●リプレイ本文
京の夜は怖い。
灯りの届かぬ暗闇。そこは魑魅魍魎の跋扈する魔性の深淵だ。
なるほど京の都には他の街にくらべ霊的護りは強い。また守り手としての呪能者の数も多い。
が、それでも妖しははびこる。
人の欲望が産み出すのだと。または膨れ上がりすぎた都そのものが呼ぶのだと。
様々に囁かれてはいるが。
「本多風華(eb1790)殿」
いきなり呼ばれて、風華はぴくりと身動ぎした。それから濡れたような黒髪をゆらし、優雅に振り返える。やや尊大な眼差しで見遣ったのは不破斬(eb1568)である。
「不破様、脅かさないでくださいませ」
「すまぬ」
わずかに口元を緩めたのみで、斬は風華の傍らに身を屈めた。彼は依頼人の内儀のうろついていた場所を求めてきたのだ。
「どうだ、様子は?」
風華から荒れ寺へ。斬は視線を転じた。
そこは問題の無住の寺。崩れかけた土塀から、これもまた朽ちかけた本堂が覗いている。中には件の浪人者がいるはずだ。
「動きはありませぬ」
「眠っているのか?」
「さて」
風華は柳眉をひそめた。
「何か不思議な気もします。無住のお寺に無頼漢が住み着くというのはよくあるお話なのですが」
どこが、と問われても風華に答える術はないのだが。
強いていえば虫の知らせ。墨を胸の内に落とされたような気色の悪さ。
気の迷いだ。
そう斬は笑い飛ばすつもりはない。
陰陽師とは黒白の世の理を見透かす者。彼らを侮ってはならぬ。
「ただの流れ者だと良いのですが」
物陰からすいと姿を見せたのは鷺宮吹雪(eb1530)だ。性の示すとおり、白鷺のごとくたおやかな志士である。
「長屋での聞き込みはどうだった?」
斬に問われ、吹雪は顔の前で鉄扇を力なく揺らめかせた。
「何も。ただの荒れ寺というだけで」
間取りくらいは分りましたが。吹雪が付け加える。
とるに足りぬといえばそうだが、これで少しは内を調べる役には立とう。元々長屋から重要な情報が得られるとは期待していない。
吹雪は溜息をつき、続ける。
「あの黄泉人を追い返し、追撃する時期やというのに‥‥」
何気ない一言。が、胸に何かがはじけ、斬は顔をあげた。
「吹雪殿、頼みたいことがある」
ブレスセンサーを仕掛けてはくれまいか。
斬の依頼に、最初は戸惑いの色を面に滲ませていた吹雪も、すぐに真顔で頷いた。聡い吹雪は瞬時にして斬の意図を見抜いている。
「わかりました。やってみましょう」
燐光を零しつつ、吹雪は足を踏み出した。できるだけ寺に近く。
ややあって風華と斬の元に戻ってきた吹雪は、怪訝な面持ちで小首を傾げた。
「どうしたのですか、吹雪様?」
「いえ、それが‥‥」
息吹を感じた。
吹雪は風華にそう告げた。
「感じた? 息吹を?」
「ええ。中に二人、確かに息をしています」
「‥‥」
拍子抜けした態で、斬は腕を組んだ。
我ながら、上手く的を射たと思ったのだが。息をしている以上死人ではあるまい。
やはり、内儀の思い過ごしか。そうでなくてもせいぜいが夜盗か何かの類いであろう。
ギルドで簡単に写し取らせたもらった地図を斬が開いた時――
「危ないのだー!」
素っ頓狂な声がした。
慌てて顔をふりむけた吹雪達の眼は、土塀の角から姿を見せた二つの影を見とめている。雪色の髪を翻してよろめく華奢な少女を、元気一杯の少女が支えて――
所所楽柚(eb2886)と所所楽苺(eb1655)の姉妹であった。
「お寺の周りを調べてきたのだ」
風華達に気づいて走り寄ってきた苺は開口一番、そう告げた。
「それは良いが、もう少し静かにできぬか」
斬が窘めた。
口調は冷然たるものだが、眼には日向の光がある。苺という少女に接する者は、皆そうなるのかも知れない。彼女の魂が天陽の煌きを放っているが故に。
「ごめんなさい。わたくしのせいで」
頬に桜花の色を散らし、ぺこりと頭を下げる柚であるが、いえと吹雪がおしとどめた。それより――
「周囲はどうでした?」
「それが、別に」
おかしなところはなかった。変哲のない日常の風景が転がっているだけだ。
ただ。
と、柚は続ける。薄明の彼方に沈む何かを見つめるかのように眼を細めて。
「犬や猫を見かけなかったのです」
「犬猫?」
「ええ。野良が一匹も」
ポツリ、と。
柚のもらした言葉に、冒険者達は顔を見合せた。
まだそろわぬ断片。一片ずつはたわいのない風を装ってはいるが。
全ての断片が揃った時、そこにとてつもない不吉の絵図が描かれていそうで。
「この依頼‥‥何事も無く終われば良いが」
斬の声音は冥く響いた。
同じ頃。
建ってからどれほどの刻が過ぎたか分らぬほどのボロ長屋の中。
朱鳳陽平(eb1624)は依頼人の内儀と対座していた。
「浪人者のことだが」
どこから観ていたのだ。陽平は問うた。
が――
彼は内儀の答えなど望んではいない。彼の狙いは違うところにある。それは――
黄泉人の成り代わりだ。
黄泉人が残した爪痕はまだ生々しく、記憶にあたらしい。そこにもってきての浮浪の者だ。関連づけぬ方がおかしい。いや、それより。
陽平が真に懸念をもっているのが、眼前の内儀である。
陽平は何度か黄泉兵との戦に参戦していた。その際、彼らの恐ろしさはいやというほど思い知らされている。
黄泉兵の不気味さは、その不死性にあらず。真底の脅威は、その成り代わりにあり。
そう陽平は見てとっている。
考えてみよ。朋輩と思っていたものが、実は腐食の牙を研ぐものであった場合のおぞましさを。無防備にさらした背中に密やかに突き入れられたる刃の冷たさを。
そして、今。
陽平は黄泉人かも知れぬ女と対峙している。その事実は無視できぬ緊張を強いるものだ。もし黄泉人がその気になれば、いくらオーラ使いの陽平とて生還は難しい。虎を前にした怖気を抑えつつ、陽平はその身から燐光を舞い散らせた。
内儀の様子は?
眼を丸くし、息をひいている。至極当然の反応だ。普通人にとって、闘気の発露にしかすぎぬオーラも妖術と同じ認識にすぎぬであろうから。
「悪い、戦いの癖が身についちまったせいかな」
安堵と多少の落胆。陽平は苦笑いとともに告げた。
が、まだ完全に手綱を緩めたわけではない。
長屋の住人すべてを確かめてみないことには安心できないし、また有事に備えて道を閉ざす方策も考えねばならない。
闇が京をつつむ前に、やるべきことは山ほどある。
そして。
居酒屋の亭主に頭を垂れてから、一人の娘が歩き出した。身が溶けそうな熱気をものともせぬように、背をぴしりとのばした巫女装束の娘。その姿はなぜか涼やかで。
観空小夜(ea6201)である。
数歩足を運んで、小夜は胸元から紙片を取り出し、広げた。ぎるどで書き写させたもらった京の簡単な地図。所々印がつけられているのは件の浪人者の目撃場所だ。
京はジャパンの中心であり、それゆえに流れ込む浮浪の者も多い。その中から問題の浪人者の動きを追うことは当初不可能と思われたのだが、いざ調べてみると深夜にうろついてる浪人者は意外と少なくて、それらしい目撃談がいくつかとれた。
その地点。全てが正解だとは思わないが。
しかし、次第に地図には何かしらの文様が描かれつつある。その正体は未だ読み解くことはかなわぬけれど。
ひどく、胸騒ぎがする。闇夜の底で、何かとてつもないことが進められているのではないか。
人ごみの中、なぜか冷たい孤独を覚えて、小夜は周囲を見回した。
もう一人。
長屋の開き部屋の上がり框。
デルスウ・コユコン(eb1758)は一人、ゆるゆると酒を舐めていた。酒は依頼人の内儀が差しいれてくれたものである。
「もう戻ったのですか」
「ああ」
デルスウはわずかに充血した眼をあげ、訪れた主――アウル・ファングオル(ea4465)を見遣った。
「浪人達の向かう先の目星をつけようかと思ったのですがな」
足取りに関連性はなく、後は追えなかった――デルスウが告げた。
「故に、することもなく」
酒を舐めているのだ。
「羨ましい」
アウルは微笑んだ。
嫌味でなく、確かに彼はそう思う。デルスウの心の緩み。それはより高く飛翔する前の屈みであることをアウルは承知しているのだ。
「陰陽寮にて件の寺について調べたのですが」
「おお、すみませぬ。で?」
「いや」
アウルは頭を振った。
「特に意味はない、と」
「意味は、ない!?」
デルスウは腕を組み、眼を伏せた。
では、彼奴らはいったい何を目論んでいるのであろう。
じゅくじゅくと湿った夜気が身にまとわりつく。相も変らぬ京の夜だが。
「動きだしたぞ」
寺の門をくぐった浪人者の姿を見とめ、陽平が押し殺した声をあげた。頷く冒険者達は手筈通りにわかれる。正確には三つ。それは――浪人者が二手に別れた故だ。
一人を吹雪と斬と陽平が追い、もう一人を小夜と苺とデルスウが追う。そして残った風華と柚は――寺の中にいた。
「気配は?」
「ありません」
という柚の返答に肯首して、風華は寺の内部を調べ始めた。息を殺しつつ、そろそろと。
息する者が浪人者だけであることは確認済みだが、息吹をもたぬ者の存在が否定されたわけではない。寺の中が煉獄と化している可能性もあるのだ。
その中での探索。それは心身を薄刃で削りとられる労苦である。
そして幾許か。
さして動いたわけではないが、びっしょりとぬらつく汗に濡れた顔を柚と風華は見合わせた。その面は徒労の為にひどく疲れて見える。
寺の中。そこには何もなかった。いや、なさ過ぎるといった方が良いかも知れぬ。
数日であれ寝泊まりなどすれば、自然そこには生活の痕跡というものが存在する。それなのに――
何も、ない。
人の居た痕跡がまったく。まるで最初から人などいなかったかのように。
「いったい、何をしているのでしょうか」
デルスウのもらした不審の呟きに、小夜と苺は眉根を寄せた。
その言葉通り、眼前の浪人者の夜歩きの目論みが知れぬ。最初こそ人目を用心していたようだが、次第にその気配も薄れ、今では‥‥
路地を覗きこんだかと思うと、塀を眺め渡し、木々を見遣る。まるで初めて京見物に来た田舎者のような熱心さ。意図がまるで想像つかぬ。
「あっ」
突如、苺が息をひいた。もう一人の浪人者の姿を見出した故だ。
長い白塀の前。再び落ち合った二人は、挨拶をするでもなく、ただ並んで塀をじっと見つめている。
闇の中、なお黒々と佇む二つの影に我知らずぞっとし、冒険者達が肌を粟立たせた、その時――浪人者が元来た道を戻り始めた。慌てて物陰に身を隠す小夜、苺、デルスウの三人。その前をペタリペタリと浪人者が通り過ぎていく。
ややあって、さらに三つの影。
「おい、なのだ」
呼びとめられ、陽平は咄嗟に大刀の柄に手をかけた。流れる仕草に遅延はない。が――
声の主に気がつき、ふっと陽平は吐息をついた。
「苺か‥‥あやうく抜くところだったぞ」
「ごめんなのだ」
悪戯っ子のように頭を掻く苺は屈託ない。さすがの陽平も苦笑せざるを得ず、
「こんなところで再会するとはな」
「ところで、どこなのですかな、ここは?」
デルスウが問う。彼は最近京都に来たばかりで、あまり府内のことについて詳しくはない。
「ここは‥‥御所どすえ」
吹雪の応えに、はじかれたように小夜は瞠目し、懐から地図を取り出した。彼女の脳裡で朧であった像が次第に明瞭な形をとりつつある。
浪人者の目撃場所を記した印。当初は意味のない文様と見えたそれであるが。
わかった。
小夜は一人合点した。
印は御所を中心に展開されていたのである。
「浪人達が出ました!」
風華の声に、冒険者達ははね起きた。慌てて身支度を整える。が、苺はまだ寝ぼけ眼だ。
「‥‥もう夜‥‥なのだ?」
「もう朝ですよ」
慌てて抱き起こそうとした柚であるが、姉妹そろってすってんころりと――
「奴ら、こんな朝っぱらから‥‥どういうつもりだ?」
ごちる斬の前を浪人者の一人がゆく。追うのは彼を含めた吹雪と陽平の三人。昨夜と同じ面子である。先ほど別れたもう一人の浪人者は小夜と苺とデルスウが追っていた。風華と柚は寺の見張りに残っている。
「分りまへん。せやけど何かあるに違いないどすえ」
いいしれぬ不安に、ややもすると早まり足を抑えつつ、吹雪が答えた。その時、彼らは人だかりに行き当たった。
「何なんだ、この人山は?」
むっとする人いきれに顔を顰める陽平の眼は、この時、街路を進む豪奢な唐車を見出した。
「あれは――」
「神皇様の唐車どす」
「何!?」
陽平と斬の脳裏に、この時、ある事柄が蘇った。神皇様が神宮にお成りになる――確かそのような布令があった。それが今日であったとは――
まさか!
陽平と斬が青ざめた顔を見合せた刹那――悲鳴がわきおこった。
雷に撃たれたように顔を振り向けた吹雪達は見た。悲鳴の原因――抜刀し、神皇の行列に斬り込むもう一人の浪人者の姿を。
「あっ!」
愕然とする吹雪が呻きをあげるのと、無礼者と唐車の供侍が絶叫するのとが同時であった。乱刃が舞い、当然浪人者は血の海に沈んで――いなかった!
なますのように切り刻まれたはずの浪人者であるが、その身は傷どころか、血の一滴すら零してはいない。供侍の一人を斬り下げつつ、浪人者は凶鳥のごとく嗤っている。
その間。注意と恐怖の焦点が浪人者に結ばれたその隙をつくように、もう一人の浪人者がするすると唐車に近寄っていた。
「何も――」
唐車の側に残っていた供侍の声が途切れた。その喉笛から狭霧のような鮮血が噴いている。眼にもとまらぬ浪人者の抜き打ちによるものだ。
血煙を浴び、悪鬼の形相になった浪人者は刃を翻した。ほんのわずか、こじあけられた一点を貫くように刃の切っ先が疾り、唐車に――
火花が散り、浪人者の刃が撥ねあげられた。
撥ねあげたものは――おお、吹雪の鉄扇だ。
「今少しであったに」
一気に飛び退った浪人者の口の端が鎌のように吊りあがった。魔性にしかつくりえないおぞましき笑み。
と、その浪人者の貌がみるみる干からびていく。皮が乾き、眼窩が落ち窪み――現し世の者から常世の者へと。すなわち人から木乃伊への変貌。
「黄泉の兵!」
斬の刃が唸った。が、斬れとんだのは布の切れ端のみだ。
「おのれ」
喘鳴のような声を発しつつ、しかし陽平は黄泉人の退路を断つ形で抜刀した。刃はすでに蛍光の飛沫を散らしている。
「若造、死ぬか?」
黄泉人がじりと足を踏み出した。押されるように陽平が退る。黄泉人に対する恐怖が、さしもの陽平の刃も凍結している。その時――
「白き鎖を以って、汝の行動を戒めん」
小夜の呪縛呪が響いた。続いてあがったのは苺の雄叫びであり、デルスウの裂帛の気合だ。
不死の黄泉兵に、ただの刃は歯がたたぬ。されど――
「どうやらくたばるのはお前達のようだぜ」
陽平はニヤリとした。