは霧の中からグライダーに近づいてきた。
ハエくらいの大きさの小さな虫だ。
虫はリュドミラの襟首に止まると、彼女が着込んだゴーレムマスターの隙間から、服の内側に潜り込んだ。
その虫の正体は魔物だった。
「うっ‥‥!」
いきなり、背中に違和感を感じるリュドミラ。服の中で何かが動き回っている。
ネズミだ。虫に変身していた魔物は、今度はドブネズミに姿を変えたのだ。
背中に痛みが走る。ドブネズミが背中に牙を立て、肉をかじっている。
「やられたっ!」
痛みをこらえ、リュドミラは考えを巡らす。
魔物に有効な魔法の武器は無かったか?
だが今のリュドミラが携える魔法の武器は、「破魔弓」デビルスレイヤーのみ。これでは服の内側に潜り込んだ魔物を倒せない。
「ゲェヘェヘェヘェヘェ!!」
今度は霧の中から、翼の生えた小鬼が襲いかかってきた。ダミ声で笑いながら、リュドミラの首筋にしがみついて牙を立てようとする。それを払いのけようと手を上げた時、リュドミラは精神の集中を失った。
リュドミラの乗るグライダーが大きくバランスを崩す。
「あっ‥‥!」
リュドミラはグライダーから転げ落ち、沼の中に転落した。
●救出
「リュドミラが落ちた!」
仲間の危機を知り、ルエラがチャリオットを発進させる。十分に距離が縮むと、オラースとジャクリーンがリュドミラに手を伸ばす。
「リュドミラ! 手を伸ばせ!」
セオドラフは外套を脱ぎ捨てる。
「こういうこともあろうかと、用意してきました」
外套の下から現れたのは、地球製のウェットスーツを着込んだ身体。これなら水中の蛭も恐くない。ついでに膨らましたドルフィンボートを抱え、セオドラフは沼の中に飛び込んだ。
セオドラフが水中から支え、オラースとジャクリーンで上から引っ張り、3人がかりでリュドミラをチャリオットの上に引き上げた。
リュドミラを襲った小鬼は再び霧の中に姿を消していた。
リュドミラの服の内側に潜り込んだ魔物も、いつの間にか服の中から姿を消している。
「不覚を取りました」
詫びるリュドミラに、ジャクリーンが言葉をかける。
「気にしないで。今回は場所が悪すぎたのよ。‥‥にしても、魔物は悪辣な手を使ってくれるわね」
ばしゃ、ばしゃ、ばしゃ‥‥。泥水を跳ね散らしながら、霧の中をこちらに歩いてくる巨大な姿がある。それはシェーリンの乗ったバガンだった。
「シェーリン、来たのか!」
蒼威が呼びかける。
「呼ばれたから来たのよ! グライダーを沼から引き上げるのに、バガンが必要でしょ!?」
グライダーの墜落を知り、シェーリンを呼びに行ったユラヴィカとディアッカは、バガンの頭上で羽ばたいていた。
●残された子ども
魔物はどこかに消え失せてしまったみたいだ。
もはや『石の中の蝶』はぴくりとも動かず、『龍晶球』も輝かない。
それでも、時おり霧の向こうから子どもの笑い声が聞こえてくる。
「アハハハハハハ‥‥!」
それを聞いてセオドラフが言った。
「やれやれ、あの子どもだけは取り残されましたか。あれがもし人間だとしても正気を失っているでしょうから、捕まえて療養所辺りに送り込むしかないかもしれませぬな」
ユラヴィカはペットのフェアリーに呼びかけた。
「翠蛾よ、力を貸してくれるかのぅ?」
「うん、いいよ」
フェアリーの魔法の力を借りて子どもの位置を突き止めると、ユラヴィカとディアッカはフェアリーを従え、共に空を飛んで子どもに接近。一瞬、霧が薄くなった時、子どもの姿を視界に捉えた。
「おぬし、ここで何をしているのじゃ?」
子どもは不思議そうな目でユラヴィカを見る。
「おまえ、黒いシフール?」
「いいや、わしはジ・アースのシフールじゃ。おぬし、こんな所で何をしておるのじゃ?」
「待っているの。闇の王子様を」
「闇の王子様?」
「あたしの愛しいあの人。あたしに力をくれる人」
やがてディアッカの連絡で、残りの冒険者達も子どもの所に集まってきた。
全員が『石の中の蝶』を確認したが、蝶は羽ばたかない。すなわち、子どもは魔物ではない。
「愛しいあの人よりも、素敵な俺が参上。綺麗な夜空をデートでもいかが?」
蒼威が子どもに言葉をかけると、バガンに乗ったシェーリンから声が飛んできた。
「蒼威ったら、そんな子ども相手に何やってんのよ!?」
「アホな事言ってる場合でもなし。さて保護すべきかどうか‥‥」
ところが意外にも、子どもは蒼威に懐いてきた。蒼威のグリフォンを見ても驚かず、怖がらない。
「これ、カオスのまじゅうなの?」
「いいや、これは俺のペットのグリフォンだ」
「これに乗って空を飛ぶの?」
「君が望むなら‥‥」
「あたしを連れていって。あなたの所へ」
「君の名前は?」
「マイラ」
蒼威が子どもの顔を良く見れば、汚れきってはいるが女の子の面影がある。
こうして子どもは保護され、その世話はひとまずルーケイ水上兵団の者が行うことになった。
なお、その後の冒険者達の調べで分かったことだが、子どもは悪代官フレーデンの暴政下で両親を失った孤児の娘だった。かなり以前から行方不明になっていたのだが、それは何者かによって沼地に連れ去られたからで、以来その何者かは食料を携えてしばしば沼地を訪れて、子どもを生かし続けてきたという。
その者については次のことが分かっている。かどわかした子どもに対してその者は『闇の王子』を名乗り、現れる時には常に黒の礼服の上から黒のローブをまとい、フードの奥にその素顔を隠していた。そして子どもを可愛がる時には、「大いなる闇の力を授けてやる」としばしば口にしていたという。