●リプレイ本文
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「約束のために忍びを抜けるだなんて、なんとも浪漫てぃっく」
限間時雨(ea1968)が金茶の瞳を天穹にあげた。
映る白雲がひとつ。どこの天に流れるかは風まかせ。――そも冒険者とは浪漫に生きる生き物であった。
「そんな粋な忍びのお手伝い、するとしますか。お代も、これまた粋な依頼人に貰ってることだしね♪」
「十兵衛殿か」
ふっと、時雨と同じ女浪人である渡部夕凪(ea9450)が柔らかな笑みを口辺にはいた。
「あの御仁らしい」
「知っているの?」
「ああ」
と、こたえる夕凪の脳裡をよぎる面影。
徹頭徹尾漢くさく、しかし洒脱でのほほんとして。不精たらしいくせに、一度剣をとれば無敵という、まだ年若い剣豪。
「一度逢ってみたいねえ」
とは、シルフィリア・ユピオーク(eb3525)の台詞だ。
「でもさあ、思うに、あたいはその忍びのお相手が正直羨ましいよ」
「確かに」
薄く頬に紅を散らし、桂照院花笛(ea7049)は長い睫を伏せる。
命がけで果たされる約束。――冒険者以前に、女として花笛は憧れずにはいられないのだ。
が、それはどうやら男も同じようで‥‥
玄間北斗(eb2905)がきゅうと笑みを深くした。
「おいらも何時か、それだけ想える相手が見つかるといいのだぁ〜」
「おや、玄ちゃん、まだ好きな女性っていないの?」
シルフィリアがからかうように流し目をくれた。その前で北斗は所在なげにかりかりと頭をかく。そして助けを求めるように見遣ったその先――北天満(eb2004)と音無鬼灯(eb3757)は知らん顔だ。
満は能面めいた美貌のうちに情念を秘すのはいつものことであるので珍しくはないが、鬼灯はむしろきょとんとした顔で。
「女性の為に抜け忍になるなんて、僕にはまだ良くわからないや」
巨躯を開けて、鬼灯は朱唇を引き結ぶ。
抜け忍。
それは忍びにとっては死と隣り合わせの逃避行だ。秘密の漏洩を防ぐため、鉄の掟を守るため、忍び集団は抜け忍を許さない。
比較的寛容な闇霞――彼女の里忍衆にしても抜けることは大事である。ましてや他の忍び集団においてはいわずもがな。おそらくは地の果てまで追いつめることだろう
「それは鬼灯がガキだからだ」
雷秦公迦陵(eb3273)が笑う。
「時として、人は命より大事なものがあると思い込むのさ」
「では、本当は大事ではないの?」
鬼灯が問うと、さらに迦陵は笑って、
「わからぬから、お前はガキだというんだ」
「ずるい」
鬼灯はむすっと顔をしかめた。と、その肩をぽんと夕凪がたたく。
「ずるいのが大人さね。では――」
夕凪が指刀でちゃんと霞刀の柄をうった。
「野暮な御仁達には暫しの退場と願おうか」
「心意気を無駄にはさせたくないのだ」
三日月のように笑んだ北斗の眼がその時、凄絶に光った。
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「もし、どなたかいらっしゃいますか」
抜け忍が忍んでいるはずの小屋――その入り口の戸からわずかに身をずらせ、花笛が問うた。が、返答はない。
ならば、と――
ぎぎい、と。軋る戸を開き、薄暗い空間の前に花笛は立った。
刹那、吹きつける。針の先のような殺気が。
それには気づかぬ振りをして、花笛は小屋の中に入った。
「いらっしゃったのですか。お声がなかったものですから」
小屋の片隅に寝たままの男が半身を起こしている。おそらくは、この男こそが件の抜け忍であろう。それに野の花のように会釈し、花笛は自らは旅の僧侶と名乗った。
その花笛を――虚無僧なりの男はじっと凝視つめている。一挙手一投足、そのすべてを見逃すまいというかのように。
対する花笛は――微笑った。楚々として座り、心を空に。
それは花を活ける心境に似ていたかも知れない。今、彼女は空間に人を活かそうとしている。
それが、手負いの獣と化した忍びに相対するに最も相応しい行動と彼女の本能が告げている。迂闊な挙措を見せれば、疑心の鬼と化している忍びはすぐさま羅刹となって襲い来るであろう。
「おや」
花笛が瞠目した。
「お怪我をしていらっしゃるようですね」
花笛が立ちあがり、男に身を寄せようとした。すると男は冷然たる声音で、
「余計な斟酌は無用。勝手に休むは良いが、用がすめばすぐさま立ち退いてもらいたい」
「そうはいかないのです」
数珠を捧げもった花笛は小さく頭を振った。
「多羅尾半蔵様はご存知ですね」
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北斗の薬水を含ませ、花笛のリカバーで包み込み――ともかくも男は傷を癒したようである。
男は昏い眼をむけた。
「すまぬ。これで十分だ。これ以上拘わるのは無用」
「とは、いかないのです」
七星、十字星の頭を撫でながら満がちらりと視線を男にくれた。
「私達も仕事ですので」
にべもない。さらに花笛がやんわりとだが、叱った。
「生きてこそ会えるのです。取り違えてはなりません」
「それは――」
男が絶句した。花笛の云うことに間違いはないことに気づいたのだ。
「ところで」
時雨が男の傍らに腰を下ろしながら問うた。
「追っ手はどれくらいいるのかな?」
「おそらくは‥‥五、六人」
「六人、か‥‥」
時雨は腰の陸奥宝寿に視線をおとした。
必殺の夢想流。先をとる時雨の剣流が奇襲得意の忍び兵法にどこまで通じるか。
「じゃあ、そのお相手の女性のことなんだけど」
戸を夕凪とはさむようにして立つシルフィリアが口を開いた。
「追っ手は、アンタの約定と相手について知っているのかい?」
「知らぬ」
言葉好少なに男がこたえた。
それを聞いて、シルフィリアはふうと安堵の吐息をつく。
これで追っ手の標的は限定された。もし相手の女性のことが知られていたなら待ち伏せ、人質等、様々な局面に対処しなければならなくなるところであった。
と――
突然、鬼灯が男の前にしゃがみ込んだ。
「僕は音無鬼灯。あなたと同じ忍びだよ」
名乗った。そして男が無言であると知ると、
「同じ忍びである僕には、あなたが何故忍びを抜けてまで約束を守ろうとするのかわからない。それでも追っ手は退けるよ。僕は忍びであると同時に冒険者だからね。でも――」
鬼灯は彼女らしくもない冬の星のような光を浮かべた眼を男にむけた。
「今は逃げのびることができても、必ず追っ手は来る。忍びは裏切りを許さない。それが影に生きる者の宿命。承知しているね」
「‥‥」
男は無言で鬼灯を見返した。
その眼の決死の色を見てとり――
ああ、と鬼灯は嘆息した。
眼前の男と同じ眼を、何度も彼女は目撃している。絶対不利の命の瀬戸際を、それでも自ら歩んでいく者。冒険者と同じ眼ではなかったか。
「俺も共感などできんがな」
板壁にもたせかけていた背を離し、迦陵もまたよく輝く瞳をむける。そして血色の眼光ゆらめかし、
「が、まぁ‥あんたのその人間臭さ、俺は嫌いじゃないぜ」
にやり、と。迦陵は面白くてたまらぬように笑った。そして男の前に歩み寄ると、
「衣服を脱いでもらおうか」
「なにっ!?」
男は不審げに眉をひそめた。それへ、迦陵は刃のように尖った面を近づけ、云った。
「あんたも忍びの端くれなら理解しろ。忍術は生み出すだけじゃない、創り上げることだってできるんだ」
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ザンッ。
ザンッ。
ザンッ。
叢を鳴らしつつ、一人の虚無僧がましらのように山を駆け下りて行く。刃でも受けたものか、その身の袈裟は切り裂かれ、乾いた血にまみれている。
と――
突然、布を半顔にまいた虚無僧が立ち止まった。夜行獣の如く身を伏せ、気配を探る。
――来た。
彼の鋭敏な知覚は、暗雲のようにひたひたと迫る殺気をとらえている。
一瞬後、しじま裂く光流を見とめ虚無僧は横に飛んだ。それを追い、さらに二条三条と閃いた流星が虚無僧の身に吸い込まれていく。
「やったぞ」
快哉とともに。樹間からふたつの影が飛び出して来た。
白い六部装束。追っ手の忍びだ。
その前、虚無僧は肩に手裏剣を突き立てたまま方膝ついている。
「もはや逃さぬ」
はじめて六部姿の男達の表情が動いた。にぃ、と酷薄な笑みを浮かべ、手にした忍び刀を抜き払う。そしてほぼ同時に、風鳥のように二人の六部が襲いかかった。
刹那――
雷霆おちたように爆裂が膨れ上がり、二人の六部を吹き飛ばした。
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「あの男は――」
北斗の肩を借りて山をおりつつあった男が、ちらりと背後に眼を遣った。すると北斗はくすりと苦笑し、
「迦陵さんのことなら心配はいらないのだ」
云った。
虚無僧になりすまし追っ手をひきつけた迦陵。瞬速で紡がれる彼の微塵隠れをとらえることのできる者が、世にざらにあるとは思えない。
「しかし――」
「どうしたのですか?」
「いや」
問う満から、男は慌てて眼をそらせた。しかし、ややあって男は再び口を開いた。
「お前たちは、何故俺を助けようとする?」
「うん?」
男の問いに、側に付き従っていた時雨が顔を振り向けた。
「僕たちが、あんたを助ける理由?」
「そうだ」
男は、前方で忍びの潜伏を探りながら慎重に歩を進めつつある鬼灯の背を見つめながら頷いた。
「何者かの命か。それとも金のためか」
「うーん」
時雨は小首を傾げた。
「依頼は受けてるけど、誰かの命令にしたがってるわけじゃないなぁ」
「報酬も拝むほど多くはありませんしね」
満もぽつりともらす。
では、何故か――
理由は、冒険者の数と同等数あるであろう。が、ひとつ共通していえることがある。それは――
「お節介焼きなのさ」
夕凪が皮肉に笑う。
「節介やき?」
「ああ。簡単にいえば、馬鹿ってことなんだろうね」
「馬鹿、か‥‥」
男が繰り返した。その彼を取り囲む冒険者たちの頬に、微かな微笑が滲んでいることに男は気づいている。
「馬鹿といえば、あの女もそうであった」
男が苦く笑った。それは、初めて見せる男の人間らしい表情であり――さそいこまれるように時雨が問うた。
「女って‥‥約束している女性かい」
「そうだ」
男は小さく首を縦に振った。
「忍び仕事で怪我を負い、路傍でぼろくずのように倒れていた俺をあいつは拾い、黙って看病してくれた」
「それが馴初め?」
「ああ」
男が染み入るような眼をあげた。
「寂しく哀しい女だった。何も求めず、受け取らず――だから、俺は何かを与えてやりたかったんだ」
「それが約束かい?」
「‥‥」
男はこたえなかった。が、時雨の満面には煌く笑みが零れている。
「絶対に送り届けてみせるよ」
約束した。
ぬらり。
鮮血のからみついた手裏剣を肩からひきぬくと、迦陵は顔をしかめつつ傷口に布をあてた。まだ薬水を使うほどの怪我ではない。それよりも――
敵はまだ追跡を諦めてはいないはず。もう一芝居うたねばならないだろう。
八人目のお節介やきはふらつく足を踏みしめた立ちあがった。
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山道の途中に繋いであった馬に男を乗せ、冒険者は残る山道を下っていた。
街道に出るまでもう少し。出れば、いくら忍びというども易々と襲っては来るまい。
が、鬼灯に油断はない。
同じ忍びとして彼女は知っている。すべての忍びが迦陵に誘き出されるはずがないことを。
その時、七星が小さな唸り声をあげた。一息遅れ、夕凪の愛鷹である銀の一声が。
ちらりと満が鬼灯に目配せし――
静かに鬼灯は刃を地に突き立てた。瞬間――
地より人影が躍りあがった。同時に、樹上よりもまた舞い降りる白影あり。
「死ねい!」
絶叫は殺気の余韻をひきつつ馬上の男に迫り――
木枯らし哭き、シルフィリアの疾らせた刃風はむささびの如き襲撃者を弾き飛ばしている。そして地よりわいた六部は――必殺の刃は、がっきとばかりに北斗の十手によって受けとめられていた。
「黒曜、皆をまもるのだ!」
愛犬に命じ、北斗は左手のアゾットを唸らせ――六部はふうわりと背後にはね飛んだ。
「逃さないよ!」
雷光のようにふたつの影が飛び出した。
時雨と夕凪。はからずも、共にふるうは夢想の刃。
「何者だ、うぬら」
一人の六部が叫んだ。すると北斗はふふんと嗤い、
「怪我人を狙うとはふてぇ賊なのだぁ〜」
「なにぃ」
一瞬六部の眼にゆらめいた光。それを戸惑いと見てとって満が告げる。
「私たちは通りすがりの旅人。偶然怪我を負ったあの方とゆきあったのです」
「だよ」
夕凪が不敵に口をゆがめた。
「どのような仔細があるか知らないけど、窮鳥懐に入れば猟師も殺さずの例えもある。このまま座して見過ごすなんてことはできないねえ」
「やっちゃおうか」
すうと。鼠を狙う猫のように時雨が身を低くした。刀の柄にかろく手を添えて。
その時、地に光が閃いた。空を裂く烈風は、あやうく身をかわした六部をかすめて過ぎ――その背後の樹にかつと銀の短剣が突き刺さった。
「なにっ!」
愕然として六部が眼をむいた。
地にあった短剣が、何者の手をも借りずに空を飛んだ。そのような不可思議現象がありうるはずがない。
「な、何者だ、うぬら」
「云ったでしょう、旅人だと」
こたえ、シルバーナイフをサイコキネシスで飛ばした満が六部に歩み寄った。そうと知り、しかし六部は動かない。いや、動けない。とうに六部は満のシャドウバインディングにかかっている。それも二人――
「やはり動揺した相手にはよく効くようですね」
まるで学者が学説を説くような口調で、満は自ら確認した。すると、シルフィリアはにっと魅惑的で恐い笑みを浮かべてみせ、
「じゃあ、仕上げはあたいの役目だね」
云った。
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「本当に良いのか」
「ああ」
と、男は夕凪にむかってこたえた。
約束の相手と落ち合う段取りをつけよう――そう夕凪が提案したのだが、男が固辞したところであった。
「これ以上迷惑はかけられぬ」
「しかし――」
云いかけて、しかし夕凪は口を閉ざした。
忍びにも矜持というものがあろう。自ら歩んでいきたい地平というものもあるはずだ。
「じゃあ、さよならだよ」
鬼灯が手をさしのべた。
「君の選択が君に幸せをもたらすといいね。危険は減らないだろうけど生きるんだよ」
「ああ」
一言だけこたえ――そして男はがっちりと鬼灯の手を握り返した。
黄昏に消えゆく小さな背中を見送りつつ、ややあってシルフィリアが口を開いた。
「本当に大丈夫かねえ」
アイスコフィンで六部姿の追っ手を氷に閉じ込めてきた。迦陵も追っ手を引き離した。が、それが敵のすべてではあるまい。もしかすると、今この時も虎視眈々と抜け忍の姿を窺っているかも知れない。邪魔な道連れと離れる瞬間を狙って。
「わかりません」
花笛がぽつりと囁くように。そして、朝日を見上げるように眼をあげ、
「でも、わたくしたちができるのはここまで。後は、あの方ご自身が切り開いていかなければならないのです」
「彼なら、やれるのだ」
確信をこめて、北斗が云った。
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居酒屋の暖簾をかけ、恵は店の中に戻ろうとした。
が、後ろ髪ひかれる思いに、ふいと後を振り返った。そして――
涙を一筋零した。
約束は、果たされたのだ。