赤舌と百足丸

■ショートシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:6〜10lv

難易度:難しい

成功報酬:5

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:01月18日〜01月27日

リプレイ公開日:2008年01月28日

●オープニング


 茜は喉に簪を突きたてようとした。裕次郎がくれた簪だ。
 銀の簪は冷たく、指に染みた。けれど、茜はぐっと簪を握り締めた。
 その時だ。外からぼそぼそと話す声が聞こえてきた。
「‥‥弱ったのう」
 やや掠れた声。村の長のものと知れた。
「裕次郎殿はやはり‥‥」
「奴らがおるのだ。しくじったに違いない」
 声が答えた。茜の父のものだ。すると村長が、
「裕次郎殿が向かって、すでに七日。おそらくは殺されてしまっているだろう」
 と云った。
「ならばどうする? 頼みの綱の裕次郎殿が殺られてしまっては――」
「女を差し出すしか仕方あるまい。それでしばらくはおとなしくなろう」
「馬鹿な」
 愕然とした父の声が響いた。
「村の娘を差し出すというのか。そのような事はできん」
「ならば、どうする? 兵を雇うとでもいうか」
「う――」
 茜の父が言葉に詰まった。村にそのような金があろうはずがない。
「では、どうすれば‥‥」
 声は、それきり途絶えた。
 茜は溜息をつくと、再び簪を握りしめた。そして裕次郎の面影を脳裏に描いた。
 茜の恋人であった裕次郎が洞窟に向かったのは七日前の事である。その洞窟には馬頭鬼が住み着き、度々村を襲ってきていたのだ。そして女を得れば去る。その繰り返しであった。
 裕次郎は、その繰り返される恐怖を断つべく、馬頭鬼を退治しにむかった。が、裕次郎が戻ることはなく、もう七日が過ぎている。最初裕次郎が生きてあると信じていた茜も、ついには裕次郎の死を確信するに至った。
 私が行けば、馬頭鬼はおとなしくなるだろうか。
 あの人の所に‥‥逝けるだろうか。
 茜は、もう一度簪をじっと見つめた
 決して高価なものではない。が、茜の生まれた日の記念にと、裕次郎がくれた大切のもの。心の欠片だ。
 茜の眸から涙が溢れ出た。
 欠片は今も手の中にある。が、愛する人は遠く、温もりも消えた。欠片だけ残ったとて、それが何になろう。
 簪を懐におさめ、茜は涙を拭った。すっと上げた彼女の眸には、この時決然たる光がやどっていた。


「赤舌と百足丸はどうした?」
 怒鳴る声が響く。それだけで群がる化生どもが身を縮めた。
 中の一匹、小山のような巨躯を有した鬼が顔をあげた。
「村ニ‥‥」
「チッ」
 舌打ちしたのは美貌の青年である。いや――
 人ではない。鬼だ。その証拠に、青年の額からはぬらりと二本の角が生えている。
 そのモノの名は大瀧丸。数百の鬼を従える奥州の鬼であった。
「またか、あの馬鹿野郎どもが」
 大瀧丸は忌々しげに口をゆがめた。
「村を襲うのはかまわねえが、この大瀧丸様に断りなしというのが気にくわねえ。戻ってきやがったら、一度しめなけりゃあなるめえな」
 ニヤリとし、大瀧丸は答えた鬼を蹴りとばした。

●今回の参加者

 ea6201 観空 小夜(43歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)
 eb2886 所所楽 柚(26歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3534 平山 弥一郎(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3736 城山 瑚月(35歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb5618 エレノア・バーレン(39歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb8219 瀞 蓮(38歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 eb9508 小鳥遊 郭之丞(29歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ec2786 室斐 鷹蔵(38歳・♂・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

木賊 崔軌(ea0592)/ サイーラ・イズ・ラハル(eb6993)/ 呂 明信(ec2902

●リプレイ本文

●簪
「洞窟まで連れて行け、のう」
 呟いたのは二十歳そこそこに見える女だ。
 瀞蓮(eb8219)。しなやかな体躯に不釣合いなほどたわわな乳房をもった彼女は、黒曜石にも似た瞳を手の内にむけた。
 そこにあるのは、ひやりとする感触の銀の簪。此度の依頼料だ。聞いてところでは恋人の形見の品だという。
「まあ報酬に見合うといえば、見合うのかもしれんが」
 瀞蓮は簪から視線を転じた。その先には一人の娘が立っている。
 名は茜。依頼主である。
「どこか気になるの」
「確かに、な」
 木賊崔軌が頷いた。
「洞窟へ送り届ける、ってだけで奥州から江戸までわざわざなぁ。近場なんだろソコ」
「村から一里ほど離れていると、茜さんが仰っていました」
 答えたのは、どこかおずおずとした様子の可憐な娘だ。
「やっぱ何かあるぜ。別の覚悟が有るのかも知れねえな、茜って娘」
「覚悟?」
 娘――所所楽柚(eb2886)は真摯な眼を崔軌に向けた。
「覚悟とは?」
「そいつはわからねえが」
「しかし、危うい」
 声をあげた者がいる。
 城山瑚月(eb3736)。月光にも似た密やかな忍びである。
 はっとして柚は振り返った。
「危ういって‥‥茜さんがですか?」
「そうです」
 瑚月が小さく首を縦に振った。そして茜殿の眼、と続けた。
「そこには迷いはありません。が、薄氷とも感じる脆さがあります」
「脆さ?」
 そうか、と。小鳥遊郭之丞(eb9508)は、一人心中に頷いている。
 初めて茜という娘を見た時、胸の内のざわめきを郭之丞は感じとっていた。
 何か。
 当初、そのざわめきの正体は判然としなかった。が、今、郭之丞は卒然とその正体を悟っている。
 死。
 そう、死だ。
 本来人生謳歌しているはずの茜の身から、荒涼たる虚無の風が吹いている。
「しかし、何故」
「私が聞き出してみるわ」
 名乗り出た者がいる。
 三惑の紫眼サイーラ――そう渾名される魔女。サイーラ・イズ・ラハルだ。
 次の瞬間、サイーラの身が白銀の燐光に包まれた。
 チャーム。サイーラが発動させた呪である。
 魔風翻して、サイーラが茜に歩み寄っていく。その背を見送りつつ、しかし平山弥一郎(eb3534)は手にしていた祖師野丸を腰に落とした。
「平山さん、先に行くつもりですね」
 観空小夜(ea6201)が云った。彼女の夜色の瞳は何ものをも見逃さない。
「ええ」
 弥一郎が肯首した。
「私も、この依頼の裏には何かあると思いますのでね。村で調べてみるつもりです」
「では、わたくしもご一緒してよろしいでしょうか」
 エレノア・バーレン(eb5618)が問いかけた。その端正な面をちらりと見遣り、弥一郎は微笑を浮かべた。
「かまいませんが」
 弥一郎は云った。
「しかし、村は奥州近く。そして奥州は鬼の跋扈する地です。何が出て来るかわかりませんよ」
「鬼‥‥」
 呟き、エレノアはわずかに身を震わせた。その時、エレノアは茜の背に浮かび上がる巨大な鬼の姿を幻視したのだった。

●影
 時折びゅうと吹く氷の冷たさをもつ風に、焚き火の炎がゆれ、瑚月の用意した簡易テントも悲鳴をあげる。
 寒中の野営。食事はすでに終わっていた。
「ありがとうございます」
「すまぬな」
 茜が瑚月に、瀞蓮が柚に礼を述べた。彼女達が先ほど口に保存食は瑚月と柚のものであったのだ。
「いえ」
 頬を赤らめると、柚は茜の顔を覗きこんだ。
「あの‥‥道行きが安全なものであるか占ってみたいのですが。それで、何か、目的地をあらわす言葉を一つ、教えていただけませんか」
「目的地?」
 茜が小首を傾げた。
「目的地と申しましても、そこは瓢箪穴と呼ばれているだけで」
「それで結構です」
 ニコリと微笑むと、柚は一枚の紙片を取り出した。
 複雑な紋様が描かれたもの。フォーノリッヂの呪符である。
「では」
 柚が眼を閉じた。が――
 すぐに、カッと柚の眼が見開かれた。その只ならぬ様子に茜も驚いたものか、
「何か良くない卦でも?」
「い、いえ」
 柚は慌ててかぶりを振ると、
「道中に変事はないようです」
「それは良かった」
 ほっと茜は胸を撫で下ろした。洞窟まで行き着く事ができれば、後はどうなろうとかまわない。
「でも洞窟の中は」
「わたし」
 柚の言葉を遮って、さっと茜が立ち上がった。硬い光を浮かべたその眼は、明らかに柚を拒否している。
「もう、やすませていただきます」
 そう告げると、茜は簡易テントの中に姿を消した。柚は茫乎として、ただ簡易テントを見つめ――
 柚の傍らに、気配がわいた。暖かい、大きな気配だ。
「サイーラさんが聞き出すのに失敗したそうだけれど‥‥」
 気配の主――小夜が云った。
「でも、茜さんは何かを隠している。柚さん、貴方は何を観たのですか?」
「鬼が‥‥」
 柚が怯えた眼をあげた。
「茜さんを陵辱していました」

●理由
「‥‥やはり」
 柚が鉛のように思い溜息を零した。その面を沈痛な眼で見つめ、弥一郎とエレノアもまた暗澹たる吐息をついた。
 村近くの森。柚がサンワードで先行した弥一郎達の位置を探り当て、後はテレパシーにより連絡を取り合い、合流したのだった。
「所所楽さんが観たというのなら確かでしょう。その瓢箪穴には馬頭鬼がいます」
 弥一郎が事の全てを物語った。すると瀞蓮はわからぬというように眉をひそめ、
「しかし、そのような危険な場所に、何故茜は行こうとしているのか」
「恋人が行方知れずとなったそうです」
 エレノアが答えた。そして裕次郎の事を告げた。
「ご浪人だったそうです。それが茜さんと恋仲になり、将来は結婚すると約束するまでになり‥‥ところが」
「馬頭鬼が現れた」
 弥一郎が引き継いで云った。
「腕に覚えのある裕次郎殿は、むしろ己からすすんで馬頭鬼退治に向かっていったそうです。おそらくは村――というより茜殿を救いたい一心だったのでしょう。しかし戻らぬ身となった」
「もはや生きてはいまいなあ」
 嘆くが如く呟いたのは郭之丞だ。
「すでに十日以上が過ぎている。裕次郎という若者が生きている見込みはない」
「それで」
 ぽつりと声がした。その悲しげな響きに、はっとして向けた冒険者の視線の先、小夜が睫を伏せている。
「それで、とは?」
「わかったのです」
 小夜が、問うた瑚月に答えた。
「おそらく茜さんは死ぬ気です。裕次郎さんの後を追って。そして自分が犠牲になれば村が救われるとも思っているのでしょう」
「馬鹿な」
 茜に聞こえぬほどの声で郭之丞が叫んだ。
「犠牲の上に成り立つ平和など間違っている」
「確かにのお」
 腕を組み、瀞蓮が悪戯小僧のように笑った。
「まあ依頼通り、洞窟までは連れて行かねばならぬだろう。が、そこから先はわしらの好き勝手じゃ。のう、室斐鷹蔵(ec2786)殿」
「ふん」
 吐き捨てたのは、猛禽の如く炯と眼を光らせた男だ。白銀の光をはねちらす髪を背にたらし、皮肉めいた笑みを浮かべている。
「逝き急いだ小娘など知る処ではない。好きにすれば良いだろう。それよりも」
 八人目の冒険者である鷹蔵は、腰の霞刀に手をのばした。
 同じ夢想流の使い手に敗れ、それ以来抜けなくなっていた刃。しかし、駿河において鷹蔵は刃をふるう事ができた。
 では、剣が蘇ったのか――と問われれば、鷹蔵は首を捻らざるを得ない。
 黒豹に変じた魔性は確かに斬った。が、あれは咄嗟の反射的行動に過ぎない。望む時、望むままに剣を使えるかといえば‥‥
 鷹蔵の眼がぎらりと光った。
「俺の剣の試金石。馬頭鬼ならば、ちょうど良い」

●瓢箪穴
 さしたることもなく、冒険者達は瓢箪穴に行き着いた。すでに陽は中天にある。
「有難うございました。ここで結構です」
 茜が深々と頭を下げた。が、冒険者達が立ち去る気配はない。
「あの‥‥」
「私達は鬼を退治ます」
 弥一郎が告げた。えっ、と声をあげ、茜は愕然とする。
「どうしてその事を‥‥」
「俺達は何でも知っています。茜殿が死のうとしている事もね」
 瑚月が茜を静かに見つめた。
 茜は一瞬息を引き――すぐに熱をおびた眼で瑚月を見返した。
「それなら放っておいてください。わたしは死にたいのです」
「そうはいかぬ」
 郭之丞がすっと茜の前に立ちはだかった。
「すまぬ。契約違反は承知だがこれも性分‥‥茜殿の純潔、私が護らせて貰う」
「やめて!」
 茜が絶叫した。
「もう一人は嫌! わたしは死んで、あの人のところにいくの!」
「何を云うのですか!」
 エレノアの手が茜の両の肩を掴んだ。強く、何かをつなぐように。そして、
「自分が犠牲になって死ぬ事で、裕次郎さんと会えると考えているとしたら間違いです。死後の再会を夢見て、死んだ後も待ち続けて怨霊となり、祓らわれた方の何と多い事でしょう。死んだ方と再会するには迎えてくれる方が必要なのです。死者は、生きている方の祈りと迎えによって導かれます。貴方は生きて、裕次郎さんを迎えなければなりません。それは裕次郎さんが生きていても、死んでいてもです」
「それは――」
 開きかけた茜の口を、さっと瑚月が塞いだ。
「しっ」
 瑚月が茜を黙らせた。冒険者のうち、最も感知能力に優れた彼の肌がちりちりと粟立っている。殺気が近づいている証だ。
「来ましたね」
 瑚月が振り返った。その眼前、広く開いた暗き空間から、のそりと異形の影が二つ姿を現した。一匹は異様な長い舌をだらりと下げている。
 馬の頭もつ、涜神的な化生。馬頭鬼だ。――だけではない。山鬼らしき異形の姿も見える。おそらくは人の気配にひかれて現れたものだろう。
「ほう」
 鷹蔵が楽しげに声をあげた。
「亡者どもを虐げる、獄卒鬼とか申す輩の片割れがこれか。面白い」
 不敵にニヤリとし、鷹蔵は腰の刀の柄に軽く手をそえた。そして、すうと身を低くする。獲物を狙う肉食獣の如く。
「どうせ地獄に堕ちる身ならば、今この現世で斬り伏せてくれる」
「待て」
 郭之丞が鷹蔵の手をおさえた。そして茜を見た。
「この依頼、雇い主はおまえだ。茜が一言命じさえすれば、この身はおまえの刀にも盾にも為そう。茜はどうしたいのだ?」
「えっ」
 虚を突かれたように茜が身を強張らせた。
「わ、わたし?」
「そうだ」
 郭之丞が肯いた。
「このまま死するが良いか、それとも馬頭鬼を滅し、村の憂いをなくするが良いか」
「わ、わたし‥‥」
「俺達を呼んだ理由は鬼達を斃す為‥違いますか?」
 茜に背を向けたまま瑚月が問うた。
「もしかすると彼が呼んだのかも知れませんね‥貴方を護ってくれ、と」
「!」
 はじかれたように茜が顔をあげた。
「ゆ、裕次郎様が‥‥」
 茜が泣き崩れた。その震える肩に、そっと小夜が手をおいた。
「裕次郎さんは命を賭して戦った。それは貴方を守る為。だからこそ、貴方は生きなければならない」
「未来を変える切欠は貴女に、手段はわたくし達に」
 柚が告げた。高らかに。 
「そう、私達は戦う。独り立ち向かった裕次郎さんのように」
 弥一郎の眼がゆらりと開いた。鬼火にも似た薄蒼い光が迸り出、馬頭鬼の足がぴたりととまった。弥一郎の凄絶の殺気のなせる業だ。
 弥一郎が嘲笑った。
「こんな下種な所業を許すとは、お前達の頭目もたかがしれてますね。京の鬼の方が統率力がある」
「グギィ」
 鬼達が牙をむいた。応えはない。
 すると、ぴしりと小夜が指をさしのばした。
「何者です。何をする為にここまで出てきたですか。答えなさい」
「ガッ!」
 応えの代わりに、馬頭鬼が斧を振り上げた。そして冒険者めがけて殺到する。
 二体同時。ただ突進しているようで、それは連携のとれた動きだ。よほど戦いなれているらしい。
 その時、銀光に煌く矢が疾った。柚の放ったムーンアローだ。
 が――
 舌をさげた馬頭鬼――赤舌は平然とムーンアローを受け止めると、さらに冒険者に迫った。
 その前に、するすると進み出た者がいる。鷹蔵だ。
「こいつは俺が殺る。もう一匹は、うぬらに任せた」
 鷹蔵が叫んだ。
 刹那だ。馬頭鬼の斬撃が来た。
 豪!
 鷹蔵と馬頭鬼、二つの刃が噛み合った。衝撃波で空間が震え、大地もまた震える。
「くっ」
 鷹蔵の口から呻きがもれた。霞刀で馬頭鬼の斧を受け止めてしまった為、続く第二撃を繰り出す事はかなわない。

●散華
 鷹蔵の脇をすり抜けた馬頭鬼――百足丸は茜に襲いかかった。その前に立ちふさがったのは瑚月である。
 きら、きら、と。刃が踊る。
 忍び故の素早い身のこなしで瑚月は馬頭鬼を翻弄する。が、彼の操る短刀ではかすり傷一つつける事はかなわず、逆に百足丸におされはじめた。
「どけ」
 茜を庇って立つ郭之丞の裡に闘気が満ちた。
 その時だ。百足丸の身が突如凍結した。
 何で郭之丞が見逃そう。
「散華」
 百足丸を呪縛したものが小夜のコアギュレイトと知るより早く、郭之丞が刃を鞘走らせた。疾る白光が大気に――いや、百足丸の首にも亀裂を刻み――
 ぼとり、と。断ち切れた百足丸の首が地に転がり、しぶく鮮血が空を真紅に染めた。

 赤舌の身が空に舞い上がっていく。物理的法則を無視して。
 それは魔導だ。ローリンググラビティー。エレノアはこの世の因果律を書き換える。
 突然、糸が切れたかのように赤舌が地に落ちた。巨岩が地に叩きつけられたかのように鳴動が辺りをゆらし――しかし、赤舌はむくりと身を起こした。
 三丈ほどの高さから落下しても致命の傷は負っていない。恐るべき馬頭鬼の肉体の強靭さであった。
「しかし、の」
 ましらのように地をすべって赤舌に躍りかかった影がある。
 瀞蓮。
 化鳥のように空に飛んだ彼女は、まだ防御態勢にない赤舌の眼に鉄扇を叩き込んだ。
「時はかけられんのでの」
「グォー!」
 赤舌が苦鳴をあげた。耳を塞ぎたくなるほどの不気味な絶叫だ。
 と――
 突然、赤舌の絶叫がやんだ。無数の何らかの衝撃により、赤舌の顔面が変形している為だ。
 何か――
 それは常人に視認は不可能であったろう。が、冒険者には見える。
 脚だ。眼に見えぬほどの迅さで瀞蓮が蹴りを繰り出しているのだった。
「ええい!」
 弥一郎が山鬼を斬り下げた。それと同時、鷹蔵が赤舌の首を刎ねた。
 鮮血が驟雨のように冒険者に降りかかり――鷹蔵はニンマリと笑った。
「よう斬れる」


「お父さん、早く起きて」
 村に元気な声が弾む。それは生きる意味を知る者の声だ。
 その声を耳に、小夜は陽だまりのような微笑を浮かべた。
「あの様子なら、茜さんは大丈夫でしょう」
「そうだな」
 村を見下ろす丘の上、郭之丞が肯いた。
「いいのですか、簪を返してしまって」
「かまわぬ」
 郭之丞が答えた。そして、
「持つべき者が持ってこそ価値ある物ならば、それは我々が持つべきではない。茜の見せてくれた強さが我々にとっての報酬だ」
「ええ」
 答え、小夜は寒風哭く空に眼をあげた。世界は灰色に閉ざされているが、希望という名の光は星の如く煌いている。
「希望を護る。それが私が江戸へ呼ばれた意味‥‥これが始まりなのですね」
 小夜は独り呟いた。