【小田原反乱】奇襲、小田原城

■ショートシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:10 G 85 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:09月02日〜09月07日

リプレイ公開日:2008年09月11日

●オープニング

 神聖暦一千三年。
 小田原はおちた。そして大久保氏は滅びた。しかし――


 相模と伊豆との国境近く。その深い山中に寺がある。
 無住の寺。地元の者にすら忘れ去られた破寺であった。
 その寺の中、揺れる光があった。蝋燭の灯りである。
 ゆら、ゆら、と。
 その灯りに浮かび上がる影があった。
 侍だ。剛直そうな相貌をしている。
 名は安藤長門。小田原藩において好戦的として知られた重臣の一人だ。先に武田に攻められた際も、最後まで戦い抜く事を主張していたのがこの男であった。
 そして、その侍の前には十ほどの数の侍が座している。小田原藩家臣の者どもであった。
「信玄は?」
 安藤長門が口を開いた。すると座した侍の一人が答えた。
「未だ小田原城に」
「小田原城に‥‥」
 ぎりりと安藤長門は歯を軋り鳴らせた。
「あやつめ、のうのうと小田原城に居座っておるのか」
「‥‥」
 応えはなかった。代わりに呻くように声がもれた。啜り泣きにも似た声も混じっているようだ。
「安藤様」
 先ほど答えた侍が再び声を発した。
「いかがなさいますか」
「討つ」
 半ば叫ぶかのように安藤長門が答えた。その眼が憤怒の炎で赤く染まっている。
「このまま捨て置いて小田原武士の一分がたとうか。必ずや武田信玄を討ち取る。松岡」
 安藤長門にいかがなさいますかと問いを発した侍――松岡周太郎をじろりと見た。
「それで手勢はどれほど集まったか」
「おちのびた者ども、およそ百ほど」
「上等じゃ」
 安藤長門がニヤリとした。
「勝手知ったる小田原城。さらには信玄も戦勝気分で浮かれておるはず。百もの兵で奇襲をかければ、必ずや信玄を討ち取る事ができよう」
「では小田原は」
 松岡周太郎が眼を輝かせた。その面を慰撫するかのように見つめ、安藤長門は鷹揚に肯いた。
「再び我ら小田原武士のものじゃ」
「ははは」
 突如、笑い声が響いた。外だ。
 安藤達はさっと身を強張らせると、刀の柄に手をかけつつ戸に駆け寄った。そしてがらりと戸を開け放った。
 月光降り注ぐ庭に、一つの人影があった。笠をかぶった雲水。背丈、さらには未だ続く笑い声から察するに、顔は見えぬがどうやら少年であるらしい。
「何者だ、きさま?」
 安藤が問うた。すると雲水は笑いをおさめ、
「俺の事なんかどうでもいい。それより」
 雲水が笠を動かした。どうやら自身の足元に眼を遣ったようだ。
 つられるように安藤達も視線を移し――ぎくりとした。
 雲水の足元に人影が横たわっている。黒装束を纏っているところからして、おそらくは忍びであろう。
「武田の三ツ者だ」
「た、武田!」
 今度こそ安藤達は愕然として息をひいた。すると雲水がからからと笑い声をあげた。
「武田信玄の首をとろうと企むのは結構だが、武田の乱波にはりつかれてる事にも気づかねえようじゃ、その算段もどれほど当てになるか」
「ぬかせ!」
 松岡が抜刀した。
「その者が武田の忍びとして、うぬは何者だ」
「殺せ!」
 別の侍が叫んだ。
「我らの企みを聞かれたのだ。生かしてはおけぬ」
「待て」
 安藤が制した。
「殺してはならぬ。生かして捕らえ、何としてもその正体と企みを吐かせるのだ」
「ほう」
 雲水が声をあげた。
「突っ込む事しか知らねえ猪武者かと思っていたが、そうでもねーらしいな」
「ほざけ!」
 抜刀しつつ、侍達が雲水めがけて殺到しようとし――ぴたりと足がとまった。
 一人の侍の足元の床に手裏剣が突き刺さっている。おそらくは雲水の仕業であろうが、何時放たれたものであるのかわからない。恐るべき手練であった。
「死にたい奴は来い」
 笑いを含んだ声で雲水が云った。それが脅しでない事は、今の手練を見て明らかであった。
「俺は、おめえらの敵じゃねえよ」
 雲水は云った。
「少なくとも小田原を取り戻そうとするおめえらの邪魔をするつもりはねえ。だからこそ三ツ者を始末してやった」
「では、きさまの狙いは何だ?」
 安藤が問うた。すると雲水は首を傾げた。
「さあ、そこのところが俺にも良くわからねえ」
「な、何っ!?」
 安藤は眉をひそめた。が、雲水はかまわず、
「ともかく、おめえらだけじゃ無理だ。本気で小田原を取り戻したいんなら、それなりの奴らの手を借りるしかねえ」
「それなりの奴ら?」
「ああ。冒険者だ」
「冒険者」
 安藤が吐き捨てた。
 小田原武士の冒険者に対する評は二つにわかれる。一つは小田原に対して良く尽くしてくれたというものだ。そしてもう一つは小田原陥落の遠因となったというものである。
 安藤は、後者の考えを持つ者であった。小田原は冒険者によって止めを刺された――そう安藤は考えている。
「冒険者の手など借りるものか」
「ならば死ぬんだな、信玄の首に手をかける事もなく」
 云うと、何の予備動作もなく、一気に数間の距離を雲水が飛び退った。
「小田原が完全に滅びようと、俺の知ったこっちゃねえ。が、忠告しておいてやる。お前らが突っ込んだところで、万に一つも信玄を討てる可能性はねえ。が、その可能性を大きくする事はできる。それは――はは」
 高笑いは闇の中に消えた。雲水の姿とともに。
 ややあって、夢から覚めたように松岡が安藤を見た。
「安藤様、彼奴、一体何者でありましょうか」
「わからぬ」
 安藤はかぶりを振った。
「何者であるのか。そも我らの敵であるのか、そうでないのか」
「それよりも」
 声を発した者がいる。
 これは老人で、吉野治兵衛という。慎重派として知られた老臣であった。
「冒険者の事でござる。いかがなされるおつもりか。わしにはあの雲水の申す事、一理あると思う。武辺一辺倒では、やはり信玄は討てぬ。ここはそれぞれの思いは捨てて、冒険者の知恵を借りるべきではござらぬか」
「ううむ」
 安藤は唸った。

 その数日後の事である。
 江戸の冒険者ギルドに極秘の依頼が出された。
 急ぎ小田原に来られたし。内容はそれだけであった。

●今回の参加者

 ea2011 浦部 椿(34歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ea3054 カイ・ローン(31歳・♂・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea3693 カイザード・フォーリア(37歳・♂・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 eb2237 リチャード・ジョナサン(39歳・♂・ナイト・人間・イギリス王国)
 eb2258 フレイア・ケリン(29歳・♀・ウィザード・エルフ・フランク王国)
 eb7876 マクシーム・ボスホロフ(39歳・♂・レンジャー・人間・ロシア王国)

●リプレイ本文


 残暑の日差しを浴び、東海道を下る六つの影があった。
 浦部椿(ea2011)。
 カイ・ローン(ea3054)。
 カイザード・フォーリア(ea3693)。
 リチャード・ジョナサン(eb2237)。
 フレイア・ケリン(eb2258)。
 マクシーム・ボスホロフ(eb7876)。
 生まれ、性別、人種まで様々だが、一騎当千の冒険者である。

 大磯宿を過ぎた頃。足をとめて、カイがふっと言葉をもらした。
「あとわずかで小田原だな」
 カイの眼に強い光がともった。怒りにも似た激情の光だ。
 カイは伊達の江戸支配と良しとしない。故に上総の里見に力を貸し、江戸城を攻めた。伊達を関東から追い出さんが為である。
 後一歩で力及ばず、里見の江戸城攻略は成らなかったが、カイ・ローンの名は里見家公記に英雄として記された。
 そのカイにとって小田原の陥落は他人事ではない。
「小田原に来られたし、か」
 氷の瞳のまま、リチャードが呟いた。
 依頼書に記された文言である。依頼主の名も内容も、他には何もない。
 マクシームが皮肉に笑った。
「よほど余人には聞かれたくない話なのだな」
「しかし、どなたもお節介やきなのですね」
 フレイアが口に手を当て、微笑った。煌く黄金色の髪がゆれる。
「お節介やき?」
 ちらりと眼をむけたのは紅の装束を纏った、髪も肌も雪のように白い娘。椿である。
「だって中身もわからない依頼に、小田原まで足を運ぼうというのですもの」
「馬鹿なだけだ」
 にこりともせずに独語したのはカイザードであった。コートの裾を蝙蝠の羽のように翻した騎士の姿は、どこか禍々しく風に吹かれている。
 そして冒険者は歩みだした。小田原を目指し――
 再び六人の冒険者達が足をとめたのは、小田原宿を目前に控えた街道の上であった。


「待て」
 冒険者を制したのは、マクシームであった。彼の研ぎ澄まされた感知能力は、この時、異様な気配をとらえている。
「あれか」
 マクシームは街道脇に眼をむけた。岩に三人の侍が腰かけている。深編笠をかぶり、面体は判然としない。
 冒険者の視線に気づいたものか、三人の侍が立ち上がった。
「卒爾ながらお尋ね申す」
 三人の侍のうち、中央に立つ侍が声を発した。声音から、どうやらかなりの年嵩と知れた。
「冒険者の方々とお見受けする」
「そうだ」
 カイが肯いた。その手は油断なく三叉槍を握りなおしている。
「そちらは、何者だ」
「今は申し上げられぬ」
「と云うところを見ると」
 ふふんとマクシームが笑った。
「名無しの依頼主殿だな」
「では」
「ああ」
 カイが一枚の紙片を取り出し、掲げて見せた。依頼書の写しである。
「依頼を受けた冒険者だ」
「おお、よくぞ」
 年嵩の侍が口を開きかけた、その時――
「ぬっ」
 別の侍の笠の内から、ただならぬ呻きがもれた。声音から、これはまだ若い男のようである。
 若い侍が、年嵩の侍に笠を寄せた。どうやら何か耳打ちしているらしい。


 六人が連れていかれたのは、ある寺の本堂であった。
 中には一人のがっしりとした体躯の男と、それに向かい合うようにして座す数人の男がいた。全員侍のようである。
 カイザードは本堂に入るなり、奇妙な違和感にとらえられた。迎えた男達の眼に憎悪がある。あるいは凶気か。
 何故――
 と思ったカイザードの疑念は、すぐに解消された。案内をつとめた年嵩の侍の一言によって。
「我らは小田原藩の残党の者でござる」
 年嵩の侍は告げた。笠をとり、老いて落ちついた相貌があらわになった。
「小田原藩の残党?」
 愕然として問い返したカイに、年嵩の侍は肯く。
「左様。わしは吉野治兵衛と申す。そして、こちらは安藤長門殿」
 年嵩の侍――治兵衛は、がっしりとした体躯の侍に眼をむけた。その侍――長門は、しかし答えず、ただ冒険者達を睨みつけていた。
「なるほど」
 椿は合点した。
 それで、わかる。彼らが憎悪に近い眼を冒険者にむけてくる訳が。
 小田原藩に止めを刺したのは味方の冒険者だったとの風評がある。それが事実である事を椿は知っている。
「貴殿らから見れば、私達は仇敵にも等しい。それが何故、手の込んだ真似までして冒険者を呼び寄せたのか?」
「――確か、浦部椿殿と申されたな」
「ご存知であったか」
 椿が苦いものでも噛んだような声で答えた。
 治兵衛の云う通り、椿は武田が来た時、小田原藩陣中にあった。駿河の北条早雲を動かそうと目論んだが果たせなかった。
 治兵衛は肯くと、椿を、そして他の冒険者達を見回した。
「我らの真の依頼、お聞きいただこう。我ら小田原藩の生き残りは、武田信玄を討つつもりである」


「信玄を討つ‥‥」
 フレイアは驚倒した。同時に猛烈な違和感を覚える。
 それは、一同の中に居るカイザードだ。カイザードは武田に仕えた。武田家の者の前で、武田信玄を討つ密議を謀る。これほど異常な、むしろ滑稽といってさえ良い構図があるか。
「ふむ」
 当のカイザードは、落ち着いている。
「大変なことを聞いた。では、私を殺す気か?」
「そのつもりだ」
 温厚そうな治兵衛ですらカイザードを憎悪に満ちた瞳で睨んでいる。
 この場で黒騎士を打ち殺し、反攻の狼煙にするつもりだ。
「待ってくれ。内容も書かずに呼んでおいて、武田だから殺すなんて話があるか。どうしてもカイザードを斬るというなら、俺達も敵に回す覚悟をしてもらおう」
 カイが間に入った。
「ほう」
 カイザードは呟きを漏らす。
「俺は約束を破る輩が許せないだけだ」
「そのようだな。小田原の衆、私を殺せば貴殿らの事は武田に漏れる。その程度には名の知れた男のつもりだ。斯様な不手際、ギルドも二度と仕事を受けまい」
「何?」
 冒険者を囲む武士の顔に動揺が走る。
「だが、私は一冒険者として依頼人の秘密は守るつもりだ。それが例え主家の大事でもな。よく考えて選んでもらおう」
 暫く緊張が続いたが、治兵衛が憎々しげな目で言った。
「ここでの事は決して口外せぬと、冒険者の誇りに賭けて誓うならば」
「賢明だ」
 カイザードは肯いた。
「はあ」
 フレイアは張り詰めていた息を吐き出す。あと少しで水の泡だった。彼らの傲慢さと想像力の無さはどうだ。安藤達は武田の者が来る事を予想していなかったか、来たら殺せば良いと考えていたのだ。
「で」
 と、冷めた声で促した者がいる。マクシームだ。
「あんたらの目論みはわかった。それで結局どうしたいんだ、あんたらは。死に場所を探してるのか? だったら私に手伝えることはないぞ。だが」
 マクシームの眼が凄絶に底光りした。
「小田原を取り戻す‥‥その為の智慧を出せというのなら話しは別だ」
「うむ」
 治兵衛の面に一瞬喜色がよぎった。
「我らの依頼はまさにそれでござる。小田原城に奇襲をかけ、一気に信玄の首をとる。武辺一辺倒の我らにはそれしか思いつき申さぬ。されど、我らにしくじりは許されぬ」
「それで私達の意見を聞きたいという事ですね」
 リチャードの青い氷でつくったような面に、ニヤリと笑みがういた。
 彼もまたスコットランドの再興を夢見ている者だ。亡国の民の想いはわかる。
「いいだろう」
 椿は肯いた。
「私は一度失敗している。罵られ、拒まれても当然の身だが、それでも頼りとしてくれるなら、私は貴殿らの力になりたい」
「矜持一つ保てぬのならば武士を辞めてしまえばいい。ですが、命を捨ててでも成すべきことがあると私は信じます」
 フレイアが静かな声で告げた。
 はっと小田原残党の者達の面に漣のような動揺がはしった。あの安藤にさえ。
 その時、すっとカイが立ち上がった。
「どこに」
「見回りだ」
 問う治兵衛に、カイが答えた。
「一つ言っておきたい」
「何でござろう」
「策しだいで、信玄を討ち小田原城の奪還も出来るだろうけど、武田と貴方達の戦力差を考えると‥‥何か考えはあるのかな」
「何の、信玄さえ倒せば小田原武士は皆立ち上がる。武田が立て直した頃には、もはや小田原に一分の隙もござるまい」
 安藤は自信満々に言った。
 時勢が味方して上手くいくと信じている。
「信玄が死んでも武田軍が弱体化するとは限らない。武田の後継者に城を奪い返させられる危険は高いな」
 カイは云う。何処かに明確な基盤を立ち上げるべきだ、と。
「そうすれば里見から支援を引き出せるかもしれない」
「里見か」
 松岡が声をもらした。
 反伊達の盟主を自任する里見と小田原藩残党。もしやすると同じ舟に乗る事ができるかもしれない。
 ふっと松岡が気づくと、すでにカイの姿はなかった。


「確かに、小田原城奇襲は無謀だ」
 カイの姿が消えた方をちらりと見遣り、椿は云った。
「少なくとも近くの支城からの増援を撃退、遅延できる状況を作らない限りは仕掛けるべきではない」
「そもそも狙うべき信玄の顔を見知った者はいるのかい」
 マクシームが問うた。すると松岡がきっと眼をむけた。
「俺が知っている」
「それは本当の信玄なのですか?」
「ほ、本当の――」
 リチャードの指摘に、松岡が息をひいた。
 信玄に影武者あり。その疑念に、今まで松岡は想到した事がなかったのだ。
 ふっとマクシームは慰撫するように笑った。
「たとえ信玄を知っていたとして、それだけで信玄の元まで辿りつけるとは思えない。江戸城と小田原城との違いはあるにせよ、あの里見が二千の兵で攻めても、たった二百の兵で守る伊達政宗の首をとれなかった。それに、このまま蜂起したところで傍からは不満分子の反乱としか見えない。小田原の領有を主張できる人物を用意する必要がある」
「殿が居られる」
 大久保忠吉は武田軍の手中にあるらしい。信玄は武田に仕えるよう説得したが拒み、監禁状態であるとか。
「大久保公が‥」
 フレイアは言いかけて、口を閉ざした。彼女はカイザードが居る所で策を語る気になれない。
「忠吉公は獅子身中の虫たろうとしているのではないか」
 椿は大胆で、カイザードに話しかけている。
「かもしれぬが、あの殿は根がお坊ちゃんに思えるな。武田に降伏しながら腹も切らず、服しきらぬのは、育ちの良さではないか」
「ふーむ。で、信玄には何人影武者がいるんだ?」
 リチャードは気さくに武田の情報を聞いた。
「私も知らない。いや知っていたとしても、さすがにそれは教えられんよ」
「まあな」
 よく平気で話せるものだとフレイアは呆れる。次に会う時は戦場で殺し合いだが、今は仲間‥というやつだろうか。武人の感覚は彼女には理解しかねた。
「私は気にせず話されるが良い。この程度、機密にも当たるまい」
 フレイアの表情に気づいてカイザードが言う。
「私が青ざめる程の秘策をお持ちなら別だが」
「まあ」
 フレイアは頬を膨らませたが、すぐにエルフは表情をあらためた。
「里見公が叩かれれば、最早関東に彼らの無道に抵抗する勢力はなくなります。故に、戦略としては上杉家に大久保家の再興の助力を願いでるのが上策かと」
「上杉か」
 安藤の口から軋るような声がもれた。
 武田に攻められた際、謙信は援軍を断った。事の是非は知らず、安藤達は謙信頼るに足らずの思いを強くしていた。
「最終的に小田原解放を狙うとしても、八王子か三河に合流するのが一番だ。小田原藩は源徳を離反した。これは忠吉公の決定だ。今のままでは貴殿らは只の大久保家浪人。まず源徳に帰参し、武士の大義をたてては如何か」
 カイザードが云った。その表情を和らげ、
「馬車を知っているか。私は小田原に馬車の通る街道を通すつもりだ。来年の今頃までには今の倍も賑わうだろう。この国には、西洋の技術を導入する事で豊かになる所が多々ある。その大事業を前に、気骨がある者達と束ねられる人材を永劫喪うのは残念でならぬな」
「ど、どの口でぬかす」
 松岡がきりきりと歯を噛み鳴らせた。
「平和であった小田原に攻め込み、踏みにじったのはどこのどいつだ。貴様ら武田の為に、小田原藩の有為の者が、いったいどれだけ死んだと思っているのだ」
 カイザードは眉をひそめた。
「遺憾なことだ」
 武田侵攻の実質的な戦闘は小田原城を囲んだ数日のみ。侵攻の規模に比べれば死傷者は驚く程少ないが、被害が誇張して伝わっている。
「どうもな。貴殿らは踊らされている。ここで暴挙に及んでも源徳、大久保の利にならぬ。定見もない貴殿らを激発させて利するは、北条だけだな。貴殿らを操っているのは北条ではないのか?」
 身に覚えはないかとカイザードは藩士達の反応を窺った。
「武田者が言っても説得力無いだろ」
 とはマクシーム。
「武田は北条の手から小田原を守るために侵攻したのかい?」
「違うな。武田は小田原が欲しかった」
「だろ。北条の事を悪く云っても言い訳に聞こえるんだがね」
 マクシームの口辺に嘲笑が刻まれた。
「それはそうだが‥‥私憤につけこむのは」
「私憤、だと」
 安藤がぎろりとカイザードに眼をむけた。
「どうやらうぬは、我らを武田に降伏させるが目的か。馬鹿め!」
 叫びざま、安藤が刃を鞘走らせた。
 抜き打ちの一刀は、横からのびた別の一刀に受け止められた。
 白鷺にも似た娘の姿がそこにあった。


 娘――椿が口を開いた。
「まだ話しは終わっていない」
 椿は刃をはずすと、
「民を煽り、武田から心を離すように策するのも手だ。人足の怠業や輸送路の破壊、一揆の扇動で武田の疲弊と戦力分散を誘ってからでも遅くないと思う」
「更に言えば」
 リチャードが続けた。
「武田は信玄の命を守る他、三つの要所を守る必要があります」
「三つの要所?」
 治兵衛が膝をすすめた。今や、彼は冒険者との密議に没頭していた。
「それは何でござる」
「港と街道、それに帰路です。全てを守るには膨大な兵力が必要で、一箇所に兵力を集中できないのが相手の泣き所です」
「うむ」
 治兵衛は唸った。
 しかし、今や小田原藩士のほとんどは武田にくだり、要衝を守るのは武田だけでなく彼らの同胞である。
「要衝を攻めおとしていけば彼らの心も揺らぐはず。続けば続くほど、武田の足元もぐらつく。資金は有限、三国全域に善政も万全の防備も敷けないはずですから」
「源徳と平織が和睦するとの噂もある」
 マクシームが告げた。
「もし和睦が成れば源徳は東国に兵を送るだろう。そのあたりを見極めつつ、決起の準備を進めてはどうかな?」
 マクシームが締めくくるように云った。そして――
 その刻は終わった。


 去りゆく冒険者の背を、深編笠をかぶった三人の侍が見送っている。
 安藤長門、吉野治兵衛、松岡周太郎の三人である。
 治兵衛が問うた。
「安藤殿、信玄を奇襲にて討ち取る事、いかがなされる?」
「うむ」
 笠が揺れた。その陰、安藤の眼には憎悪と共に、別の光がともっている。
「信玄を討ち取る事、諦めた訳ではない。が、その前にやらねばならぬ事があるようだ」
 安藤が答えた。
 
 今、亡国の兵は新たなる道に歩みだしたのであった。