●リプレイ本文
くおん、くおんと――
異形のものが哭いた。
がちがちと歯を噛み鳴らし、それは飢えにもだえている。
すべてを押し包む、ねっとりと重い闇の中。
それはゆっくりと蠢いた。
同じ闇のうちに――
妙は眠っていた。先ほどまで泣いていたのか、両の頬はまだ濡れたままだ。
寝息とともに上下する胸の動きはやけに浅く小さく――
おぞましき恐怖が忍びよりつつあることも知らずに――
時ならぬ馬蹄の響きに、粗末な住まいから幾人かが顔を覗かせた。彼等の痩せこけた顔は、この村の貧しさを物語っている。
「幼子の命が係ってる、此処は村人にも協力願おうか」
手綱をひく女武者の言葉に、陰陽師はひらと馬から飛び降りた。
女武者の名は渡部夕凪(ea9450)、陰陽師は小野麻鳥(eb1833)といった。
「俺達は冒険者。依頼を受け参った。長に会わせていただきたい」
麻鳥の叫ぶ声に、村人の一人が転がるように駆け出して行った。どうやら冒険者の事は聞き及んでいるらしい。
やがて鳥を思わせる痩せこけた老人がよろめきながら現れた。
「長殿か?」
老人が頷くのを待って、麻鳥が続ける。
「捜索は俺達で行う。だが不慣れな場所だ、情報が欲しい」
彼が問いただしたのは行方不明者の出た森についての噂、規模や生殖する動植物、房の籠の位置や他不明者遺留品のあった場所などだ。敵の正体が死人憑きの可能性が高い為、口減らしの件もそれとなく確かめる。
――この妖かしが村の口減らしによるものなのかは不明だが、悲しみの連鎖は断ち切っておきたい。身内による凶行は救われん。
麻鳥には、その想いがある。が、彼の耳に届く話の内容は要領を得ないものばかりだ。
焦慮の滲む面を上げる麻鳥の前で、夕凪は肩を竦めた。深緑の木々に向ける眼差しには困惑の色が濃い。
「迷い子ってのは難儀だね。大人なら出立点と終点結べば手掛かりは得られるんだが‥‥」
予想の斜め上をいってくれそうで――溜息とともに、夕凪はそっと呟いた。
「急ぎましょう。時は宝石の様に貴重です」
宮崎大介(eb1773)の言葉に頷くと、内栖双葉(eb2387)はたいまつに火をつけた。広大な闇の中では頼りない灯火かも知れぬが、仲間内の目印にもなる。
日はまだ中天にあるが、鬱蒼と茂る森に落ちる闇は夕刻のそれに近い。すでに闇に属するものの蠢動する刻限であるのかも知れぬ。
ふむ、ともう一人肯首した。濡れたような黒髪の、美しい女陰陽師である。
「妙様の身に危害が及ぶ前に見つけださなければなりません」
「まさに――」
冷然たる口調の女陰陽師――山城美雪(eb1817)に相槌をうち、麻鳥は懐から大神森之介から譲り受けた護符を取り出した。続けて彼の繊手が走り、護符が翻る。
「急々如律令!」
紡がれた呪は燐光となって麻鳥の身をつつみ、発動されたブレスセンサーが周囲の息吹を探る。
「どうだい、反応は?」
女志士、佐伯七海(eb2168)の問いに、麻鳥が頭を振った。
「そう容易くは見つからぬよ」
「だろうね」
頷く七海は、友人の甲斐さくやの言葉を思い浮かべた。
さしたる手掛かりはない――江戸において周辺の村の噂を聞き込んでくれた彼女の返事だ。どうやら件の事件は、まだ周辺には広まっていないようである。
「しかし動死体なんて、自然に出て来るものでは有るまい。一体、何が有るんだ、この森に?」
大介のもらした疑念は、深さを増した闇に飲み込まれるようにして消えた。
「妙ちゃーん!」
幾つかの呼び声が交差し、黒くぬりつぶされた静寂を破る。ちらちらと揺れる明かりはつかず離れずも、互いの声の届く距離をたもっている。
――二班に分かれ、森に入り込んだ冒険者達であった。
「探している時は、失せものっていうのは見つからないもんだね‥‥」
双葉が落ち葉を握りつぶした。
口調はおちゃらけているが、地を這う視線は真剣そのものだ。彼女は足元を調べつつ歩んでいたものだが、未だ成果はない。
「そっちは、どう?」
双葉の問いに、マハラ・フィー(ea9028)は頭を振った。
「だめです。手掛かりは何も――でも、眼だけに頼っていては危険かも。妙さんは怖くて声をからすか、小さく泣いているものと考えられます。しかも狭い場所にもぐりこんでいる可能性も」
「然り」
頷き、麻鳥は鬱蒼と生い茂った木立を見上げた。
そこに妙の痕跡があるわけではないが‥‥敵は死人憑きと決まったわけではない。怨霊の類ならば、頭上からの襲撃にも備えねばならぬ。
麻鳥は独り、警戒の糸を張り巡らせていた。
一方――
影のように夜の底を進む者があった。
忍びの月風影一(ea8628)である。
優れた視覚と聴覚を駆使し、彼もまた妙の声と姿を求めていたものだが、他の者と同じく依然として収穫はない。
それは、傍らで叢をかきわけている美雪も同様であった。さすがに髪をとかすことも忘れ、疲れのまじった吐息をつく。
「少しは手伝ってはいただけませんか」
美雪がちらりと冴えた眼差しを上げた。提灯を掲げ持ち、周囲に鋭い視線をはしらせる夕凪に向かって。
が、年嵩の夕凪は平然とうそぶいた。
「何かがこの森にいる事は間違いないんだ。警戒を緩めるわけにはいかない。妙坊の保護より先に、私達が倒れる訳にはいかないだろ」
相棒の銀が居れば、妙な気配には先に反応してくれるんだが‥‥夜目がきかぬと鷹をおいてきたことを、夕凪は悔やんだ。
「これだけ騒げば、妙ちゃんだけでなく、その敵を引き寄せることにもなるからね」
その敵に専念したい――クーリングの発動に備え、七海は何度も掌を握り締めた。
そう――
七海の読みは間違っていなかった。
彼等の声と掲げる灯火は、確実に妙を呼び寄せていたのである。
そして、別の何かをも‥‥
「ここですか?」
美雪の問いに、重々しく影一が頷いた。その傍らを過ぎて、麻鳥が村人から聞いた目印の巨木に歩み寄る。
森を外れ、彼等は山道にさしかかっていた。房の姿が消えた獣道だ。
「ここで、妙ちゃんのお母さんが消えたのですね」
慨嘆する大介の周囲で、冒険者達がわずかに身動ぎした。
無理もない。房が消えた現場であるということは、同時に敵の潜伏している場所である可能性も高いのだから。
哀しみの地であると共に、ここは修羅の巷でもあるのだ。
「しかし、何が原因で死人憑きなど現れたのだろうか?」
ぽつりともらした影一の問いに、答えを返せるものはいない。
京都に死人の群れが出現したらしいが、ひょっとすると、この江戸においても地獄の釜が開いたのかも知れぬ。
「もし――」
突然、マハラが口を開いた。
「思ったんだけど‥‥もし死人憑きの仕業だとしたら、ひっょっとすると妙ちゃんのお母さん――房さんも同じ末路を辿ってるかも知れないんだよね」
彼女の最後の一言に、はっと美雪と影一が顔を見合わせた。
マハラが指摘したのは、誰もが想到し、それでいて眼をそらしていた可能性だ。そして最も残酷な‥‥
「おっかさんの死人還り‥有り得ない、と云いきれないからな‥‥」
呟く夕凪の眼は沈痛の色に彩られている。
もし房が死人憑きとなった場合、妙の眼前で母親を弊せるか――
苦悶に唇を噛む夕凪の傍らで、麻鳥は護符を取り出した。
「麻鳥の兄さん、何を――?」
「何が起きたのかを知りたい」
影一に答えると、麻鳥は丸めた護符をするりと広げた。
ステインエアーワード。護符に記された呪は、風と語らうことを可能とするものだ。
が――
数箇所に足を運び、麻鳥は首を振った。
「だめだ。風が澱んでおらん」
溜息をつく麻鳥の眼が、何かを見つけ、ちらりと動いた。
全員が見守る中で、麻鳥は指刀を立てた。
ピシリッ、と――
彼の指刀が躍り、空を打った。
そして幾許か後――
猿が跳び去り、麻鳥はゆっくりと息を吐き出した。
「獣の心に問うたのですね。で、何と?」
美雪の静かな声音に、返す麻鳥の面には微かな狼狽が浮かんでいる。
「――俺達は間違っていたのかも知れぬ」
「間違い?」
大介が眉をひそめた。
「そう。死人憑き――俺達はそう考えていた。が、房は頭上の何者かに襲われた」
麻鳥の言葉に、はじかれたように冒険者達は頭上を振り仰いだ。
ザワリザワリ、と――
暗い樹葉は揺れ、ただ瞑目しているばかり。そこには何者の影も見出すことはかなわぬ。
けれど――
葉擦れの音一つ一つが魔性の跳梁跋扈に感じられ、冒険者達は我知らず身構えた。
その時――
慌しくマハラが周囲を見まわした。
「どうしたんだい?」
「声が――」
問う七海には眼もくれず、マハラは夜目の効く眼で周囲を探りつづけている。
「声?」
「何も聞こえないぞ」
顔を見合わせる美雪と麻鳥を、影一が制した。
「いや、確かにおいらにも聞こえた――」
彼の真剣な面持ちに、ようやく他の者も合点する。
マハラだけでなく、影一も――もはや間違いあるまい。
一斉に冒険者達は声を張り上げ、妙の名を呼んだ。同時にたいまつや提灯を振り上げる。
もし妙が気づけば、こちらに向かってくるはずだ。いや、すでに向かいつつあるのかも知れぬ。
「!」
突如、影一が身を強張らせた。ちらりと向けた彼の視線の先で、マハラが頷く。
「拙い――」
うめく影一に、大介が提灯を突きつけた。
「今度は、なんです?」
「殺気が‥‥何か、いる」
「なに!」
双葉が頭上を睨みつけた。麻鳥の言葉が確かだとすると、殺気の主は樹上に潜んでいる公算が高い。
「房さんを襲った奴?」
「分からない‥‥でも、いるよ、近くに」
答えて、マハラが身を震わせた。彼女もまた、からみつくような冷たい殺気を感得しているのだ。
「ええい、早くしなければ妙が――」
「麻鳥様ともあろうお方が、仰々しい」
さすがに焦燥の声をあげる麻鳥の前に、冷笑を浮かべた白影が立った。
「此度は私が‥‥」
ばさり、と美雪が巻物を広げた。紡ぐ呪は風精を呼び、周囲の息吹を読み取らせる。
「まだかい、美雪さん」
問いつつ、夕凪は矢を地に突き刺した。その手には愛用の梓弓。敵の正体が分からぬ以上、片方は無手の方が勝手が良い。
美雪はちらりと氷の眼差しを走らせただげで、なおも呪の詠唱を続けた。
そして――
美雪の指が、一点を指し示した。
そこは凝固したような闇が黒々としているのみで、まだ何者の姿も見とめられぬ。が、その奥に妙がいる!
枷を解かれたかのように、一斉に冒険者達が駆け出した。
中から――
さらに一つの影が飛び出した。疾走の術を用い、走る速さを増幅させた影一だ。
「いた!」
樹間に見え隠れする小さな影に気づき、影一が叫んだ。が、同時に彼は、妙の頭上に浮かぶ幾つかの白い塊をも見とめている。
なんだ?
凝らした影一の眼が、驚愕にカッと見開かれた。
顔だ。
白蝋めいた顔色の、死人のような顔。それがじっと妙を見下ろしている。
くわっ、と――
首の一つが、耳まで裂けたような口を開いた。ぞろりと覗くのは刃に似た歯だ。
一息二息――首の一つが、妙めがけて舞い降りた。
「チィ!」
影一の手から手裏剣が飛んだ。空を裂くそれは、狙い過たず首の真中に突き刺さる。一瞬後、森を震わせて、この世のものとは思われぬ絶叫が木霊した。
「妙ちゃん!」
走り寄ると、妙を抱き上げ、影一が跳んだ。一息遅れて、妙がいた空間を首の一つがかすめて過ぎる。がちりと歯が噛み合う音が響いた。
「あっ」
うめき、影一がたたらを踏んだ。眼前に別の首が舞い降りてきたからである。そして背後にも――
「おのれ!」
影一が妙を抱きしめた。せめてこの幼子だけは守らねばならない。
しゃっ!
夜気をつらぬいて、鋭い呼気が影一の首をうち――
血飛沫をあげて、二つの首が地に落ちた。その額には、深々と矢が突き刺さっている。
マハラと夕凪の矢だ。さらに――
収束された月光が矢と変じ、美雪の手から放たれた。複雑な軌道を描き、自らの意思があるかのように地でのたうつ矢の突き立った首へ――
ぎゅるるぅー
耳を塞ぎたくなるような苦鳴が響いた。ムーンアローを撃ちこまれた首のあげた断末魔の雄叫びだ。
しかし、手裏剣で傷つきながらも、なお妄執の晴れぬ首が、さらに影一に襲いかかった。
ザンッ!
炎をまといつかせた大介の刃が唸り、首を両断した。声すら上げえず、首は地に叩きつけられている。
仕上げとばかりに、七海が地で蠢く首を押さえつけた。彼女の手に帯びた超低温の冷気が魔物を凍りつかせていく。
その時、煙る黒血から庇うように、妙に毛布がかけられた。
「毛布被って、足下にしゃがんでてくれるかい?」
優しき声は、弓を手に立ちはだかる夕凪の背からした。
毛布をとった途端、妙が双葉にしがみつていきた。安堵した為だろう、堰を切ったように泣きじゃくる。
顔も手足も泥まみれだ。履物はどこかで脱げてしまったのだろう、足は傷だらけだ。
どれほど痛く、恐かったことか――
「ほら、もう大丈夫だから、父さんの所に帰ろ‥‥」
双葉が妙を優しく抱きしめた。
その時、チチッ、チチッと――
妙の耳に鳴声が届いた。小鳥の声だ。
ピクリとすると、おずおずと妙が振り向いた。その無垢な眼差しの前で、鳥の鳴き真似をするのはマハラである。
――せめて、今だけでも笑っていてもらいたい。
そのマハラの想いを知ってか知らずか、ニッと妙が笑った。
「もう母親がこの世に居ないって事、いつか自分で解かると思う。辛いだろうけど、しっかりと現実を受け止めて頑張ってほしいわね‥‥」
父親に抱かれた妙を見送りつつ、双葉が言葉をもらした。
冒険者にできる事は、所詮ここまでだ。哀しくとも、後は自分で乗り越えるしかない。
頷いた影一は森の入り口に歩み寄り、手折った花を供えた。瞑目し、願いを送る。
もう、あんな悲惨な事が起らないように‥‥
「あっ!」
素っ頓狂なマハラの声に、影一が眼を開いた。
「今度は、なんですか?」
もう何があっても驚かない。
多少うんざりして問う大介に、マハラは瞳を輝かせて答えた。
「南天輝と約束していたのを思い出したの。妙さんを無事に見つけたら食事しようって」
「愚かな‥‥」
冷然と呟く美雪の腹が、ぐうっ、と鳴った。