●リプレイ本文
●牧場にて
牧場の母屋の食堂には、ごちそうが並んでいた。
「殺された牛の肉です」
と、給仕をしてくれた牧童は言う。
もとはここで丹精を込めて育てた牛。ただ腐らせるのはもったいないので、その前に食べてしまうことにしたそうだ。
「私、ダイエット中なんだけどな〜‥‥でも、食べちゃえ☆」
と、料理に手をつけたのはエルザ・ヴァレンシア(ea4310)。
「これはいける!」
一口食べたアトス・ラフェール(ea2179)がにやりと笑う。今回死んだ牛は肉質の柔らかい若い牛だったようだ。
通常、庶民の口に牛の肉が入ることはまれである。
牛は搾乳・労役用の動物であり、食用として飼われることはあまりない。庶民の口に入るのは年老いて働けなくなった牛が主で、おおむねその肉は硬いものだ。
「わぁ‥‥いいにおいだね!」
牛小屋の下見から戻ってきたシャラ・アティール(ea5034)が、大盛りの料理に目を丸くする。
「とっても美味しいですよ☆」
「夜は長い。食べられる時に食べよう! 牛の肉はめったに口に入らないからね」
「え? 牛さんのお肉!」
料理に手をつけようとしていたシャラは、とたんに表情を曇らせた。
「なら僕、食べられないよ。だって牛さんは神の使いで神聖な動物なんだよ?」
シャラの生まれた土地には牛を大切に扱う風習があるらしい。
給仕をしてくれる牧童はそんな彼女のために、豆スープと干し豚肉を添えてくれた。
そこにメリル・マーナ(ea1822)が顔を出す。
「依頼主どのー、もう少し木材がほしいのじゃが‥‥」
「あ。メリルさんもどうですか?」
見ていて気持ちがいいほど食べっぷりのいいエルザが声をかける。
「ふむ。どうにも食べる時間をとれそうもなくてのう」
メリルはテーブルの上の肉料理に物欲しげな視線を向けた(じゅる〜)。
給仕の牧童に木材の手配を頼んだメリルが牛小屋に戻った時、屋根の上に立つリュオン・リグナート(ea2203)の姿に気がついた。
「そんなところで何をしておるのじゃー?」
「屋根の上に隠れる場所がないかを調べているそうです」
リュオンの代わりに答えたのは、はしごの下に控えていたナスターシャ・エミーリエヴィチ(ea2649)。
「換気窓の側ならば見張るのに都合がいいですから」
やがて屋根から下りてきたリュオンは肩をすくめて言う。
「どこかその木立のあたりで待機するしかないな。あそこじゃ上から見たら丸見えだ」
闇を好み、皮の翼で飛ぶ夜の獣。
冒険者の誰もが即座にその正体を思い浮かべていた。
「‥‥そうだ。ナスターシャとコウモリの情報を仕入れてきた。聞くか?」
リュオンの言葉に、メリルは迷いなくうなづいた。
●夜を待つ
昼間の牛小屋は倉庫のようにがらんどうだった。
夜、牛たちが眠りに戻るだけの場所。敷きワラと、水を入れるための桶。細々とした道具を入れる木箱が壁の側に置かれている以外は何もない。
コウモリが侵入するという換気窓は小屋の両側にあり、明かり取りをかねていた。
メリルが昼の明るいうちに格子をつけて回ったので、現在、牛小屋の中に差し込む夕方の赤みがかった光には、縦じまの影がついている。
「コウモリは一頭のみ。現れるのは真夜中。それゆえどの方角から飛んでくるのかを確認したものはいない‥‥じゃったかな」
リュオンとナスターシャの言葉を思い出して反復したメリルは荷物をかき回していた。
「この間に腹ごしらえをするとしよう」
彼女が取り出したのは、とろけるほどに煮込んだ牛肉のワイン煮込みをライ麦パンにはさんだものと、ゆで卵。食事の時間が取れなかった彼女のために依頼主が用意してくれたものだ。
昼間の放牧を終えて小屋に戻ってきた牛たちは今、小屋の端っこの柵の中に寄せ集められていた。
この小屋から移動させようにも牛を収められる別の小屋が近くになかったためだ。
次善の策として小屋の中に簡単な柵と格子状の屋根をつけたのだ。仕上げとしてアトスが牛たちの前に護衛として陣取っている。
「窓に仕掛けたのはどんな罠なの?」
同じく牛小屋の中で待機していたシャラが問う。
「簡単に網を設置しただけじゃ」
と、メリル。
換気窓は一つを残して格子をつけ、残した一つに捕縛用の網を固定した。その網にしても手持ちのロープを組み合わせた即席のモノ。
実は牧場へ向かう前、ギルドに定置網の貸与を申し出てみたメリルだったが、
「うーん‥‥うちは仕事を斡旋する場所であって実際に漁とかはしないから、すぐには用意できないなぁ」
と、困った顔をされてしまった。
それより当てがはずれたのは、あらかじめ考えていた罠を作る時間がなかったことだった。
彼女が予想した以上に換気窓の数が多く、格子をいれるだけで精一杯。手伝いがもう少しいればできたかもしれないが、主な作業員が彼女しかいなかったのだからこれは仕方のない結果だろう。
「入り口は広くて出口は狭い、入ったら出られぬ‥‥こんな罠を考えておったのじゃがなぁ」
と、説明用に持参していた魚籠を取り出すメリル。なぜかナスターシャが魚籠の解説を始めた。
「柳細工ですね。円錐形のハコの中にエサを入れ、主に川で使用される魚とりの仕掛け。入り口に『返し』がついているので、入った魚は出られないようになっています。地方によって、『どう』『うけ』『もんどり』と呼ばれる罠です」
「ほう、よう知っとるのう」
「恐れ入ります。見るのは初めてですが」
「‥‥む?」
冗談なのか本当のことをいっただけなのか、判断に困って首をかしげたメリルを真顔で見つめかえすナスターシャ。
「ここからだと外が全然見えないね」
唯一の光源である換気窓を見上げながらシャラがつぶやく。
「リュオンが知らせてくれるはずだけど‥‥大丈夫かな?」
その時『リュオン』の名前に反応したものがいた。エルザだ。
彼女は牛小屋に入る前、彼に話しかけられた言葉を思い出していた。
「俺って無茶ばっかりするから‥‥エルザの回復は頼りにしてるぜ!」(白い歯がキッラーン ※注:エルザ脳内美化処理済み)
「ダメよエルザ! これは仕事、仕事なのよっ! 決してリュオンさんと一歩前進しようとか‥‥(ぽわ〜ん。白い歯がラッリーン) ダメダメっ! 考えちゃダメっ!」
興奮のあまり、ガンガン壁に頭を打ちつけ始めるエルザ。
「え? わぁ! エルザ、気をしっかりっ!!」
「‥‥騒がしいな、中」
「巨大コウモリの姿は見えなかったけど?」
小屋の外でコウモリの出現を待っていたリュオンとクレア・エルスハイマー(ea2884)がささやきあう。
「小さなコウモリはよく飛んでいますが‥‥」
とつけ加えたのは、声をひそめたフィーラ・ベネディクティン(ea1596)。
注意して見上げた夕方の空には、コウモリの姿は思いのほかに目に付いた。
普段は見逃しているだけなのだろうか? 真っ赤な夕焼け空に、いくつも飛び回る黒い生き物。
そうして。
太陽は地平に沈み、月のない夜がやってくる。
●皮の翼で飛ぶもの
最初にそれを見つけたのは一番に夜目のきくクレアだった。
巨大な黒い影が星明りのみの夜空の中を、音もなくゆっくりと飛来する。
さっそくリュオンが牛小屋の内部待機組に知らせに走り、そして一同は息を潜めてコウモリの行動を見守った。
光のない牛小屋の中、やけに音だけが大きく響く。
まず聞こえたのは、屋根に重たいものが乗る音。
それから軒にぶら下がる音。ぶらさがったまま移動する音‥‥
音の一番近くにある換気窓から木材を引っかく音。
「キシィ」とも「シャー」ともいいがたい、独特な鳴き声。
やがて隣へ移る木材を引っかく音。
次はその隣。また次にその隣へと、木材を引っかく音が移っていく。
そして‥‥罠のある換気窓。
唐突に黒い頭がのぞく。
じっとしているのは牛小屋のにおいを嗅いでいるようだ。
警戒しているのか入ってこようとはしない。すぐに頭は引っ込められた。
そしてまたその隣の換気窓から引っかく音が聞こえ‥‥
音が牛小屋を一周したあと、罠のある換気窓からまた黒い頭がのぞいた。
再びにおいを嗅ぐ音。
やがてのっそりと黒い生き物が通風孔から身を乗り出して‥‥
巨大コウモリが全身を牛小屋の中にねじ込んだ瞬間。
「かかった!」
メリルはあらかじめ仕込んでおいたロープを引っ張って、袋状の網の入り口を縮ませた。
「キィー!」
きんちゃく袋状の網の中に閉じ込められるコウモリ。
網の袋はコウモリを中に閉じ込めたまま真下に落ちた。
「袋叩きじゃ! それっ!」
踏み踏み!
「もう誰も傷つけさせたりしない! めった斬りよ!」
しかし‥‥ここで冒険者たちはは致命的なミスを犯していた。
誰一人として明かりを用意していなかったのだ。
「あ痛たっ! 私はコウモリではない!」
「危ないよエルザ〜っ!」
おりしも時は新月期。しかもここは室内である。
多少夜目が利いたとしても一つの明かりもない状態で見えるものなどほとんどない。
「困りました‥‥動けません」
夜目のまったくきかないナスターシャには、何がどうなっているのか見当もつかない。
ウィンドウスラッシュを用意していたのだが、うっかり放てば仲間を傷つける結果になってしまう。
やがて即席の網から抜け出すことに成功した大コウモリは、皮の翼を広げて羽ばたいた。
黒い体が空に舞い始める。
その高さがそこにいる誰の身長よりも高くなった時点でシャラが動いた。
誰よりも高い位置にいる影はコウモリ以外の何者でもない!
「たぁあああっ!」
彼女は昼間の内に確認してあった木箱に駆け上がると、舞い上がった皮の翼を持つ獣に飛び蹴りをくらわせた。
もんどりうって敷き藁の上に落ちるコウモリ。
「今だ!」
アトスの気合と共に一斉に飛び掛る冒険者たち。
だが、コウモリも簡単にやられるつもりはない。暴れるコウモリの鋭い爪がエルザの腕を浅く切り裂いた。
「きゃっ!」
「負傷したのか?」
「大丈夫! 回復なら自分でもできるわ!」
十字架を手に取り、呪文を詠唱しつつ祈りをささげるエルザ。だが‥‥失敗。
息が切れる。呪文が唱えきれない!
「‥‥魔法って、剣をふりまわすより体力がいるの?!」
暗闇の中で愕然とするエルザ。
アトスは優良聴覚でコウモリの位置を探り始めた。
「‥‥そこだ!」
「あいたっ!」
音だけでの固体判別は実に難しい。コウモリの気を引くために投げた小石はメリルの頭に直撃した。
「すまない」
「もうちっと、気をつけてく‥‥」
膨れ上がり近づく殺気。
依頼には牛を守ることも含まれる。二人は牛を背に身構えた。
メリルは弓を構え、詠唱をおえたアトスが魔法を発動させる。
「ホーリーフィールド!」
聖なる結界が不可視の盾となって牛たちを覆う。
牛のすべてを守るには少々大きさは足りなかったが、コウモリへの牽制にはなったようだ。前進を阻まれたコウモリがいらただしく甲高い鳴き声をあげた。
その時、牛小屋の扉が開いた。
扉を開けた人物はリュオン。戦闘の音を聞きつけて加勢しようとしたのだ。
しかし冒険者ではない依頼人たちが大声だけで追い払えるほど気が小さくもある相手。逃げ道が見つかればまっさきに逃走を始める。
「リュオン! 閉めろ!」
とっさの判断も戦士の資質。
突進してくるものが扉にたどり着く前にリュオンは扉を閉め、押さえの横棒をカンヌキにはめ込んだ。
ドーン!
牛小屋の扉がたわむほどの衝撃。逃亡は阻止できたようだ。
リュオンは夜目がきかなかった。
星明りだけでは予想以上にものが見えない。コウモリが逃げ出した時に引き止めるための投げ縄を用意していたのだが、それが成功するかどうかの前に対象物の判別すら怪しい。
「‥‥たいまつ!」
バックパックの中を思い出し、リュオンは小さく舌打ちした。取りに行くにはもう遅い。事態はすでに動き始めてしまっている。
リュオンは扉に拳を打ち付けた。
同じころ、エルザは携帯していたランタンのことを思い出していた。
壁に掛けておいて火を入れるだけにしておけば、あえて携帯しておく必要はなかったかもしれない。そうすれば魔法を使えたかもしれない。
使わない道具はただの荷物にすぎない‥‥苦い失敗だ。エルザは胸に教訓を刻んだ。
暗闇の中で自由に身動きの取れない冒険者と、闇の中こそ本領を発揮するコウモリ。両者のどちらが有利なのかは明白だろう。
コウモリは冒険者たちの攻撃をかわしつつ、進入した換気窓からするりと牛小屋を抜け出した。
そうして一声鳴いたのち、月のない夜空に向かって舞い上がる。
だがコウモリの受難はまだ終わっていなかった。
小屋の外では二人の女性が待機していたのだ。
「外なら遠慮なくアイスブリザードをぶっ放せるわね☆」
先に呪文の詠唱を始めたのはフィーラ。
アイスブリザードは範囲攻撃の魔法である。下手をすると仲間を巻き添えにしかねないために、彼女は外で待機していたのだ。
しかし彼女の呪文は発動しなかった。唱えている間に息が切れ、呪文を最後まで詠唱できないのだ。
「そんな‥‥」
体力の欠乏、それは高い知力を持つ者の生まれつきの代償‥‥フィーラは悔しさに唇を噛んだ。
その隣ではクレアが炎の爆裂魔法を唱え終えていた。
「ファイヤーボム!」
ドム!
巨大な炎の爆風。
風にあおられ、コウモリは吹っ飛んだ‥‥が、トドメには弱かった。
一度地上に降りたコウモリは「キィ」と一声鳴いたあと、何事もなかったように飛び立った。
牛小屋の内部待機組が現場にたどり着いた時にはもう遅い。
夜の闇の中を悠々と飛び去っていく巨大なコウモリを、彼らは見送ることしかできないのだった。
牛を守りきる事はできたが、コウモリを倒す事はできなかった。
依頼は失敗である。
「わざわざ来てもらって、こういうのもアレなんだが‥‥契約だからなぁ」
食事分以上の報酬はでないよ、と言いつつも依頼主はせっかくだからと牛の肉を帰りの保存食として多めに分けてくれた。牛肉の食べられないシャラには、保存が利くように固く焼き締めたライ麦パンが手渡された。
「でもまぁ、牛は無事だったからな。それには本当に感謝してるよ」
●その後
冒険者たちが雇われた牧場に行くとタイヘンな目にあうと学習したのか、巨大コウモリは二度とその牧場に現れる事はなかった。だがもちろん死んだわけではない。
冒険者をつづける限りまたいつの日か別の場所で、噂を聞くことがあるかもしれない。
夜闇の中を軽やかに飛び回り生き物を襲う、皮の翼で飛ぶもの。
その噂を。