【夜叉】さやか

■ショートシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:12 G 67 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:12月16日〜12月25日

リプレイ公開日:2007年12月25日

●オープニング


 夜の底を駆ける者があった。
 娘だ。
 年の頃なら十七、八。胸元がはだけ、着物の裾も乱れている。そして、その美しい顔には恐怖が色濃く滲み――
 その娘を追う者があった。
 こちらは男だ。数は三。身形からして野武士のようであった。
「へっへへ。逃がしゃしねえぜ」
 男の一人が喚いた。その声に押されるように、さらに娘は足を速めた。が――
 娘の足がもつれた。よろけるようにして地に転ぶ。
 慌てて娘は立ち上がろうとし――着物の裾がむんずと踏まれた。
「逃がしゃしねえって云っただろ」
 にゅっと、男の一人が顔を突き出し、娘を見下ろした。眼には血筋がからみつき、口からは涎を滴らせている。獣の面つきであった。
「た、助けて」
 涙を零しながら娘が哀願した。が、男達はにいっと口の端を吊りあげたのみで。いや――
 娘の涙は、かえって男達の嗜虐心を刺激したようで。げらげら笑いながら、男は娘の腹を蹴った。
「助けて、だと。馬鹿が。誰も助けてなんかくれるもんか」
「そうだ」
 別の男が娘の顔を平手で張った。娘の鼻腔からとろりと血が溢れ出す。それが可笑しいと、さらにその男は嘲笑い、
「せいぜい大声で泣き喚いてみるんだな」
「おい」
 三人目の男が眼で合図した。
「そろそろやろうぜ。おめえらは手足をおさえな」
 云って、三人目の男が娘にのしかかっていった。
「や、やめて!」
「やめて〜、か」
 三人目の男がニンマリした。獣欲に爛れた笑みだ。
「いい声でなきやがる」
 云って、男が娘の胸元に手をかけ、一気にはだけた。夜目にも白い乳房がこぼれる。
 その時だ。
 どん、と蹴られ、三人目の男が転がった。
「なっ!?」
 娘の手足をおさえていた二人の男達の口から愕然たる呻きがもれた。その時に至り、ようやく二人の男達は三人目の男を蹴った者がいる事に気がついたのである。
 男が、いた。
 巨漢だ。むっと熱気がもれるほどの肉圧を有した肉体の持ち主。それが、うっそりと闇に佇んでいる。
「な、何だ、てめえ」
「虎魔慶牙(ea7767)っていうんだよ」
 男――慶牙が答えた。
「おめえら、その娘から離れな」
「何だと!」
 二人の男が立ち上がった。いや、三人目の男も。そして一斉に抜刀した。
「邪魔しやがるんなら、殺すぞ」
「いかんなぁ」
 慶牙がぼりぼりと首筋を掻いた。
「そんなモン出されちゃあ、手加減できなくなっちまうじゃねえか」
「何!」
 慶牙の言葉に触発されたかのように、男の一人が踏み込んできた。かなり、迅い。なかなか戦い慣れした斬撃である。
 が、ひょいと慶牙は刃をかわした。傍目には紙一重に見えるが、それは余裕の動きである。最小の動きによる最大の効果。それこそが幾多の戦場をくぐりぬけてきた修羅の身ごなしだ。
 慶牙の腰から白光が噴いた。次の瞬間、空間が朱に染まった。斬りかかってきた男の背が割れ、そこからしぶく鮮血が空間を真紅に染めたのだ。
「さあて」
 半顔を血に濡らし、慶牙がニヤリと笑った。
「死合おうじゃねえか」


 ――そうであったかよ。
 薄蒼い冬空を眺めながら、慶牙は呟いた。
 昨日から、彼の脳裏に一人の少女の面影がよぎっている。
 さやか。夜叉という名の暗殺集団に属していた少女だ。
 その夜叉と、以前慶牙は戦った事があった。
 結果、夜叉は壊滅。夜叉四人の内、三人の少年が死に、一人生き残ったさやかと呼ばれた少女は行方をくらませた。
 そのさやかという少女の面影が、しきりと昨夜から慶牙の脳裏に明滅している。冬空を眺めながら、ずっと慶牙はその理由を考えていたのだが、先ほどようやく思い至った。さやかという少女の事をふいに思い出したその理由を。
 眼。
 そう、眼だ。
 昨夜助けた娘。その哀しみを秘めた瞳が、どこかさやかに似ているのである。
 ――それで思い出したかよ。
 ふふん、と。慶牙の口辺に野太い笑みが浮かんだ。
 彼の手に――いや身体に夜叉の一人であった少年の刃を受けた衝撃が残っている。
 少年の名は、確かながと。若年とは思えぬ手練れであった。
 ――なかなかに面白い相手だった。また、あんな面白い喧嘩がしたいもんだねぇ。
 そう思うと、慶牙は立ち上がっていた。さやかの事がひどく気になっていた。
 ――あのようなガキどもだけで暗殺者なんぞやってられるわけがねえ。きっと黒幕がいるはずだ。
 慶牙は思った。そして、その黒幕がさやかを放っておくはずがない、とも。
「‥‥海、か」
 慶牙の口から呟きがもれた。
 彼は覚えている。ながという少年が、さやかに海を見にいけと云っていた事を。
 冒険者ギルドにむかって、慶牙は足を踏み出した。


 蝋燭の炎が揺れている。
 墨を流したような闇の中、浮かび上がるのは一人の老人の顔だ。眼窩の落ち窪んだそれは、まるで物の怪を思わせた。
「小鬼」
 老人の口が開いた。
 その瞬間、老人の前に気配がわいた。何時の間に控えていたのか、そこに三人の少女の姿があった。
「翁様」
 一人の少女が口を開いた。
「餓狼から知らせが」
「依頼を受けるって云ってたよ」
 別の少女が云うと、翁と呼ばれた老人が頷いた。
「そうか」
「翁様」
 三人目の少女が口を開いた。
「さやかを斃すのが、どうしてわたしたちじゃ駄目なの?」
 問うた。すると老人は眼を光らせ、
「はぐれ狼を狩るのに、お前達が動くまでもあるまい。狼は狼に狩らせればよい」
 云った。そしてくつくつと陰惨に嗤った。


 吹き荒ぶ疾風に、波頭が白く砕けた。
 びょう、と響くその風音は、まるで鬼が哭くようだ。
 その轟きの中、少女は身を丸めていた。凍える寒さと孤独からから身を守るように、ただ小さく‥‥

●今回の参加者

 ea2473 刀根 要(43歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea4734 西園寺 更紗(29歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea5601 城戸 烽火(30歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6130 渡部 不知火(42歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea7767 虎魔 慶牙(30歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 eb0712 陸堂 明士郎(37歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb0833 黒崎 流(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb5249 磯城弥 魁厳(32歳・♂・忍者・河童・ジャパン)

●サポート参加者

八城 兵衛(eb2196)/ 城山 瑚月(eb3736)/ 桐乃森 心(eb3897

●リプレイ本文

●想い
「すまねえな」
 冒険者ギルドの上がり框に腰掛けた、岩を切り出したようなごつい体格の男がぎらりと眼をあげた。
 虎魔慶牙(ea7767)。冒険者であり、此度は依頼主でもある。
「俺の我侭に付き合わせちまって」
「いや」
 答えたのは七人の冒険者の内の一人、天翔ける狼の如き印象の男で。名を陸堂明士郎(eb0712)といい、誠刻の武なる集団の主席でもあった。
「自分と慶牙殿との仲だ。気にするな」
「私の友も同じ事を云っていた」
 すらりとした立ち居姿の男が口を開いた。
「おめえさんは?」
「刀根要(ea2473)という」
 慶牙の問いに名乗り、要はある冒険者の名を告げた。それは以前に慶牙と共に暗殺集団夜叉と戦った冒険者の名であった。
「虎魔という奴は俺と同じでさやかを守り抜くだろう。奴を手伝い、さやかを救え。――あいつの言葉です」
「ふっ」
 微かに微笑った。それは胸元から豊満な乳房を半ばまで覗かせた娘で。が、彫刻めいた端正な顔には凛とした気品のようなものを漂わせている。
 西園寺更紗(ea4734)。彼女の脳裏には、要のいう冒険者の面影が過ぎっている。
「せやけど」
 更紗は微笑みを消した。
「見つかるやろか?」
「見つけださないとな」
 口を開いたのは、どこか飄然とした掴みどころのない男だ。
 名は黒崎流(eb0833)。二天一流を操る渡世人である。
 流はちらと更紗を見遣ると、
「先程虎魔殿から詳しい話を聞いたが、確かにさやかという娘の身が心配だ。黒幕が逃げた配下を放っておくはずがないからな」
 云った。
 と――
 その流に、桐乃森心が一枚の書状を手渡した。
「何じゃ、それは?」
 異様な風体の男が問うた。
 頭に皿をいただき、嘴に似た口を持つその男――河童である。磯城弥魁厳(eb5249)という名である彼は異形の民であるが、優れた忍びとして知られる彼を見て驚く冒険者はいない。
 心も同様で、白隠禅師にあてた書状ですと答えた。
「冒険者、巫女忍者坊主の主、黒崎流がこの娘の身元を保障するという旨をしたためてあります」
「用意が良いですね」
 感心したように城戸烽火(ea5601)が微笑った。そして不気味に飾り付けられた眼帯をつけた。
 それは、いわば点火装置のようなものだ。烽火自身の胸の内に戦いの炎を燃やす為の。
 烽火は闇霞なる忍軍に属する忍びであった。故に、わかるのだ。組織を抜けた者に対する追跡の熾烈さが。
「では」
 烽火の身から白煙がわいた。ややあって白煙が薄れた時、そこには烽火の姿はなく、憂いを含んだ瞳の美少女が立っていた。
「これがさやかです」
 烽火の声で、さやかは云った。

「法眼殿を探すのですね」
 城山瑚月の問いに、渡部不知火(ea6130)は頷いた。鬼一法眼が噂通りの人物ならば、夜叉の生き残りを預けるのにうってつけではあるまいか。
「それにしても」
 不知火は己の腹に手をあてた。そこに今も残る衝撃は、さやかの刃を受けた時のものだ。誰あろう、さやかと直接剣を交えたのは不知火であったのだ。
「選ぶ未来があるか‥そう問われたわねえ、そういえば」
 不知火が呟いた。彼の脳裏に、さやかが逃げ去った際にある冒険者が問いかけた言葉が蘇った。
 ――殺ししか能のないあの少女に、選択できる未来があると本当に思っているのですか?
 そう、その冒険者は問うた。それに対する明白は答えはない。が――
「あの子は逃げた。小さいけれど其れは分岐点じゃなぁい? 先に続く道を変える重要な」
 ばさり。不知火は懐手を解いた。そして向かい風に足を踏み出した。
「犯した罪は罪、無かった事には出来ん。その為にも‥死なせる訳にはいかねえんだ」

●誓い
 八城兵衛が見送る先、八人の冒険者は江戸を発ち、東海道を西に上った。そして駿河直前で、彼らは立ち止まった。
「確か、この辺りだったな」
 慶牙が周囲を見回した。
 夜叉との戦い。その決戦の地がここであった。
「らしいわね」
 不知火もまた辺りを見回し――見つけた。道端の大樹の根元、こんもりと土がもられ、そこに手折られた野花が添えられている。
「花の状態からして、供えられたのはかなり前のようじゃの」
 花を手にとり、魁厳が云った。そうね、と頷いたのは不知火であった。
「今のさやかの拠り所に成り得るのは、此処か‥遺言でもある海、ね」
 その時、慶牙が片膝ついた。
「ながと、よ」
 慶牙が瞑目した。その彼の脳裏に、夜叉の一人であったながという名の少年の言葉が蘇った。
 ――そこのごついおっさんに頼め。あいつらなら、お前を守ってくれるかもしれない。
「勝手な事をぬかしてくれるなぁ。しかし」
 慶牙が立ち上がった。その満面を野太い笑みが彩っている。
「亡きお前の思い、俺が成そう。今暫くはお前がさやかを守ってやれ、後は俺が護る」

●捜索
 沼津宿を起点とし、冒険者達はさやか捜索を始めた。
 要は不知火と、慶牙は明士郎と。そして更紗と烽火、流と魁厳の四人は共に。
 一日二日と日は過ぎ、やっと手掛かりを掴んだのは要と不知火であった。潮風に誘われるように海岸線に沿って聞き込みを続けていた彼らであったが、ようやくある漁村でさやかの痕跡らしきものを発見したのである。
「廃小屋に浮浪の少女?」
 いた、と漁師らしき男が答えた。不知火の問いに対してである。
「数日前まではな。しかし珍しい事もあるもんだなあ。同じ事を聞かれたのはこれで二度目だ」
「!」
 はじかれたように要は不知火と顔を見合わせた。

 それより少し前の事だ。更紗達四人は府中宿にいた。
 両手に花、などと流は浮かれているように見える。が、その身には一瞬の油断もない。今も静まる闘気を内に、流は駿河の裏世界に詳しいという男と相対していた。
「さやか? 知らねえな」
 にべもなく男は答えた。そして流から受け取った情報料に見合うだけの愛想笑いを返すと、
「今、この駿河で裏世界に顔を突っ込むのはほどほどにした方がいいぜ」
「何故だ」
 流が問い返すと、男は底光りする眼で見返し、
「何でも餓狼っていう賞金稼ぎが乗り込んで来てるらしい」 

●餓狼
 潮風に吹かれつつ、さやかが立ち上がった。岬の突端だ。
 海を見る約束。それを果たした今、さやかには成すべき事はなかった。ただ毎日海を眺めるしか。
 これからどうしたらいいのか、わからない。いつも一緒だったながと達三人がいなくなり、さやかは孤独の中、迷子のように途方にくれていた。
「おい」
 声に、びくりとしてさやかは振り返った。
 眼前に四人の男達が立っている。獣じみた面相の男達で、全身から爛れた殺気を噴き零していた。
 反射的にさやかは腰の刀に手をのばした。そうと気づき、男達の一人がニンマリした。
「てめえ、さやかだな」
「‥‥」
 答える事なく、さやかは刃を抜き払った。瞬時にして戦闘態勢に滑り込んださやかは、冷静に男達の戦闘力を値踏みしている。
 刹那、男達が動いた。もつれあうようにしながら、さやかに向かって殺到する。
 それは人の動きではなかった。まるで獣のような――
 咄嗟にさやかは飛び退った。煌く光芒が四筋、さやかの居た空間を疾り抜ける。再びさやかが地に降り立った時、その身から鮮血がしぶいた。
「これは!?」
 さやかが愕然とした。完全に敵の斬撃をかわしたと思ったのだ。
「馬鹿が」
 男達――餓狼の一人が嗤った。
「てめえみたいな小娘が、俺達の攻撃を見切れるかよ」
「すぐには殺すな」
 別の一人が云った。
「手足の筋を切って動けなくしてから犯す。殺すのは、それからだ」
「わかったぜ」
 さらに別の一人が異様に長い舌で唇を舐めまわした。
 その時だ。
「待て」
 声がした。
「何っ」
 振り向いた餓狼であるが。どん、と叩きつける衝撃に、彼らは身を仰け反らせている。
 それが凄絶の殺気の波紋であると知り、餓狼は身構えた。その眼前、うっそりと佇むのは八つの人影で。
「今度は間に合ったな」
 八つの人影の一つ――安堵の吐息と共に不知火が云った。
 と――
 あっと声があがった。さやかの口から発せられたものだ。
 八人の内、忘れもしない顔が四つある。三人の友を斬った敵とも呼べる顔ぶれだ。しかし、その彼らが何故――
「何だ、てめえらは」
 さやかの疑念は知らず、餓狼の一人が問うた。すると明士郎がニヤリとし、
「冒険者。貴様達をぶちのめす者だ」
「何だと」
 ぞわり。餓狼の身裡に殺気がたわんだ。それと呼応するように明士郎の身からも凄愴の殺気が放たれる。
 瞬間、その場にいた全員が幻視した。巨大な漆黒の狼と白銀の狼が空で噛み合う様を。
 カッ!
 硬質化した空気を砕くかのように鋭い呼気をもらし、餓狼が動いた。再びもつれあうように地を蹴りつつ、冒険者に迫る。
「はっは!」
 慶牙が斬馬刀を振りかざした。抑えきれぬ高笑いをあげつつ。
 死と隣り合わせ。その命ぎりぎりの瞬間こそが修羅の喜悦の刻だ。
 次の瞬間、同時に四つの事が起こった。
 一つ――
 地を平蜘蛛のように這い滑った餓狼の一人が要を襲った。横殴りの一撃は要の足を大根を切るように疾り――
 ガキッ!
 要の鉄扇が餓狼の刃を受け止めている。わずか片腕一本で。恐るべき膂力であった。
 じろり、要は餓狼を見下ろして、
「その眼‥‥獣の眼ですね。魔物に近い眼をするとは情けない」
 吐き捨てつつ、要は餓狼を押した。いや、正確には要の押す力を利用して餓狼が飛んだ。が、それより迅く要の振り下ろした剣光が袈裟に疾り――
「甘い」
 餓狼の血飛沫の中、要が呟いた。
 一つ――
 餓狼の一人がましらのように疾った。更紗の前だ。
「巌流、 西園寺更紗、参ります」
 叫びつつ、更紗は袈裟に刃を薙ぎ下ろした。が、その一撃を餓狼は横に飛んでかわしている。
「遅いぜ、馬――」
 餓狼が嘲弄の言葉を発し終える事はなかった。地からはねあがるように疾った更紗の刃――云わば逆燕返しともいうべき剣によって顔を寸断されていたからである。しかし――
 同時に更紗もよろけている。寒さの為に身動きが鈍くなり、餓狼の斬撃を受けていたのだ。やはり綿入り半纏では長時間行動は不可能であったのだ。
 一つ――
 三人目の餓狼は空に舞い上がっていた。忍犬不動の吼え声に追われるように。
 キラッ。
 煌いた光芒は何か。ぎらと眼をあげた明士郎の眼のみは看破している。その正体を。
「ぬっ!」
 明士郎がわずかに身動ぎした。その彼の頬を切り裂きつつ、手裏剣が疾りぬける。
 太陽光を眼晦ましとして利用した攻撃。もし明士郎ほどの手練れでなければ脳天を貫かれていたところだ。
 一瞬後、餓狼は地に降り立った。いや、崩折れた。その首筋の急所を、振り返りもせぬ明士郎の手刀が突いていたと見とめ得た者が果たしていたか、どうか。
「後ろを取った程度で、俺を殺れると思うな」
 波立たぬ声で明士郎が告げた。
 一つ――
 他の場合と違い、先に動いたのは冒険者の方であった。
 不知火。今の彼は一切の手加減を放棄している。それは、まさに隠していた爪を剥き出しにした鷹。黒き双翼が空を切り裂いた時、剣圧にはじきとばされた餓狼は地を転がっている。
 がっし、と。不知火は餓狼を踏みしめた。
「捕らえた所で手馴れの暗殺者なら吐きゃしねえ‥口は一つ残ってりゃ充分だろ」
 どかっ、と不知火は餓狼の腹に刃をおとした。

●さやか
 慶牙が足を踏み出し、さやかがじりと後退った。
「来るな」
 刃をかまえつつ、さやかが云った。その一声に、凍結したように慶牙が足をとめた。代わって口を開いたのは魁厳であった。
「わし達は、さやか殿を救いに来たのじゃよ」
「そう」
 更紗が頷いた。
「仇の話なんぞ聞きたないやろうけど、仲間を切った罪を償わせてほしいんよ」
「黙れ!」
 さやかが叫んだ。ぞわり、とその身から殺気が滲み出る。そうと見てとって更紗は霞刀を捨て、さらには衣服をすらりと脱いだ。後には一糸纏わぬ真っ白な裸形があるのみだ。
「武器はもってへん」
 ――よくやった、更紗さん。
 流の頬に微笑がういた。年若い娘が裸身を晒すのだ。どれほどの思いであるか。
 動揺したさやかの殺気が薄れ、刃がやや下がった。それに気づいた烽火が必死の眼をむけた。
「今更ですが闇に生きても自分を捨てないで下さい。光は目の前にあり、貴女に光を分ける者はいるのです」
「そうだ」
 要が力強い声をあげた。
「この場におらぬ私の友の言葉を伝えよう。生きろ。お前は一人じゃない」
「一人‥‥じゃない?」
「そうだ」
「嘘だ!」
 さやかが殺到した。
「わたしは一人だ。そうお前達がした!」
 叫びつつ、さやかが剣をふるった。その一撃を慶牙がスヴァローグの篭手で受け止める。
 さらに二撃、三撃‥‥その全てを慶牙が受け止めた。ただ黙したまま。
 重い一撃だった。全ての斬撃にさやかの哀しみがこもっている。
 そして‥‥
 やがてさやかの斬撃の様子が変わった。剃刀のような鋭さがなくなっている。
「さやかよぉ」
 慶牙がついと手をのばし、さやかのそれを掴んだ。
「は、放せ!」
 叫びつつ、さやかが顔をあげた。涙でくしゃくしゃになったその顔は、まさしく年相応の少女のものだった。
 その儚さに、はっとして思わず慶牙が手を放した。その瞬間、さやかは後方に飛び退っている。
 刹那――
 銀光が空間を横一文字に裂いて疾った。
 ――手裏剣!?
 その正体を襲撃を警戒していた流が見抜き、鉄扇を振り上げた。が、届かない。
 一瞬遅れて飛燕のようにさやかが斜め後方に飛んでかわした。
「あっ!」
 ひび割れたようなさやかの声が発せられたのは、さやかの身が岬の突端から消えるのと同時であった。
「拙い!」
 さやかが足を踏み外した、と気づいた冒険者の内、真っ先に動いたのは魁厳であった。岬の突端に疾りより、躊躇なく身を躍らせる。
 直後、風が鳴った。


 手裏剣を放ったのは、明士郎のスタンアタックで意識をなくしていた餓狼であった。慶牙がさやかの斬撃を受けている間に意識を取り戻したのだ。
「貴様!」
 飛鳥のように駆け寄り、烽火がダガーを向けた。が、それを制し、流が餓狼に眼を転じる。
「殺しはしません。質問に答えてくれるならば。‥‥貴方達は夜叉の元締めか?」
「元締め? 馬鹿が」
 餓狼は嘲笑った。
「俺達は賞金稼ぎだ」
「ではあなたたちに依頼した者がいるはずだ。それは何者なのです?」
「小鬼」
「小鬼?」
 聞いた事のない名だ。流が首を捻ると、餓狼はニタリと笑って頷いた。
「本当の名かどうかは知らねえ。あのさやかって娘と同じ年くらいの小娘だったぜ」
「何っ!?」
 愕然として冒険者達は顔を見合わせた。

 それからわずか後の事だ。さやかの事を冒険者が知ったのは。
 海岸にあがった魁厳は、結局さやかを見つける事はできず。再びさやかの身は彼方へと消え去ったのである。
「さやかよぉ。おめえも哀れな娘だぜぇ」
 慶牙がさやかの名を大声で呼んだ。が答えが返るはずもなく。ただ唸る風音だけが哭いて疾りすぎた。