●リプレイ本文
●怒りを
「嗤っていた、と言ったのだな、嬢は‥‥」
ぎりり。渡部夕凪(ea9450)は歯を噛んだ。
子供の感受性ってのは大人以上だ。ならばそうなのだろう、きっと。
だが、ゆえにこそ。
夕凪は許せない。身動ぎもせず、深く激昂する。
まだ完全に形を成さぬ瑞々しい心には、できるだけ優しいもの美しいものを刻みつけてやらねばならぬのだ。それを鬼どもは――
邪笑を映させた。
おそらく幼き心象に焼きつけられたおぞましき風景は、一生消えぬ闇淵となって残るだろう。玻璃の魂を傷つけた罪は死をもって償ってもらわねばならぬ。
が、同時に。
夕凪に油断はない。その情報から、彼女は一つの推論を導き出している。
その内容を口にすると、風守嵐が肯首した。
「当たりだ。峠を利用する者達の噂では、数匹戦い慣れた小鬼がいるらしい」
言って、すぐに彼は気遣わしげな視線を日輪稲生(eb2171)に転じた。
「許せないです、何の罪も無い人を意味も無く殺してしまうなんて」
天を目指す稲穂のように、彼女の怒りは真っ直ぐだ。悲しんでいる人の力になる。義父の教えは稲生の内で脈々と息づいているのだろう。
が、嵐の心情は複雑だ。
初めての依頼で無茶はさせたくないものの、可愛い娘には旅をさせろとも世には言う。十二という幼さであるが、何れは蝶となって羽ばたかねばならぬ稲生なのだから。
その憂愁を、気づかぬはずのないのは小野麻鳥(eb1833)である。
「他人の身の上を案ずるより、初陣、己の力で見事勝利で飾ってみせろ」
柔らかき思いやりは胸の底に。冷然たる語調である。これから芽吹く新命こそ風雨に叩かれねばならぬ。
ふむ、と嵐は合点したものである。麻鳥がいるなら稲生の身は心配いらぬと。
「そういや、奴はどうした?」
何を思い出したのか、ふっと眼をあげたのは楠井翔平(eb2896)だ。おや、と小首を傾げた北宮明月(eb1842)が問うた。
「奴?」
「そう‥‥稲生と同じように怒ってた奴がいただろう」
確かこんなふうに。
六十六部なんて大変な事を一歩ずつ積み重ねてきた人をいたぶり死なすなんて許せないのだ。小鬼の為に、独りぼっちになってしまったさきちゃんもかわいそ過ぎるのだ。せめて、仇討ちと位牌を取り戻す位はやってあげるのだ!
「ずいぶんとおちゃらけた奴が‥‥」
翔平が己のことを棚にあげた、その――
玄間北斗(eb2905)は刻を費やし、一足先に件の場所近くに辿り着いていた。道中、茶屋の婆や旅人から話を拾い集め、さきからも襲われた場所を聞き、確定した地点である。
影のように。そして朧のように。
北斗は忍びとしての体術を駆使し、叢をかき分けて進む。面は、猫の笑みだ。
おちゃらけれていると見られる要因の一つであるが、今――その眼光は鋭い。最高度に研ぎ澄まされた視覚と聴覚が小鬼の姿を求め、気配を探る。
「無理は禁物なのだ」
北斗の陸奥流はまだ手習い程度。いくら小鬼といえども鬼は鬼だ。間合いなしの陸奥流であろうと多勢に囲まれてはひとたまりもないだろう。
●心得
道中お気をつけて。
現場に行くことはできないがやれるだけやってこいよ。
染み入る祈りと励まし。
キドナス・マーガッヅとリフィーティア・レリスに見送られ、峠に向かう騎影は四つ。
大事の前に力をためておくことは必要と。そう主張した夕凪の言葉に従っての相乗りでの道行きだ。
ひたすらに高く蒼い天穹の下、一騎からしみじみとした大きな溜息がもれた。
「明月さんよ」
「なんだ?」
明月は眉根を寄せ、溜息の主――同乗者の翔平を見上げた。
「ちょっと聞きてぇんだが」
ちらり。背後の一騎を振り返る。抜き身の刃を想わせる浪人と雪色の髪の娘がともにあるものだ。
「風斬乱(ea7394)の馬に所所楽林檎(eb1555)ちゃんが乗ってるよなぁ」
「ああ、そうだな」
「ずいぶんと仲良くは見えねえか」
「うん?」
明月は振り返った。
着流し姿の乱に寄りそう林檎の姿は夫婦者と見えなくもない。仲睦まじいかと問われればそんな感じではある。狭い馬上では仕方のないことではあるのだが。
そのようだな。と、明月は屈託なく答えた。
「くぅ!」
翔平は歯噛みしたものである。
「乱の野郎、女なんぞには興味がないような面しやがって‥‥なんて助平な奴なんだ!」
怒った。
林檎にしてみれば。
乱は一番慣れている相手というだけで。また物静かな乱は接していて不快ではなく。それだけに過ぎぬが、翔平には知る術がない。それ故の地団太なのだが‥‥
林檎は形の良い眉をひそめた。
「楠井さんが何やら騒いでいらっしゃいますね」
「奴がうるさいのはいつものことだ。それより」
林檎の面を過った戸惑いに気づき、乱は頬に微かな笑みをはいた。死神が笑うのは椿事である。
「そんなに意外そうな顔をしないでくれ」
刀以外のことも多少は心得がある。面白くもなさそうに告げた乱であるが、翔平ならきっとこう突っ込んだろう。
女の心得なら大したもんだけどな、と。
「依頼場所への道中って、いつもこんなに賑やかなんですか」
眼を丸くして翔平を、そして乱を見つめているのは稲生だ。彼女の手がしっかりと掴んでいる麻鳥は、一つ溜息を落とし、
「奴等は特別だ」
「ふーん」
分ったような分らないような。とにかく答えを返し、稲生は陽の光を遮るために呪を唱えた。
熱に血が沸騰するのを防ぐ狙いもあるが――色白は七難隠すというではないか。それは女の心得なのだ。
●本堂にて
寺の境内を少女が箒で掃いている。
六部の少女、さき。世話になっているのは申し訳ないと、自ら始めた手伝いであるという。
炎天の下、流れる汗を拭いながら黙々と働く様はけなげであり憐れであり‥‥
「ああして立ち働いている方が、かえって良いのではと思いましてな」
老僧の言葉に、麻鳥は頷いた。
身体に気が吸われている間は胸の内も多少は凪ぐ。疲れて眠れば恐い夢も見なくてすむだろう。
「さだめし不審に思われるでしょうなあ」
仏徒が殺生の頼み事など。自嘲めいて笑う老僧であるが。
麻鳥は切れ長の眼をちらりと動かしたのみだ。
「いや、分らぬではない」
すう、と。持ち上げた小太刀の柄を、麻鳥は肩にトンとおいた。
「悪意持って狙った所業ならば、容赦する必要はなし。けっしてな」
静かな声音は、すでに小太刀を抜き払ったかのような凄みがある。
「爺さん」
珍しく口を開いたのは乱である。
太刀を抱き、柱に背を預けた姿は、本堂に指し込む陽の陰影に溶けて墨絵のように美しい。彼は続ける。
「仇に憎悪を沸くのは当然の権利だ。だが、その愚かさを忘れるな。愚かなる思いを忘れなければ、爺さんあんたは日向を歩ける。娘さんを救えるのはあんただ」
任せても良いのだろうな。乱の問いに、老僧はうむと肯首した。
「話しは纏まったよ」
声に、麻鳥と乱が眼をあげた。
足をかけ、夕凪がひらりと舞うように本堂に。後には林檎と稲生、北斗の姿も見えている。
「私と日輪ちゃん、林檎さんが囮役にまわるので、皆はいざって時に備えてくれるかい?」
「三人、か?」
夕凪から稲生へ。麻鳥はよく光る眼を転じた。
「貴殿は心配無用だが、稲生はものの役に立つか? 囮はいわば要。足手まといになられては困る」
ひやりする麻鳥の声音。親心はおくびにも出さない。
が、これにはさすがに春風駘蕩たる稲生も顔を強張らせた。
「あたしなら大丈夫です。立派にやり遂げてみせます!」
「そうだ」
励ますつもりか、翔平は親指を立てて見せる。誰でも最初の一歩というものはあるのだ。踏み出しさえすれば、いつかは千里を越えることも可能であろう。それより――
「俺は林檎ちゃんの方が心配だぜ。聞くところによると小鬼どもは数が多いらしいからな」
「それこそ無用の心配です」
林檎はにべもない。
「敵がいかほど多勢でも、退くわけにはまいりません」
さらり、と。言ってのける。
これぞ林檎の真骨頂。黒の修行者は困難をこそ楽土と見る。
ふふ、と明月はやわらかな笑みを零した。
この分ならば夕凪様に任せて大丈夫。術師の皆が上手く動けるように算段してくれるだろう。
「北斗様、それで小鬼どもの居場所のめどは?」
「だいたいだけど」
つきとめたのだ!
ニンマリする北斗は、猫科の肉食獣を想わせた。
●美六部
峠までの街道。旅人は皆、足をとめほっと溜息をもらす。
無理もない。
彼等が擦れちがったのは、めったに目にすることもないほどの三人の美女。一人は褐色の肌の巫女装束の少女。一人は白百合の化身の如き僧形の娘。そしてもう一人は。年嵩であるのだが、それがなおさら匂い立つ色香のある――本人は呆れるほど自身の魅力には気づいていないのだが――羽織をはおった女だ。
いうまでもなく稲生、林檎、夕凪の三人である。
「林檎さん、どうだい?」
懐に短刀と縄ひょうを忍ばせた夕凪が問うた。いいえ、と頭を振る林檎の身は夜の色に包まれている。
「まだ小鬼の命の揺らぎはつかめません」
「そう‥‥そろそろ峠だ。気を引き締めとくれよ」
「はい」
やや青ざめた顔を頷かせた稲生であるが、あっと小さく声をあげると草薮めがけて小走りに。
なんだと不審げな夕凪と林檎は、稲生の手元の地を這う蝮を見とめた。
「おいで、そしてあたしに力を貸して」
差し伸べた稲生の手を伝い、するすると蝮は這い上っていった。
峠の朽ちた樹の株に腰を下ろして汗を拭う三人の美女。蝉しぐれの降るその風景は、あまりにも長閑だ。
が、美女――夕凪、林檎、稲生の頬は青白く。ただ迫るその時に備えて、身をかたく尖らせていく。
それは他の者も同じで。
気づかれる危険をさけて、彼等は離れた位置で待機していた。そこは囮の三人の姿を視認できぬ場所。じりじりと足元を灼かれる焦燥に、翔平は舌打ちの音を響かせた。
「ええい、いらつくぜえ。林檎ちゃん、大丈夫なんだろうな」
愛するものは愛すると。心配なものは心配と。翔平はいつも魂に忠実である。
その意味では乱も正直であるのかも知れぬ。彼の場合、己の心の下においた刃にで、あるが。
乱はただ待っている。囮が小鬼を誘き出してくるのを。
その刻の一点に向けて、彼は心気を刃の先端のように研ぎ澄ませていく。
勝負は一瞬だ。一刹那あれば事足りる。
ぴくり。乱は微かに身動ぎした。
光流の尾をひいて。
夕凪は短刀を抜き払った。稲生と林檎を庇うように立つ彼女の前に群がるのは化生のもの――小鬼だ。
「まんまと引っかかってくれたみたいだね。退くよ」
「はい」
夕凪に促されて、稲生はつつと後退する。
胸の震えはひしと抱き隠し、ひたと見据えて。鬼から、恐怖から。決して眼はそらさない。
グキ゜ィ!
どれほど後退した頃だろうか。小鬼の一匹が苦鳴をあげた。
転げまわる鬼の足首に食らいついているのは――おお、稲生の操りし蝮だ!
「今だ!」
夕凪の叫びにうたれたように林檎と稲生が振り向き、駆け出した。なんでそれを見逃そう。ざざっと鬼どもが流れ、二人の後を追う。
「させるか!」
夕凪の手から唸りをあげて疾った縄ひょうが空を裂いた。たまらず鬼がたたらを踏む。
するするとその前にまわりこんだ夕凪の右手から鮮血が散りしぶいた。
鬼の血をひいたもの。それは夕凪の短刀である。
鞘の内にこそ真底のある夢想流といえども、夕凪の腕ならば十分に威を発する。ましてや相手は小鬼である。
が――数が多過ぎた。それに位牌のこともある。迂闊に攻められぬ枷が夕凪を縛り、次第に動きの精彩さをぼやかしていく。
刹那、林檎を追う小鬼の足が凍結し、他の鬼どもを巻き込んで炎風が吹いた。
「夕凪様、遠慮はいりませんよ」
影縛の術師、明月の声がとんだ。同時に牽制の火遁の術を発動させた北斗の叫びも。
「明月さんがムーンアローで確かめてくれたのだ。こいつらは位牌をもってないのだ!」
ああ、ならば。
明月はその為に、我と我が身に呪矢を撃ちこんだということか。
夕凪は胸の内で手を合わせた。
と――
彼女の眼前で火花が散った。
他の鬼より一際鋭く繰り出された一撃であるが。すっとのびた刃がそれをはじいたのだ。のみならず、鬼の刃は氷片の如く折れとんでいる。
「汚ねェ手で、指一本触れるんじゃねェ!」
ニヤリとすると、翔平は飛び退りかけた小鬼を一気に斬りさげた。
そして――
もう一人の剣鬼は凄愴の気を陽炎の如く立ちのぼらせて。
「小鬼よ」
つう。乱が足を踏み出した。
ここより先には行かせはしない。歩みは覚悟の本流だ。
たった一振りの刃に恐れたわけではなかろうが。潮がひくように小鬼が、退く。
そして一匹、一匹と。
地を割る溶岩流が屠り、漆黒の衝撃が撃つ。
紅と黒。麻鳥と林檎。在る理は違えど、彼等が描くのは、さながら地獄絵図だ。
「なぁ、恐怖の二文字を知っているか?」
知らぬだろうな。
間合いを詰めるかのように。乱はさらにつつうと地をすべる。そして、言う。ならば、と。
「恐怖を教えてやるよ」
乱の腰から白光が噴いた。大気に亀裂を刻んで疾るそれは、小鬼の霊肉ともに恐怖の二文字を深くえぐりこむ。
さあ、散ってゆけ。お前の死はこの俺だ。
死神は嗤った。
●祈り
一匹の小鬼を逃し、棲家を突きとめ位牌を取り戻す。北斗がいたからこそ成し得た方策である。
多少の自負をもって、北斗は井戸端で手裏剣の血糊を洗い流していた。
――「急々如律令」
呪を唱えつつ、麻鳥は位牌を撫で、穢れを川へ流した。
さきにとっては魂の拠り所。一切不浄を払い、せめてさきを見守っていてほしい。
麻鳥の行った撫物を思い出し、北斗は本堂に翳りをおびた視線を投げた。
「さきちゃん」
翔平は少女に数珠を手渡した。すでに老僧にはさきの身の振り方は託してある。あとは幼き心を抱きしめるだけだ。
「爺さんを供養してやらないとな」
「‥‥」
さきは無言のまま数珠を握った。何たるかの意味は知るはずもなく。ただ翔平の優しき声に導かれ――
ゆるりとのびた手が、さきの頭におかれた。
「「譲ちゃん、小鬼を憎むか?」
乱が問うた。その面には微かな微笑み。母の手をひく、それは無垢で懸命な童の笑顔に似ている。
乱の願いは一つだ。
首を横に振ってほしい。
それが少女の煌く明日を形作るのだ。修羅をゆくのは、ただその日を夢見ているからに他ならぬ。
が、少女の応えはない。
その前に差し出されたのは、さきの母親の位牌である。
「江戸に出てきたばかりで、まだ誰も友達が居ないのです‥‥だから友達になってくれないですか?」
探るように、畏怖するかのように。稲生が申し出た。さきをこのままにしては初陣の最後は飾れない。
不思議そうに稲生を見上げていたさきの手が――ややあっておずおずとのばされて。
位牌を、稲生の手をとった。
二つの温もりが重なり合った瞬間。それは同時に冒険者の祈りが叶えられた瞬間でもあった。