【夜叉】幻鬼
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■ショートシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:5
参加人数:8人
サポート参加人数:2人
冒険期間:08月11日〜08月16日
リプレイ公開日:2008年08月25日
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●オープニング
●
ぶん、と棒が唸った。
空間すらひしゃげそうなその一撃には岩すら砕く破壊力が秘められている。人に受け止められるとは思えない。
が、虎魔慶牙(ea7767)は人ではなかった。鬼すら喰らう修羅だ。
がっと音たてて、慶牙は棒を刃で受け止めた。
「へっ」
ニヤリとすると、慶牙は棒の主である異形を見返した。
化生だ。人型の体躯に、獣を超える戦闘力を備えた魔物。鬼である。
慶牙は鬼どもを一瞥した。
山鬼と呼ばれる化生。戦闘力は決して低くない。数によっては侮れない敵だ。慶牙とても楽観はできないはず――
が、この場合、慶牙は再びニヤリと笑った。楽しくてたまらぬように。
勝てる喧嘩など楽しくない。勝てぬ相手に喧嘩を売るからこそ面白いのだ。
だからこそ村の依頼をたった一人で受けた。暇を潰すために。
「こいよ」
慶牙が人差し指で招いた。誘い込まれるように鬼どもは動き――
●
異変が起こりつつあった。
鬼一法眼の庵において、である。らんと小町がさやかを人質にとり、立てこもったのだ。
が、鬼一法眼は知らぬ顔である。かえって弟子の雄太の方が慌てた。
「お師匠様、放っておいていいのかい?」
「姫子」
知らぬ顔のまま、鬼一法眼は姫子を呼んだ。すると可愛らしい女の子がぴょんとはねるように走り寄ってきて、
「なあに、法眼様」
「喉が渇いた。井戸に浸けた西瓜が冷えているはず。とってきてくれ」
「はい」
駆け出そうとした姫子を、しかし法眼は呼びとめた。
「あの娘達も喉が渇いているだろう。この暑いのにたてこもっているのだからな。分けてやれ」
●
刃が疾った。
黒影は空に舞い、慶牙の頭上を踊り越え、再び地に降り立った。
「何の真似だ」
黒影が問うた。その手には、何時の間に抜き出したか手裏剣が握られている。刃にはべっとりと血が付着していた。
「この前の礼だよ、白蛇丸」
ニンマリすると、慶牙は頬の傷から滲み出る血を拭いとった。白蛇丸の手裏剣によってつけられたつけられものだ。
驚くべし。慶牙の刃を避ける転瞬の間に白蛇丸は刃をふるっていたのであった。
「礼、だと」
「ああ。久々に面をあわせたんだ。腕がなまっちゃいないかと心配になったんでな」
「ぬかせ」
振り向きざま白蛇丸と呼ばれた男が跳んだ。一気に慶牙との間合いを詰める。
「はっ」
鋭い呼気とともに慶牙もまた刃を唸らせた。その刃には熱気のような殺意がこもっている。それは白蛇丸とて同じだ。明確な殺気を抱いて慶牙に迫り――
ぴたりと慶牙と白蛇丸の動きがとまった。
とめたのではない。とめられたのだ。彼らの足元に突き刺さっている一本の手裏剣によって。
何者か。慶牙と白蛇丸ほどの手練れを、たった一本の手裏剣によってのみ封じる事のできる者は。
「まったく」
手裏剣の主が溜息を零した。
「魁厳か」
呟き、白蛇丸はぎらりと眼を光らせた。が、動こうとはしない。
彼は知っている。磯城弥魁厳(eb5249)という異形の冒険者が端倪すべからざる技量の持ち主である事を。もし魁厳が本気で手裏剣を放っていたら、今頃はどうなっていたか。
「わしも忙しい。早く依頼の内容を聞かせてもらおう」
魁厳が云った。
彼は伊達家家臣、黒脛巾組の一忍だ。噂では藤豊秀吉の仲介により源徳と伊達との講和がなされようとしているらしい。伊達家家臣としてはやるべき事はやまほどあった。
「いいだろう」
慶牙が肯いた。
「もうすぐ夜刀衆の首元に手が届く。今回はその為の布石だ」
●
「あいつ、やっぱり馬鹿ね」
戸の隙間から外を窺い、らんが吐き捨てた。隣では小町が西瓜にむしゃぶりついている。
「って、あんた、何食べてんのよ」
「だって喉が渇いてたから。法眼って気がきくよね」
「馬鹿!」
らんが怒鳴りつけた。その時――
「もしかすると、あの人は見抜いているのかもしれない」
声がした。
さやかだ。部屋の隅に座っている。
「これが狂言である事に」
「えっ」
嘲笑おうとして、らんの顔は強張った。
鬼一法眼の行動には、確かにそうと思えるふしがある。慌てず知らん顔で、その上西瓜を差し入れするなど常軌を逸していた。
「あいたが狂言である事に‥‥」
らんの口からかわいた声がもれた。
そう。さやかを人質にとっての、らんと小町のたてこもりは狂言であった。さやかの方から申し出て来たのだ。
目的は三人の釈放と、夜叉を殺した冒険者を連れて来る事。が、いっこうに鬼一法眼が動く様子はない。
「どうする?」
小町が不安そうな眼をむけた。
「犬鬼から届いた翁様の命は果たせなくなっちゃったし」
「そうね」
らんが腕を組んで眼を伏せた。
鬼一法眼の庵に連れて来られてしばらく経った頃、実はらんたちは翁と連絡をとっていた。犬鬼のテレパシーにより、ある命をくだされたのだ。
戻りたくば大蛇を潰せ。冒険者を使って。
大蛇とは、江戸の闇にひそむ暗殺者集団の一つであった。もし翁の事を冒険者達が追及しようとしたら偽の情報を流し、大蛇を翁に仕立て上げ、その上で冒険者を操ろうと翁は目論んでいたのであった。
その目論見は九分九厘まで成功しつつあった。後少しで冒険者達は翁に仕立て上げられた大蛇を潰しかけていたのだ。
が、その目論見はあえなく潰えた。たった一人の冒険者によって。
その冒険者は、あろうことか大蛇の潜伏場所へと一人で乗り込んでいったのだ。その為に大蛇は地下に潜った。その行方を追う事は、いかな夜刀衆であろうと容易くはない。
「せっかく白蛇丸って奴を騙してやったのに」
小町は唇を尖らせた。らんはちらりとさやかを見遣った。
何を考えているのかわからないけれど、いざとなれば本当に人質にとってここを脱出する。その上で殺す。そうすれば大手を振って戻れるわ。
らんはほくそえんだ。
その視線の先、さやかはただ黙したまま座っていた。その眼に謎めいた光を浮かべたまま。目的はただ一つ――
●リプレイ本文
仕舞われて
息を潜めし
幻を咬む
想いは澱む
庵の暗闇
●
「立て篭りとは」
呆れたような、またはうんざりしたような声をあげたのは薔薇の花のように美しい若者であった。名をクリス・ウェルロッド(ea5708)という。
マリス・エストレリータ(ea7246)が可憐に微笑った。
「あの子達は元気ではあるみたいですな」
「それどころじゃないわよ」
セピア・オーレリィ(eb3797)が肩を竦めた。わずかに身動ぎしただけだが、それだけで胸がぷるんと揺れる。凶器じみた肢体の持ち主であった。
「前回もあわやって感じだったけど、今回もいきなり飛ばしてるわね」
「ふん」
クリスは嘲笑った。
「それよりも立場をわきまえて欲しいものだ。私にしてみれば小鬼は捕虜のようなもの。いっそ片方を消して、図に乗るとどうなるか、見せしめにでもした方が効率が良いと思いますがね」
ぞろり、と物騒な事を平然と云う。
刹那だ。冷気にも似た殺気が流れた。同時に熱風の如き殺気が吹いた。
ごうと空間がゆがむ。それは異なる質の超絶の殺気がぶつかりあった故に生じた現象である。
「やってみるかい」
ニヤリと笑ったのは熱風の殺気の持ち主、虎魔慶牙(ea7767)である。
「どうもお前さんと白蛇は血生臭い事を好むようだな。まぁ、俺も同じ穴の狢なんだが」
面白そうに大笑すると、
「が、な。みすみすあいつらを殺させるつもりも無いんでねぇ。もしあいつらに手を出す気なら、俺が相手になるぜえ」
「俺もだ」
告げたのは無頼と実直、野生と繊細さを兼ね備えた男であった。
陸堂明士郎(eb0712)。氷の如き殺気の持ち主である。
「あの娘達を気にかける友がいるのでね。その友為に、お相手致してもよいが」
「いいえ」
妖しく青い瞳を煌かせつつ、クリスはかぶりを振った。
「生憎と、そんなお遊戯に付き合いたくはないのでね。私は別のところに向かうとしましょう。さやかとらんが双子の姉妹と聞いたところに」
「何っ」
「チッ」
呻く声と舌打ちの音は同時に響いた。
呻いたのは慶牙であり、舌打ちしたのは先ほど慶牙が白蛇と呼んだ男――氷雨雹刃(ea7901)であった。
「それは本当か」
勢い込んで慶牙が問うた。するとクリスは冷笑を返し、
「あれほど似ているのです。本当だと考えた方が自然でしょう」
答えた。そしてぞくりと身を震わせた。
クリスの背に針のように尖った視線が突き刺さっている。その主は確かめずともわかる――雹刃だ。
実のところ、雹刃はさやかとらんが共食いすればよいと考えていた。
可憐な少女が殺しあう。それは凄惨かつ美しい光景だ。それを見てみたい――というのもあるが、雹刃の企みはもっと蛇のように冷血であった。噛み合わせ、食い合わせ、生き残った方を配下としたいと彼は考えていたのだ。
雹刃は口を歪めた。
「ガキの遊びなどに付き合ってられるか。放っておけ」
「そうはいかへん」
西園寺更紗(ea4734)が答えた。
「またおまえか」
ぎろりと雹刃が更紗を睨みつけた。が、更紗は平然とその視線をはねかえした。
「そうや。文句でもあるん」
「ほほう」
雹刃の顔に爬虫の笑みがういた。
「前から気に食わぬ女と思っていたが。ぬかすわ、女の分際で」
「女?」
更紗の眼がすっと細くなった。青い殺気の光がその眼からもれでている。
「せやったらその女の剣、受けてみる?」
「やるか」
雹刃の手もまた小太刀の柄にかかった。
その時だ。渦巻く殺気をものともせず、一人の異形が更紗と雹刃の間に割って入った。そしてふふっ笑った。
河童の忍び、磯城弥魁厳(eb5249)である。
「お二人とも元気が有り余っておられるようじゃの」
「ふん」
すぐさま雹刃は背をむけた。
「ガキもそうだが、女と遊んでいる暇もない。俺はいくぞ」
「どこへ」
「こいつのところへ、さ」
雹刃は右目を閉じて見せた。
「おそらくはジャパンで最も強い男のところへ、だ」
●
江戸。夜半――
豪壮な屋敷の塀上に、ふっと人影がわいた。
漆黒の装束を纏っている。気配を絶ったそれは人型の闇だ。
雹刃である。
「これが柳生屋敷か」
雹刃の口から呟きがもれた。夜刀衆の情報を得る――その目的の為、柳生十兵衛を探して彼は江戸にある柳生屋敷を訪れたのであるが。
人の気配がない。
柳生家当主たる柳生宗矩は、家康が三河におちのびた際、共に彼も三河にくだっている。それ故、現在柳生屋敷は無人であった。
「無駄足か」
雹刃が舌打ちした。
その時だ。気配が立ち上った。
左右、そして後ろ。雹刃を三方で取り囲む形。簡易的な結界だ。
「何者だ、うぬら」
「とは、こちらの台詞だ」
声がした。屋敷の内からだ。
ぎくりとして雹刃は身を強張らせた。
屋敷の内に、確かに人の気配はなかった。が、事実として何者かがいる。それは、声の主が雹刃ほどの手練れの忍びにすら気配を読ませぬ恐るべき存在である事を示唆していた。
「何者だ。答えねば、殺す」
「白蛇丸。冒険者だ」
雹刃が答えた。
「柳生十兵衛に会いに来た」
「兄上に?」
がらりと戸が開いた。そこに雲水姿の若者が立っていた。いや、若者というより少年といった方がよいか。
端正ともいえる相貌の中で、異様に鋭い眼が光っている。異相といえた。
雹刃は眉をひそめた。
「兄上‥‥だと」
「白蛇丸と申したな」
少年が問いかけた。
「ああ」
「もし兄上に会う事があれば伝えてもらいたい事がある。柳生義仙が必ずお命を頂戴すると、な」
告げると、少年――柳生義仙はニヤリとした。一瞬後、三つの気配は跡形もなく消滅している。
対する雹刃もまたニンマリとした。
「命がけの兄弟喧嘩とは、またご苦労な事だ」
捨て台詞を残すと、軽々と雹刃は闇の空に身を舞わせた。
●
鬼一法眼の庵に冒険者達が辿り着いたのは二日目の昼前であった。
「暑いの」
マリスは額にういた汗を拭った。
「全くだ」
慶牙が苦く笑った。
「こんな日に篭もるなど、あいつらもご苦労な事だな。うん?」
慶牙が眼を瞬かせた。
庵の柱にもたれて一人の若者が座している。陽炎に揺れているものの、暑さなど微塵も感じさせぬ玲瓏たる美影身。鬼一法眼だ。
「どうやらあいつだけは別物らしい」
歩み寄ると、どっか慶牙は鬼一法眼の隣に腰をおろした。
「さやかたちの様子はどうだ」
「相変わらずだ」
答えると、鬼一法眼はちらりと慶牙を見遣った。
「で、どうするつもりだ」
「うむ、それよ」
さして当惑した様子もなく慶牙は笑った。
「あのさやかが、そう簡単にらんと小町に人質にとらえられるとは思えねえんだが‥‥まずは話してみるか」
「そうね」
セピアが小さく首を縦に振った。
「翁さんのところに戻りたいのかもしれないけど、こんなやり方でここを出ようとするなら、大人として、心配する者としてやっぱり小鬼の二人、それとさやかちゃんを止めなきゃいけない」
セピアが云った。いつもは妖しく光っている彼女の紅眼に、今たゆたっているのは真摯な光だ。
セピアは戦意のないしるしとして聖槍グランテピエを地に突き刺した。
「冒険者よ」
更紗が叫んだ。すると庵内部で気配が動いた。
「来たわね」
応えがあった。声から察するにらんだ。
その時、そっとマリスが耳打ちした。
「テレパシーで確認してみましたのじゃ。さやか様は生きておられますのじゃ」
「そう」
更紗がほっと息をついた。そして庵を見つめ、再び声をかけた。
「とりあえず腹割って話し合いまへん? そないなとこにおったらお腹も減るし喉もかわくやろ。とりあえず冷たい飲みもんも菓子もあるし、どない?」
「馬鹿!」
怒鳴り声が返って来た。
「水と食べ物だけ置いて、退れ!」
「仕方あらへんなあ」
更紗の眼が剣客のそれと化した。
「あんたらの要求は一体何なん?」
更紗が問うた。
この時点、一件に不審をもっているのは慶牙のみであって、その慶牙でさえも小鬼の二人が翁の命により冒険者を罠にかけたとは気づいていない。未だ冒険者達は大蛇の事を翁だと思っている。
「わたしたちを解き放つ事よ」
庵の中かららんの声がした。
「それから夜叉を殺した冒険者を連れて来る事。あんたらが来たって事は、クリスって奴を連れて来たんでしょうね」
「やはり目的はクリスか」
ふふん、と虎の笑みを口辺に滲ませ、慶牙が立ち上がった。
●
そのクリスは上州にいた。さやかとらんの母親を探す為に。
そして――
今、クリスの前には一人の女がいた。
名は吉。さやかとらんの母親と思しき女であった。
「さやかとらんという名の双子の姉妹が行方知れずとなったとか」
「ええ」
吉は肯いた。
「もう十年以上も前の事になりましょうか」
「その後、二人の行方は?」
「全く。神隠しにでもなったのだろうという事になり、そのまま‥‥」
吉が言葉を途切れさせた。
本当は触れたくはない話題であるのだろうが、相手がクリスとなると別だ。彼はその桁外れの美貌によって女の魂を蕩かせ、巧みな弁舌によって女の心を掴む。まさに天使の姿をした魔性といえた。
と――
その時、入り口から一人の少女が駆け込んできた。年の頃なら十ほど。
はっとクリスが眼を見開いた。
その少女の顔立ち。目鼻立ちがはっきりとしていて、どちらかといえば勝気そうで――似ている、さやかとらんに。
「娘の美穂です」
「美穂――」
クリスが呟いた時だ。
蜘蛛の糸が頬にからみついたような、微細な違和感を彼は感得した。
「これは――」
クリスが眼をあげると、ふっと違和感は消失した。
●
きら、きらと。
森の中を流れる清水が陽光をはねちらしている。
と――
突如、その清水に泡が立った。次いで、水を割ってぬらりと頭が現れた。魁厳である。
「立て籠る場合、協力者が不可欠のはずでございまするが、さて‥‥」
魁厳は呟いた。その言葉通り、彼はさやかたちに協力しているはずの翁の手の者を探しているのだが――
その魁厳の考えは、本来は誤りであった。立て篭もりなどの場合、追い詰められた場合が主で、むしろ協力者などない場合が多い。しかし、その誤謬は思わぬ結果を生む事となる。
「ぬっ」
魁厳の眼がぎらりと光った。
樹間に潜むようにして、一つの人影があった。
枯れ木のように痩せた男。不気味な雰囲気を漂わせているが、特に気配を隠していない。
「あれか‥‥」
隠形のまま、魁厳は再び水没した。
●
ずうん、と。
巨岩のように影が庵の前に立った。慶牙だ。
「お前ら」
慶牙が呼びかけた。が、応えはない。かまわず慶牙は続けた。
「この前、お前らは世の為人の為に殺すとかぬかしたなあ。ならば殺された純、そして殺されかけたお前らは、世の為人の為にならんという事か? 馬鹿な。子供を使い捨てにするのが世の為人の為? 笑止」
慶牙の口が歪んだ。
刹那である。噴き上がる闘気が炎のように慶牙の全身を包んだ。そして、まるで爆発が起こったかのように同心円状に広がった殺気の波が庵を震わせた。
ややあって慶牙は続けた。
「保身と自己欲を満たす為の行為を美化し、謳ったものが何の為か。そんなもの神が許しても俺は許さん。もし神が許すなら神を、世界が許すなら世界を斬り捨ててくれる」
告げた。
その慶牙を、庵の中からじっと三人の少女が見つめていた。
この男ならやりかねない。少女達は思った。たった一つの花の為にでも、この男なら全世界に喧嘩を売ってみせるだろう。
「馬鹿」
と、もらしたは誰であったか。
その時、クリスはいない、と慶牙は云った。
「が、誰が夜叉を殺したか。結果として依頼に参加した者全てが夜叉を殺したのだ。つまりは、この俺もまた夜叉の仇よ。殺したくば、いつでも来い。お前らの殺意全て受け、そして、守ってやる」
「嬢達よ」
違う声が響いた。それは血気だった三人の少女を一瞬にして静めるに足る不可思議な響きのこもった声音で。――明士郎である。
「あのまま命じられて殺しを続けていれば、何時かその因果は己自身に跳ね返る。虎魔殿が何故嬢達を助けたと思う? それは彼が夜叉を知っていたからだ。他の冒険者なら既に嬢達の命は無い。その意味をよく考えて欲しい。もし、嬢達が翁なる人物の元へ戻るつもりならやめておけ。純殿を殺した連中、翁と無関係だと思うか? さやか殿を手土産にすればと考えているなら尚の事。さやか殿の次はお前達だ」
「‥‥」
らんには言葉もない。いざとなった時の目論見を看破されて愕然とした事もあるが、それより何より明士郎の凄愴の気迫に気圧されていたのだ。
「違う」
誰にも届かぬ声でさやかが呟いた。
「殺したいのは‥‥殺されたいのは、あんたじゃない」
と――
さやかの脳裏で声が響いた。
●
「テレパシーを送りましたのじゃ」
マリスが慶牙を見上げた。
「ふむ。何と?」
「ここを出てどうするつもりかと問いましたじゃ。しかし応えがなかったので、翁の所には戻れない筈である事、そして組織の方もらん様たちを探しており危険である事などを伝えましたじゃ。それかららん様とさやか様が双子の姉妹であった事なども」
「おい、あんた――」
慶牙が口を開きかけた時だ。
がらりと庵の戸が開いた。そして中から三人の少女が現れた。
「わかってくれたのね」
セピアが胸を撫で下ろした。刹那――
らんがさやかの首に、刃のように尖らせた石を突きつけた。らんの技量をもってすれば首筋を断ち切る事など造作もないだろう。
さすがの更紗も動揺しつつ、それでも抜刀した。らんから放射される明確な殺気を感得した故だ。下手に邪魔立てすれば、らんは容赦なくさやかを殺すだろう。
「やめなさい。相手ならうちがするわ」
「邪魔をするな!」
らんが叫んだ。
「わたしは翁様に会わなければならないんだ!」
「嬢ら‥‥」
らん達の逃走を阻もうとし、明士郎は凍結した。
彼の陸奥流は迅い。が、いかな明士郎であっても、彼が間合いを詰める前にらんの刃はさやかを引き裂くだろう。それに――
明士郎は、らんのみならずさやかの眼にも異様な光がともっている事を見とめていた。見抜き得たのは将たる器持つ明士郎なればこそであったが。
ともかく、何かが彼女達を変えたのだ。それはマリスのテレパシーに起因するものである事は明白であった。
慶牙の口から押し殺した声が迸り出た。
「さやか。まさかとは思うが、死ぬ気じゃああるまいな?」
「わたしは――」
途切れて、消えた。さやかの答えは。
そして――
三人の少女達の姿も消えた。
●
獣並みの身ごなしで魁厳は疾走していた。
江戸において、彼は伊達忍び――脛巾組の仲間に問うた事があった。上州から駿河にかけて不穏な動きをする者達がいないか、という事を。
が、此度の依頼に役立ちそうな情報は得られなかった。脛巾組が知るのは、あくまでも各国の情勢にかかわるものに限られていたからだ。
残る手掛かりは――
魁厳は眼を眇めた。その視線の先、樹間に潜んでいた男が疾駆していた。