奇しき旋律が響く中 死神は舞い降りる 2

■ショートシナリオ


担当:深空月さゆる

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 15 C

参加人数:4人

サポート参加人数:-人

冒険期間:08月20日〜08月25日

リプレイ公開日:2009年08月30日

●オープニング

●準備
 精霊暦1042年08月20日に向けて、アトランティス大陸メイ国一領地、イムレウス子爵領の首都オリハルクは、ある祭りの準備に大いに賑わっていた。元々の人口もさることながら、首都以外からも祭りに参加しようと大勢が詰めかけて来ているからだった。宮殿から海に向かい舗装された道には街路樹があり、木陰の良い場所を取ろうと商売人達は皆が躍起になっていた。露店を出すことを認めるとの通達が事前に有ったためである。今年は世界各地でそうであったように、この子爵領も様々な怪異に見舞われた年であった。疲れ怯える民の心を慰め励まそうと子爵の発案で首都で開かれる事が決まった祭り、その事に浮足立ち若いのにできた施政者だと口々に褒め称えた。そして更に子爵の婚儀も同時に執り行われる事が、密やかに、急速に伝わりつつあった。祭りと、子爵領に生きる民として大いに歓迎すべき話題に、都中が歓喜ムードに包まれた。
「でも子爵様のお相手の姫君って、どなたなんだろうな?」
「バカだな、それを祭りの時に大々的に発表するんだろうさ!」


●濃すぎる血
 宮殿の一室その中央に大きな背もたれのある豪奢な椅子があり、くたりと背もたれに身を預けるように異国風の裾の長い、純白の衣装を着た人形が置いてある。長い茶の髪は丁寧に梳られ、金剛石の耳飾りに首飾りを始め、様々な装飾品はその人形を一層品よく見せていた。絶世の、という形容はつかないにせよ中々に綺麗な人形で、僅かに持ち上げられた瞼から覗く暁の空の色を映したように綺麗な紫色の瞳は、珍しい宝石を使ったかのようだった。
 それに軽やかに歩み寄り。髪に指を通し、顔を近づけあれこれ話しかけるのはこの子爵領を治める若き君主だ。男が熱心に話しかける内容と、その光景からすると、そう―――人形じみた相手は、若い人間の娘のようだった。
「君が生まれた時既に皆、気の早い親族達は僕らがこうなることを願っていたんだって知ってる? 従兄妹同士は結婚できる―――でも母親が双子の姫だよ、血が濃すぎるとは思わなかったのかな」


●音楽家と娘
 そうして再び娘は取り残される。そこへ、珍しい弦楽器を所持した黒髪の女が滑りこむようにして入ってきた。物言わず力なく椅子に座る娘に近づき。女はそっと頭を撫でる。
「あなたが、ロゼちゃんか。初めまして、私は富永真理よ。巷でもちょっと有名な、音楽家なの。子爵からお許しをもらったから、ちょっとここで演奏させてね。花嫁様に送る、モーツァルトの華やかな曲よ。とびっきりのサービスであと何曲も付けるわ。ね、どんな曲が好き?」
 真理と名乗った女はわざと明るい声で引きたてるように言うが反応はない。
「じゃあ、私の好きな曲を‥‥」
 たったひとりの観客を前に、手を抜かずいつもの腕前で――ヴァイオリンで曲を奏で始めて、やがてその頬に涙が流れるのを見て、その手を止める。その顔が、束の間痛ましげに歪んだ。
「帰りたい‥‥? それとも子爵と結婚するのがちょっと憂鬱? それとも、好きな人がいるの?」
 答えない娘から、手をそっとどける。
「私は、あいつの楽器なの。煩い女だって、散々言われたわ。そう言いながら旋律を奏でる者は、だいぶ私を好き勝手にさせてくれたけど、さすがにこんなあなたを見ても、あなたの魂を取り戻せとは言えないの」
 ごめんね、と真理は呟く。
「この子爵領は沈没間近の豪華客船みたいなものよ。大勢の客を巻きこみ心中しようとしてるみたいなね。それでね、私はその船で最後の最後まで演奏していた音楽家達みたいになるわ。もう、決めてるの」
 耳許で在ることを囁いて、真理は身をひいた。足音が聞こえたからだ。
「ロゼ・ブラッファルドに、何を話している?」
 唐突に気配が生じた。黒衣に身を包んだ、金髪の貴公子然とした男、旋律を奏でる者の見慣れた姿に、真理は微苦笑を向ける。
「あらー、あんたも来たの。大した事じゃないわ、‥‥どうせ彼女には聞こえていないみたいだしね」


●遠き地からの便り
 子爵領のウェストタリスに住む知人から耳にした話をきっかけに、メイディアゴーレム工房所属の鎧騎士、富永芽衣は冒険者ギルドで関連していると思われる報告書をほぼ全て読み漁って、今あの地で何が起きているのか理解しつつあった。しかし子爵が表向き善意の君主として振る舞う以上、工房の上にかけあって助力を願う事も出来ない。恋人のゴーレムニストと親しい鎧騎士にだけは事情を話したが、それでも工房を動かす事はどうしても無理だった。決定的な証拠を掴まなければ、動きようがない。例え危険な地の、さらに最も恐ろしい場所に姉がいるのだとしても―――相手が限りなく黒であろうとも。送ったシフール便の返答が来るのを、焦燥にかられながら待つ中、姉からようやく手紙が来た。

 彼女は姉の真理から届いたシフール便を握りしめ、真っ直ぐに冒険者ギルドへと向かう。
 精霊暦1042年8月20日に、子爵領の首都で大きな祭りがあるのだという。そこで演奏をする、いつかのように子爵領へ来てほしい、と姉らしい砕けた文章で綴られていた。芽衣が尋ねた子爵への疑惑、何とかこちらに身を寄せろ、という話に関しては一切触れられていない。

『今回お願いしたいあなたの任務は、今子爵のもとに身を寄せているロゼ・ブラッファルドって子を助け出して欲しいっていう事です。本当は好きな人がいるのに、子爵が無理やり連れて来ちゃったのよ。子爵が執心しちゃうのも判る可愛い子だけどね、でも同じ女としてほっとけないでしょう? 
 なんて、ね。あなたは昔から勘がいいからもうきっと、色々と気付いているでしょう。ウェストタリスに向かうって聞いた時、ばれるなとは思ったのよ。
 ―――細かい説明は諸々の事情により、省きます。
 チャンスはこの祭りの時。パレードの時は、難しいかしら。彼女は今逃げられないように、旋律を奏でる者っていう魔物に魂を奪われているの。それを取り戻さないと、彼女を本当に助ける事はできないわ。あなたは昔から喧嘩に負けないだけじゃなく、正義感がとっても強い子だったもの。きっとやり遂げてくれるわね』

 芽衣を危険に極力晒さない為、祭りが始まるまで宮殿には近づかないよう警告を添えて、手紙は終わっていた。
「(姉さん、どうして自分を助けだしてくれって言わないの‥‥?)」
 姉の真意は分からないが、その女性を救出してほしいという願い、果たしたい。そして勿論姉を助けだすのだ。必ず無事に取り戻してみせる。


「芽衣さん、お久しぶりですぅ☆」
「ミーアさん‥‥」
 芽衣は驚く。読み漁った報告書で、依頼主でよく名が挙がっていた彼女。そう―――あるイベントで関わったミーアという少女もまた関係者だと。そう確信し、話をしたいと思っていた矢先の事だったからだ。
 冒険者ギルドで偶然再会した二人は、自分達の持ちこむ依頼について話し合う。そして情報を交換し合い、芽衣は子爵領で起きている出来事を、また互いの置かれている状況を深く理解した。―――この偶然の再会が、大きな転機となる。

 子爵領への移動は、恋人のリカードと、同僚のロッドの二人が掛け合ってくれた事もあって、小型のゴーレムシップであれば積み荷を運ぶ名目で芽衣と彼ら、そして冒険者らを運ぶ事が可能だという事になった。沢山の感謝と共に、かの子爵領へと向かう事になる。様々な想いを秘めて。

●今回の参加者

 ea0167 巴 渓(31歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 ea3475 キース・レッド(37歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea5989 シャクティ・シッダールタ(29歳・♀・僧侶・ジャイアント・インドゥーラ国)
 eb9949 導 蛍石(29歳・♂・陰陽師・ハーフエルフ・華仙教大国)

●リプレイ本文


 子爵の陰謀が傍目から見えなくとも、彼を中心に子爵領の内側で恐ろしい事象が進行しつつあっても、一見してあの地は特に問題を明らかにはしていない。
 かの地へ安全に皆を運ぶ船を出すとの提案は、政治的な事情で表立って協力する事が出来ないゴーレム工房の―――国の、せめてものはなむけのようにも見えた。
 二人の鎧騎士、富永芽衣とロッド・アルファーノ、ゴーレムニストのリカードの同僚のうち、ごく少数の事情を知る本当に親しい者だけ密やかに見送りに来て、激励していってくれた。
 王都の港より小型のゴーレムシップに、積み荷と共に乗り込んだ関係者達。予め出港の時刻は伝えられていた為、それに間に合うようにと導蛍石(eb9949)は今回別チームで動く僧侶と共に関係者らが冒険者や武人だと疑われないよう適当な古着を見つくろい購入し、運び入れた。
 風と海流の影響を強く受ける普通の船とは異なり、小型とはいえゴーレム船、陸地で長い時間をかけて進むより、グリフォン等で空路を行くより遥かに安全な筈。
 航海の間、船内で過ごす時は皆にとって、打ち合わせの再確認をする上で格好の時間になった。今回依頼を引き受けた冒険者らは皆顔馴染みではあったが、芽衣達にとってはそうではない。また今回彼らのカモフラージュとして船に積み込んだ荷を実際にかの地で売り裁く、ミーアの師匠の古馴染みの商人らも同様である。
「皆の顔をちゃんと覚えておいてくれ」
 通信機で連絡を取り合う上でも。作戦を共に遂行する為にも、と。巴渓(ea0167)が、キース・レッド(ea3475)、シャクティ・シッダールタ(ea5989)、蛍石以外はウィザードのミーアの依頼の下参加してくれた者達ではあるが、同様に事に当たる事には違わない。中には馴染みの女鎧騎士や天界人の青年もいて、芽衣らは言葉を交わしながら全員、ひとりひとりと話をしていった。
「俺達はあんた達の事情も、芽衣とそっちのお嬢ちゃんから聞いて大方知っている。真理さんは色々知りすぎちまって逃げられなくなってるのかもしれん。なんとか助けださなけりゃ。勿論、そのロゼって子もだ」
 ロゼの境遇を知り深く同情した様子で、ロッドが言う。 
「異論なし。聴けば、メイメイとそう年の変わらない女の子だっていうじゃないか。猫被りの子爵様には騙されたけど、真相が判った以上これ以上お姉さんを置いてはおけないって思ってたところだ」
「二人とも‥‥」
「メイメイには俺達も、この力強い助っ人さん達もいてくれる。大丈夫だよ。それにマリマリさんならきっと、メイディアでも売れっ子人気の音楽家としてやっていけるさ」
 芽衣は一度息をつく。彼女が案じているのは別の事だ―――けれどそれはもう話し合ったこと。例え彼女の身に何が起きていようと連れてくる―――冒険者らもその意見に異論はなかった。だから彼女も笑う。
「ええ、きっと。姉さんの意向を無視する事になるかもしれないし。文句の一つや二つ覚悟しなくては」
「例えそうでも、生きていなければ姉妹喧嘩もできなくなるのだからね」
「そう、ですね」
「大丈夫、ロゼさんの事も、真理さんの事もきっと無事に助け出せますわ」
「うまくいって、数日後には王都に戻る事ができますよ、きっと」
 キース、シャクティの励ましに、ミーアも言葉を重ねる。
「ありがとう」
 
 姉の事を考え始めると尚更気になる点はあるが、冷静にあれ、と芽衣は心を戒めた。あらゆる事態を想定し動かねば、首都を挙げての祭りの中すべきことを果たしきる事無く、後悔にまみれた結末を迎える事になりかねないからだ。それだけは――――避けなければならない。



 港に到着後、兵士による積み荷の点検は滞りなく終わり、幸運にも左程の問題もなく第一関門を突破する事が出来た。古着を購入し、商人風の風体にしてくれた蛍石の尽力もあるだろうし、いかにも年季の入った商人―――ミーアの師匠の知人達が前に出て、うまく対応をしてくれた事もあるだろう。
 その後事前の打ち合わせ通りロゼ救出をメインで行うチームであるミーアらと別れた。ミーアの師匠から借り受けている通信機を各チーム一台を所持する形にしたので、連絡を取り合う事は容易だろう。かなりの距離数臨む時に思念で会話をする事が出来る。
 どん、と鈍い音がした。
「‥‥おっとすみません」
 芽衣がフードを目深に被った男とぶつかり、よろめく。それを支え、後方をちらと迷惑そうに睨んだリカードが、彼女を覗きこむ。
「メイメイ、大丈夫?」
 彼女は頷き、押しつけられた羊皮紙を手早く開いた。はっと慌てて彼女が顔を上げた時には、その男は人の波にもまれ見えなくなっていた。真剣に最後まで目を通し、傍の皆に手短に告げる。
「とにかく移動しましょう、話は後です」
 首都に関しては、何度も来ている芽衣が最も詳しい。彼女の先導のもと、パレードの折り返し地点、噴水の近くの路地裏で彼女は皆に詳細を、声を低め話し出す。
「皆さんやミーアさんから聞いた話から判断するに、『彼』の周囲にいる従者達は、魔物が人に変じているか息がかかっている者と見て、間違いはないでしょう。でももしかしたら例外もいるかもしれない、そう願っていました。‥‥実際そうだったようですね」
「どういうことだ?」
 渓が鋭く聞く。
「あの男にこの羊皮紙を私に渡すよう指示した者は、子爵領のゴーレムニストの一人。フィーダ・ロウ、彼の事、蛍石さん以外の皆さんはご存知ですね」
 渓、シャクティ、キースは頷く。真理の警固依頼の際、彼女と共にいた男だ。蛍石には、若手の中でも有能で有名な人物です、と手短に告げる。
「この文面のまま鵜呑みにするなら、彼は姉と裏で繋がっているようです。彼はいざという時、都人を北門を越えた先の平野に民を逃がすよう、私に言ってきました。街道から離れた場所には、あの平原には鎧騎士達の訓練場があるのみ。万が一都が落ちあちこちが破壊された場合、野営地にいくらかの避難民を受け入れる事は可能でしょう」
「失礼。芽衣君、申し訳ないが‥‥、彼はどのくらい信用できる人物だい?」
「キースの言うとおり。こう言っちゃなんだが、あの時、あいつ子爵の信頼も厚いとかって誰かが言ってなかったか。‥‥何か裏があるんじゃねえのか」
「判りません。でも私達を嵌めようとするなら都に降り立った時点で、もっと別の行動に出てもおかしくないと思います。そしてそうだとしても、私も人々を逃がすなら北門がいいと思っていました。あの開けた場所なら、人々は助力くださると聞く姿の大きいドラゴンや精霊の加護も受けやすいでしょう」
 ミスティドラゴンの氷の息は確かに圧倒的な力だが、全ての人々を凍らす事は不可能だ。また竜に攻撃されたと思った聴衆らで、大混乱が起きるのは必至。しかし、彼らを鎮める為にもまた竜の力が必要なのだ。
 その時人々を導かなければならない班―――道具を使って芽衣は今起きた事を相手のチームへと伝えた。蛍石は皆が精神魔法の影響を受けぬようレジストデビルを使用し、芽衣の使えるオーラパワーを希望者に付与した。

 大通り沿いには露店が溢れ返り、客寄せの声が飛び交っている。正午過ぎ宮殿より子爵を乗せた豪奢な馬車が来るだろう。宮廷音楽家達の演奏による華やかな催しものが終わった後は、沢山来ているだろう旅芸人らによる見世物や、各娯楽が沿道や広場で行われるようだ。行き交う人々が楽しげにそんな話をしている。
 打ち合わせ通り、渓と蛍石とシャクティは旋律を奏でる者を退治するチームとして組む。芽衣らとキースは真理を救出する班だ。固まっては目立つ為、こちらも路地で変装を解き防具等を速やかに装着後、向こうのチームの女騎士と連絡を取った後は皆それぞれ噴水からそう離れていない路地傍に潜んだ。そして人々の歓声が上がると共に遠くから、音楽が聞こえ始めた。



 良く舗装された道――。鞍に自らが身に付ける防具に真新しい飾りのついたものを与えられたのだろう複数の旗を掲げた騎手が大通りを歩く。人々が持つ籠から色とりどりの花を彼らに投げる。軽やかに響き渡るのは弦楽器の音色。楽師を乗せた馬車が続き、その後に来るのは白毛の二頭の馬にひかれた馬車。実際に馬車を動かすのは内側の二頭だが、その前にいる馬は飾り立てた鞍や騎手らが子爵領の紋章を刺しゅうした絢爛豪華な旗を手に、それを導く。
「イクシオン子爵様」
「イクシオン子爵様」
「このイムレウス子爵領に永久の繁栄あれ」
 わあぁぁぁっ‥‥
 都人達から歓声は止む事がない。それに応えるよう天蓋のない馬車に彼は立ちあがり、皆に輝くばかりの笑顔を見せ、手を挙げた。そして傍らに座っていた白い衣装の女性を立たせる。薄いヴェールと被っているが子爵が淑女として扱うその仕草に皆好奇心をかきたてられ、さらなる歓声を生んだ。
 その時霧が何処からか唐突に現れた。吹き出すその霧は陽光に照らされ煌めいていた噴水の輝く水面付近に一気に広がった。それが合図―――始まったのだ。周囲に都人の悲鳴が一斉にあがった。
「(姉さん‥‥!!)」
 芽衣は決意をこめぎゅっと拳を握った。真理が弾いていると思しき明らかに際立った音楽。彼女は皆が動揺する中、決してそのヴァイオリンを奏でるのを止めない。途切れぬ事のない稀有なまでの集中力か―――それは彼女が何か決意をしている為か。ジャイアントである事から目立たぬよう物影に身を潜めていたシャクティが、インフラビジョンで熱源に感知できるようにし、確認していた渓のいる場所へと駆けより、それ程離れないよう民衆に紛れていた皆に声をかけ、こちらへと皆を先導していく。彼女の導きがなければ、マジックアイテムで強化されている濃霧の中動き回るのは容易なことではなかっただろう。大混乱の中、悲鳴や怒号が行き交う中、向かうのは楽師達を乗せていた馬車――――!
「囲まれています、気を付けて!」
 蛍石の警告が指し示す者が何なのか、聞くまでもない。その時上空から強烈なブレスが馬車付近一帯に吹きかけられた。冒険者らも例外なくその霧のドラゴンの息を浴びせられる。精霊魔法のアイスコフィンと同様の効果がある、と言われていたその強烈な冷たい息に皆歯をくいしばって耐えようとする。蛍石は見事に抵抗を成功させ、シャクティ、芽衣達も辛くも抵抗に成功、渓とキースは氷棺に閉じ込められたが、高速詠唱で蛍石がニュートラルマジックを発動させ彼らの体の自由を取り戻した。
「くそ寒いぜ」
 思わず渓は口にするが、彼女はもとより皆も霧の竜へ文句等いいようがないのだ。この計画を実行に移すにあたって自分達が無事で済む保障はないと考えなかった者はいないだろう。馬車に到着した芽衣は、急ぎ飛び乗る。
「姉さん! 行くよ」
 弓を弦に押し当てる楽師は、現れた芽衣に微かに驚きの籠った目を向ける。突如吹き出してきた霧に合点がいった様子で、早口で言った。
「私はいいの。助けるならこの人たちを。そして、ロゼさんを助けに行って」
「他の冒険者の方達が彼女の体も、魂も取り戻す役目を担ってくれた。私の役目は姉さんを連れていくこと。大人しく来て!」
 キースが素早く愛用のホイップで打ち払い、滑空してきた邪気を振りまく者を弾き散らしていく。鎧騎士のロッドもまた、芽衣に事前にオーラ魔法で強化されている剣で、圧倒的な体躯で繰り出される剣技で魔を切り捨てる。雑魚だが数が多ければ脱出に支障をきたす。早く逃げなければならない。
「メイメイの言う通りだ、お姉さん急いで!!」
 気迫をこめて風の精霊魔法で魔物達の翼を切り裂き、魔物達と戦うリカードが声を荒げる。
「他の楽師、彼らも助けてくれる?」
「勿論彼らも護ろう。さぁレディ、早く!」
 真理は覚悟を決めたように頷いた。怯え縮こまっている他の宮廷音楽家達を有無を言わせず馬車から下ろした。旋律を奏でる者らの妨害があるかと思ったが下級の魔物らの追撃があるのみで、冒険者として武人として力を誇る彼らの敵ではなかった。
「北門へ!!」
 楽師達の護衛をしつつ、ミスティドラゴンが打ち洩らし氷棺に閉じ込められなかった民衆達を声を張り上げ北門へと皆誘導していく。人々に襲いかかる魔物はそれぞれが武器と力に物を言わせ、上空へ舞い上がった敵は芽衣がオーラショットで、リカードが風の刃を放ち攻撃を加えていく。後方では旋律を奏でる者や、他の高位の魔物達との死闘が繰り広げられているのだろう、しかし真理を救いだす役目を担った彼らは、彼女と一人でも多くの民人を救う為に奮闘した。キースはタイミングを見計らって、ジニールを呼び出し生みだした風で霧を吹き飛ばす。そしてその先で見覚えのある子爵領の鎧騎士と、あのゴーレムニストが人々を北門へ誘導する声が響いている。
「押し合うな、子供や年寄りには手を貸せ、少しずつ前へ進め!」
 あれはこの子爵領で有名な天界人の鎧騎士だ。傍にいたゴーレムニストは芽衣と目が合うと、目礼し素早く人々を誘導する任務に戻っていった。
「(この人達は―――)」
 本当にこの子爵領にいる重役を担っていた者達全てが、子爵に心から従う者達ではなかったという事だろう。冒険者らはそれに、救われる想いがした。
 既に開かれている門の外へ都人達は脱出する、そこに舞い降りたのは全長五十メートルはあるだろう黄金の鷲。
『我は、ホルス。長きに渡って聖都オレリアナの守護者を務めた霊峰の主なり。小さきものよ、今首都で起きている戦いは、そなたらを真の意味で救う為のもの。霧の竜の息は人々を殺す為の物ではない。案ずるな、我が庇護下で戦いが終わるのを待つがいい』
 聖都オレリアナのホルス―――子爵領で知らぬ者はいない、高名なエレメントである。響き渡る抗いがたい冷厳なる声に、皆驚きながら皆後ろから押しだされるようにしてゴーレムの訓練場、その周囲一体の開けた場所へと流れ出ていった。霊鳥の庇護下へと―――。
 人々が倒れぬよう声を張り上げながら、誘導し襲い来る小物の魔物を倒していたキースは、芽衣の傍にいる真理が壁の向こう、ここからは見えない都の中に視線を向けている事に気付いた。ふらりと動き出した彼女に、気付く。
「芽衣君! 真理君を止めろ!」
 キースの叱責に、ようやく異変に気づき。離れつつあったその人のその腕をしっかりと掴んで引き戻す。
「何してるの、姉さん!!! 早くあの精霊の傍に行こう」
「私、戻るわ。最後まであそこで、演奏しないと。まだ都の人達が皆逃げきれてない。少しでも励ませるようにしないと。大丈夫だって」
「何言ってるの。この混乱の中姉さんの演奏を皆聴いている余裕なんてないよ!」
「‥‥!」
 真理は唇を噛み、酷く悲しげな眼を都へと再び向ける。言い募っていた真理を正気付かせるよう妹は重ねて姉を叱り、その腕を取り出来る限り都から離れられようとする人の波に乗った。

 *

 現れた旋律を奏でる者に、蛍石がホーリーを叩きこんだのが戦闘開始の合図、放たれるブラックフレイムが馬車付近の地面に炸裂、風を生み一部霧を払う。それを援護する形で彼の部下たる死の幻を紡ぐ者達が、主にならって同様の魔法を放ってくる。蛍石はホーリーフィールドを可能な限り張りつつ、上空から攻撃を仕掛けてくる旋律を奏でる者目掛けて渓がオーラショットで、蛍石がホーリーで狙い打つ。彼らがその攻撃に集中できるよう、周囲の雑魚達はシャクティがその格闘技で応戦、怪我を負いながらも怯まず戦い続けた。旋律を奏でる者がエボリューションを仲間にかけた時には、蛍石は気付くやいなやニュートラルマジックで解除を行う。旋律を奏でる者が月魔法、魔物特有の魔法を使う事は既に皆の知るところである。特殊な笛の音色による精神に直接影響を与える力も、レジストデビルで防ぎきる事が出来る。戦況は冒険者らに有利と言えた。
「ロゼの魂を返せ!」
 渓が吠える。さしもの旋律を奏でる者も結界で防ぎながらも立て続けに攻撃を加えられ、その結界が消失しその体にそれらがぶち当たる。バランスを崩し落ちたところを、渓が逃さず駆けより、拳で痛烈な一撃を見舞う。
「言いやがれ、どこだ!」
「ここにはあの娘の魂はない」
 笑いながらも苦悶に歪んだ表情の男の胸倉を掴みあげるが、至近距離でブラックフレイムを叩きこまれ後方に弾き飛ばされ。炎に焼かれる痛みに呻きながら、渓が逃がすものかと再び地を蹴ろうとしたその時。その隙に逃げようとした旋律を奏でる者を、蛍石がコアギュレイトで拘束した! 身動きできないことを察したのか暴れるのをやめ、近づき静かな目で見降ろしてくる僧兵に、敵意が失せたことを示して術を解かれた男は苦笑いを向ける。
「ロゼさんの魂はどこだ」
「‥‥あの娘の身の内に戻した。あの娘は宮殿にいる。探しに行くがよかろう」
 奇妙に達観した様子の表情に、蛍石は聞くつもりなどなかっただろうに、呟くように尋ねていた。
「何か、言い残す事は」
 何も答えずただ目を瞑った男に蛍石はトドメとなるホーリーを叩きこみ、その体が人の形を失い、塵になり拡散していくのを見届ける。ロゼの魂は、確かにその場に残らなかった。
 彼女の魂はどこに。この男の謎めいた言葉の真偽を確かめるためには宮殿に向かわねばならないが、皆移動手段など持ちえない。
 皆は焦る思いを抱えながらも、他の魔物を退治し民衆を逃がす事にした。遥か遠く、民衆らの上空を飛び宮殿に向かう恐らくスフィンクスだろう、その姿を確認したからだ。



 夕刻から夜にかけて、広場に集まってきていた人々は次第に落ち付きを取り戻しつつあった。霊鳥ホルス、そしてミスティドラゴンが彼らに危害を加えるつもりはない事、民衆を氷漬けにした訳、集まってきた魔物らと、仕組まれた陰謀を彼等は良く通るその声で、民衆らに語って聞かせていったからだ。
 紡がれるその物語は、壮大でなおかつ悲しみと痛みに満ちた話だった。そして民衆らからすすり泣きが聞こえたのは、彼らが崇めていた君主が魔に魂を売った者だと、嘘など到底つく筈のない者達の言葉で断定されたからだろう。
 十三年前のディオルグの一件も、数か月前オレリアナで起きた動乱も、カゼッタ島の悲劇も、子爵領で起きていた様々な魔物による事件が、全て子爵を始めとする彼の背後にいた魔物達が糸を引いていたこと。今回都に現れた膨大な数の魔物がそれを証明している。冒険者達は確かに、子爵らを倒し、崩壊の道を辿りつつあった子爵領を、ぎりぎりで滅びの淵から救ったといえる。そして竜と大精霊を味方につけている以上、彼らは真の英雄なのは誰の目からも明らかだ。
 この首都を始め、これから子爵領は君主の座を巡り大きな政治的な波乱の時代に突入するだろう。けれどそれは冒険者らの物語ではない。この地に住む者達が、この物語の中核にいた者達が、恐らく望まずとも向き合う必要に迫られる事。彼らが乗り越えていかなければならない事なのだ。怪我を負った者に治療を、そして励ましを。そして都に残った魔物の殲滅を。冒険者らに出来る事はそれ以上それ以下でもなかったが、彼等は可能な限り誠実に、救護に回ったのだった。



 都に存在していた魔物達は、冒険者らが民を逃がした後残らず退治していった。ディテクトアンデッドを使用できる蛍石の力があれば、探査も容易かった。戦いの後、冒険者らは持っていた通信機は何台かが壊れてしまっている事に気付いたが、悔やんでいても仕方ない。マチルダには謝る事にしようと意見が一致した。
 そして今、夜であろうと賑やかさが失われる事がなかった首都、その静寂が満ちている大通りにてヴァイオリンの弦に弓を当てる楽師がいる。家が無事な人々は戻り、不安を感じる者、怪我を負ってすぐに動かせない者達は今夜一晩北門傍の平地に張ったテントで野営をし、少しずつ都へ戻っていく事になっている。今はだからこの都の中には、常のようなひと気は当然ない。そして激戦のあった噴水付近に今いるのは、その楽師と、彼女の動向を気になりついてきた者達だけだった。

「真理君の弾いているこの曲は、なんだかとても物悲しい曲だね‥‥」
 キースが帽子を弄りながら、評する。聴いているとかつてあった悲しい出来事が思い出されるような、切なさを帯びた曲だ。
「初めて耳にする曲ですね‥‥」
 楽器を扱える蛍石は、色々な曲を耳にした事もある。けれど聞いたことのない楽曲だと感じたらしい。シャクティが滲む涙を拭い、言う。
「本当に‥‥。何でしょう、胸が苦しいですわね。これは弔いの曲か何かなのでしょうか」
 都人達の中で死者は皆無ではなかった。彼らに捧げる曲かとシャクティは思ったようだが。
「‥‥モーツァルトの交響曲 第40番 ト短調 K550、第一楽章、だったかな‥‥魂を鎮めるような曲ではなかったと思いますが」
 ある家の階段に腰を下ろし、芽衣が言う。曲名を反芻しようとして失敗し、渓は渋面になる。それに気付いた芽衣は、苦笑い。皆聞きたそうな様子を見せているので、短く答える。
「天界の曲です。‥‥久しぶりに聞いた」

 ロゼ・ブラッファルドの魂は彼女の身の内にあった。北門付近の野営地へ現れた彼女は。真理を見つけるなり近づいてきて、何事か真剣な様子で話していた。会話の内容は聞こえなかったけれど、真理が顔を覆って静かに泣き出したのを見たとき、容易く聞いてはいけないような何かを、実の妹の芽衣も、彼女を心から案じていたリカードもロッドも、そして冒険者ら皆が感じ取ったのだ。彼女が事情を知りながらもこの地に留まっていた訳と、深く結び付いていそうな何かを。
 イクシオン子爵が望んでいたのは首都の破壊、彼を取り巻く世界を壊すこと。民人全ての命を眠る巨大な魔に捧げ、世界の本当の意味での終焉を望んでいた――らしい。しかしカゼッタ島のある場所へと向かったコロナドラゴンの長と精霊、そして力ある者達の尽力によって復活の儀式は未然に防ぐ事に成功したという事が、戦いの報告の為戻ってきた烏天狗らによって伝えられた。島へ運ばれた無数の人の魂を、その持ち主探しを行っていかなければならない。けれど最悪の事態は脱したことには違いない。

「この戦いが終われば、決着がつくんだって思ったが。だがな、そうじゃねえんだよなぁ」
 渓がぶっきらぼうな物言いの中にも案じる色を滲ませて、言った。そう、誰もが同様の事を考えていた。ホルス達の後ろ盾を得ているロゼ達が力を合わせ人々を導いていくのかもしれないが、恐らく容易い道ではあるまい。
 その晩真理の紡ぎ続けた旋律は、長い計画の内生じた数多の死者を慰め、これから再び激動の時代へ突入していくだろうこの領地に住む全ての民へ、捧げられた楽曲なのかもしれなかった。