【江戸復興祭】越後の竜
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■ショートシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:7〜13lv
難易度:やや難
成功報酬:2 G 27 C
参加人数:8人
サポート参加人数:6人
冒険期間:07月26日〜07月29日
リプレイ公開日:2006年08月03日
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●オープニング
江戸復興祭。
源徳家康の号令により催されることとなったそれは――
文字通りの江戸復興を祈願する祭りであるが、その反面、それは権力闘争の坩堝であるといってよい。
なんとなれば――
源徳家康にしてみれば、江戸復興祭は己の力を誇示するかっこうの舞台である。祭を大々的に、かつ成功裏におさめることができれば、それは大いなる権威を示すことになるであろう。江戸の安寧は己の足下を安定させる上で必要欠くべからざるものであることは間違いないが、それよりも、彼はこの時期、源徳家の威信を内外に知らしめることが何よりも大要と考えたのであった。
対するに、他の諸侯。彼らにとってみれば、江戸復興祭は源徳家の力量をはかる為の試金石であった。尻に火がついた虎が今現在どれほどの牙を有しているか、それを知ることは諸侯にとっては己の将来につながる大事と見てとったのだ。
かくして、大衆の思惑を余所に、笛太鼓の音色や出店の掛け声の裏で、雌伏する巨大な獣どもが爪牙を隠して対峙しているという様相をていすることになるのであるが、ともあれ――
江戸復興祭の準備のために、大江戸はかつてない賑わいをみせていた。夜が更けても人声が絶えることはなく――
今も、月光に濡れる桜田門に喧騒が遠く響いていた。
そこにやってきたのは、供侍をひきつれた一挺の大名駕籠である。もし小者がもつ提灯に描かれた家紋を見た者がいたら、あっとうめいたかも知れぬ。
竹に雀紋。
俗に上杉笹と呼ばれるそれは、越後の上杉家の家紋なのであった。
「待て」
突然、供侍の一人が声をあげた。精悍な、しかしどこかおっとりした面差しの壮年の侍である。
「色部、いかがした?」
「はっ」
駕籠の中から呼ばわった声に、一度色部と呼ばれた壮年の侍は頭を垂れたが、すぐに炯とした眼を周囲にめぐらせた。
「曲者。ひそみおることは承知しておる。出てまいれ」
云った。
すると、夜闇の鴉の如き黒々とした影が駕籠の四囲にわき、一語も発することなく刃を舞わせて殺到した。
「おのれ」
色部が刃を抜き払った。そして間合いを詰めてきた影の一人の刃を受けとめる。
「ぬかるな。殿をお守りするのじゃ!」
「おう」
こたえる供侍の声があがり、次々と剣戟の響きが巻き起こった。
その時――
叫び声がした。人殺し、というそれは、おそらくは見咎めた町人のあげたものであろう。
「ちっ」
小さな舌打ちの音を響かせて、影の一人が身を翻らせた。追うように他の影もまた――
闇の彼方に駆け去っていく影を見とめ、しかし色部は供侍達を制止した。
「深追いはやめよ。それよりも――」
色部は駕籠の側に片膝ついた。
「殿、ご無事であそばましょうや」
「うむ」
こたえとともに、駕籠の戸が開いた。そして、すっと一人の男が地に立った。
月下に佇むその男は――
やや細身の体躯をしていた。この時代の武将にありがちな筋肉をよりあわせたような厳しさはない。が、じっとしていてさえ躍動する肉体は強靭な発条を秘めているようである。
そして、その相貌は――鼻筋の通った高い鼻梁といい、濃い眉といい、引き締まった口元といい、端正といえる面立ちをしていた。美と野生を兼ね備えた稀有な相。まるで白々とした野太刀のようである。
さらに印象的なその眼。鏡面のようなその瞳には、なにものをも見透かす理知の光がたゆたっている。
「賊はどうした」
圧倒的な存在感を示す男が問うた。すると色部は面をあげ、
「すでに逃げ去りましてございます」
「そうか」
ふっと、男の口辺に笑みがういた。
が、その眼は笑ってはいない。天空の一点を射抜くように、その眼光をつよめただけだ。
「此度の江戸見物、面白くなりそうだな」
男の笑みがさらに深くなった。
それは闇中に竜が首をもたげたようで。見上げる色部は我知らず肌を粟立てていた。
色部勝長という壮年の侍が冒険者ぎるどを訪れたのは、その翌日のことであった。
「殿を守ってもらいたい」
手代の前に座るなり、色部は用件を切り出した。
「‥‥お殿様を、でございますか」
「左様」
色部が頷いた。
「此度の復興祭、源徳様に招かれて殿は江戸に出て参られたのだが、どうも不穏の動きがあってな」
「不穏、と申されますと」
「それよ」
苦々しげに吐き捨てると、色部は昨夜の襲撃の件を明かした。
「すでに襲われていらっしゃるので」
「左様」
肯首し、すぐに色部は溜息を零した。
「本来なら江戸屋敷内にこもっていただきたいところであるが、源徳様の招きとあらばそうもいかぬ。また殿のご気性もそれを許さぬ。故に、お手前達に警護していただきたいのでござる」
「しかし――」
源徳家康に招かれるほどの者であるなら、供の者も多勢いるはず。その者達はどうしたのか。
胸にわいたその疑問を、手代はそのまま口にした。すると色部は苦しげに顔をしかめると、
「使えぬのだ」
と、云った。
「ここは江戸ぞ。源徳様の領地ぞ。そこにあって、江戸見物の合間に仰々しい様を見せればどうなるか。かといって忍びの者など放とうものなら痛くもない腹を探られよう」
「なるほど」
手代はようやく得心した。
「故に冒険者でございますか」
「その通りじゃ。無頼の冒険者なれば、誰に怪しまれることもなく殿をお守りすることもできようからな」
「ははあ」
手代は、ようやく依頼書に視線におとした。それから筆を手にとり、
「では、お守りさせていただくお殿様のお名前をお聞かせいただけましょうか」
「内密にしてもらえようか」
「はい、それはもう」
「では――」
色部がぎらと眼をあげた。そして告げた名は――
「上杉謙信」
「上杉‥‥謙信!」
手代が息をひいた。
上杉謙信。越後の国主。
このジャパンにあって、その名を知らぬ者はいない。
稀代の戦巧者。無敗の天才。
越後の竜たるその渾名は、遠くこの江戸にまで鳴り響いている。
「では手配のほど、宜しく頼むぞ」
そう云い捨てて、色部が座を立った。そうと知ってもなお、手代の筆持つ手は震え戦いていた。
●リプレイ本文
年の頃なら二十代前半というところか。
若者――漢といってよいか――は、屋敷奥からその姿を現した。
「あれが上杉謙信――」
迎える眼は四対。
御影涼(ea0352)、浦部椿(ea2011)、久方歳三(ea6381)、セピア・オーレリィ(eb3797)の四人である。
「なんだかものすごい重鎮さんみたいだけど‥‥そうなの?」
半ばきょとんとして、セピアが囁く声で問うた。すると久方は愕然として、
「セピア殿、う、上杉殿を知らないのでござるか」
「う‥‥ん」
仕方ない。セピアがノルマンからジャパンに渡ってきたのは今年にはいった睦月であるのだから。それでも噂くらいは耳にしているとみえ、
「越後のどらごんさんなのよね」
「越後の竜! 数少ない、真の義侠の一人でござるよ」
「確かに義戦の家柄らしい仕儀だな」
もはや盛夏といっていい日差しの中、陽炎のように立つ椿が云った。
賊を討取らずとも良いという付帯条件。何とも心優しいことではないか。
ともかく――
椿が白蛇のような首筋の汗を拭おうとすると、涼が手拭を差し出した。
「使え」
「いや、ありがたいが、情けは無用だ」
ことわった。
女であるから、ではなかろうが、余計な気遣いはつい侮りと受けとってしまう。
もし男と生まれていたならば‥‥
鋭過ぎる金茶の瞳を、椿はあげた。
一方、涼はこの炎天下においても涼しい顔だ。が、その雪豹のような面の裏で――
涼の胸には漣がたっている。
桜田門近くを調べるという平山弥一郎。その彼からもたらされた御影一族中屈指の陰陽師の訃報。
その無念に耐え、今彼は面を屋敷に向ける。その先――
漢が――上杉謙信が歩み寄ってくる。
しなやかな体躯の若者。相貌だけみれば、軍師のように白皙の美丈夫だ。
が、戦場においては先陣切る勇猛さをもってつとに知られる闘将でもある。まだ青春の残光が残る面は若狼のように凛々しい。
「その方らが冒険者か」
謙信がよく光る眼で、値踏みするように冒険者を眺め遣った。
それならどうぞ‥‥と、セピアは胸をぶるんと突きだし、腰をくねらせようとしたが――あやうく思いとどまった。冒険者が皆こうだと思われたら、やっぱ他の人に悪い。
涼は冷厳な面持ちのまま、足を踏み出した。
「はい。我々が謙信公をお守りいたします」
その時――
初めて気づいたが、幾数かの視線を涼は感得した。
屋根の上、庭木の陰、屋敷の床下――蜘蛛の糸のような視線が、涼を含めた冒険者にからみついている。
何者、という疑問より、むしろ何時からという底冷えのする寒気にとらえられ、涼ほどの男が顔色を変えた。それに気づいたか、謙信は口辺に薄く笑みを刻み、
「気にするな。軒猿衆じゃ」
「軒‥‥猿衆?」
耳にしたことがある。
担猿ともいい、上杉謙信子飼いの忍び衆である。家の軒から軒へ、猿のように身軽に飛びまわり探りを入れる者という意であるらしいが、華国において初めて忍びを使った軒轅黄帝の伝説からその名がついたという説もある。どちらにせよ、涼にとっては風聞に過ぎぬものであった。
「では、参ろうか」
謙信の足下、色部が駕籠の戸を音もなく開け放った。
●
「一日市中流しながら襲撃し易げな場所を洗い出し、真崎にネタ渡せりゃ良いだろ」
「待ち伏せるにもある程度の人数が潜める事が必須だろし、人目避けるのなら屋敷周辺だよなぁ」
木漏れ日と小鳥の囀りが乱舞する上杉江戸屋敷外。
木賊崔軌と崔煉華が云いかわすのに、木賊真崎(ea3988)は満足げに片えくぼを彫った。
「それだけ承知していれば十分だ」
そして崔軌と煉華は華国語を能くする。他の者に聞きとがめられる恐れはないだろう。
「でも‥‥」
と、飛脚の身なりをしたレディス・フォレストロード(ea5794)は秀麗な面をわずかに傾けた。
「せっかくお祭りで賑わっているというのに、その最中、何者が謙信君を狙っているのでしょうか」
「此の時期、わざわざ江戸で上杉公を狙うからには‥真の目的は、其の結果起こりうるであろう事態だろうな」
謙信暗殺。
もし事がなれば、江戸と越後は一触即発の状態となろう。その場合、何者がその風雲を喜色の笑みで迎えるか。
尾張の平織、肥前の藤豊はいうに及ばず、聞けば奥州の伊達、上州の新田、駿河の北条すらも江戸に入り込んでいるらしい。まさにこの時期、江戸は権謀術数の坩堝と化している。
と、レオン・ウォレス(eb3305)が燃える紅髪をかきあげ、皮肉に口をゆがめた。
「まあ襲撃者の一匹でも捕らえれば正体を探れるんだろうが、それは俺達の仕事ではないようだしな」
「謙信君とはお話してみかったのですけれど、ね」
レディスが流し目をくれた。その先、上杉屋敷表門から駕籠が姿を見せている。
おそらくはこのジャパンにおいて、後世にまで名を轟かすであろう傑物に対する興味はレディスの胸を騒がせた。
彼女は観る者だから。よって識る。
「ともかく、まずはお仕事が優先ですね」
「金魚の糞のようであるのは気にくわんがな」
レオンが身を翻し、レディスの蜻蛉のものに似た羽根が陽の光をきらりとはねかえした。
●
涼の合図で、ぴたと駕籠がとまった。
近くの茶店で心太を買い求め、涼が駕籠の前で片膝つく。ちらと涼が眼をあげた。
それに呼応して、すうとセピアが駕籠の前をふさぐように立った。同時に反対側には歳三が仁王立ちする。無論、飛び道具を阻止するためだ。タケシ・ダイワが目算をたてた襲撃場所ではないが、用心するに如かず。
軍配の陰に隠れた歳三の鷹のものに似た眼が、羽の一颯の如く周囲を薙ぎ――子狼とコノハに綱つけた椿が冷然と目配せした。
うむと涼は肯首すると、
「殿」
と、謙信に呼びかけた。すると戸が内側から開き、謙信が顔を覗かせた。
「心太です。ご賞味ください」
「大儀」
謙信が半透明の心太の盛られた器を受け取った。
「いかがですか、江戸の町は?」
「まこと生き馬の目を抜くとは良く云ったものよのお」
さすがに謙信が感嘆する。
当然越後にも城下町はあるが、それに比べて江戸の町は賑やかさはどうであろうか。復興祭の最中であることを差し引いても、おそらくはジャパン随一の殷賑を誇るであろう。
「皆、懸命に生きております。それは越後人も同じこと。刃禍にかけさせたくはありませぬな」
囁くように。 涼が云った。すると謙信は心太の空器を涼に戻し、ニヤリとした。
「江戸の味、馳走になった」
「見物もいいのですが‥‥」
商家の屋根瓦に腰掛け、謙信一行を見下ろしつつ、レディスは溜息を零した。
瓦もどこも、何もかも、暑い。彼女の位置――御天道様に近い分、より熱波が際立っているような気さえする。
やはり風を切っている方が涼しい――とはいえ、潜護衛の身としては、そうそう目立って飛び回るわけにもいかないのである。
行き交う町人の様子は普段の通りで、怪しい素振りを見せる者はいない。やはり人目をひく町中での襲撃はないのかも‥‥
その時、レディスは猫が屋根から飛び降りる様を見とめた。
ああ、猫も我慢できないのだ。
そう思うと、何故だかレディスは哀しくなった。
●
「どお?」
問われ、揚屋の天井裏を覗き込んでいたレオンがひらりと蝙蝠のように畳上に飛び降りた。
「どうやら怪しげな仕掛けはないようだ」
「なら安心ね」
と、瓢然と微笑んだのはシルフィリア・ユピオーク(eb3525)である。
色部の口利きで揚屋に入り込み、内部の様子を探っていた彼女であったが、先ほど、謙信一行の先乗りとしてレオンが乗り込んできたところであったのだ。
「そっちはどうなんだ?」
「概ね大丈夫なんだけど、一人――」
気になる者がいる。
一人の仲居。どこといって変わった素振りはないが、数日前から働き出しているという点が気にかかる。
「どんな女だ?」
「綺麗な女性よ。まあ、あたいよりは落ちるけど‥‥」
しかし身ごなしはシルフィリアと同等か、それ以上――
●
揚屋の座敷、三味や太鼓、妓達の嬌声につつまれ――
謙信は脇息にもたれ、しずかに杯を口に運んでいた。
「殿、江戸の女はお気に召しませぬか」
気遣わしげな涼の問いに、謙信は、いやと深い声でこたえを返した。
「さすがに江戸の妓は垢抜けておると感心しておったところよ」
「それは祝着」
涼は謙信の杯に酒を注ぎ足した。それを謙信は一気に飲み干し――次に酒を注ぎ足したのは、芸妓にまじって舞を披露していた歳三である。
「上杉殿、拙者、金山にて義侠塾塾生として活動しております久方歳三と申します」
「ほお」
謙信が感心したように声をあげた。
「人助けのみならず、舞までもたしなむか」
歳三は特別だ。――そうシルフィリアが苦笑したのは秘密で。
当の歳三は咳払いひとつし、問う。
「名高い謙信公と見込み、お尋ねしたい。真の義侠とは何でござろうか?」
「馬鹿よ」
一言。謙信がこたえた。
「ば、馬鹿でござりまするか」
「そうだ。小利口者は義侠などにはなれぬ」
「な、ならば国や町を治めるにはどの様にしたら良いのでござろうか?」
「それに完答はなかろうよ。ただな、己を虚しうせねば、何事もみえては来ぬ」
「まあ、かたい話はその辺で――」
遮り、シルフィリアが謙信にしなだれかかった。大きくはだけられた彼女の胸元は血管が透けるほど白く、たちのぼる花の体臭が謙信をおしつつみ――が、シルフィリアの眼は油断なく前を向いている。
その先――件の仲居が、新しい銚子の乗った膳をささげ持ち、座敷に入ってきたところであった。
障子脇にはセピア。真紅の瞳、落日のように一層煌かせて――
何事もなく、仲居は進んだ。
そうと知り、シルフィリアはほっと息をついた。
セピアは先ほどから何度となくホーリーフィールドを展開している。もし謙信、ひいては護衛の者に敵愾の炎を燃やしているのならば彼女の結界を只でぬけられるはずはなく――
それでもシルフィリアはさらに謙信にもたれかかり、
「もうぅ、殿ったら」
甘い声をあげ、それから仲居の膳から銚子を取り上げた。そして自らの杯に注ぎ、毒見とぱかりに口に含む。
「甘いねえ。もう一寸辛口の御酒を頼むよ」
「承知しました」
こくりと首を縦に振った仲居の――
膳もつ手が翻り、その繊手の先の刃が死神の鎌のようにびゅうと謙信に疾った。あっと、座敷中の誰もが息をのみ――一人、シルフィリアのみはほとんど反射的に謙信を庇って身を投げ出してはいたが――
戛然!
澄んだ音たてて、小柄が畳に叩き落されている。袈裟に薙ぎおとされた光流が、仲居の持つ小柄を打ちすえたのだ。
示現流。
謙信の命を救った剣流の正体を知り得る者が、冒険者を除いてはたしてその場にいたか、どうか。ただ紅色の鴇を思わせる影は――椿は振り下ろした九字兼定に白顔を映しつつ、云った。
「やらせぬよ」
「ぬっ」
はじかれたように仲居が身を躍らせた。そして、そのまま一気に窓外へ――
●
その後、さしたる変事もなく――
また緋宇美桜の奔走にもにもかかわらず、襲撃者に関する何の情報ももたらされることもなく――
ついに三日目の夜。
流れる雲に月が明滅する中、一人の侍がぶらぶらと足を運んでいる。
木賊真崎。謙信一行に先んじて、殺気の澱む地点の偵察としゃれこんだのであるが。
「うん?」
上杉屋敷近くで、真崎は眼を眇めた。暗いこととて、しかとはわからぬが、地に這う人影が動いたように見えた。
が、近寄ってみると――
何も、ない。人影はおろか、犬の子一匹すらも見当たらぬ。
と――
暗夜をつく飛燕のようにレディスが飛び来った。
「真崎君、どうしたのですか?」
「いや、人影が見えたような気がしたんだが――」
「私も見ましたよ。――いや、夜目がきくわけじゃないから、はっきりとはわからなかったのですが」
「なにっ」
真崎が瞠目した。
「殿、もうすぐだよ」
上杉家紋のついた提灯に照らされ、駕籠に付き従ってしゃなりと歩くシルフィリアの艶姿が黄色く浮きあがっている。その斜め前、涼と椿がゆき、斜め後には歳三とセピアの姿があった。
「待て」
突如かかった声に、現出した人影に、上杉家供侍達が血気立ちつつ刀に手をかけた。
「お待ちを」
今度とめたのは、駕籠前に佇む涼だ。彼の夜目のきく眼は、人影の正体を真崎と見とめている。
「この者は仲間です」
供侍に云い、それから慌てて真崎に歩み寄った。
「どうしたのだ?」
「怪しい人影を見た。気になる。しばらく動くな」
「!」
冒険者に戦慄の波がさあと波紋を描く。それぞれが、それぞれの獲物に殺気を吹き込み――
幾許か。
突如土煙があがり、地中から黒影が躍りあがった。その数は五。
「出たな」
抜刀すると、涼は駕籠を背にした。
刹那吹きつける剣風を、椿の九字兼定が、真崎の腕霞刀が、歳三の軍配ががっきとばかりに受けとめる。
「散るんじゃないよ! 殿を守るのが一番だよ!」
小太刀を逆手にかまえつつ、シルフィリアが叫んだ。
おお、と叫び返す冒険者であるが。その絶叫を切り裂くかのように、虚空に別の黒影が舞った。
それが道端の樹木に凝じていたものと知るより早く、涼の刃が閃いた。同時に、きらと流星が流れ――レオンの放った短刀が黒影の一人の肩を射抜き、別の黒影の前にレディスの身が躍動する。
が、一人。囲みを破って謙信の駕籠に迫る黒影があった。
「ちいぃ!」
涼が噛み合う刃をはじき、駕籠脇に回り込もうとするが――届かぬ。黒影のふるう凶刃は風鳴りの音響かせて駕籠に――
「殺ってみなさい」
ひた、と。セピアの銀槍の穂先が黒影の肩におかれた。
「本当に殺れるのなら、ね」
「そこまでだ」
声が響いた。それほど大きくはないが、はらわたを震わせる迫力をもった声音である。それは――駕籠の中から轟いた。
すると、その声にうたれたかのよに黒影達が刃をひいた。飛び退り、闇の地に平伏する。
「軒猿衆よ、大儀であった」
「あっ――」
その時に至り、ようやく冒険者達は事の真相に想到した。
「上杉殿、図られましたな‥‥」
「許せ」
謙信はニンマリすると、やや怒気を含んだ歳三の面を見返した。
「江戸名物の冒険者、賞味せねば画竜点睛を欠くではないか。それより――」
謙信は、夜目にも鮮やかなセピアの紅瞳に眼を遣った。
「いつから気づいていた?」
「仲居が揚屋で襲ってきた時から。本当にあなたの命を狙っているのなら、私のほーりーふぃーるどを抜けられるはずないもの」
艶然と微笑みながらセピアがこたえた。すると謙信もまた野太い笑みを返し――その背にむかい、涼が問うた。
「謙信殿、江戸は楽しめたか?」
「存分に」
「それは重畳」
涼の頬に微かに浮いた笑みは凱歌の誇りに輝き――同時に彼の眼にゆらめいた光は、人外の魔物を見たような畏れに満ちている。
その眼前、竜と呼ばれた漢を乗せた駕籠は、風雲を秘めたまま悠然と闇の奥に消えていく。
すでに軒猿衆の姿はなかった。