●リプレイ本文
●約束
「見られたから始末する、だと」
それは外道の考えだ。渡部夕凪(ea9450)は吐き捨てた。
鏡面の如き彼女の胸も、今はざわりと揺れている。発覚上等振り切って見事逃げ切る、程の心構えも無いってか‥‥夕凪は嗤った。悪にも品位というものがあるはずだが、彼奴らにはない。
「相手は男性四人だとか‥‥」
雪色の髪の僧侶、所所楽林檎(eb1555)の語調はそっけない。が、人形のように愛らしい面を過る微かな翳りを、小野麻鳥(eb1833)の鋭い眼光は見逃さなかった。
「気に食わぬようだな」
「気にいりませんね」
さして男の何たるかを知っているわけではない。が、か弱き女性を多数を頼んで拉致所業は、すでに男というより、人の名に値しはすまい。
容赦なくやらせて頂きます。小声をもらす林檎に、楠井翔平(eb2896)が片目を瞑って見せた。
「けっこうだ。俺も遠慮なんざする来はねえ。事と次第によっちゃあ‥‥」
翔平は左掌に右拳をぶち当てた。肉を斬るのに似た、ごつい音が響く。
腸を震わせるその鳴響の中、独り、素浪人が笑っている。ニヤリ、と。白々とした刃のように。
彼の名は風斬乱(ea7394)といった。
年の頃なら十ほどか。ふるふるとか細く、小さく。あまりにももろく、眩い命。
梅は泣きはらした目で夕凪を見上げた。
弟達の幼き頃を思い出し、堪らなくなって、しかし夕凪は敢えて口にした。頑張っとくれよ、と。姉と妹が再び手をとりあえるなら、鬼にもなってやろうじゃないか。
「お梅坊達は病気の爺様を見舞う途中‥だったね? では周辺の山には多少なりとも詳しかろう。大人数人が潜伏可能な‥廃寺や山小屋、狩猟用の窟等有ったら教えてくれるかい?」
「‥‥うーんと、ね」
姉に良く似た夕凪の匂いか、それとも見守る暁鏡(ea9945)の優しき眼差しに安堵してか、落ち着いた様子で梅は問われた事について答え始めた。
少女のこととて、それはあやふやで要領を得ない部分もあったが、呆れるほど熱心に夕凪と鏡は聞き入っていた。
子供が見聞きしたもの。それは時として大人のそれを凌ぐことがある。
それを知る二人であった。
「良く頑張りましたね」
鏡に褒められ、少し梅は得意そうであった。それがなおさら胸に突き刺さる。
鏡は我知らず小指を差し出していた。
「お姉さんはきっと僕達が連れて帰るから‥安心して待っててね」
「うん」
梅が自身の小指をからめた。
約束だ。
刹那、七対の眼がギラリと光った。
冒険者が交した約束。それは魂の絆である。
果たさねばならぬ想いがある。掴み取らねばならぬ祈りがある。
冒険者になら、それは可能だ。
●川原
梅の汗を拭う為、清水に手布を浸した鏡は、軽やかに響く唄声に微笑みつつ振り返った。
川原の岩に腰掛け、ザン・ウィルズロード(eb0244)が故国の唄を口ずさんでいる。その旋律と耳慣れない歌詞が珍しいのか、梅はずっとくっついたままだ。
まさしく力だな。鏡も認めざるを得ない。
道中、ともすればふさぎがちになる梅が、どれほどザンの歌声に元気づけられたことか。
そのことはザン自身も気づいている。故に彼は調べを口にのせる。梅の心が悲色に染まらぬように。硬くなる心がほろほろと解けてゆくように。
「川原からどちらに向かって山へ分け入ったか‥」
夕凪は川を覆うように茂る木々を眺め渡しながら呟いた。
「厄介ではある、な」
山は広い故。
冷然たる語調の麻鳥だが、彼の芯の暖かさは付き合いの長い夕凪には承知の内だ。
「しかし何としても狭めねばなるまい」
「樵小屋があるかどうか、夜営ができそうな場所について聞いてまいりましょう」
林檎の言葉に、麻鳥はふむと肯首した。
その事は彼も考えていた。女連れで野宿する可能性は低い。夏場とはいえ、やはり夜露は身にこたえる。凶賊どももとりあえずの潜伏には小屋が必要だろう。
「時間はあまりありませんね‥‥」
抑揚を欠きがちな林檎の声音だが、この時ばかりは焦慮の響きが微かに滲んでいる。栄の身の上に想到すると、やはり焦らざるを得ないのだ。
栄はいわば、獣の群れの中に放り込まれた雌鹿のようなものだ。今こうしている間にも、獣どもは栄の肉を貪り、血肉を啜っているかも知れぬ。のみならず――逃げるに足手まといとなった時、凶賊達は情け容赦なく栄を始末してのけるだろう。過ぎ去る刻一刻は、栄の削り取られる命の重さに等しい。
「ならば聞き込みと参ろうか。ただし」
宿場役人に知られると面倒だ。夕凪は注意を促した。
●山中
「何故、こんなことに‥‥」
仲間の荷物を幾つか背負い、ひいひい呻きながら、翔平は足を運んでいる。
華奢な林檎を思いやり、「林檎ちゃん、荷物を持ってやるよ」と持ちかけたところ、当の林檎はいやにそっけなく、「それはどうも」と荷物を手渡した。そこまでは良かったのだが、続いて林檎は皆に呼びかけたものである。
「翔平さんが荷物を持ってくださるそうですよ」
「あっ、いや」
慌てて翔平は手を振った。
彼が持ちたかったのは可愛い林檎の荷のみである。が、表面にこそ表さぬが林檎は大の男嫌い。軽い男となればなおさらだ。
よい面の皮の翔平を余所に、まずは麻鳥が荷をおいた。
「すまぬな」
この陰陽師、どこまで真面目か分らない。
「有り難い」
と言ったのは夕凪だ。大人しげな鏡ですら荷を下ろす。同じ女性でありながら、林檎だけを思いやった報いが下ったと言うべきか。そして、最後は乱である。
「大事に扱えよ」
「うるせぇ」
翔平残酷物語の一幕である。
傍らではザンが梅に愚かな男の唄を教えていた。
不幸中の幸いという言葉がある。
ややもすれば慰めにしか過ぎぬ物言いであるが、此度は違った。この山の中の樵小屋も猟師小屋も、地形の関係からか、ほとんどかたまって存在しているらしい。
「助かったな」
「まだそこにいると決まったわけではありませんけどね」
微かにザンに笑みを返し、しかし眼だけは厳然として、林檎は何度目かの呪を紡ぐ。命の在り処を探る呪法だが、未だ捉えたるものはない。林檎の身を包む黒光を見遣って、ああ夜の色はこれほど柔らかいのか、と翔平は感心した。
「さっきは当たりかと思ったがな」
麻鳥が言うのは、つい先ほど林檎のデティクトライフフォースにひっかかった存在のことである。確かめてみれば、それはいやに大きな鷲で、冒険者達は気抜けしたものであったが‥‥だが余人は知らず、麻鳥は違和感を拭い切れない。
何か重大な事を見逃している心元なさ。軽んじていたものの内に潜む牙に気づかぬ怖気。
突如わいた声に、麻鳥の逡巡は朧に立ち消えた。
「小屋があるぞ」
乱の目配せを受けて、林檎の白い髪がさらりと揺れる。そして数瞬――
「います。四人」
「四人!?」
夕凪は眉を潜めた。
一人足りない。梅の話通りであるとすらなら賊と栄とで五人でなければならぬはず。もしや――夕凪の胸をかすめた最悪の予想は、しかしすぐに林檎が否定した。
「一人はお栄さんのようです。他の三人に比べて体が小さいですから」
何――
ならば、もう一人はどこにいるのだ?
冒険者達は顔を見合わせた。慌てて周囲を見まわす。緑抱く鬱蒼たる木々が、今は冥く凍りついて見えた。
「どうします?」
鏡が問うた。特定の誰かに発したものではないが、翔平の声音がすぐさま返される。
「ここでじたばたしてもはじまらねえ」
「待て、その前に」
急々如律令! 指刀が空を切り、麻鳥の心と栄の心を繋いだ。
混沌たる闇淵を潜り抜けるように栄の魂に接触した麻鳥は、思う事で通じると告げた。鈍い反応は気死している証しか。栄よりの情報は諦め、麻鳥は救出に来た事のみを伝えた。
「では」
鏡に促され、ザンが仲間を見返ることなく足を踏み出した。
敵には僧形の者がいるという。心が読まれ、仲間の待機位置が知れると厄介だ。
●囮
空気を刃で削ぐように――密やかにザンは足を運んでいた。
並外れて鋭い目と耳を最高度に研ぎ澄ます。衣擦れの音一つ見逃す事はない。
一方――
同行の鏡の拳は、白い。かたく握り締められたそれは、栄の無事を願う決意の表れだ。
が、それだけでは足りぬ。己のみでも助け出す気概が必要だ。
頃合は良し。
ぱきり、と鏡が小枝を踏み折った。
誘い出されるように小屋の戸が開く。顔を覗かせたのは無精髭の浪人者だ。
「追っ手か?」
度装束のザンはともかく、武闘着姿の鏡は物見遊山には見えぬ。
後退る鏡の全身からゆらりと殺気が立ち上った。炎に誘われる蛾の如く、二人の浪人が進み出る。最後に姿を見せた僧形の優男は小屋の前に佇んだままだ。
その様を――
藪に身を潜め、乱は刃の視線で見つめている。
心を無に、獲物を狙う獣の如く気配を消す。それは鞘の内で心気を研ぐ刀身のようだ。
敵の気が一瞬削がれれば良い。それで斬るに事足りる。
二人の浪人者は同時に刃を抜き払った。間合いを詰める足運びは迅い。
と、突如僧形の優男が、落ちた。空に向って。
その虚を突くように、飛び出した麻鳥と林檎が小屋に滑り込んだ。直後、優男が地に落ちる。
「く、くそっ――」
優男の苦鳴が途切れた。
夕凪の矢。長弓「梓弓」から放たれたそれは、迅く、そして剛い。
流星の如く飛んだ強矢は、優男を地に縫いとめている。
それは初撃であり火の手。
おのれと呻いてとって返そうとした浪人二人であるが、その前にするすると立ちはだかった影が二つ。乱と翔平だ。
「な、何者だ、うぬら!?」
絶叫する無精髭の浪人に、報いるのは乱の冷笑だ。
「吼えるなよ。吼えればお前の程度が知れる」
「な、なに?」
「所詮俺もお前も犬畜生、肥溜めの中でもがき苦しむのがお似合いだ‥‥」
乱が抜刀した。光流が散りしぶき、風が躍る。
そして――
翔平は鯉口に手をかけ、一度小屋の内部を見遣った。
薄暗い中に、林檎と麻鳥に介抱される娘が一人。はだけられた胸元からは乳房がこぼれ、着物の裾も乱れたままだ。呆けたような面にはすでに心の揺らぎは認められぬ。
栄への暴行――手出しの有無によって半ゴロかブッ殺を確定しようと思っていたが‥‥
「六文銭は持ってるか?」
翔平もまた一気に刃を抜き払った。もはや三途の河へ送るのに躊躇いはない。
「ぬかせ!」
叫びざま、浪人は同時に動いた。
無精髭の浪人は組し易しと判じたか鏡に迫り、眠そうな眼の浪人は魅入られたように乱へ――
「かっ」
裂帛の呼気とともに、無精髭の浪人の刃が走った。袈裟の斬撃は大気に垂直の亀裂を刻み込む。
舞いのように横に逃れた鏡であったが完全にかわしきれず、泳ぐ銀の糸光数条が剣風に舞った。
「殺すに惜しい美形よ」
「できますか」
闘気の乱れはあくまで細波――鏡は右手の手袋をはらりと取り去った。
蛇毒手。
十二形意拳、巳の奥義を体得した者のみになしうる殺法だ。
刃と拳。通常ならば刃が有利。が、懐に飛び込みさえすれば、そこは楽地である。鏡の殺傷圏内だ。
一息ニ息――
「きえい!」
無精髭の浪人の刃が再び袈裟に。交差するように間合いを詰めた鏡の手刀は毒蛇の如く地を擦り――
ぐらり、と無精髭の浪人が崩折れた。それを見下ろし、ぐいと鏡は額に浮いた冷たい汗を拭う。
搾り出すように太い吐息をつく鏡のみは悟っている。敵の刃の軌道がわずかに逸れた事を。それが端倪すべからざる陰陽師の念動の仕業であることを。
一方――
乱と眠そうな眼の浪人との対峙は続いている。
浪人は柄にかろく手を当て、対する乱は太刀をだらりと下げている。
我流の乱に構えはない。構えとは防御の型。死生一如の乱に防御はいらぬ。
つう、と乱は足を踏み出した。そしてまたつつう。と。
手加減はない。躊躇いもない。刃の戦いは常に一刹那だ。
「風斬って名の意味、その身に刻みつけてやろう」
瞬間、カッと空に火花が散った。噛み合った刃は鈴鳴りに似た音を響かせ、さらに角度を変えて再び敵首を狙い、走る。
血飛沫は二つ上がった。
袈裟に斬り下げられた浪人。胴を薙ぎ払われた乱。
地に伏したのは浪人である。乱は地に方膝つき、はらりと斬られた胴部分を押さえている。指の間から滲む鮮血はしとどに着物を濡らしていた。
危なかった。あと一寸深ければ腸まで寸断されていたところだ。
さらに――乱の眼には凱歌の光はなく、ただ昏い。
殺した相手の後ろにいるのは自分だ。ただ立ち位置が違うだけ。命数が尽きていないという偶然に過ぎぬ。いや、必然か。いつの日か、己もその死に場所に立つことだろう。
その時――
悲鳴が上がった。はっと眼を転じた冒険者達は見た。理不尽に伸びた腕が林檎の喉に巻きついているのを。
残る一人の敵。黒き破戒僧だ。
「てめえっ!」
血相を変えて翔平が地を蹴った。が、再びもれる林檎の苦悶の声が彼の身を凍りつかせる。
敵はどこにいたか。そしていかにして冒険者の接近を察知してのけたのか。
巨大な鷲!
敵が変形の術を身につけていると知れば、それは考慮の範疇だ。が、全ては遅い。
「くくく。動くな。動かば、容赦はせぬぞ」
くつくつと破戒僧が嗤う。しかし、すぐにその嗤いはやんだ。彼の腕に伝わる異様な波に気づいた故だ。
「娘、何を笑う」
「容赦?」
今度は林檎が嘲笑った。容赦をしないのは私の方だ。
瞬間、林檎が闇色に包まれた。そうと見てとり、破戒僧が飛び退ろうと――できぬ。破戒僧の腕を、今は林檎が掴んでいる。
「あっ」
破戒僧が仰け反った。
ブラックホーリー。邪なる者のみに効果を現し、鉄槌を下す黒の呪法だ。
と、破戒僧の手が林檎を放した。唯一の人質の開放――異様に混乱しているのは明らかだ。
「今です!」
コンフュージョンの発動者、ザンが叫んだ。
はじかれたように翔平が飛ぶ。唸りをあげる新陰の一撃は、必殺の剣気をはらみつつ、破戒僧の頭蓋を打ち砕いた。
●花舞い
「どれだけ効くかは分らぬが」
痛ましげに麻鳥は栄を眺め遣った。梅と再会させたことにより呆けた表情は元に戻ったが、あとはさめざめと涙を流すのみだ。魂の底から滴る雫は尽きる事はないのかも知れぬ。
「急々如律令」
今度はひそと、麻鳥は呪を唱えた。彼の身を包む金色の煌きが花びらの如く栄に降り注ぐ。
イリュージョン。
汚れなき桜花のイメージ。
栄の身の穢れが拭い去られていく心像を栄自身の胸に刻ませる。それは呪でありながら、麻鳥の願いであり叫びであった。
「これでお栄さんは救われるだろうか」
夕薙ぎの問いに、麻鳥は小さく笑った。
それは微かな希望。が、冒険者はそも、微細な希望の光を信じる者ではなかったか。
独り先に去ろうとした乱の袖を、梅が引いた。胴の傷が気になるようだ。今は薬で血はとまっているが。
「そんな悲しい顔をしないでおくれ」
乱は腰を屈め、梅の頭を撫でた。
優しきお前達の日溜りを守るため、我等は闇を行くのだから。