【夜叉】小鬼
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■ショートシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:5
参加人数:10人
サポート参加人数:14人
冒険期間:01月30日〜02月08日
リプレイ公開日:2008年02月09日
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●オープニング
「見失ったが、約束は必ず守る」
呟いた。
声の主は、肉食獣の獰猛さを滲ませた巨漢であった。ただそこに在るだけで、空間を歪ませるほどの闘気を放っている。
その巨漢の眼前には、土がこんもりと盛られ、手折られた花が置かれてあった。
墓標。稚拙なそれは、まるで涙で作り上げられているようだ。
墓標に酒を供えると、巨漢はずいと立ち上がった。そして足元を見る。
そこには、縛り上げられた一人の男が転がされていた。
うつぼ。餓狼という名の賞金稼ぎの生き残りだ。他の者は、すでに冒険者によって始末されている。
巨漢はずらりと刃を抜いた。
「お、俺を殺すのか」
男が問うた。その眼には怯えの色が浮いている。
「何モンだ、てめえ」
「虎魔慶牙(ea7767)」
ふふん、と巨漢――慶牙は笑った。
「おめえから、もう聞く事もない。生かしておく理由はねえなあ」
云うと、慶牙は刃をふるった。
ぷつり。
ぶんと唸る刃音が疾りすぎた後、うつぼを縛っていた縄が切れて、ぽとりと地に落ちた。
「な、何の真似だ」
立ち上がり、うつぼが問うた。
と――
その眼の前に、キラと光がはねた。
手裏剣。光の正体だ。
反射的にうつぼは手裏剣を掴み止めた。
「これは――」
愕然としてうつぼは呻いた。その手裏剣は彼のものであったからだ。
うつぼは、彼に手裏剣を放って寄越した慶牙をにらみつけた。
「てめえ‥‥どういうつもりだ。俺を逃がすってのか」
「おめえ」
うつぼの問いには答えず、慶牙が口を開いた。
「覚えているか。餓狼の誰かが、さやかの手足の筋を切って動けなくしてから犯し、それから殺すとぬかした事を」
「ああ」
うつぼはニンマリした。
「云ったのは俺だ。さやかとかいう小娘、抱き心地が良さそうだったんでな。どのみち死ぬ運命。だったら、せめて天国を見ながら息の根をとめてやろうという俺の情けさ」
「そうか」
慶牙の笑みが深くなった。それはぞくりとするほど恐い笑みで。
「やはり、おめえは生かしてはおけぬなあ」
「何っ」
うつぼが手裏剣をかまえた。その眼前、慶牙は虎のように笑っている。
「ただ斬るだけじゃ面白くねえ。だから得物を返してやった」
慶牙が云った。そして己の胸を指し示す。
「ここが心の臓だ。良く狙え。外すば、次の瞬間、おめえの首と胴は泣き別れだ」
「ぬかせ!」
うつぼが手裏剣を放った。それは慶牙が戦闘態勢に入る寸前を狙った一撃で。
もし――
慶牙が常人ならば、ふいを突いたうつぼの手裏剣はかわせなかっであろう。が、慶牙は常人ではなかった。
修羅。戦鬼である。
常に死地にある修羅に油断はなかった。慶牙はわずかに身動ぎすると手裏剣をかわし、うつぼに迫った。
「ひっ」
うつぼが飛び退った。数間の距離を一気に。
が、それよりも迅く、慶牙がうつぼに襲いかかった。
「死合おうじゃねえか」
慶牙の雄叫び。それが、うつぼがこの世で最後に耳にしたものであった。
●
「駿河にゆけ」
「駿河?」
小首を傾げたのは三人の少女だ。純、らん、小町という。
「どうして駿河にいかなきゃならないの?」
純が問うた。すると髑髏に皮を貼り付けたような相貌の老人の眼が微かに光った。
「さやかを殺るのじゃ」
「さやか?」
三人の少女は顔を見合わせた。
「さやかって、翁様を裏切った奴よね」
「世の中の為に働いている翁様を裏切るなんて悪い奴だ」
「殺っちゃおう!」
三人の少女が熱り立った。それを慰撫するように眺め、翁と呼ばれた老人がよしよしと云った。
「よくぞ申してくれた。ならば早速ここを発つのじゃ」
「はい!」
三人の少女は小鳥のように勇躍飛び立っていった。
「よいのか」
三人の少女の姿が消え、幾許か後の事だ。突如声がわいた。
「ぬしか」
背を向けたままの翁の口から苦笑がもれた。
「かまわぬ。小鬼の一人一人はさやかとほぼ同じ技量をもつ。むざと返り討ちにはあうまい。それに、もし小鬼がしくじったとて、代わりの傀儡はいくらでもおるからの」
「そうではない」
声が云った。
「小鬼の一人‥‥らんといったか。あの娘はさやかと姉妹であろうが」
「そうじゃ」
翁がこくりと肯いた。そしてくつくつと嗤った。
「双子の姉妹。当の二人は知らぬがな。‥‥が、骨肉相食むのも座興としては面白かろう」
「ふん」
声が吐き捨てた。
「うぬは相変わらず趣味が悪い。が、それはそれとして、本当に小鬼がさやかを討てると思うか」
「心配はいらぬ。もし小鬼がしくじれば、その小鬼もろとも始末するよう、すでに邪鬼に命じておる」
云うと、翁の笑みがさらに深まった。
●
あまり面白くない。
ごろりと草に寝転んだ慶牙は思った。
様々な依頼をこなしても、今一つ気分は晴れない。依頼で得た金で購った酒を喉に流し込んでも、どこか胸の内がざわついている。
「やはり、あれか」
慶牙はふふんと笑った。そして立ち上がった。
その慶牙の眼前に、四人の冒険者が立っている。南天輝(ea2557)、渡部不知火(ea6130)、黒崎流(eb0833)、磯城弥魁厳(eb5249)の四人だ。
「行くんだろう、駿河へ。さやかを見つける為に」
「ああ」
慶牙が肯いた。
その時だ。ひゅうと風が唸り、慶牙の足元に一本の刃が突き刺さった。
苦無。刃の正体はそれだ。そして、その苦無には一枚の紙片が巻きつけられてあった。
「ほお」
苦無に巻きつけられていた紙片を広げ、眼をはしらせた慶牙の口から声がもれた。
――話は既に聞いている。有無など云わせぬ。俺も混ぜろ。白蛇丸。
紙片には、そう書かれてあった。
「そうかよ」
慶牙はニヤリとした。
「あの男が来るかよ」
名の通り、蛇のように冷酷で、蛇のように恐ろしい男。白蛇丸が来る以上、此度の仕事も只ではすまないだろう。
「面白くなりそうだ」
慶牙の眼が虎の如く、黄色く底光りした。
●
「ゆくよ、冒険者が」
雄太が大きな声をあげた。すると年の頃なら十三、四ほどの愛くるしい少女が小首を傾げた。
「さやかって娘、探しにいくんでしょ。大丈夫かな、法眼様」
「さて」
答えたのは、寒気のするほど美しい若者だ。
鬼一法眼。鬼の一字を名にもつ若者は少女を見下ろし、神々しいまでの微笑を浮かべた。
「連れてくればさやかという娘を預かるとは約束したが‥‥姫子はどう思う?」
「うーん」
しばらく考えこんでいたが、ややあって姫子はふるふるとかぶりを振った。
「わかんなーい」
「そうか」
鬼一法眼は肯くと、鈍色の空を見上げた。
「凶雲が近づいている」
呟いた。
●リプレイ本文
さやかなる
淵の淀みに凪起きて
漣渡る
鬼の弐の舞
●凶雲迅く
ふふん。
虎魔慶牙(ea7767)が楽しそうに笑った。
「八人かよ」
呟き、見渡す。眼前には八人の冒険者が佇んでいた。
ルーラス・エルミナス(ea0282)、南天輝(ea2557)、渡部不知火(ea6130)、風斬乱(ea7394)、陸堂明士郎(eb0712)、黒崎流(eb0833)、セピア・オーレリィ(eb3797)、磯城弥魁厳(eb5249)の八人だ。
「ところで小鬼の事なんだけど」
不知火が口を開いた。
「餓狼が云っていた、さやか殺しの依頼人の事だな」
明士郎が良く光る漆黒の瞳を慶牙に向けた。
「さやかと同じ年頃の娘だと云っていたが」
「ああ」
慶牙は肯いた。
「調べたところ、三人組である事はわかった」
「三人!?」
流が大げさに肩を竦めて見せた。
「よくよく我々は女の子に縁があると見えるな」
「何やら嬉しそうにございますが」
ひやかすようにニッと笑んだのは桐乃森心だ。すると流は片目を瞑って見せ、
「美しい花は多いに越した事はないからな。ところで心、小鬼をつかう元締めは探れそうか」
問うた。
「はい」
肯き、しかし心はわずかに首を傾げた。
「夜叉、餓狼、小鬼と欠片は揃い始めておりますから何とかなるとは思うのですが‥‥世間を欺き子飼いを養えるなら、表の顔は案外名のある大店の好々爺かも知れませぬね」
「好々爺ねぇ」
不知火がクスリと笑った。それを見咎め、不審げに人外の者――魁厳が問う。
「何が可笑しいのじゃな」
「夜叉といい小鬼といい、子供って余程に使い勝手の良い道具らしいと思ってねーぇ。‥‥下衆共が」
ギンッ!
不知火の眼が異様に光った。
刹那、辺りの空気が硬質化し、冷えた。凄愴なる不知火の殺気のなせる業だ。
「だからよ」
声と共に――のびた手が不知火の肩を掴んだ。
「面白いんじゃねえか」
笑った。獣が牙をぬらりと覗かせたかのような笑み――輝だ。
「そんな下衆をぶちのめせるんだ。仕留める時が楽しみでぞくぞくするぜ」
「物騒だこと」
セピアが髪をかきあげ、尖った細い顎をわずかに持ち上げた。
「只、女の子を探すだけじゃないとは思っていたけれど‥‥そんな殺気だった顔つきしてたんじゃ女の子は恐がっちゃうわよ」
云って、セピアはつんと乳房を突き出し、大きな尻をくねらせた。
「ほら、良く見て。女の子っていうのは、こんなに脆いものなの。だから優しく扱わなきゃ駄目。わかった?」
小悪魔めいてちらりとセピアが見上げると、慌ててルーラスは眼をそらせた。剣の唸りなど毛ほども恐れぬ騎士たる彼であったが、この敵は苦手であった。
「わ、わかっていますよ」
かろうじてルーラスは答えた。そして手で宝物を包み込むような仕草をし、女の子が弱いものだという事は、と続けた。
「柔らかそうで‥‥だから守らなければ‥‥い、いや、女の子だけじゃなく、全ての命あるものを守るのが騎士のつとめで――」
何を云ってるんだ私は――ルーラスが唇を噛んだ。
と、その肩ほぽんと叩いた者がある。輝だ。苦笑を浮かべ、
「わかったよ、ルーラスが良い漢だって事はな。ところでグラス」
輝がグラス・ラインに眼を転じた。そして一枚の紙片を取り出す。さやかの消えた岬辺りの地形を簡単に書き記した物だ。
「占ってみてくれないか」
「はい」
肯くとエルフの少女は振り子を取り出した。ややあって――
グラスはやや消沈した顔を上げた。
「この辺り」
「ふむ、随分と大まかじゃの」
覗きこんでいた魁厳が腕を組んだ。
「この図じゃ仕方ない。ではシーンはどうだ」
「さっきからやっているんだけれど」
陶磁器のような肌をもったジプシー――シーン・イスパルが答えた。
「どうかしたのか」
「え、ええ」
躊躇いつつ、シーンが一枚の絵札を示して見せた。雷に撃たれて崩れ去ろうとしている塔の絵柄が描かれている。
「意味は崩壊、災害、悲劇。さやかという娘の状況を占ってみたの」
「そいつは‥‥」
輝が息をひいた。
「では」
と、次に声をあげたのは久駕狂征だ。
「俺も占ってみよう」
ニンマリし、誠刻の武なる集団の団員である彼は占星術を始めた。そして幾許か。
狂征は肩を落とした。答えを聞くまでもない。暗雲立ち込める結果であったのであろう。
「焔殿はどうであった?」
救いを求めるかのように眼を振り向けた魁厳であったが。自身の名を想起させる炎のような紅髪をもった陰陽師――土御門焔は空しく首を振った。素人同然の彼女の技量では、運命図を読み解く事はかなわなかったのだ。
「まあ、よい」
呟くと、明士郎は腰に通連刀を落とした。流れるようなその挙措には一瞬の淀みもない。剣人一体と化した姿がそこにはあった。
「全ては駿河に行けばわかる事。それよりもさやか殿の胸の内の方が心配だ」
告げた。
誠刻の武主席であるだけに、明士郎の人心に対する眼力は鋭い。この場合、彼は問題の核心を見抜いている。
さやかにとって冒険者は友の仇だ。そのさやかを冒険者が救おうとする。これほどの困難事があるだろうか。
「いっその事、虎魔殿が娶るというのも一案かも知れぬな」
「俺がかい?」
慶牙がげらげらと笑った。そして一枚の紙片を取り上げた。雀尾嵐淡が描いたところのさやかの人相書きだ。
憂いを秘めた瞳のさやかの相貌は可憐で、美しい。もし夜叉などでなかったら恋の一つもしていてもおかしくはない。
「娶るかどうかはわからねえが、さやかが刃を向けてくるなら全て受け止める。そして、次は手を離さねえ。そうだ」
慶牙は手をうった。
「もし助ける事ができたなら、ガキ共の事を霞と呼ぼう。霞草の花言葉は、確か清らかな心だ。さやかにはうってつけだぜ。どうも夜叉だの小鬼だの、辛気臭くていけねえ」
「それがいい」
ひゅう、と。風が立ち、乱が慶牙持つ紙片を手にとった。そしてしんと静まった眼で見つめた。
さやか。暗殺者と育てられ、暗殺者としてのみ生きてきた少女。
ソレしか生き方を知らぬ者に、他の生き方ができるのだろうか? そう乱は疑念をもたざるをえない。
さらに乱は思う。正しいと信じていたモノを全否定された時、人は何を思うのだろうか、と。
黙したまま乱は眼をあげた。
これまで乱は多くの死を見てきた。そして多くの哀しみを。
「どこも同じだ」
寂しげに乱は呟いた。
●白影
七人の冒険者がゆく。見送るのは、しばし江戸に残るルーラスと流のみだ。今頃ステラ・シアフィールドは人買い集団の情報を求めて江戸の町を奔走しているはずである。
と――
突然魁厳が足をとめた。
「どうしたの?」
問う不知火に、魁厳はふむと唸り、仲間の数を指を折って数えた。
「一人‥‥足りぬと思うての」
「一人?」
不知火も仲間を見渡し、ややあってははあと合点した。
確かにおらぬ。あの男が。
夜叉を殺すに、何の躊躇いももたなかった男。名の通り、毒蛇のように冷血なる男。
「白蛇丸、か」
「逃げたか、その男?」
乱が問うた。が、慶牙は馬鹿なと笑い飛ばした。
「そんな玉かよ、奴が」
「では、何故姿を見せぬ」
「わからねえ。が、ガキ共を勝手に殺してくれるな。そう釘を刺しておきたかったんだが、もはやかなうまいなあ」
慶牙が溜息を零した。
むくり。
冒険者ギルドの屋根の上、漆黒の影が身を起こした。
「ぬるい‥‥ぬるいぞ、貴様等」
影が三度笠を持ち上げた。現れたのは端正ともいえる男の顔だ。が、その眼には氷の如き冷たい光がやどっている。
氷雨雹刃(ea7901)。不知火達が白蛇丸と呼んだ忍びの正体が、この男であった。
「ガキ共を勝手に殺してくれるな、だと」
雹刃は嘲笑った。
瞬間、キラリと彼の左側頭部が日光をはねた。髪に飾ったエリスの髪飾りが太陽光を反射したのである。
「馬鹿め。俺は俺だ。人の指図は受けん」
雹刃は音もなく立ち上がった。その面によぎる嘲笑がさらに深くなる。
「慶牙――虎目の奴、さやかのみならず小鬼までをも救うつもりのようだが、そう上手くいくものか。貴様等がいかに手をさしのべようと、握り返される事などありえぬ」
呪詛の如く呟くと、雹刃は三度笠を下げた。
●攪乱
塵風舞う江戸の町。二人の男が歩いていた。
一人は流だ。そして、もう一人。三度笠を被り、漆黒の武者鎧を身に纏っているところからジャパン人に見える。
いや――
三度笠からちらと覗いた相貌。彫像のように彫りの深い顔立ちは――ルーラスだ。
「これで少しは目立たなくなるでしょう」
「まあね」
苦く笑いつつ、流が頬をぽりぽりとかいた。
と、流が足をとめた。居酒屋の前だ。
「ここだな」
暖簾をかきわけ、流が戸をくぐった。ルーラスも続く。
「あれか」
店の中を見回し、すぐに流の視線は一人の男の顔にとまった。
坊主頭の巨漢。情報屋である。
「おい」
流が声をかけた。すると巨漢はぎろりと眼をあげて、
「何だ、おめえらは?」
「赤猫さんだね。情報が欲しい」
「ほう」
赤猫はニヤリとした。
「俺の事は承知の上のようだな。いいだろう。が、安かぁねえぞ」
「わかっています」
代わってルーラスが口を開いた。その顔を見上げ、巨漢は眼を眇めた。
「てめえ、異人だな」
「まあ、そんなに恐い顔をしないで」
微笑みつつ流が銚子を持ち上げ、巨漢の猪口に酒をついだ。
「自分達はあなたの敵ではない。さっきも云ったように情報が欲しいだけだ」
「ふん」
酒を飲み干すと、赤猫は口を歪めた。
「安かぁねえと云ったはずだ」
「わかっている。こちらの情報と交換という事でどうだ?」
「いいだろう。で、何が聞きたい?」
「さやかという娘に追っ手がかかっていますか?」
ルーラスが問うた。
「さやか?」
「はい。夜叉という暗殺者の生き残りの一人です」
「夜叉!?」
赤猫が息をひいた。
「て、てめえら、夜叉にかかわってやがるのか」
「そうですが」
「なら、用はねえ」
赤猫が立ち上がった。酒代を投げ出すようにして卓におく。
「どこに行くのですか?」
ルーラスが赤猫の腕を掴んだ。それを赤猫は振り払うと、
「放せ。俺ぁまだ死にたくねえんだよ」
「では、もし餓狼や浮浪の若い娘について調べに来る者がいたら、これだけは伝えておいてほしい。波切岬にさやかがいると大うつぼの守が云っていたと」
「わかったよ」
答えると、そそくさと赤猫は居酒屋から姿を消した。その背を見送り、ルーラスが口を開いた。
「さやかの追っ手というのは、よほど恐ろしい者のようですね」
「あの赤猫の怯えようは只事じゃなかった。おそらく裏世界の者達ですら恐怖する存在がいるのだろう」
「裏世界の者達ですら‥‥」
呟くルーラスの表情に気づき、流は瞠目した。
ルーラスの眼の輝き。まるで太陽のように尋常ではない。
「恐れてはいないのだな」
そっと流は声をもらした。そして嬉しげに微笑んだ。
ルーラスという若者はすべての命ある者を愛している。その愛に殉じる事も、この颯爽たる騎士は厭いはしないだろう。
「自分達があたえた偽情報を敵は信用するまい。が、確認する為に手間は割かれるはずだ」
云って、流はふっと空を見上げた。
「嫌な雲が出ているな。急ごうか」
●想い
東海道。
江戸からおよそ四十里先に駿河はある。
その駿河めざして、七人の冒険者は馳せていた。とはいえ、皆一緒であったかといえばそうでもない。
輝とセピアは徒歩で、不知火は韋駄天の草履で、 乱と慶牙と明士郎は馬で、そして魁厳は空飛ぶ絨毯で。
当然進む速度には違いが生じ――
「どうやら最も早いのは私のようだねぇ」
不知火は水筒を取り出すと口に含んだ。逸る心はあるが、焦っても仕方がない。
それよりも気にかかるのは小鬼の事である。
「知らず、使われるだけの手札ならば斬る気は無いが」
独語した。そして迷う。小鬼にどう対処れば良いかと。
――弱者への優越感、殺戮への快楽、特有の残酷さ‥子供ってな有る意味大人より性質が悪い。其れに養い親への盲信が加味となりゃ、一筋縄じゃいかねえだろうさ。
不知火は心中に嘆じた。小鬼を助けるに、あまりにも障害が多すぎる。下手をすればさやかの身にすら危険が及ぶ可能性があるのだ。
「一つと問われればさやかを取る。眼が語った言葉を受け取ったからには、此れが俺の選択だ」
自らに云い聞かせるが如く声に出すと、再び不知火は飛ぶように歩を進めた。ややあって、その頬に過ぎるのは苦笑の翳である。
「ま、どっちも取るって云えない辺り、私もへたれよねん」
「くそっ」
三度笠の内から舌打ちの音が響いた。雹刃である。
この男は今、徒歩で東海道を上っていた。彼の目当ての魁厳は、すでに空飛ぶ絨毯で遥か先に進んでいる。
「囮とするつもりであったが」
苦々しげにごちた。
「あの河童を出汁と仕立て上げ、その隙に目付け役を始末しようと思うたに」
ギリッと歯を軋らせると、雹刃は足元に眼をむけた。そこには二匹の犬が歩いている。
黒影と白影。雹刃が手ずから育てた忍犬だ。
その性は獰猛残虐。おぞましいことに人喰いである。
「焦るな」
慰撫するように雹刃が嗤った。
「今にたらふく喰わせてやる」
雹刃が云った。小鬼と目付け役、その共々を彼は始末するつもりであったからだ。
「必要なのは、さやか一人」
雹刃はニンマリした。夜叉の生き残りほどの手練れならば、創設予定の新田忍軍の一忍としてはふさわしい。
地響き立てて、疾駆する影がある。
三つの騎影。乱、慶牙、明士郎の三人だ。
「慶牙殿」
前を走る慶牙の背にむかい、明士郎が呼びかけた。
「小鬼の事だが‥‥敵として襲い来た場合、どうするつもりだ」
「ふん」
慶牙はニッと笑った。そして、
「掴まえて、全員尻百叩きにするさ。未だ分別の分からぬ子供に命の在り方を叩き込んでやるつもりだ」
「そう上手くなろうか」
明士郎の声が沈んだ。
「小鬼と呼ばれる者達、当然手練れであろう。刃を抜かずにすむかどうか」
「明士郎さん」
今度は乱が明士郎に声をかけた。
「あんたは刀を抜くのかね?」
「必要なれば抜く。手を抜いて戦える相手でもないだろうからな。が――」
馬に揺られながら、ちらと明士郎は乱に視線をくれた。
「自分は小鬼達を斬るつもりは無い。あくまでも峰のみで対応するつもりだ。それでは不服か」
「いや」
答え、乱は馬の腹を蹴った。その口元には微かな微笑が浮いている。
「ならば、良い。子供に刀を抜く行為は、屑以下だ。俺はアンタを気に入っているゆえ、あんまり日陰を歩いて欲しくはない」
「承知」
答え、再び明士郎は慶牙に眼を戻した。
「慶牙殿、今一つ懸念がある」
「何だ?」
「白蛇丸という男の事だ。噂に聞いた限りではその男、小鬼を殺しかねぬようだが‥‥もし白蛇丸が小鬼に刃をむけた時、慶牙殿はどうするつもりなのだ」
「その時か‥‥」
慶牙がニヤリとした。
「楽しませてくれるよなぁ」
●追う
「いいかしら」
声がした。漁師の男は網引く手をとめ、振り返った。
そこに立っていたのは一人の女だ。三度笠を目深に被っているので人相のほどはわからない。が、その巨大な乳房の映像のみは眩しいばかりに男の眼に焼きつけられた。
「聞きたい事があるんだけれど」
「聞きたい事? 何だ?」
「この娘」
云って、女は一枚の紙片を取り出した。墨で美しい女の子の顔が描かれている。
「さやかって娘なんだけれど」
「知らねえな、そんな娘」
男は首を横に振った。すると女は、いいえ、と云った。
「そうじゃないの。私が知りたいのは、この女の子を探している者がいたかどうかなの」
「いたぜ」
男が答えた。えっ、と女は一瞬息を引き、慌てて、
「いたって‥‥もしかして三人の女の子?」
「ああ。知らねえって答えたら、海に木切れを投げやがった」
「海に木切れ?」
女は首を傾げ――すぐにはじかれたように顔をあげた。三度笠がはねあがり、隠されていた女の紅眼が露になる。
「教えてちょうだい。その木切れはどこに流れていくの?」
血色の眼が妖しく光り、女――セピアが問うた。
●らん
不知火は樹陰に隠れた。セピアが漁師の男と出会うよりも前の事だ。
と――
一件の家屋の戸が開いた。すると家屋の内部が覗け――
いた。さやかが。
体中に布らしきものが巻きつけられているが、その顔は見間違えるはずもない。
駿河に誰よりも早く辿り着いた不知火は、昨夜のうちに海沿いに流れ着いた娘を助けた者が居ないか尋ね歩き、さらには妖精の凛の手も借り、ようやく今朝にはさやかを助けたという者のいる住まいを見つけ出したのだ。今、眼を離す訳にはいかない。
「皆、早く来てくれ」
不知火が呟いた。
「誰、あれ?」
藪に身を潜めた純が問うた。その視線の先に佇むのは一人の浪人だ。
「わかんない」
小町が首を振った。
「でも、さやかの事見張ってるんでしょ。らんはどう思う?」
「知らないわよ」
らんはそっぽをむいた。
「でも邪魔するなら、さやかと一緒に殺しちゃわなきゃ」
「何むきになってんのよ」
小町が笑った。
「さやかがあんたにそっくりだからでしょ」
「関係ないわよ」
らんが声を荒げた。
先ほど見かけたさやか。翁様から似ているとは聞かされていたが、まさかあれほどとは‥‥
らんの胸がざわついた。それが気持ち悪くて、らんは刃を引き抜いた。さやかを殺す為に。
●不知火、血笑
「うん?」
魁厳が怪訝そうに見回した。
あらかじめ決めてあった合流地点。そこに集まった冒険者の内、見えぬ顔がある。
「渡部殿は?」
魁厳が問うた。が、他の冒険者達は首を振るばかり。
「まさか――」
魁厳が絶句した。もしや不知火はさやかと遭遇したのではあるまいか。いいや、それよりも小鬼と‥‥
「渡部殿がどこに向かったかご存知の方は?」
「知らないわ」
セピアが答えた。そして、でも、と続けた。
「小鬼が向かった先ならわかるわ」
鎌鼬哭くが如く、風が唸った。
咄嗟に不知火は飛んだ。掠めて疾った手裏剣は地を抉っている。
「へえ」
感嘆の声があがった。陽光に浮かぶのは三人の少女の姿である。
「凄いね、あんた。わたしの手裏剣をよけるなんて」
小町が云った。
「小鬼だな」
ギラと眼をあげ――次の瞬間、驚愕にカッと不知火の眼が見開かれた。
三人の少女の中、見忘れもしない顔がある。それは――
「さやか!」
不知火が叫んだ時、小鬼が動いた。不規則に見えながら、統一された動きで不知火に迫る。
「ええい!」
不知火が刃を鞘走らせた。峰は返してある。
刹那、三つの剣風が不知火を吹きくるみ――
がくり、と不知火は膝を折った。その身からは二筋の鮮血がしぶいている。
「危なかったあ」
純がほっと息をついた。
「受け止めなかったら、やられるところだった」
「強いね、こいつ。でも、わたしたち三人を同時に相手するなんて無理」
らんが嘲笑った。その時――
ぬう、と不知火が立ち上がった。
「へえ」
純が眼を丸くした。
「まだ立てるんだ」
「へっ」
半顔を血に染め、不知火が笑った。よろけそうになる足を踏みしめつつ。
「無様だろうが、倒れるわけにはいかねえ。守りたい奴がいるんだ」
「守りたい奴? ‥‥もしかして、さやか?」
三人の少女達は互いに眼を見交わし、首を傾げた。
「どうして、そこまでしてさやかを助けたいの? このままじゃ、あんた死んじゃうわよ」
純が云った。すると不知火は血笑を浮かべた。
「死にたかねえが、このままじゃ泣いちまうんでね」
「泣く? 誰が?」
「ここが」
不知火が己の胸を指し示した。
「俺は俺自身に誓った。さやかを守ると。もし命惜しさに逃げ出しちまうと、こいつがおいおいと泣きやがるのさ。それだけはできねえ」
「‥‥」
眼を見張ったまま純と小町が顔を見合わせた。
何の得にもならぬ他人の為に命を賭ける男。未だかつて、このような男を二人の少女は見た事がない。
「‥‥馬鹿? あんた」
怒ったような声でらんが云った。そして純と小町に素早く目配せする。
「仲間が来るかも知れない。早く殺っちゃお」
云った。と、同時――
小鬼の姿が霞んだ。と、見えるほどに迅く、小鬼が不知火に襲いかかった。
「くっ」
刃を構えつつ、不知火は死を覚悟した。
すでに手負い。二度目の小鬼の攻撃にたえられるとは思えない。
――すまねえ、さやか!
心中に不知火は叫んだ。その時――
「待て」
声がした。
瞬間、ぴたりと小鬼は動きをとめた。三人の少女の背を凄絶の殺気が灼いている。
見えぬ刃にはたかれたように小鬼は振り返った。その眼前、騎影が三つ――
「さあ、お仕置きの時間だ」
虎の眼の巨漢が云った。
●対決
びゅうと旋風が吹き――
三つの人影が馬より地に降り立った。乱、慶牙、明士郎の三人だ。忍犬の不動は馬を飛ばしてきた為に近くにはいない。
「来い」
乱が云った。
「死というモノの意味を教えてやろう」
「ばーか」
罵り、三人の少女が地を蹴った。同時、乱、慶牙、明士郎の三人も動いている。小鬼に連携させない為だ。
殺気満ち、剣光乱れ――今、相うつ修羅六匹。
純は――
乱に襲いかかった。
きら、と光芒はね、二人がすれ違う。一瞬後、乱と純は間合いを外して相対した。
小鬼の戦法は迅さが身上である。通常ならば、すぐさま純は第二撃を繰り出している。が――
そうさせない何かを、乱は放っていた。
何か――純にはわからない。ただ、呼吸が同期だ。吸う、吐く、そしてまた吸う‥‥。
さらに、瞳が合い――
死を映しているかのような静かな乱の瞳を見つめていると、吸い込まれそうな錯覚に襲われ、純は思わず立ち竦んだ。
刹那、乱の刃がたばしった。疾る白光は純の身をかすめ――ぺたりと純は地にへたりこんだ。
手練れの純は気づいている。眼前の侍はわざと斬らなかったのだと。もし斬る気ならば、今頃純は胴斬りされているだろう。
「恐いか」
乱が問うた。
「それが死だ」
銀光が流れた。小町得意の手裏剣である。
「迅えッ」
避けられぬ――咄嗟にそう判断すると、逆に慶牙は前に出た。その肩に手裏剣が吸い込まれ――
激痛に歯を食いしばらせ、しかし慶牙は小町に迫った。巨大な容量をもった肉厚を、そのまま小町にぶつけるように。
反射的に小町が刃をかまえた。
「ぬん!」
かまわず慶牙は刃を振り下ろした。全精魂を込めた一撃は空間すら断ち切るように疾り――
剣圧にはじきとばされた小町の刃ががちゃりと地に叩きつけられた。
「くっ」
痛む手首をおさえつつ、小町が飛び退った。が、するとのびた手が、小町のそれをがっしと掴んだ。
「放さねえぞ」
慶牙がニヤリとした。
明士郎は――
「ぬっ」
呻いた。
殺到する小鬼の一人。少女の顔に見覚えがある。どころではない。あれは――
さやか!
不知火と同じ叫びを心中に発し、咄嗟に明士郎は刃をとめた。瞬時にらんの相貌を見とめえたのは、剣侠たる明士郎なればこだ。
が、そこに隙が生じた。一瞬の。
らんはそれを見逃さない。針の先のように明士郎に殺到し――
「きゃあ!」
悲鳴があがった。
刹那、雷に撃たれたかのように明士郎とらんが立ち止まり はっしと悲鳴の響いた方へと視線をはしらせた。
「あっ」
明士郎の口から愕然たる声がもれた。
一件の家屋の前、震えるようにして佇む少女がいる。その相貌こそ、まさに――
「さやか!」
明士郎が叫んだ。が、それより早く、らんが疾った。さやかめがけて。
「死ね!」
らんが飛んだ。必殺の刃は、ただ立ち尽くすさやかの胸に吸い込まれていき――
戛!
受け止められた。スヴァローグの篭手に。
「間にあったようだな」
ふてぶてしく笑い、輝は刃を繰り出した。
●邪鬼
「放して!」
「何すんのよ、馬鹿」
「さわんないでよ」
口々に三人の少女が叫ぶ。その身を縛り上げているのは慶牙の綱だ。
「うるせーな」
苦笑しつつ、輝が三人の少女の前にしゃがみこんだ。
「全く‥‥ぴーちくぱーちくって雀じゃねえんだからよ」
「ふん」
純はそっぽむいた。
「誰が雀よ。わたしたちは正義の味方なんだから」
「正義?」
「そうよ。世の中の為に、わたしたちは悪い奴を殺してるんだから」
「世の為?」
慶牙が純の顎に手をかけ、顔を仰のかせた。そしてぎろりと底光りする眼で見下ろす。
「笑止。殺しは所詮殺し、修羅道よ。といっても、今のお前達にはまだわかるまい。だから――」
慶牙が純を抱き上げた。そしてふっくらとした尻を打つ。
「痛い! 何すんのよ、ばかぁ。らん、助けて!」
「ほう」
乱が、純に助けを求められた少女に眼をむけた。
「お前もらんというか」
「‥‥」
黙したまま、らんは眼をそらせた。どうやら口をきくつもりはないらしい。
乱はらんを見つめた。勝気そうな瞳は、一途に何かを信じている光をやどしている。
「世界の為か‥‥その前に自分の為に生きてみてはどうかね?」
「ふん」
らんは口を歪めた。その面を見下ろし、慨嘆したのは明士郎である。
「‥‥しかし、どういうことなのだ」
「私も驚いたわ」
セピアに助け起こされ、不知火が身を起こした。その身はすでに明士郎のリカバーポーションエクストラによってある程度回復している。
「あまりにさやかにそっくりなんでね」
「どういう事なの?」
セピアが問うた。が、らんはそっけなく、知らないわよ、と答えたのみだ。
「なら、さやかに聞いてみるか」
慶牙が足を踏み出した。
人買いに関する情報はないとステラから報せがあった。どのみちさやかに問いたださなくてはならないのだ。
その時、殺意がはじけた。
時は、やや戻る。抱いていた純を慶牙がおろした時点に。
突如、樹陰に人影が現出した。
二人。それぞれに顔を布で隠し、弓をもっている。冒険者は知る由もないが、邪鬼だ。
刹那、別の気配がわいた。隠身を解いた魁厳だ。
「椿!」
魁厳が叫んだ。
椿とは樒流絶招伍式名山内の壱。陸奥流を元に、魁厳が改良を加えた技の一つである。
瞬!
爆煙と共に魁厳の姿が消失した。
どこに――邪鬼の一人の背後に。今、暗中の影は死神へと変じる。
ぐさり、と。魁厳の刃が邪鬼の背を刺し貫いた。が、呻いたのは魁厳の方だ。
血反吐を吐きつつ、邪鬼は矢を放った。続けざまに二度。己の命など顧みぬ冷静さで。
それと同時、もう一人の邪鬼もまた二矢を放っている。眼にもとまらぬ素早さで、続けて。
「あっ」
魁厳の口からひび割れた叫びがもれた。
●さやか
魁厳の叫びに反応し、咄嗟に動けたのは数人であった。第二の襲撃あるを予想していた輝、慶牙、明士郎の三人だ。
輝は小町の、慶牙はさやかの、明士郎はらんの前に立ちはだかった。もはやかわしている余裕はない。彼らは生きる盾と変じた。
その三人の胸に、吸い込まれるようにして三本の矢が吸い込まれ――
「くっ」
呻きつつ、明士郎は矢を引き抜いた。そして鏃を見つめ、再び呻いた。
鏃が黒く変色している。毒だ。
「おのれ!」
懐から解毒剤を取り出し、明士郎は仲間に手渡した。
その時――
「ぐふっ」
純が口から血を噴いた。その胸に一本の矢が突き立っている。
「しまった」
慌てて乱が解毒剤を純の口に押し付けた。
「飲め、早く!」
「無駄よ」
セピアが純を抱きしめた。彼女の身の内で、純の身は次第に冷えていきつつある。
「毒だけじゃない。心の臓を貫かれているわ」
「ではひーりんぐぽーしょんを」
「‥‥」
無言のままセピアは首を振った。その頬を透明の雫が滴り落ちる。
セピアは細く白い指で雫をすくい取り、不思議そうに見つめた。
「とっくに涸れ果てたと思ってたのに」
「くそっ!」
慶牙が歯軋りした。そしてさやかを振り返る。
「大丈夫か、さやか」
「さ‥‥やか」
さやかが口を開いた。人形のように。
「それ‥‥わたしの名前? あなたは、誰?」
●人喰い
邪鬼という名の物の怪が疾る。人の姿形をとって。
と――
ぴたりと邪鬼の足がとまった。その眼前、ふらりと現れたのは二匹の犬だ。
すうと邪鬼は刃を構えた。
瞬時にして邪鬼は悟っている。眼前の二匹の犬が己と同じ禍々しき存在である事を。
そして――
はじかれたように邪鬼は振り返った。その前、ぬうと佇む人影が一つある。雹刃だ。
「おまえはいらぬ」
ニィと雹刃の口の端が吊り上がった。ついで、その口元が漆黒の布で覆われていく。
刹那、二匹の犬――黒影と白影が邪鬼に襲いかかった。くわえた苦無で風を切りつつ邪鬼に迫る。
対する邪鬼は身を捻りつつ背後に飛んだ。雹刃にむかって。
が――
いない。雹刃が。
「ぬっ」
初めて邪鬼の口から声がもれた。その背後、寄り添うようにして立つのは雹刃だ。
「微塵隠れとは便利な術だ。――死ね」
雹刃が呟いた。次の瞬間、邪鬼の胸からぬらりと刃が突き出てきた。雹刃の備前長船だ。
がくりと邪鬼が崩折れた。いや、雹刃もまた。
「ぬ、ぬかった」
口からタラタラと血を滴らせ、雹刃が手で腹を押さえた。指の間から血がにじみ出ている。
「まさか己の腹ごと、俺を刺そうとは‥‥」
雹刃が苦鳴をもらした。その傍ら、二匹の犬が邪鬼の身を貪り喰らっていた。
●沈黙
輝達七人の冒険者がルーラス、流と合流したのは次の日の事であった。
「さやかさんの記憶が‥‥」
愕然とし、ルーラスは少女を見た。布を頭に巻いているが、確かに似顔絵通りの哀しい瞳の少女だ。
「あなたたちが小鬼だね」
流が二人の少女の前に立った。すでに純が殺された事、さらにはらんという少女がさやかに瓜二つである事も承知している。
「生きてさえ居てくれれば、それが良いと思っていたのだが‥‥すまない」
ぽつりと流が云った。が、小町とらんは唇を血が滲むほど噛みしめているのみだ。
――俺と共に来い。黒幕からも護って見せるぜ。
小鬼達を助けた時、輝はそう声をかけるつもりであった。しかしこうなった今、どうしてそんな事が云えるだろう。
輝は拳を握り締めた。爪が掌の皮を破っても、彼はただ握りしめていた。