【沼田城風雲記】軒猿
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■ショートシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:5
参加人数:5人
サポート参加人数:-人
冒険期間:11月05日〜11月12日
リプレイ公開日:2008年11月17日
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●オープニング
●
沼田城天守に一人の若者が立っている。秀麗なその表には暗鬱な色が濃い。
沼田城城主、北条三郎である。
「三郎様」
「蛍か」
振り向き、三郎はやや表情を綻ばせた。
一人の娘が控えている。切れ長の眸の涼しい美少女である。
風魔の蛍。
触れれば折れそうな可憐さではあるが、越後に至る道中において、彼女はすでに幾人もの真田忍者を屠っている。実に端倪すべからざる女忍者なのであった。
「どうした?」
「源徳が駿河に」
蛍は告げた。
上州にいながら、蛍は源徳家康の動きを的確に掴んでいた。風魔一族の報せによるものである。さらに三郎は軒猿よりも報告を受けていた。
「わかっている」
三郎は肯いた。
本当のところ、三郎はそれほど駿河の事は心配してはいない。いや、全く案じていないというのではないが、何といっても駿河を治めるのは北条早雲である。信じて任せておけば何とかするだろう。
それよりも懸念は上州の事である。
新田の赤城砦が全滅した。生き残った者の証言によると、下手人は上杉の者であるという。
それが事実である事は軒猿によって確かめてあった。確かに赤城砦の新田兵は皆殺しにされている。
しかし三郎は別の情報も掴んでいた。
赤城砦襲撃の主は冒険者であるというものである。その事実を、三郎は当の冒険者からもたらされた。そして拉致してきた中川助蔵という新田軍足軽組頭を引き渡された。沼田襲撃の首謀者であるとして。
が、三郎は中川助蔵の受け取りを拒絶した。
もし中川助蔵を受け取ってしまえば、赤城砦全滅の下手人が上杉であると認めた事になってしまう。たとえ知らぬと主張しても新田が承知すまい。
その意味で、三郎は冒険者と名乗る者達の正体こそが悪魔ではないかと疑っていた。鬼道八部衆などともっともらしい事を云っているが、その実彼らこそ陰謀の主であり、冒険者であると偽って罠にかけようとしているのではないかと。
「蛍、檜垣兵助を呼べ」
「檜垣兵助? 軒猿をでございますか」
「うむ。沼田に冒険者が現れたら捕らえさせるのだ。糾明したい事がある」
「承知しました」
澄んだ黒瞳に憂いを秘めて、蛍が小さく肯いた。
●
上州と江戸。
離れてはいるが、この江戸の地にも憂いを瞳に滲ませている者がいる。
カーラ・オレアリス(eb4802)。一人、上州を覆う暗雲に挑む冒険者だ。
「赤城砦の方を皆殺し? 一体何があの後起こったというのでしょうか」
我知らず、カーラは口にだして呟いていた。
カーラを含めた冒険者が赤城砦に潜入し、沼田を攻めた張本人である中川助蔵という足軽組頭を捕らえた。襲撃し、赤城砦の新田兵を皆殺しにしたのはその後であろう。
が、おかしい。襲撃者が何者であるかはわからないが、冒険者が中川助蔵を拉致した直後に赤城砦を襲ったのは偶然過ぎはしないだろうか。まるで此方の行動が読まれているかのようだ。
「カーラ殿」
呼びかける声がした。はっと思考の糸を途切れさせ、カーラは眼を瞬かせた。
眼前に二つの人影が立っている。
一人は爽やかな笑顔の若者だ。カーラはその若者の名を知っている。
青木新太郎。冒険者と名乗る若者だ。
しかし、もう一人の若者は知らなかった。眼を糸のように細め、にこやかに笑っている。
「青木様。この前はお世話になりました」
「いや」
新太郎は首を振ると、もう一人の若者を藤井宗蔵であると紹介した。
「友人だ。彼も冒険者でな。カーラ殿の事を話したら力を貸ししたいと云ってきかぬのだ。もし、またカーラ殿が上州に赴くつもりなら、今度は彼を連れていってはもらえぬだろうか」
「それはかまいませんが‥‥」
カーラは新太郎から宗蔵に眼を転じた。宗蔵は相変わらず菩薩のように微笑っている。何を考えているか読み取れぬ若者であった。
「ではお力をお貸しください」
「はい」
宗蔵が肯いた。さらに笑みが深くなり、唇の端がつっと吊り上がった。
●
上州前橋の蒼海城城下。
ある屋敷の中庭を前に、ごつい体格の一人の侍が佇んでいた。新田軍足軽大将の一人である丹羽内記である。
「幽鬼よ」
内記が口を開いた。
「中川助蔵を殺し、赤城砦の新田兵を虐殺した者、何奴であろうか」
「沼田の上杉に間違いござるまい」
答えたのは内記の背後、座敷の下座に座している者であった。
侍だ。膝元にとてつもなく巨大な槍を横たえている。名を幽鬼蔵人といった。
嘲笑はその侍の口から発せられたのであった。
「赤城砦の生き残りの者の証言。さらには中川殿の遺体が沼田にて発見された事。すべてが上杉の仕業である事を物語っておりまする」
「で、あろうな」
内記が肯いた。
「赤城砦の兵と沼田が揉めている事、知ってはおったが‥‥とうとう沼田が手を出してきたか」
「左様でござりましょうなあ」
蔵人がニヤリとした。
「聞けば沼田城主の北条三郎と申す者、謙信ほどの者に気に入られたなかなかの切れ者らしゅうござる。もしやすると沼田では満足できぬのかもしれませぬなあ」
「何!?」
愕然とした様子で内記が振り向いた。
「沼田が新田を攻めようとしているというのか」
「かもしれぬという事で」
蔵人は再びニヤリとした。
「が、そうなってからでは遅うござります。また丹羽殿の責任問題にもなりましょう。そうならぬ為、早急に手をうつ事が肝要かと。さすれば丹羽殿の新田における立場も‥‥ふふ」
蔵人は云った。それは甘美な誘いであり、同時に脅しでもあった。
「うむ」
沈思し、やがて内記は顔をあげた。
「沼田攻略の事、栗生様に具申した方がよさそうだな」
同じ頃、沼田城下にある屋敷でも、一人の侍が中庭に向かって立っていた。
剛直そうな相貌の侍。この屋敷の主である宇佐美定満であった。
「檜垣」
呼ばれ、中庭に座した男が顔をあげた。眼の鋭い、俊敏そうな若者である。
「三郎様が沼田に潜入した冒険者を捕らえよと申されたと?」
「はッ」
檜垣と呼ばれた若者が肯いた。
「問いただしたい事があると申されておられました」
「そうか‥‥」
定満は呟き、すぐにきっと若者――檜垣兵助を睨み据えた。
「聞けい、檜垣よ。冒険者を捕らえる事は無用じゃ」
「無用?」
兵助の眼に不審の光が揺れた。
「それはいかなる事でございましょうや。三郎様は冒険者を捕らえよと――」
「黙れ」
静かな、しかし反抗を許さぬ声音で定満は命じた。
「軒猿が仔細を知る必要はない。殺せと命じられれば殺し、死ねと命じられれば死ぬるがうぬらの宿命」
「はッ」
兵助は面を伏せた。
「では、冒険者は」
「殺せ」
定満は告げた。
「上杉に仇なす化け物――わしはかねてより冒険者をそのように見ておった。そのような者どもが沼田領内を跳梁している事を見過ごしにはできぬ。三郎様に会わせる事もな。いかに英邁であらせられても三郎様は何といってもまだ若い。冒険者どもに誑かされる事がないともいえぬしな。故に――殺せ」
「はッ」
兵助が答えた。
次の瞬間だ。朝日に照らされた霧のように兵助の気配は消えうせていた。
●リプレイ本文
●
小春日和というには、あまりにも暖かく、日は眩しく輝いていた。が、江戸の冒険者ギルドの一室には重苦しい沈黙が落ちている。
そこには五人の冒険者が顔をあわせていた。
八城兵衛(eb2196)。
ヴァンアーブル・ムージョ(eb4646)。
カーラ・オレアリス(eb4802)。
シェリル・オレアリス(eb4803)。
マクシーム・ボスホロフ(eb7876)。
いずれも一騎当千の強者であり、なおかつ沼田の乱の鍵ともなる者達であった。
「しくじったな」
マクシームの口から鉛のような声がもれた。この男には珍しく、その相貌から不遜の翳は拭い去られている。
前回、マクシームを含めた六人の冒険者が上州をに赴き、赤城砦に潜入した。そして沼田襲撃の張本人ともいうべき中川助蔵という新田軍足軽組頭を連れ去ったのであった。
当初、冒険者達はこれで沼田にかかる暗雲に切れ目を入れる事に成功したと思った。が、冒険者達が去った後、赤城砦が何者かに襲撃され、砦の兵が皆殺しになった。
のみならず、その虐殺の下手人は上杉の者であるとの風評が流れていた。それは当の冒険者――と共にあった青木新太郎という若者の一言に因があるのだが。
マクシームは忌々しげに唇を噛み締めた。
彼の脳裏にはある光景が蘇り、明滅している。それは赤城砦潜入の際の光景だ。
その時、見張りの新田兵に上杉の者かと問われ、青木がそうだと答えた。赤城砦全滅の下手人が上杉の者だという疑いがもたれるとするなら偏にその一事しかなく。
「気の毒だが、あの兵の口は即座に封じた方が良かったのだろうか? そうすれば今の事態を避ける事はできたのでは‥‥」
自問するかのように呟き――ふっとマクシームの黒瞳に光がともった。
「まてよ、何かがおかしい」
「おかしい?」
カーラが南洋のように澄んだ眼をむけた。そして小首を傾げ、問うた。
「何がおかしいのですか?」
「あの時――青木が上杉の者だと名乗ったときの事だ」
マクシームが答えた。
その瞳の光が次第に強まりつつある。マクシームの眼は、霧の中に霞む何かの像の姿をとらえつつあった。
「あの時、いうなれば私達は賊だった。その賊がだ、喜んで身元を明かすだろうか」
「なるほど」
兵衛がニヤリとした。
「上杉の者かという新田兵の誰何に対して、即肯定した青木の態度が引っかかっちゃあいたんだ。まるでそこに上杉勢がいないと拙いかのような行動‥‥疑うには十分だぜ」
「待ってください」
慌てて声を発したのはカーラだ。
「青木様は私達と同じ冒険者です。それを疑うなんて‥‥姉さんも知っているはずです。悪魔の襲撃から青木様が身を挺して私達を守ってくれた事を」
カーラは救いを求めるかのように姉のシェリルを見た。
「そうなんだけれど」
シェリルは辛そうに首を振った。
「カーラ、あなたは人が良すぎるわ。それは、考えようによっては青木新太郎が私達に近づく手段であったとも――」
「そんな」
カーラが言葉を失った。と――
脳天を鉄杭でうたれたかのような衝撃に、カーラははっと眼を見開いた。
「で、では藤井宗蔵という方は――」
「怪しいのですわ」
即座に、そしてこの女性にしては珍しく冷徹ともいえる声音でヴァンアーブルが答えた。
「青木さんの友人なのですわ。怪しくないはずがないのですわ」
「よし」
マクシームがニヤリとした。そしてシェリルを見た。
「確かシェリルさんはデッドコマンドの魔法を身につけていたな」
「ええ」
シェリルが肯いた。
「それが?」
「私に考えがある」
マクシームの眼の底に光がゆらめいた。それは、獲物を狙う狩人のみがもちうる光であった。
●
しとしと降り出した雨が破寺の屋根をたたいている。
その雨音を耳に、冒険者達は本堂にいた。隙間から忍び寄る寒気に、藤井宗蔵を含めた六人の冒険者は身を震わせている。
「明日は上州なのだわ」
ヴァンアーブルがふともらした。すると思い出したかのように兵衛が宗蔵を見た。
「青木さんも来たかっただろうな」
「ええ」
宗蔵はゆるりと肯くと、
「彼は正義感のつよい人ですからね」
「その青木さんの事だが」
兵衛が切り出した。
「彼とはどういう知り合いなんだ?」
「依頼で知り合ったのです。鬼退治でした」
「鬼退治か」
と、今度はマクシームが溜息に似た声をもらした。
「沼田には鬼以上の魔物が蠢いているのかもしれん。そういえば――」
マクシームがシェリルに眼を転じた。
「シェリルさんはデッドコマンドを身につけたらしいが‥‥本当か?」
「ええ、まあ」
曖昧にシェリルは肯いた。マクシームはニヤリと笑んで見せると、
「そいつは凄い。死人に口無しというが、シェリルさんにかかっては、な。そうだろう宗蔵サン」
「そ、そうですね」
宗蔵の微笑が深くなった。
その笑顔を盗み見――マクシームは気づいた。宗蔵の糸のように細められた眼。その中に一瞬閃いたのは刃の光ではあるまいか。
ちらとマクシームと兵衛が目配せし――
兵衛がごろりと横になった。
「明日は早い。もう寝ようぜ」
深更。
すでに雨はやんでいる。が、暗雲はあつく、辺りは漆黒の闇に塗りつぶされていた。
その中で――
音もなく身動ぎする者があった。闇の為に顔はわからない。
「わかったな」
その者はささやくような声を発した。
「しかと伝えるのだぞ」
命じた。が、その者の他、なにものの姿も見えず。ただ地をこするような、かさ、という音がした。
刹那、空を裂く鋭い音が響いた。
「ぬっ」
その者の口から呻きがもれ――
天の気まぐれか、暗雲が割れた。そして銀色の月光が一筋降り注ぎ、その者の姿を浮かび上がらせた。それは――
「こいつはどういう事だ」
地に突き立った矢を、マクシームはぐいと引き抜いた。月光に煌く鏃は一匹の鼠を貫いている。
「デッドコマンドの事を伝えて、どうするつもりだったんだ」
「わ、私は知りませんよ」
その者――宗蔵はかぶりを振った。
「云いがかりはやめてください」
「いいえ」
叱咤にも似た声がとんだ。はっとして振り返った宗蔵は、本堂の縁に立つ四人の冒険者の姿を見とめた。
「鬼道羅漢衆であるあなたが青木新太郎――いいえ、緊那羅王の配下である事はわかっています」
声の主――カーラが告げた。
すると宗蔵の口の端がきゅうと吊り上った。魔的な笑み。悪鬼の形相だ。
「緊那羅王様が申されていた。冒険者の中に心を読む者がいると。それがうぬか。――ぬかったわ」
宗蔵は身を蝙蝠の羽ばたきのように翻した。が、次の瞬間、宗蔵の身体はとまっている。まるで凍結してしまったかのように。
「私からは逃れられないわ」
シェリルの眼が妖しく燃え上がった。
●
藤井宗蔵は捕らえた。カーラがリードシンキングを試みる。
宗蔵は狂ったように念仏を唱えた。彼の表層意識からは呪文にた似た訳のわからない言葉が拾えるのみであったのだ。
ヴァンアーブルもチャームを試みたが、冒険者を術使いと知る上にこの段階では、多少の情は無意味だ。
では、とシェリルがリシーブメモリーを発動させた。
宗蔵の記憶。そこから掴みあげたものは摩侯羅伽王である幽鬼蔵人が新田の丹羽内記と接触しているというもの、さらには赤城砦全滅の首謀者はその摩侯羅伽王であるという事実であった。
ならば九鬼花舟は、とシェリルが探ったが、宗蔵は知らなかった。羅漢衆とは悪魔信者の選り抜きらしいが、さすがに八部衆の全てを知らされているわけではないようである。
「ともかくも赤城砦の新田兵を虐殺した下手人の正体は突き止めた」
マクシームが一人肯くと、兵衛が口をゆがめた。
「新田に入り込んでおきながら、その新田の砦を滅ぼし、さらには上杉の仕業にするとは。まさに悪魔の所業だ」
「俺達の動きを利用した訳か」
マクシームが悔しげに歯を軋らせた。他の冒険者の昏い眼を見交わし――
一瞬、冒険者達は宗蔵から眼をはなした。
刹那である。宗蔵の口からたらたらと血が滴り落ちた。舌を噛み切ったのである。
が――
わずか後、宗蔵の青黒くなった顔に生色がもどった。ゆっくりと瞼が開く。そして宗蔵は見たのだ。死すら超越する神にも等しき女を。
「逃さないと云ったはずよ」
シェリルは妖しく微笑った。
●
その日の昼過ぎ。冒険者達は上州の関にさしかかった。
ここを抜ければ上野国。前橋の蒼海城はもうすぐだ。
が――
「待て」
呼びとめられ、カーラは足をとめた。顔は用意した笠で隠してある。
が、カーラを呼び止めた関所役人は彼女の笠をはねあげ、顔を覗き込んだ。
「異国人か。‥‥ん?」
役人の顔色が変わる。慌てて懐から数枚の紙片を取り出す。そしてはっと眼を見開かせると怒声を発した。
「各々方! ――赤城砦を襲った上杉の手の者でござる!」
「違うのだわ」
ヴァンアーブルが狼狽した声をあげた。
「わたくしたちは赤城砦を襲った下手人を知る生き証人を連れて来たのだわ」
「何っ!」
すでに抜刀した役人達は油断なく冒険者達を囲む。
「まずはおとなしく縛につけ。申し開きがあれば、聞く。が、抵抗するなら容赦はせぬ」
「‥‥」
冒険者達は素早く視線を巡らせた。
役人の数は十数人。斃せぬ数ではない。が、その場合、弁明の機会を失う。関所破りは大罪だ。
それでは、捕まるか。待っているのは新田家による取り調べである。それは冒険者にとって好都合といえた。新田家の方から陰謀の真相に耳を傾けてくれるのだから。
「‥‥よし」
兵衛が構えを解いた。それに他の冒険者も続く。
「大人しく従おう」
「殊勝である」
役人は刃をおろした。が、その眼は油断なく冒険者達を睨み据え、
「赤城砦の朋輩を虐殺した憎き奴ら。きっと罪状を糾明してくれるぞ」
「それは望むところですが。ここで取り調べを行うのですか」
冷静さを取り戻したカーラが問うた。すると役人はかぶりを振り、
「丹羽殿のもとに送り届ける。そこで詮議をうけるのだ」
「何っ!?」
愕然とし、マクシームはカッと眼を見開いた。
「丹羽とは、丹羽内記殿の事か?」
「ほう」
役人が片眉をあげた。
「丹羽殿を知っているのか」
「あ、ああ」
上の空で答え、マクシームは目まぐるしく思考を働かせた。
丹羽内記は摩侯羅伽王とつながっている。丹羽がどれほど関与しているかはわからないが、最悪の場合、丹羽そのものが鬼道衆である事も予想される。
もしそうなら、謀殺される事は目に見えている。
兵衛は決断し、そして獣の迅さで動いた。一息で間合いを詰め、役人に当身をくれる。
次の瞬間だ。夜が眼を覚ました――としか思えぬ闇が辺りを覆った。
それがヴァンアーブルのシャドゥフィールドであるとは知らず。ただ怒号が飛び交い、喧騒が渦巻いて。
闇が消失した時、すでに冒険者達の姿はなかった。
●
「くははは」
哄笑が高々と響き渡った。宗蔵のあげたものである。
場所は上州関からやや離れた地。新田の追っ手はない。
「思惑通りにはいかなかったようだな。うぬらは新田の砦を潰した大罪人と見られている。そう簡単に上州に潜り込めると思ったか」
「黙れ」
一喝したものの、しかし兵衛は己の迂闊さを笑えない。まさか自分達が手配されているとは予想していなかった。知っていれば、新田領でもっと慎重に動いたはずだ。ただでさえ冒険者は目立つ。
「生き残りの証言か?」
「それほど見られた覚えは無いが」
「いや青木が敵の一味なら‥‥」
緊那羅王の策略にはまり、沼田や新田のみならず、今や冒険者自身が追い詰められた。手段を講じなければ、新田領内での活動は難しい。
「仕方ないのだわ」
ヴァンアーブルが決死の眼をあげた。
「こうなったら、もう北条三郎さんしかいないのだわ」
「沼田城主ね」
シェリルの眼にも決然たる光がやどった。新田から攻められぬ以上、残る手立ては沼田しかない。
「でも三郎さんが私達の話を聞くかしら」
「聞いてもらわなければ困ります」
叫びに近い声を発したのはカーラである。カーラは胸の前で祈りを捧げるかのように両手を合わせると、
「大きな戦への潮流が起こっています。この止めようの無い流れが、やがてこの国を大きな災厄へと誘う気がしてならないのです。誰かが何とかしなければ‥‥。私に出来ることなどたかが知れていますが、それでも――」
「わかっている」
マクシームがカーラの細い肩に手をおいた。無骨だが、暖かい手だ。
「私達も同じ気持ちだ。だからあなたの依頼を受けた。ヴァンアーブル」
「任せてほしいのだわ」
ヴァンアーブルが蝶のようにふわりと身をうかせた。そして仲間に肯いて見せると、隼のように身を翻らせ、空を翔けた。
●
(‥‥冒険者か)
「そうなのだわ」
肯いたのは蒼い空に染み入るような蒼影一つ。ヴァンアーブルである。
彼女の身は沼田城上空五町ほどの高みにある。テレパシーの効果範囲ぎりぎりの距離だ。
「三郎様、聞いていただきたい事があるのだわ」
ヴァンアーブルは声に出して云った。
三郎からは怒りの波動は伝わってこない。どころか冷静そのものだ。さすがは北条早雲の実弟というところか。
「赤城砦全滅の真相が見えてきたのだわ」
再び声に出すと、次にヴァンアーブルは思念のみで告げた。知り得た情報の全てを。
(ほう)
三郎の思念に戸惑いの色が滲んだ。どうやらヴァンアーブルのもたらした情報を吟味しているらしい。ややあって、
(確かに辻褄はあう。が、証はあるまい)
「あるのだわ!」
ヴァンアーブルの口から、知らず叫びに近い声がもれた。
(ある、だと?)
「そうなのだわ。緊那羅王の配下の者を一人捕らえてあるのだわ」
(何っ)
さすがの三郎の思念にも動揺の波がはしった。
(それは本当か?)
「本当なのだわ。だから話を聞いてほしいのだわ」
(よかろう)
「えっ」
返ってきた三郎の思念にヴァンアーブルが眼を丸くした。思わず笑みを零す。
「本当なのかだわ」
(本当だ。が、すぐという訳にはいかぬ。用意せねばならぬ事もあるからな)
三郎が答えた。やはりまだ冒険者――ヴァンアーブル達を信用してはいないようである。
その証拠に三郎は続けた。
(私も城を出る訳にはいかぬ。代わりに使いの者を差し向けよう。その者に証人を引渡し、吟味させよ)
「わかったのだわ」
満面に喜色を滲ませ、ヴァンアーブルが肯いた。
まだ北条三郎との対面はかなわない。が、足がかりはできた。もし話が進み、北条三郎直々の使いともなれば沼田のみならず上州における活動もやりやすくなるはずだ。
「では教えていただきたいのだわ。三郎様の使いの方の名を」
(檜垣兵助)
三郎は答えた。