【鬼の腕】鉄鼠
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■ショートシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:11〜lv
難易度:やや難
成功報酬:7 G 30 C
参加人数:8人
サポート参加人数:6人
冒険期間:11月07日〜11月12日
リプレイ公開日:2007年11月16日
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●オープニング
●
棒が唸り――血飛沫とともに、棒が折れ飛んだ。
直径三丈を超える棒だ。そう簡単に折れるものではない。
「代わりの棒を」
命じると、端正ともいえる顔立ちの男は、氷の光を浮かべた眼を鎖に繋がれたモノに向けた。
鎖に繋がれたモノ――それは老婆だ。ざんばらの白髪を垂らし、皺深い顔は血にまみれている。
「吐け。未だに鬼どもが京洛をうろついている。目的は何だ?」
「ぐぎぎ」
老婆がニンマリと笑い――唇の間から獣のものに似た牙が覗いた。
●
「鉄鼠」
知っているか、と問うたのは新撰組副長・土方歳三である。
「知りませんな」
答えたのは新撰組十一番隊組長・平手造酒である。
「何です、その鉄鼠ってのは」
「妖さ。半人半鼠のな」
土方が答えた。
鉄鼠。伝承によれば、三井寺の頼豪阿闍梨が比叡山延暦寺の横暴に憤死し、その恨みから大鼠と化したものだという。
「憤死で妖ねえ」
人が妖になる。いったいどれほどの恨みがあれば、人が妖怪へと変じるというのだろう。
「いってえ、その頼豪って坊さんに何があったんてっです?」
「俺も良くは知らねえ。何でも延暦寺がからんでるって事だが」
「延暦寺ねえ」
平手が呟いた。
鉄の御所と同じ山に建つ延暦寺。最近、酒呑童子の活性化で何かと困っていると聞くが、よほど酒呑童子と延暦寺は縁があるのだろう。
「どうやら哀しい妖らしいですな」
「同情かい? おめえらしくもねえな」
皮肉に笑う土方に、平手は苦く笑ってみせて、
「で、その鉄鼠がどうしたってんです?」
と、問うた。すると土方も笑いをおさめて、
「鬼どもが探しているのさ」
「鬼ども? ははあ」
平手が頷いた。
先日冒険者によって捕らえられた山姥。その山姥を数日にわたって土方が責めていたが、どうやら鉄鼠とやらの事はその山姥から得た情報であるらしい。
「それで、鬼どもは何故鉄鼠って妖を探してるんです?」
「鬼の腕をつける為だ」
「はぁ」
平手は太い溜息を零した。
ここ一月ほど、新撰組は鬼どもから高僧を守る為に奔走していた。その騒ぎも、ここに至りようやくおさまりかけているのだ。それなのに、またぞろ鬼の腕である。どうやら十一番隊はよほど鬼の腕とは因縁があるらしい。
しかし――
わからぬ。鬼の腕と鉄鼠がどうつながるのか。
その平手の疑念を土方は読み取ったのか、ニッと笑った見せた。
「鉄鼠は坊主の妖怪だぜ」
●
「‥‥鉄鼠はどうなっておる」
問うたのは異様な姿の妖で。様々な動物を組み合わせたような奇怪な姿態をしている。――先代酒呑童子の盟友、月王である。
「はい。この者が今」
答えたのは、触れば吸い付きそうな艶やかな肌の持ち主の娘で。娘は、ちらりと控えている一匹の鬼を見遣った。
「石熊童子」
娘が呼んだ。
その熊鬼は、通常のそれよりは二周りは大きい体躯の持ち主であった。おまけにその身ごなし。熊鬼に良く見られる粗野な部分が少なく、しなやかさが感じられる。かなりの手連れと知れた。
月王もまた硬質の光をやどした眼を石熊童子にむけた。
「大口を叩いておった羅刹童子がしくじりおった。うぬに任せて大丈夫であろうな」
「オ任セヲ」
石熊童子がニヤリとした。
「我ハ、羅刹ノヨウニ弱クハアリマセヌ」
●リプレイ本文
●光、講義す
まるで女と見紛うばかりに美しい若者が、その場にいた全員を見渡した。
酒をあおっている飄然たる男、仮面めいた表情を欠いた面の娘、月の女神の如く艶麗な娘、腕白小僧のように琥珀色の瞳を煌かせている若者、美しさと不敵さを同居させた奇妙な娘、西洋彫刻の像のように端正な顔立ちの娘、そして小面と華国風の衣を纏った男、触れれば壊れそうな可憐な少女、狼の眼をもった寡黙な男――合わせて十名。鉄鼠探索の為に集まった新撰組十一番隊隊士と冒険者の面々である。
名を順に、
沖田光(ea0029)、
将門司(eb3393)、
カノン・リュフトヒェン(ea9689)、
シオン・アークライト(eb0882)、
朱鳳陽平(eb1624)、
所所楽柊(eb2919)、
ネフィリム・フィルス(eb3503)
宿奈芳純(eb5475)
所所楽柚(eb2886)
静守宗風(eb2585)、という。
「‥‥では始めましょう」
と云って、光が話し始めた。内容は鉄鼠についての事だ。
「鉄鼠とは、元は人であった妖と云われています」
「人?」
と、問い返したのはカノンだ。彼女は氷の冷たさを秘めた眼を眇めて、
「馬鹿な」
と云った。人が魔物になるなど聞いた事もない。
「ところが、あながち作り話でもないようなのですよ」
と云って光が優しげに微笑った。そして次に彼が説明した内容はこうだ。
昔、園城寺に阿闍利頼豪という高僧がいた。が、ある時頼豪は延暦寺に裏切られ、その恨みのあまり憤死したという。
「どのような裏切りにあったかは、今となっては闇の中ですが。しかし、約束を破られた頼豪は激怒し、その後百日間髪も爪も切らずに延暦寺も呪い続けたといいますから、よほどの事だったのでしょう」
「凄まじいものですね、人の執念というものは」
芳純が溜息を零した。怨嗟が人を妖へと変えた。その事実に、この世の黄昏を見つめる陰陽師たる芳純も戦慄を禁じざるを得ない。
が、陽平は違う。こいつはいつでも前向きだ。
「だからこそ、可能性があるぜ」
陽平が云った。説得についての事だ。
「人の為に憤怒し妖に成ったのなら、人を想う気持ちも強い筈だ」
「とは云ってもだな〜」
柊がぽりぽりと頬を掻く。
「元は人でも、人を恨み人で在るを脱した者だ〜。人鬼どちらに与するか、どう振舞うか読むのは誰にもわからんだろ」
「うるせえな」
陽平が柊を睨みつけた。
「人はどんなに変わっても、やっぱり人の誇りは消えねぇよ」
「相変わらず、キミは目出度いな〜」
「てめえ、やるか」
「俺はいいぜ〜」
ポキポキと柊が指を鳴らした。その時だ。
「馬鹿野郎!」
怒鳴り声が響いた。
平手造酒である。彼は刀の鞘で陽平と柊の頭をゴンッと叩いた。
「遊びに来てやがんのか」
「まあ、ええんやない」
ふふんと笑い、司が平手の徳利をあおった。柊と陽平のじゃれあいは何時もの事だからだ。それよりも――
「で、何かわかった事でもあるん?」
と、司は平手に問うた。
「俺は謹慎中だぜ。そう何でもわかりゃあしねえよ。ただな、探索方が怪しい女がうろついてるって云ってたぜ」
「ひとつ」
ネフィリムが猫族のものにも似た金茶の瞳をあげた。
「生前は兎も角、妖怪化した現在は白じゃない気がする。寧ろ黒だろ〜。その辺はどうなんだ?」
「それは考えられますね」
光は頷いた。考えてみれば、妖が癒しの白の呪法を使えるとは考えにくい。
「しかし白の呪法を使えないという保障もありませんね」
云って、光は再び全員を見渡した。
「鉄鼠は鉄の牙に石の身体をもっているとされています。それと多くの化け鼠を引き連れているとも。その辺りも気をつけないと、窮鼠猫を噛む事になるかも知れません」
「では、わたくしが」
柚が声をあげた。冒険者達が視線を転じ、柚の頬に紅が散る。元来、柚――シオンが舌なめずりしていて見遣っていた事は秘密だ――は目立つ事は苦手な娘であった。それでも懸命な仕草で柚はフォーノリッヂを試みる。
「あっ」
柚の口から悲鳴に似た声がもれた。彼女の脳裏には灰色の毛並みをもった熊鬼の姿が浮かび上がっている。
「鬼が来ます」
柚は告げた。さらには柚は太陽は鉄鼠を知らないとも告げた。
すると芳純が懐から紙片を取り出し、広げて置いた。それをネフィリムが覗き込み、
「何だ、そりゃあ?」
「洛中洛外図です」
答えると、次に芳純は円錐状の振り子を取り出した。そして鉄鼠と唱えつつ、芳純は振り子を地図の上へと――
と、ある一点で振り子が大きく円を描いて回り始めた。
「面白そうな道具ね」
同じく地図を覗き込んでいたシオンの口辺に妖しい微笑が刻まれた。
「で、その辺りに鉄鼠がいるの?」
「そうとは限りません」
芳純が答えた。女面がちらりと上がる。その動かぬ口の向こうで唇が動き、
「だうじんぐぺんでゅらむはあくまで占いの道具ですから」
「当たるも当たらぬも八卦か〜」
柊がくくっと笑った。
●新撰組出張所
その夜の事だ。将門夕凪から利用申請を受けた新撰組出張所に光、カノン、司、芳純、さらには日程制限の為に比叡山には向かえなかった眞薙京一朗、宗風、柚、将門雅、夕凪、パラーリア・ゲラーの十人の冒険者が顔を揃えた。
「これで全員揃ったのか」
と、京一朗が問うた。平手に十一番隊入隊を請われるほど才知に優れたこの男は、視線を油断なく走らせ――頷いたのは夕凪だ。
「シオン様と朱鳳様は三井寺に、所所楽様とネフィリム様は延暦寺に向かわれております」
「共に近江か」
宗風が呟いた。近江ならば、現地での調査時間も含めて、早くても往復に三日はかかる。
「せやったら、まずこっちの足固めやな」
云って、司が妹の雅に眼を向けた。すると雅はうんと頷き、
「食べ物を扱う店を調べてみたんやけど、どうも都中がやられてるようやわ」
「それは俺らも同じや」
司の目配せに夕凪がこくと頷き、そしてカノンもまた頷いた。彼ら三人もまた料理屋関連から鉄鼠の居所の手掛かりを追っていたのだが、鼠の被害にあった米の蔵等は都中に散らばっており、そこから鉄鼠の居所を特定する事はかなわなかった。
「汚名返上といきたかったのだがな」
カノンの眼にわずかに苛立ちの色が過ぎった。冷徹な彼女にしては珍しい――いや、それはカノンを良く知らぬ者の台詞である。冷徹の内に焔の情熱抱く。それがカノンだ。
「がっかりしないで」
ゲラーがカノンを励ました。愛くるしい鳶色の瞳をくるくる動かして、
「あたしも化け鼠の被害を調べてみたんだけど、多くありすぎて良くわからなかったよ」
「廃寺の特定も無理でした」
とは芳純の言。口調は悔しげだが、面の内の表情は読み取れない。何を考えているわからない不気味さのようなものが、どこか芳純にはあった。
それに比べ、光は朗らかだ。何の屈託もない、春の日差しのような眩しさが彼にはあった。
光は微笑い、
「僕も特定は無理でした。鼠の数の増減について調べてみたのですが、一定の動きはみられなかったですね」
「となると、厄介やな」
夕凪の手をぎっと握り、司は眼をあげた。
「朱鳳はんらが情報を手に入れてきてくれる事を期待するしかないな」
●延暦寺
「目立つよな〜」
延暦寺門前で落ち合った瞬間、柊がごちた。ネフィリムに対してである。
鷹の意匠の純白の鎧に真紅のサーコートを翻したその姿。豪快ともいえるネフィリムの美しさとあいまって、それは十分すぎるほど人目をひいた。町娘風に扮した柊とは対照的である。
「そうかい」
「そうかいじゃねえだろ」
柊は溜息を零した。するとたわわな胸を揺すってネフィリムは笑い、
「で、そっちはどうだった?」
「駄目だな〜」
柊はかぶりを振った。
「この辺りで鼠の被害はないようだ〜。で。キミの方は?」
「こっちもご同様さ。どうやら延暦寺はその事には触れられたくないようだね。詫び状ももらえなかったし。ただ――」
「ただ?」
「ああ。僧の一人を脅して聞いてみたんだが、どうやら昔、鉄鼠は延暦寺を襲った事があるらしい」
「延暦寺を?」
「ああ。化け鼠を引きつれ、延暦寺秘蔵の経典の数々を食い破っていったってことだ」
「本当か〜」
柊が疑問を口にすると、ネフィリムは顎をしゃくって見せた。そして先に歩き出す。やがて、一つの祠の前でネフィリムは足をとめた。
「猫の宮というそうだ」
「猫の‥‥宮?」
「ああ。半人半鼠と化した頼豪に対する為に、その昔僧が大猫を呼び出したんだと。その猫を祀った祠だそうだ」
「ふーん」
柊が唸った。どうやら頼豪と延暦寺の因縁話は本当のようである。
その時、ネフィリムはくるりと背を返し、彼方を指差した。
「それからさ‥‥猫の宮は三井寺の方を向いて建っているそうだよ」
●三井寺
新撰組の名は、この近江でもけっこう効くようで。
ややしぶっていた真観と名乗った三井寺の僧であるが、新撰組の名を聞いたとたん不承不承ながらも陽平とシオンを一つの祠の前に案内した。
「鼠の宮です」
「鼠?」
問い返すシオンに、真観は小さく頷いて見せた。
「頼豪様の霊を祀った祠です」
「となれば、鉄鼠の事も知ってるってことだな」
陽平は勢い込むと、
「教えてくれ。頼豪の事を」
「と云われても、何分昔の事ですのでね」
「じゃあ、頼豪様が良く行った場所とかはわからない?」
今度はシオンが問うた。すると真観はかぶりを振ったのみで。ただ、ぼそりと呟くように、
「これはご存知でおられると思いますが、頼豪様は京の実相院に住しておられました。そちらでもお聞きになった方が宜しいのでは?」
「何っ!?」
陽平とシオンははじかれたような顔を見合わせた。実相院は確かダウジングペンデュラムの結果に含まれていたはずだったからである。
「急いで帰るぜ、シオン」
陽平は背を返した。
●鉄鼠
実相院。京の岩倉にあり、門跡寺院の一つである。
その実相院の境内の奥に、めったに戸が開かれる事の無い宝物庫があった。
時は丑の刻だろうか。夜の闇に沈むその宝物庫の中に気配がわいた。
尋常の気配ではない。獣気と妖気がないまぜになった不気味な気配だ。
「頼豪さんですね」
声がした。光のものだ。
すると気配の主が振り返った。僧衣をまとった人とも鼠ともつかぬ妖。鉄鼠である。
「その名を聞くのは久しぶりじゃの」
「お話ができるようですね」
云って、光は足元に酒をおいた。頼豪が酒好きであった事は陽平が聞きだしてきていたのだ。
すると鉄鼠はけひけひと笑い、
「どうやら儂を殺しに来たのではないようじゃの」
「頼みたい事があってきたんだ」
鬼除けの呪いとなるハグストーンを柱にかけながらネフィリムが云った。そして此度の件の全容を口にする。
「はっきり云うわ」
司が口を開いた。そして、あんさんの力を酒呑童子に使われると困るんやわ、と続けた。
「あんさんが生き返ったんは酒呑童子の為ならしゃあないんやけど、そうやないんやったら協力してくれへんか?」
「駄目じゃと云うたら」
鉄鼠が云うと、シオンが野太刀の柄に手をそっと添えた。その身からすうと漂い出たのは冷気にも似た殺気だ。
すると鉄鼠の眼から赤光が放たれた。
「こ、これは!」
呻く声は表に待機していた芳純の口からもれた。呪眼と変じている彼の眼は、この時闇の地を駆けて集まって来つつある多くの小さな影を捉えている。
「化け鼠!」
「待て!」
陽平の手が、野太刀の柄にかかったシオンのそれをおさえた。
「あんたも待ってくれ」
陽平の眼が鉄鼠のそれを射抜くように見た。
「延暦寺に対してはまだ腹立ちは癒えてねえとは思う。が、待ってくれ」
「延暦寺か‥‥」
鉄鼠の顔がさらに細く吊りあがっていく。ガチガチとかみ合わされた牙が鋼と鋼のあい打つ音を響かせた。
「彼奴らへの恨みの為に儂はこのように成り果てた。正直云うて、今は恨みがあるのかどうかさえ良くわからぬ。が、一度化生と化したこの身は元には戻らぬ。全ては延暦寺のせいじゃ」
「延暦寺なんかどうでもいい!」
陽平が叫んだ。はっと鉄鼠が眼を見張る。
「どうでもいい、だと?」
「そうだ。俺は延暦寺なんぞ滅びようがどうなろうがどうでもいいんだよ。しかしな、酒呑童子の腕がくっつきゃ、またぞろ鬼どもが都を襲う。そうなりゃ泣く者が出るんだ。俺は、ただそれが我慢ならねえんだよ」
陽平が云った。その時だ。心中に叫びに近い声が響いた。鬼の来襲を告げる芳純のテレパシーだ。
一息、二息――
爆発のような轟音が響き、実相院の門扉がぶち破られた。もうもうと立ち込める土塵の中、ぬうと立つのは斧を背負った巨大な熊鬼――石熊童子だ。
「鉄鼠ヲ寄越セ」
「馬鹿野郎〜」
柊が構えた。右手に小太刀、左手に十手。月下に佇む――それは白鷺にも似た華麗な姿だ。
陽平はさっと鉄鼠の前に立ちふさがった。
「貴様、何を――」
「へっ」
陽平が鉄鼠に微笑いかけた。それは彼独特の悪戯っ子のような笑みで。
「妖になったって、人に対してまだ怒ってんなら、まだ人を捨ててねぇってことだ! 人を守るのは俺の‥十一番隊の役目だぜ!」
「わ、儂が人!?」
「そうよ。姿がとうであろうと、心を失っていない限り、あなたは人よ!」
シオンもまた叫ぶ。
「何っ!」
鉄鼠が右を向き――
光が、司が頷いた。
次に鉄鼠は左を向き――
柊が、ネフィリムが頷いた。
「はッ」
その瞬間、ぎらとカノンの眼が光った。彼女の閃かせた刃からしぶく旋風は、唸りをあげて石熊童子を襲い――が、石熊童子の体毛が数本飛び散ったのみだ。
「グフフ。効カヌ」
「これならどうや」
シャアッ、と。毒蛇の牙が閃くように司が襲った。
間合い無用の陸奥流の一撃だ。並みの熊鬼なら到底かわせそうもないはずのそれを、しかし石熊童子は斧で受け止めた。
「遅イ」
「ってのは、あんたのことだ!」
ネフィリムの雄叫びは空から降った。続けて空間すらひしゃげそうなほど重い斧の一撃が。
豪!
雷鳴にも似た轟音が同心円状に広がり、辺りの空間を震わせた。ネフィリムの金時の鉞が石熊童子の頭蓋を撃った衝撃である。
が――
石熊童子は平然としている。見たところ損傷は軽傷程度。恐るべき肉体の強靭さであった。
その時だ。冒険者達は息をのんだ。彼らの眼は、この時化け鼠達が一斉に石熊童子に襲いかかる様を見出している。
「鬼は臭そうとかなわぬ。去ね」
鉄鼠が牙を剥き出した。すると――
「石熊童子、ここまでだよ」
空から声がした。はっと見上げた冒険者達の眼前、空中に一人の女が舞っている。妖狐だ。
「冒険者と鉄鼠を敵にまわしちゃ厄介だ。退くんだよ」
妖狐が叫んだ。
石熊童子が去り、再び静けさが降り始めた実相院の境内。ふと気づけば、そこに鉄鼠の姿はなく――
「‥‥鉄鼠はわかってくれたのでしょうか」
芳純が問うた。すると光が大きく頷いた。
彼は気づいている。自分の用意した酒がなくなっている事に。
あの酒は鉄鼠の哀しみを少しでも癒してくれるのだろうか。
光は、ふとそう思った。