【天下布武の嵐】謀略、真里谷城
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■ショートシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:12 G 67 C
参加人数:7人
サポート参加人数:1人
冒険期間:04月25日〜05月04日
リプレイ公開日:2008年05月04日
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●オープニング
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江戸城の奥、蝋燭の火が揺れている。
その血のような色に、一人の男が濡れていた。
てらてらと光るその面には、肝の底に淀む野心や欲望が滲み出しているようで。独眼竜の貌は、西洋の悪竜の如き形相を見せていた。
伊達政宗である。
「房総が欲しい」
政宗は云った。
「房総を手に入れるは、家康が動けぬこの機を逃してはない」
「御意」
一人の老臣が肯いた。そして脇に控えた獰猛な、狂犬じみた顔つきの男を見た。
「故に、この男を召し連れましてござります」
「ほほう、これが」
「吠崎丹波でござります」
「うむ」
政宗は肯いた。
「伊達忍びの中でも手練れと聞く。狂犬丹波と異名をとり、多くの敵を虐殺した事もな」
「‥‥」
丹波は黙したままニンマリとした。狂気じみた光が眼にたまっている。
「安房の民を殺せ。足元から里見をぐらつかせるのだ」
「面白い」
丹波が楽しそうに笑った。
「女子供も殺してようござるのか」
「かまわぬ」
氷の眼で政宗は云った。
「その方が効果は高かろう。やり方は任せる」
「承知」
ニィ、と。丹波は唇の端を吊り上げた。
「お館様」
先ほどの老臣が声をあげた。すでに丹波の姿はない。
「ようござりまするのか。丹波の手綱を放して」
「不服か?」
政宗は答えた。
「確かに腕は立ちまするが、世のためにならぬ男でおざれば」
忍者でありながら忍ぶ心を持たぬ丹波はやりすぎてしくじり、伊達政宗の評判を落とすだろう。そのような危うい謀は下衆の盗賊が行うものであり、君主の為す事では無いと老臣は政宗を諌めた。
「爺よ、俺は君主の誉れなど望まぬぞ。それでは――家康に負ける」
「政宗様らしくもない気弱ぶり。家康殿の命運は既に絶たれたも同然でござります」
平織上洛の話は江戸まで聞こえている。虎長復活の噂と共に。十中八九、平織が京都に入れば家康は立場を失うだろう。
今度は家康が討伐される側になる可能性すらあった。家康が江戸支配を認める代わりに伊達に助けを請う展開すら有り得るというのに、何故負けるのか。
「本国の連中もな、そろそろ講和しても良い頃合だとか生温い事を言ってきているが‥‥俺の考えは違う。良いか? ようやく五分と云った所なのだ」
二コリともせず政宗は静かに語る。
一年前の勝利は偶々賭けに勝っただけ。それも武田上杉に源義経と、万全の駒を揃えて家康は生き延びた。
確かに今の家康は死に体で、落ち目なのは誰の目にも明らか。このまま歴史から消える公算も高い。それでも侮ってよい相手ではないと政宗は言う。
「家康は強い。武田も上杉も伊達の風下に立ったつもりは毛頭あるまい。今、関東の諸侯は一列に並んでいるのだ。立ち止まれば、伊達も東北も食われるだけぞ」
熱苦しい男が、氷のように冷然たる語調で話していた。
「手段は選ばぬ」
●
「おのれ!」
安房国司、里見義堯は扇子を叩きつけた。
「伊達め。家康が動けぬと思い、とうとう欲鬼たる本性を見せおったか」
義堯は家臣の市川玄東斎に眼をむけた。
「伊達の動きはどうなっておる?」
「早速、上総の千葉氏攻略に動き出した由にござりまする。攻め手の大将は後藤信康とか。が、それよりも真里谷城下に不穏の動きがあるとの噂が」
「今は民百姓の事などどうでもよい。それよりも我らも軍を整えねばならぬ」
「あいや」
玄東斎はかぶりを振った。
「戦の前に足元を乱されてはなりませぬ。大火となる恐れのある火は、小火のうちに消し止めておくに如かず」
「なるほどのう。一理ある」
義堯は肯いた。里見家は元々安房の一豪族だったが、源徳が関東に勢力を伸ばすといち早く家康と結び、安房一国を得た野心家だ。柔軟な思考能力の持ち主でもあった。
源徳家康が江戸を追われた後、伊達はこの里見氏と千葉氏に対して懐柔策を続けていた。両氏は源徳家臣ではない。源徳と同様に伊達に従うなら領地は安堵し、人質も取らぬと。
「笑わせるな! 摂政たる家康殿ならばこそ我らも従ったのだ。あくまで従えと申すなら武家らしく弓矢で来るが良い!」
義堯は断り続けた。しかし、三河に脱出した家康が江戸奪還を実行する気配はなく、安房国内も揺れてきていた。義堯としては、何とか伊達を撃退して国をまとめたい所だ。そうすれば‥。
「よかろう。確か館山源四郎と申す小人目付けがおったな。その者にやらせよ。が、密かにじゃ。下手にこの事広まれば、きっと家臣どもは浮き足立つ。それだけは避けねばならぬ」
「御意」
玄東斎は平伏した。
●
「父上、お待ちください」
「ええい、放せ」
館山源四郎は、すがりつく娘の香織の手を振り払った。
「殿の御下命じゃ。ようやく館山家にも運がめぐってきた。わしはゆく」
足を踏み出しかけ、源四郎はよろめいた。そして血を吐いた。
「父上」
慌てて駆け寄ると、香織は源四郎を助け起こした。
「父上、そのお体では無理でございます」
「い、いや」
かぶりを振ろうとした源四郎の口からたらたらと血が滴り落ちた。顔色はすでに白茶けている。
香織は必死の眼をむけた。
「父上。私にお任せください」
「な、何? お、お前に?」
「はい。父上に成り代わり、殿の御用を果たしまする」
「馬鹿な。女のお前に何ができる。伊達の忍びが城下に火を放とうしている、との計画があると聞いた。そなたには無理じゃ」
「いいえ」
香織はじっと父の眼を見返した。その香織の眼には、無謀ともいえぬ光がある。冒険者、と香織は云った。
「江戸にそのような者達がいると聞きました。いずれも一騎当千の猛者であると。その者達の助けを借りる事ができれば‥‥」
香織は眼をあげた。遥か西の蒼空にむけて。
●リプレイ本文
●
上総、安房。
久留里城城下の屋敷の奥座敷。やつれた一人の侍が、娘に支えられるようにして座していた。
館山源四郎である。そして支える娘こそ、息女香織であった。
「貴殿達が冒険者か」
「はい」
源四郎に問われ、七つの人影が肯いた。
女と見紛うばかりに可憐な相貌をもつ若者。
冷然たる面持ちの銀色の髪の男。
朝日のように輝く瞳をもつ少年。
優しげで、利発そうな娘。
八尺ほどの巨躯を有する、堂々たる物腰の女。
どこか皮肉の翳のある男。
海の深さを瞳に宿した娘。
「瀬戸喪(ea0443)です」
「ゼルス・ウィンディ(ea1661)」
「日向大輝(ea3597)だ」
「カラット・カーバンクル(eb2390)と申します」
「メグレズ・ファウンテン(eb5451)という」
「マクシーム・ボスホロフ(eb7876)だ」
「アン・シュヴァリエ(ec0205)だよ」
七人の冒険者が名乗った。
「馬鹿な」
源四郎が呻いた。女子供が混じっているこのような連中に、伊達の忍びが撃退できるとは思えなかったのだ。
「お引取り願おう」
源四郎が告げた。
刹那だ。ゼルスが右手をあげた。庭にむかって。
次の瞬間、かっと源四郎は眼をむいた。
庭の樹木の枝が、大きな音をたてて吹き飛んでいる。何が起こったのか良くわからない。
「あの樹の枝ぶりが良くありませんでしたので、おなおししてさしあげました」
静かな声音でゼルスが告げた。
●
笑う声が聞こえる。屋敷の塀の外からだ。
江戸には及びもつかないものの、この久留里城城下にも人は大勢いる。おそらくは真里谷城城下にも。
その人々は、それぞれが人生を背負い、必死に歩んでいる。その真実を踏みにじる権利は誰にもありはしない。
大輝は拳をギュッと握り締めた。
「江戸の大火‥‥。今思うと、あれも誰かが仕組んだことだったんだろうな。町を焼くなんて、そう何度もやらせてたまるかよ」
「そうだな」
マクシームが肯いた。その眼にゆらりと燃えているのは蒼い炎だ。
「綺麗事だけで覇権は争えんなんてことは承知している。だがね‥‥端っから庶民を巻き込もうって魂胆が気に入らん」
「聞きたいんだが」
大輝が視線を源四郎の面に据えた。
「情報の出所はどこなんだ」
「教えられぬ」
源四郎は答えた。お家の大事にかかわる情報関連を、藩士でもない者に教える事はできない。
「が、伊達の忍びを追う手立てならある」
「油ですね」
ゼルスが云った。すると源四郎は驚愕に眼を見開き、
「な、何故わかった?」
「当然です」
ゼルスは表情も変えず、
「じゃぱんの人々は、火への警戒や対処には慣れているはずです。ならば伊達の忍びも相応の用意が必要だと思ったのです」
「私も油の事は聞いている」
メグレズが口を開いた。
江戸において、元馬祖が云っていたのだ。江戸油問屋において、安房の油事情について執拗に問うた者があった事を。そして、その者は奥州訛りであった事を。
「ううむ」
源四郎が唸った。その手をそっと握る者があった。娘の香織だ。
「父上」
香織が微笑んで源四郎を見た。
「今こそ私は確信致しました。冒険者に頼んだ私の判断に間違いはなかったと」
「準備、できた?」
アンが部屋の中を覗き込むと、旅支度を整え終えた香織が立ち上がった。
「はい」
答え――香織の足がとまった。
「あの」
「ん? どうしたの?」
「いえ‥‥本当に伊達の忍びを撃退できるのかなと思いまして」
香織が必死の眼をあげた。
「実は父はもう長くはないのです。父は疲れがたまっていると思っているようで、それで出仕もしていたようなのですが。だから私、父の手向けにと、この件を‥‥」
後は言葉にならぬ。
肩を震わせる香織を、アンは優しく抱きしめた。
「泣かないで。ほら、私たちが傍にいるから。大丈夫だから、ね?」
「は、はい」
嗚咽がもれる。
風に溶けたその嗚咽を身にまといつかせ、七人の冒険者は廊下に佇んでいた。
びゅうと風が渦を巻く。それは、七人の冒険者から放たれる凄愴の殺気が呼んだものであった。
●
真里谷城城下の番所から、数人の役人が駆け出していった。
見送る冒険者のうち、大輝がニッと悪戯小僧めいた笑みをみせた。
「ここの役人は、そう怠惰でもなさそうだな」
先ほど、大輝は役人にある情報を伝えた。江戸大火の下手人が、この真里谷城城下にもぐりこんだというものである。
「確認しておきたい事があるのだが」
同じく役人を見送っていたマクシームが香織に眼をむけた。
「城下の火消し組織はどうなっている?」
「特には」
香織が答えた。
「町の者がそれぞれに対処するかと」
「そっか」
アンが吐息をついた。アンは、冒険者が臨時の大名火消しになり、町火消しに注意を促すという案を出してみたのだが、真里谷城城下には肝心の町火消しは存在しない。
「では天災に見舞われた場合、町民達をどこに避難させるのだろうか」
「そのような場所はないはずです」
香織が答えた。
「では町民達は好き勝手に逃げるしかないということか」
マクシームは振り返って、道行く人々を見た。商人が、赤子を背負った女が歩いている。もし紅蓮の炎が襲いかかったなら、彼らは消し炭と化し、この町は阿鼻叫喚の巷になるであろう。
「この季節、概ね風はどちらから吹くことが多いのだろうか」
「南からと聞いております」
「そうですね」
喪が肯いた。
声音を変え、かんざし乱れ椿を髪にさしている。京染めの振袖に三日月の帯、花飾の帯留めという喪のいでたちは女人のものだ。いや、その辺りの女よりも、よほど美しいといってよい。
その喪は風を読む事ができる。
白磁の頬にかかる髪を喪は払いのけた。確かに風は南から吹いていた。
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布団の上、源四郎は身を起こしていた。枕元には手のつけられていない粥がおいてある。
カラットは腰に手をあてると、大きな溜息を零した。
「だめですよ、ちゃんと食べないと」
カラットは座すと、粥の入った椀を手にとった。メグレズの赤き愛の石とギブライフにより、多少は顔色は良くなったが、食事をとらないと残り少ない命を削り取る結果となる。
「はい、どうぞ」
「すまぬ」
源四郎は弱々しく笑うと、椀を受け取った。が、やはり手はつけない。
「そなたには世話をかけるな」
源四郎は云った。
カラットは家事のみならず、食事の支度から看病までをもこなしていた。とても感謝しきれるものではない。
「いいんですよ、そんな事。それより食べてください」
「うむ」
箸をとりなおし――源四郎は唇を噛んだ。
「とてもじっとしてはおれぬ。娘に大事を任せ、一人のうのうとこのようなところに伏せてなどおって‥‥」
「だから、どうするというのです?」
カラットらしからぬ、恐い声が響いた。はっと顔をあげた源四郎を、カラットの鳶色の瞳がじっと見つめている。
「源四郎様が無理すると、香織様も集中できなくなっちゃうと思うんです。もし家族に何かあったら、きっと絶対に悲しむんですから。そんなのはダメなんですよ」
カラットが源四郎の背をそっとさすった。
「香織様も、あたしの仲間も頑張っています。だから源四郎様も頑張って病気を治さなくっちゃ」
「うむ」
源四郎が肯いた。その頬に、雫が流れて落ちた。
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「火の用心、火打ち一回火事の元〜♪」
女性のものらしい声が響いている。辺りはすでに暗い。
その薄闇の中、三つの人影があった。
一つは香織だ。そしてもう一つは、その香織と手をつないだ少女――にしか見えぬアンであった。火の用心の呼びかけは、そのアンが行っている。
「あ、あの」
香織がアンを見た。その頬が夜目にもうっすらと赤らんでいる。
「ちょっと恥ずかしいのですが」
「どうして?」
アンはくすりと笑うと、三つめの影――ジリエーザに乗ったメグレズを見上げた。
「私達、良い事をしているのに。ねえ」
「香織殿も声をだされてはどうかな。こういうものは、一度大きな声を出してしまえば慣れるものだ」
メグレズが忠告した。
はい、と戸惑ったように香織は肯き、すぐに思い決したように息を吸い込むと、大きな声をはりあげた。
「ひ、火の用心!」
「そうそう」
アンがぱちぱちと手を鳴らした。
その時――
メグレズの眼がぎらりと光った。
「わかるか、アン殿」
「うん、殺気だね」
アンが肯いた。針の先のように鋭く、細やかな殺気が肌に突き刺さっている。
「伊達の忍びだろうな」
「私達は目立つからね」
「狙い通りだ」
メグレズが不敵に笑った。
ジャイアントの異国人。そのメグレズが夜回りなどやっているのだ。目立たぬはずがない。
それを逆手にとっての策。伊達の忍びが動くとするなら、彼らのいる地を避けるであろう。
「さあ、もう一騒ぎするか」
メグレズが云った。
●
大輝は物陰に身を伏せた。蒼い月明かりを避けて。
その大輝の前――番所の前を行過ぎる影がある。
身形は行商人だ。が、目配り、身のこなしが只者ではない。茶屋や旅籠での情報収集にはさしたる益はなかったが、どうやら当たりのようだ。
「へっ」
不敵に笑うと、大輝は行商人を追って地を駆け出した。
首筋に当たる冷たい感触に、源四郎は眼を覚ました。
「騒ぐな」
声がした。黒装束の男がじっと見下ろしている。源四郎はその時、冷たい感触の正体が刃である事に気がついた。
「な、何者だ」
「黙れ」
男、浅く刃で源四郎の首をえぐった。
「死にたくなくば答えろ。娘はどこに行った? 奴ら八人は何者だ?」
「冒険者です」
「うっ」
突如響いた声に、男ははじかれたように振り返った。一人の娘が立っている。
カラットだ。
カラットはにこりと微笑んだ。
「先ほどみえられた御用聞きの方でいらっしゃいますね。魔法で敵の方だとわかっちゃいました」
「おのれっ」
男の手から苦無が飛んだ。が、それより早く、カラットの手から枕ほどの大きさのものが放り投げられている。
「どらごんくんきっくー!」
「ふぐっ」
どらごんのぬいぐるみを顔面に受けて、男は変な声をあげた。
その一瞬の隙をつき、源四郎は枕元の刀に飛びついた。
「曲者!」
源四郎が抜刀した。同時――男が障子戸をぶち破って廊下に逃れ出た。
「待て」
追おうとして源四郎は崩折れた。敵と刃をまじえる事のできる身体ではない。慌ててカラットが抱き起こした。
「大丈夫ですか」
「わしは大事ない。それより――」
源四郎の顔色が変わった。カラットの肩に苦無が突き刺さっている事に気がついたのだ。
「ちょっと痛いです」
カラットが顔を顰めた。
江戸と違い、真里谷城城下の深更ともなると人通りは少ない。いや、皆無といっていいだろう。
が、ゼルスのブレスセンサーはとらえている。夜の底に蠢く四つの息する者の存在を。
「‥‥来る」
ゼルスは物陰に身をひそめ――すぐに驚愕に眼を見開く事となる。
現れたのは敵ではなく、マクシームであったのだ。さらには喪も姿をみせた。
「ほほう」
マクシームは苦く笑った。
「奇遇だな、こんなところで顔をあわせるとは」
「僕は風を読んでここに来たのです」
喪が云った。
「自分が火をつけるつもりなら、この辺りかな、と」
「私もそうだ」
肯き、マクシームは周囲を見回した。
「伊達の忍びにとって、この町は戦場と同じ。最も効果的に敵を殲滅するにはどうするか――つまりは、この町を火の海に沈めるとしたらどこから攻めるか。燃えやすい建物の多寡や風向きなどから割り出した結論はここだ。――伏せろ」
いきなりマクシームが命じた。慌ててゼルスと喪が身を伏せ――
幾許か後。
一人の行商人が三人の冒険者の眼前を通り過ぎていった。そして、もう一人――行商人の後を尾行する小さな人影が。
「日向」
呼びとめられ、小さな人影――大輝が足をとめた。
「何だ、三人雁首をそろえて」
「日向さんこそ、どうしたんです?」
喪が問うと、大輝が行商人の姿が消え去った方をちらりと見遣り、
「変な野郎がいたんで、後をつけてきたんだ」
「変な野郎?」
ゼルスの眼がきらっと光った。
「どうやら間違いないよですね」
ゼルスが辺りを見回しはじめた。この辺りが火付け場所であるなら、必ず火種となるものが仕込まれているはずである。
「うん?」
ゼルスが眼をとめた。
用水桶。何ら不自然はない。が、ゼルスの類まれなる頭脳に訴えるものがある。
ゼルスが用水桶の蓋を開け、匂いを嗅いでみた。
「油です」
●
風が強い。初夏の嵐といったところか。
ここからでは夜回りの声も聞こえない。間抜けな奴らめ。
殺戮の喜悦に眼をぎらつかせると、行商人――吠崎丹波は他の二人の行商人――伊達忍者と眼を見交わし、用水桶を蹴倒した。
一瞬後、丹波の手から炎が噴いた。
火遁の術。迸る紅蓮の蛇は容易に油を燃え立たせ――
「ぬっ」
丹波の口から愕然たる呻きもれた。油が燃え上がらない。
「当たり前だ」
小さな影がするすると歩み出てきた。大輝だ。
「水だからな」
刹那だ。風が唸り、二人の伊達忍者が苦悶した。その身に一本の矢が突き刺さっている。
「くっ」
ましらのような身ごなしで丹波が飛び退った。が、二人の伊達忍者は動かない。さらなる飛牙が彼らの身を貫いていたからだ。
その時に至り、ようやく丹波は矢の射手の姿を見とめた。暗き森深いロシアのレンジャーの姿を。
地に降り立つなり、丹波は歯をむいた。
「何者だ、うぬら」
「冒険者です」
ゼルスが名乗った。
「無辜の民を虐殺する事、許しません」
「ふふん」
丹波が嘲笑った。
「虫けらがどれだけ死のうと知った事か。せっかく存分に焼き殺せると思ったに」
「では私が、あなたに虫けらのような死をくれてあげましょう」
薄く笑いながら喪が告げた。
その瞬間、丹波が動いた。喪に向かって。
が――
剣光、噴く。
夢想流抜刀術の抜き打ちは瞬速。白鷺が舞ったかのような喪の一撃は丹波の腕をへし折っている。
「くっ」
苦鳴は喪の口からあがった。首を押さえた彼の指の間から鮮血が滴り落ちている。
驚くべし。丹波は腕を叩き折られながらも、すれ違いざまに喪の首筋を噛み裂いていたのである。
「馬鹿め」
丹波が襲いかかった勢いもそのままに逃走にかかった。
その時、ゼルスが繊手をあげた。遠くなる丹波の背を狙い撃つように。
「逃がしません」
豪と風が唸った。
●
「大丈夫でしょうか」
香織が不安げな顔をむけた。が、アンに動揺はない。
「耳を澄ませて」
アンが云った。
「静かだよね。みんな今日を生き抜いて、安らかに眠っているんだ。その眠りを妨げさせはしない」
「その通りだ」
メグレズが微笑った。氷山が溶けたような、柔らかな笑みだ。
メグレズが顔をあげた。
「ほら」
メグレズが眼で指し示した。その先――四人の冒険者が悠然と歩んで来るのが見えた。
「早く帰ってこないかな」
カラットは一人、夜空を見上げていた。そして我慢しきれず、皆で食べようと用意していた桜餅をパクッと‥‥