●リプレイ本文
●犬鬼について
拍手阿義流(eb1795)の姿を見つけ、露店の娘をからかっていた双子の弟である拍手阿邪流(eb1798)は慌てて身を隠した。
真面目くさった顔つきの時、兄は何か面倒なことを企んでいる。下手に近づかぬ方が良い。
が――
「今日はかくれんぼですか?」
あっさり見つかった。
「い、いや、そういう訳じゃ‥‥」
「この方の依頼を受けました」
口の中でもごもご言う阿邪流を無視して、阿義流は連れの雲水に会釈した。当の雲水はふむと顎を引いたのみ。
「あ、兄貴がガキが依頼人じゃない依頼受けてる?!」
驚いた。夕立でも降らねば良いが。
「そうですよ。今、必要なものの数を確かめていたのです。そうそう」
何を思いついたのか、阿義流はふっと笑った。拙いと背を向けた阿邪流の襟首をそっとつまむ。「これからぎるどで仲間の方たちと落ち合うつもりです。阿邪流も来なさい」
「ど、どうして俺が‥‥」
「良いのですか。見目麗しいお仲間がたくさんいらっしゃいますよ」
「兄上、急がれよ。か弱き者達が我等の助けを待っておりますぞ」
一目散に駆け出す阿邪流。まるで風に乗っているかのように迅い。
「南無‥‥」
雲水は一言、念仏を唱えた。
阿邪流は、不機嫌だ。
兄をちらりと睨みつけ、顔を合わせた冒険者達を見渡し、彼は太い溜息を零した。
細いの、おばちゃん、ガキ‥‥って、よさげな女って所所楽苺(eb1655)しかいねーじゃん。ばりえーしょん豊かっていえばそれまでだけど、どゆことよ?!
騙された。悔しいのである。
唯一よさげなエリカ・カーム(eb2938)に声をかけようにも、どうにも苺が邪魔だ。
そのエリカは――
阿邪流の鬱屈など知る由もなく、ただ『聖なる母』に感謝を捧げていた。
まだ血風吹き荒ぶジャパン。この地で何ができるかと思案してなった冒険者である。初めての依頼で多くの人々を救済できるかも知れぬことは、まさに神の導きではないか。
「‥‥犬鬼の毒についてはこれくらいかしら。何か訊きたいことは?」
天道狛に問われ、琴宮葉月(eb1559)は紺碧の瞳を上げた。
「それでは毒消しは犬鬼が所持していると考えて間違いないのね?」
「そうだ」
頷いたのは蒼い疾風を想起させるエルフの若者だ。名をマナウス・ドラッケンといい、かなりの数の依頼をこなしたファイターである。
「まぁ、退治じゃないんだし‥‥その辺気をつければ良いのではないか」
余裕の言辞であるが、彼ほどの熟練者ではない一同にとってはそれほど事は簡単ではない。犬の貌をしているとはいえ、鬼は鬼。おまけに武装しているのだ。やはり脅威には違いない。
急に不安になったか、キルト・マーガッヅが所所楽柚(eb2886)の手をとった。
「ご無理はなさらないで下さいませね」
「はい」
優しき微笑を返す。が、それは数瞬。すぐさま凛と面を引き締め、柚は立ちあがった。
「では参りましょうか。わたくしたちが手をうてるのはたった一日。時が惜しいです」
「うむ、一刻も早く」
肯首し、続けて立ちあがったのは僧形の神木祥風(eb1630)だ。
今、この瞬間も村人達は毒におかされ、死の床で呻吟しているに違いない。冒険者の歩一歩は、そのまま死への秒読みでもある。
色即是空。肉と魂の両方を救ってこその僧であると祥風は思っている。
「それじゃ、早速出発するのだ!」
「あっ、慌てては危ない!」
元気溌剌天真爛漫、誰の胸にも青空の風を吹かせる苺の明朗さだが、それはともすればそそっかしさに通じる。飛び出す双子の妹を追った柚だが、綺麗に踏み固められたギルドの前で、何をどうしたものか、ころりと――
すっと伸びた阿義流の腕が、転びかけた柚を抱きとめた。
「あ、有難うございます」
「いえ」
柔らかく首を振る阿義流。自然と見上げる形になる柚。見交わす二人の視線は、どこかキラキラと‥‥
胡散臭げに阿邪流が様子を窺っていたのは秘密だ。
傍らでは、バイロンと名づけた馬の背に残った大量の荷物を、ぼんやりと恨めしげに見つめている太丹がいた。
●道行
馬に乗せるという約束が、どういうわけか二人乗りとなって、阿義流と柚はチャゲという名の馬の背に揺られている。
朴念仁と思っていた兄が妙にドギマギしているのは驚きだし、柚にいたっては薄く頬に紅を散らし――
まるで雛人形だな。
やや皮な想いを込めて、阿邪流は笑った。やはり血は争えぬ、と。
いやいや、違う。俺は明るい女好きだが、兄貴はむっつりだ。
「お前達姉妹って、ホント、似てないよな」
「うーん」
自分達のことは棚においた阿義流の物言いであるが、苺は真剣に考え込む。彼はどっちが好みなのだろうかと。
ややあって結論が出た。考えても仕方ないと。それよりも、ここぞとばかりに馬をとめ、苺は叫んだ。
「ゴハンなのだー♪」
ひらりと馬から飛び降りると、彼女はいそいそと調理の道具を取り出し、皆から糒を集める。率先しての調理担当だ。
腹が減っては戦はできぬ。そして、これは女の戦でもある。
『自己あぴーる』ってやつなのだ。さらしを巻いた胸はぼりゅーむに欠けるけれど。
苺はぐっと気合を入れた。
●瀕死の村
何故、弱い村人がいつも犠牲にならねばならぬのか。
それが綿津零湖(ea9276)には許せない。力弱いというだけで、平和な時を奪う権利は誰にもありはしないのだ。
その村に着いた時、零湖は形の良い眉をひそめた。
早朝とはいえ、普通人が住まうところには、それなりの活気が溢れている。夏ともなれば、なおさら人の熱量も高いはずである。
が、ここは静かだ。異様なほど。
野良の男達の掛け声もなければ、蝉を追ってはしゃぐ子供達の姿も見受けられぬ。
あるのは、ただ、死と苦痛。
濃い緑に抱かれていながら、立ち込めるのは腐臭。爽やかな山風の代わりに吹くのは冥風だ。
零湖の握り締めた拳が白くなった。
真綿で首を締めるように、肉の内から蝕んでゆく。それが毒だ。
そこには斬られた傷もなければ、流された血もない。故になおさら残酷な死を与える。それが毒なのだ。
そして――
葉月は、泣いていた。
子供の亡骸を前に。
まだ一つ二つほどの年頃の幼子。命の煌きを継いでいくはずの者。
その子供が死んではならぬのだ。
ちらり、葉月を見遣り、沈痛な面持ちで祥風は意識のある村人の枕元に座った。
口をきいてくれと頼むのは酷であると承知している。が、一殺多生。それも僧のつとめである。
「犬鬼はどちらの方に?」
「‥‥」
村人は、震える指である一点を指差した。
●追跡
陰と陽。
この世の根本の成り立ちを見極めるのが陰陽師である。そして柚は、特に陽の理の中に身をおく者であった。
金色光の斑を散らせた柚は、天陽の巫女のよう。やがて彼女は印を解いた。
「やはり犬鬼はこちらです」
「わかったわ」
頷くと、葉月は先陣をきって歩き出した。その傍らを行くのは苺。
唯一刃での戦いを得意とする二人であった。おまけに苺は山についての土地勘もある。先頭をゆくには適任であろう。後に続く冒険者達は眼を皿のようにして犬鬼の痕跡を追っている。
と、同時に。
零湖は自らの意識の糸を、蜘蛛のそれのように張り巡らせることを忘れてはいない。
ここは敵の領域。何時襲ってくるか知れたものではない。
そして阿邪流といえば。
視線を飛ばす。できるだけ遠くへ。何も見逃すことのないよう。視認に先んずれば勝機はいや増す。
「これは‥‥」
突如、葉月が足をとめた。彼女が見つめる先へ、冒険者達も眼を落す。
叢きれに覗く湿った土。そこに乱れた足跡がある。
完全に見分けられたものではないが‥‥人のもののような獣のもののような。
つまり、そのどちらでもないもの。
見れば近くに獣道もある。小さなものではない。大人数によって踏み固められたものだ。
「よし」
止める間もあらぱこそ、阿邪流の身が躍り、木々の彼方に背が遠く‥‥
そして幾許か後。
苺の面がぱっと輝いた。獣道を駆け戻ってくる阿邪流の姿を見とめた故だ。
「いたぞ」
興奮のためか、さすがの阿邪流の声も震えている。それを隠すかのように、阿邪流はぐいと額の汗を拭った。
「この先。そんなに遠くはない。生意気に集落みたいなモンをこさえてやがったぜ」
「ならば」
落ち着いた身ごなしで祥風は周囲を見まわした。
「誘き出す場所を決めましょう」
待ち伏せしに適した場所は谷上の道だ。上からの攻撃は有利。そこならば格闘者の不足を補えるはず。
「だめですね」
零湖が頭を振った。さらり、銀の波がゆれる。
道中道を検分していたが、そのような場所は見当たらなかった。ならば逃れにくい狭い場所はどうだろう。
零湖が道を戻った。見当をつけた場所があるのだ。
「ここでは?」
零湖が指し示した場所。そこは傾斜と傾斜に挟まれた草地だ。難点といえば身を隠せそうな手ごろな岩や大木がやや離れていることだ。
「そうですね‥‥」
地の利を確かめ、エリカの琥珀の瞳に光が灯った。
ここならば村人に危害が及ぶことはないだろう。冒険者は絶えず闇と斬り結ぶ。その刃は常に何者かを背負っているのだ。その者を思いやることだけは怠りたくなかった。
「良いと思います」
エリカの口辺に微かな微笑がはかれた。
●囮
「おいらがなるのだー!」
一番名乗りをあげて、苺が囮役となった。
小柄だが侮れぬ北辰流の使い手。また犬鬼を誘き出すための調理の腕は一番確か。危なっかしいが、適任なのである。
というわけで、鼻歌まじりに苺は調理をはじめたものである。材料は阿義流が用意してくれていた。
火を焚いて。そう汁物がいいかな。良い匂いのするものにしよう。
鬼といっても犬の貌。きっと鼻も利くはずだ。
その様子を――
見守りつつ、岩陰に身を隠した柚は胸の巻物に指をのばした。
同じ仕草を苺もしている。そこには祥風から与えられた「身代わり人形」が忍ばせてあるはずだ。屈託なく見えていようとも、妹が覚えている戦慄は、彼女も同じく魂の底で感じ取っている。
そして、料理の支度はすすみ‥‥
気配を感じ取った零湖がぴくりと身動ぎした直後、藪をかき分けるようにして、それらは現れた。
犬の貌の化物。
穢らわしい邪鬼の種だ。
美味しそうな料理を、そして組しやすそうな愛くるしい少女を見、犬鬼達は牙が覗く口を歪めた。
ニンマリ嗤ったようで‥‥
怖気を振り払うように、思わず苺は抜刀していた。
「カッ!」
牙をむくと、犬鬼達が殺到する。ざざっ、と。迫る群姿は濁流のようで。
「ハッ!」
戦端ひらく刃光の一つを、苺の大刀が撥ねあげた。が、続く横殴りの一閃はかわしきれず、胴辺りの衣が切れとんだ。
「くっ」
苺がうめいた。
傷はたいしたことはない。かすり傷程度は「身代わり人形」が肩代わりしてくれる。
問題はそれではない。犬鬼の刃は毒に穢れているのだ。その腐食まで人形が吸いとってくれるものか、どうか。
苺は舞う乱刃から逃れるように後退した。
北辰流の極意は間合いを外し、間合い外からの撃ち込みにある。そのために常に剣を流動させておく必要があった。
が、何分多勢に無勢だ。阻害された動きでは存分に北辰の剣をふるうことはできない。受けに徹してはいても、一振りの刀。所詮群がる数倍の刃に抗するべくもない。
二傷、三傷。苺は心中で悲鳴をあげた。
もうもたせられない。早く来て欲しいのだー!
刹那、黄金の粒子を零しながら天陽の凝縮光が走った。闇を薙ぎ払うように――犬鬼の一匹が仰け反る。
阿義流のサンレーザー。それは陽神の天誅だ。
しかし、犬鬼は血狂っていた。倒れた仲間には眼もくれず、ひるむこともない。再び怒涛の如く、苺を席巻する。
されど、冒険者に呪法者あり。犬鬼の眼前で花開く火球は祥風のひめたる怒りの発現だ。
飛沫く火の粉と轟音に、今度こそ犬鬼達はひるんだ。数匹は火勢を恐れ、背を返しさえしている。
なんでそれを見逃そう。はらはらと翻ったのは柚の呪巻。命唱とんで、地より噴きあがった灼熱泥が犬鬼を遮った。
そして――
犬鬼達の動揺をつくように、蛍火が躍る。半透明の刃はほろほろと光流の尾をひいて、荒ぶる鬼を斬り下げた。
「待たせたわね」
苺を庇い立つ志士、葉月。水晶の豪剣もつ、もう一人の剣巧者。
確実に一匹ずつ。驕れることなく、彼女は闘志を燃やす。
死んだ幼子の面影は心気の底に。その霊を慰めるには、彼奴らの命だけでは足りぬのだ。
「解毒剤は手に入れて見せます!」
身をかくしつつ、零湖の手から氷輪がとんだ。葉月の想いをすくったそれは、さらに鋭さをまし、犬鬼をかすめて空翔ける。ぽとりと落ちたのは、村人の穢れ払う命の雫だ。
それを拾い上げざま、阿邪流の蹴りを土埃を巻き上げ地をすって走った。
犬鬼にも物腰というものがあれば、それは手練れのものと見てとれる。本当ならば、そう容易くは倒せぬ相手。それが今は地に伏している。
ほっと阿邪流の口から息がもれた。
エリカと祥風。二人のホーリーとコアギュレイトの見事さよ。
聖衝に撃たれ、緊縛呪を受けた犬鬼ならば阿邪流の手の内だ。
「薬は?」
「三つ!」
阿義流の問いに、犬鬼の足を鎌鼬の如く斬撃した柚が答える。
まだ足りない。一つで何人の毒を消せるか分らぬが‥‥せめてあと五つは欲しい。
「こいつはあたいが引きうける。皆は薬を頼むのだ!」
よろめきつつ苺が立った。
一際体格のごつい犬鬼。見ていて分った、こいつが首魁だと。
「見くびって貰っちゃ困るのだ!」
●虫の音
「どちらへ?」
「はい、手桶の水を代えに」
祥風に会釈を返し、二三歩行きかけて、エリカは立ち止まった。
夏の夜。
村を吹き渡る風は涼やかで、心地よい。星も虫の声も降り注いでくるような静もる空間。
「祥風さん」
「はい?」
「私達は依頼を果たしたのでしょうか?」
問うた。
結局冒険者達が持ち帰った解毒の薬の量は多くはなかった。が、それで事足りたのである。
それは――生き残っていた村人が少なかったという皮肉な現実を意味している。あと一日早ければ‥‥それは叶わぬ流転の望みだ。
「分りません」
ややあって祥風は答えた。
どのような答えも不遜の極みになる。ただ、我等にできるのは祈りに向けて歩むことだけ。
「それでは私は」
村人の安らかな姿を見るため、夜を通して看病しよう。エリカは言った。
それが私の祈りなのだから。