【邪精の影】妖精の紡ぐ哀は 愛より深く
|
■ショートシナリオ
担当:深空月さゆる
対応レベル:8〜14lv
難易度:やや難
成功報酬:4 G 98 C
参加人数:5人
サポート参加人数:-人
冒険期間:08月09日〜08月14日
リプレイ公開日:2009年08月17日
|
●オープニング
●密会
煌びやかな宮殿が、もうずっと以前から魔の巣窟と化していた事を民人は知らない―――。
現在イムレウス子爵の名を継いでいる青年は、十三年前は無力なひとりの子供に過ぎなかった。昔―――その時。その地の魔の頂点に立つ男の配下として存在していた、下級の魔物は。ある晩、唐突に呼び出された。
「邪なる妖精、そなた、彼の母親になってやりなさい」
その妖精は、絶句した。
このままでは、父親のように魔に与するものとしての役割は見込めない―――というのが主の言い分で。数多の魔物を導く師、彼女が心酔する美しき主はそう命じられれば、拒絶はできない。
「畏まりまして、我が君」
うやうやしく礼を取り、そう言っていた――それ程に、主の言葉は絶対だったからだ。妖精は少年に優しくしてやることに決めた。百の魔力をこめた言葉よりも、ひとつの労わりに溢れた言葉のほうが時として、いとも容易くひとの心を屈伏させると知っていたからである。
魅了の特殊能力で心に影響を及ぼす事が可能な時間には、限りがある。だからこそ妖精は時間をかけ、言葉と優しい笑みを彼に向け、辛い時苦しい時、常に傍にいて励まし巧妙に演技を続けた。時には母親らしく彼をやんわりと叱り、ついで優しい言葉を囁く事も忘れなかった。
そして妖精は子爵の信頼を得て―――彼にとっての本当の母親のような立ち位置を得たのだった。子爵の母親の名前すらも。しかし男は、妖精を大切にしながらも完全には心を許さなかった。それが後に妖精には解った。ひとの心の機微を読む事に長けた、魔は。
●イムレウス子爵領・首都オリハルク、宮殿にて―――
「ねえ、サラ。この子爵領はもうじき、大きく様変わりするだろう。それこそ、地獄絵図のようになってしまうかもしれない。『母さん』は、それで平気かい」
豪奢な自室の窓枠に腰を駆け、高みから夜景を見渡しながら男は尋ねた。自分の肩に止まる妖精に。
「なぜそのような事を私に聞くんですの?」
「サラは綺麗な物が好きっていうのが口癖だからさ。都は破壊され屍はごろごろ転がり、景観も一変するだろうからね。平気かい?」
「‥‥」
確かに、妖精は美しい物が好きだった。特別な輝きを放ち装飾を施された品や、沢山の宝石や。かつてオリハルクの輝石と呼ばれる宝玉を捜し各地を―――王都メイディアにまで足を運んでいた時も、稀有なる品には心を動かされたものだ。それ同様に、綺麗、と思うものには執着してしまう性癖があった。それを揶揄されているのだと解って、微笑う。
「結局のところ美しい物は壊したくなるのですわ。この都も。だから気にすることはありませんわ。どうぞご随意に」
クリスタルグラスから唇を放し、軽く眼を丸くして。男は愉快そうに声をたて、笑った。
「子爵?」
「そういえば過去を覗く者が言っていたな。君を追ってきている少年の事。遥か東の商業都市リーゼルの大商人の片腕のその息子、父親が魔物絡みの事件で死亡、か。名前はラスティエル、とか」
黙った相手を、その小さな顔の輪郭を、指先は辿る。
「僕は君は綺麗なモノを壊す様が見たいな。夜会にまぎれ、羽虫が一匹くらい消えても大した事ではない。‥‥もみ消すのも容易だと思うけど、どう?」
●暑気払い
首都オリハルクの、イムレウス子爵家の者達が代々使える離宮―――。宮殿の傍には小さな森と小さな湖があり、子爵領の貴族達の中で噂の避暑地であった。離宮といってもホールを内包するそれなりの大きな建物で。野心を抱く者達は子爵に招待される事を心待ちにし、直々に声がかかる事はとても名誉な事だと思われていた。
だから子爵がある席でその離宮へ招待客の名の中に、有力とは言い難い貴族―――デルタダート・ジークの名をそれとなく挙げたときには周囲から、どよめきが起こった。
当事者はかつて不祥事を起こしたディオルグ家と縁戚関係にあり、足が悪い事を名目にイムレウス子爵主催の華やかな催し事には一切出席せず、身を引いているダート家の当主。彼は使者により屋敷へと届けられたその子爵直筆の招待状を見、初めて状況を知った。
「離宮に暑気払いにおいでになりませんか―――とは」
デルタダートは顔を曇らせ、物憂げに言った。最近突然、自分と交友を持ちたがる貴族が増え始めたとは思ったが、成程とこういう訳だったかと息をついた。
彼が目を走らせるその書面には、そこには父が爵位を退くまで長きに渡り昔の出来事を引きずりジーク家を冷遇してきたことを率直に詫びる言葉が続けられていた。ロゼらにとても聴かせる気にはならないが、かつて彼の一族は13年前の事件がきっかけで、政の中央から遠ざけられこの小さな港町の隅へと追いやられた。両親は理不尽な運命に傷つき、失意の中相次いで病を得て死んでいったのだ。しかしながらジーク家の当主は、それらの全てがディオルグの姫―――ロゼの両親に非がなかったこと、子爵らと魔物に仕組まれた事だと知っている。その書面を見、警戒するのも当然のことと言えた。
「‥‥私がロゼさん達に味方している事など百も承知だろうに。それを知りながら、呼び出す事に一体何の意味があるのだろうね。しかも他の貴族らに、私を呼ぶ事を匂わせるまでして」
今まで見向きもしなかった力を持たないジーク家を、敵視するもの、掌を返したようにすり寄って来る者が現れ始めている。それは当主の本意ではない。それどころか、得体のしれない気持ちの悪さを覚えさせる。
「‥‥ダートっ。体調が優れないって断りましょう。行っては駄目、きっと何か企んでるに違いないんだから!」
「それはできないよ。判るだろう?」
「で、でも!!」
傍らで、彼の恋人のルヴィアの顔から完全に血の気が引いていた。彼女を宥めながら、彼はエドワンドらが王都より戻る連絡を受けた事を思い出し、日付を確認した。それによると、子爵より招待を受けた日時には間に合いそうである。
書状には、以前髑髏蠅が現れた際の事も書かれていた。ジーク家の冤罪を晴らしたのは、ひとりの占い師の娘が関わっていた事も聞き知っております、と――――見る者が見ればわざとらしい文面で続けられていた。
「可能なら髑髏蠅を倒した勇者達と一緒においでください‥‥。馬車は事前に遣わすとのこと、離宮へと夕刻まで訪れるようにとあるね。珍しい天界人の音楽家の演奏と、美しいシフールらの演舞を披露する、と書いてある。夕涼みをしながら色々な事を語り合おうことを、子爵はお望みらしい」
「お望み、って。だ、ダート、大丈夫‥‥? なんでそんなに落ち着いてるの?」
「さぁ、何でだろうね。‥‥一度どんな男なのか、話をちゃんとしてみたかったからだろうか」
子爵領も他の領地同様、魔物による被害を受けている。改めて縁を結び、今後の為に港町で起きた出来事をお話くださいと―――子爵は綴っている。
「それで、終わり?」
ルーが腹立たしげに問うと、恋人は静かに首を振った。
「こう締めくくられているよ。その占い師の娘も、銀の舞姫、美しい妖精に縁ある少年もどうぞご一緒に、と」
「‥‥??! 何それ。‥‥って、ラスティエルのこと?」
「明らかに罠だろうが、ロゼさんらの戦いの有益となる情報を、得る事ができるかもしれない。心配させてすまない、だが私は行くよ、ルー。私でも、彼らの役に立てるかもしれないならね」
●リプレイ本文
●不吉な影
ロゼ・ブラッファルドは神妙な顔つきでテーブルに並ぶタロット・カードを見下ろす。
一枚一枚、それぞれに異なる絵柄。この占いの道具は、【愚者】で始まり、【世界】で終わる。幾度も助けられ、幾度も恐ろしい出来事を暗示してきた、ロゼがずっと使い込んできた一式のカード。
カードにある象徴の力、未来を示す道標。それを抜きとるのは優れた占術師としての才。
逆さになった【女帝】の図柄、気になるのは【死神】の位置。
ラスティエル少年を占うと必ず付き纏う不吉な影。今も。
「(ラス君‥‥)」
娘は軽く、唇を噛む。
イクシオン子爵から、ジーク家へ離宮への招待状が送られてきた事は、当主デルタダートから名指しされたロゼ・ブラッファルド、そしてラスティエルへと伝えられた。皆が招待を受けるのは危険だと制止したのだが、けれどこの地に生きる一貴族として、君主たる子爵の招待を蹴るなど到底考えられないこと、病を理由に辞退すれば、子爵お抱えの都の医師すら派遣されてくる可能性すらある。そして当主にこれといって病がないとなれば、彼は子爵に反意ありと見なされるだろう。それは彼が今度こそ本当に失脚する事を意味する。彼だけでなく、ジーク家に忠義を尽くす者、彼と恋人の事を好意的に受け入れつつある町の者にまで被害は及ぶかもしれない。それだけは―――避けなければならない。そして。
―――俺、絶対にデルタダートさんと行くから。俺だってずっと修行してきたんだ。二人を守れるよう頑張るよ。
そして五人の冒険者らが、三人の護衛を務めることを、名乗り出てくれた。
「私、行ってくるね」
ロゼを子爵に近づけるのを頑強に反対したクインとエドも、チビドラも、弟達も。冒険者らの協力を得られると知り、最後には彼女の意志を前に折れた。ミスティドラゴンと面識のあるクインは、現れた竜の従者と共に、かの霧に包まれた海域へと向かう事になった。エドワンドとロゼの弟達はきたる対決に備えやらなければならない事がある。クインは他者にその役目を任せられないこともあって、グリフォンを駆り竜の子と共に再び面会してくる。近づいてくる子爵との戦いにおいて、改めて助力を願い、カゼッタ島に眠る者の情報を得る必要があるからだ。
―――からからと【運命の輪】が回る。それはロゼと子爵の決着か。子爵領の民の未来か。もつれ合い絡まり合った糸を解くのは、もしかしたら本来なら関わる必要のなかった戦いに身を投じてくれた冒険者らのかもしれない。
それは、今回の暑気払いに同行するラスティエル少年に課せられた定めに関しても、そうといえるのかもしれなかった。
●離宮
「ったく、悪党のクセにヌケヌケと招待しやがって! だから頭いい奴ってのは嫌いなんだよな〜。よーし、じゃあこれから、いっちょド変態の子爵野郎のツラでも拝んでやるか!!」
「紫狼さん、じゃあ打ち合わせ通り‥‥‥‥あっちに行ったら口チャック、よ。よろしくね?」
「わーかってるって!」
そこは王都の奥深く。森の傍にある小さな湖を渡る風は心地よいだろう。このような状態でなければ。豪奢な二つの馬車から降り立ったのは、正装に身を包んだ冒険者らである。デルタダートと、占い師としての格好のままのロゼ、普段のウィザード特有のローブ姿のラスティエル。
美芳野ひなた(ea1856)はデルタダート付きのメイドとして護衛を行う。シャクティ・シッダールタ(ea5989)もひなた同様ジークの護りを名乗り出たが、ジャイアント故に他者に威圧感を与えるのを考え、多少距離を置いて護衛を行う予定だと仲間達に予め言っていた。忌野貞子(eb3114)、村雨紫狼(ec5159)、水無月茜(ec4666)の三人はラスの護衛を行う。ロゼの護衛に関しては、特に皆は考えなかった様子。ロゼもまた、自分の事は後回しでいいとやんわりと告げた。ずっと彼女に関わっている紫狼は、彼女の事も当然気にかけている様子を見せたが、当人はジークとラスを優先してくれ、と重ねて願った。
【離宮】と呼ばれる建物は、自然の中に溶け込むようにして在る、白塗りの清潔感のある趣のある建物で。夕闇の迫るその敷地には既に、何人もの貴族が従者を連れて訪れているようだった。広間には長テーブルが。品はいいが口数は少ない女達が、物静かに笑顔だけ添えて貴族を、デルタダートら一行を誘う。沢山の取り巻きら―――野心が透かし見える、脂ぎった男達の中から、すっと金の巻き毛に青い目の、微笑むだけで姫君らを虜に出来るだろう美しいい王子が進み出た。彼は名乗る―――自らがイクシオン・レフ・イムレウスだと。この子爵領の若き君主だ。
「ようこそお待ちしておりました、デルタダート・ジーク殿。突然の招きに応じてくださって心から感謝を。そしてあなた方の御来訪、歓迎致しますよ」
初対面、ほぼ彼についての知識を持たない冒険者らを除いて、嫌悪や不快な感情を露わにしないようにと皆が苦心した。それ程に彼は後ろ暗い物など何一つないという振る舞いで、そこにいたのだ。
*
シャクティから借り受けたチャイナドレスを着こなし、その美貌を晒している貞子はどことなく緊張している様子のラスを注意深く見た。ジークとロゼには無用の心配だが、ラスは場慣れしていない。どこで揚げ足を取られるか判らない政治的な駆け引き等、彼には縁のない事だし見聞きするのも初めての筈だ。ラスだけでなく、冒険者らの中で貴族の振る舞いを求められるのが苦手な者もいる為、貞子は彼らのフォローも話術で行っていた。子爵は常に多くの者に囲まれている為、すぐさま何か行動を仕掛けてきそうではないが、このまま何事もなくこの時間が過ぎてお開きとなることはあるまいと、冒険者ら皆がよんでいた。
子爵には言ってやりたいことは多々あれど、単刀直入に批難を口にする事も敵意をあらわにする事も出来ない。それでも笑顔の裏に皮肉を込め、何かを言ってやることくらいはできるだろう。
「(あとは‥‥アイツね。ラスを呼び出すなんて‥‥なんて忌々しい)
―――必ず護ると、心に決めている。最初はただの年下の少年だったが、彼女の中でラスはひとつの清涼剤のような、特別な存在に変わってきていた。ロゼの占いに頼るまでもなく、この離宮へと訪れる事になったラスに対して、貞子は嫌な予感をずっと感じている。表面上は穏やかな笑みを浮かべてジークとラス達の傍で招待客らと談笑しながらも、彼女は不快さとも焦燥ともつかないものを感じていた。茜もひなたも、貞子から助力を求められて助太刀しにきている。けれど彼女達は、ラスを呼びだした妖精と対面した事がある経験から、現状を完璧に把握している訳ではなくとも警戒は怠ってはいない。あの妖精は狡猾で、下級の魔物と侮ると大変な事になる。それを彼女達は知っていた。
「(ここは敵地っていうか、ラスボスさんのお家‥‥いえ、離宮だからちょっと違うにせよ。ともかくそんなところに招待だなんて、自信まんまんって感じですね)」
いざとなったら月魔法の障壁で護る事を考えながら、茜が。カクテルドレスを身に付けてカップに口をつける様子は、さまになっている。ごく自然にメイドを装うひなたはともかく、正装でいる茜はジークと共に現れた事で、関係を詮索される局面もあった。どんな名目で付いてくるか考えていなかったため、答えに窮する場面もあったが貞子がうまく間に入り、フォローをした。物珍しさゆえかシャクティもあれこれ無遠慮な視線を受けたが、彼女はジークをはじめ皆の不利になる振る舞いはしないと心に決めていた。紫狼が例の髑髏蠅の一件でジークに協力した事もあり、ひなたを除いて皆はその節に彼に力を貸した、という事にするのが一番おさまりが良さそうであった。髑髏蠅の一件は、貴族らの情報網の中で伝わっているようで、それを解決させた功労者として様々な者らに質問を受けた。紫狼は普段の口調が出ないように、四苦八苦。貞子もまたあの一件に関わった訳でなく、詳細を紫狼に確認していた訳でもなかったので答えに窮する場面もあった。ロゼがさりげなくフォローを行い、そしてさらに彼らを助けたのは、子爵だった。彼は笑う。
「音楽家達の準備が整ったようですよ。食事でもしながら、お話を聞かせてもらいたいですね」
*
宮廷音楽家は子爵のお気に入りの天界人ヴァイオリニストで、富永真理という名の有名人であるらしく。時に軽快に、のびやかに響く弦楽器の音色は皆状況を忘れて聞き惚れてしまうほど素晴らしいものだった。並べられた料理は、茜が案じたような毒入り等という事もなく、暑気払いという名目上暑くとも口に入る冷たいスープや、さっぱりしたサラダ、肉料理、デザート等が並べられている。
「そちらの占師の娘さん、怖がらなくとも何も妙な物は入っていませんよ」
子爵が茶目っ気たっぷりに言えば、周りがどっと沸く。暗にベールを脱ぐ事を促されている―――顔を晒さなければ不自然に思われる。
葛藤の末、面を晒したロゼの顔に、見る見るうちに顔を強張らせる貴族達。
「これは‥‥驚くくらい私の母に似ていますね。名前は何と仰るんです?」
「ロゼ・ブラッファルドと申します。お初にお目にかかります、イムレウス子爵様」
彼女は真っ直ぐに子爵を見、はっきりと名乗りを上げ微笑した。決して目を逸らす事無く、怯える事もない。子爵は軽く眼を丸くした後、愉快そうに目を細めた。
「これは、精霊の導きかな? この月精霊の力が強い美しい晩に、母に似た妙齢の女性に出逢うとは」
「子爵、この娘は」
「余計な詮索は不要ですよ。せっかくの宴の席が大なしですからね」
ぐっと黙りこむ一部の貴族を除いて、子爵の取り巻きは何事もなかったかのように振る舞った。
音楽もその、一見平和そのものの貴族らの華やかな宴の時も、緩やかに過ぎていく―――。そんな中、音楽家へと目を走らせるのは紫狼と、シャクティだ。
「(真理さん‥‥どのようなご事情があるのかは分かりませんが、‥‥そちらにいる以上、紫狼さんを始め、皆様があなたと敵対する事になってしまうのではありませんの)」
「(ったく、何で子爵側にいんだよ、真理さん!!)」
シャクティも紫狼も彼女と面識がある。少々強引だが、明るく飾り気のない彼女に二人とも好印象を抱いていた。けれど状況的に話しかける訳にもいかない。気づいているかもしれないが、彼女から二人に視線を送ることはないように見えた。
●転調
楽と共に、シフールの舞姫達のショーが始まる。彼女達は顔の目元から下を布で隠し、踊り子風の衣装を着た五人の踊り子達だった。
これではあの妖精が混ざっていても一見して、見分けがつかない―――そう皆が危惧する。
真理の曲調が変わった。その音色に、別の音楽家の音が混じる。
その笛の音色をどこかで聞いたように思ったのは、紫狼だ。
「(あの、キザミュージシャン‥‥!?)」
直後、異変が。
そして意識が途切れる程、強烈な眠りに引きずり込まれる。招待客達も次々にがくんと倒れていく。それに辛くも抗う事が出来たのは、貞子、紫狼、ひなたの三人だ。シャクティと茜は眠る事がいかに危険か判りながらも、テーブルに突っ伏した。
「(スリープ‥‥)」
茜もまた呪を帯びた音楽で人を眠らせる術を使える。だが解ったところで抵抗が失敗すれば眠りに落ちるのみである。頭を振り必死で眠気を振り払い、皆意識をしゃんとさせようと気合いを入れるが――――。
ほんの短い間、皆が自分の事に気を取られた時。崩れ落ちたラスの体を掴みあげた男がいた。一度地を蹴るだけでふわりと跳躍する、ひとにありえない動き。音楽は途切れ、既に妖精の舞いもまた終わっている。子爵の姿も、またない。
「ラスっ‥‥」
貞子が少年の名を呼ぶ。
「み、皆さんは私が起こしていきます、貞子さん達はラスさんを」
ひなたが傍にいるロゼやデルタダートを見下ろし、声を上げる。
「くそっ!! ここは忍者ちゃんに任せて、ラスを探すぞ幽霊ちゃん!」
「‥‥‥‥ええ!」
*
運ばれた体は投げ出され、地面に強かに打ちつける衝撃で少年は目覚めた。先程より一層湖畔傍だと解る、月精霊の光に照らされているその場に、彼の記憶を揺さぶる声がした。
「私の舞はいかがでしたかしら? ラス」
火が彼女の手から生み出される。ベールを脱ぎ棄て、慈愛すら感じさせる声音で、銀髪の妖精は問いかけてくる。まじまじとラスは状況も忘れて彼女に見入る。
「【お酒】を堪能して音楽に酔って、眠りに落ちた彼らが目覚める頃には、全て終わっている予定ですのよ」
「‥‥何で俺を呼びだしたんだよ、サラ!」
「おかしなことを。あなたは私を遥々この子爵領まで追いかけて来たのでしょうに」
解き放たれるブラックフレイム。魔法防御の高いその衣服を焼き焦がす激しさで、炸裂する。激痛にうめく彼に、妖精は微笑う。シャクティや茜がムーンフィールドを使用可能であっても、術の詠唱光は隠しようがない。この薄暗さの中、術を使えばだれの目からも一目瞭然、、その為宴のさなかに術を使用を控える必要があった。さらに言うならムーンフィールドは、移動型の結界ではない。そして―――この場にはシャクティも茜も、居ない。
「何でそんな風に笑ってられるんだ! お前や子爵のせいでどれだけの人間が不幸になったと思ってるんだ! どれだけの奴が泣いて死んでいったか」
「そんなのは知った事じゃありませんわ」
激して怒鳴ったラスを、妖精は嘲笑う。
「魔にそんな事を言っても無駄だというのがまだ判りませんの?」
生み出した炎を鞭のように使って打ち据える。ラスの肌に火傷の痕が生まれる。頬を打たれ、体を打たれバランスを崩す。
「ほらほら、防戦一方では仕方ありませんわよ? あなたは失った物の痛みに耐えられず、私に復讐するべく来たのでしょうから」
楽しげな妖精を、少年が激しく睨む。ラスの体を地の魔法詠唱光が包みこむ。ストーンを放つが、石化し落ちた妖精の背後から軽やかな声があがる。分身の術のように数人いる黒妖精に、ラスは鋭く息を呑んだ。
灰から自分の分身を作り出す術があると、彼は師匠に聞いた事がある。それを思い出す。妖精は厳かに告げる。
「この先この地で惨い死があなたに待ち受けるのなら、ここで意味のある死を」
「‥‥な、にをっ」
妖精の顔から笑みが消える。御返しとばかりに炎を撃ち込まれ、ラスがもんどりうって転がる。その時水術の精霊魔法が解き放たれた。生じる吹雪、妖精を押しやる強烈な冷気。
「ラス!」
駆け付けた貞子と紫狼が少年を庇う。妖精が更なる術を放つ前に、後方より放たれた複数の銀の矢が妖精を貫いた。茜の放ったムーンアローだ。妖精の顔が苦悶に歪む。ダメージの蓄積した体に鞭打って渾身の力で放ったストーンが、妖精の体を石に変える。
石像になった妖精が、鈍い音をたてて地面に落下し、バウンドし、そのまま動かなくなった。
「‥‥な‥‥」
あれ程の強さを誇っていた妖精にしては他愛のない――――その最後に、冒険者達は、そして少年は立ちつくした。
そこで拍手が響いた。ひとりの男が暗がりから何気ない風に出てくる。イムレウス子爵だ。彼は真意の掴めない邪気のない笑みを見せて、軽やかに手を叩き続けた。
●子爵の思惑
「素敵なショーをありがとう。ラスティエル君だっけ、君とサラの関係は前から興味があったんだ。君は彼女に恋をしていた。それが憎しみに変わっても、愛憎とは表裏一体なんだよ。決して消える感情ではないとふんだのさ」
駆け付けたシャクティにリカバーで治療されながら、ラスは憎悪の籠った目を男へ向ける。
「サラにはね、君を殺すか君に殺されるかどちらか選ばせた。彼女もくさってもカオスの魔物の一人、君を迷わず殺すと思ったけど少し情けをかけたようだね。君がここで生きているのがその証拠さ。馬鹿な女、正直もっと楽しませてくれるかと思ったのに―――何を考えていたのか。まぁ、死人に口なし、という奴だね」
その時少年の目から光が消えた。多くの人々の人生が狂わされた。多くの人々が死んだ元凶がここにいる―――目の前に! ―――妖精が何故か自分に情けをかけた事に対する混乱と、わき上がる強い怒りが彼を突き動かす。
「‥‥ラス、駄目!」
放たれた術の標的は子爵。石化の術は彼の身を変えることはなかった。抵抗が成功したのか判らないながら彼は、静かに微笑っている。
「‥‥僕を、傷つけようとしたね?」
「皆さん、ラス君を連れて、早く逃げて!」
駆け付けたロゼが言う。彼女の指には石の蝶の指輪が。
「魔物に囲まれています。早く」
「‥‥ラス、立ちなさい!」
貞子にぐいと身を引かれて、彼は力任せにそこから逃げるよう促される。逃亡を図る皆の前に魔物が次々姿を現した。
「もう、遅いよ」
次々現れたのは、邪気を振りまく者、そして死の幻を紡ぐ者。奥から現れるのは旋律を奏でる者だ。紫狼は素手ながらも、格闘技能で下級の魔と対峙する。貞子が水術で応戦し、シャクティが武術で応戦していく。茜もまた術で戦おうとするが、持久戦になるとは考えてこなかったため、力がみるみる内に底を尽きかけていく。
数の上では不利、そして皆は万全の態勢とは到底言い難い。このままでは劣勢に追いやられるのは必至だ。
そう――――子爵と、ウェストタリスという場所に手だしを禁じられているのは皆よく判っていた。けれどもその逆は保障されていない。約束さえ守れば、味方が誰一人欠ける事無く、無傷でその【宴】を迎えられる可能性など、どこにもなかったのだ。
「僕が魔物で護衛を固めているとは考えなかった様子だしね」
――――君たちの敗因は、それを少しも考えなかった事だよと男は笑う。
「ちくしょう、これだから、頭のいい奴っていうのは嫌なんだよ!! この腹黒子爵!!」
紫狼に、子爵は笑いかける。
「君たちが考えなしなんだよ」
逃亡が失敗したと判断するや否や、皆それぞれ持てる力で戦いを仕掛けていった。月魔法で敵を葬り、やがて魔力が付きた茜を紫狼が庇って戦っている。貞子は借り受けた衣服が切り裂かれ、覗く肌から血が滲む。ひなたも、忍術を駆使してデルタダートを庇いながらの戦闘を行っていったが、疲労の色は隠せていない。シャクティはその武術で沢山の魔を地に沈めたが、それでも全てではない。
「では、ロゼ。どうすれば皆助かると思う?」
「‥‥イクシオン。私が残るから、その代りに彼らをこの離宮から出して」
「ロゼ、何言ってんだよ!」
紫狼が慌てて声を荒げる。それを無視して、子爵は言う。
「うん。ああ、でも駄目かな、その子は僕を傷つけようとしたんだから」
「でもあなたは無傷だわ」
「結果論だよ。でも、まぁ――――‥‥我が従妹殿がせっかく、自己犠牲精神を発揮してくれている事だし。それは、僕の希望でもあるからね。仕方ないからお前たち、その辺で終わりだよ。楽しいショータイムはね」
子爵が涼やかな声で言い放つのと同時に、戦いは止んだ。
「君は残る、いいね?」
「‥‥ええ」
「‥‥! お前を残していけるわけないだろ、ロゼ!!」
「子爵は、私を殺さない。彼の言う見るべきものを見せるまでは。だから紫狼さん、心配しないで。クインにも皆にも、そう伝えて」
「んなこと言ったってよ!」
ロゼは言い募る紫狼に大丈夫だと言い、子爵の方へ歩いていく。皆の状況でこの場にいる全ての魔を倒すのは難しい。子爵の背後から、孔雀の羽を描いた豪奢な衣をまとった銀の髪の美しい魔が現れた時、貞子は吐き捨てた。
「‥‥邪聖の導師とか、言ったわね」
「お前達が次に一撃を加えてきたら、ロゼ・ブラッファルド以外の者の協力者達の心臓を貫くことにしよう。冒険者らにとって依頼人らを護れないのが最大の恥辱なのだろうしね。その後で事を構えるつもりなら、殺してあげますよ」
ロゼが進み出る。ラスが身を乗り出すのを、シャクティが押しとどめる。
「いけません、これ以上軽率な行動は駄目ですわ、ラスさん!」
「‥‥でも! ロゼさんがっ」
「挑発に乗っちゃ駄目です。それが目的で色々言っているのかもしません」
茜もまた諫める。
「約束して。彼らを傷つけないで」
「姫君の願い、聞き届けてあげよう。旋律を奏でる者、彼女を連れていってくれないか、とっておきの部屋を用意してね」
腕を引かれて連れて行かれる。そしてロゼは、魔物と共にその闇の中に消えたのだ―――。そして遠くでざわめきが起きる。招待客らが起きてきたらしい。子爵を捜す声がする。ここだよ、と彼は手を振る。
「デルタダート・ジーク殿は少々宴の雰囲気に酔われた様子だ」
近づいてきた生気を欠いた従者は、魔物が化けたものだろうか。冒険者らが怪我を負っているのを見ても顔色ひとつ変えない。彼らに用意された馬車へと押しやられて、ジークが声を荒げた。
「イムレウス子爵、彼女をどうするつもりだ。彼女だけではない、この子爵領を遠き地のルジニアという街のようにするつもりなのか」
普段の温和なデルタダートから想像もつかない鋭さで、放たれた問い。子爵は問いを無視する。
「体調を崩されては大事、馬車を用意させましょう。軽率な行動はあなたの恋人、周囲の人々によからぬ禍を齎すかもしれません」
「‥‥!」
「皆さん、お話できて楽しかったよ。本番の時に、どうぞ気が向いたらおいで。とても面白い物が見れるだろうからね」
●【宴】
招待客らは眠りの中、その湖畔で起きた事件を知らない。子爵や妖精の目論見通り、全ては彼らの意識がない時に行われ、終わったのだ。全滅を回避するのに、ロゼはあえて望んで敵の手に渡ったが、冒険者らの助力がなければラスは邪なる妖精に今度こそ殺されていたに違いない。どれ程否定しても彼を突き動かしていたサラへの憎悪は、愛情と表裏一体である。彼女に対するかつての思慕が消え失せない限り、ラスは懸命に闘っても死んでいた可能性は高いのだ。
「‥‥ラス、しゃんとしなさい。‥‥ラス」
離宮より屋敷を目指す馬車の中で少年を抱きしめて、貞子は声をかけ続ける。少年は自分の失態と、ロゼに対する自責の念でひどく青ざめていた。
協力者の命を握られている以上、そして敵陣にて不利な状況で起きた出来事、さらに子爵領で知る中で最も強いだろう高位の魔物相手に一線を交え子爵共々葬り去る事は、協定がなくとも難しかっただろう。今いる冒険者達が弱い訳ではない。相手が強すぎるのだ。
一夜にして無惨に変わり果てた海を臨む古城のある、ルジニアの破壊はあの邪聖の導師がもたらしたもの。その光景を、紫狼と貞子は見ている。ジークとラスを護れたのは恩の字だ。ロゼが危険に晒されているものの、――――その時が来るまでロゼを殺しはすまい。彼女の言葉は正鵠を射ているだろう。
「決着は、再来週の宴に付けましょうか‥‥!」
ラスを挑発して自らを攻撃させようとしたのは、【ゲーム】を一層面白くさせる為とでもいうのだろうか。邪なる妖精は死んでもラスは別の物に囚われてしまう―――それが五人の冒険者らには解った。このままロゼに何かがあったら、彼は決して自分を許さないだろう。
「俺のせいだけど‥‥どうか、また力を貸して下さい。お願いします!」
ラスは皆に頭を下げる。体を抱きしめる貞子の腕に力がこもった。
「おうよ。‥‥必ず、ぜってー助けてやるからな、ロゼ!」
重苦しい雰囲気の馬車内で、紫狼が言う。
精霊暦1042年8月20日――――。
子爵らが言う【宴】まで、あと少しである。