●リプレイ本文
●明け染める江戸
新たな年。江戸の町は、まだ正月の風情が色濃く残っていた。
その景色を眺めながら、しかし大蔵南洋の表情は厳しかった。
「‥‥というわけだ」
語り終えた。内容は信康切腹に関する一部始終だ。
「これは――」
と息をひいたのは神島屋七之助(eb7816)。どこか貴族然とした相貌の陰陽師である。
「大事ではないですか」
溜息と共に声をあげた。
実をいうと、七之助は南洋から駿河に赴いてくれと頼まれていたのだ。気安く応じた七之助であったが、今南洋から事の次第を聞かされ、その重大性にあらためて驚いたというわけだった。
「まあ我慢しとくれよ」
苦く笑ったのは渡部夕凪である。
「流石に此度出向くが私じゃあ危なっかしい」
云った。
彼女は知っている。源徳からの手配を受けた冒険者の一人が捕らわれかけた事を。
夕凪はちらりと木賊真崎(ea3988)に視線を向けた。
「冒険者というだけでお縄にする程浅はかでもなかろうが‥宿場役人との揉め事は無しだよ」
「わかっている」
真崎は理知的な面を頷かせた。
「冒険者全てを敵にまわすほど家康も馬鹿ではなかろう」
「まあね」
答える夕凪は、しかしまだ思案顔だ。
「どうかしたのか」
「禅師の事さ」
「禅師? 白隠翁か」
真崎の脳裏に一人の老人の面影が過ぎった。
白隠。駿河――いや、ジャパンを代表する名僧である。その白隠と、真崎は富士樹海にかかわる依頼で面識があった。
「そうさ」
夕凪はやや疲れたように腕を組んだ。
「正直、禅師殿を頼りに過ぎるも申し訳無いのだがね。‥‥全く、あのやんちゃ坊主も面倒な事を企んでくれたよ」
「柳生十兵衛か」
夕凪の言葉を聞きとがめ、黒崎流が口を開いた。
「源徳の嫡男を誘拐して、平織との同盟をぶち壊した。とんでもない話だが、友を救いたいという一念だろうな」
「愚かな事だがな」
鷹見仁(ea0204)が云った。すると流は口辺にあるかなしかの微笑を漂わせ、
「確かにそうだ。が、世の中、まだまだ捨てたものではないと思えるな」
「ふふん」
仁もまた笑った。その眼にたゆたうのは嘲りの光ではなく、面白くてたまらぬ、という輝きのようで。
「では、そろそろ参りましょうか」
一人の女が促した。
流れる金色の髪は陽光を編んだよう。碧色の瞳は海の如く澄んで。まさに妖精としか見えぬその女の名はシーナ・オレアリス(eb7143)といった。
そのシーナの手を、ぎゅっと握りしめた者がいる。
カーラ・オレアリス(eb4802)。シーナと同族のエルフの僧侶だ。
「本当は白隠禅師の元にお年賀にでも参りたいところですけれど、手配の手が厳しくなっているみたいだし、私は江戸に残ります」
「えっ」
シーナが驚いて眼を見開いた。
カーラと信康の縁は深い。当然此度も駿河に赴くと思っていたのだ。
その事を告げると、カーラは微笑みながらかぶりを振った。
「私の思いはあなたに託してあるので心残りはありません。ただ白隠様にはよろしくとお伝えください」
「わかりました」
今度はシーナがカーラの手をぎゅっと握りしめた。
今――
思いは確かに受け継がれ、運命の糸は紡がれたのだ。
●荒巻鮭
「それは何だ」
問うたのは、美と野生を兼ね備えた稀有な相の若者だ。途方もない迫力と真剣の鋭さを内在させた存在――越後国主、上杉謙信である。
「荒巻鮭でござります」
色部勝長が答えた。
「冒険者が送ってまいったもの」
勝長が一枚の書状を差し出した。
「ふむ」
受け取ると、謙信は書状に眼を走らせた。そして、ふふ、と笑い、
「カーラと申す者、一向一揆の様子など尋ねておるが‥‥どうやらこの越後に興味があるようだな」
「言葉どおりの律義者か。‥‥お館様、返答はいかに?」
「うむ」
謙信は考え深げに眼を閉じた。
「一向衆の事、まだ時と手間はかかるであろう。‥‥もしやするかもしれぬ」
「ではカーラとやらに、その事を」
「いや」
謙信がかぶりを振った。
「それには及ぶまい」
カーラが越後よりの書状を受け取ったのは、依頼期間のほぼ最後であった。内容は一向一揆に触れる事なく、ただ時候の挨拶のみであったという。
●原宿
「お久しぶりです」
ぺこりと頭を下げた。まるで少女のように可憐だ。
が、白隠は、桐乃森心(eb3897)と名乗るこの少年が端倪すべからざる忍びである事を見抜いている。
「ぬしも信康殿の事が気になるか」
「仕え甲斐のある方だと思っていましたのでね」
心は緩く笑った。
「でも、切腹の沙汰を受け入れたと聞いた時は失望しました。信康様の立場も頭では分かっていたのですが、やはり僕はお武家様とは違いますから。でも」
心は眼をあげた。まるで太陽を見上げるように。
「信康様は、先の戦の際、江戸の町を誰よりも愛していると仰られました。それで江戸が守られるならば、この首惜しくはない、とも。それがもし、僕の勘違いでなかったら」
今度は、心はきゅっと子猫のように笑った。
「会ってみたいと思うのですよ」
その時、白隠の前にさっと茶碗がおかれた。
「年明けを祝うわけじゃないが、新茶だ」
「ほほう」
顔を綻ばせ、白隠が茶碗を手にとった。そして口をつける。
「うむ」
「不味いだろ。素人の手習いさ。勘弁しとくれ」
「そんなことはない」
答えると、白隠は茶の主をまじまじと見つめた。
艶やかな振袖姿の女。秀麗な美貌の持ち主だ。が、半顔を髪に隠し――覗く眼の鋭さはどうだろう。
「ぬしと同じく麗かな味。名は何という?」
「水上銀(eb7679)」
「銀。白銀か」
白隠は銀から眼をはずした。そして窓の外を眺める。
「白銀は曙の光。‥‥まさに曙光のように、ぬしらが信康殿を導く事ができればのう」
●問答
白隠の庵を冒険者が去り――しかし残った者が一人いる。真崎だ。
「何故、一人残った?」
「翁に問いたき事がござれば」
「問いたき事?」
「はい」
真崎は頷いた。その碧の眼はあくまでも涼やかだ。
「信康殿の存在を構い無しとする思惑、如何であろうかと」
「早雲か」
白隠が瞑目した。
「あの小僧の考えている事は、正直なところ儂にも良くはわからん。上杉との事にしろ、冷徹に手をうつ奴である事は確かじゃがな。その早雲が信康を見逃しておるのは」
「何らかの利があるからでございましょうか」
「さあて」
白隠は息をついた。
「しぱらく上杉、武田、新田、伊達は動けまい。唯一動く可能性のあった源徳と平織の同盟は決裂じゃ。此度の事で、おそらく源徳は四面楚歌。そう読んだ上での事ではあろうが」
「ふむ」
真崎が小さく声をもらした。
白隠にさえ読めぬ男、北条早雲。何を目指し、如何なる空を飛翔するつもりであろうか。
「では最後に」
とことわり、真崎は問いを重ねた。
「何れ立つ獅子なればこそ。其の一歩への助力求める声もしあらば‥応えて頂くは叶いましょうか」
「さあて」
白隠は先ほどと同じく首を捻った。そして悪戯小僧めいてニヤリとすると、
「儂に問うよりもよ、真崎。ぬしが直接会うて確かめてみたらどうじゃ?」
「北条公に?」
真崎が問い返した。もし早雲との対面が可能ならば、その方がよほど都合が良い。だが、今はそれよりももう一つ尋ねておかねばならぬ事がある。
立ち去り際、真崎は足をとめた。
「己が足で立つ為の迷い、図らずも同じ霧の中に在る方が江戸城内にも御座します。連なる源の血、引き合う道もありましょうか?」
「いや」
白隠はかぶりを振った。
「今のままでは、それは限りなく難しかろうな。北斗と南斗の如く、天空にありながら決して交わる事がない極星のように」
●雌伏の漢
「‥‥ちょいと痩せたんじゃないかい?」
銀が手をのばした。信康をじっと見つめた後の事である。
が、信康のややこけた頬に触れる前に銀の手はとまった。
「あんたが、天下に信康ありって謳われてた頃‥‥そう、江戸城にいた頃さ。あの頃は、鬼か夜叉かって面構えだったね。それが今は‥‥なんだい、その童子のような眸は?」
銀の声が震えた。
信康の眼。それは迷い児のように揺れ動いている。
が、まだ死んではいない。いや、見ようによっては以前より澄んでいるといってもよいかもしれぬ。
銀はきりっと唇を噛むと、無理やり微笑を面に押し上げた。
「あたしは今の方が好きだけど、あんた自身は苦しんでるんだってね」
「ああ」
信康は頷いた。
「江戸城代であった頃、俺の眼の前には白道が一筋真っ直ぐにあった。が、今は迷いの中、彷徨っておる」
「で、あろうな」
ふん、と笑い、仁が口を開いた。
「源徳の嫡子から、今やその源徳から命を狙われる身への転落。戸惑わぬ方がおかしい。が、な」
仁の顔から笑みが拭い去られた。
「おぬしの為に命を賭した柳生十兵衛。その親友を只の愚か者と成さしむか否かは、偏におぬしの今後にかかっている」
「十兵衛の‥‥」
信康はかっと眼を見開いた。
よくよく考えてみれば、信康の命を救ったとて、十兵衛に一体何の得があったであろう。そこにあるのは無心の友情だ。その友情にこたえずんば、何の男子たるか。
「何も迷う事はないと思うよ」
銀が信康の手を掴んだ。
「あんたが苦しんでるのは、逃げたから。なら、逃げずに真正面から親父に立ち向かえばいい」
「父上と?」
愕然とし、信康が問い返した。
それに対し、銀は大きく肯いて見せた。彼女としては、抹殺命令を解いて再び信康が立つには、父親である家康から家督を奪い取るくらいの事をしなければならぬと考えている。
が、今や一介の浪人にすぎぬ信康にとって、それは途方もない難事だ。いや、不可能といって良い。
しかし――
「任せておおき」
銀の眼がきらりと光った。
「あたしは尾張家の母衣衆の一人。必ず力になる。あんたが源徳を継ぎ、お市さんとともに神皇様の盾と剣となり、このじゃぱんを統一する――それがあたしの夢なんだから」
「じゃぱんの統一‥‥」
信康が呟いた。刹那、信康の眼の光が強まり、その身から焔のような闘気が立ち上った。
が、すぐに信康の威気は消えた。裏柳生の半助より信康はある情報を得ていたからである。
「尾張は三河に対する兵を用意していると聞く。同盟があのような形で切れたからには無理もない話だ。源徳が平織の味方にならぬと見れば、武田や上杉と組むかもしれぬ。銀の申す通りにはいくまい」
「それなら源義経くんを盗みだす、というのはどうですか」
シーナが提案した。
「関東の覇権を望む伊達家と源徳は敵対関係にある。だったら、その伊達さんから義経くんを奪ってしまえばいいじゃないですか。そうすれば伊達さんが江戸に居座る大義なんかなくなるし。‥‥家康さんと義経くんを会談させてみるのもいいんじゃないのかしら、って思います」
「私も」
七之助が身を乗り出した。
「そう思います。反源徳の大名たちが掲げる大義名分は概ね虎長暗殺への関与の疑い、もしくは源氏宗家の僭称というところです。ならば、義経なる人物を奥州から切り離し、源徳は敵にあらずという言を引き出せたならば、源氏に連なる新田と武田は大義名分を一つ失うことになります。その状況下で神皇様より和議の勅を下して頂けたとしたらどうでしょう。新田・武田は断ることできましょうや?」
「うむ」
信康は唸った。
義経を奪うとは確かに面白い。
義経誘拐は至難だが、奪ってしまえば言質をとる方法は幾らでもある。ジャパンの権威主義が生み出す神輿争奪戦、過去に何度も例があることだ。しかし、権威を暴力で奪い合うやり方には、清廉な信康とすれば抵抗もある。
それに誘拐から和議の勅を得るまで全てが順調に行くとも思えない。それでは絵空事だ。どこかで失敗すれば、源徳は世間の批難を一身に浴びる事になりかねない危険な賭けでもあった。
云うは易く、行なうは難しい。
では、とシーナは再び口を開いた。
「上杉家を悩ませる一向一揆を何とかして、上杉謙信に恩を売るのはどうでしょう。そうすれば上杉との同盟が成るかもしれないし。もし同盟が成れば、一向一揆という枷がなくなった上杉が武田・新田の両家を抑えてくれる可能性があります」
「江戸に出るのも良いかもしれませぬよ」
にはは、と心が笑った。
彼は、先ほどから静かに信康を見守っていた。会った時にはからかってみようかと思ったが、今の信康にはそんな余裕はないようだ。
だが、信康に衰えた様子もない。臥してはいても、やはり獅子の子は獅子だ。
だから笑いをおさめ、心は告げる。どうか江戸に戻り、江戸の民をお守り下さい、と。
「城は道具に過ぎず、大事なのは信康様ご自身の志で御座います。僕とて、裏切りと野心によってこの国が荒れてゆくのを黙って見ていたくはありませぬ」
「俺にどうせよというのだ」
「黒崎流なる者が、有志と集うて江戸城奪還を目論んでおります」
「何っ!」
さしもの信康が呻いた。信康と心、その両者の間で火花が散ったようだ。
「それは真実か」
「はい」
心がこくりと首を縦に振った。
「敵の意表を突くならば、今がまさに好機かもしれませぬ」
「ううむ」
信康の身が震えた。まるで内部から噴き上がってくる何かを抑えかねてでもいるかのように。
磐石と思われていた江戸城が陥ちた。二千の伊達兵の為に。その有志の数にもよるが――もし十分な数さえ揃えば、江戸城奪還は可能であるかも知れぬ。いや、よしんばしくじっても、死に場所としては十分か。
その燃え上がるような信康の情念を、この時七之助のみは見抜いた。
信康、危うし。そう感じた七之助は生き抜くべしとテレパシーを発した。
はっとして信康は身を正した。その前に、今度は七之助が進み出た。
「ともかく、身動きもままならぬのこの現状も問題です。北条殿に内々に庇護を願い出られてはいかがか。北条殿は利害が一致した時は冒険者にも援助は惜しまぬ方のようだと、大蔵も申しておりました」
「北条‥‥早雲か」
信康が呟いた。
この駿河の地にある限り、決して見過ごしにはできぬ男。見える事で、何らかの未来が見えるかもしれぬ――そう信康は思った。
●空
「気持ち良いな」
「ああ。気持ち良い」
言葉が交わされた。
岩に腰掛け、天を見上げる二人。信康と空間明衣(eb4994)だ。
「空は良い。とらわれた心を解き放ってくれる」
「俺の心も解き放ってくれるだろうか」
信康が問うた。
冒険者達が示してくれた数々の可能性。信康は未だ迷うところがある。江戸城奪還で心が震えたのも、未練と言えばそれまで。道はまだ開けない。
すると明衣はさあなと微笑い、
「聞いてもらえるか、私の昔話を」
「お前の?」
「ああ。私は風任せで流離っていた事があった。行く先々で色々な人と出会い、大空の下で学ばせてもらった。そして自分に何が出来るか考え、医師となった」
「ほお」
答える信康は空を見上げたままだ。その耳元に、そっと明衣が唇を寄せた。
そして――
ぎくりとして信康は明衣を見た。その眼前、明衣はくすりと笑い、
「これは内密にな。貴殿の友だという言質と思ってくれ。天高い空の下で自由に舞う鳥のように飛躍出来る事を期待する」
云い置いて、明衣は立ち上がった。そして背を向ける。
鷹が一声鳴いて、天を疾った。