●リプレイ本文
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その日、江戸の里見家屋敷を一人の女が訪れた。
美麗といってよい顔立ちでありながら、その身は七尺ほどもある。さらにはその身から放散される気の熱さはどうであろう。
メグレズ・ファウンテン(eb5451)。女は名乗った。
取次ぎに出た侍は、あっ、と声を放った。それもそのはず、メグレズは里見家においては伝説の一人である。
メグレズは云った。
「市川玄東斎様の命で護衛の任を申しつかりました」
「ありがたし」
侍は江戸家老に報せた。江戸家老に否やはなかった。
「ならば」
メグレズは港までの道を示した。この道を使えば、伊達に気取られることなく港まで辿り着けるはずと。
江戸家老は腕を組んだ。
人目を避けるなら当然メグレズの指摘する裏道である。が、裏道を使うなら、大人数での道行はかえって目立つ。かといって護衛の人数を少なくしては守りきれなくなる恐れがあった。
「そのために私がきました」
メグレズがニヤリとした。
幾許か後。
里見屋敷から忍び出るように姿をみせた者がいる。メグレズだ。
一瞬、その身が白く燃えた。
「いるな、悪魔め」
メグレズが視線を素早くめぐらせた。
距離はわかる。後方だ。大きさからして――
「あの黒猫か」
メグレズが呟き、仲間である陸堂明士郎(eb0712)の言葉を思い出した。
本命はヴァブラではなく、黒猫の方かもしれない。明士郎はそう云っていた。
メグレズはゆらりと歩み続けた。そして、とある茶店の縁台に腰をおろした。
「茶を」
茶店の老婆に頼む。
ややあってメグレズは茶店をあとにした。用は済んだのか、足がむいているのは里見屋敷である。
角をまがり、メグレズの姿が消えた。それを見届けたように、一人の女侍が縁台に腰をおろした。
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そこはひっそりと静まり返った道であった。江戸の賑わいはここからは遠い。
道脇に小さな林があった。中に人影が見える。
数は五。
一人は若者で、矛を手に、天馬にもたれるようにして立っていた。その隣では、ごつい侍が切り株に腰をおろし、徳利を口に運んでいる。
男はもう一人いた。こちらは三十歳ほど。きんと冷えた剣気のようなものをまとわせている。
残る二人は女だ。共に美しい。
一人は人形のように整った相貌をしているし、一人は凄艶ともいえる美貌の持ち主であった。
名はカイ・ローン(ea3054)、三菱扶桑(ea3874)、明士郎、カノン・リュフトヒェン(ea9689)、水上銀(eb7679)。冒険者であった。
「たまには帰ってくるもんだね。まさか里見が魔と組もうとするなんて思いもよらなかったよ」
銀が苦く笑った。
「どうもこの国では悪魔に対する認識が薄いのは否めないな」
ぼそりと呟いたのはカノンだ。澄んだ碧眼に冷たい光をゆらめかせ、
「が、それでも愚かに過ぎる。まして、他人の魂で取引しようなど、言語道断。下らない取引など成立する前に叩き伏せる」
「叩き伏せるに異論はないが」
明士郎は腕を組んだ。
「里見義堯、本当にそれほど愚かな男であろうか」
疑問を口にした。噂に聞く義堯という男は巨大なる野心の持ち主であるものの、それほど愚かではないようだが――
「欲望は時として人の眼をくもらせるもんさ。なあ」
徳利から口をはなし、扶桑はカイに眼をむけた。カイは肯くと、
「どのような事情がからんでいるか知らないが、ようは悪魔退治なわけだ。なら問題ない」
「しょうがねえな」
扶桑が立ち上がった。ぬん、と闘気を身裡に込める。酒気が放散された。
「メグレズの策通りなら、もうすぐ里見一行がやってくるはずだ。だろ」
「ああ」
答えた銀は掌を開いた。中には一枚の紙片がある。道筋と時刻が記されていた。
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江戸の中心を迂回するようにのびる道がある。
その道をゆく一行があった。顔ぶれだけみれば異様な一行だ。
先頭を鎧姿の巨躯の女が歩いている。その後に続くのは十人ほどの侍だ。
さらに、その侍に挟まれるように一人の異人が歩いていた。にこやかに微笑み、黒猫を抱いている。
ヴァブラ。正体は悪魔であった。
メグレズはちらりとヴァブラを盗み見た。
悪魔というが、一見しただけはとてもそうは思えない。が、メグレズのみは感得することができた。ヴァブラから忍び出てくるかのような禍々しき気配を。
「リアナ・レジーネスのフォーノリッヂでは未来は掴めなかったが――決して安房にはゆかせぬ」
メグレズは改めて決意した。
その時だ。
ふっと人影がわいた。二つ――いや、三つ。
カイと扶桑、明士郎であった。カイと扶桑し一行の前を、明士郎は退路を塞ぐ形で立っている。
「何者だ」
メグレズが問うた。すると頭巾で顔を隠し、天馬メイに騎乗したカイが名乗った。
「通りすがりの覆面騎兵だ」
「通りすがりの覆面騎兵?」
「そうだ」
カイは矛でヴァブラを指し示した。石の中の蝶で、すでに悪魔の存在は確認済みである。
「そのものの正体を知っているのか。悪魔であるぞ」
「‥‥」
里見侍は答えない。ただ刀の柄に手をかけた。
その様をじろりと見遣り、扶桑はイシューリエルの槍をかまえた。
「やるしかないようだな」
「皆様は私の背後へ」
メグレズが両手を広げた。そして叫ぶ。
「どなたか、里見屋敷にお知らせを」
「承知!」
叫び返し、一人の侍が走った。後方を塞ぐ明士郎に斬りかかる。
鬼面で顔を隠した明士郎はわずかに身動ぎしたのみでかわしてのけた。
かつて奥州最強の鬼と噂される大瀧丸の左眼を断ち切ったことのある明士郎だ。里見侍の抜き打ちをかわすなど造作もないことであった。そのまま里見侍を逃す。
「手向かいせぬ者を傷つけるつもりはない」
「黙れ!」
ヴァブラを庇い、一人の里見侍が抜刀した。
「ヴァブラ殿をお守りし、安房までお送りする事が主命。そのために我ら、命などとうに捨てている」
「哀れな」
明士郎がぎりっと歯を軋らせた。
ヴァブラが笑っている。まるで己を守る里見侍を嘲っているかのように。
「おかしいか」
明士郎もまた剣を抜いた。
「‥‥おかしいであろうな。命を捨ててでも貴様を守ろうとする侍達の不器用さが、利口な貴様にはたまらなく滑稽に見えるのであろう。が、だからこそ、そんな不器用な者を利用することは許せんのだよ」
「おらおら、命のいらん奴は掛かってこんか!」
酔ったような千鳥足で扶桑が動いた。同時に明士郎も。
対する里見侍達も動いた。メグレズが庇おうとするが、じっとしているものではない。いや、一人、じっと立ちすくんでいる者がいる。
さらに一人。カイにむかっていった里見侍だ。
「おとなしくしていてもらおう」
「こやつ。奇怪な術をつかうぞ」
里見侍の足がとまった。
と、一人の里見侍がぐらりと倒れた。何が起こったか、わからない。ただ地に顔をぶつけ、衝撃で目覚めたその里見侍は、カイの傍らで空に舞う羽もつ少女を見た。
「ほう」
ヴァブラがニヤリとした。
「どうやらお味方に裏切り者がいるようでございますね」
「何!?」
里見侍の眼がメグレズを見た。
「メグレズ殿。‥‥まさか」
「何を」
「とぼけても無駄だ」
抗弁しかけたメグレズを、ヴァブラが遮った。
「発呪光、このヴァブラが見逃すと思うか。あそこの顔を隠した者の仕業に見せかけようとしたのであろうが――何故に、その侍を金縛りにした? 理由はひとつ。ふふ」
「おのれ!」
一人の里見侍がメグレズに斬りかかった。咄嗟にメグレズがアイギスの盾で受け止める。
「ま、待て」
「くそっ。裏切り者め」
里見侍の口から血の滲むような叫びが発せられた。この瞬間、里見家における自身の伝説が崩れ去ったことをメグレズは察した。
「すまぬ」
メグレズがテンペストを抜いた。里見侍の脇腹から血がしぶく。テンペストは両刃であるために峰打ちはできなかった。
「こうなっちゃ仕方ねえな」
むかってくる里見侍の一人を扶桑が打ちすえた。不気味な音が響き、里見侍の腕がありえない方向に曲がっている。
扶桑が残る里見侍をにらみつけた。
「はん、忠義と云えば聞こえは良いが、こいつ等のは単なる盲信だ、悪魔と手を組むなんざ侍としての志は無いのかね」
「黙れ!」
かっとしたか、一人の里見侍がヴァブラの側を離れ、扶桑に襲いかかった。
「ふん」
扶桑が槍を横殴りに払った。常人を遥かに凌ぐ技量をもつ扶桑にはそれで十分だ。
まるで爆発が起こったように里見侍が吹き飛ばされた。肋骨が数本砕けたことは間違いない。
「おらおら、命のいらん奴は掛かってこんか!」
ぬかせ、という叫びは半ばで消えた。
棒のように里見侍が崩折れる。その首筋を明士郎の剣が打ったと見とめ得た者がいたか、どうか。その技こそ鬼面にふさわしく、まさに人外。
「悪魔、覚悟!」
明士郎が迫った。
その時である。ヴァブラの手の黒猫が飛んだ。それは空にあるうちに黒豹へと変化し、明士郎の前に降り立った。
「正体を見せたな」
明士郎の刃が垂直に閃いた。が――
明士郎の刃がはじかれた。見えぬ結界で。
「ぬっ」
明士郎の眼がかっと見開かれた。黒豹――グリマルキンの身体を包む闇色の光を見とめたのだ。
呪法発動。
それはディストロイであったのだが、明士郎が身につけた様々な勲章により無効化されている。
「ほう」
ヴァブラが再び声をあげた。
刹那、樹木の陰から滑り出た者があった。カノンだ。疾風の迅さでヴァブラとの間合いを詰める。
気づいたヴァブラの手から漆黒の炎塊が噴出した。が、遅い。それは銀の施した結界によるのだが。
「むだだ! 斬る!」
蒼光の尾をひいてカノンの剣が空を裂いた。刃は逃げもかわしもならぬヴァブラを斬り――
呻きはカノンの口からもれた。彼女の刃はヴァブラの寸前でとまっている。そしてカノンの腹からは鮮血があふれていた。
「まだ悪魔がいたのか」
カノンの口からひび割れた声がもれた。
彼女は見たのだ。空に血にまみれた腕のみが浮かび上がるのを。
やはり第三の悪魔は存在したのである。透明化していたのだが、カノンの血が付着したことにより腕のみが顕在化したのであった。
「くそっ」
血にまみれた腕めがけ、扶桑が躍りかかった。が、激痛が身を貫き、扶桑は地に落下した。
何とか片手と片膝をついて激突は免れたが、身体が動かない。扶桑の身は内部より深く傷つけられていたのであった。
「扶桑!」
リカバーを施すべくカイが駆け寄ろうとし――足をとめた。突如、闇が空間を喰らったのだ。
「ダークネス!」
メグレズが叫んだ時、何かが飛翔する気配がした。
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すう、とヴァブラが舞い降りた。ちらりと背後を見遣る。どうやらすぐには追って来ないようだ。二体の埴輪が退路を断っていたようだが、飛行能力のあるヴァブラには関係ない。
「虫ケラどもが。殺しあうがいい」
唇の端を鎌のように吊りあげ――ふとヴァブラは気づいた。道端に荷車があり、女が一人立っている。手に花をもっているところから見て、どうやら物売りであるようだが――
興味をなくしてヴァブラが背をむけた。
一瞬後のことである。彼の胸を刃が貫いた。
「誰が虫ケラだって」
声がした。刃の主の声だ。
よろけたヴァブラは見た。刃の主の正体を。それは者売りの女であった。
「貴様‥‥」
「貴様じゃない。水上銀と呼んでもらおうか」
刃を引き抜きざま、銀が飛び退った。再び炎舞をかまえ――銀の眼の光が不審にゆれた。ヴァブラが笑っている。
何故、という問いを銀が心中に発した時だ。彼女は気づいた。ヴァブラの傷がみるみる塞がっていくことに。
「うっ」
今度は銀がよろめいた。見えぬ刃に貫かれたように。
「どうだ。与えた傷を己自身負う気持ちは?」
ニタリとし、ヴァブラが繊手をさしのべた。
「次はビカムワース。今度は死ぬぞ」
「やってみろ」
銀が吼えた。同時に間合いをはかる。
遠い。どうやらヴァブラの魔法は瞬間的に発動されるようである。それではこちらの攻撃は間にあわない。
銀の秀麗な面を絶望の翳がおおった。
「そこまでだ」
「何っ」
はじかれたようにヴァブラが空を振り仰いだ。
蒼空を背に、二つの人影がある。メイに跨ったカイと明士郎だ。
「虫ケラが」
ヴァブラが飛翔した。
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天空に白光と黒光が煌く。白鳥の翼もつ獅子へと変形したヴァブラとカイだ。高速詠唱によるヴァブラの魔法を、これまた同じ高速詠唱によるカイの魔法が打ち消しているのだった。
が、形勢はカイに不利だ。
悪魔の呪法により、すでにカイの霊矛はヴァブラには効かない。メイの魔法も無効化されている。
反してヴァブラは何の懸念もなくカイに肉薄するのだ。その爪と牙は易々とカイの肉を引き裂く。いくらカイの戦闘能力が超人的であろうと防げるものではなかった。カイもメイもおのずとホーリーフィールドやリカバーに呪力を割かざるをえず――
「このままでは呪力が尽きる‥‥」
「俺がやる」
眼前を塞ぐグリマルキンをかわし、明士郎がヴァブラ目指して翔けた。が、グリマルキンの方が迅い。無防備な明士郎の背を爪でえぐる。
それでも明士郎は飛んだ。血の霧をまきつつ。
「死ネ」
グリマルキンが明士郎の首筋に牙をうちこもうとし――
矛がグリマルキンの額を貫いた。カイだ。
「頼む!」
「任せろ!」
カイとすれ違い、明士郎が飛鳥のようにヴァブラに迫った。
「来い、虫ケラ」
ヴァブラの周囲を漆黒の炎のようなものが覆った。が、明士郎はとまらない。ヴァブラの張った結界に飛び込み――
明士郎の筋肉が悲鳴をあげた。肉がぶちぶち音をたてて裂け、骨が軋む。二匹の悪魔が与えた損傷は無視できぬものであった。
されど――逃がさぬ!
「ぬうっ」
明士郎の全精魂を込めた一撃が袈裟に走った。さすがにたまらずヴァブラの身体が斜めに裂ける。余波である衝撃波がヴァブラの背から走り抜け、空間を歪ませた。
「ば、馬鹿な。このヴァブラが虫ケラごときに‥‥」
崩壊しつつあるヴァブラの口から泡立つような声がもれた。
「サ、サレオス様、お、お許しを」
「サレオス!?」
半顔を真紅に染めた明士郎の眼がカッと見開かれた。
サレオスという名には聞き覚えがある。江戸を襲った悪魔騎士の主たる悪魔の名だ。
「貴様、サレオスの――」
のばした明士郎の手の先でヴァブラは消滅した。
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安房。
里見義堯のもとに報せがもたらされた。ヴァブラ討たれるの報が。
「メグレズじゃと?」
義堯が苦々しげに歯を軋らせた。
「なれば冒険者どもの仕業よな。ううぬ」
義堯が扇子を畳に叩きつけた。そして市川玄東斎に命じた。
「玄東斎の名を騙ったメグレズとその仲間ども、探し出し、殺せ」
「御意」
市川玄東斎が深々と頭をさげた。その面に一瞬よぎったのは会心の笑みである。
「冒険者ども、よくやってくれた。この上は余計なことをもらさぬうちに‥」
微かに呟き、市川玄東斎はニンマリと笑った。
この直後である。里見を含め、関東に激震が走った。