●リプレイ本文
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冒険者ギルドの控え室。そこに五人の冒険者が集まっていた。
一人は狩衣姿の陰陽師で。冷徹な面立ちは美青年のようだが、わずかに胸の布地をおす双球があり、それが彼女の性を知らしめている。名を小野志津(eb5647)といった。
そして、一人。こちらは少女だ。それもとびきり美しい。
薔薇。少女を見た誰もがそう想起するに違いない。
華麗な真紅の花弁と鋭い棘。彼女の美しさに触れた者は必ず傷つく。
そう、少女に触れるものに呪いあれ――名を鬼灯(eb5713)といい、忍びである。
また別な一人。こちらも娘で、鬼灯とは対照的に凛々しい面立ちをしていた。
引き締まった肢体と溌剌とした精気の充溢した、まるで雌狼を思わせる娘。――物見昴(eb7871)といい、彼女もまた忍びであった。
さらに――
忍びはもう一人いた。名を橙矢月影(ec1041)といい、西洋人との混血である。
その証左であるのか、月影は彫りの深い容貌をしていた。まるで彫像のように整っている。
しかし彼を特徴づけているのは、その容貌よりも、むしろ瞳であろう。その名の通り、翳りをおびた蒼い月のように昏く――
なぜなら、月影は迷いの中にあるからだ。
何を目指すべきか。また己が真に立つ地平はどこなのか。
わからない。ゆえに、彼の瞳はこたえを求めて暗く輝くのである。
最後に――
残る一人は浪人であった。
冷めた面差しは氷のよう。しかし、その眼に時折ゆらめくのは灼熱の炎――彼の情熱だ。
椋木亮祐(eb8882)。北辰流の使い手である。
「春殿と弥吉殿の幸せを脅かす影ですか‥‥どんな理由があるとしても許すわけにはいかないですね!」
勢い込んで云ったのは月影である。するとアルフォンス・シェーンダークはふむと腕を組み、
「しかしその影って奴‥‥何モンなんだろーな」
「おそらくは忍びだろうな」
冷静な声音でこたえたのは志津だ。すると鬼灯は流し目をくれるように志津に眼を遣り、
「どうしてわかるん?」
「目撃証言さ」
昴が口を開いた。
「互いに尋常ではない速度での疾走‥‥ふん、同業者のニオイがぷんぷんだ」
「疾走の術ですか‥‥」
術の名に想到し、月影が唸った。が、すぐにあることに気づいてあっと声をもらす。
「互いに尋常ではない速度での疾走ということは――」
「そうだ。弥吉もまた忍びだということだ」
昴がぎらと眼をあげた。そして苦々しげに、
「弥吉は西国の出といっていたな。西国‥‥近ければ伊賀者か甲賀者、もっと西なら毛利や島津の子飼いが関東の動きを探るのに放たれているのかも知れないが。‥‥ともかく任務を放棄して追われているのか、それとも何かしらの情報を握って逃げているのか、そのどちらというところだろうさ」
「抜け忍というやつか」
亮祐が溜息をもらした。すると志津が瞳を翳らせ、
「ともかく、当面我らにできるのは敵の排除だ。その後であれば弥吉の死の演出等の知識を渡すこともできるだろう」
「ま、そんなとこだな」
昴がつまらなそうに云った。その語調に、亮祐は片眉をあげてみせ、
「どうした? 何か気にいらないようだな」
「当たり前だ」
昴が口をゆがめた。
「任務放棄も情報漏えいも、私達の世界では忌むべき禁忌なのだからな。同じ忍びとして、私は弥吉を認めない」
「きついわあ」
鬼灯が口に手をあて、微かに笑った。
「やむにやまれぬ事情があったんちゃう?」
「やむにやまれぬとは‥‥何だ?」
「たとえば‥‥うーん、春さんが好きになったからとか」
「馬鹿な」
昴が吐き捨てた。
「女のために抜けるなど‥‥忍びの掟は生易しいものではない」
「生易しくはない、か‥‥弥吉も哀れなものだな」
亮祐が笑った。それに昴は冷たい一瞥をくれて、
「私は同情はしない。助けるのは依頼だからだ」
「それもいい」
亮祐が立ち上がった。そして祖師野丸を腰に落とすと、云った。
「依頼にかかわるのは人それぞれだ。だから俺も好きにやらせてもらうぜ」
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弥吉襲撃の目撃者は、春をよく知る大工で熊八といった。
「刻限?」
熊八の問いに、月影は肯いてみせた。
「ええ。弥吉さんが数名の者に追われているところを目撃されたようですが」
「ああ」
熊八は担いでいた大工道具を地におろすと、
「ありゃあ亥の刻だったかなぁ」
と呟き、宙に視線をさまよわせた。
「で、目撃されたのはどこですか」
「深川の辺りよ」
熊八がこたえた。
「あの辺りに小奇麗なねえちゃんのいる居酒屋があってな。そこで一杯ひっかけた帰りに見たって寸法よ」
「なるほど‥‥」
月影が言葉を途切れさせた。そしてふと思いついたかのように、
「それはそうと、最近見慣れない者を見かけたことはありませんか」
「見慣れねえ奴?」
熊八は腕を組んで、唸った。
「そういえば三人‥‥」
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春というのは優しげな美しい娘で。
普段なら透き通るような白い肌をしているのだろうが、今は心労のためかその肌は蒼く翳っていた。
「疲れているところをすまないが」
志津が秀麗な面をむけた。
「弥吉殿の住まいを知りたい」
「弥吉さんの?」
春はわずかに首をかしげ、
「深川の方でございますが」
「深川‥‥」
鬼灯が呟いた。
江戸においては雑多な住まいが並ぶところだ。芸者でも有名であるのは、舞いをたしなむ彼女ならではの知識である。
鬼灯の目配せをうけて、再び志津が口を開いた。
「今ひとつ、聞きたいことがある」
「何でございましょう」
「どこぞに身を隠せる場所はないか?」
「えっ!?」
春が息をひいた。さすがに事の只ならぬことに気がついたようだ。
「それはどのような‥‥まさか弥吉さんに――」
「ああ」
亮祐が無表情に頷いた。
「弥吉はのっぴきならぬところにまで追い込まれている」
「のっぴきならぬ‥‥とは?」
「命にかかわることだ」
「命!?」
春が悲鳴のような声をあげた。
「弥吉さんが‥‥まさか」
「うろたえるな」
志津が震える春の肩を掴んだ。
「弥吉は堅気の者ではない」
「堅気じゃない!?」
「そうだ。おそらくは抜け忍。ここで助けたとしても、この後も逃亡の日々が待っていよう」
「そんな‥‥」
春がよろめいた。それに手を貸し、なおも志津は続ける。
「それを踏まえた上で問いたい。それでもまだ弥吉を助けたいか?」
「‥‥」
春は言葉を失った。混乱しているのであろう。俄かに現出した残酷な現実にすぐさま対処できるはずもなく――
が、志津は黒曜石に似た瞳をじっと春の面にむけたまま、
「どうする?」
と、さらに問うた。すると春は喘ぐように、
「わ、私‥‥」
と声をもらした。
「どうしたらいのか、まだ良くはわからないけれど‥‥でも弥吉さんは助けてほしい」
「どうして?」
鬼灯が問う。すると春は潤んだ眼をむけて、
「好きだからです」
「良いこたえ」
にこりと鬼灯は微笑ってみせた。それはいつもの彼女の妖艶な笑みではなく、まるで少女のような可憐なもので――
「じゃあ、もう一つ。弥吉さんの人相風体を教えて」
「それは良うございますが‥‥どうするのですか?」
「こうするの」
鬼灯が悪戯っ子のようにニッと笑った。その身から白煙が噴出し――
次の瞬間、春があっと声をあげた。その眼は信じられぬものを見たように大きく見開かれ――
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すでに夕刻。
黄昏の光に濡れて、昴は佇んでいた。
場所は深川にほど近い川原。水面が黄金色の光をはねちらしているのみで、先ほどまで遊んでいた童の姿も今はない。
――ここならば‥‥
昴は川原を見渡した。川道も広く、十分な広さがある。ここならば忍びとの対決場所に適しているだろう。
それにしても、と昴は昼に調べた内容に思いを馳せる。
小間物の行商として江戸に来たということから、その問屋筋に調べをかけたのだが――
返ってきたのは好意的な内容ばかりで。
真面目。働き者。
どうやら巧みに弥吉は江戸に潜入を果たしていたようだ。もしくは真剣に別の人生を歩もうとしていたということか。
そして肝心な点。弥吉の出身から敵の忍びの正体や目的を図ろうとしたのだが、こちらは上手くいかなかった。誰も弥吉が出てきたのは西国であるとしか知らず。
それだけでは忍び集団は特定できぬ。伊賀、甲賀、根来‥‥西国の忍び集団は数え切れぬほどある。
ならばあらゆる場合を想定して戦うのみ。
すでに昴は疾走の術に対抗する術に思いをめぐらせていた。
疾さには疾さ。術には術。
自らの足を見下ろし、昴は会心の笑みを浮かべた。
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道をたずねてきた者の正体が冒険者であるとわかり、弥吉は観念したようである。冒険者ほどの者を相手に白を切りとおすことの無意味さを悟ったのであろう。
「それで春には?」
「すべて話した。お前さんが抜け忍であろうということもな」
弥吉の問いに、亮祐がこたえた。
「そうか‥‥」
弥吉が項垂れた。
「では、俺がここにとどまっている理由はなくなったな」
「待て」
亮祐がとめた。彼に似合わぬ恐い笑みを弥吉に近づける。
「人生、かかわっちまったら責任取らにゃならんこともでてくる。何もいわず姿消したから、それでいいってもんでもあるめえよ」
「その通りだ」
志津が足を踏み出した。
「そう慌てることはない。人は夢を見るもの。見てはいけない夢はないのだから」
云った。その志津の身が淡く輝いている。
幻術。
志津は、堅気となり生きている弥吉の姿を、弥吉自身の脳裡に送り込んでいるのだった。
それは希望。輝ける明日への道標。
が――
弥吉は強くかぶりを振った。そして歩き去ろうとする。
「これから俺が見る夢は悪夢だ。春に見せるわけにはいかない」
「待てっていってんだろ」
亮祐が弥吉の肩をがっしと掴んだ。
「お前さんになにかあるとな、一人の女性の人生が狂うんだよ」
「もはや春には関係ない」
「関係ある!」
亮祐が弥吉の胸倉を掴んだ。
「春さんはお前さんのために涙を零した。その涙に対して、お前さんは責任があるんだよ」
「そうや」
鬼灯がそっと亮祐の手をおさえた。そして柔らかな笑みを弥吉にむける。
「二人で見る夢。まだ悪夢と決まったわけやない」
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夜半。
弥吉の家から一つの影が滑り出てきた。それは人目を忍ぶようにして夜道を急ぎ始め――月明かりに浮かんだ影の正体は、旅姿の弥吉に見えた。
そして幾許か。
突如、弥吉の足がとまった。場所は深川のはずれ。
「弥吉」
声がした。愕然として振り向いた弥吉の眼は、この時ぬっと闇の中に佇む三つの黒影を見出している。
「どこにゆく? 逃しはせぬぞ」
影の一人が軋むような声で云った。その時だ。
いきなり弥吉が背を返した。そのまま飛ぶように走り出す。が――
すぐに弥吉は追いつかれた。
疾走の術。今や三つの黒影は獣並みの脚力を備えている。
「馬鹿め。逃れられると思っているか」
黒影の手から手裏剣が飛んだ。並外れた手錬の一撃である。
が、舞のように身を翻らせ、弥吉はその手裏剣をかわしてのけている。
と――
突然黒影の動きがとまった。追い詰められたはずの弥吉の唇に笑みがはかれているの見とめた故だ。
「きさま――弥吉ではないな」
「もうちょっとで川原やったんやけど。‥‥そう都合良く待ってくれへんか」
弥吉――に変形した鬼灯がニヤリとした。そうと知り、黒影の眼に刃のような物騒な光がやどる。
「云え、弥吉はどこだ?」
「知らねえな」
嘯く声ひとつ。ぬっ、と呻いて振り返った黒影達は見た。背後に仁王立ちする侍の姿を。
蒼く染まったその姿は――おお、亮祐だ!
「てめえらを張っておいてよかったぜ」
笑う亮祐の腰から光が噴いた。刹那、黒影達が化鳥のように空に舞う。
何でそれを見逃そう。鶺鴒の尾のように震えていた亮祐の刃は空に蒼い亀裂を走らせ――
驟雨のように血飛沫が散り、地に逆袈裟に斬り上げられた黒影の一人が転がった。
「まずい、退け!」
あげられた絶叫は黒影の一人から発せられたものだ。
そうと気づいて亮祐が追いすがろうとし――すぐに諦めた。疾走の術を発動させた忍びに追いつける術はない。
「逃したか」
悔しげに亮祐は刃の血糊を払った。が、鬼灯は涼しい顔だ。
「大丈夫。今日はもう弥吉さん達を追わへんやろ」
いつもどおりの艶笑を口辺にたたえ、鬼灯が云った。
その鬼灯達に、他の三人の冒険者が合流するのにそれほどの刻はかからなかった。なかなか現れぬ鬼灯にじれて駆けつけたものであるが――
事の次第を聞き、すぐさま冒険者達は弥吉宅へとって返そうとした。が、その中の一人、昴のみはぴたりと足をとめている。
余人は知らず、彼女の鋭敏な知覚は感じ取っていたのだ。闇に潜む蜘蛛の糸のように細い気配を。
「誰だ」
昴の誰何の声が飛んだ。それにうたれたかのように暗がりから現れた影は――
「弥吉!」
亮祐の眼がかっと見開かれた。
「何故、お前さんがここに‥‥一緒に春さんと逃げたはずじゃなかったのか。‥‥春さんはどうした?」
「俺の家で、俺を待っている」
「何っ!?」
さすがに月影が慌てた。
「春殿を待たせて、こんなところで何をしているのです?」
「俺は‥‥」
弥吉が言葉を途切れさせた。その時に至り、志津は弥吉が旅装であることに気がついた。
「馬鹿な‥‥一人、ゆくつもりか」
「そうだ」
血の滲んだような声を弥吉はもらした。
「これから俺がゆく道は修羅の道。やはり春を連れてゆくことはできん」
「春さんを捨てて?」
ひび割れたような声を鬼灯は発した。
「春さんが大事やないの?」
「そうです」
月影が叫んだ。
「春殿は弥吉殿のことを真剣に心配してます。依頼に来たときも大粒の涙を流してたそうです。弥吉殿のことを深く愛されている証拠です。弥吉殿も春殿を避けてたのは一番大切な人が危険な目にあわないようにするためでしょう」
「だからこそ――」
弥吉が唇を噛んだ。その手が瘧にかかったように震えている。ぐっと握りしめた彼の手の爪は、おそらく掌の肉を破っているだろう。
そうと知り、しかし亮祐は弥吉の前に立ちはだかった。
「黙っていくのは春さんに失礼だぞ」
「‥‥」
無言で弥吉は顔をあげた。その頬が蒼く濡れている。
さすがにたまらず、亮祐は顔をそむけた。その前に志津が進んだ。
「どうやら覚悟はできているようだな。ならば、もはや何もいうまい。‥‥いや、一言だけ」
志津は、立ち去ろうと振り向きかけた弥吉の背に声をかけた。
「人は生きる権利がある。惜しまねば得られる権利だ。何としても生き延びよ」
「俺は‥‥すまない、春を頼む」
そう告げて、今度こそ弥吉は背をむけた。その背が闇の奥に消え去るまで、寂然とただ冒険者達は立ち続けていた。
物音に春は立ち上がった。慌てて戸に駆け寄り開け放つ。弥吉が戻ってきたと思ったのだ。
が――
外には濃い闇と吹きすぎる風があるのみで――
弥吉さん、まだかな‥‥
ほつれ毛を風に嬲らせつつ、ふと春は夜空を見上げた。そこには月が独り、冷たく光っていた。