●リプレイ本文
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「やっと江戸に戻って来れたわ」
レイ・カナン(eb8739)がふっと息をつく。
久しぶりの江戸。レイはそれまでイギリスのキャメロットにいた。
「しばらく留守にしていたら江戸もきな臭くなってるのね。先ずは鬼退治といこうかしら」
屈託なくレイが云った。屈むより、はばたくことが得意な彼女である。
「やれやれ、鬼の類はいくら退治しても湧いて出よるのう」
溜息をもらしたのは瀞蓮(eb8219)だ。
先日、彼女は牛頭鬼を退治たところであった。しかし、またもや鬼の出現である。
上州騒乱。人の世には常に血の風が吹く。もしやすると、人の心の闇が鬼を呼ぶのかも知れぬと瀞蓮は思った。
「その鬼のことなんだけど‥‥」
小首を傾げた者がいる。
緋神那蝣竪(eb2007)。忍びだ。
「鬼が子供一人攫って、どうするつもりなのかしら‥‥。食料にする為、って考えるのが自然なのかもしれないけれど、何か違和感を感じるのよね‥‥」
「確かにのお」
瀞蓮も肯いた。
「童をその場で襲うでもなく連れ去ったというのはいささか気になる。鬼の考えること、深い意味もないとは思うが‥‥」
瀞蓮が言葉を途切れさせた。
ふうむと唸って、水上流水(eb5521)は依頼主である猟師に思慮深い金茶の瞳をむけた。彼も不審な思いを抱いているが、もしかすると猟師の話から真相が見えてくるかも知れない。
「童が鬼にさらわれるのを目撃したそうだが、その時の様子を聞かせてもらえないか」
「その時の様子っていわれても‥‥」
猟師が眼を細めた。するとレイが身を乗り出して、
「童を救い出すために、なるべく詳しい状況を知っておきたいの。覚えている事は全て教えてくださらない」
「と、いわれてもなあ。‥‥山の中で獲物を探してたんだが、ふと気づくと鬼と童の姿が眼に入って」
「では鬼の数は? 一匹? それとも数匹?」
「確か二、三匹いたような‥‥」
甚だ心許無い。が、彼はあることを思い出した。
「そういえば女がいたなあ」
「女!?」
冒険者達が顔を見合わせた。童がさらわれただけでも一大事であるのに、この上まだ女までもがさらわれたとでもいうのだろうか。
しかし、いいやと猟師はかぶりを振った。
「さらわれたってんじゃなく、一緒だったような」
「鬼とか!?」
再び冒険者達が顔を見合わせた。
女が鬼とともにいる。俄かには信じられぬことではある。
が、もし猟師の勘違いなどではなかったとしたら? 事態は異様な様相を帯びることとなる。
ややあって、硬質化した空気を破るかのように那蝣竪が口を開いた。
「‥‥その童のことなんだけど。キミの見知った童なの?」
「いや、知らねえ童だ。けど」
猟師が眉をひそめた。
「不思議な童だった。鬼がでたってのに、泣くでもなく怯えるでもなく‥‥おかっぱ頭の可愛らしい童だったが、どこか人間離れした感じのする童だったぜ」
「おかっぱ頭‥‥」
それまで泰然自若としていた小野麻鳥(eb1833)が、細く白い顎に手をあてた。
おかっぱ頭の人間離れした童。その童を彼は知っている。
牛頭鬼から姉妹を救い出せと依頼した童だ。鬼一法眼は人間ではないと云っていた。
冷然とした麻鳥の眼差しをうけて、渡部夕凪(ea9450)が微かに肯いてみせた。
「‥‥あの子かねえ」
「おそらくは‥‥。しかし」
「ああ」
夕凪が再度肯いた。
もし彼らの知る童であるのなら、あの姉妹のいる奥州近くにいるはずだ。それが今頃江戸近辺にいる理由がわからない。
もし江戸に足をむける何らかの理由があったのだとしたら‥‥
「鬼達の存在もだが‥其れが気になる」
「俺もだ」
麻鳥が眼を伏せた。
彼の童は並みの童ではない。その童がさらわれるということは、そこには童を上回る存在がありはしないか。麻鳥はその懸念をもったのである。
「童は一人でどこに向かおうとしていたのかしら。そして童をさらった鬼の真意は? 解からない事だらけね」
ひっそりとレイが呟いた。が、応えはなく、沈黙が冒険者達を圧した。
と――
今度は瀞蓮がその沈黙を破った。
「どういうつもりにせよ、その場で童が襲われておらぬというのは救いよの。助け出す猶予があるのは良いことじゃ」
「確かに、な」
陰守森写歩朗(eb7208)の眼が微かに笑んだ。
瀞蓮が提示したのは微かな希望だ。が、一握りでもそこに希望があるなら冒険者は戦ってゆける。
そう、冒険者とは未来を切り開く者達のことだから。
「ゆこうか」
九竜鋼斗(ea2127)の髪が風に翻った。
童が待っている。何故か、鋼斗はそう思った。
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鋼斗が愛馬普銅丸から飛び降りた。そして普銅丸の首筋を撫でる。
普銅丸の眼は静かだ。妖の気配をとらえていない証であろう。
場所は山の中の道。濃い緑の匂いが届いている。
「童がさらわれたのは、ここでよいのか」
愛馬ブラックを木に繋ぎ終えると、森写歩朗が韋駄天の草履を貸し与えていた猟師に眼をむけた。
「へい。この辺りで」
こたえる猟師の眼は奇異な思いに揺れている。
森写歩朗の興した料理。その見事さよ。その立ち居振る舞いからは想像を絶するものであったのだ。
「そうか」
森写歩朗は眼を凝らし、耳を澄ませた。
が、彼の鋭敏な感覚にとどくものはない。見えるのは鳥の影、聞こえるのは葉擦れの音くらいだ。
それでも油断のならぬことは忍びである森写歩朗は承知している。それは暗闘を潜り抜けてきた彼の悲しき業なのかもしれない。
「この山の中、必ず鬼はいるはずだ」
「後を追うしかなさそうね」
那蝣竪が云った。
鬼はこの山に住むものではない。猟師からはすでに情報を得てある。となれば、鬼の痕跡を追うしか手はないだろう。
「しかし相手は鬼どもじゃ。こそこそと動き回るのは不得手のはず」
武を極めんとする瀞蓮の言葉に、夕凪が肯いた。瀞蓮の言辞の重みは彼女も承知しているからだ。彼女の心魂もまた深みにある為。
「確かにそうだねえ。きっと痕跡は残っている――」
夕凪が麻鳥に眼をむけた。が、麻鳥は静かにかぶりを振っている。数手先を読む彼は、すでにテレパシーを試していたのだ。
「念話が通じぬ。近くにはおるまい」
テレパシーの効果範囲はおよそ一町。少なくとも童はその範囲の外にいる。
夕凪は猟師に眼を転じた。
「近くに、鬼どもが隠れられそうな場所はないかい。岩場や洞穴のような」
「洞穴はねえが、岩場なら」
「それはどこに?」
夕凪の問いに、猟師がある一点を指差した。
「よし」
ましらのような身ごなしで、流水が猟師の指し示した方向に馳せむかった。そして木々と地の在り様を検分する。
「あたりだ」
流水の口から声がもれた。
折れた枝。木々の傷。そして大重量のモノが踏み荒らした跡。
もし熊でないとすると‥‥
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「待て」
ひやりとする声音で麻鳥が静止した。まるで発語そのものが呪であるかのように、他の冒険者が足をとめた。
「どうした?」
木々からもれる光の斑の中、森写歩朗が振り返った。
周囲では風が哭いている。陰々とした獣の声にも似た。
その眼前で麻鳥は無造作に呪符を広げた。
「念の為だ」
急々如律令。呪唱とともに、麻鳥の指刀が優美に躍った。
瞬間、辺りの空気が凍りついたようだ。それは呪力が空間を駆け巡った故かもしれない。
そして――
麻鳥の頬に微かに冷笑がういた。
「とらえた」
ブレスセンサー。その結果は八尺ほどの体躯の持ち主の存在だ。数は二。熊ではないとすると‥‥
「鬼か」
流水が拳を握り締めた。その身に氷のような殺気が満ちる。
「かも知れぬ」
麻鳥が小さく肯いた。
彼のブレスセンサーには、あと一つの反応がとらえられている。大きさからして、猟師が目撃したという女であろう。
が――
足りぬ。童の存在がない。
その動揺を麻鳥は表さぬ。いや、動揺するなどということが、そもそもこの男にはあるのだろうか。
もう一人の不動の者、夕凪の口辺りに不敵な笑みがういた。
「なら気をつけないとねえ。岩場はもうそこだ」
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「‥‥儂をどうするつもりじゃ」
おかっぱ頭の童が問うた。
開けた岩場。近くには小川が流れている。一見したところ、春の陽が降り注ぐ長閑な風情だ。
が、そこにあるのは暗黒。どろどろとした悪念が渦巻いている。
ニッと女が笑った。濡れ羽色の長い髪を背に流した妖艶な女だ。
「どうするつもりもないよ。事が終わるまで、ここでじっとしていてもらいたいのさ」
「ここで?」
童がちらと眼を動かした。女の背後には二匹の異形が控えている。
鬼だ。血に飢えた悪夢がそこにあった。
「馬鹿なことをしたねえ」
女の笑みが深くなった。
「奥州妖怪すべてを敵にまわすなんて。人間なんぞに肩入れしてどうするつもりなのさ。元々あんたは人間嫌いだったはずだろ」
「そうじゃ」
そうだった、というべきか。童はそう思った。
その脳裡には八人の人間の相貌がよぎっている。
冒険者。彼らはそう呼ばれていた。その八人が童にそう思わせたのだ。
「それなのにどうして‥‥。人間などという身勝手な間抜けの為なんかにさ」
「そうでもない」
童がこたえた。その眼は湖面の如く。ある光がゆらめいて――
その光の意味するものに気づき、女の表情が動いた。貌が細く釣り上っていく。
童の口が開いた。
「彼らは、もう来ておる」
「なにっ」
女は気配をとらえていた。人のもの。それも凄絶の殺気だ。
シャアッ!
女の口から怪鳥のような声が発せられた。
刹那、女の足元の地を割って灼熱の炎泥が噴出した。立ち上る紅蓮の渦の彼方、女が地に舞い降りている。
「何者じゃ」
地に屈んだ姿勢のまま、女が問うた。その眼前、風車がびゅうと鳴っている。
「冒険者さ」
那蝣竪が風に遊ぶ暗器をかまえた。
「子供一人に何の悪巧みかしら? 古今東西、子供を攫うような奴はろくでもないって決まってんのよ」
「ぬかせ!」
女が叫んだ。
「うぬらに 何ができる」
「妖狐というもの、初めて見たが良く喋る」
「なにっ」
女が血色の眼を転じた。その先、狩着姿の陰陽師が薄く笑っている。
麻鳥。彼はテレパシーにより、童から女の正体を聞き知っていたのである。
鋼斗が備前長船の柄に手をかけた。その身が獲物を襲う猫族のようにすうと低くなった。
「さて‥‥その子を返してもらうぞ!」
「できるか!」
女が叫んだ時、一つの疾風が地を疾った。疾走の術により脚力を増大させた那蝣竪だ。
その那蝣竪めがけ、一匹の鬼が棒を打ちふるった。
空を灼ききるような凄まじい一撃だ。常人にはかわせない。
が、那蝣竪は常人ではなかった。
消失。としか見えぬ素早さで、那蝣竪は鬼の棒をかわしている。
「図体がでかいと、何かと不便よの」
ふっと。瀞蓮の姿が浮かび上がった。地に棒を打ちつけて姿勢を崩した鬼の眼前だ。
「隙だらけじゃ」
めりっ、と瀞蓮の脚が鬼の顔面にめりこんだ。一撃ではない。瞬時にして、瀞蓮は数発の蹴りを鬼に叩きこんでいる。
刹那、もう一つの疾風が地を駆けた。
流水。疾走の術で風と変じた彼は地をすべり、眼にもとまらぬ迅さで童を抱き上げている。
「この子はいただいてゆくぞ」
「させぬ!」
女が絶叫する。その叫びにうたれたかのように、もう一匹の鬼の棒が疾った。流水めがけて。
が――
次の瞬間、鬼は後方に飛び退っている。その足元には一本の矢。夕凪の放ったものだ。
恐るべし。夕凪はたった一矢のみにて魔性を後退させたのだ。それほど夕凪の全精魂を込めた矢はつよいということか。
それでも――
鬼は襲った。流水を。
戛然!
空気を震わせて、鬼の棒は刃に受け止められている。
誰の――おお、森写歩朗の草早の剣に。彼のもつ刃こそ鬼殺しの刃であった。
が――
飛んで離れた森写歩朗の背は冷たい汗に濡れている。
今受け止めた一合。それによって森写歩朗の腕は痺れてしまっているのだ。
迅さ。剛さ。すべてにおいて、鬼の方が数段上回っている。次の一撃を、はたしてかわしや得るか、どうか。
そして――来た。鬼が。獣と同等、いや、それ以上の迅さで。
その時、空に水飛沫が散った。
迫り来る鬼に水の塊が激突したのである。呪力により空気中の水分を結実させて作り出された魔弾――
「ウォーターボム!」
レイの声が響いた。その声にうたれたかのように、鬼が身を仰け反らせている。
そこに空いた大きな穴。強力な鬼に穿たれた隙。
何でそれを森写歩朗が見逃そう。ギラと眼を光らせ、森写歩朗が殺到した。鬼にむかって。
たばしる緑光。薙ぎ落とされた光流は鬼を袈裟に斬り下げている。
「ええい!」
たまらずというように女が身を躍らせた。空にある時、すでにその身は変形を終えている。
月光よりもなお煌く銀毛。その尾は魔性の証の如く五つに分かれ――妖狐だ。
「ガキはわたさぬ」
「そうはいかない」
鋼斗がつつうと滑り出た。
「鬼道衆が一人、抜刀孤狼九竜鋼斗。‥‥貴様の好きにはさせん!」
一瞬閃く白光。それは鋼斗のふるう夢想流の一閃だ。それは刃鳴りすら超え――
「抜刀術・閃刃」
空に数本の銀光が散った。切り裂かれた銀毛――妖狐は空に逃れている。
冒険者を見下ろし、遥か高みの空間で妖狐はニタリと笑った。
「ここまでかよ」
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妖狐の姿が暗天に消え、地には二匹の鬼の骸が横たわっている。そして童は――
流水から下ろされた童に、森写歩朗がにこりと微笑みかけた。
「ご無事でなにより。怪我などされていませんか?」
「大事無い」
童がこっくりと肯いた。その身がふわりと抱き上げられる。麻鳥だ。
「息災だったか?」
麻鳥が云った。
童。それは、やはり彼の知る不思議の童であった。麻鳥は知らぬが、その正体は座敷童子である。
「どうやら我らは縁があるようだな」
「また会ったな。一体今回は何があったんだ?」
鋼斗が問うた。その時、初めて座敷童子の顔に表情らしいものが浮かんだ。
鋼斗、夕凪、麻鳥、瀞蓮。その四人に座敷童子は見覚えがあった――どころではない。彼ら四人こそ、座敷童子に人を信じさせる契機となった四人であったのだ。
「うむ」
と童は肯いた。
「悪路王が江戸を狙っておる。それを報せに参った」
「悪路王? 何なの、それ?」
レイが問うた。悪路王など聞いたこともない。
「奥州の大妖怪じゃ。万の鬼の軍を従えた」
「万の鬼の軍!?」
さしもの冒険者達が息をのんだ。
今、ジャパンは戦乱の様相をおびつつある。その上、さらに奥州の鬼の軍の脅威にまでさらされようというのか。
「‥‥そのことを報せる、ただその為だけにここまで来たってのかい」
夕凪が問うた。すると座敷童子は口元を微かに綻ばせた。
「ぬしらには借りがある故のう」
云って、座敷童子はすぐに表情を厳しくし、冒険者を見渡した。
「気をつけよ。奴らはすぐに江戸に現れるぞ」
昏い予言のように。座敷童子の言葉が冒険者の胸にこだました。
時は四月二十日。災厄の日はすぐそこまで迫っていた。