【駿河】珊瑚

■ショートシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:2〜6lv

難易度:やや難

成功報酬:5

参加人数:8人

サポート参加人数:6人

冒険期間:08月16日〜08月22日

リプレイ公開日:2006年08月24日

●オープニング

「これが、そうか」
 虚無僧が天蓋をもちあげた。
 へい、とこたえたのは、日と潮にさらされて赤銅色と変じた肌の初老の男である。が、虚無僧は男など眼中にないかのごとく、ひたすら灼けるような視線をある一点にむけつづけている。
 それは――
 一人の少女であった。年の頃なら、十三、四というところか。どういうわけか、一糸まとわぬ裸体に筵をかぶせられている。
 そのような異様な状態にありながら、少女は美しかった。
 あまり手入れのされていない、それでも艶やかな黒髪を胸元まで垂らし、対照的に、肌は透けるように白い。すっと通った高い鼻梁、宇宙の深淵のように澄んだ黒瞳、蕾のように愛らしい紅色の唇。
 人間離れした美少女であった。
 虚無僧はすっと屈み込んだ。少女がびくりとして身を竦める。しかしかまうことなく、虚無僧は少女にかけられた筵をめくった。
 ニタリ。
 天蓋の内で虚無僧がほくそ笑んだようである。
「よかろう」
 立ちあがると、はじめて虚無僧は初老の男に眼をむけた。
「もらってゆこう」
「左様で。こいつなら食い出があると‥‥」
 下卑た笑いを満面に滲ませると、初老の男は両手を差し出した。
「それではお代の方を」
「よかろう」
 頷くと、虚無僧は仕込みを一閃させた。一瞬後に渦巻いた血煙は、小屋の板壁の隙間から射し込む陽の光を翳らせる。ほとんど同時に少女の口を割って迸り出た悲鳴は、春雷のように残響の尾をひき――
 しかし虚無僧は何事もなかったかのように、後に立つもう一人の虚無僧を見た。
「このことがもれてはならぬ。皆殺しにせよ。このような寒村、さほど手間はかかるまい」
 命じると、虚無僧はまだ悲鳴をあげつづけている少女にむけて刃を振った。ばさりと筵がはねのけられ、少女の裸身が露わになる。
「着物がいるな」
 虚無僧がしわがれた声で呟いた。

 その女が冒険者ぎるどを訪れたのは、すでに残照すら消え果てた夜半であった。
「ご依頼でございますか?」
 蜜に濡れたように美しい女にどぎまぎとしながら、ぎるどの手代が問うた。すると女は小さく頷き、朱い唇を開いた。
「攫われた娘をお助け願いとうございます」
「攫われた娘さん? あなたさまのお身内で?」
「はい。妹でございます」
「ははあ」
 手代は声をあげた。この女の妹ならば、さぞや美しいに違いない。
「では、詳しい事情を――」
 お聞かせください、という手代の言葉に、こたえた女の話はこうだ。
 江戸から東に半日ほど離れた小さな漁村。女と妹が旅の途中に立ち寄ったものだが、忽然と虚無僧の集団が現れ、女の妹を拉致し、連れ去ったという。
「その虚無僧が何者か、心当たりは?」
「いいえ」
 女は哀しげに頭を振った。が、すぐに、しかし、と女は切れ長の眼をあげた。
「どこに向かうつもりかは、聞き届けております」
「は? それは上首尾でございます。で、その虚無僧達はどこに向かうと申しておりましたか?」
「駿河に。東海道を下ると申しておりました」
「駿河‥‥」
 手代が眉をひそめた。
 行き先が駿河と判明したとしても、すぐに冒険者が出立できるはずもない。このままでは、とてものこと追いつけはしないだろう。
 その手代の胸の内を読み取った、わけでもなかろうが、女は妹は身体が弱っていると告げた。
「‥‥ご病気か何かでいらっしゃいますか?」
「いえ、病気というわけでは‥‥。疲れと申しましょうか‥‥ともかく、そのため足は遅くなっていると思います」
「なるほど」
 手代はふうむと唸った。
 身体を弱らせた女連れ。駕籠を使ったとしても、それほど先へは進めまい。急げば、駿河に着くまでに追いつけるかも知れぬ。
「宜しゅうございます。それでは急ぎ冒険者に依頼を出しましょう」
 手代は筆をとった。そして女を眩しそうに見返して、
「それではお名前をお聞かせ願えますか?」
「はい。私は翠、妹は珊瑚と申します」
 云って、依頼料のつもりか、翠と名乗った女は見事な珊瑚の飾りを手代の前においた。

●今回の参加者

 eb2235 小 丹(40歳・♂・ファイター・パラ・華仙教大国)
 eb3736 城山 瑚月(35歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb3843 月下 真鶴(31歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 eb4607 ランディス・ボルテック(50歳・♂・ウィザード・エルフ・ロシア王国)
 eb4757 御陰 桜(28歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 eb4922 シンハ・アルティノ(32歳・♂・ファイター・人間・インドゥーラ国)
 eb5647 小野 志津(35歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb5817 木下 茜(24歳・♀・忍者・河童・ジャパン)

●サポート参加者

御影 涼(ea0352)/ 木賊 崔軌(ea0592)/ トマス・ウェスト(ea8714)/ 陸堂 明士郎(eb0712)/ 平山 弥一郎(eb3534)/ 常盤 水瑚(eb5852

●リプレイ本文

「‥‥人というのは恐ろしいものなんだよ」
 厳かな表情をうかべた少女が云った。すると話を聞いていたもっと小さな女の子はびくりと身を竦め、
「そんなに恐いの? 海坊主より?」
「ええ。でもね‥‥」


 人ではない。
 ふいに、木下茜(eb5817)はそう思った。
 依頼人の翠という娘を眺めていて、脳裡を過った陽炎ににたおぼろな想い。それは河童である彼女の、水精に属したる本性の故であるのかも知れない。もし先駆けした陸堂明士郎が何か掴んだとしたら、それはすなわち――
「ほっほっほっ」
 春の風音のような、どこか懐かしい笑声に、茜の思考は途切れ、翠はつっと顔をあげた。
 前に、好々爺然とした小柄の男が立っている。ぴんと髭――付け髭なのだが――をたてた、ひどく老成した雰囲気をまといつかせた男であった。
「わしは小丹という者じゃ。よろしくのう」
 男――小丹(eb2235)が名乗った。
「翠と申します」
 翠はこたえ、すぐに視線をそらせた。
 何故だか、わからない。強いて云えば、丹の枯色の瞳に胸の奥まで見透かされそうな気がしたから――。
 この丹という男、そんな想いを抱かせるほど、どこか超然としたところがある。
 その丹の頭の上。
 ふぎゃ、とばかりに子猫が一匹飛び乗った。
「おほっ」
 と丹はさすがに驚き、猫をおさえようと手は――空をかいた。一瞬早く、トマス・ウェストが子猫の首根っこをつまみあげたからだ。
「こら輝帝丸、おとなしくするのだね〜」
 云って、トマス・ウェストはニンマリと翠に笑みをくれた。
「どういうわけだか、興奮してしまってね〜」
「猫ちゃんも、綺麗な女性はわかるのよね〜」
 助け舟を出したのは御陰桜(eb4757)だ。そしてシンハ・アルティノ(eb4922)に桃色の瞳と濡れた唇を向ける。
「人間にはわからない人はいるみたいだけど」
 膝に両手つき、前かがみになって覗き込んだものだから、たわわに実った水蜜桃のような胸ははちきれんばかり――挑発するような桜の笑みをむけられ、しかしシンハは不動だ。その名の由来となった獅子の如くふてぶてしくギルドの壁にもたれ、むすりと唇を引き結んでいる。
 己の牙を磨く。それ以外にシンハの興味はない。まして女など、かえって強くなるための邪魔だ‥‥
 が、桜とシンハの散らせた見えぬ火花の外で、瘧にかかったように身を震わせ、奥歯をきりきりと噛み締めている者があった。
 ランディス・ボルテック(eb4607)。エルフのウィザードだ。
 桜を見てランディスは思う。
 これほどの色香、これほどの肢体を備えた女がざらに世にあろうか。できることならあんなことやこんなことをしてみたいが――だめだ。ランディスは奇跡的に己を自制した。
 それは翠の妖しいまでの美しさに、腹の底にとろとろとくすぶる欲望が醒まされたためでもあるのだが、もうひとつ、まだ見ぬ珊瑚という妹の将来に対する期待もある。姉がこれほど綺麗なら、妹は推して知るべし。
 にへら、と涎を垂らすランディスを気味悪がって月下真鶴(eb3843)が後退った。そして翠の手をとる。
「必ず妹さんは助け出してみせます」
「‥‥は、はい」
 力なく頷いた翠であるが、しかしすぐに彼女の眼が驚いたように見開かれた。眼前に、真鶴の差し出す小指がある。
「約束」
「約束?」
「はい」
 真鶴がこっくりと首を縦に振った。
「僕の‥‥いや、冒険者の」
「冒険‥‥者‥‥」
 まるで聖句であるかのように呟いて、翠がおずおずと自らの小指を差し出し、そして――
 真鶴のそれとからめた。

「手練手管より、まっすぐな瞳か‥‥」
 城山瑚月(eb3736)らしからぬしみじみとした独語に、木賊崔軌はふっと苦笑をもらした。
「らしくねえな。まあお前と同じ意味の名持ったお嬢がかかわってるんだ、多少感慨深くなったとしても仕方ねえか」
「海に属する名の姉妹‥自由な存在を映す名の通り在るべき者を奪う‥見過ごせませんからね。」
 と、こたえた瑚月であるが、呆れた態の常盤水瑚に睨みつけられ、僅かに眉をひそめた。
「何です?」
「何です、じゃありません。‥久々に江戸へ戻られましたのに、またお留守ですか、あに様は」
 と溜息つき、が、すぐに諦めたように水瑚は微笑った。名など関係なく、瑚月が難儀の女を見捨てておけるわけもなく。
「ゆるりと話す暇も御座いませんが、女性の命が掛かっていては我侭も申せません。ちゃんと連れてお戻りなさいませ」
「俺を誰だと思っているのです?」
 云って、瑚月は不敵に笑った。


 茶店から出てきた狩衣姿の陰陽師がひらりと馬に跨った。
 青白い秀麗な面は透徹した静かさに満ち、凛とした姿は不可思議に艶めいて――小野志津(eb5647)である。
「どうじゃった?」
 丹が問うた。すると志津は鏡のように底の知れぬ眼をちらりと流して、
「虚無僧の集団を見たそうだ」
「見た? で、何人おった?」
「十人ほど」
 と、こたえたのは志津と同じく茶店で虚無僧のことを尋ねた真鶴だ。すると胸元をかき開いて汗を拭っていた桜が手をとめた。
「十人かぁ」
 集団というからには多人数であろうと踏んでいたが、十人とは厄介だ。これでは正面からの力押しは難しいだろう。
 と、その時、
「こ、これ。わしが拭いてやるほどに」
 ランディスが手をのばした。
 それをぺちっとはたいてから、桜がさらに問う。
「で、虚無僧が過ぎたのは?」
「昨日のことです」
 云って、真鶴は唇を噛んだ。
 すでに一日の遅れがある。本当に追いつけるのだろうか。
 が、その懸念はすぐに志津によって霧散される。
「相手は徒歩。おまけに珊瑚の身は足手まといとなる。駿河までは三日。相馬と韋駄天の草履を使えば追いつけぬことはあるまい」
「そうですね」
 安堵に面輝かせ、半ば憧憬に近い眼で真鶴は同年の女陰陽師を見つめた。それは志津の年齢に似合わぬ落ちつきぶりに感心してのことだったのだが――当の志津は表面ほど沈着しているわけではない。何故なら――
 志津の兄は、ある依頼にかかわり行方知れずとなっている。一族の長である御影涼からは、詳細がわかるまでは落ちつくべしと釘を刺され、平山弥一郎などはすぐさま平静さを取り戻したようだが、志津にとっては身内のこと。やはり胸落ちすることなどできぬ。
「急ごう。遅れてくる者達が追いつくまでに虚無僧どもをとらえねば」
 件の虚無僧、もし以前に涼が相対したものと同人ならば厄介なことになる。
 志津は馬の腹を蹴った。

 その遅れてくる者達――
 シンハと茜――ランディスはちゃっかり真鶴の緋蒼丸に乗せてもらっている――は東海道を馳せ下っていた。
 時折茜は荷を積んだ幼い蒙古馬を気遣うが、とめることはしない。いや、むしろ火に背を炙られるように急かしさえする。その理由は――
 道中、シンハが聞き取った話。ゆるりとできぬために、それほど念入りにしたものではないが、それでも届いたもの。それは、ある漁村で人魚が獲られたというものだ。
「笑わないできいてくれますか」
「うん?」
 茜の只ならぬ様子に、シンハが足をとめた。
「どうした?」
「あの‥‥あたい、翠さんに会った時にわかったんです。この女性、人ではないって」
「人ではない? まさか――」
 シンハは声を途切れさせた。
 翠が人ではないなどと俄には信じられぬことだが、茜の勘を侮るべきではないことを彼は承知している。それならば、もし――
「もし珊瑚という少女もまた人魚ならばどうなる?」
 ジャパンの風習に詳しくないシンハが問うた。すると茜は通常ならばと前置きし、
「見世物にするというところでしょうか」
「見世物か‥‥では通常でないならば、どうなる?」
「それは――」
 茜の黄玉のような眼に浮かぶ恐怖の色を見てとって、思わずシンハが息をつめた。そして―― 
「ジャパンでは、人魚の肉を喰らえば不老不死になるという伝説があります」
「!」
 驚愕に、シンハが瞠目した。


「喰らう、じゃと!」
 丹がうめいて、調理せぬままかじっていた糒を飛び散らせたのは、東海道脇の林の中であった。肯首したのは、深夜に至りようやく仲間に追いついた茜である。
「馬鹿な――」
 と呟きつつ、しかし瑚月は一笑に付すことはできぬ。
 実のところ冒険者は一度虚無僧達に追いつき、さらにはやり過ごしているのだが、その折の彼らの様子は異様であった。その歩みは遅々として進むことはなく――それが為に追いつくのは容易であったのだが――、少し進んでは駕籠をとめて中にいるであろう珊瑚を休ませ、水筒を手渡したりしていた。まるで至宝を扱うような注意深い態度で。
「それで珊瑚の様子は? 念話を行ったのであろう」
「返答はない」
 問うたシンハに眼を遣ることもせず、ぽつりと志津がこたえた。
 虚無僧一行に追いついた際、ひそかにテレパシーを試みた志津であるが――確かに、それは届いた。助けるという志津の言葉に、ただ漣ののような反応が返ってくるばかりであったが。
 しかし、それも珊瑚が人魚であるならば頷ける。彼女にとって、人はすべて敵であるはずだろうから。
「ともかく動き出すまでにはまだ刻があります。少し休みましょう」
 云って、真鶴は街道に視線を投げた。
 荒れた堂がひとつ。珊瑚はその中にいる。


 寅の刻。
 すべてが深沈たる静寂に包まれた未明の頃だ。
 ぱきりっ、と小枝を踏む音に、見張りの虚無僧がぎくりとして顔をあげ――
 ふうと息を吐いた。
 樹間に泥にまみれた犬が一匹。こやつが音の元凶か。
 その時、虚無僧は脳髄に桃色の靄がかかる感覚を覚えた。それが睡魔の触手であると知り、虚無僧は慌てて顔を振り眠気を振り払う。それから他の二人の見張りの虚無僧が眠りこけていることに気づき、一人の肩を揺さぶった。
「起きろ」
「あ――」
 一人が眼を覚まし、立ちあがろうとしたその刹那――
 ましらのような影が舞った。その数は二。
「しゃあ!」
 反射的に虚無僧が仕込みを鞘走らせた。煌く銀光と影のひとつが交差し――次の瞬間、二人の虚無僧は地に這っている。
 代わりにぬうと立ちあがった影は――おお、瑚月と茜だ。と、樹間から忍び出てきた別の影が二人に近寄った。
「やったわね」
「あなたこそ」
 と、茜が賞賛したのは桜の春花の術だ。この業がなければ一騒ぎあったに違いない。
 一人、瑚月のみは危なかったと胸中慨嘆している。その彼の足下には砕け散った身代わり人形がひとつ。
 そう、虚無僧が斬撃を放ったのは瑚月の方であったのだ。
 と、その時――
「どうした?」
 ぎい、と軋ませて堂の格子戸が開き、一人の虚無僧が姿を見せた。どうやら一人、外の異変に気づいた者がいたらしい。
 さあと冒険者達に緊張の波が伝わった。ここで騒がれれば、他の虚無僧までもが目覚めてしまいかねない。それは面倒だ。が――
「いや、何もないぞ」
 こたえつつ、志津が虚無僧に歩み寄って行く。それに対し、虚無僧は何事もなかったかのように、そうかと応えて背をむけた。
 ここに至り、ようやく冒険者達は志津がイリュージョンを仕掛けたことを悟った。恐るべし、変幻自在の陰陽の業と。
 志津は、背後からするりと虚無僧の口を手でふさぎ、背に新藤五国光の氷の刃を突きたてた。あっけない殺戮。まるで蜘蛛が羽虫をからめとる様を見るようであった。

 揺り動かされ、開きかけた珊瑚の口をぴたと志津の手がふさいだ。
「静かに。助けにきた」
 小声で囁くと、志津は珊瑚を起こした。水でも含ませてやりたいところだが、とてもその余裕はない。
 そろそろと二人は堂の中を歩み出した。周囲には眠っているであろう虚無僧が数人。桜の睡眠香が効いているはずだが、用心するに如かず。
 肝の冷えるような数瞬が過ぎ――やがて二人は堂の外に出た。
 その瞬間のことである。ふっと息を抜いた志津の手を振り払い、珊瑚が走り去ろうとした。
 と――
 その珊瑚の身を、ぎゅうと抱きとめた者がいる。真鶴だ。
「大丈夫。大丈夫だから」
 真鶴の声が、いや血の温もりが珊瑚の冷え切った心を溶かしたものだろうか。しばらくして珊瑚はもがくのをやめた。そしてぐったりと身を崩れさせる。気を失ったのだ。
「可哀想に。ここまで弱っておったとは‥‥」
 沈痛な面持ちで呟き、ランディスが珊瑚を抱き起こした。すっと眼を開いた珊瑚の口に水筒をつけ、シンハが告げる。
「翠という、あんたの姉を名乗る者の依頼で来た」


 岩にこしかけ、桜は珊瑚の髪を梳っていた。
 街道からややそれた川原。江戸までは半日というところである。
 その珊瑚といえば、さすがに冒険者が救いの主とわかったので今は落ちついている。が、一方の桜の様子はおかしい。時々溜息を零し、ふっと手をとめる。
「こんなに荒れてしまって‥‥」
 珊瑚が人魚であり、もしかすると虚無僧が喰らおうとしていたことを、無論桜は知っている。おそらくは珊瑚自身も。
 喰らわれる恐怖。哀しみ。それはいかばかりであったろう。
 それを思うだに、桜の手は怒りに震えるのだ。すると、
「これを」
 丹が巻き貝の貝殻を差し出した。
「これは――」
「こうするのじゃ」
 不審そうに見上げる珊瑚の耳に、丹は波打ち際の貝殻を押し当てた。
「あ――」
 小さな声をもらし、珊瑚が眼を閉じた。今、彼女の耳には潮騒が響いていることだろう。一筋、珊瑚の眼から雫が伝い落ち――
 一斉に冒険者が立ちあがった。彼らの前に、五人の虚無僧の姿がある。
「しつこい奴らじゃのう」
 面倒臭げに顔を顰めたランディスがゆるりと掌をあげた。刹那、空間が波打ち、虚無僧達が身を仰け反らせた。
「面白い」
 獅子のようにシンハが襲った。一気に間合いを詰めると、脚を唸らせる。
 エジェット。八部衆“龍”の称号を持つ者が編み出した武術の蹴りである。何でたまろう。虚無僧の一人が血反吐を撒き散らせて吹き飛んだ。
「珊瑚さん」
 恐怖に身を強張らせた珊瑚の肩を、その時、茜が優しく掴んだ。
「この川から逃げて。ここを下れば海に出られる。あなたなら、できるでしょう」
「えっ――」
 珊瑚が息をひいた。
 では、この人達は私が人魚であることを知って‥‥
 人は敵。そうと教えられて育った珊瑚である。それなのに、何故この人間達は正体を知ってまでも守ってくれるのか。
「何故――」
「嬢ちゃん、達者での」
 一言告げて、丹が虚無僧めがけて殺到する。蝙蝠の羽根に似た外套翻らせ、兜に植わった鴉の羽根を風になびかせ――本来禍々しいはずであるその姿は、どうしたものかひどく勇壮なものに見えた。
「じゃあね」
 茜もゆく。笑みだけを残して。
 疾風のように虚無僧を翻弄するその姿を――
 いや、見知らぬ人魚の少女を救うために命を賭ける八人の姿を、川に身を沈めた珊瑚はしっかりと脳裡にやきつけていた。


「ええ。でもね‥‥」
 微笑うと、少女は尾ひれのついた下半身で海水をはねた。そして面影を追うように眼をあげ、云った。
「冒険者は味方なの」