牛頭鬼

■ショートシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:6〜10lv

難易度:やや難

成功報酬:6 G 84 C

参加人数:8人

サポート参加人数:4人

冒険期間:03月13日〜03月23日

リプレイ公開日:2007年03月20日

●オープニング


 美登里は駆けた。その手は妹の真希の手を硬く握り締めている。
 どれほど走ったろう。息は切れ、手も足も擦り傷だらけだ。
 が――
 背後に迫る、地を踏み鳴らす音から遠ざかることはできない。
 ――嬲っている。
 美登里は察した。背後から追ってくるモノたちの意図を、である。
 簡単につかまえることができるはずなのに、そうしない。わざと逃げさせ、それを追い詰めることを楽しんでいるのだ。
 美登里は、そのモノ達の悪魔的な嗜虐性を感得した。
 しかし――いや、ならばこそ逃げなくてはならない。自分ばどうなっても良いが、せめて真希だけは‥‥
「お姉ちゃん」
 涙の滲んだ眼で、真希が美登里を見上げた。
「もうわたし、走れない」
「何云ってるの。逃げるのよ」
「無理。わたしと一緒だと、お姉ちゃんまでつかまってしまう。だから、お姉ちゃんだけ逃げて」
「ばか!」
 美登里が叱った。そして、さらに真希の手を掴む腕に力を込めた。
「あんたを置いていけるわけないじゃない。だから走るの。がんばって!」
 美登里が真希を励ました。その時だ。
 空を何かが飛んだ。巨大な影だ。
 たたらを踏む美登里達の眼前、地響きたてて影が舞い降りている。
その影とは――
 鋼をよりあわせたような筋肉に覆われた巨躯の持ち主で。太い首の上には漆黒の雄牛の相貌がのっている。
 ギィィィィ。
 その涜神的なモノが哭いた。そして剛毛の生えた腕を美登里にのばす。
 刹那、美登里の口を割って悲鳴が迸り出た。


 おや、と冒険者ギルドの手代を首を傾げさせた。
 ギルドの入り口。先ほどから覗き込んでいる童の姿がある。
 おかっぱ頭の、綺麗な顔立ちの童だ。一見したところ、男の子か女の子かの判別はつかない。
「依頼?」
 問うと、童はこくりと肯いた。
「おいで」
 手代が手招きすると、童がギルドの入り口をくぐった。そして手代の前まで歩み寄り、ちょこんと上がり框に腰掛ける。
 あらためて童を見直し、再び手代はおやと首を傾げた。
 あいかわらず男女の区別がつかぬ童の不思議さもある。それより手代を見上げてくる童の眼の異様さはどうであろう。
 外見は七、八歳にしか見えぬのに、その眼にはまるで幼さはない。透徹した知性の閃きを感じさせる、鏡面の如くに澄んだ瞳が光っているのだ。
 我知らず、手代は息をのんでいた。ややあって手代は咳をひとつし、童の顔を覗きこんだ。
「どのような依頼?」
「牛頭鬼を幣してもらいたい」
 いやに大人びた口調で童がこたえた。手代はやや瞠目し、
「牛頭鬼?」
 と、問い返した。失せ猫探しならともかく、牛頭鬼退治など、とてものこと童の依頼とは思えない。
 すると童は小さく肯き、
「そうじゃ。ぬしのところでは鬼退治を請け負っているのであろ」
「そりゃあ、そうだが‥‥」
 多少辟易し、続けて手代は具体的な依頼内容を問うた。それに対する童のこたえは――
「奥州近くの村に、最近二匹の牛頭鬼が現れた。そ奴らを退治てほしいのじゃ」
「退治って‥‥鬼達は何か悪さをしたのかい?」
「ああ。真希と、その姉をさらっていきおった」
「さらって!?」
 初めて手代の顔に緊張感がはしった。
「そりゃあ大変だ。で、その真希さんというのは?」
「わしの友達じゃ。もう覚えておらぬかも知れぬが。‥‥だが、何としても助けてやりたい」
 湖面のような童の眼に、その時初めて漣がたった。
 真摯な煌き。真希という娘への思いがゆれている。
 そのまっすぐな眼差しに、手代は背筋をのばした。
「大切な友達のようだね」
「そうだ。命よりも」
「わかった」
 手代は柔らかく頷いた。
「しかし、依頼を出すには依頼料というものがいるよ」
「依頼料?」
 童はふむと思案すると、ややあって懐から取り出したものを手代の前においた。
 木の実。何の種類かはわわからぬが、童は数個、手代の前に転がした。
「これ‥‥?」
「足りぬか」
「うーん」
 そういう問題ではないのだと手代がうなった。その時――
 手代の前にちゃりんと金子がおかれた。はっと顔をあげた手代の眼前、一人の若者が立っている。
 鈴懸に結袈裟。身形は修験者だ。
 が、驚くべきはその風貌である。
 まるで女のように。いや、むしろ女以上に美しい若者だ。
「貴方様は――」
「俺は鬼一法眼という」
「鬼一法眼様!」
 手代は愕然として声をあげている。
 陰陽道に関して造詣が深く、のみならず鞍馬流の創始者であり、なおかつ六韜(文、武、龍、虎、豹、犬の六巻から成り立っており、中でも虎の巻は兵法の極意として慣用句にもなっている)三略兵法相伝者であると噂の鬼一法眼なる人物がこのような若者であったとは‥‥
「‥‥で、鬼一法眼様、この金子は?」
「珍しいものを見せてもらった。その礼だ。俺が依頼料を払おう」
 云って、鬼の一字を性にもつ若者は薄く微笑いつつ童を見下ろした。一方の童は感嘆したように若者を見上げ、
「‥‥驚いた。ぬしはわかるのか」
「ああ」
「良いのか、その金子?」
 童が問うた。すると鬼一法眼は微笑を深くして、
「そなたが命よりも大切というその娘、俺も会ってみたくなった」
 云うと、鬼一法眼は彼らしくもない真面目な眼で手代を見遣った。
「牛頭鬼は女を手篭めにすると聞いた。その美登里という娘の身が心配だ。急げ」
「承知しました」
 こくりと肯くと、手代は慌てて筆をとった。そして依頼書をさらさらと書き上げる。

 それからわずか後。
 冒険者ギルドの壁に、一枚の依頼書が張り出された。
 それは、小さな紙片。あまりにも頼りなげな。
 しかし同時に、それは二人の娘の命運がかけられた限りなく重い、貴重なもの。
 ――きっと二つの笑顔は戻ってくる。
 童の曇らぬ瞳を思い返し、手代はそう確信するのだった。


 暗い洞の中、異様な気配が立ち込めていた。
 薄暗い闇。
 入り口から差し込む光だけが、わずかに闇を削いでいる。
 それに――
 浮かび上がっているのは、これもまた異様なものであった。
 巨人の体躯に獣の相貌をもつ化生。牛頭鬼である。
 その鬼頭鬼に抱かれて、白いものがゆれていた。
 髪を振り乱した一糸まとわぬ裸身。真希の姉、美登里である。
 ――死にたい。こんな鬼に身を汚されて、もう生きてはいけない。
 遠い意識の片隅、美登里はそんなことを考えていた。
 その時。
 美登里の脳裡に真希のことがよぎった。
 小さな妹。大切な存在。
 ――いけない!
 守るべきものへの思いが、気死寸前であった美登里を蘇らせた。霞んでいた彼女の瞳に力が戻る。
 ―― もしわたしが死んでしまったら、真希はどうなるの? わたしがいなくなれば、次にこいつらは同様のことを真希にするだろう。それだけは止めなければ!
 愛する妹への思いが、美登里に爆発的な力を与えた。
 ――わたしたちが行方知れずとなれば、きっと村の者が探しているはず。必ず助けがくるわ。それまでは‥‥
 美登里は牛頭鬼の首に手をまわすと、獣臭い口に自らのそれをおしつけた。そして舌を忍びいれ、牛頭鬼のそれにからめた。さらには豊かな乳房をおしつけ、尻を振る。
「ああん」
 美登里の唇から小さな喘ぎがもれた。
 と――
 もう一匹の牛頭鬼が動いた。
 気づいた美登里は、慌てて二匹目の牛頭鬼の足に手をのばした。
 ――真希のところへは行かせない。

 たった一人の妹。かけがえのないものを守るために――
 美登里の、たった一人の戦いが始まった。
 助けを――
 希望を――
 信じて。

●今回の参加者

 ea2127 九竜 鋼斗(32歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea5386 来生 十四郎(39歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea7310 モードレッド・サージェイ(34歳・♂・神聖騎士・人間・ロシア王国)
 ea9450 渡部 夕凪(42歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 eb1833 小野 麻鳥(37歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3496 本庄 太助(24歳・♂・志士・パラ・ジャパン)
 eb4757 御陰 桜(28歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 eb8219 瀞 蓮(38歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)

●サポート参加者

御影 涼(ea0352)/ 木賊 崔軌(ea0592)/ ライル・フォレスト(ea9027)/ 小野 志津(eb5647

●リプレイ本文

 疾る。
 ある者は騎馬で。そしてある者は自らの足で。
 どれほど息が切れようと、どれほど傷つこうと、彼らは疾走をやめない。
 風のように。
 何故なら――
 彼らの肩には、小さな二つの命がかかっているから。
 その耳には、助けをもとめる叫びが聞こえているから。
 
 その時、彼らは風になる。
 そして今、彼らは風すら追い越した。

 そんな彼らのことを、人は冒険者と呼ぶ。


 夜間も疾走を続けたものの、さすがに夜を徹してというわけにはいかず、山中で冒険者達は野営をはった。
「いいんだろうか、こんなところで休んでいて」
 寒さに堪え、九竜鋼斗(ea2127)がぎりりと唇を噛む。哀れな姉妹のことを考えるといたたまれなくなってくるのだ。
 その肩をぽんと叩いたのは来生十四郎(ea5386)だ。
「休むのも仕事のうちだぜ」
 優しく微笑む。彼とても姉妹が心配であるのは同じことだからだ。
 そしてライル・フォレストも。
 彼は云っていた。きっと二人を助けて、みんな無事で帰って来て。信じてるからね、と。
 しかし、と本庄太助(eb3496)が焚き火の前で顔をあげた。
「依頼人‥‥。確か子供だったよな」
「ああ」
 こたえたのは、鋼斗と同じく寒さに震えるモードレッド・サージェイ(ea7310)である。
「それがどうかしたか」
「たいしたもんだと思ってよ」
 奥州から江戸までは大人の足で片道五日はかかる。そこを童は歩き通してきたのだ。ただ友を救う為だけに。
「易い相手ではないが、討ち取らねばなるまいて」
 瀞蓮(eb8219)がぼそりともらした。ひたすら沈着な声音で。
 彼女の胸にも童の祈りは届いている。故にこそ、さらに瀞蓮の心魂は研ぎ澄まされるのだ。鞘の内の刃のように白々と。
 そしてモードレッドはぎゅうと十字の刃を握り締める。
 祈るためではない。彼にとっての祈りとは戦い続けることであるからだ。
 身に負った傷。その数と同じだけ、どこかの誰かを救えればそれでいい。
 モードレッドはちらりと野営地の端に視線を遣った。
 木にもたれ、夜風に美しい顔をなぶらせている若者が一人。依頼の報酬を払ったという鬼一法眼だ。
 その鬼一法眼に近寄る娘が一人あった。
 御陰桜(eb4757)。くの一である。
「御陰桜よ♪ あんたは?」
 桃色の瞳をむける。それからはだけた胸元からあふれ出そうな乳房も。
「俺は鬼一法眼という」
「鬼一法眼? きいっちゃんでいいわよね?」
「きいっちゃん?」
 からからと笑い、鬼一法眼は無遠慮な眼差しを桜の胸にむける。
「囮になると聞いたが、良いのか。鬼どもには勿体ないが」
「じゃあきいっちゃんが味わってみる?」
「それは有難いが‥‥。一つ聞いて良いか」
「何?」
 艶然と桜が小首を傾げた。
「‥‥教えてくれ。何故冒険者は他人の為に命をかけることができるのだ」
「それは――」
 やや考えてから桜がこたえた。
「許せないから」
「許せない?」
「そう。命を踏みにじる者がね」
「俺達は未来を信じている」
 音もたてずに現れた者。小野麻鳥(eb1833)が静かな声音で告げた。
「だからこそ、命を守る為に戦うのだ」
「‥‥なるほど」
 得心したかのように鬼一法眼が頷いた。
 その隣に麻鳥はすうと腰をおろした。鬼一法眼の噂は御影一族当主である御影涼より聞いている。風変わりな陰陽師同士、馬があうのではと涼は皮肉っぽく笑っていたものだが――
「さらわれた娘達。今頃はどのような目にあっていようか」
 問うた。すると鬼一法眼の切れ長の眼に翳りが落ちた。
「真希は大丈夫であろう。しかし姉の方は‥‥」
「哀れじゃの」
 突然の声。
 ちらりと向けた冒険者の視線の先、おかっぱ頭の童が立っている。おそらくは依頼主であろう童だ。
「命をかける程の娘‥‥幼き想いほど純粋、か」
 麻鳥が童に歩み寄った。
「聞きたいことがあった。‥‥牛頭鬼の居場所、手掛かりのようなものはないか」
「居場所を知っておる」
 大人びた口調で童がこたえた。そして真っ直ぐな眼差しを麻鳥にむける。
「真希は‥‥美登里は助かるであろうか」
「誰に聞いてんだ」
 くしゃりと童の髪をかきまわした者がいる。十四郎だ。
「その二人、助けたいんだろ。だったら俺達にまかせな」
 ぶっきらぼうな声音だ。が、その内には無限の優しさが滲んでいる。
 と――
 太助がしゃがみこんだ。そして童の眼と同じ高さに自身のそれを合わせる。真正面から童の視線を受け止められるように。
「その思い確かに受け取った。すけべな牛頭なんて退治して二人を取り戻してやるぜ」
「そうか‥‥」
 童の仮面めいた無表情さが、その時わずかに揺らいだように見えた。

「法眼殿が映す真とは違い、私には友を想う一途な幼子にしか見えないが‥それで構わないかい?」
 鬼一法眼の隣に腰をおろしていた渡部夕凪(ea9450)が問うた。すると鬼一法眼はやや驚いたように眼を見開き、
「それは良いが‥‥そなた、わかるのか」
「何となくだけど、ね」
 夕凪がこたえた。
 童の眼。その身から立ち上る気。姿形は普通であるが、それらはとても尋常なものとは思えない。
 が、夕凪は思うのだ。大切なのは素性よりその想いであると。友を思う気持ちは何者であろうと同じ事であると。
 ただ――
 少し口惜しくもある。鬼一法眼には見えているはずの真の童の姿が見えぬことが。
 だから意味もなく爪弾いてみた。三味の弦を。
 むせび泣くような音が、夜風に溶けて消えた。


 洞窟の奥。入り口から差し込む光に蠢く影が浮かんでいる。
 それは一人の女と二匹の化生。
 四つんばいになった美登里の尻に一匹の牛頭鬼が腰をうちつけている。もう一匹はといえば、己の陽物を美登里の口に咥えさせていた。
 その時――
 突然牛頭鬼達の動きがやんだ。その眼は洞窟の入り口の方を凝視している。
 そこ――
 洞窟の内部に二つの影が立っている。逆光ではあるが、二人とも女であり、おまけに見事な姿態であることが見てとれた。
 牛頭鬼達は美登里を放り出すと立ち上がった。新たな美しい獲物に興奮しているようだ。屹立した二本の陽物の先がてらてらと濡れ光っている。
 ガッ、と牛頭鬼が吼えた。それに恐怖したか、二人の娘が背を返した――いや、一人は腰を抜かしたか、その場に座り込んだ。
 すずっと娘達が後ずさった。それを、じりっと牛頭鬼が追う。
 そして――
 一気に牛頭鬼達は襲いかかった。二人の娘――桜と瀞蓮に。
「いやん !」
 桜と瀞蓮の口から同時に黄色い声があがった。それに触発されたか、牛頭鬼達はそれぞれの獲物を抱きすくめた。そして桜と瀞蓮の衣服の胸元を破り裂いた。ぶるんと豊かな乳房が零れだす。
「あっ」
 瀞蓮の口から声がもれた。牛頭鬼の異様に長い舌の先端が彼女の乳首をなぶったからだ。
 怖気とともに憤怒が瀞蓮の胸の内に燃え上がった。美登里がこのような屈辱に何日もの間耐えてきたことに思い至ったのである。
 一方の桜は――
 自ら牛頭鬼にしがみついている。ぴちゃぴちゃと音をたてて、牛頭鬼と舌をからめあっていた。
 すべては二人の娘を助け出す為。
 今、桜と瀞蓮は命を賭けた――いや、世の誰にも成しえぬもっと大事なものを賭けて戦っているのだった。
「慌てないで」
 濡れた眼で囁くと、桜は酒を口に含んだ。瀞蓮も。そして口移しで牛頭鬼の口に含ませる。牛頭鬼達の舌が彼女達の口の中をまさぐったが、そんなことにはかまっていられなかった。桜と瀞蓮の脳裡には二人の娘のことしか浮かんではいなかったのである。
 そして幾許か――
 突如牛頭鬼の口から苦鳴が迸り出た。十四郎が用意した鬼毒酒が効いたのだ。
 刹那、桜の身から白煙がわいた。と、みるまに彼女にからみついていた牛頭鬼ががくりとうなだれる。
 春花の術! 牛頭鬼は眠りに落ちてしまったのだ。
 と、同時――めり、と足が牛頭鬼の顔面にめりこんだ。瀞蓮の脚である。
「美登里殿の痛み、少しは思い知ったか」
 瀞蓮が叫ぶ。その声は怒りに震えていた。
 それに対し――
 一匹の牛頭鬼は小山のような身を起こした。そして瀞蓮を引き裂くべく掴みかかろうとする。が――
 再び牛頭鬼達の口から苦悶の呻きが迸り出た。みると、一匹の目に手裏剣が突き刺さっている。そしてもう一匹の身には見えぬ刃が――ソニックブームがぶち当たっていた。
 夕凪と十四郎!
 その名を脳裡によぎらせつつ、桜と瀞蓮が駆け出した。洞窟の入り口にむかって。その後を牛頭鬼達が追ってくる。
 四つの影。しばしの追跡劇の後、それが陽光に包まれた時だ。一人の浪人が牛頭鬼の眼前に立ちはだかった。そして洞窟の入り口にするすると二つの影が滑り込む。
 鋼斗、モードレッドと太助の三人だ。そして物陰に身をひそめていた夕凪と十四郎も姿をみせる!
「これ以上、前には進ませない」
 鋼斗が云った。すると太助がにやりとし、
「帰る場所もないが、な」
「牛頭の冒涜野郎。黒十字の教え、その身にたっぷり刻んでやるぜ」
 云って、モードレッドは神送る剣――クルスソードを天真めがけてふりあげた。

 牛頭鬼が外におびき出された隙に、麻鳥は洞窟内に忍び込んだ。影のように内部を疾りぬけ、奥へと辿り着く。
 そこに二人の娘の姿があった。美登里は死んだように裸のまま横たわっており、その身に真希がすがりついている。
「先ほど念話を送った者だ。助けにきたぞ」
 念の為のファイヤートラップを仕掛け終え、 麻鳥は二人の娘に駆け寄った。そして用意した着物を美登里の痛々しい裸身に着せ掛ける。びくりと美登里が震えた。


 影が交差した。一瞬送れて鍔鳴りの音。
 血がしぶいて、ごとりと何かが地に落ちた。何か――牛頭鬼の右腕だ。
「抜刀術・閃刃――貴様らの犯した罪‥その身で償え!」
 囁くように、鋼斗が告げた。
 瞬間、その背に向かって狂ったような牛頭鬼の残る左腕がうちかかってきた。が――
 その左腕は空をうっている。飛びきたった氷輪が牛頭鬼の左腕をはじいたからだ。
「今日のあいすちゃくらは一味違うぞ」
 叫ぶ太助の眼は、胸元の衣服を切り裂かれた桜と瀞蓮に向けられている。おそらくは美登里もこのように、いやもっとひどいめにあわされているに違いなかった。太助の黒瞳が爛と光る。
 その彼めがけ、牛頭鬼の左腕が唸った。が――
 がっきとばかりに、モードレッドのクルスソードが牛頭鬼の左腕を受け止めた。彼の眼もまた牛頭鬼ではなく、桜と瀞蓮に向けられている。いや、彼女達を通して美登里を。
「きさま」
 モードレッドの唇が酷薄にゆがむ。牛頭鬼の膂力にびくともすることなく。なぜなら――
 後退することは、美登里達に対する誓いへの裏切りであるから。弱きものを背後に庇う時、冒険者に後退はありえない。
「死ね」
 モードレッドのクルスソードが翻り、牛頭鬼の首をはねた。

 豆がはじける。その度に牛頭鬼が苦悶した。その足元では桜の愛犬――桃と瑠璃が吼えて、牛頭鬼の動きを牽制している。
「鬼は外ってな!」
 十四郎が鋼斗と顔を見合わせ、ニヤリとする。その時、風が鳴った。
 夕凪の矢。
 剛いその矢は、深々と牛頭鬼の残る眼を貫いている。
――お姉チャン泣かせる奴ぁ、遠慮なく殺っちまっていいぜ姉貴。
 木賊崔軌の言葉だ。
 しかし同時に、彼の渡した簪――乱れ椿がしんと夕凪の心胆を冷やしている。故に華椿は乱れない。第二矢を弓に番える。
「こいつは、もういらねえだろ」
 十四郎の蹴りが、牛頭鬼の股間に吸い込まれた。刹那――
 怒号をあげて、牛頭鬼が悶絶する。その前に瀞蓮が進み出た。
「この借り、十倍にして返してもらおうかの」
 瀞蓮の脚が唸った。
 神速の蹴り。それは残像を残し、牛頭鬼の顔をひしゃげさせる。
「抜刀術・双閃刃」
 二度閃いた光流は、牛頭鬼の血飛沫にくるまれつつ鋼斗の腰の鞘に吸い込まれた。


 簪を引き抜くと、美登里はその切っ先を喉に突きたてようとした。その手を、ぐっと麻鳥が掴みとめる。
「やめよ」
「放して!」
 美登里が麻鳥の手を振り払った。
「死なせて!」
「死ぬことはない」
 麻鳥の身が、柔らかな月色の光に包まれた。
 幻術。麻鳥は希望の夢を紡ぐことができる。
「そなたは妹を守る為に戦った。その誇りある戦士が、何故に死なねばならぬ」
「誇りある‥‥戦士?」
 美登里の眼が微かに見開かれた。
「私が!? 貴方たちと同じように?」
「いや。そなたは我らより強い。そして優しい」
「私‥‥」
 美登里が泣き崩れた。そして真希を抱きしめる。
「私‥‥」
「良く、頑張ったのぅ」
 美登里の身に、再び瀞蓮の手によって衣服がかけられた。その身を優しく、しかししっかりと夕凪が抱きしめる。
「本当に、良く頑張ったよ」
「ああ。本当に、ね」
 桜もまた美登里を抱きしめる。
 二つの温もりに包まれて、美登里は泣いた。ただ、泣いた。身の穢れを洗い清めるかのように。


 気づけば鬼一法眼も童の姿も消失していた。
 桜はぷんとむくれたものである。牛頭鬼に汚された口を鬼一法眼に癒してもらおうと思っていたからだ。
 その時、ふと気になった麻鳥が問うた。童のことを。
「そういえば」
 しばらく考えて後、薬水と食事を与えられた真希が眼を瞬かせた。
「小さい頃、山の中でそんな子と遊んだことがあった。たった一度だけど」
「一度?」
 冒険者達が顔を見合わせた。たった一度遊んだだけで、命を賭けるとはいかなることであろう。
 すると夕凪はわきあがる微笑がおさえきれぬように、
「そのたった一度遊んだことが、きっと楽しくてたまらなかったのさ」
 と、云った。


「‥‥良いのか、真希に会わなくて」
 鬼一法眼が問うた。すると童は小さく首を振り、
「良い。真希が助かれば、それで」
 こたえ、すぐに童は感嘆の響きの混じる声を発した、
「しかし冒険者と申す者、牛頭鬼を退治るばかりではなく、美登里をも救いおった」
「たいしたもんだろう。奴らは強いからな。何故だかわかるか」
「‥‥」
 童は無言で見返した。すると鬼一法眼は笑みを深くし、
「優しいからだ。呆れるほどに、な。奴らは他人の為に真剣に怒ることができる。それはこの世で最強の力なのだ。夕凪という冒険者は云っていたよ。自分達が賭けた命、其れは彼女達の命の重さそのものだ、とな。その意味がいずれ幸福を呼ぶまで、捨てずに済む様に祈っていると」
「そのようなことを‥‥人間など、自然を汚す愚か者だと思っていたが」
「見直したか人間を。座敷童子よ」
「‥‥」
 再び無言で、今度は童――座敷童子は冒険者の背を追って視線を飛ばした。その瞳には以前として超然とした光が揺れているが、その口元にはある表情が浮かんでいる。
 微笑み。
 それは大自然の化身が、初めて人間に信頼を寄せた瞬間ではあるまいか。
「いずれこの借り、返さねばなるまい」
 座敷童子が囁いた。

 その通り―― 
 近い将来、座敷童子はその言葉通りに冒険者に借りを返すことになるのだが――
 それは別の話である。