●リプレイ本文
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「あっついだーよー」
ほえーと溜息を零し、暗天を見上げた者がいる。
背丈は子供ほど。肌は深緑色をしており、瞳は琥珀を埋めこんだよう。口は家鴨のものに似た平たいくちばし状であり、背には甲羅を背負って――何より特徴的にのは頭の上のお皿。
人ではない。河童だ。名を黒淵緑丸(eb5304)といい、忍びである。
「緑丸さん」
こちらも子供ほどの背丈の蝦夷地のパラ、アトゥイチカプ(eb5093)が懐から手拭を取り出した。
「頭、拭いらどうだ?」
「だめよ」
ぼうと見送りの酌喇黒玉のことを思い返していた所所楽杏(eb1561)が慌ててとめた。
確か河童のお皿の水は、その者の命の源であったはず。完全に乾いてしまえば息の根がとまると聞いている。手拭で水分を拭い去ってしまえばどうなることか――
「大丈夫だよ」
得意げにぐしぐし鼻をこすると、緑丸はこつこつと皿を叩いてみせた。
「ふ、蓋!?」
「ああ。おいら達は、それで水が零れるのを防いでいるんだ」
こたえたのは、もう一人の河童で、名は黄桜喜八(eb5347)という。
道理で――と深く頷いたのは雪振りた髪色の呪法師、イェール・キャスター(eb0815)である。
もし走ったりしたら、そのお皿の大事なお水が零れちゃうんじゃないか、と常々彼女は疑念をもっていたのだが、今の喜八の一言ですべてが氷解したのであった。
「へー、良くできてるんだ」
同じく感心したヴァルテル・スボウラス(ea2352)が蜻蛉のものに似た羽を振りながら、緑丸の所作を真似るかのように、喜八の蓋皿をこんこんと――。
「ば、馬鹿、やめろ」
「ごめん」
お詫びのしるし。すいと彼は胡瓜をさしだした。
「食うか、んなモン」
「でも、さっきから細長いの食ってるし」
「竹串だ、これは」
しかし――と、ヴァルテルと喜八のじゃれあう様を見て、岩に腰掛けた桂武杖(ea9327)は、つくづくこのジャパンという国は不思議なところだと感慨を抱かざるを得ない。
鷹揚と閉鎖性。その両極面を併せ持った風土。この国には他国がもつハーフエルフに対する憎悪にも近い禁忌感は少ない。
「ともかく、良いところだな」
すぐ近くに見える湖を見渡し、眞薙京一朗(eb2408)が云った。
鏡面のごとき湖水にたつのは僅かな漣のみで、中央辺りに小船が浮かんでいるが、もしかしたら水遊びに興じる恋人達かも知れぬ。平手造酒に見込まれたほどの知略の持ち主である彼も、風雅を愛する心根はある。
「僕、湖にいってくるよ。ウズフラーやポセイどんに水を飲ませてやりたいし」
云って、ヴァルテルは白馬と白緑色の毛並みを持つ馬の背を代わる代わる撫でた。
その時――
「あれは――」
突如、京一朗は眼を眇めた。
彼の優れた聴覚は、湖の方からかすかに響いてくる異変をとらえている。
声。
それは、当初は嬌声にも聞こえていたのだが、よくよく聴いてみればそうではない。
悲鳴。それは誰かに救いを求める絶叫だ。
武杖が立ちあがった。
「ゆくか」
「おう」
六人が一声あげ、ぷっと喜八が竹串ををふいた。それはひゅうと哭いて地に突き刺さり――風をまいて八人が殺到する。
弱き者を守る牙たらんとする者――彼ら八人を、人は冒険者と呼んだ。
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獣道を馳せ下ってきた冒険者のうち、真っ先に飛び出してきたのはアトゥイチカプであった。
「どうしたんだ?」
アトゥイチカプが小船を見遣った。
小舟の上には三人の姿が見える。どうやら童のようだ。泣き叫びながら船縁にしがみついている。
さらに周囲に視線をはしらせると、小船から離れたところに櫂が浮いていた。
なんだ、櫂を流されて立ち往生か。
ほっと胸を撫で下ろそうとし――しかし、すぐにアトゥイチカプは眉をひそめた。
櫂を流されただけにしては、妙に童たちの泣き方が切迫してはいまいか。あれではまるで死の危険に直面している者のようで――
「どんな様子?」
その時、わずかに遅れて到着した杏が問うた。
さしたる大事ではない――そうアトゥイチカプがこたえようとした刹那のことである。
ぐらと小船がゆれ、一際高く童たちの悲鳴があがった。
「な、なんだ?」
武杖が湖岸に走り寄った。足首を湖水に洗わせながら小船付近の湖面を注視する。
何か小船に異変が起こっているのはわかる。しかし、その異変の元凶が何であるのかわからない。
「あれは――」
杏が小船近くの水面を指差した。
慌ててむけられた冒険者の眼差しの先、黒い魚影のようにものが一瞬蠢いて見えた。
「何かいる! 気をつけて!」
ヴァルテルが叫んだ。すると喜八がぐっと顔を突き出し唸った。
「うひょ、はえ〜‥‥ん? なんかに襲われてる?」
「魚?」
緑丸が小首を傾げた。すると喜八がこんと緑丸の蓋皿を小突いた。
「馬鹿、あんな大きな魚がいるか」
そのとおり。水中の黒影は少なく見積もっても六尺はあった。そのような巨大な淡水魚はめったにいないし、いたとしても小船を襲いうるものは稀であろう。
「じゃあ何だよ?」
「ちょっと待って!」
白糸をかきあげ、黒影の正体を見とめんとイェールが眼を細めた。
水棲の妖し。それほど多くはないと思うが――
イェールが唇を噛んだ。湖面が光の斑を散らしているため、黒影の正体を上手く見極めることができない。せめて姿だけでも視認できれば正体を探る糸口にはなる。
「俺が見てくる!」
皆がとめる間もあらばこそ――緑丸が湖に身を沈めた。
緑丸は河童だ。水中においてこそ、彼は本領を発揮する。おまけに今はすいすいけろりんを身につけていた。
緑丸は蛙のように身を滑らせた。小船にむかって幾許か――
水中においても気配というものは存在するのであろうか。微妙な水の動きを感得し、緑丸は水かく手をめた。
刹那、来た。側面から衝撃が。
咄嗟に身をよじり、緑丸は衝撃を和らげている。よじることができたのは緑丸であればこそだ。が、それでも完全に衝撃をそらしきれず、緑丸は渦に飲み込まれたように身体を錐揉ませた。同時に胸が締めつけられたように息を吐く。
――く、くそっ!
苦悶しつつも、緑丸は眼を見開き襲撃者の姿を追い求め――そして、見た。そのものの姿を。
湖水に紛れるかのように、それは山葵色の肌をしていた。顔は、馬。まさに。体躯も。
しかし、何故馬が――という疑問より先に、緑丸はそれの半身が海豚のものに似ていることに気がついた。
半馬半海豚。その異様な体躯から連想される怪異の名を緑丸は知らぬ
戦く緑丸は、その時、別の一匹が身をのたくらせつつ迫り来るのを見とめた。
敵はただでさえ勝ち目の薄い水怪である。それが二匹ともなればとてものこと――
慌てて緑丸は印を組んだ。 大ガマを呼び出すために。
が、発動の証したる白煙はあがらず――しくじったのだ。仕方なく緑丸は忍び刀を引き抜き、必死になって湖岸に泳ぎ戻りはじめた。緑丸の剣技はさして水怪に対抗しえないだろうが、ないよりはましである。
その時、緑丸の眼前にぬうっと巨影が立ち塞がった。
ぎくりと一瞬驚きはしたものの、すぐに緑丸はその正体に気づいている。
大ガマ――喜八のガマの助だ!
「任せたよ、ガマの助!」
刃を口に咥えると、緑丸は水を蹴った。
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「緑丸、どうであった?」
手を貸し、引き起こしながら京一朗が問うた。緑丸はよろめきつつ吐息をつくと、
「見届けたよ。怪異の姿は――」
検分の一部始終を説明する。するとイェールがはたと手をうった。
「それは、きっとヒポカンプスね」
「ヒポカンプス? 何なの、それは?」
「あれと同じよ」
云って、イェールは白緑色の馬――ポセイどんを指し示した。
「海馬か‥‥」
ヴァルテルがうめいた。
「そのような水怪が、何故このようなところに?」
誰にともなく京一朗が呟いた。が、そのこたえを知る者は誰もいない。
「そんなことより、子供たちを何としてでも助けなけないと」
杏が身をもんだ。
実は彼女には七人の娘がいる。自立心の強い娘たちは、幼き頃より冒険者となって独りの道を歩んでいるのだが、親としては穏やかではない。何もしてやれなかったという忸怩たる思いがあるのだ。
だから、せめて代わりに一人でも多く幼き者たちを救うことができればと、彼女は願わずにはいられない。その想いが杏の底知れぬ力の源泉であるとは彼女自身気づかぬ事実であったのだが。
「でも海馬をどうする?」
ヴァルテルが問うた。
水中は馬馬の領域。そこに踏み込まねば小船に近寄れぬとはいかにも厄介だ。
こんな時にフライングブルームを所持するルーロ・ルロロがいてくれたら‥‥
ヴァルテルは臍をかんだ。
と、イェールは懐から一巻の巻物を取り出した。
ウォーターウォーク。水面歩行を可能とする呪文符だ。
「あたいがやってみるよ」
「だめだ」
武杖がとめた。
敵は水中においては魚怪並の動きを有する海馬である。水上を歩行する程度の動きでは格好の的となるだけだ。
「大丈夫よ。ういんどすらっしゅがあるから」
「なら、私もいこう」
武杖が云った。
彼の水中における活動能力は達意に達している。海馬にどれほど対抗できるかはわからぬが、深山幽谷に身を潜めて幾星霜、ひたすら鍛えた桂式泳法の真価をみせるのはこの場しかない。
「俺も」
アトゥイチカプがロープと毛布をとりだし、次いで小石を拾い始めた。それを手伝いつつ、ヴァルテルがにっと笑ってみせる。
「じゃあポセイどんに乗せてってあげるよ」
「おいらも鰭につかまらせておくれ」
同じく作業を手伝いだした喜八である。ヴァルテルは片目を瞑ってみせ、
「いいよー。お代は十両ね」
「団子にまけてくれ」
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「どう!」
波を切って、ヴァルテルは海馬に変化したポセイどんを進ませた。後にはアトゥイチカプが、背鰭には喜八がつかまっている。さらに後方、武杖と緑丸が湖水をかきわけており、遅れて湖上に円波を刻みつつイェールが歩んでいる。
海馬といえば、緑丸と喜八が呼び出した大ガマが牽制していた。海馬にとっては小船などよりもよほど小面憎い相手とみえて、先ほどから数度襲いかかっている。
「そろそろガマの助がもたない!」
次の大ガマを呼びだすべく喜八が印を組もうとするが、片手はポセイどんの背鰭にかかっている。上手く印を組むことができない。
「き、喜八さん、暴れちゃだめだよ」
ヴァルテルが必死になって手綱を引いた。ただでさえポセイどんは臆病で操るのが難しく、その上アトゥイチカプとの二人乗り。おまけに今は喜八までがついている。操手がヴァルテルでなければ全員が振り落とされているだろう。
一方、陸で歯噛みするのは京一朗である。
「ええい、何をしている! もう大ガマはもたんぞ!」
彼の射ぬくような視線の先――大ガマは海馬のチャージングにたじたじとなっている。もうあと一撃でも海馬の突撃をくらおうものなら半死はまぬがれまい。
「あっ」
杏が叫んだ。
彼女の眼は、一匹の大ガマを蹴散らした海馬が、次なる獲物を求めて巨大な蛇影のように冒険者たちに迫る様を見とめている。
ふわり。
杏の月光織り成したような髪が逆立ち、その指先から聖なる祈りが放たれた。それは物理的な威力を伴い、海馬の身を撃ち――だめだ。一瞬身震いしたのみで、海馬は最も動きが遅い獲物――イェールに肉薄する。
「ちぃぃぃ!]
ウインドスラッシュを放つべく、 イェールが身構えた。が――
撃てぬ。海馬はまだ水中だ。
そのイェールの逡巡を嘲笑うように、一気に水怪はイェールをはねあげた。
「拙い!」
叫び、武杖と緑丸が身を返した。水中を突っ切り、イェールの元へと急ぐ。
刹那、水泡が渦巻いた。とっさに身を避け、武杖が海馬の首にしがみつく。手懐けようとの目論みもあったのだが、とてものことそれどころではなかった。オーラパワーを付与した鼠撃拳を叩きこもうとし――全身をうつ水流には拳を動かすのさえままならない。
が、彼の決死の行動は海馬の隙をつくり――その間隙に滑り込むように、緑丸がイェールの身を抱いた。
一方――
ヴァルテルたちはようやく小船に辿り着いていた。ポセイどんの背から身を翻させ、アトゥイチカプひらりと飛燕のように小船に降り立つ。
「もう大丈夫だ、みんな無事か?」
「り、利助が――」
童たちが泣きながらしがみついてきた。当初ポセイどんの姿に恐れを抱いたようだが、自分たちと同じ背丈のアトゥイチカプ、さらにはヴァルテルの助けにきたという言葉に緊張の糸が切れたようで――
「なにっ」
童の返答を耳にして、はじかれたようにアトゥイチカプが湖面に眼を移した。
落ちた、もしくは海馬にひきずりこまれたということなのであろうが――
「おいらがゆく!」
何度目かの大ガマ召喚を済ませ終えた喜八が水中に身を没した。
ならば、と。アトゥイチカプは童たちを船底に横たえ、その上に毛布をかぶせた。傍らではヴァルテルが紐でポセイどんと小船を繋ぎとめたところだ。
「さぁ、帰るよ!」
ポセイどんの腹を蹴り、ヴァルテルが叫んだ。一息遅れ、小船が動き出す。
が――
すぐに追いすがる水影を見とめ、アトゥイチカプが抜刀した。
「来たぞ!」
「あっ」
どんと突き上げる衝撃に、小船が揺らいだ。童たちの悲鳴が木霊する。
「お、おのれ!」
切歯扼腕するが敵は水の中だ。アトゥイチカプは刃で突き刺そうと試みるが、あまりの迅さに追い切れない。
その時――
彼の背後の船縁にぬっと海馬が首を突き出した。一気に小船を転覆させようとしている――そうと見て、アトゥイチカプは刃を舞わせた。が、間にあわぬ。
刹那――
海馬が身を仰け反らせた。
これは――とうめいたアトゥイチカプが振り向けた眼差しの先。湖岸のイェールの身から鬼火に似た燐光が飛沫をあげつつあった。
「今だ!」
アトゥイチカプが紐を結びつけた小石を放った。空を切って飛ぶそれは水面に落ちることなく希望に――がっしとばかりに一人の冒険者の手に掴まれた。
「任せろ!」
京一朗がニヤリとした。
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京一朗と彼の愛馬である朽葉にひかれた小船をおりるなり、童たちは杏にむしゃぶりついてきた。
「ここまで良くがんばったわね‥」
杏はぎゅっと童たちを抱きしめた。その冷たく震えた身を、己の温もりで包み込もうとするかのように。鼓動が溶け合うように。そして、残酷な現実から少しでも遠ざけようとするかのように。
岸に、ひとつの小さな骸が横たわっている。喜八が湖底から見つけ出したきたもの。おそらくは利助という童であろう。
刻が、このままとまれば良いのに。
眠れ、と。すべてが夢であったように安らかに。
願いを込めて杏は抱く腕に力をこめた。
そして――
京一朗の長槍を恐れ、湖底に逃れたか――
海馬の消えた湖はすべてをのみこんで、ただひっそりと静まっていた。