●リプレイ本文
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漆黒と真紅。
のたうつ炎と煙。その入り混じった煉獄は絶望の彩りだ。
「あの三人はおしまいだ」
「かわいそうに」
諦め。無力感に苛まれる人々。
その人々に、三人の男女が取りすがっている。
「お願い。母を助けてください!」
「誰か、娘を‥‥」
「妻が‥‥子供が‥‥」
訴える。煉獄の中に大切な者を残してきた者達だ。
が、人々に応えはない。この炎の海を前に、人に何ができようか。人々は顔をそむけた。
その時――
一人の陰陽師が進み出た。名を小野志津(eb5647)という。
「炎の中に取り残されているのは三人だけか」
静かな声音で志津が問うた。すると野次馬の一人が怒ったように問い返す。
「そんなことを聞いて、どうするつもりだ」
「助けるんです」
「!」
人々が――うちひしがれる三人を含めた者達がはっと顔を振り向けたその先、一人の若者が腕組みして立っている。
城山瑚月(eb3736)。錠前師を生業とする忍びだ。
「馬鹿な」
野次馬の一人が嘲笑った。
「戯言はよせよ。もう全ては終わりなんだ」
「まだ終わりではありません」
瑚月の傍らの娘――常盤水瑚(eb5852)が口を開いた。そして金茶の瞳を炎に向け、
「火竜よ‥。其方が贄を連れ昇るは誰も望みますまい。いえ、誰よりも私が許しません」
「その通りです」
水瑚の肩をぽんと叩いた者がある。伊勢誠一(eb9659)だ。
この状況にあって。最も恐れるべきは人々の無力感である。しかし、今の水瑚の一言は絶望の感染を断ち切る契機の一つになるかも知れぬ。その場が救助を成功させるという流れに乗れば、或いは‥‥
「たかだか数人でどうにかなる程甘くはありません。手の空いている人は手を貸して下さい」
「そうです!」
五人目の影が立ち上がった。まだ少女だ。それが人々を叱咤する。
「どなたか、布団をもってきてくださいませんか。入用になるかもしれませんから」
少女――ティア・プレスコット(ea9564)が叫ぶ。が、人々は動かない。
「そんなことをしても無駄だよ」
「勝算が無ければ作り出す。低ければ上げる。それだけの事です」
黒煙を背に、誠一がニヤリとした。
「奇跡というものはね、起きるものでなく、起こすものですよ」
「そうだ」
六人目の影が――椋木亮祐(eb8882)が肯いた。
「未来を信じる心。それが奇跡を起こすんだ」
「しかしあんたら六人で何ができるんだ」
「六人じゃない」
野次馬の声を七人目の影が制した。ルザリア・レイバーン(ec1621)だ。
「私も手伝おう」
「じゃあ私は八人目ね」
熱風に黒髪を翻らせつつ、星宮綾葉(eb9531)がにこりと微笑む。
ざわり。
人々の間にある波が伝わった。それは動揺だ。黒く塗りつぶされた心に亀裂が入った瞬間。
――何者なんだ。
――この絶望の中、希望の輝きを放つ彼らは‥‥。
――もしかすると、この者達なら‥‥。
人々の間に差し込めた燭光のような光を、志津は見逃さなかった。
「風向き次第で類焼するぞ。中には私達が入る。水を運ぶのを皆で手伝って欲しい」
「皆さんのご協力が必要なんです!!」
ティアも身を揉む。すると――
「俺は手伝うぞ」
一人の若者が叫んだ。
「こんな小さな女の子が頑張ってるんだ。俺達が頑張らなくてどうする」
「そうだ。努力する前に諦めてどうする。俺もやるぞ」
「私も!」
歓声をあげ、人々が動き始めた。その様子を見、ティアの瞳が輝く。そして七人の仲間たちの頬にも微笑がよぎった。
「さあ、俺達の出番だな」
亮祐が己の着物の袖を裂き始めた。手拭代わりにする為である。
その横では無言のまま、志津が水を浴びている。
実はこの時、すでに彼女はテレパシーによって、炎の中に残された者と念話を試みていた。が、応えはない。気を失っているのか、それとも‥‥
と、一人
「‥先にいきます」
瑚月が歩みだした。
「どこから?」
綾葉が問うた。
すでに一階入り口は火の手が回っている。瑚月が入り込む余地はない。
「三階から」
至極簡単に瑚月が答えた。それに対し、どうやってとはルザリアは聞かない。
瑚月の落ち着いた物腰から、何の策もなく行動を起こす男ではないと見極めたのだ。この男なら任せておいても大丈夫、と。ただ――
「貴殿‥いや他の者にも云っておく。一人で無茶はするな。私は仲間を失うことは嫌いだ。だから三人を助け、我々全員生きて戻る。いいな」
炎の赤に濡れながら、残る七人が顔を合わせ、頷く。
仲間。
全員の胸にその言葉が鳴り響いた。
ここにいる者は皆、つい先ほどまでは顔も見知らぬ他人である。しかし今、八人は命を繋ぐ仲間であった。
「待てよ」
亮祐が走り出しかけた仲間を呼びとめた。
「何か?」
ティアが足をとめ、振り返る。すると亮祐は微かに口元を綻ばせ、
「一つ提案がある。全て終わったら、みんなで祝杯をあげるってのはどうだ?」
「いいわね」
綾葉が大きく首を縦に振った。それに水瑚が同意する。
「約束ですよ。皆で交わした。ね、あに様」
「ああ」
瑚月も肯いた。
「では、俺はいきます」
数歩退り、瑚月が印を組んだ。白煙がわいたと見えた刹那、瑚月の身が爆裂に包まれる。
あっとルザリアが声を上げた時、すでにその場に瑚月の姿はなかった。
「私達も遅れぬようにしなければ」
ルザリアの言葉に、はいっと答えたティアが再び駆け出して、宿の入り口に辿り着いた。
入り口からは、まるで生あるものの如くにゆらめく炎が立ち上っている。それを前に、ティアの身から青い燐光が散りしぶいた。
「ウォーターボム!」
ティアの繊手から水球が迸り出た。
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炎が部屋を舐めている。まるで無数の炎の蛇がのたくっているようだ。
――ともかく二階への通路をつくらなければ
熱風に肌を灼かれながらも、階段にむかってティアがウォーターボムを打ち込んだ。とたん、むっとする水蒸気が渦巻き、火勢が弱まった。そこをすかさず、
「炎よ、消え去れ!」
志津が呪符を広げて、叫んだ。瞬間、階段を塞いでいた炎が嘘のように消え去る。ファイヤーコントロールの呪文が効いたのだ。
「今だ」
志津が叫んだ。その声をうけて琉をつれた水瑚、綾葉、ルザリアが階段を駆け上がろうとし――
ルザリアが足をとめた。亮祐が裏口に向かおうとするのに気づいた故だ。
ルザリアが抱えた桶の中から濡れたマントを取り出した。
「これをもってゆけ!」
ルザリアが丸めたマントを放った。
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破いた袖を鼻と口に押し当て、亮祐は裏口にむかった。
が、そこは火の海。紅蓮の地獄と化した有様に、さすがの亮祐も息をのむ。
と、その時だ。亮祐は炎の中から覗く白い足を見つけた。
「そこか!」
炎を前に、決然と亮祐は床を蹴った。炎を躍り超える様は、まさに飛燕のよう。
再び床に降り立った亮祐の目の前には、一人の中年の女が横たわっていた。
おそらくは娘の母親だろう。亮祐はしゃがみこむと、女を抱き起こした。
「しっかりしろ!」
「‥‥あ」
女がうっすらと眼を開いた。息はある。どうやらひどい外傷はないようだ。
「気がついたようだな。今助けるぞ」
ルザリアの用意したマントを彼女にかけると、亮祐は女に手をかして立ち上がらせた。そして紐で自身の身体に縛り付ける。
「しばらく苦しいが我慢してくれ」
亮祐は眼前の炎を睨みつけた。女と一緒では炎を飛び越すことはできない。突っ切るしか方法はないだろう。
「いくぞ!」
掛け声をあげると亮祐は炎に飛び込んだ。そのまま一気に駆け抜ける。
一息二息――しかし永劫とも思えるような数瞬の後、亮祐と女は炎から転がり出た。女の身にまいたマントからぶすぶすと煙があがっている。マントがなければどうなっていたことか。
半ば女を抱きかかえるようにして、亮祐は表にむかった。
表戸は志津によって石化させられている。もはや燃えることはなかった。
「お母さん!」
表に姿を見せた亮祐と、そして彼に抱きかかえられた女を見つけ、娘が駆け寄ってきた。
「お母さん!」
娘が母親を抱きしめた。その眼から雫が滴り落ちている。娘が顔をあげた。
「ありがとうございます」
「いや」
亮祐は煤だらけの顔に微笑を押し上げた。
「礼なら、三人全員を助け出した時に云ってくれ」
亮祐が宿家を見上げた。
すでに炎は三階まで到達している。もはや刻がない。
「早く水を!」
誠一の声に、亮祐は振り向いた。
誠一の指示を受けて人々が水の入った桶をまわしている。これで何とか延焼は防げそうだ。
残るのは‥‥
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水瑚と琉、綾葉、そしてルザリアは二階に駆け上がった。
志津とティアの消火の届かぬここは、依然として炎の渦巻く領域だ。熱気と煙がひどい。下手に吸い込むと肺まで灼かれそうだ。
「誰か、誰かいないか」
ルザリアが呼びかける。が、応えはない。
その間、水瑚と綾葉は部屋の中を覗き込んでいた。
「いない‥‥」
綾葉が焦りのこもった声音をあげた。
その彼女の鼻腔に嫌な臭いが届いてくる。ちりちりと自らの髪の毛が焦げているのだと気づき、綾葉は唇を噛んだ。
が、退くことはない。今はもっと大切のものの為に戦っているからだ。
綾葉は最奥の部屋に眼をむけた。残るのは、その部屋のみだ。
その時、琉が鳴いた。犬の感覚は鋭敏だ。人にはわからぬ何かを感じ取ったのかも知れぬ。
冒険者達は奥の部屋に走った。
「いた!」
綾葉が叫んだ。水瑚が覗き込んでみると、確かに部屋の中央で蹲る小さな背中が見える。
「おのれ」
燃える障子戸をルザリアは開けた。手に火傷のものらしい痛みが走ったが、今はかまってなどいられない。
「助けに来ましたよ!」
濡れた外套を口からはずし、水瑚が声をかけた。するとゆっくりと少女は顔をあげた。大丈夫。火傷を負っているようだが、意識はしっかりしている。
少女は立ち上がると、水瑚の腕の中に飛び込んできた。
「お姉ちゃん!」
「もう大丈夫ですよ。よく頑張りましたね」
水瑚が少女を抱きしめた。小さな命の重みが腕に伝わる。
「必ず助けてやる」
少女に濡れた外套をかけながら、ルザリアは身にまきつけた紐を引いた。命綱としてつけてきたものだが、何の手ごたえもない。おそらくは途中で焼ききれてでもいるのだろう。
「動けますか」
水瑚が問うた。が、少女は強張った顔でかぶりを振る。
眼の前には火竜の如き炎が躍っているのだ。幼い少女の足が竦んでしまっても仕方がない。
「任せて」
綾葉がしゃがみこんだ。そして少女の眼をしっかりと見る。
「私にはあなたを抱き上げる力はないわ。けれど、その恐いという思いなら取り除くことができる」
綾葉が優しく微笑んだ。その身が、炎すら慰撫するような銀色の光につつまれる。
すると――
少女のかたくなっていた表情が緩んだ。その身の震えが消えている。
「花畑の心象を送り込んだわ。これでしばらくは動けるはず」
「よし。では私が連れてゆこう」
ルザリアが少女の手をとった。火傷を負った手。少女を助けるために傷ついた手だ。それを少女はギュッと握り返した。
「しっかりついてくるんだぞ」
「うん」
ルザリアにむかい、少女がこっくりと肯いた。
「じゃあ、この子を連れておりてください」
立ち上がりながら水瑚が云った。
「あなたは?」
不審げに綾葉が問う。すると水瑚はちらりと階上を見上げ、
「あに様がまだ上にいるはずです。もしかしたら、私が手伝えることがあるかも」
「それは――」
無茶だ、と止めようとして、しかし綾葉はあやうく思いとどまった。
水瑚の湖面のように澄んだ眼には何の迷いも恐れもない。彼女は信念のもとに行動しているのだ。
「わかったわ。でも、いい? あの約束は忘れないでね」
「祝杯をあげることですね」
「そう。皆であげるのよ。一人も欠けずにね。」
「はい、」
にっこりと微笑むと、水瑚は綾葉とルザリアを促した。
「お急ぎください。あまり刻をかけるとおりられなくなります」
「そうね」
綾葉が眼を向けると、ルザリアが肯いた。すでに退路が断たれつつある。急がねばならない。
「では、ゆくぞ。頭を低くするんだ」
少女の手をひいて、ゆっくりとだがルザリアが走り出した。その後を綾葉が追う。
「気をつけて‥‥」
呟く水瑚の目の前、二人の冒険者と少女の姿が炎のむこうに消えた。それを見届け、水瑚は階段に足をかけた。
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ぐらり。
建物が揺れた。さすがにたまらず、屋根から三階に滑り込んでいた瑚月はよろけた。
煙はひどいが、まだ三階の火の手は小さい。しかし、どうやら建物の崩壊が始まっているようだ。
その時、濃霧のように立ち込めた黒煙の中に、瑚月は人影を見出した。廊下に倒れた女。三人目だ!
「しっかりしてください」
抱き起こすと、女は咳き込みつつ眼を開いた。
「あなたは――」
「助けにきました」
女の口元に濡れた着物の切れ端をあてがい、瑚月が答えた。そして周囲に視線を走らせる。
すでに階下は火の海だ。女性はおろせない。かといって地に敷き詰められた布団に身重の女性を飛びおろさせるのも無理だろう。
その時――
「あに様!」
水瑚が煙を割って姿を見せた。瞬間、瑚月の眼がギラと輝く。
「よく来てくれました。水瑚ならば、この女性を救えます」
瑚月は女に顔をむけると、云い聞かせるように、
「怯えることはありません。少しの辛抱です。良いですか」
「は‥‥はい」
訳もわからず肯く女であったが――すぐにその身が氷の棺に包まれた。水瑚のアイスコフィンである。
「よし」
瑚月が窓に駆け寄り、下を見下ろした。地に敷かれた布団が見える。あそこに女性をおとしたとしても、頑丈な氷棺が守ってくれるだろう。
次に瑚月達は紐を凍らせた。それを階下におろす。これを滑り降りれば衝撃も弱まるはずだ。
「いきますよ」
「はい、あに様。我々の怪我くらい、かまいませぬもの」
屈託なく水瑚が微笑む。数間の距離を飛び降りることへの恐怖など微塵もない。そして――
女性を先におろし、続いて二人の冒険者は空に身を躍らせた。
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リカバー。治癒魔法だ。
「無茶をするなと云われただろう」
水瑚の打ち身にリカバーを施しながら、ルザリアがごちた。
が、その眼は優しい。
「が、皆と一緒に働けてよかった」
ルザリアが八人の仲間達を見渡した。
全員、薄汚れてボロボロだ。が、溢れている表情は煌いている。
誇り。
全員の胸に輝いているのは、それだ。
報酬もある。
生還した三人、いや四人の命。そして笑み。涙。
八人の冒険者にとって、それは何物にも代えがたい最高の報酬であったのだ。
と――
助けた女の夫らしき男が歩み寄ってきた。
「何と礼を云ったら良いか‥‥。本当にありがとう。せめて貴方達の――勇者の名前を教えてもらえないか」
「名前――」
その時になって、初めて冒険者達は気づいた。互いの名さえ知らなかったことに。
まだ黒煙滲む夜空に、高らかに勇者の笑い声が響き渡った。