●リプレイ本文
寒夜の空に。
飛鳥のように舞い上がった影はすぐに闇に紛れ、物陰に滑り込んだ。
「遅いですよ」
迎えたアム・リッツア(eb3763)の声は切って捨てるよう。が、これでも人影――伝馬町牢屋敷内部を調べてきた月風影一(ea8628)のことを案じているのだ。
「すまない」
影一の応えは簡単。風は多くを語らない。
「で、中の様子は?」
陰影の深い顔立ちの浪人者が問うた。名を鬼切七十郎(eb3773)という。
頷くと、影一は見聞の内容を披露し始めた。その都度、冒険者達は所所楽石榴が調べた牢屋敷の構造と照らし合わせ――
「やはり石出さんは屋敷の寝所辺りだね。殺気が張りつめていて、簡単には近づけなかったから」
影一が推測を述べると、くくく、と所所楽柊(eb2919)が不敵に笑った。
「火事のどさくさに紛れてか〜。‥面倒な事やってくれるよな」
腕を組み、背を丸めた柊の姿はどこか柱のぬけたよう。が、この所所楽七姉妹四番目の侍の覚悟は不退転だ。
受けて肯首するのは、さらにふてぶてしい気風。渡部夕凪(ea9450)という。
「柊さんの云うとおりだが‥‥しかし、無かった事にしてしまえ、とは‥‥確かにけったくそ悪い話だ」
依頼人、柳生十兵衛が残した言葉。隻眼の剣客のしかめっ面を脳裡に思い描き、夕凪は苦笑を零した。
同じく、ふふ、と平山弥一郎(eb3534)は口元をゆるめる。菩薩のように深く、こわく。
「確かにえげつない行為ですが、正論ですよ」
「闇から闇ってのがかい‥‥。どうにもならぬ、と諦めた時点で既に負けってもんさ」
「まったく、侍という輩は‥‥」
北天満(eb2004)が吐き捨てた。
つまらぬ面子とやらの為に、平気で人命を手玉にとる。侍の傲慢さはほとんど害悪に近い。
さすがに侍である弥一郎はばつが悪そうに肩を竦めて見せた。
「まあ、このまま目の前でむざとやらせるのも癪ですからね。鼻をあかしてみましょうか」
「だな〜」
ぐい、と。柊は真っ直ぐに立つ。
それは心魂を込めた証し。刃の柄をちゃんと鳴らし。
「やってみるか〜」
義侠塾塾生の活躍により全焼は免れたものの、伝馬町牢屋敷は吹く風に痛々しい骨身をさらしている。
大牢と二間牢、百姓牢に女牢などは消失し、罪人は逃れ出た。焼け残った揚がり座敷と揚がり屋の牢人も牢からは解放されたものの、先の牢人と違って逃亡できず、屋敷の中に閉じ込められたかっこうになっている。
「やっ、あれは!?」
数箇所の見張りのひとつ。そこに待機する役人の一人が声をあげた。
彼の眼前、ゆったりと歩み寄ってくるのは、先ほどふらりと立ち寄り、何事が起こったのかと尋ねてきた侍だ。人の良さそうな人物であったが、何をしに戻ってきたか――
「おぬし、此度は何用だ?」
問われ、その侍は幾つかの一升徳利を持ち上げて見せた。
「寒い中、大事なお役目ご苦労様です。少しでもこれで身体を温めて下さい」
栓を抜き、侍が一升徳利を差し出した。とたん立ち上る湯気に混じる芳香は甘酒のもの。
師走前とはいえ、夜の風はすでに真冬のそれだ。役人達の眼の色が変わった。
「さ、冷めぬうちに」
「う、うむ」
多少の警戒、もしくは外聞もあったのかも知れぬ。が、侍の一言が背をおした。
一人がおずおずと口をつける。そうなれば、後は雪崩式だ。
うっかり侍が酒をこぼそうものなら、なんともったいない、などとはしゃぐ始末。それには罠師直伝の罠を設置しているという気の緩みもあったろうが――無論、その罠師が冒険者の南天輝であることも、その罠の解除方法が満の手のうちにあることも役人達は知らない。
その様子を満足げに見つめつつ、侍はちらりと眼を動かした。
疾風のように。牢屋敷に忍び込む幾つかの影を彼の視線はとらえている。
「ささ、まだ酒はございますよ」
侍――弥一郎はニンマリと笑いつつ、仕掛けの幕を引き始めた。
「上手く忍び込めましたね」
呟くアムであるが。
手引の主、影一は肩を掴んで、彼女をさらに瓦礫の陰に身を潜ませた。
アムの銀糸の髪――というより、その美貌は人目にたつ。ここはすでに牢屋敷の中。毛ほどの油断もゆるされぬのだ。
「ともかく、七十郎さんがいてくれて、助かりました」
耳をそばだてて気配を探っていた満がぽつりともらした。
偶然にも七十郎は義侠塾塾生として牢屋敷の消火を行ったのだった。故にこそ、屋敷の被害――侵入口もよく承知しているというわけだ。
「道理で奉行がおらぬわけさ」
七十郎がニンガリと笑った。
数日前。確かに牢屋敷が燃えているというのに、肝心の牢奉行の姿は一度も見かけなかった。その時は不審を覚えたものだが、捕らえられていたとあっては、それもやむなし。
そのとき、巨躯の影が頭を覆っていた布を取り去った。少しでも目立たぬようにとの算段であるが、輝く美形は闇にも煌いて――西天聖(eb3402)である。
「目的の為に、まだ生きている者を消す判断など、私は認めぬのじゃ。許せぬのじゃ」
はらはらと。ただ落涙する。
彼女も侍。命より重たきものがあると承知している。侍とは、そのものの為に死すべき者とも。
が、此度の仕儀は承服できぬ。美しくは、ない。
月が雲間に隠れた。
見上げる夕凪は、すぐに視線を元に戻す。
相変わらず牢屋敷は沈黙している。それはとりもなおさず石出帯刀が存命しているという証しだ。
だから、凝視る。針の視線で。夜目において、夕凪は忍びにもひけはとらぬ。隠身の勾玉により気配を消した彼女は、まさに闇中の亡霊だ。
と――
夕凪が僅かに身動ぎした。彼女の眼は、建物の陰に蠢く何者かを確かに見とめている。
一瞬――
夕凪の手が翳んだ。
その手から放たれた手裏剣は夜気を裂いて。音もなく闇にのみこまれた。
刹那、迸る殺気の奔流。その数は二。
髪翻し、夕凪は木陰から滑り出た。その手に縄ひょう揺らめかせ。
「果たさせんよ、意地でもな」
暗と暗、陰と陰を繋ぐように。六人の冒険者は進んでいた。
聖と柊が隠密の業を身につけていなかった為、その足取りは慎重を極め。おまけに牢人達を避ける必要から迂回路を選択しなければならず。
が――
影一の合図で、全員が身を伏せた。
「どうしました?」
「しっ」
アムを黙らせると、夜目のきく聖は顎をしゃくって見せた。その先――罪人と思しき男達が三人、どこから引っ張り出してきたか一振りの刃を手に佇んでいる。
お庭番衆を警戒し、やや離れた位置についていた七十郎とアム、柊が目配せをかわした。
この三人を何とかせねば先には進めぬ。
無言のやりとりは瞬きひとつの間に。柊を残し、七十郎とアムは音もなく牢人達の背後に忍びより、豹のように襲った。
峰を返したアムの刃は月光をはね散らしつつ牢人の首筋に吸い込まれ、七十郎のそれは剣影すら残さず別の牢人の首を刎ねている。呆然としつつも、反射的に三人目の牢人は最も組し易い敵をめがけて躍りかかっている。すなわちバラの術師、満に向かって。
戛!
地に小星をばらまき、刃が噛み合った。
「キミがいないと、連絡がとれなくなるからね〜」
ふむと、一息。柊が刃を外すと、二条の薄紅色の光芒が牢人を薙いだ。
「峰じゃ」
ぼそりと。聖が声をおとした。
黒影は二。
肌をそそけ立たせるような殺気の凄まじさからして、刃もって相対すれば、おそらくは技量は互角かそれ以上。ましてや多勢。弥一郎の勝ち目は薄い。
が、不動の弥一郎に動揺はない。彼我の立地の成り立ちを鏡面の如く読んだ彼は、胸を緩めさえして、思う。刃合わせる必要なし、と。
黒影が背に負うた刀の柄に手をかけたと見るや、弥一郎は大声で役人を呼ばわった。曲者、推参なり、と。
一瞬後、わきあがる人の気配。多数の足音。
成す術もなく退いてゆく二つの黒影を見送りつ、弥一郎はふうと肩の力を抜いた。
が――
彼は知らぬ。それが別地の危機を呼ぶことになろうとは。
「しまった」
闇に響いた微かな声。あれはおそらく弥一郎のものであろう。続けてどよめいた人の気配はそちらに駆け向かう役人のものか。
旋風を巻き起こしつつ、縄ひょうを操る夕凪が小さくうめいた。
これでは人は呼べぬ!
きら、と。流星の尾をひき、夕凪の手から縄ひょうが飛んだ。それは一人の黒影の動きを牽制したものの、残る一人の手からは応戦の一撃が。
咄嗟にはかわしきれず、夜気を裂いて疾る手裏剣は夕凪の肩を抉って過ぎた。
「ぬっ」
夕凪はぎりりと歯を噛んだ。縄ひょうのみで、手裏剣を操る二人の忍びの足をとめることは不可能だ。
夕凪のその想いを読み取ったかのように、黒影二つが地を蹴った。
「おのれ!」
無駄と知りつつ。夕凪の手から疾る縄ひょうが、屋敷に侵入しようとする黒影の一人の腕をからめとった。
が、もう一人、いる。
別の黒影は嘲笑うかのように闇に溶け込もうとし――しかしすぐに身を仰け反らせた。
その背を貫く小柄を夕凪が見とめ得たのと、黒影が縄を刃で断ち切るのが同時。そして、一瞬後。疾り来った颶風のような影が空に舞い――
「――十兵衛殿、ただ静観はされぬだろうと思っておりましたが」
夕凪の声に、黒影を峰打ちした影――柳生十兵衛は深編笠を持ち上げ、ニンガリと隻眼を笑ませた。
「しくじった。俺としたことが――」
情けをかけ、あえて命までもとらなんだが――
十兵衛の視線の先――そこに、小柄を背に受けた黒影の姿はなかった。
石出帯刀宅、庭先。
潜む満がはっと顔を上げた。石出帯刀に冒険者の到来を告げ、そして夕凪と遠話をむすんだ直後のことだ。
「――お庭番衆が一人、入り込んだようです」
はじかれたように周囲に視線をはしらせる冒険者達であるが。慌てて満はテレパシーから得た情報――密殺者が手負いであることを付け加えた。
「とはいえ、手練れの忍びだからな〜」
柊がすすうと満を庇うように位置を変えた。習うように、七十郎も再び仲間から距離をとる。
「お庭番は任せろ。もし仕掛けてきたら、その時は六文銭を支払わせてやる」
石出帯刀の首にあてた刃をひき、黒覆面の男がちらと眼を動かした。
「今、何か音がしなかったか?」
「なに!?」
別の黒覆面が足を踏み出した時、雨戸が蹴破られた。
刹那、吹き込む風と光。その正体は――
「冒険者です! 牢奉行殿を受け取りに推参しました」
アムの名乗りに、黒覆面の内からくぐもった嗤いがもれた。
「馬鹿め。のこのこと忍び込んで来たようだが、どうやって帯刀を救うつもりじゃ」
「それは――」
それは。
帯刀の背後の襖が糸の隙間をつくり、彼の耳にのみ伝わる小さな声が、した。
「おいらは、御守の忍び‥手短に云うから聞き逃さないで」
はっと帯刀は背後を振り向こうとし、あやうく自制した。その耳に脱出の段取りが、そして手には縄を断ちきる為の小柄が手渡される。
そして――
そして。
縁側に進み出た黒覆面が、唯一覗く眼をすっと吊り上げた。その背後では別の黒覆面がずいと退り、石出帯刀の首に刃を凝する。
「得物を捨てろ。さもなくば、帯刀の命はないぞ」
「おぬしらの本来の目的はなんなのじゃ? この混乱は目くらましなのじゃろ」
喘鳴のような声を聖があげた。他の冒険者達は気死したように動かない、ように見えた。
事実は、違う。こじあける隙をつくるべく、満は月色の呪を織り紡ぎ――
「こやつ!?」
バラの呪師の身が白銀に煌くのに気がつき、黒覆面の手から小柄が飛んだ。それは身動きならぬ満の胸に――いや、柊の胸に吸い込まれた。
「柊さん!」
「――撃ち込むだけが腕の見せ所でもない、だろ〜?」
柊が血笑を浮かべた。刹那――
縄を振り捨て、石出帯刀が飛び立った。黒覆面の脇を擦りぬけ、庭に――
では刃を凝していた黒覆面はどうしたか。――その者は満のシャドウバインディングによって呪縛されている。
そうと見てとり、黒覆面が石手帯刀の背に刃をはしらせ――うっと苦鳴をあげ、片膝ついた。その背に突き刺さっているのは――おお、影一の手裏剣だ。
「お、追え! 逃すな!」
石出帯刀を追って庭に飛んだ影一を指差し、黒覆面が怒鳴った。
承知とばかり。一斉に残りの黒覆面が刃を舞わせて殺到する。
「行きますよ! 門に行き着けば私達の勝ちです」
アムが叫び、冒険者達が疾駆する。前方に牢人はいるものの、さすがに無手では刃もつ彼らを押し止めることはかなわず、たまに邪魔する者はあっても破邪の刃に斬り伏せられ――
が、やはりそれは遅延をひきおこした。追いついた黒覆面達が冒険者を取り囲むように散開する。
冒険者と賊。
相対する数は、ほぼ互角。しかし冒険者側には牢奉行を守るという枷がある。おまけに全員満身創痍だ。
ここまでか――
ある種の覚悟を冒険者達がかためたとき――ぎしぎしと表門が開き、役人が雪崩れ込んできた。その先頭にあるのは――弥一郎と夕凪だ。
「私が知らせました」
満が会心の笑みを浮かべた。
そこに、生まれた。冒険者達ですら気づかぬ一瞬の隙。
そこを突くように黒覆面が石出帯刀めがけて躍りかかった。
が――
刃は空しく空を薙ぎ、黒覆面はたたらを踏んで倒れ伏している。
何がどうなったのか、わからない。――一人、七十郎を除いては。
彼のみは。七十郎のみは見て取っていた。
闇に伏した黒影が、黒覆面に手裏剣を撃ち込んだ後、満と同じく会心の笑みを浮かべて息絶えたことを。