●リプレイ本文
●至る前
「どうしたのだ?」
「ああ、北斗さんか」
川の水をすくって喉を潤している楠井翔平(eb2896)が憂いをおびた眼をあげた。
「いや、何でもない」
「って、ことはないのだ」
玄間北斗(eb2905)は童のような笑みを近づけた。
彼と翔平は顔見知りである。陽性の翔平が昏い瞳をしてることなど滅多にない。
「心配事があるなら、相談にのるのだ」
「いや、そうじゃねぇ‥‥依頼のことさ」
「依頼?」
側で、まるで日向ぼっこをしているような平山弥一郎(eb3534)が聞きとがめた。
友人の片桐惣助が件の村周辺の噂話等を調べてくれたのだが、いかんせん、時が足りぬ。それ故、やや霞がかった胸の内をかかえる弥一郎である。
「ああ」
頷くと、翔平は弥一郎の柔らかな瞳を見上げた。
「‥‥他人の伝吉さんでも気づいたのに、妙だとは思わねぇか? どうしてお澄さんは甚助さんが別人だと気づかねぇんだ。本当に気づいちゃいねえのか、それともそう思い込んでるのか‥‥」
「いえ、それよりも――」
黄金、はらら。髪をかきあげ、ミア・シールリッヒ(eb3386)が小腰を屈め、川面に指をつけた。はねる、雫――
「気になるのは、彼女が望んでそこに在った場合よ」
「望んで!?」
弥一郎が眼をすうと細めた。
「そう、望んで――」
ふふ、とミアは笑った。
すべてを承知の上での共住まい。もしそうなら、そこにお澄という女性は何を見出しているのか。
心とは泥と宝石が入り混じったもの。他人はそれを迷いというが、ミアは思う。それは最高の芸術だと。
が、ともかく――
「異質であれば、依頼通りに排除するだけね」
ピン、と。指先を濡らした清水とともに何かをはじきとばして、ミアは踵を返した。
その後姿が完全に遠くなるのを待って、紺碧斎(ea6378)の足が近づく。
「何を話していた?」
「何って‥‥ミアさんか?」
怪訝な顔の翔平に、斎は頷いて見せた。
「ああ。あのミアって娘だ‥‥彼女は何と?」
「何と、と云っても‥‥」
弥一郎が先ほどの会話の内容を告げた。それほどたいしたことは話していないはずだ。
が、斎の眼はかたい。その様子に不審を抱いた弥一郎が問うた。
「それが、どうかしましたか?」
「いや、何でもない‥‥」
口とは裏腹。忍びの彼は迂闊に他人を信じない。出立ぎりぎりまで姿を見せなかったミアという女。背を見せるのは、まだ早い。
手を振ると、そそくさと斎もまたその場を後にする。見送る翔平は、やや呆気の態だ。
「何なんだ、いってぇ」
「‥‥」
北斗は無言。
なぜなら、彼もまた忍びであるから。
友も恋人も、友情も愛も、完全に切り離して見ることのできる冷徹。まさに心のおきどころは刃の下だ。
北斗は強いて笑みを深くした。
「翔平さんは林檎さんが、好きなのだ?」
「ええっ!?」
素っ頓狂な声を張り上げ、翔平は手をばたばたさせた。
「な、何を云ってる。俺は別に林檎ちゃんのことなんて、何とも思っちゃいねぇぜ」
「あたしがどうかしましたか?」
「あたしって‥‥わっ!」
背後に佇む憧憬の。所所楽林檎(eb1555)に気づいて、翔平はこけた。
「今、あたしのことを話されていたようですが」
林檎は冷ややかな眼で翔平を見下ろした。悪い人ではないのだが、やはり浮薄の様が気にくわない林檎である。
「実は翔平さんは林檎さんのことが、むごっ‥‥」
北斗、口を押さえられ――翔平、口を押さえ、強張った笑いを押し上げる。
「いや、依頼のことさ。り、林檎ちゃんは正体を見極める役だから大変だろうなって‥‥」
「‥‥そう、ですね」
それほど動く表情ではないが、それでも林檎の面に翳がさした。
腹違いの姉であるキルト・マーガッヅが調べてくれたところでは、成り代わりの妖しの例は枚挙にいとまがない。そして、その中には黄泉兵も含まれている。
以前、林檎が対峙した黄泉の兵。その者は己の正体を隠蔽するため、成り代わられた者の身内を手にかけようとした。その事象が此度も当てはまるとしたなら‥‥
――嘘をつくのはかまわないのよ‥ただ、その責任を取れる人間に‥後悔しない、誇りを持った人間になりなさいね。
母、所所楽杏の言葉が胸の深奥に鮮やかに蘇る。
「また、嘘をつかねばならないかもしれませんね」
ぽつり、と。
命の先を定めることなどできぬが、哀しみを背負う覚悟ならできている。
「では‥‥」
「ち、ちょっと――」
立ち去ろうとする林檎を、慌てて翔平が呼びとめた。
「何か?」
「あ、あの‥‥」
もじもじばたばた。
懐から取り出した螺鈿の櫛。真珠色が日の光を様々に分ける蠱惑的なそれを、翔平はおずおずと差し出した。
「も、貰っちゃくれねぇかな」
翔平の使うは新陰流。剣理は捨て身。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。
が、浮かばない瀬もある。
「いただく理由がありません」
「阿呆だな」
すでに馬上にあった二影のうち、黒眞架鏡(ea8099)が冷笑を浮かべた。
くすくす笑うと、前に座した零亞璃紫阿(ea4759)が架鏡の夕陽色の瞳を振り返り、見た。
「どうして? 楽しいじゃありませんか、あの方達」
「馬鹿な。仕事の最中だ。色恋を持ち込むなど――」
架鏡は掌中の手裏剣を握りなおした。
ひやりとする鋼の感触。十字を重ねたような破邪の得物にはすでに紐がくくりつけられ、静もりつつ牙をむく時をまっている。
「でも――」
亞璃紫阿は口元をゆるめたまま、仲間を眺めやった。
「この依頼、どう転ぼうと、きっと結末には哀しみが待ち構えているでしょう。それを思うと、あの方達の明るさは救いです。それに」
亞璃紫阿は再び架鏡に眼を転じた。
「あの強靭さ、頼もしくはありませんか」
●甚助
「どうだ?」
架鏡に問われ、木陰に身をひそめた林檎は声もなく肩を落した。
今眼前を通り過ぎていった親子。
一人は穏やかな幸せをかみしめている風のお澄であり、一人は加代である。
そしてもう一人。布で半顔を覆い隠した甚助と名乗る者。
が――
林檎の紡ぎ出した生命探査の呪――デティクトライフフォースに反応があったのは二つ。そこから導き出される結論はひとつだ。
甚助は生きてはいない。
翔平はぎりと歯を噛んだ。
「となりゃ、退治するしかない‥‥よな、やっぱし」
「いや」
悪鬼払いの短刀、片手に。弥一郎は頭を振った。
「そう断じるのは早計‥‥私は思うのです。もし彼がお澄さん親子との生活を本当に望んでいるのであれば、このままの生活でも良いかと。‥‥勿論お澄さん、加代ちゃんの意志が優先ですが」
「馬鹿な」
蔑むかのように、架鏡は口を歪めた。
「妖しと人が共に暮す、だと。寝言は寝てから云うことだな」
「おいらも、そう思うのだ。やはり、あるべき姿に戻す必要がある、と」
シルフィリア・ユピオークのからの情報。成り代わり可能の魔物について。此度はどうやら死人の妖しであるようだ。
「ただ甚助さんの正体が何であれ、それがお澄さんを慮って故の今の状況ならば、彼に協力を求めたいのだ」
「何を‥‥正体が知れたとき、奴がどうでるかわからんのだぞ」
「まだ危害を加えるつもりかどうか、わからないわ」
ミアが嘯いた。
成り代わりが戻ってきてからすでに数日。未だにお澄も加代も生きている。それはとりもなおさず、害意のない証しとみることはできないか。ふうと亞璃紫阿はつめていた息を吐いた。
「ともかく、あの親子を観察してみましょう。私は加代ちゃんと話してみるつもりです」
「ならば私も同行しましょう。童は鋭い。加代ちゃんが彼に何を感じているか、それが手繰るべき糸の端緒となりうるかも知れません」
踏み出しかけた足をとめ、弥一郎は顔を仰のかせた。
空が、泣きそうだ。
●加代
「どうぞ、なのだ」
北斗は紅糸の鞠を拾い上げると加代に手渡した。
「ありがと」
ちっちゃい笑み。突つけば破れてしまいそうな。
しばらく観察していた北斗であるが、加代の様子に怯えは見えぬ。
「加代ちゃん、ちょっといいかなのだ」
「うん?」
きょとんする加代の前で、亞璃紫阿は膝をつき、幼い瞳の高さに自身のそれをおいた。
「最近お父様が帰ってきたらしいけど、そのことで聞きたいことがあるの」
「お父つぁん? お父つぁんは帰ってきてないよ」
「えっ!? い、今、なんと――」
喘鳴のような声で弥一郎は顔が問い重ねた。すると加代は口を尖らせ、
「うーんと、ね。おっ母さんが云ってたの。お父つぁんはお怪我をして、別の人になっちゃったって。でもお父つぁんだって」
「!」
地がぐらりと揺れる感覚。
愕然として三人の冒険者は顔を見合せた。
――お澄はすべてを知っている!
●甚助
する、と現れた人影に、甚助は水汲み桶を地におろした。
「なんだ、あんたら」
「甚助‥‥いえ、常世の方ですね」
「なにを――」
秋風の声音で告げる亞璃紫阿をせせら笑おうとし、甚助はわずかにたじろいだ。眼前の弥一郎――ではない。彼のもつ柊の小柄に対して。
「すでに素性は知れております。いえ――」
甚助が僅かに身動ぎするのを見とめ、林檎が制した。
「すぐにどうこうというつもりはありません。まずはお話を伺いたいのです」
「話、だと?」
布の隙間から覗く眼に、ギラと禍禍しい光。口調はすでに野の民人のものではない。
●お澄
呼ばれて、お澄は振り返った。
昼餉の支度を終え、甚助の後を追おうとした矢先。見れば狐のように眼のつりあがった若者が駆けてくる。
「お、お加代ちゃんが大変なのだ」
「えっ」
お澄の声が甲高くなった。狼狽の極みのお澄を北斗は叱咤する。
「怪我をして呼んでいるのだ、早く!」
●甚助
「貴方とお澄さんの様子を陰から見させていただきました。あたしの見るところ、貴方に害意があるとは思えない。‥‥教えてください。どのようなつもりで、あの二人と暮しているのですか」
じっと。魂の底まで見透かすように眼を据え、林檎が問うた。
甚助は無言。ただ、ちらと。林檎を守る位置に立つ翔平と――いつの間に姿を見せたか、木に背をもたせかけるようにして立つ架鏡に視線をはしらせた。
ちち、小鳥が囀り、つられたように亞璃紫阿も口を開く。
「訳などわかりませんが、もし善かれと思ってのことならば、甚助さんの口から、今のままではいけないとお澄さんに話していただけませんか。甚助さんを失うことは支えをなくすこと。けれど、甚助さんの言葉なら」
「そう」
弥一郎もまた、静夜の如く、諭す。
「あの親子を想うのなら、人でないあなたがするべき事はひとつしかありません。引き際はわきまえてますね? 常世の夢なんてないんですよ‥この世では」
「云うことは、それだけか」
くくく。
忍び、あがるのは、嗤い。眼の刃、さらに白々と。
●お澄
はた、と、お澄は足をとめた。
怖い顔をして、じっと北斗を睨みつける。
「嘘、だね」
じり、と退る。
「誰だか知らないけど、またあの人をわたしから奪うつもりなんだろ!」
本能、なのか。それとも虫の知らせなのか。甚助を求めてお澄は着物の裾を翻した。が――
しゅるる、と。空を切り裂くように鋭く疾った剛鞭が、優しくお澄をからめとった。
「あなたを行かせるわけにはいかないの。あなたが抱くべきものは過去じゃなく、未来だから」
ミアは云う。繊手、のびる線、そえながら。が――
「いやっ!」
狂ったように身をよじり、お澄は泣き叫ぶ。眼も、噛み裂かれた唇も、深紅。世界が嗚咽に染まる。
それでも――
北斗はお澄の肩を掴んだ。放すまい。その眼も、心も。聞いてほしいことがあるのだ。
生き続けなければならないこと。娘のために。そして彼女の内に生き続けているであろう、甚助のために。
それは――
愛する者の微笑みに出会うことだ。
●甚助
「善かれ、だと? 想う、だと?」
きしきしと。鼓膜に突き刺さる声音で甚助――黄泉兵が嘲笑う。
「馬鹿者どもが。何故、儂が餌に想いを寄せねばならぬ」
「それは――本心ですか?」
ぞわり。
林檎の髪が逆立つ。その身を覆う黒光も炎の如く揺れ――
かっ。
甚助の口から苦鳴があがった。
呼気は虎落笛。そして、躍りあがる姿は蝙蝠。
甚助は襲撃する。桃の木刀もつ亞璃紫阿を避け、ブラックホーリーを放った林檎に向かって。すでにその手には紫電の刃が握られている。
戛然!
空に灼けた星、散り。翔平の鬼魂が雷刃を受けとめた。
「おのれっ!」
黄泉兵が飛び退った。化鳥のように一気に数間の距離を。
その背に――
突。
雷には雷。御雷の名は伊達でなく、その鋭い刃先は、穏身をといた斎の拙い剣技においてさえ鈍ることなく黄泉兵をとらえている。
が、それは僥倖に近い。振り向き様に薙ぎ払われた黄泉兵の雷刃によって、ミカヅチははねとばされている。
ギンッ!
黄泉兵の眼が赤光を放ち、斎のそれは死の予感に見開かれ――
唸りをあげて流れた八握剣により、二つの影が分たれた。のみならず、黄泉兵の胸元が裂かれ、布で包まれたものがぽとりと落ちる。
「あっ」
何故か。黄泉兵の口からひび割れた声がもれ――
なんでその隙を見逃そう。架鏡は八握剣の二撃目を放ち、亞璃紫阿と弥一郎は刃舞わせ、殺到する。ともに桃の威に纏わせて。
弊れた黄泉兵は。もはや人の体裁をたもってなどいなかった。木乃伊と変じたその死相を苦々しげに見下ろし、斎が唾を吐き捨てる。
「こいつ、お澄さんと加代ちゃんを餌だと云いやがった」
村に住まう了解は取り付けてある。が、こいつに騙されていたお澄の真心はどうなるのだ。
その傍ら。架鏡は身を屈め、地の布包みを拾い上げている。黄泉兵の胸元からこぼれ落ちたもの――
一瞬緩んだ黄泉兵の殺気。その元は、これに違いない。
広げ、さしもの架鏡が息をのんだ。その只ならぬ様子に、何事かと集まった冒険者達であるが。
架鏡の手元を覗き込み、皆一様に声もない。
そこに。
布包みに大事に温められていたものは――簪と櫛。粗末な拵えだが真新しく。おそらくはお澄と加代のために買い求めたものだろう。
何故――
冒険者達は視線をさ迷わせた。
さらにお澄と加代を手玉にとる為の方策か。それとも――
応えは、ない。
常世の者の胸の内など窺いようもなく。そこに湧いたものは、さらに手の届くものでもなく。真実は永遠の闇の彼方だ。
重い足を引きずるようにして翔平が歩き始めた。
「どこへ?」
問う弥一郎に、翔平は白茶けた笑みを返した。
「お澄さんと加代ちゃんのとこさ。このままおさまるはずがねぇからな。甚助さんはあの世に戻った。最後に母さんを頼むと言葉を残したって云ってやりてぇんだ」
再び歩み始めた翔平の背は震えている。
嗚呼、と。
「――楠井さん」
そっと。林檎は手はのばした。そして、告げる。
「あの螺鈿の櫛、やはりいただけませんでしょうか」
泣きそうな空に蒼。
ミアが呼んだ。