【江戸の騒擾】緋竜

■ショートシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや難

成功報酬:1 G 89 C

参加人数:7人

サポート参加人数:4人

冒険期間:11月03日〜11月12日

リプレイ公開日:2005年11月13日

●オープニング

 ふうわりと舞い降りたのは白い影。
 踏みおろした足は、巌のように地に伏した別の黒影の背を――
 骨が砕け、肉がひしゃげる異様な音が闇に響いた。
「伊賀猿めが。尾行けてきたものであろうが――」
 白影――嗤うと、九鬼花舟は眼を転じた。
 その視線の先、うっそりと佇むのもまた美影。
 女と見紛うばかりの美丈夫は紅をひいたかのような唇を微かに開いた。
「花舟か」
「遅くなり申した、才蔵殿」
「かまわぬ、が――」
 美影――霧隠才蔵は背をむけたまま、
「おぬし、源徳に眼をつけられておるのか」
「ふふふ。仙台公の江戸屋敷に出入りしております故な」
「仙台? ‥‥伊達政宗か」
 才蔵がゆっくりと振り向いた。
 仙台青葉城主、伊達政宗。野心多き独眼竜の名は才蔵も聞き知っている。
「左様。‥‥それよりも、かねてのもの、用意ができ申した」
「そうか」
 才蔵が頷いた。
 刹那、闇の片隅に気配がわいた。その数は三。
「それは」
 驚くふうもなく、花舟が問うた。すると、才蔵の代わりに、闇のうちから低い声が流れ出た。
「霧隠忍軍が一忍、時雨」
「紅蓮」
「雷電」
 名乗り終え――されど、以前姿は見えぬ。その隠身に感嘆したように花舟は、ほうと息をつく。
「才蔵殿配下の方達か」
「そうだ。この者どもが手配をする」
「ならば、安心。才蔵殿子飼いの方達なれば、もはや事は成ったも同然」
「世辞はよい。それより、油問屋の方は大丈夫であろうな」
 冷ややかな才蔵の声音に対し、花舟は口元を緩めた。
「蔵人を向かわせており申す」

 川面に月光の斑が揺れている。
 照り映えは筋骨隆々たる巨漢の侍と商人風の男の面をゆらと染めあげ――
「先日のものはすでにお渡ししておりますが‥‥蔵人様、まだ何かお入りようでございますか」
「うむ」
 振り返りざま、蔵人と呼ばれた侍がその手の巨槍をしならせた。月光をはねた弧線は眼にもとまらず――商人風の男の喉笛を貫いている。
「島田屋、うぬの命が所望じゃ」
 嘲笑うと、蔵人はびくびくと痙攣している島田屋の首から巨槍を引きぬいた。しぶく鮮血は薄闇に深紅の花を咲かせ、蔵人の姿を朧とする。
「うぬの口から事がもれると面倒でな。恨むなよ」
 とどめを刺すべく、蔵人が巨槍をふりかぶった。
「もうすぐ鬼の門が開く。さすれば江戸は死人で溢れ返るであろう。地獄に落ちても寂しくはあるまい」
 一気に刺し貫こうとし――しかし蔵人の巨槍がとまった。
 殺気。
 魔人蔵人の槍すらとめる凄絶の殺気が吹きつけてくる。
 はじかれたように振り向く蔵人の眼前。数間向こうに立つのは深編笠の侍だ。
「やっ、うぬは!?」
「というところを見ると、俺のことを見知っているようだが‥‥生憎、俺は人殺しに知り合いなどはおらぬ」
 深編笠から響く声は春風駘蕩。
 その声音に苛立ったか、蔵人の巨槍がびゅうと唸った。
 飛鳥のように飛び退る深編笠の侍。が、疾る銀光は深編笠を斬り裂き――
「この太刀筋、見覚えがある。きさま――」
 深編笠から覗く眼が爛と光った。
「平織屋敷の前で霧隠才蔵に凝した奴だな」
「ちっ」
 今度は蔵人が飛び退った。一気に数間の距離を。
 追おうとし、しかし深編笠の侍は島田屋がごぼごぼと血を噴いていることに気づいた。
 躊躇は一瞬。すぐに深編笠の侍は島田屋の傍らに屈み込んだ。
「おい――」
 抱き起こされ、島田屋の眼がうっすらと開く。
「お、鬼の‥‥も、門が――」
「なに!?」
 耳を近づけた深編笠の侍であるが。すぐに声は血の音に紛れて、消えた。
「鬼の門、だと‥‥」
 呟くと、深編笠の侍はよく光る隻眼を闇に向けた。

「なにぃ、邪魔がはいったと!?」
 花舟の端正な相貌が細く尖った。
 対する蔵人は口を歪め、
「ああ。島田屋の口は封じたが」
「ならばよいが‥‥で、何者じゃ、そやつ」
「うむ」
 蔵人の眼に、このとき鬼火のごとき光がゆれた。
「あの凄愴の殺気。この江戸にあって、あれほどの隻眼の手練れといえば――」
「柳生十兵衛か」
 ぎり、と。花舟の歯が軋んだ。
「虎長のときといい、厄介な奴がからんできたものよ‥‥が、まあよい。所詮奴は一人。なにほどのことができよう」
 花舟の口が、ゆっくりと。
 鎌のようにつりあがっていく。
「蔵人よ、霜月には良い風が吹くぞ」
 

●今回の参加者

 ea6977 ヨシュア・グリッペンベルグ(47歳・♂・ウィザード・人間・ロシア王国)
 ea9450 渡部 夕凪(42歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 eb0882 シオン・アークライト(23歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb2886 所所楽 柚(26歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3513 蛟 清十郎(26歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3534 平山 弥一郎(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3763 アム・リッツア(24歳・♀・ナイト・人間・ビザンチン帝国)

●サポート参加者

木賊 真崎(ea3988)/ レヴィン・グリーン(eb0939)/ 所所楽 林檎(eb1555)/ 李 麟(eb3143

●リプレイ本文

「あっ」
 つまずいた所所楽柚(eb2886)の身が、背後からのびた手に抱きとめられた。
 深編笠に蝙蝠羽織の侍。冒険者にすら気取られることなく背後に立つことのできる者とは‥‥
「あ、ありがとうございます」
 耳朶まで紅玉色に染めて柚がぺこりと頭を下げると、侍は深編笠のうちから覗かせた隻眼をにんまりと笑ませた。
「いや、礼を云うのは俺の方だ」
「十兵衛殿は相変わらずのようで」
「やっ、うぬか!」
 渡部夕凪(ea9450)にじろりと睨まれて、侍――柳生十兵衛は叱られた子供のように首をすくめた。一方の柚はやや呆気にとられた態で十兵衛を見返している。
 これが柳生十兵衛!?
 源徳家剣法指南役、柳生家の嫡男にして、世に聞こえた剣豪!?
「云ったでしょう、こういうお方だと」
 唖然とする柚に微笑んでから、平山弥一郎(eb3534)は十兵衛に会釈した。
「十兵衛殿、お久しぶりです」
「おっ、弥一郎か。それに清十郎もいるではないか」
 既知の顔を見出し、十兵衛がくしゃっと顔を綻ばせた。が、弥一郎はともかく、蛟清十郎(eb3513)は仮面めいた秀麗な面を垂れたのみだ。柚のような小娘に何をはしゃいでいるのかといった目付きをしている。
「早速ですが、事件のことをお伺いしたい」
「どうせ、色々と下調べ済みだろ?」
 清十郎に促され。
 夕凪に揶揄されて。
 十兵衛は苦笑とともに、島田屋が油問屋であることと殺害時の様子をひろげてみせる。
「では、下手人の槍使いってのは先日の奴だってのかい?」 
 十兵衛の話を聞き終えた夕凪が眉をはねあげた。
 先日の奴――それは霧隠才蔵が平織虎長暗殺を目論んだおり、その才蔵に凝し平織屋敷に潜り込もうとした手練れのことだ。
「ああ。槍と刀。得物は違うし姿形も違った。が、あの太刀筋は確かに彼奴だ」
「ううむ」
 弥一郎は腕を組んで、唸った。
 得物も見目も違うのであれば別人と判じるのが順当であるが、なんせ見立ての主が十兵衛だ。よもや見間違えることはあるまい。
「そういえば、槍使いは鬼の門という言葉を発していたそうですね」
 柚が告げた。その胸のうち。
 京から下ってきた柚にとって、鬼という語句から連想されるものは、すなわち黄泉の兵だ。門となれば、その召喚か。
 そのとき、柚の脳裡をある術師の影がかすめて過ぎた。
 彼女がかかわった上州の依頼。その地において、謎の術師はなんらかの秘術を行おうと目論んでいた。
「九つ様‥‥」
 術師の配下らしき忍びの残した言葉を口にしかけ、慌てて柚は息をとめた。
 ――推測は行動指針に必要ですけど‥それなりの証拠があってこそ、ですから‥ね。
 敬愛する所所楽林檎姉様の教え。まだ胸のうちを披露するには基盤となる断片が少なすぎる。
「しかし――」
 再び口を開いた清十郎。実はこの時、彼は偶然にも鬼の門の符牒を、柚と同じ地平に立って読み取っていた。
「肝要なのは、その槍使いの目論みです。島田屋を殺し、何を企んでいるのか」
「それは――」
 それまでゆったりと息を吸っていた異国の男が口を開いた。
 ヨシュア・グリッペンベルグ(ea6977)。火の呪法師である彼は続ける。
「油問屋の殺害。そして現在の江戸を取り巻く情勢から導きだされるのはひとつだよ。油を使っての悪巧み、といえば放火が思い浮かぶね」
「さすがは‥‥俺もそうみた」
 十兵衛の隻眼がぎらりと光った。すると不動の弥一郎ともあろう男がやや顔色を変え、
「この時期は空っ風が吹きます。これにのったら‥‥」
 最悪だ。もし炎を放たれたりしたら、折りからの強風に煽られた火の手は瞬く間に江戸を席巻するだろう。
「と、いうわけだ。ヨシュアさん、何とかなるかい?」
 云って、夕凪は懐から巻いた紙を取り出した。
 実弟、木賊真崎が手に入れてくれた江戸市中の地図。正確さには疑問があるが、バーニングマップの触媒には欠くべからざる品だ。
「やってみましょう」
 ヨシュアの身が紅色の燐光に包まれた。続いて地においた地図が燃えあがる。
 そして、顕れた痕跡。どれも不正確ではあるものの、幾筋かのひとつが指し示しているのは――
「東叡山寛永寺!」

 その夜。
 夕凪は真崎と落ち合っていた。
「どうであった?」
「いや――」
 真崎の怪訝な様子。グリーンワードにて件の槍使いの行方を追ったはずだが――
 不審を覚えた夕凪がさらに問えば、真崎はぽつりともらした。
「行方が途絶えたのだ。まるで地から消失したように」

 数日後。
 大名屋敷の並ぶ一角を過ぎた広小路繁華街町屋辺りで、シオン・アークライト(eb0882)とアム・リッツア(eb3763)がばたりと出くわした。
 その様に、当人よりも行き過ぎる町人達の方がほうと声をもらしている。
 なぜなら――
 共に月の光で織り上げたような銀糸の髪に瑠璃のような蒼い瞳。胸をおす膨らみは見事なうえに、ぞっとするほどの美貌。眼を吸い寄せられぬ方がおかしい。
「どうして、ここに?」
 アムが問えば、シオンは朱唇をすっと横にひいた。
「油を追ってね。火付けをするとなると、事前にどこかに運び込んでいるはずでしょ。最近重そうな樽を運んだ荷車がこっちの方に来たらしいのよ。‥‥で、アムは?」
 シオンの眼に微かにうかぶ好色の光にも気づかず、ええとアムは口を開く。
「私は島田屋の線を追って。最近の大口の相手を尋ねたのですが」
 断られた。商いに障りがあるという理由らしいが。
 が、大口の取引は個人などでは難しい。必ず何らかの介在があるはずである。
「で、いろいろと調べたところ、島田屋の取引商人の中に一人、仙台伊達公出入りの者が」
「仙台公!?」
 確か文献で月道のことを調べていた清十郎も伊達云々と云っていたが‥‥
「はい。その仙台公出入りの商人の蔵が、この辺りに」
「!」
 シオンが息をひいた。
 大量の樽の目撃地点と仙台伊達公出入りの商人の蔵。この符合は本当に偶然のことであろうか。
「その商人の蔵はどこに?」
「あちらの方に」
 しばらく訪ね歩いて辿りついた先。そこには確かに蔵らしき建物がある。
「ここか‥‥」
 シオンが蔵の戸に手をかけた。頑丈に戸締りされており、そう簡単に中を覗けそうにない。
「油の有無を確かめるのは一苦労だな」
 そうシオンが呟いた時だ。蔵の裏手を調べにいったアムの声がした。
 慌てて駆けつけるシオンもまた同じく声を――
 川。
 蔵の裏手を忍川が流れている。
「これを使われたとなると、追うのは難しい――」
 溜息とともに、アムのしわがれた声が零れ落ちた。
 確たる証しがない以上、火消しの者を動かすのは難しいと十兵衛が云っていたが――

 同じ頃。
 清十郎は土塀の影に身を潜めていた。
 結局のところ文献から月道の位置を特定できなかった彼は、伊達江戸屋敷付近にての聞き込みを行うべく向かったのであるが。
 その裏門。歩き去る軍学者然とした総髪の若者を見とめ、清十郎は慌てて足をとめた。
 なぜと問われてもわからない。伊達屋敷から出てきたような様子に注意を喚起されたこともあるが、何より――強いて云うならば、魔性。
 白日の元にありながら、陽光が翳って見えるほどの禍禍しい気を若者から感じ取り、引きずられるように清十郎は後を追い始めた。
 その間、彼の胸には――
 仙台公、江戸屋敷領内に月道に繋がる何かが在るとすれば、いや、むしろ月道封鎖の為に伊達家のそこに在るとすれば、源徳公と仙台公の関係も‥頷けてくる。
 そして、辻を一曲がり二曲がり――
 ぎくりとして清十郎は身を強張らせた。
 総髪の若者がうっそりと佇んでいる。薄い唇を嗤いの形にゆがめ、深淵のような眼をじっと清十郎に据えて。
 何気ない風を装い、清十郎は総髪の若者の前を歩み過ぎる。毒蛇の牙が首筋にかかる気配に、ともすれば刀の柄に手をかけそうになる己を必死になっておさえつけて――
 
「さてと‥‥童遊びでも、どうだい?」
 鷹揚にヨシュアに笑いかけ、夕凪が忍川に流したものは落葉である。
 それは流れにのってさらさらと。だが、この川歩き。決して言葉通りの酔狂ではない。
 シオンとアムから聞いた蔵近くの川。それは上野不忍池に通じている。
 すでに不忍池の周囲の小屋等は探査済みである。後は川の流れを探るのみ。
「本当に、その何者かはここを使うのかな」
 ヨシュアの発した問いに、夕凪は肩を竦めて見せた。
「さてね。でも確証がない以上、的を潰していくしかないから、な」
「そうだけど――」
 迷いの言葉を吐きつつ、しかし実のところヨシュアは確信をもっている。鬼の門とはすなわち月道を指していると。が、それだけだろうか。
 シオンが云っていた。『鬼の門』とはすなわち『鬼門』。そして江戸城の『鬼門』とはここ『上野』であると。
 
●その夜
 月光の斑を散らす川面をゆらゆらと漕ぎ来った舟が一艘。上野不忍池にほど近い川岸に着くと、それを待っていたかのように馬にひかれた荷車が現れた。
 舟と荷車。操る三つの人影は音もなく船に積まれた荷をおろしはじめ――
 闇を裂いて疾る矢に、三つの人影がぱっと飛び離れた。
「柳生十兵衛の手の者か」
「そのような者だ」
 影の誰何に応えつつ、矢の射者――夕凪はさらなる矢をつがえる。狙いは赤光を放ちはじめた影だ。
「させぬ」
 矢が唸り、赤光が消えた。どうやら術の発動は阻止したようだ。
「ええい、こやつの相手は俺がする。お前達は荷を」
 叫ぶ影――時雨の腰から銀光が迸り出た。地を蹴って迫る姿は猿のように素早い。
 一度荷に用意した矢に手をのばそうとし、すぐに夕凪は懐の短刀に手をのばした。接近戦に備えるべく。
 ちらり。瞬いた夕凪の眼に焦慮の翳。
 人手が、足りぬ。

 寛永寺。
 五重塔の手前。
 砂利をはねつつ、荷車がとまった。
 薄闇に浮かびあがる二つの影――ヨシュアとシオンが立ち塞がったゆえだ。
「ここから先は」
「行かせませんよ」
 シオンとヨシュアの叫びに、しかし影の一つ――紅蓮は嘲笑で報いた。その身が燐光に包まれている。
 咄嗟に身構えた二人であるが。影は右手を荷駄の後方に向けた。
「馬鹿め」
 放たれた火球は地を爆裂させ、のみならず――のたくる蛇のように地を駆けていく。
「油を――」
「撒いていたな!」
 驚愕につらぬかれたのは一瞬、すぐさまヨシュアは呪を紡ぐ。織り成す色は、まさに敵と同色。
 まるで水をうったように。次の瞬間には消失している火の蛇を眺めやり、ヨシュアはふふと口元をゆるめる。
「炎を操れるのは、君達だけじゃないんだよね」
「小癪な!」
 火球を放ったのとは別の影――雷電が荷車を走らせた。
 咄嗟に左右に飛んで避けたヨシュアとシオンであるが。地に降り立つより早く、シオンは刃を鞘走らせている。
 しかし、態勢を崩しつつ放った一撃はいつもの鋭さを欠き、雷電をかすめて――五重塔めがけて疾走する荷車から雷電が飛んだ。一瞬後、空を貫いて疾る火球が荷車にぶち当たり――
 眼も眩む爆発が天と地を震わせ、飛び散った火油は折りからの強風をうけ流星雨のように降り注いだ。五重塔に、周囲の建物に、境内の木々に。のみならず、それは消し鎮めたはずの火蛇を再びのたくらせて――

「あれは――」
 遠く。江戸の空を染める茜の色を見上げ、清十郎は足をとめた。
 ついに――
 唇を噛んで、若き武芸者はひた走る。仙台公、伊達江戸屋敷に向かって。

 そのとき、対峙する夕凪と時雨を橙色の光が照らし出した。
 それは刻は至らせ、殺気を満たせ。
 闇を裂いて二影が交差した。
 閃く刃と刃。
 技量は時雨の方が上であったろう。が、実際には夕凪は胴をわずかに斬られたのみで、逆に彼女の夢想流抜刀術の刃は時雨の首を刎ねている。
 それは身代わり人形をもつ夕凪の捨て身の強さゆえであったか。それとも背負う想いの重さゆえであったか。
 地に伏した時雨を一瞥し、口を割らせることを諦めた夕凪は薬水を口に含みつつ地を蹴った。寛永寺へ、と。

 巨槍を担いだ侍が、ぴたりと足をとめた。
 その眼前に、するすると弥一郎は身を滑らせる。
「島田屋殺害の下手人ですね」
「門は開かせませんよ」
 背後に柚。守るように、アム。
「できるか、うぬらごときが」
「寛永寺に仲間がいるわ」
「なにぃ」
 アムの言葉に、はじめて槍使い――蔵人の表情がゆれた。
 なんでその隙を弥一郎が見逃そう。彼の手からきらと光が放たれた。
 戛!
 旋風巻く槍の一閃が弥一郎の短刀を薙ぎ払った。が、それこそ弥一郎の兵法。
 一気に間合いを詰めた弥一郎は、槍を右に払った姿勢のままの蔵人を逆袈裟に斬り上げ――
 がっきとばかりに、弥一郎の刃は蔵人の掌に掴まれた。
「なに!」
 さしもの弥一郎がひびわれた声を発し、蔵人がにたりと嗤った。
「良い腕だが、俺は斬れぬ」
 刹那、びゅうと槍が繰り出された。
 それは身動きならぬ弥一郎を――いや、彼を庇ったアムの脇腹を貫いた。
「大丈夫‥。私が守る」
 死生一如の技。致命の一撃を避けたアムの刃が獲物を求めるかのように蠢き――今度こそ蔵人は飛んで離れた。柚が呪符を広げるのを見とめたゆえだ。
「事は全て成らなんだが、江戸の霊的防護は砕かれた。これで江戸の夜は闇のものどもの天下ぞ」
 高笑いを残し。魔性の槍使いの姿は闇に溶け込むように消えた。

「ヨシュア!」
「だめだ」
 火の粉を払うシオンの叫びに、ヨシュアは青白い顔を振った。
 油と風に膨れ上がった火勢はプットアウトでは鎮火できぬ。またファイヤーコントロールでは効果範囲が小さ過ぎる。おまけに敵は五重塔に至る前に油を仕掛けておいたものらしく、火筋は次々と誘燃させている。
「ヨシュア、せめて町を」
 火筋が山門の方にものびていることに気づき、シオンが叫んだ。おそらく敵は町にも油を仕掛け、筋をひいてきているに違いない。
「わかりました」
 何としても炎の龍をとめて見せる。火勢さえ強くなければ広範囲のプットアウトで消火は可能だ。
 駆け出そうとし、しかしヨシュアはたたらを踏んだ。眼前に紅蓮が立ち塞がったためだ。
「同じ炎使い。うぬは俺が始末する」
「どけ」
 シオンが紅蓮を薙いだ。とてもディザームを使う余裕はない。二人の敵を牽制するのが渾身の業だ。
 そのとき――
 紅蓮が苦鳴をあげて膝をついた。見ると、その肩に深々と矢が突き立っている。
「おのれ」
 矢を引きぬいた紅蓮と雷電が、一気に数間の距離を飛んだ。待て、とばかりに後を追おうとするシオンを夕凪が制止する。
「もはや追っても及ばぬ。それよりも――」
「町は大丈夫だ。火の導線はヨシュアがとめてくれるはず」
 おそらく火の粉も。しかし――
 暗澹たる眼をシオンが上げた、刹那。
 五重塔が焼け崩れた。
 そのとき。
 ごう、と風が吹いた。
 その風音の中に、呆然と立ちすくむ二人の冒険者は――いや、他の冒険者達もすべて、地の底から響く喜悦の嗤い声を聞いたような気が、した。