●リプレイ本文
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その日、京洛を疾風と化した幾つかの影が駆けぬけた。
その数は十。
そして――見送るは三。神剣咲舞、和泉みなも、渡部不知火の面々である。
「静香殿、御一人でだなんて無茶をなさいますね」
三人の中、唯一伊集院静香を知るみなもが震える睫を伏せた。
あの女性のことだ。大方誰にも迷惑をかけることのないよう私闘に臨んだのであろうが‥‥。
――歯痒い。刻が許せば、我が氷輪で助太刀できたものを‥‥。
「大丈夫よ、彼らに任せておけば」
見た目は親子ほど違えど、実は同年輩の咲舞が笑いかけた。
達意の咲舞の見立て。間違いはあるまい――と、みなもが愁眉を開くと、不知火は蝙蝠の如き袖はためかせて背を向ける。
彼の脳裡には、先ほどもらした眞薙京一朗(eb2408)の言葉が鏡にかけてみるように蘇っている。
――山賊なぞの犠牲にすべき人種では無いんだがな。
その後、石を、いや大地を蹴った京一朗が呟いた。目を病んだ妹に至る為、何としても若者の素性を掴まねばならぬ、と。
「はぁーい、任されてー♪」
不知火は独り心中に期す。
はららと散った花びらを彼岸に流すのは、散り際を看取った者の役目。それが冒険者なら成し遂げねばならぬ。必ず。
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鈍色の天から降る光は暗く。木々の間も昏く。
その薄闇に、静香は潜んでいた。
彼女の眼前には――うち捨てられた山窩の小屋。今は山賊――根城を知る樵から豺牙組と聞いた――の住処となっている。
と――
静香の眼が猛禽のそれのように煌いた。
幾人か見届けた豺牙組の者。その中で、唯一命を下す大兵の野武士が叢に向かって行く。あれこそは――
豺牙組の首領。名を江坂甚右衛門。
静香が動いた。下腹部をまさぐる甚右衛門が気づいた時、すでに彼女は間合いを詰め終えている
「新撰組だ」
甚右衛門の首に刃を凝し、静香が告げる。
「なにっ」
さすがに甚右衛門の表情が強張った。およそ京近くにおいて新撰組を知らぬ者はいないし、また恐れぬ者もいない。
が、すぐに甚右衛門が鮫のように笑った。
刹那、葉擦れの音が風をうち、黒影が樹上から舞い降りて来た。木漏れ日よりも凍てついた刃光が大気に亀裂を走らせ、袈裟に――
「ぬっ」
咄嗟に静香が横に飛んだ。斜めの刃風は彼女のいた空間を薙ぎ――すでに甚右衛門は静香の間合いの外に。
「へへ。なかなかの別嬪だ。殺すなよ」
甚右衛門の腰から白光が噴出した。
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「全く‥‥」
山の斜面を登りながら、ヒューゴ・メリクリウス(eb3916)はごちた。
「ソエルの見ている日中に盗みを働くとは何て輩でしょう。しかも強奪。しかも盗んだのは金銭――」
ナンセンス!
肩を竦めて見せる彼の仕草はえらく軽やかで。それはしなやかな彼の身ごなしにもよるのだが、むしろその心映えに負うところが大きいようである。
「では夜なら良いのですか?」
からかい気味に花東沖竜良(eb0971)が問えば、ヒューゴ苦笑い。
「というわけではないですが――」
――ある。と、真の応えは胸の内で囁く。
盗むにも、品と格というものが。そして、相手と手段が。
盗んでも困らない相手から、夜中にこっそり誰も傷つけず、宝物を。それがスマートで面白い。
その時。
「しっかしなぁ」
溜息を零して頭を掻いたのは犬神外道丸(eb3028)という浪人である。名前だけみればどれほど恐ろしげな者かと思えるが、事実は逆で――
「盗みの良し悪しなんてものじゃなく、その死んじまった兄さんの奉公の日々は何だったんすかねぇ‥‥」
遠い夏の日を思い出すような眼で、もらす。
殺された若者は己の若き日々を妹の為に捧げ生きてきたに違いない。その結晶たる眼の治療費を山賊は奪った。のみならず、その若者の命まで‥‥。
伊勢鉄心が探しているはずの盲いた娘。もし、その妹の眼の治療がなった時、その娘は明いた眼で何を見るのだろうか。
そのことに想到する時、外道丸の握り締めた拳は震える。爪は掌の肉を噛む。
「ぶった斬っちゃっていいっすよね?」
「かまわぬでござる」
外道丸の問いに応えた侍は、それが癖であるのだろう眼を細めつつ、続ける。
「病の妹が為の金を奪い、斬るとは‥許せぬ。この山野田吾作(ea2019)、容赦するつもりはない!!」
「まあ、今からそんなに熱くならなくたってぇ良いじゃねえか」
ニンマリと。大嵐反道(ea1378)は笑って田吾作をいなす。
衣の袖に腕だけを通し、晒し一枚の彼の姿はいかにもの傾き者。そして、その言辞もまた。が、傾くには刃を踏むほどの覚悟がいることを他人は知らぬ。
けれど――
傍らの十五にも満たなぬ少女の吐いた言葉には、さしもの彼も一瞬眉をひそめた。その少女――藤袴橋姫(eb0202)はこう云ったのだ。敵は、全て斬る、と。
「へっ、可愛い顔して物騒なこと云うじゃねえか」
「そのお金は人の物。‥必要な物を取るのは駄目だ‥。だから取り返す‥‥。そのために斬る。それは‥‥面白い」
「ほお」
田吾作と竜良は顔を見合わせた。
竜良は神皇に、田吾作に至ってはジャパンそのものに想いを傾けている。それを人は忠と、あるいは義と呼ぶかも知れぬ。
その研ぎ澄まされた想い――それは紛れもなく橋姫の裡にもあった。修羅を恋い慕う純粋さが。
「平手殿は謹慎中とか」
橋姫達のやり取りから眼を転じた京一朗が問うた。
すると同行の少女がこくりと頷いて見せ――彼女の名は神代紅緒。新撰組十一番隊伍長である。
そうか、と頷き、唯一彼女とは見知りの京一朗は心中で続けた。
――この上静香殿まで怪我させる訳にもいくまい、と。
彼の知る伊集院静香なる人物。動く以上はそれなりの算段を持ってはいるのだろうが、なんせ敵の数が多い。当たれば良いが、目算がはずれた場合は即致命に至る危険がある。
先行し情報を集めてくれていたグラディ・アトールのおかげで、最小の刻で救出に駆けつけられるとはいえ――
「急がないとな」
焦慮に揺らぐ眼を、京一朗は上げた。
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踏み込もうとし、刹那に静香が飛び退った。その眼前をよぎる流星は風鳴りの尾をひき――
翼の一颯のように。続く矢を静香が払った。
「やるのお、娘。が、あとどれだけもつかな」
「‥‥」
刃をかざして甚右衛門を睨みつけはしたものの、静香に声はない。
彼奴のいうとおりだ。敵に飛び道具がある以上、間合いを外され、なぶり殺しを待つほかはない。
「心配するな。殺しはしねえ。飽きるまで楽しんだら女郎屋にでもたたき売ってやるぜ」
「ただでは死なぬ」
静香が地を蹴った。どこへ――甚右衛門に向かって。
「馬鹿め、死にたいか!」
甚右衛門が吼えた。それが合図であったかのように、一斉に番えられていた矢が本性をむきだし――
静香の剣が疾り、矢を叩き折った。が、さしもの静香も一本のみだ。他の二本は避けもかわしもならず――
戛!
幾つかの影が舞った。白光を閃かせながら。
そのうちの二条の光流は、飛燕の如く矢を翻弄している。
「無茶すんなよ」
ニヤリ。矢を薙いだ姿勢から、ぐっと影のひとつ――反道が身を起こした。
「いくらあんたが実力者でも、この戦力差じゃあどうにもならんだろ」
「貴方は――?」
「冒険者でござる」
「!」
愕然とし、静香は田吾作からもう一人の矢をうちおとした手練れに眼を転じた。
「紅緒! ――それに眞薙殿!」
「山道は慣れぬ故、少々遅うなり申した」
背を合わせ、京一朗が爽として応えた。
同じ刻。
きり、きり、と。
弦が引き絞られ、ゴールド・ストーム(ea3785)の殺気が矢にのった。
時空の一点を穿つためには息だけでなく、心の流れすらとめねばならぬ。が、それすらもゴールド・ストーム(ea3785)には自然の業だ。
木陰に潜む彼の得物は『梓弓』。練達のゴールドの技量と組み合わさった時、それは比類なき狂暴な牙と変ずる。
隠密に長けたゴールドはまさに陰中の狩人。それは獣を食らう獣だ。
また、同じ刻。
夜行の猫族の身ごなしで、音もなく木陰を縫いつたっていた橋姫がすうと身を沈めていた。仮面めいた面の中で、ただ眼ばかりがぎらぎらと。冷たい熱をもった彼女の瞳は弓もつ敵の姿をとらえている。
一度腰の斬馬刀の柄に手をかけ――橋姫はすぐに鞘ごと引き抜き霞刀ととりかえた。
敵の飛び道具を潰すまでは迅さが肝要。ならば軽く、よく斬れる得物がよい。
昂ぶりを鎮めるかのように右眼上の傷に指を這わせると、橋姫はするすると弓者に滑りより――豹のように襲った。
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甚右衛門の眼に喜悦の光が揺らめいた。
「動くなよ、てめえら。下手なことをしやがったら針鼠にするぜ」
「やれますか、あなたたちに」
さして動じたふうもなく、竜良。されど胸は紙引き裂いたかのように乱れ。
弓の掃射だけは防がねばならぬ。その想いが彼の足を押し出させ――
「試してみるか」
ニンマリと。血狂いしたように甚右衛門が手を振った。
その時――
苦鳴があがった。甚右衛門の背後から。
見えぬ刃にはたかれたように振り向いた彼の眼がかっとむき出された。甚右衛門の眼前過ぎるように、樹上に潜ませたはずの弓使いがどさりと地に落ちてゆく。その背を貫いた矢を確かに彼の眼はとらえている。
のみならず、雪色の髪の浪人、薙ぐ。弓ごと別の使い手を。
剣影すら残さぬ手並みはあまりに鮮やかで。当然だ。佐々木流は飛燕すら斬る故に。
さらに――
甚右衛門は頭がおかしくなるほどの光景を目撃している。
別の弓使いが棒のように身を硬直させ――それはまるで透明の怪物に心魂の奥まで牙を突きたてられているような不気味な映像だ。
そして四人目。
残る弓使いに木枯らしのような斬撃を叩きこんだ後、刃舞わせて鬼が来る。いや、よく見てみれば――まだ幼さの残る少女だ!
「‥‥藤袴流、藤袴橋姫‥‥参る‥」
「おのれっ」
ギンッ!
貪狼のように、二つの刃が噛み合った。
橋姫と甚右衛門。動揺しているとはいえ、技量は甚右衛門の方が上だ。
が、押されつつ、橋姫の蕾のような唇がめくれあがっている。愉しくてたまらぬように――死と隣り合わせ。命のやりとりほど面白い遊戯はない。
「何なんだ、てめえらは――」
我知らず恐怖を覚え、甚右衛門が叫んだ。刹那、矢が飛び来り、甚右衛門は飛んで離れた。
「どこだ!」
矢の流れ――甚右衛門の眼が追う。その先――すでに気配は消失している。
狩人――ゴールドが一点に澱むことはありえない。
「そこまでだな」
「なにっ!?」
うめく甚右衛門に、反道は死神めいた笑みで報いた。
「あんたら、狙う的を間違えた。触れちゃならねえ奴を敵にしちまったんだよ」
「ほざけ!」
自らの裡にわいた恐怖をうち払うかのように甚右衛が斬りかかった。
受けたのは田吾作。いや、正確には流した。風に翻る柳葉のように。そして二撃、三撃――それは成す術ないように見えた。
が、突如疾る逆しまの風。慌てて飛び退った甚右衛門の面上を糸のような血筋が這っている。
続く、別の一撃もまた新陰流。必死に受けた甚右衛門であるが――氷のように、その手の刃が砕け散った。
「どうだ」
「や、野郎どもぉ!」
折れた刀を笑う京一朗に投げつけ、甚右衛門が絶叫した。それが合図ででもあったかのように、残る山賊どもが冒険者めがけて殺到する。
迎え撃つ冒険者のうち、今度は竜良が訊いた。
「伊集院さん、斬り捨ててかまいませんか」
「どうぞ」
静香の応えははればれと、小気味良く響いた。
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そこかしこに転がる山賊の骸を見渡し、甚右衛門は小刀を投げ捨てた。骨のように、からんとそれは地に転がり――
「ふん、降参だ。こんなところでおっ死ぬのは真っ平だからな。さあ、さっさと縄をうちな」
せせら笑う甚右衛門であるが。ぴたりと静香の眼がその顔の上に据えられた。
「そこの峠で若者を斬ったのは、あなたですね」
「ああん?」
面倒臭げに顔をしかめ、すぐに甚右衛門は器用に片眉を上げて見せた。
「そういえば――。てめえ、あの時の」
「私達のことを見覚えていましたか」
薄く――人形のように笑むと、静香がゆっくりと甚右衛門に歩み寄っていく。
と、その背に外道丸の声がとんだ。
「静香の姉さん」
「貴方は――」
「犬神外道丸と申しやす。で――」
上げた手に掴まれた布包み。おそらくは若者が奪われた金子であろう。
「他、糞ったれの一匹は足の筋切ってとっ捕まえておりやす。だから遠慮はいりやせん」
「ありがとう」
頷くと、静香は刃を八双に。
「ま、待て! まさか無手の者を斬るわけじゃねえだろうな」
慌てる甚右衛門の叫び。それを皆まで聞かず、静香は天降る陽光を切っ先一点に集め――
「悪、即ち、斬る。それが平手造酒が目指す乱世を切る剣、十一番隊!」
一気に斬り下げた。
「お願いしたき儀がござる」
まだ血煙り立つ中、背を返した静香を呼びとめた者がある。――田吾作だ。
「何か」
「今こそ確信し申した。拙者が死すべき場所を。――この半年、様々な依頼を受け申したが、やはり表からの真っ当な仕儀だけでは限界があると感じておりました。民を護り邪悪を滅する――今、この京に於いてその務めを表裏共に最も完全に果たす事の出来る所‥‥それこそが新撰組、そして十一番隊!」
「いや」
湖面の声音で静香が制した。
「新撰組入隊のご希望ならば、今すぐの返答は無理です。それよりも、先ほどの剣勢、お見事でした。あれは確か新陰流――」
「転の極意と申す」
「まろばし‥‥」
平手の好みそうな言葉だ。静香は思った。
同じ頃。
一人、山を下るヒューゴの姿があった。その背の荷の中には密かに山賊から盗み出したものが‥‥。
いや、これは盗みじゃなく没収だ。
ヒューゴは緩やかに笑った。