【十一番隊外伝・五条の乱】灰燼

■ショートシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:6〜10lv

難易度:やや難

成功報酬:3 G 9 C

参加人数:8人

サポート参加人数:6人

冒険期間:05月28日〜06月02日

リプレイ公開日:2006年06月05日

●オープニング

 新しい京都守護職の働きは宮中でも評判だった。
 京都の人々の目にも、彗星の如く現れた神皇家の若き皇子が幼い神皇を助けて京都を守ろうとする姿は希望と映っていた。事実、悪化の一途を辿っていた京都の治安に回復の兆しがあった。
 五月も半ばを過ぎたある日、事態は急変する。
「五条の宮様が謀叛を!? まさか‥‥嘘であろう?」
 新守護職に触発されて職務に励んでいた検非違使庁が、五条の名で書かれた現政権打倒の檄文を発見したのだった。下役人では判断が付かず、判官の所に持っていき天下の大事と知れた。
「よもやと思うが、事情をお聞きせねばなるまい」
 半信半疑の大貴族達は神皇には伏せたままで五条邸に使者を送ったが、事態を察した五条の宮は一足違いで逃走していた。屋敷に残っていた書物から反乱の企てが露見する。
 押収した書物には、五条が守護職の権限を利用して手勢を宮中に引き入れ、御所を無血占領する事で安祥神皇に退位を迫る計画が記されていた。他にも源徳や一部の武家に壟断された政治を糾し、五条が神皇家による中央集権国家を考えていた様子が窺えた。
「京都を護る守護職が反乱を起すとは‥‥正気とは思えませぬ」
「そうだ、御所を占領したとしても大名諸侯が従う筈があるまい」
「現実を知らぬ若輩者の戯言だ」
 騒然とする宮中に、都の外へ逃れた五条の宮と供の一行を追いかけた検非違使の武士達が舞い戻ってきた。
「申し上げます!」
「どうしたのだ!?」
「都の北方から突如軍勢が現れ、我ら追いかけましたが妨害に遭い、五条の宮様達はその軍勢と合流した由にござります!!」
 ここに至り、半信半疑だった貴族達も五条の反乱が本気と悟った。五条と合流した彼の反乱軍は都に奇襲が適わないと知って京都の北方に陣を敷いた模様だ。
「寄りによってこのような時に源徳殿も藤豊殿も不在とは‥‥急ぎ、諸侯に救援を要請せよ!」
 家康は上州征伐の為に遠く江戸に在り、秀吉も長崎に発ったばかりだ。敵の規模は不明ながら、京都を守る兵多くは無い。
「冒険者ギルドにも知らせるのだ! 諸侯の兵が整うまで、時間を稼がねばならん」
 昨年の黄泉人の乱でも都が戦火に曝される事は無かった。
 まさかこのような形で京都が戦場になるとは‥‥。

「待て」
 呼びとめられ、その行商人らしき身なりの男は足をとめた。
「へっ、あっしのことで」
 振り向き、男はギョッと眼をむき出した。
 眼前、月明かりに濡れて黒々とした影が佇んでいる。
 黒の着流しに黒の宗十郎頭巾。異様な風体の侍だ。
「お、おめえさん‥‥」
 男の口から掠れた声がもれたが、かまわず黒頭巾は左手を差し出した。
「その懐のもの、こちらにいただこうか」
「な、何のこってす」
「とぼけてもむだだ。渡さずば、力ずくでいただく」
 云うが早いか、侍の腰から白光が噴出し――鍔鳴りの音が響いた時、男の着物の胸の部分がだらりと垂れ下がった。
「ほう」
 黒頭巾の口から簡単の声がもれた。迅雷の抜き打ちは男の胴を両断したと思ったのだ。が、間一髪、男は黒頭巾の刃をかわしてのけている。
「さすがに‥‥だが、逃しはせぬ」
 黒頭巾が一気に間合いを詰め、同時に男が飛燕のように身を翻し――闇に、なお深い黒血が散った。

「都に火付け!?」
 愕然として、新撰組十一番隊伍長・神代紅緒は息をのんだ。その眼前、新撰組副長・土方歳三は昏い眼でうむと頷いた。
「五条の宮様の謀叛で新撰組、見廻組が動けぬのをよいことに、京の都に火を放とうとしている者がいる」
「火を放つ! な、何者が?」
「わからねえ。が、此度の動乱に乗じようとする者であることは間違いあるまい」
「動乱に‥‥。し、しかし、その火付けとやら、それは真実でございますか」
 震えをおびた声で紅緒が問うた。
 五条の宮の謀反の裏での陰謀。もしそれが本当のことであるなら戦慄すべき事態だ。
「ああ」
 こたえると、土方はひらりと血染めの書面を紅緒の前にすべらせた。
「副長、これは?」
「ある筋から入手した」
 云うと、土方はまずは読めと促した。拾い上げ、さっと眼を通した紅緒が低くうめく。
 その書面、確かに京の都に火を放つ計画が記されている。決行は二十九日、丑ノ刻。襲撃とあるが、肝心の襲撃場所が記されていない。
「副長、これでは‥‥」
「いや」
 土方は頭を振った。
「今の京、その辺に火をつけたとてそれほど広がりはすまい。一気に京に火の手を広げるために襲撃するとすれば場所は限られてくるはず」
 自身、云いきかせるがごとく。ややあって、土方はぎらと眼をあげた。
「いいか、紅緒。先ほども云ったが、今新撰組の他の隊も見廻組も手一杯の状況でな。唯一この件で動けるのは十一番隊、おめえたちだけだ」
「わたしたち、だけ‥‥」
 くりかえす紅緒の面は青白く強張っている。土方は頷くと、
「そうだ。きついようだが、おめえたちには気張ってもらわなくちゃならねえ。この京を江戸のようにはしちゃあならねえからな。京を護る新撰組の名においても、これは至上命令なんだよ」
「承知」
 頬にかっと血をのぼらせ、勇躍紅緒は立ち上がった。

●今回の参加者

 ea2019 山野 田吾作(31歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea2989 天乃 雷慎(27歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea4236 神楽 龍影(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea5973 堀田 左之介(39歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 eb0971 花東沖 竜良(34歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 eb1655 所所楽 苺(26歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 eb2585 静守 宗風(36歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb3393 将門 司(39歳・♂・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

観空 小夜(ea6201)/ 片桐 惣助(ea6649)/ 月風 影一(ea8628)/ 朱鳳 陽平(eb1624)/ 所所楽 柚(eb2886)/ 所所楽 柊(eb2919

●リプレイ本文

「わざわざ、ご苦労でした」
 労いの言葉に、消えゆく星の銀瀑布を眺めていた眼をはずし、天乃雷慎(ea2989)は主である観空小夜に眼差しを転じた。
「江戸の二の舞はもう‥町を火の海にはさせられないですから」
「よし」
 頷くと、月風影一は知る限り京の現状を披露しはじめた。


「大きな火を起こすなら、大量の燃え種が必要だと思います‥」
 新撰組所蔵の京都略図を前に、所所楽柚が告げた。
 彼女は江戸にて寛永寺を焼いた大火事件にかかわっている。その言葉は磐石の重みをもって冒険者の胸に響いた。
 すると蕾のように薄紅の唇に指をあて、所所楽苺(eb1655)が小首を傾げた。
「‥‥えと、つまり、おっきい油問屋が狙われたら大変なのだ?」
「江戸の時はそうだったけど」
「うーん」
 苺は愛らしく頭を抱えた。
「普段いっぱい油買わないから、知らないけど‥おっきい油問屋さんってどこなのだ?」
「それは――」
 口を開きかけた柚の前で、突然苺がぽんと手をうった。
「って事は、調べればいいのだ!」
「そうだ、偉いぜ」
 苺の頭なでなで。それから堀田左之介(ea5973)は新撰組十一番隊伍長・神代紅緒に顔をむけた。
「土方副長に面談してえんだが、会えるかな」
「無理ですね」
 眼をぱちぱちさせてから、紅緒は頭を振った。
「副長は前線にたたれていますから、壬生の屯所にはいらっしゃいません」
「そうか。御用状を用意したかったんだが」
「私が書きましょうか?」
「仕方ねえな」
 とは失礼な云い様である。
「嫌なら良いですけど」
「いや、陽平から言付かってきてることもあったんでな‥‥」
「陽平さん?」
 紅緒が破顔した。
「左之介さん、陽平さんをご存知なんですか?」
「ああ。奴は今、薩摩藩邸を探っている」
 左之介がこたえた。
 その応えを耳にして、将門司(eb3393)が苦笑した。それから、ちらと所所楽柊を見遣り、
「朱鳳はんもそうやけど、柊はん、あまり単身で動くんやないで。身内が斬られるのは好かんわ」
 云った。普段の彼に似合わぬ恐い声だ。
 それも仕方なし。今、柊から僧形の男に襲われ、あやうく命を失いかけた一件を聞いたばかりなのだ。
 が、すぐにいつもの洒脱な笑みを目元に漂わせ、
「それに誰かさんが機嫌悪くて敵わんしな」
「えっ」
 柊が――静守宗風(eb2585)を一瞬盗み見て頬に朱を散らせた。
「大人しくなんてしていられねぇよ」
 柊が嘯いた。
 宗風サンの死に場所を見られる位置にいたいから――その想いを胸に秘めて。
 その朴念仁だが。気づかず、野太刀を片手に立ちあがると、紅緒の元に歩み寄っていった。
「俺も油問屋が狙われると見る」
「宗風さんも?」
 問う紅緒の眼の前で、静かなる十一番隊隊士はうむと頷いた。
「燃え易い資材が多くある所は紙問屋や材木問屋、油問屋など幾つかあるが、紙は燃え易い反面、火勢を広げるにはかなりの量が必要となる。また材木は火をつけるのに時がかかる。どちらも人知れず大火を呼び込むには不向きだ。残るのは油。油なら染み込むのも拡散させるのも容易であるからな」
「確かにそうや」
 司も同意した。
「梅雨のこの時期の火つけや。雨でも効果のある油を狙うやろな」
「なるほど」
 感心すると、再び紅緒は略図に視線をおとした。
「では賊はどこを狙ってくると?」
「この時期の風向き‥。火をつけるなら風上であろうが――」
 宗風の十手の先端がすうと地図をなぞり――ある位置でぴたりととまった。
「近江屋!?」
 はじかれたように紅緒が顔をあげた。
「それと備前屋やな」
 付け加えた司の眼が、その時薄青い光を放った。

 朱鳳陽平はその時、片桐惣助とともに薩摩藩邸を見張っていた。
 此度の五条の乱に乗じての火付け、その裏には薩摩ありと見込んでいたのだが――
 ところが、である。火付けに関連するような動きはない。
 ――おかしい。
 惣助と陽平は顔を見合わせた。
 ――薩摩が首謀者でないとすると、いったい何者が火付けを?

「紅緒はん」
「はい?」
 呼ばれ、紅緒は刃に打ち粉をふる手をとめた。
「甘いもん食べて緊張ほぐし」
 云って、司が紅緒の膝元においたのは胡麻団子である。
「俺もあんさんに拾われたんや。追放されてもあんさんの部下であることは変らん。楽にいこうや」
「はい!」
 大きく頷く紅緒である。その顔を、司は慈しむように見つめている。
 新撰組伍長とはいえ、まだ十七。火つけを阻止するという重責にどれほどの緊張を覚えていることか。
 同じくそれを見ぬいている山野田吾作(ea2019)が、彼らしくもないややおおどけた様子で胡麻団子に手をのばした。
「拙者もいただいて良うござるかな」
「ろーりょ」
 口一杯に団子を頬張った紅緒がすすめた。有難い、と団子をつまんだ田吾作であるが――すぐに眼を眇めた。
「神代殿、心配はいり申さぬ。我らが助力する上は、火つけなどという野良犬の所業を見逃しは致しませぬゆえ」
「然り」
 もう一人、花東沖竜良(eb0971)も団子をつまみあげた。
「絶対に阻止しますよ。この都を火の海にする事だけは」
「左様。壬生の狼に肩入れする者としては捨て置けませぬからの。今なお前線で戦っている仲間の後背を守る、これぞ十一番隊の本懐にござろうな」
「そういうことです」
 莞爾として笑う竜良であるが――その時、こほこほと咳き込んだ。
「花東沖殿、大丈夫でござるか」
「いや――」
 さしだされた田吾作の手をおさえ、竜良は自身のそれで口元をぬぐった。
「どうやら団子にむせたようです」
「なら良いが――」
 戸惑いつつも、田吾作は得心したようである。
 が、一人――嫌な咳だなと首をひねった者がいる。
 神楽龍影(ea4236)。鬼面の内に情熱を隠す志士である。
「本当に大丈夫であろうか‥‥」
 呟いた。それを聞きとがめた宗風がすっと身を寄せる。
「どうした?」
「いや、何でも‥‥それより静守殿、此度の件、黒幕は誰と見ますか?」
「それよ。‥‥お前は誰と見る?」
「私は‥‥」
 龍影は云い澱んだ。
 彼の脳裡を過る名。それは薩摩であった。
 ――が、神皇様を御守りする、と申された薩摩が、五条様に利する行いをする訳は‥‥
 薩摩藩士・新納忠続の言葉。それに無意識的に龍影は縋っているのだった。
 と――
「宗風サン、これ――」
 柊が懐から手拭を取り出し、宗風に差し出した。
「何だ?」
「柚に教えてもらってつくった押し花なんだけどさ〜、‥あの、お守りっていうかさ〜」
「ほお」
 この男には珍しく、宗風は口辺に微笑をはいた。
「どうやら俺の死に場所は当分の間は見つからぬようだな」


 うっすらと――
 竜良は眼を開いた。
 そうと気づき、付き添っていた楚々とした娘が花のように口元を綻ばせた。
「気がつかれましたか」
「あ‥‥俺は――」
「店の前で倒れはって‥‥それで、ここでお運びしたんどすえ」
「そ、それは造作をかけました」
 身を起こそうとし、竜良は血を吐くように激しく咳き込んだ。
「だめどす。まだ寝てんと」
 慌てて手を貸すと、娘は竜良を再び横にした。
「せめて、もう少し身体を休めていっておくれやす」
「忝い」
 礼を述べると、ふうと息をつき、竜良は眠るようにゆっくりと眼を閉じた。

「どうやら竜良はうまく潜り込んだようだな」
 近江屋入り口を見渡す物陰。にかっと笑うと、左之介は紅緒を見返った。
「あとは俺が御用状をもって乗り込んで――」
「いや」
 雷慎が制した。
「店の中に敵が入り込んでいるかも知れない。迂闊なことはしないほうがいいよ。それより――」
 紅緒に近寄ると、雷慎は声を低め、問うた。
「紅緒さんの見解を聞かせてもらえないかな?」
「見解?」
「ああ。例えば火つけ犯の目星とかさ。――下手人は薩摩とふんでるの?」
「俺もこたえが聞きてえな」
 左之介がニッと笑った。
 渡世人である彼は裏世界の事情について他の冒険者よりは明るい。その彼をもってしても火つけ犯の情報は掴みとれてはいない。それは、裏を返せば金銭や怨恨がらみで下手人が動いているのではないということで――
「いいえ」
 紅緒は否定した。
「私は薩摩ではないと思います」
「薩摩じゃない!? では何者が」
「そこまではわかりません。ただ、薩摩はこんな派手なことはしないんじゃないかと」
「へー」
 苺が感嘆の声をあげた。
 同じ猪突猛進。お友達になれると思っていたが――もしかしたら凄く利口なんじゃないのかなのだ?
「おいら、裏口を見張ってくるのだ」
「俺もいくぜ」
 云うと、またもや左之介はくしゃりと苺の髪をかきまぜた。


 ふるふると夜が更け――
 肥前屋の蔵前。ふと、龍影が不安げな眼差しをあげた。
「肥前屋に、来るでしょうか」
「どういうことだ?」
 問う宗風に、龍影は睫を伏せて見せ、
「書状が奪われた事に火つけの下手人が気づいているかもしれませぬ。それでむざと計画通りに事を起こすものか‥‥」
「確かにその懸念はある」
 宗風は頷いた。
「しかし下手人もよくよく練った計画であろうし、今更布石を打ちなおす余裕などなかろう。それに第一、大店の油問屋はふたつしかない」
「では、やはり――」
「しっ」
 闇に蹲っていた田吾作が龍影を制した。
 彼の獣なみに研ぎ澄まされた知覚は、忍び寄る薄靄のような何者かの気配をとらえている。
 何人? ――二人。
 読んだ。
 その通り、次の瞬間には他の三人も夜闇に紛れるようにして肥前屋に近づく黒装束の二影を見とめている。
 と――
 二影のうち、一人が板塀に手をついた。おそらくは板塀を乗り越えるつもり――そうと見てとり、田吾作がすすうと風をまいて滑り出た。
「何をしている?」
「ぬっ、うぬらは――」
 うめく二影の眼前、宗風は眼に白刃の如き光閃かせ、
「新撰組、十一番隊である」
 告げた。
「なにっ!」
 さすがに愕然とし――しかしながら、すぐに一人の影の身を焔立つように赤光が縁どった。
「させぬ!」
 田吾作が刃を抜き抜きうたせた。応じたのは別の一影だ。
 田吾作の刃を受けとめつつ、影が低く叫んだ。
「やれ」
「おう」
 影の手から流星のように火球が飛んだ。それは板塀で炸裂し、炎を噴きあげた。
 が――
 一度龍のようにのたくっていた炎が、すぐに火勢を小さくしていく。かっと眼をむいた影の眼前、鬼が――いや、鬼面の志士が同じ赤光をゆらめかせている。
「火を操るのはそちらだけではありませぬ。備前屋は燃やさせませぬよ」
「ふっ」
 影が嗤った。
「燃やすつもりなどない。火の手をあげれば用は済む」
「なにっ!」
 龍影の口からひびわれた声が迸り出た。

「あれは――」
 厠に向かう途中、竜良は顔を振り向けた。
 何か、遠くで物音がしたような。あれは、確か爆発音――
 では備前屋が!
 庭に足をおろそうとし、しかし竜良は動きをとめた。
 翻然と彼は苺の云っていたことを思い出したのだ。
 ――火つけさん、どれくらいの人数でくるかわからないしー‥少し時間を空けて二箇所、ってこともあるかもだしねー?
「確かに」
 竜良が独語した。
 そして部屋に戻り――幾許か後。
 彼の聴覚は、がちゃりという鉄音をとらえた。
 ――あれは錠を外す音では?
 判断するが早いか、竜良は呼子笛を吹き鳴らしつつ部屋を飛び出した。とても近江屋の家人を起こしている余裕などはない。
「俺の心の剣とこの剣がある限り、誰一人として殺させぬ!」
 蔵前――今まさに蔵中に滑り込もうとする黒装束の二影を見いだして、一気に竜良は間合いを詰めた。
 刹那、影の一人の手から銀光が疾り――竜良の右胸に深々と手裏剣が突き刺さった。が、竜良はとまらない。勢いのままに刃を薙ぎつけ、二影は飛燕のように飛び退った。
「ちぃぃ!」
 鋭い呼気を発し、一人の影の身が紅く揺らいだ。やらせぬとばかり踏み込もうとし――竜良の口から鮮血が噴出した。そして、がくりと崩折れる。
「お、おのれ――」
 刀を支えに顔をあげた竜良の霞む視界の中、再び影の一人の身が赤い燐光に包まれ――
 次の瞬間、その影が吹き飛んだ。
 何が起こったのかわからない。いや――竜良のみは知っている。左之介の爆虎掌だ。
「くっ」
 残る一影が刃を抜き払った。板塀を躍り越え、地に降り立った雷慎の姿を見とめた故だ。
 無手。
 そうと見てとり、影が襲いかかった。
 瞬間――
 風が――その名をもつ外套が翼のように翻り、空に月光の亀裂がはしった。
  ブラインドアタック。剣影すらのこさぬ雷慎の迅雷の一撃は見事に影の首をはねている。
 血飛沫をあげて倒れ伏す影を見届け、もう一人を高麗鼠のような動きであしらっていた苺がとどめとばかりに刃を唸らせ――
「あっ」
 苺がうめいた。
 その眼前、影の口から鮮血がたらたらと滴り落ち――不気味な死微笑を浮かべると、影はどうと倒れ伏した。

 二影はともに自害し、満身創痍の四人の冒険者は急ぎ近江屋を発った。
 が、すぐに司はぴたりと足をとめた。
 眼前、闇から生まれでたように三つの影が現出している。そのうちの一人は僧形の――
 おお、柊を襲った敵。であれば――おそらくは三蛇!
「将門司だな」
 少年のような面立ちの男――蛇童が問うた。
「三蛇やな」
「そうだ。てめえには恨みはねえが、死んでもらうぜ」
「蛇が俺に通じる思うんか? 俺のは双頭蛇やで」
 ニヤリとすると、すうと司が二刀を抜き払った。月光に煌く二振りの刃は、まさに鎌首をもたげた双首の蛇の牙。
 が――
 突如、司は膝を折った。
 身裡を刃で削りとられる感覚。それこそは柊がやられた業――
 気づき、ぎらと眼をあげ、司は僧形の男――蛇眼坊を睨みつけた。同時に一刀を地に突きたて、懐の呼子を取り出す。とても刃の攻防などは望めない。それだけが渾身の業だ。
「させるか!」
 総髪の侍――大蛇丸が刃を舞わせて殺到した。
 が――
 吹きつける灼熱の殺気に、大蛇丸は足を凍結させた。
「う、うぬは――」
 らしくもない喘鳴のような声をもらした大蛇丸の眼前――うっそりと佇むのは黒狼の如き、静守宗風!
「仲間が世話になったようだな」
 云うが早いか、宗風が地を蹴った。
 どこに――蛇眼坊にむかって。
 咄嗟に蛇眼坊は錫杖をかまえた。が、迫る刃は達意の北辰流。何でたまろう、血煙をあげて蛇眼坊は仰け反った。
 返す宗風の刃は夜気を斬りつつ疾り――がっきと大蛇丸の刃と噛み合った。
「やるな。しかし、その腕では俺は斬れぬ」
「ぬかせ。――良いのか、仲間がどうなっても」
「うっ」
 刃をはずし、宗風は飛んで離れた。そして司に駆け寄る。
 一方の三蛇といえば――蛇眼坊をかかえ、するすると闇の中に退いていった。
「すまんな」
 薬水を口に含むと、ふうと司は息をついた。
「山野はんと神楽はんは?」
「心配はいらぬ。今頃は近江屋に駆けつけている頃だ」
「そうか」
 疲れた笑みを浮かべる司を、宗風が抱え起こした。その二人の血濡れた姿を、曙光が白く染め上げる。
 今――
 十一番隊の長い夜は終わりを告げた。