●リプレイ本文
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「なるほどなぁ、お縫って女の子が何かおかしな事に巻き込まれてるって話しか。どんどんやつれて来てるって事は、イジメかタカリか‥‥」
首筋をぼりぼり掻きながら、イギリス王国のナイトであるブレイグ・ダークチェット(eb8651)がごちた。
「原因が特定出来ないというのは面倒ですね‥」
組んだ腕の上で、沈思から眼をあげたのは城山瑚月(eb3736)である。
お縫の見立て。医者はやつれの原因がわからぬという。
「医者が云っているのだから、病などではないのだろうけど‥‥」
ヨシュア・グリッペンベルグ(ea6977)が考え込んだ。
医者の見解は確かなものだとは思うが、予断は禁物だ。学者であるヨシュアならではの思考法である。
と、セシル・カロニコフ(eb8991)が細く白い指を、艶かしい顎にあてた。
「精のつく物を食し続けても尚衰えていく身体。お医者様の見立てでも病気では無い。となると、何者かの手で精力そのものを失っていると考えるべきかも知れないわね。外出が増えたというのも気になるし」
「しかし、外出そのものが問題となるだろうか」
ヨシュアが首を捻った。年頃の娘ならば、友達に会いに行ったりくらいはするだろう。
「でも、それだと体調が悪いのをおしてでも夜歩く理由がないわ。もしかして――」
「もしかして?」
「‥‥愛しい方でも居るのかしらね? 人とは限らない何か、が‥‥」
「!」
さしも冷静沈着な瑚月が息をひいた。人とは限らぬ何か、とは!?
ヨシュアが、やや慌てた顔をハーヴェイ・シェーンダークに向ける。
「何か心当たりはあるかい?」
「そうだな」
エルフのレンジャーである若者はやや遠い眼をした。
「思いつくのはいんきゅばす、ジャパンでは夢魔っていうらしいね」
「夢魔?」
コバルト・ランスフォールドが首を傾げた。今回の症例とは微妙に違う気がする。
「では何なの?」
と切れ長の眼で見つめつつ、セシルが問うた。その艶麗な瞳を見返し、コバルトがこたえたのは――
「止まらぬやつれと止まらぬ夜歩き‥あくまで仮定で原因を魔物に限定すれば‥。ばんぱいあ、か」
「ばんばいあ!?」
ブレイグが眉をひそめた。
「そんな妖しがジャパンにいるのか?」
「いや――」
いないはずだ。コバルトの卓越したモンスター知識はそう告げている。
では何なのだ?
「ともかく」
鉛の冷たさと重みのある沈黙を払拭するかのように、カタリナ・オーガスタ(eb8652)が強いて明るい声をあげた。
「思春期の女の子が、痩せてしまうなんて‥‥いけないことだわ。沢山食べて、元気にならなくちゃ。そのためには、ちゃんと犯人と原因を見つけ出して、女の子を元の状態に戻してあげなくちゃならないわね」
辛いのは本人だけではない。両親、友、そして親しき者達。かならずお縫にも、彼女の存在がなくなてならぬという者がいるはずだ。
その時、ぼきりと指の鳴る音が響いた。はっとして見遣った冒険者達の視線の先、牧杜理緒(eb5532)が拳を握り締めている。
「どうしたのじゃ」
ちらりと瀞蓮(eb8219)が流し目をくれる。流れる黒髪が濡れたよう――黒曜石の似た瞳もまた。
すると理緒はきりりと唇を噛み、
「じりじり弱らせていくっていうのがいやらしいわ。できることなら――」
びゅうと唸り上げ、龍、雲に翔けのぼるよう――理緒の拳が天めがけて突き上げられた。
「こいつでぶちのめしてやりたい」
「理緒殿はなかなか気荒であることよのぉ」
瀞蓮が微笑んだ。
「いけない?」
「いや、そういうのは嫌いではない」
どころか――瀞蓮自身も怒っている。
奇病か妖しか何かは知ぬが、前途ある者の命を儚く散らす権利のある者などいはしないのだ。
「じゃあ、俺は聞き込みにでもまわるぜ」
木賊崔軌が立ち上がった。それを瑚月は眼で追って、
「良いのですか」
「ったりめーだ。なんつーか、若い娘は守ってナンボだからな。これからが華だぜ、勿体無かろ?」
いつもの洒脱さ。苦笑を浮かべ、柚衛秋人もまた腰をあげる。
「相変わらずだな。‥‥では、俺は夢魔のことでも調べるとするか」
云った。彼もまた、酔狂はいつものことである。
そして最後はレイオール・エヴァンジェリス――
「人手は多い方が良かろう」
大事にならぬよう気をつけよ。そう彼は注意を促した。
ジャパンはとりわけ娘の操には厳しい。下手な噂だけでも、娘の将来に暗澹たる翳を落とすこともあるのだ。
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お縫というのは美しい娘であった。それが今は惨とも酷とも‥‥・。
咳払い一つ。まずは理緒が口を開いた。
「聞きたいことがあるんだけれど」
「はい」
生真面目な顔でお縫が頷いた。
「最近、何か変わったことはないかしら」
「変わったこと?」
お縫が小首を傾げた。ややあって小さく頬を染める。その瞬間を理緒は見逃さなかった。
「何かあるのね」
「い、いえ、別に‥‥」
慌てて首を振るのに、シーヴァス・ラーンがさらに問い重ねた。
「でもやつれてるのには何か理由があるんだろ。まさか恋の病ってわけじゃなかろうな」
「えっ!」
お縫は大きな声をあげた。いかにも怪しい。が、それっきり――シーヴァスが逢引の相手のことに話の矛先を向けようとしても、もはやお縫は知らぬ存ぜぬで。
それではと、次にセシルが立ち上がった。そしてお縫に歩み寄っていく。
「恐がらなくてもいいわ。少し治療をするだけ」
云い置いて、セシルはお縫の眼を閉じさせた。次の瞬間、セシルの身が白銀の光に包まれ――それは雌鹿に被いかぶる白い巨大な蝶のように見えた。
ややあって――
「もういいわよ」
セシルが云った。
彼女の眼は聴いた。確かにお縫の心の弦の音を。見た風景――それはお縫が男と抱擁する様だ。
セシルの暗澹たる眼を見、理緒は溜息を零した。
もしその男が下手人であった場合、お縫がどれほど傷つくか。それを案じての溜息である。
ほとんど無意識的に理緒の指がビキッと鳴った。
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丹波屋の内儀は、はらはらと涙を零していた。
が、あえて冒険者は慰めの言葉はかけぬ。お縫の回復こそが真の慰めになることを熟知しているが故だ。
「‥‥母御殿、早速ですまぬが、まずはお聞きしたい」
まず最初に口を開いたのは瀞蓮であった。
「お縫殿のことだが、いったい何時から身体の変調を兆し始めたのじゃろうか」
「‥‥今思えば、それは一月ほど前からでございましたでしょうか」
「して、その時分に何かお縫殿は申しておらなんだか」
「それが何か此度の事と関係があるのでございましょうか」
「何事もには全て始まりがあり、終わりがある。因果とはそういうものじゃ。始まりのことが知れれば因を探る一助になるやも知れぬからの」
「その通りだよ」
言葉を添えたのは理緒だ。彼女は続けて、
「だから、何か気づいたことがあったら教えてほしいんだ。彼女には好きな人がいるみたいだしね」
「えっ」
お縫と同じように、内儀もまた大きな声をあげた。
「そういわれてみれば思い当たることがございます。妙にうきうきとしていて、これは好きな人がいるのではと‥‥」
「やはり‥‥」
瑚月が腕を組みなおした。
「それでは、もう一つお尋ねしたい。お縫殿が出かけてから戻るまで、どれほどの刻がかかっていますか」
「それはどのような――」
惑乱したような内儀に、瑚月は理知の光ゆらめく眼をむけた。
「いや、かかった刻がわかれば、おおよその移動範囲も図れるというものですから。そこからお縫殿の行き場所を特定できるかも知れません」
「なるほど、左様でございますか」
やや考え込み、やがて内儀は顔をあげた。
「一刻半ほどでございましょうか」
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医者の名は良庵といった。鯰のような面つきの初老の男だ。
「お縫さんのことでしたな」
「ええ。もう一度見立てを聞かせてほしいんだ」
ヨシュアが云った。すると良庵は困惑した態で、
「気鬱なども見当たらず、後は精のつくものを食させて、様子を見るしかないかと」
「うーん」
ヨシュアが唸った。全く何の異常もないとはどういうことであろうか。
「本当に何の異常もなかったんだね」
「はい。首筋の傷以外は」
「なにっ!?」
ヨシュアは愕然とした。
「今、何といった? 首筋に傷があったって?」
「はい」
ヨシュアの剣幕に、良庵はへどもどし、
「ちょっとした噛み傷のようなものでありました。お縫さんは虫にでも刺されたんだろうと云っておりましたが、あれはどうやら情夫のもののようで」
良庵がニヤリとした。が、ヨシュアはそれどころではない。
首の傷跡! それこそ敵の素性を明かす手がかり以外なにものでもない!
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「どう?」
冒険者ギルドの書庫内。声に、ネム・シルファが顔をあげてみると、理緒が入ってくるところであった。
「それらしい妖しはいた?」
差し込む日の光に埃が舞っている。それを手で払いながら理緒が問うた。するとネムは可憐な面立ちをやや顰め、
「いないなぁ。ジャパンには精吸いという妖しがいるようだけど、こいつだと首筋なんかに噛み跡が残っちゃうから」
「そうか。医者は外傷はないと云っていたし――」
その時、埃を舞い立たせて飛び込んできた者がある。亜麻色の髪を振り乱し――
「ヨシュア‥‥。あなた、そんなに慌ててどうしたのよ?」
驚いた顔で理緒が問うた。
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ヨシュアと理緒が邂逅する少し前、お縫は丹波屋を後にしていた。
それを追う影は三つ。軒から軒、裏通りから裏通りへと、まさしく影のように伝いぬけて――
すでに黄昏に群青の色が混じり始めた頃合。やがて三つの影がたどり着いたのはとある寺の境内であった。
男がひしとお縫を抱きしめた。いや、お縫の方から飛び込んでいったという方が正解か。
「やっぱ逢引かよ」
影の一つ――ブレイグがやや興醒めした表情を浮かべた。そのまま背を返そうとするのを、しかし瑚月はとめた。
「まだです。まだ確かめることがある」
云った。その言葉どおり、といおうか――男はお縫の白く細い頤をあげた。お縫は夢見るような眼をあげ――
男の口が、お縫の首筋に近寄った。赤い蛭に似た舌が伸び、お縫の首筋をつつうと舐め上げる。お縫が身をもだえさせた。それは普段の楚々とした風情ではなく、明らかに一匹の雌と化した姿である。
「おいおい、見ちゃあいられねえ。俺達は冒険者であって、出歯亀じゃあねえんだぜ」
ブレイグがごちた。出歯亀とは覗き――そんな言葉をイギリス人の彼が知っていることこそ驚きだが――の意味である。彼が不平をもらしたのもむべなるかな。
が――
「あれを――」
セシルがブレイグの肩を掴んだ。慌てて振り返った彼の眼前、男はお縫の首筋に口づけている。
なんだ――と云いかけて、しかしブレイグの顔色が変わった。
様子が変だ。いやに首筋への口づけが長い。
いや、それだけでなく‥‥
男の口が変だ。よく見ると、それは口づけというよりは噛みついているようではないか。
お縫は恍惚とした表情をしている。それは身体を重ねた時の女の貌だ。そして男はニンマリと。
その時、男の身が白銀の光に包まれていることに冒険者達は気づいた。
それは呪法の発動。
この時、三人の冒険者達は男の正体を知る由もなかったが、少なくとも呪をよくする者であることだけは知れた。
やがて男が口をはなした。お縫は呆けたように突っ立っているだけだ。
お縫が再び動き出したのは、男の姿が忽然と消えうせてしばらく後のことであった。
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二日後のことだ。
お縫の外出があると聞き、集まった冒険者達であるが、慌てた。
店からお縫らしき娘が出てきたと思ったら、それは誰であろうカタリナで――。
おそらくはお縫を説き伏せるか何かして入れ替わったものらしい。目配せをするカタリナを急いで追いかけようとし、しかしすぐに冒険者達は身を潜めた。
カタリナが店を出た直後、一人の娘が店を飛び出してきた。それこそはお縫!
やはり愛に焦がれる娘をとどめおくなど不可能だったというわけで。溜息を零し、今度こそ冒険者達はカタリナとお縫の後を追い始めた。
寺の境内では一人の男が佇んでいた。
すっきりとした二枚目。これが、とても精吸いとは思えない。いや、この世のものとは思えぬ美貌はまさに魑魅魍魎なるが故か。
「あれが‥‥」
心中、カタリナは戦慄している。
他の冒険者達の調べで、噂にはならぬものの、お縫と同じようにやつれて死んだ娘が何人もいることが判明している。敵は、お縫だけではなく、すでに何人もの娘の命に手をかけた魔性であったのだ。
と――男がカタリナに気がついた。すっと歩み寄ってくる。
そうと知り、カタリナはホーリーフィールドを展開させた。が――
彼女は勘違いしていた。ホーリーフィールドは敵意を持つ者に効果のある呪法。今、精吸いに敵意はない――。
ぼうと精吸いの姿が白銀にけぶる。その瞬間、カタリナの眼は夢見るように閉じられて。
くわっと精吸いが口を開いた。それは耳まで裂けるかのように大きく、刃に似た巨大な犬歯がぬらりと覗き――
精吸いの爪がカタリナの喉に食い込んだ。
その時――
悲鳴が響いた。それはお縫のあげたもの。
「見るな!」
叫びざま、ブレイグがマントを投げた。それはひらと舞い、精吸いに覆い被さる。
ばさりと精吸いがマントをはたき落とした。それと同時、ブレイグの渾身の一撃が精吸いを横に薙いだ。が――
精吸いはニヤリと口をゆがめた。
きかぬ。ブレイグの長剣は傷一つ精吸いに与えることはかなわなかったのだ。
「死ネ」
精吸いがブレイグに躍りかかり、ブレイグの身から血がしぶいた。
が、精吸いはすぐさま後方にはねとんでいる。その眼前、妖蛇のようにのたくっているのはヨシュアの操る炎であった。
刹那、凄まじい衝撃に、精吸いは身を仰け反らせている。その腹に影すら残さず突き刺さっているもの――おお、オーラパワーを付与した瀞蓮(eb8219)の脚だ!
「うら若き娘をもてあそんだ罪、馬に蹴られ…は恋路を邪魔した場合じゃったかの?」
ニンマリする瀞蓮(eb8219)。
その身と擦りあうように疾りぬけた影がある。
理緒。
彼女はずずうと精吸の足元に滑り込むと身を屈めた。
「カッ!」
精吸いが牙をむいた。が、それより一瞬早く、一気に伸び上がりざま放たれた理緒の拳が精吸いの顎をぶち抜き――
まさに雲龍飛翔!
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「気を失っているの?」
セシルの問いに、お縫を抱きとめている瑚月が肯いた。
「俺が眠らせました。その方がいいでしょう。俺達にとっても、彼女にとっても」
こたえ、瑚月は視線を投げた。その先、精吸いの骸が転がっている。
「彼女はまだ若い。いつか必ず、この悪夢からも立ち直ることができるでしょう」
「そうね。たくさん食べたらね」
「今回はあんたが食べられるところだったけどな」
ブレイグの冗句に、カタリナがべえと舌を出してみせた。それが可笑しいと――
ようやく冒険者達に笑顔がもどった。