●リプレイ本文
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優の白磁のような肌から眼をそらし、音無鬼灯(eb3757)は巨躯をゆらすように咳払いする。
「助けのことはわかった。‥‥すまないが、早く胸を隠してくれないかな」
「きゃっ」
耳朶まで紅珠色に染め、慌てて優は両の手で胸を隠した。その様を愉しそうに見つめていたランディス・ボルテック(eb4607)は、
「楚々とした娘が恥らう姿は良いものじゃのう。長旅をしてこの国にきてよかったわい」
と呟き、ニヤニヤと笑み崩れる。
と、もう一人のエルフ、アルスダルト・リーゼンベルツ(eb3751)は溜息を零した。
「さて、どうしたものか‥‥」
「助けを求められたら助けないワケにはいかないでしょ。まあ色々胡散臭いことはあるみたいだけど」
事もなげに応えたのは、彫刻めいた顔立ちの美しい娘だ。名を限間時雨(ea1968)といい、西洋人との混血である。
友人のフルーレ・フルフラットが道中気をつけるようにと云ってくれていたが、そうはいかなくなりそうだ。
「確かにきな臭いのぅ‥‥」
「ならばこそ――」
炎を映した佐竹政実(eb0575)の黒瞳があげられた。
「ならばこそ、助けると決めたからには尋ねなければならぬことがあります」
襲われた時の状況。それを聞けば、敵についてのなにがしかの情報は得られよう。
「でも‥‥」
やや暗鬱に口を開きかけたのは所所楽苺(eb1655)という少女だ。翳りをおびた表情は、いつも天真爛漫な彼女には珍しいことなのだが。
しかし苺の脳裡には敬愛する姉、所所楽林檎の言葉が金陽差すように過っている。
――深みに入り込む事は、情報のためには大事でしょうが、深みを知った後では、後悔する事のほうが多いでしょう。逃げ出せなくなる‥最後まで付き合うことになる‥そういうのが苦手なら、引き際を決めておきなさい‥‥
「‥おいら程度じゃ、知ってはいけない事もあるんじゃないかな、とも思うのだ‥」
ぽつりと呟く苺であるが。
と、炎の茜に褐色の肌をてらてらと濡らした女が苺を見遣った。流し目がぞくりとするほど艶っぽい――青海いさな(eb4604)である。
「‥‥あなたの気持ちはわかるけどね。でも、やはり敵のことだけは知っておかないと」
「そうじゃのう」
やや疲れたように頷き、アルスダルトは焚火に小枝をくべる。
確かに政実やいさなの云う通りだ。事情を全て知ることは無理でも、敵のことくらいは知らねば守る手だてのとりようもないし、守り手の命にもかかわる大事でもある。
「よし」
鬼灯が立ちあがり、優に歩み寄って行った。
「さあ、これを飲んで」
薬水を差し出し、自らは優の側に腰をおろす。そして、抑えた声音で、
「知ることが少なければ、守ることはできない。だから教えてほしいんだ、誰に追われてるんだい? 命の危険を感じるなんて、ただ事ではあるまい?」
「それは――。先ほども申しましたように無頼の者に襲われて‥‥また狙われるのじゃないかと‥‥」
「では無頼の者は、何故にぬしを襲ってきたのじゃ? 襲われる心当たりは?」
「知りません」
すがるような眼を、優はアルスダルトに転じた。
「いきなり襲われて‥‥。理由なんか――」
「そうか――」
強張った顔の優から視線をそらし、鬼灯は溜息をついた。
「ならば、その無頼の者はどのように襲ってきた? 刀か?」
「それは――」
息を詰め、優は青ざめた顔を伏せた。その下向けた顔の前に、にゅっと苺の愛らしい笑みが滑り込み、
「どうしたのだ? それがわかればおいら達も対処しやすいし、それだけ護衛の完成度も高まるのだー」
「えっ」
慌ててあげた優の顔には戸惑いと、拍子抜かれた苦笑と――。
まさに太陽は北風より強し。向日葵娘、苺の面目躍如。
すると、時雨がぽきりと小枝を折って、
「嫌なら多くを語る必要はない。その無頼の輩のことさえわかれば守るに事足りるんだから」
告げる言葉はまたもや泰然と。
何故なら――これまで受けた依頼。分が良いものなどほとんどないというのが実情だ。その中で、彼女は燭光のような希望を見つけ出してきたし、また冒険者そのものが闇の大海を切り裂いて進む孤船のようなものだと観じている。
さらに――アルスダルトが好々爺のように笑いかけた。悪いようにはせんと。
その笑みに後押しされたか、小さく肩で息をすると優は眼前の鬼灯を見つめ返した。
「――それは妖しき術のようなものでありました」
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苺が用意した食事をとった、すぐその後。
薄雲がたなびく空に、高らかに響く宣言。
「優ちゃんは、この身にかえても護ってみせるサ!」」
ぐっと拳、燃える。思惑などない。ただ純粋に。楠井翔平(eb2896)である。
その斜め前、二騎がゆく。
ひとつは苺が用意した市女笠で面を陰にした優であり、もうひとつは、これも市女笠で面を隠した苺である。
これは的を定めさせぬ為の策であるが――問題がひとつ。体格差。
体つきに関しては優は思いの外筋肉がついているので問題なかった。が、背の高さ。これはいかんともし難く――時雨に借りた法衣の中、苺のお尻の下には幾重にも折りたたまれた毛布が‥‥
と、ランディスが翔平を振り返りふぉふぉと笑った。
「おぬしは元気が良いのお。まあ敵は地中より現れる以上、不意打ち可能ということじゃ。わしも気をつけねばならん」
「って、おやじ、何で優ちゃんのお尻を触ってやがんだ!」
ぎゃーすか、ぎゃーすか。
「しかし、なんともはや賑やかなことじゃな」
優の後ろについたアルスダルトが肩をすくめてみせた。そして、思う。もし剣侠である陸堂明士郎がいたらどう思うであろうか、と。
「このくらいの方が良いんだよ。かたくなっていたら、いざという時身体が動かないからね」
応えた鬼灯は優の横で足を運んでいる。
視線は常に流動。敵はおそらくは忍び。ただの方法で襲ってくるわけはあるまい。
その上で、鬼灯は優の袖を千切って譲り受けている。
「どうするのじゃ、そんなもの?」
「別れ道で仕掛けようと思ってさ」
アルスダルトに応え、鬼灯は布切れを懐にねじこんだ。
忍びの戦い方は父親から叩き込まれている。虚。影。刃を交えぬうちに、すでに忍びの戦いは始まっているのだ。
惜しむらくは――ここに羽雪嶺とグラス・ラインがいれば、もっと仕掛けは巧妙なものとなったろう。せめて――
「もしもの時は、僕達を捨ておいて自身の安全を図るんだ、いいね」
言葉を渡す。
「おいおい」
突然、いさなが優と苺の乗る二馬の手綱をとる政実を呼びとめた。
「気をつけないと街道をそれちょうよ」
注意する。が、政実は自信満々だ。
「大丈夫ですよ」
云いつつ、政実は勇躍馬をひく。ほんとかなぁ、とやはりいさなは不安顔。
彼女は聞いている。江戸にいる兄を探して江戸をうろついているうちに、何時の間にか流れ流れて政実が京に辿り着いたことを。それから再び江戸に戻り、政実は云ったそうだ。
――兄上、ようやく見つけましたよ。
政実の兄、佐竹康利がこけたことは想像に難くない。
そのことを揶揄すると、政実は頬に紅を散らし、
「大丈夫ですってば」
馬首を返し――あれれ、細い小道に‥‥
「だから――」
いさなが突っ込もうとした時、待てと声をあげ、殿で警戒していた時雨が先頭にむけて愛馬「又三郎」を走らせた。
「どうした?」
と、問う翔平に、時雨が顎をしゃくってみせ――
その先、歩み寄ってくる渡世人らしき一団。時雨が促し、他の者が道の片側に寄った、その時――
「おるぞ」
敵の息吹を感得したアルスダルトの低い叱咤が皆をうち、刹那――
渡世人達が一斉に抜刀した。
が、その一瞬後――あっと苦鳴をあげて三人の渡世人がたたらを踏んだ。それがほぼ同時に放たれた時雨の刃風とアルスダルトとランディスの重力波の仕業であると気づく渡世人はなく。ただ狼狽し、一瞬立ちすくんだ。
その隙を、なんで時雨が見逃そうか。一気に渡世人達の間に飛び込むと――
閃!
白光が煌き、直後鍔鳴りが響き――一人の渡世人の腹から鮮血がしぶいた。
「て、てめえ!」
喚きつつ、別の渡世人が時雨の背後に走り込もうとし――アルスダルトの差し伸べた手の先の空間が震え、渡世人が仰け反った。
「させぬよ」
アルスダルトが片えくぼを彫った。直後――
馬の嘶きが蒼空にかけあがり、はじかれたように冒険者達は振り返った。
その眼前、苺の軍馬「茶刃倶」が前脚を上げ、優が鞠のように放り出されている。
そして――
幾つかの事が同時に起こった。
宙にある優を受けとめるべく政実と翔平が飛びだし、見事に翔平が優を受けとめ地に転がった。一方、地中からのびた手が「茶刃倶」の脚を掴んでいるのを見とめるやいなや、いさなは忍刀を翻して踊りかかり、刃を地中に突きたてている。
「やりましたか?」
「いや――」
政実の問いかけに、いさなは唇を噛んで頭を振った。その眼はじっと手の消えた地を見つめたままだ。
「手応えはあったけれど――」
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それきり襲撃はなく。
特に休憩時と宿の床が板張りであることを確認しつつ、冒険者は進み――最後の夜を迎えた。
「うー‥‥なのだ」
銀の粉降るような月光に濡れ、露店風呂の湯の中で苺は身体をのばした。それから隣の鬼灯を見遣り、眼を丸くする。
「キミ、胸、凄いのだー!」
「そ、そうかな‥‥」
大きな乳房を隠すようにして、鬼灯はやり場に困ったように眼を転じれば――自らの胸を複雑な表情で見下ろしていた時雨が慌てて顔をあげた。
そして優はといえば――ころころと笑っている。思えば、この道中、はじめて見せる心性の笑みではあるまいか。
安堵しつつ、しかしいさなの瞳はくらい。
――忍びに襲われるなんて。‥‥もしかしてとんでもないモノ拾っちゃったんだろうか。
その頃、翔平は男湯女湯の仕切りの板からランディスを引きずりおろしていた。
「てめえは一体何をしてやがんだ!」
「優が心配で様子を窺っておるのじゃ」
堂々とランディス。その顎を翔平はぐいと掴んだ。
「窺うじゃなくて、覗き、だろうが」
「何を怒っておる。温泉と云えば露店風呂、露店風呂と云えば覗きと相場が決まっておろうが」
「どこの相場じゃ!」
ぐいぐいとランディスの首を締め上げる翔平。と、その耳に苺の声が届く。
実を云えば苺の姉、林檎は彼の想い人なのである。もし林檎と結ばれるようなことがあれば、当然苺は義理の妹となるわけで‥‥。
だから、気になる。故に、この時も耳を澄まし――
「‥‥おいら、好きな人がいるのだー。ううん、おいらだけじゃなく、林檎姉ちゃんにも好きな人ができたらしいのだー!」
苺の無邪気な告白。
ガーン、と鉄槌。
燃え尽きた‥‥真っ白だ‥‥
「‥‥翔平が湯の中に沈んでしまったが、何かあったのか?」
頭にのせた手拭の下、アルスダルトの面が怪訝にゆれる。
と――
絹を裂くような悲鳴があがった。
どこ? ――隣。女湯の方だ!
さすがにアルスダルトは立ち上がり、翔平も湯を散らして飛び出している。
掴みあがった仕切り板の向こう。湯煙にけぶるように仲間の姿が浮かび上がっている。
乳房も、下半身の淡い翳りも、すべてを曝け出した女達の中に――ただ一人、黒装束が見えた。
左眼に布を巻いた禿頭の男。優を背後から抱きすくめ、手裏剣を首筋に凝している。
「――ぬかった!」
アルスダルトがうめいた。
宿の板張りは確かめたものの、風呂までは――
「野郎!」
風をまいて翔平が仕切り板を躍り越えた。
「手前ぇにゃ直接恨みは無いが、運が無かったと諦めなッ!」
絶叫するが――
禿頭の男――土鬼の手の手裏剣がすうと優の乳房にあてがわれるに及んで、翔平は凍りついた。
「動くな。下手な動きを見せれば、遠慮なく娘を殺す」
ニンマリすると、土鬼は手裏剣で優の乳首を浅く切り裂き、
「娘。例のものを寄越せ」
「れ、例のもの‥‥?」
「とぼけるな。うぬも隠密。着物や荷などには隠してはおるまい。肌身離さず持ち歩いておるはず――ここか?」
土鬼の手が優の下半身をまさぐった。うっと優は顔を歪め――そうと見てとって、しかし冒険者は身動きもならない。おーらしょっとを放つべく政実は身構えはしたものの、優が敵の内にあってはそれもならず――
ただ一人、鬼灯を除いては。
転瞬。
それは陽炎のように。
忽然と優の姿が消えうせた。
いや――消えうせたわけではなく。代わって土鬼の腕の中に現れたのは鬼灯だ!
「やっ、 空蝉か!」
愕然とする土鬼の眼前を銀光が流れ過ぎ――
頬に糸の血筋をはしらせた土鬼が飛び退り、後に血飛沫しぶかせた鬼灯が倒れ伏した。
「待て!」
なおも冒険者が追いすがろうとし――土鬼が叫ぶ。
「雷電!」
「おお!」
刹那、嵐にも似た豪風が吼え、木の葉のように女達が吹き飛ばされた。
慌てて翔平は優を、アルスダルトは時雨を、ランディスは一番軽そうなので苺を抱きとめる。後――風鳴りが静まった湯殿には湯煙が立ち込め、すでに敵の姿は消失していた。
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「僕は闇霞の忍者だ。何かあればぎるど連絡をおくれ。目的が達成する事を祈ってる」
鬼灯が莞爾として笑った。
すると優は深く、ただ深く頭を下げ――上州の地から歩き去って行った。
見送る冒険者のうち――いさなが溜息にも似た声をもらす。
「まさか‥‥隠密とはねぇ」
どこの? 行く先は? 追っ手の正体は?
全ての謎をひめたまま、優の小さな背中はさらに遠く――そして、見えなくなった。
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「‥‥しくじったか」
ひやりとする声音で呟いたのは女性的な美しさを滲ませた美丈夫だ。
切れ長の眼。紅をさしたような朱い唇――主の不興を前に、雷電と土鬼は脂汗を滴らせながら面を伏せた。
「申し訳ござりませぬ」
「仕方あるまい」
応えを返し、美丈夫は柳眉をかすかにひそめた。
「今頃はその密使、越後の上杉謙信の元に辿りついておろう。‥‥おそらく、源徳が動き出すのは雪が溶けた弥生――」
きりり、と美丈夫は歯を軋らせた。
「もはや悠長な手はうってはおれぬ。――この霧隠才蔵、今からは俺の流儀で好きにやらせてもらう」
美丈夫――霧隠才蔵の眼が闇を貫くように爛と光った。