【神剣争奪】江戸秘帖

■ショートシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや難

成功報酬:0 G 97 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:09月14日〜09月17日

リプレイ公開日:2005年09月20日

●オープニング

 夜更け。
 鎌のような弦月がかかった夜天は暗く。地もまた冥かった。
 その闇地に。
 朧のような人影がわいた。武家屋敷の庭先である。
 夜の色と同じ黒装束。顔も隠され、覗いているのは冷たい光を放つ眼のみだ。
 影は音もなく庭を疾りぬけると、一気に塀の上に。一度背後を振り返り、蝙蝠のように地に飛び降りた。
 その時――
 無数の月光がはねた。
「待て」
 黒装束を取り囲むように散開した武士侍の一団。すでに抜刀している彼等の一人から声があがった。
「うぬらごとき‥‥できるか?」
 黒覆面の内からくぐもった嗤いがもれた。
 その嘲笑に触発されたか、武士達は乱刃を舞わせて殺到した。
 が――
 苦鳴があがった。全ての武士から。そのうち――幾人かの着物からはめらめらと炎がたちのぼっている。
「くくく。いうたであろう。うぬらごときでは相手にならぬ、と」
 再び。
 黒装束の男の手から紅蓮が迸り――
 松明と化した武士達から絶叫が響いた。

 幾許か後。
 ぴたと黒装束の男の足がとまった。
 刃のような眼が光り、闇を透かし見る。
 わずかな月明かりの中。人影が浮かびあがっている。
 孤影。深編み笠をかぶった侍だ。
 その侍は――
 懐手をしている。茫乎として佇む姿は涼夜にさ迷い出た酔狂者としか映らぬ。
 が、黒装束の男は動かぬ。いや、動けぬ。
 刀の柄に手さえかけぬ眼前の侍から吹きつける異様な殺気に金縛りとなったためだ。
「‥‥ど、どけ」
 喘鳴のような声を黒装束の男が発した。
 返す答えは簡単至極――
「いやだ」
「な、なに!?」
「おまえ、怖い眼をしているなぁ。人殺しをやらかした者の眼だ」
「ほざけ!」
 どこかのんびりとした侍の声にカッとしたか、黒装束の男が地を蹴った。黒い颶風と化して侍を襲う。
 交差は一刹那。
 一瞬後、驟雨のように鮮血が地に散りしぶき、黒装束の男が転がった。
 刹那――
 風が吼えた。
 見えぬ一刀にはたかれたように血刀をひっさげたまま侍が飛び退る。深編み笠の一部が刎ねとんだ。
「ぬっ」
 深編み笠の切れ目から覗く眼。凄絶の眼光が闇を探り見る。
 民家の屋根の上。そこに人影があった。
 まだ十七、八の若者だ。女と見紛うばかりの美麗な相貌をしている。
「邪魔はさせぬぞ」
 やや笑いを含んだ若者の声。それが終わらぬうちに再び風が唸り、侍が飛び退った。
 その時、地に伏した黒装束の男が動いた。懐から取り出した巻物を放り投げる。
「あっ」
 思わず巻物を追おうとして、三度若者は飛び退った。
「ええいっ!」
 舌打ちし、若者が屋根を見上げた。
 が、すでに――
 月光に溶けたか、闇に紛れたか。妖艶な若者の姿は忽然と消えうせていた。

 入り口をくぐる若侍を眼にとめ、冒険者ぎるどの手代はおやと首を傾げた。
 月代はのび、無精髭のういた侍の容貌は浪人者のそれだ。しかし身にまとった武芸者風の着物は値の張るものである。が、その容姿の不自然さよりなにより、手代の注意をひいたのは若侍の眼だ。
 右眼は糸のように閉じられ。
 残る左眼のなんたる凄さか。
 さほど剣の覚えもないはずの手代が呪縛されたかのように声もない。
 その前に――
 若侍がどかっと腰をおろした。
「ここが冒険者ぎるどか」
 物珍しそうにきょろきょろと辺りを見まわしてから、若侍が口を開いた。その子供のような仕草と口調に、ようやく呪縛をとかれた手代が頷く。
「そ、そうでございます。で、何かご依頼でも?」
「ああ。奪われた絵図面を取り戻してもらいたい」
「絵図面?」
「そう。江戸城地下の絵図面だ」
「えっ――」
 手代は息をひいた。
 眼前の若侍はどう見ても浪々の武芸者だ。それが江戸城地下の絵図面とは――
「旗本、梶原内記が所蔵している江戸城地下の絵図面が何者かに奪われた」
「旗本様の」
「ああ」 
 若侍が頷いた。微かに口元を歪めて、
「当の梶原家は大慌てしているらしいが、いかんせん、このことがお上の知るところとなればどのような咎めがあるか‥‥ゆえにおおっぴらに身動きできぬらしい。それに――」
 若侍は面倒臭げに頬を掻いた。
「昨今流布されている神剣。どうやら江戸にあるらしい」
「し、神剣!?」
 手代が絶句した。
 江戸城地下の絵図面のことといい、神剣のことといい、このお人はいったい――
 その手代の惑乱も知らぬげに、若者が口を開いた。
「だから、余計に事はややこしい。とはいえ――」
 ニッ、と。若者は悪戯っ子のように笑った。
「まあ、神剣などはどうでも良いのさ。それよりも子供を救ってもらいたい。俺が斬り捨てた賊、そやつが投げた絵図面を浮浪の子供が持ち去った」
「子供を? 救えと?」
「ああ。早く見つけねば、賊の仲間にどのような目に遭わされるか‥‥」
 若者が遠い眼差しをあげた。
 手代はごくりと唾を呑みこむと、帳面を取りだし、尋ねた。
「お引き受け致します。それで、貴方様のお名前は?」
「十兵衛。俺の名は柳生十兵衛だ」
 隻眼の若侍がこたえた。

●今回の参加者

 ea1369 鬼嶋 美希(33歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea9450 渡部 夕凪(42歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 eb0882 シオン・アークライト(23歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb2896 楠井 翔平(28歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb2905 玄間 北斗(29歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb3407 川向 越司(30歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3513 蛟 清十郎(26歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3534 平山 弥一郎(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 色と欲とに大騒ぎした柳巷も、朝霧の中で惰眠を貪っている。
 その中の、揚屋のひとつ。裏口の上がり框に腰掛けた渡部夕凪(ea9450)が溜息まじりに呟いた。
「しかし、厄介な‥‥」
「どうされました?」
 聞きとがめ、問うたのは蛟清十郎(eb3513)だ。氷の仮面に面を隠したはずの彼であったが、此度はなぜか落ち着かない様子で。
 無理はない。彼は十六で、ここは青楼なのだから。
 が、居心地が良くないのは夕凪も同じだ。
「いやさ――」
 不動の夕凪も困ったように、
「件の絵図面が渡った相手のことよ。それに――」
 ここ。
 遊里に女の身とは洒落にもならぬ。
受けて、平山弥一郎(eb3534)は気遣わしげな視線をシオン・アークライト(eb0882)に転じた。
「あなたも、さぞや気持ちの悪い思いをしておられることだろう」
「いえ」
 銀糸をゆらし、胸もゆらし、シオンが微笑んだ。
「私は別に気にしていないわよ」
 答える間もきょろきょろと。
 楽しげに視線をさ迷わせるシオンの眼に、獲物を物色する毒蛇の閃きを幻視したような気がして、弥一郎ほどの男が、なぜか背筋に寒気を――
「お待たせいたしました」
 亡八の声に、冒険者達は顔をあげた。
 居漬けの旦那に届け物。
 夕凪のはったりは、いつも巧妙だ。
「では、ゆくとしようか」
 夕凪が立ちあがった。

 すでに商いを始めた質屋の前に、ふらりと楠井翔平(eb2896)と川向越司(eb3407)が立ち寄った。
 浮浪の童が持ち去ったという江戸城地下絵図面。神剣につながるかも知れぬ秘図の価値を小僧が知るはずもなく。かといって、わざわざ持ち帰ったものを捨てるとも考えられず。
「やはり売っ払うだろうなぁ」
 俺ならそうする、と翔平。
 まだ彼の心的水準が童に近いことを知らぬ越司は純粋に感心し、同意する。
「飯の種になるやも知れませんからなぁ。人斬りの場を目撃したなら、金の匂いを嗅ぎつける可能性はあります」
 辛口。が、越司の指摘は的確だ。
 浮浪の童は腹すかしと相場が決まっている。くだらぬ絵図面より、一粒の米の方がどれだけ貴重か。
「下手をすれば既に売られている可能性すらあります。急ぎませんと」
 促し、越司は暖簾をくぐった。

 目当ての若者は、太夫の膝枕でのほほんと空に遊ぶ雲を眺めていた。
 禿に案内され、冒険者達が座についても、まだ背を向けたままだ。
「若様」
「あん?」
 女に揺り動かされ、ようやく若者は身を起こした。
 柳生十兵衛!
 これが柳生十兵衛――
 源徳家康の剣術指南役、柳生宗矩の嫡男。若年でありながら、すでに剣の冴えは父のそれを凌ぐと噂される剣客。
 跡目を継ぐのを嫌い、無頼奔放の日々を過ごしていると噂されてはいるが――
「で、ご依頼の件に関してだが」
 名乗りをあげてから、夕凪がきりだした。
「絵図面を持ち去ったという童。見とめておられたなら、その人相風体をお教え願いたい」
「ああ、それは――」
 十兵衛が答える。
 その詳細な内容に、さすがは、と。余人は知らず、夕凪のみは瞠目している。
 賊の一人を切り捨て、なおかつ敵と対峙しつつ、これほど観察してしようとは。見とめ得たのは数瞬のことであるはずなのに。その眼力は、やはり常人ではない。
「それでは」
 区切りを待って、次に弥一郎が口を開いた。
「きるどでもらされた神剣とやら。江戸にあるという根拠をお聞かせ願えぬでしょうか」
「親父に聞いた」
「お、親父――宗矩様!?」
「ああ。親父が、ふと口にした。草薙の剣は江戸城の地下にある、と」
「なんと――」
 さしもの冒険者達も絶句した。
 柳生宗矩が口にしたとなれば、神剣の在処が江戸城地下であるというのはほぼ間違いあるまい。しかし、そのような大事を一介の冒険者にもらす柳生新影後継者の神経とは――
 かえって清十郎が慌てた。
「十兵衛殿、そのような大事、うかと口にされては――」
 こちらが聞いておいて。変な話なのだが、十兵衛は洒脱だ。ふん、と笑い、
「どのみち知れるさ。ゆえにこその絵図面のやりとりだ。見ていろ、今に江戸はやかましくなるぞ」
 興醒めとばかりに十兵衛が空ゆく雲に視線を戻した。
 ここらが潮時。
 冒険者達が腰をあげた、その時――
「シオン――と、いったか」
 十兵衛が呼びとめた。
 シオンはひたすら敵を警戒し、無言であったものだが――
「何か?」
「心配せずとも、ここでは襲ってこぬさ。手を出してくるなら、もう少し糸を手繰り寄せてからであろうな」
「!」
 はじかれたようにシオンは振り返った。
 十兵衛の隻眼が異様な光を放っている。ようやくシオンは眼前の若者が噂通りの、いや噂以上の剣客であることを思い知ったのであった。

「厄介だな」
 偶然であろうが。
 ここでもまた同じ言葉を呟く者が一人。抜き身の刃のように白々と――鬼嶋美希(ea1369)である。
「忍びとは、な」
 美希がふるうは示現流。まっすぐな剣筋と搦め手の忍法とでは相性が悪い。が、相棒の玄間北斗(eb2905)はそうではない。彼もまた忍び。陰中の暗闘は得意の内だ。
「どうやら敵は手練れのようだけど、童は放っておけないのだ」
 ニコニコと。道化の笑いの底の底。 
 心底は、ひたすら童の身を案じている。
 この一件。引き受けたのも、依頼者の姿勢のその一点だ。
「情け容赦のない輩のようだから、捕まったら命はないのだ」
「わかっているさ」
 だから、とばかりに美希は懐から袋を取り出した。
 中は飴玉。先ほど買い求めたものだが――
 ころころとした童心と艶然とした美希の取り合わせは、やはり不自然で。
 笑みを忘れ見遣っている北斗に気づき、美希はのばしていた気の糸をひきもどした。
「どうか、したか?」
「いや――」
 すぐに、いつもの酔狂北斗に戻る。見惚れていたなんて、言えやしない。
「なら良いが」
 怪訝に首を振り、美希は立ち回りの地の近くで見つけた浮浪の童に飴玉を与え、問う。この辺に変な巻物みたいなのを拾った子がいなかったか、と。
 すると、童は嬉しそうな顔でれろれろと。首を一つ横に振った。
 が、美希に落胆はない。初手から当たりくじを引けるとは思っていないし、童の世界は独特の因果律でまわっている。今打つ手は死に石とはなるまい。
「ならば、俺達の他にもそういう子を探しに来た人とかいたか?」
「うん」
「!」
 美希と北斗ははたと顔を見合わせた。
 敵の脚は思いの外素早い――

 ぴた、と。
 シオンは足をとめた。
 十兵衛から聞いた童の人相を頼りの探索行。数刻過ぎた昼下がり――
 人気のない境内において、である。
「私達に何か用かしら」
 シオンの海色の瞳が一人の男に向けられた。
 荷を背負った、小間物の行商人といったいでたちの男。どこといって不審の素振りはない。
「へっ‥‥なんのことで?」
「とぼけても無駄ですよ。ずっと私達の後を尾行ていたでしょう」
 懐手に微笑。春風駘蕩たる弥一郎の問いに、男は顔色を変えて頭を振った。
「つ、尾行るなどととんでもない。お間違いでございます」
「そうかな」
 抜く手も見せず。
 シオンの刃が疾り、男の身が飛燕のごとく後方に飛んだ。
「行商にしては身軽なものだ」
  弥一郎が嗤い、男の口が歪んだ。
「ふっ。冒険者風情と侮ったが‥‥まあよい。邪魔にならぬうちに、ここで始末する」
「できますか」
 弥一郎が刃を抜き払った。
 敵の目をそらす。その意味合いも兼ねての動き振り。襲撃あるは覚悟の上だ。
「ほざけ!」
 男が跳んだ。より組し易しと見たか、シオンに向かって短刀を閃かす。
 戛然!
 星をおとしたような火花が散り、男の刃が叩き落された。一瞬後、返す刃が男の面前をかすめて過ぎた。
「我が名はシオン、悪を絶つ剣なり」
 氷の眼差しで。
 シオンは告げる。
 面に血筋をはしらせた男の眼が、この時、憎悪に燃えあがり――
「やるな、だが―」
 男の足元から白煙がわいた。そうと見とめて、
「拙い!」
 弥一郎が叫ぶ。が、時すでに遅し――
 旋風がまわり、見えぬ手につかまれたようにシオンと弥一郎の身は宙に舞っている。
「どうじゃ、我が術の味は?」
 男の嘲笑が響いたのは、二人が地に叩きつけられた後のことである。
「お、おのれ‥‥」
 シオンが半身をおこした時、再び空流が渦巻き、冒険者は地に投げ出された。そして、三度――
「くくく。この狐坂陣内を敵としたことがうぬらの不運」
 男――陣内が足を踏み出した。刹那――
 倒れた弥一郎が背を向けたまま、刃を薙ぎ払った。流れる刃風は確かに血肉を刎ね――
 飛び退った陣内は苦鳴をあげ、己の脇腹を押さえた。
「ぬ、ぬかった‥‥」
 歯噛みし、するすると後退する陣内。
 そうと知りつつ、しかしシオンと弥一郎には追撃する余力はない。薬の不所持を呪いながら、二人は再び身を横たえた。

 同じ頃。
 夕凪と清十郎は、体格の良い利かん気そうな面構えの小僧を前にしていた。
 斬り合い時の刻限に徘徊していた以上、恐らく根城は近く。そう判断しての二人の探索は、日々の食い扶持求めて彷徨いそうな場所――すなわち市や河岸に限定し行われた。その結果、子供ながらの縄張りを辿って行き着いたのが、眼前の小僧――この辺りの浮浪の頭であった。
「で、頭殿、先ほどの件だが」
 夕凪に促され、無理やり小僧は包み――夕凪持参の団子――から視線を引き剥がした。
「お、おお‥‥姉さんが探しているのは、きっと新太のことだな」
 いやに大人ぶった口調で小僧が答える。気色を浮かべた清十郎が身を乗り出した。
「そ、それは確かか?」
「ああ」
 頷くと、小僧は大きな黒犬を追い払った。どうやら団子の匂いにつられてきたものらしい。
「面は聞いたとおりだし、斬り合いを見たとかはしゃいでたからな。そういえば金が手に入るかもしれねえとか、寝言もほざいてやがったが」
「!」
 ちらと視線を交し合って後、清十郎が再び問うた。
「で、その新太とやらの行方は?」
「わからねえなぁ。いつもはこの辺りをうろついてがるんだが」
 団子包みを盗み見ながら、小僧が答えた。

 その店は、まるで眼にとまるのを恐れるかのように、ひっそり裏通りに佇んでいた。
 何軒もの質屋をまわり、越司のサンワードの助けも借り、ようやく辿りついたここ――表向きは質屋だが、その実は窩主買いの店である。そこで一日中口にしたものと同じ内容を――
 怪しい素振りの越司を指差し、曰く付きの封霊の巻物を探していると翔平は告げたのだが。親父はじろりと翔平をねめつけ、頭を振ったのみだ。
 知らぬ存ぜぬと頑なであったが、窩主買いの亭主、あてになるものではない。が、これ以上刺し込むネタもなく――溜息を翔平が零した時、彼の袖を越司が引いた。
「どうしたよ?」
 振り向いた翔平の耳に、窓から差し込む陽を浴びた越司が口を近寄せた。
「モノは近い」
「なに!?」
 愕然とする翔平を促し、そそくさと越司は薄汚い暖簾をくぐった。
 と――
 鉢合わせしかけ、越司は足をとめた。
 見ると粗末ななりの童が一人。驚いた顔をして見上げている。
「おめえ――」
 覗きこんだ翔平が思わず声をあげた。
 童の人相。それは夕凪と清十郎から伝えられた件の童のものに酷似してはいまいか。
 とたん、はたかれたように童が振り返り、逃げ出した。
「ま、待て、わっぱ!」
 叫ぶ越司が懐から小柄を取り出した。ぎくりとした翔平がはじかれたように彼の手を押さえる。
「な、何しやがんだ、てめえ!」
「脅かすだけです」
 揉める二人。
 その間。二人を尻目に、童の姿が遠くなる。
「やべえ!」
 慌てて後を追いはじめた二人であったが。
 彼らの眼は、走る童のさらに前方から歩み寄る二つの影を見出している。
「美希さん!」
「北斗さん、その子です!」
 絶叫する。
 うろたえたのは美希と北斗である。たたらを踏むように駆けだし、童の前に――
 が、それより早く、二人の足元を擦りぬけたものがある。
 一匹の黒犬。
 疾風のように地を蹴るそれは化鳥のように宙を舞い、童に殺到し――再び地に降り立った時、犬は人の姿に変形していた。
「見つけたぞ、わっぱ。懐のもの、いただこうか」
 童――新太の首に手をかけ、禿頭の男がニンマリした。そして――
「寄るな! それ以上近寄れば、わっぱを縊り殺す」
「ま、待て!」
 美希が悲鳴に近い声をあげた。真に優しい彼女のあげた無意識の叫び。
「もし手をかけたら、きさま、生かしてはおかぬ」
「ぬかせ」
 せせら笑いつつ、禿頭の男が新太をとらえつつ、じりじりと後退していく。そうと知りつつも、冒険者達には打つ手はない。
 その時――
 びゅうと蛇の如くのびた縄が禿頭の男の腕に巻きついた。とっさに身動きもならぬ男の腕を引き、新太の首から剥がす。
「ちいいっ!」
 禿頭の男は舌打ちすると横にはねとび、縄ひょうの主――夕凪を刃のような眼で睨みつけた。
「う、うぬは――」
「今度はこちらが尾行させていただいた」
 笑う夕凪。
 が、すぐさまその快笑はうなる烈風にかき消され、断ち切れた縄ひょうがぽとりと地に落ちた。
「うぬら、好きにはさせぬぞ」
 声に。
 はっと冒険者達は眼をあげた。
 甍の波の上。腕組みする美丈夫が一人。
「何者だ、きさま」
「飯綱衆、風祭右京」
 美丈夫――右京の名乗りが終わるより先に、清十郎が呻いた。見れば、その肩から血がしぶいている。
 何が起こったのか、わからない。禿頭の男はもとより、右京も身動きひとつしていない。ましてや術の発動など――
「動くなよ。動かば、わっぱもろとも、八つ裂きぞ」
 右京が口の端をつりあげた。
 と――
 別の風音が木霊した。
 手裏剣に紐を結び付けてこしらえた簡易縄ひょうをブンと振りまわす――北斗だ!
「ここはおいらに任せて、子供を連れて逃げるのだ!」
「ばかめっ!」
 右京が吼え、北斗の簡易縄ひょうが千切れ飛んだ。
「ぬっ!」
 さすがに笑いの翳を消し、北斗は飛び退った。地に降りざま放った炎で、禿頭の男を牽制するのがせめての業だ。
「道安、何をしておる!」
 叱咤し、ちらりと走り去る冒険者と子供に右京は眼をやった。美しいその面が焦りにどす黒く歪む。
「ええいっ!」
 初めて右京が組んでいた腕を解いた。刹那――
 赤光と爆煙が迸り、地を揺るがした。

 翌日。
 旗本、梶原内記の屋敷を深編み笠の侍が訪れた。その侍は名を告げるはおろか、笠すらとらず、応対に出た老臣に書状を手渡し、立ち去って行った。
 同じ頃。
 河岸で仲間とともに釣り糸を垂れる新太の姿があった。
 それを見つめる八つの影は涼やかな風に吹かれ。
 清十郎が口を開いた。
「子供とは、元気なものだな」
「ったりめーだ。将来、この国を背負っていかなくちゃならねえんだからな」
 翔平がニヤリとすると、微塵隠れによって虎口を逃れた北斗もまた微笑みつつ肯首する。
「それまで、おいら達がなんとしてでもこの国を守るのだー!」
 その時。
 魚がはねた。
 きらきら、と。
 光と活力が煌いた。