●リプレイ本文
ここに里見家の史記がある。
その中に、里見家の者ではない名が記されていた。その数は八つ。
それは――
●
江戸城。千代田城とも呼ばれる、世界でも最大級の巨城である。
深夜、その江戸城を三つの人影が見上げていた。
アイーダ・ノースフィールド(ea6264)、アンリ・フィルス(eb4667)、設楽兵兵衛(ec1064)の三人である。
「どう?」
アイーダが問うと、兵兵衛は苦笑しつつかぶりを振った。
「わかりません」
江戸城偵察の結果。やはり城壁の外からでは、内部の様子は窺い知れない。
「じゃあアンリさんは?」
「ふむ」
アンリは江戸城を見つめたまま、
「大手門の警備の数は二十‥か」
と答えた。
彼の眼には、闇に沈む江戸城に赤影が見えている。人の体温をとらえる呪法――インフラビジョンだ。
「ふん」
アイーダは嘲笑った。
「やはり正門の守りは堅いわね。それにしても、たった二百で江戸城を守らせるなんて、伊達の殿様は正気かしら?」
「正気かどうか」
アンリの眼にゆらと炎が揺らめいた。
「天道、是か非かを問う時が来た」
●
佐倉道をひた走る二騎があった。
ルーラス・エルミナス(ea0282)とカイ・ローン(ea3054)である。
「源徳側の一部とはいえ兵を起した。ようやく伊達と戦える」
馬蹄の音に負けぬように、カイが叫んだ。ルーラスは肯くと、きらりと瞳を煌かせた。
「伊達に奪われた江戸を取り戻す機会が訪れた。絶対に負けられない」
ルーラスは云った。
伊達は悪。倒さねばならない。
腹の底からわきあがる衝動に、ルーラスは身体を震わせた。
●
同じ頃、江戸の片隅に不気味な笑い声が響いていた。
「けひゃひゃひゃ〜」
ニンマリしつつ、その男は長い髪をゆらし、草をすりつぶしはじめた。
只の草ではない。男の卓越した薬草に関する知識によって選別された毒草である。
トマス・ウェスト(ea8714)。伊達に地獄をもたらす者だ。
「できたのか?」
問うたのは八尺ほどの体躯の持ち主だ。
メグレズ・ファウンテン(eb5451)。剛の騎士である彼女は警護を生業とし、同時に里見家の客将でもあった。
「いいや」
答えると、トマスは紫色の花弁をもつ植物を取り上げた。
「これも使ってみたいのだがね〜」
「何だ、それは?」
「食べてみるかね〜」
トマスが植物を放った。それを受け止め、メグレズが口を近寄せた。
「食べて大丈夫なんだろうな」
「それはトリカブトといってね」
くすりと兵兵衛が笑った。
「食べると半刻もかからず死ねるよ」
「誰が食べるか!」
メグレズがトリカブトを床に叩きつけた。
●
「駿河の為」
リン・シュトラウス(eb7760)は茶を口に含んだ。
先ほどシフール便の手配をすませた。使いの先は北条早雲と里見義堯である。
早雲には、伊達忍びの阻止の為に風魔忍びを借り受ける願いをたててみた。早雲なら面白がりそうだが。しかし、今から間に合うか。本来なら自ら頼みに行くべきところだが‥。
そして義堯には三日後の出陣を要請した。
しかし――
事前の手を打ち終えたリンは、可憐な顔を微かに顰めた。
「このお茶、こんなに苦かったっけ」
沈んだ声で呟くと、リンは茶に視線をおとした。揺れる茶に、父の面影が浮かんだ。
(まだ頑張れるわ、私。父さんの愛した国だもの)
「早雲様ならば‥‥」
リンの瞳に希望の光がよぎった。彼女は、早雲に自身と同じ、希望の風の香りを感じ取っていた。
その時、リンの眼前にふわりと妖精のような影が舞い上がった。
シフールの武道家、鳳令明だ。
令明はニヤリとすると、
「江戸の抜け道を教えてやる」
●
「来たか!」
叫び声があがった。
眼に野心の炎を揺らめかせた男。里見義堯である。
その眼前に控えた者が顔をあげた。ルーラス、カイ、アンリの三人である。
ルーラス達が江戸を発してから、すでに三日半。アンリの到着を待っていた。
「義堯殿」
アンリが口を開いた。
「船を使っては如何かと存ずる」
「船?」
「左様。江戸は水運の街。御用商人や漁船等をかきあつめ、漁師又は人足に偽装して兵と武器を江戸に入れるのは如何か」
「ふむ」
義堯が眼を輝かせた。
「海から攻めるとは‥‥さすがは冒険者じゃ」
義堯が脇に控えた市川玄東斎に眼をむけた。
「水軍の手配はしてあるが、偽装となれば、どれくらいかかろうか」
「少なくとも三、四日はかかろうかと」
「それでは遅い」
カイが声を発した。
「確かにそうじゃが‥‥」
義堯が眼を見開いた。
「陸路では支城を抜くにも手間取ろう。海路じゃ」
「では、もう一つ」
カイがぎらと義堯を見上げた。
「千葉方面の警戒をお忘れなきよう。さらには江戸の民には手を出されぬようにお願いする」
「相わかった」
肯くと、義堯は立ち上がった。そして三人の冒険者を見渡した。
「なるほど冒険者は心強し。これならばこの義堯、江戸をとる事ができる」
ふふ、と。
抑えきれぬ笑いが、義堯の口から溢れ出した。
その半刻後ほどの事だ。里見兵一千が動き出した。
金谷港に着くのに二刻。そして水軍船が港を離れるに、さらに二刻がかかった。
それより前。金谷港にむかう里見兵一千を見送るように、ふっと幾つかの影が立ち上がった。
「里見め、港を使うか」
しわがれた声を残し、夜鴉のような不吉な影達は地を蹴った。むかうは――
江戸。
●
六日目、暁闇。
ふわりと地に着いた大凧から、黒衣の影が飛び降りた。すると別の影が地からわき――
「どうでした?」
影――兵兵衛が問うと、黒衣の影が覆面をといた。中から現れたのは、夜目にも白く鮮やかなアイーダの相貌だ。
「内部の様子に変化はないわ。で――」
アイーダは兵兵衛を見下ろした。
「江戸城の食料に毒を仕込むって云っていたけれど、それはどうなったの?」
「だめでした」
苦く笑って、兵兵衛は頬をかいた。
「食料蔵には見張りがいましてね。倒す事は簡単ですが、それでは仕掛けた事が露見してしまいますから」
答えた。
兵兵衛は知らぬ事であったが、里見の動向を知らせる伊達の忍びは既に江戸城に入っていた。
もし――
兵兵衛が忍びの警戒に専念していたら、或いは阻止できただろう。が、兵兵衛は様々に動いていたし、仮に伊達忍軍と遭遇していたら逃げるつもりであった。良くて相討ち、それでは意味が無い。
夜具の上、独眼の男がはね起きた。
「‥‥里見か?」
「はッ」
老臣が顔をあげた。
「金谷港を発した里見の兵一千、江戸に入りまする」
「千葉の救援には行かぬ、か」
港を使ったと聞いて、真っ先に浮んだのは本佐倉城を攻める後藤信康を背後から挟撃することだった。
「江戸城一つ、くれてやるのも惜しくは無いが、義堯がそれだけの男か、見極めてやろう」
男――伊達政宗は静かに命令を発した。
●
七日目、寅の刻。
銀の糸のような雨が闇に沈む江戸城を濡らしている。
「アンリが来た」
江戸城外堀の闇に身を潜めたリンが目配せした。肯いたのはルーラス達に導かれて江戸に潜入した里見兵だ。
「乗って」
リンが促すと、里見兵二人がグリフォン――シェクティの背に跨った。さらに一人の兵をババ・ヤガーの空飛ぶ木臼に乗せると、リン自身もまたその後ろにお尻をおいた。
「ランゼ、ドクターをお願いね」
ウッドゴーレムに口付けすると、リンは木臼を空に浮かせた。そのまま闇空に舞い上がっていく。
その時――
リンは、見張りの兵が顔を上げた事に気づいた。驚愕に兵の眼が大きく見開かれている。
――しまった!
リンは心中に叫んだ。
刹那、見張りの兵が崩折れた。その首に一本の矢が突き刺さっている。アイーダの仕業だ。
「助かった」
胸を撫で下ろすと、リンはシェクティに降下を命じた。
やや、後。
すっと、手がのばされた。アイーダの手だ。
その手を掴むと、縄梯子をのぼっていた兵兵衛は城壁から一気に内部へと身を躍らせた。
「見張りは?」
「‥‥」
アイーダが視線をむけた。その先で三人の兵が倒れている。いずれも矢で喉笛を貫かれていた。
「殺したのですか」
「当然よ」
面白くもなさそうにアイーダが答えた。
「恐いですねえ」
ニンマリすると兵兵衛は鉄扇を手にとった。
「では里見の為、伊達の眼を潰すとしましょうか」
もしアンリがインフラビジョンで城を見ていたなら、消えいく幾つかの命の灯を見とめていただろう。伊達兵が死にゆく瞬間を、だ。
その事を政宗は未だ知らない。
●
闇から影が分かたれた。
すうと背後に忍び寄り、伊達の弓兵の首を一撃する。音を立てぬように抱きとめながら、しかし兵兵衛は眉をひそめた。
「おかしい‥‥」
同じ呟きを、桜田巽櫓を制したリンももらしていた。彼女の足元には、里見兵と共に倒した伊達兵数名が転がっていた。
「やりましたな」
「うーん」
里見兵の興奮した言葉にも、リンの面は晴れない。
何だか簡単すぎる。兵が少ないのだ。
二百近い数の伊達兵はどこに?
リンが首を傾げた時、雷鳴にも似た轟きが響いてきた。
●
江戸に上陸した里見兵は怒涛の如く江戸城に攻め寄せた。大軍に恐れをなしたのかギルドや町奉行所は門をしめ、さしたる抵抗もなく江戸城に迫る。
「よし」
カイが大手門にむかって馳せた。後にドラゴンバナーを掲げた里見兵が続く。さらに九名の里見兵が大手門に攻めかかった。
同時にルーラス率いる五人の里見兵も大手門にうちかかった。はじめ、地下空洞の奇襲を考えていたが、洞窟の入り口は柵や岩で封じられていて、おいそれと入れそうも無かった。
一人、また一人と矢に射られながら、それでもルーラス隊は攻撃はやめない。
ルーラスはアラドヴァルを振りかざした。が、伊達兵は門の内だ。刃を交えれば無敵のルーラスも、門の外では戦いようがない。
「どけ!」
大手門の前に、巨影が立った。メグレズだ。
その足元に旋風が踊った。メグレズの身から放たれる闘気の余波である。
「牙星、剽狼!」
空間すら歪ませるような唸りをあげて、メグレズはホーリーパニッシャーを大手門に叩きつけた。さしもの江戸城大手門も揺らめいたように感じられ――
が、門は砕けなかった。もっと威力のある武器が居る。里見兵が丸太を使った即席の破城槌を運んできた。これで何度も叩けば、
刹那――
空を切り裂き、矢が疾った。里見兵にむかって。
「あっ」
咄嗟に眼を閉じ――再び眼を開いた里見兵は見た。彼を庇ったメグレズの肩に突き刺さった一本の矢を。
「油断するな」
ニヤリとすると、メグレズは無造作に矢を引き抜いた。
わずかに遅れて、里見の本隊は和田倉門に攻めかかった。別働隊はアンリのマジカルエブタイドによって水位の低くなった堀を伝い、鉤縄を使って潜入を試みている。
「門は任せたまえ」
和田倉門の前に白影がゆらりと立った。
トマスだ。その背後にはスモールホルスとスモールシェルドラゴンが控えている。
「羽有渡丸、閂を風魔法で攻撃だね〜。それから試獲留丸、扉に体当たりだね〜」
トマスが命じた。
その一瞬後の事だ。二体の精霊獣が和田倉門に襲いかかった。
「ふふん」
一人、真っ先に潜入したアンリは獰猛な笑みを浮かべると、槍をかまえた。蜻蛉切と呼ばれる名槍である。
彼の眼前、数名の伊達兵がうろたえている。門が鳴動している為だ。
その時、霧のようなものが門兵を包んだ。潜んでいた先遣隊の里見兵が、トマス作成の目潰しを投げつけたのである。
「やるな」
肉食獣のように殺到すると、アンリは瞬く間に和田倉門の兵数名を刺し貫いた。数が少ないところをみると、大手門に誘き寄せられたか、それともアイーダ達の仕掛けが上手くいったか――
「開け」
顎をしゃくり、アンリは先遣隊の里見兵に門を開かせた。
しかし道は長い。江戸城は巨城であり、城門は枡形門。門の後に門が続き、大軍でも一気に攻め上れない工夫が随所にある。アイーダは伊達は防御機能を十分に活かせないと言っていたが。
●
鬨の声をあげると、和田倉門を破った里見本隊は江戸城に攻め入った。その様は、竜を呑まんとするさらに巨大な竜の身のうねりを思わせた。
竜の口――即ち先陣はアンリである。
地響きたてて疾駆するアンリの後には、ただ血と骸が転がっていた。
ほぼ同時、大手門から先遣隊の里見兵も侵入している。先に潜んでいた冒険者と里見兵が門兵を斃し、大手門を開いたのであった。
辺りは黒煙が漂い、きな臭い匂いが風に混じっていた。兵兵衛が火をつけたのである。
それが功を奏したか、伊達兵はうろたえているようだ。
「指揮者は?」
「あいつ!」
メグレズの問いに、リンが指差した。
伊達兵の中でも一際手練れの物腰の侍。その身に、先刻指名のムーンアローが突き刺さった。
「あれか!」
その叫びの終わらぬうち、メグレズは侍との間合いを一気に詰めた。
「妙星、水月!」
メグレズが侍を打ち据えた。つい必殺技を叫んだが、手加減している。
「武将の居場所は‥‥」
侍の額に手をあて、リンがその記憶を読み取り、愕然とした。
不審を覚えたメグレズが問うた。
「どうした?」
「伊達政宗は‥‥」
リンは戸惑った眼をあげた。
「本丸です」
伊達兵が弱い。
伊達は里見の猛攻の前に次々と城門や櫓を破られていく。それもそのはずで、政宗は本丸の守りにのみ重点を置き、それ以外は適当に足止めだけして放棄していった。
かつて江戸城はおちた。それは源徳信康が守りに徹しきれなかった事が大きな敗因。政宗はそう考え、ただその轍を踏まぬようにした。政宗が町に被害を出さないよう市街戦を避けた事を冒険者は知らない。
それでも――
「あと少しですね」
本丸を囲む里見兵を見つめるリンの眼に、安堵にも似た光が浮かんだ。里見軍はおしている。守りの堅い本丸を攻めあぐねているが、ここまで来ればとの想いも強い。
そう。
江戸城はおちる。後、数刻で落ちる。八人の冒険者は、偉業をその手に掴もうとしている。
ぞくり、とリンは身を震わせた。
――嫌な予感がする。
まさにその時、伊達兵二千が府中より帰還した。
里見が動いた事を知り、目的を千葉か江戸と見て密かに戻らせた兵だ。冒険者の活躍ぶりに江戸城が取れると心躍らせた義堯は、本丸の伊達兵の顔が追い詰められた者のそれで無いことを悟った。
「殿、後少しです。突撃の下知を!」
「‥‥いや」
●
里見は這う這うの体で撤退した。
船中、義堯はぎりぎりと歯を軋らせ、砂を噛んだように顔を醜く歪めていた。
「江戸城をおとし損なったわい‥‥」
義堯は床に軍扇を叩きつけた。
江戸は落とせず、伊達に千葉を取られて里見は散々だが、その結果は義堯の予想を超えない。戦は水物である。今回は伊達の武運が勝っただけのこと。
ただ、義堯は畏怖した。一騎当千ともいうべき八人を。
そして義堯は命じたのである。八人の冒険者の名を、里見の史記に記す事を。
かくして里見の江戸攻めは終わった。