●リプレイ本文
月の冴え々々とした夜。
降り注ぐ銀色の光を震わせて、闇より這い出した魔物が軋るような声をひしり上げた。
喜悦の雄叫び。地獄の底から響く邪悪な哄笑だ。
愁々と――
月の光よりも煌く笛の音がやんだ。
しばらくしてドアを開けて入ってきた袈裟姿の若者――長寿院文淳(eb0711)に向ってファリス神父が問うた。
「シェリルの様子は?」
「音を聞いているうちに眠ってくれましたが‥‥」
応えると、女と見紛うばかりの美青年は手に持つ横笛に眼を落とした。被さる濡れたような黒髪に隠されているが、彼の眼は暗鬱な翳りに覆われている。
あのやつれようでは、ほとんど眠っていないに違いない‥‥
その事を察したか、六つの影からは声もない。
やがて――
「蝙蝠の羽根を持つ魔物‥‥正体はインプのようですね」
銀髪紅眼の若者が口を開いた。黒のクレリック、 ピノ・ノワール(ea9244)である。
シェリルから得た情報より類推したものだが、敵の特徴を仲間に告げる彼の様子は、あくまでも冷静沈着に見えた。が――余人には窺い知れぬが、彼の想いは千々に乱れている。
――残り二日間で赤ん坊を探し出して奪還しなければならない。見つけることはできるのか‥‥
敢えて困難を求める反骨漢の彼であるが、いたいけな少女の心情と小さな命の安否に想到する時、戦慄せざるを得ないのであった。
「インプねぇ。通常攻撃効かないのが何だかなぁ」
ピノの説明を聞き終えて、燃えるような赤髪の若者がごちた。イサーク・サリナス(eb1114)。伝説の剣闘士剣術、コナン流の使い手だ。
が、いかな一撃必殺のコナン流と云えど、刃で斬れる敵を相手に、どれほどの役に立つか‥‥
暗い沈黙が部屋に落ちた。が、すぐさま重い声が沈黙を破った。
「性悪な小悪魔どもが下らん事をやりおって」
苦々しげに吐き捨てたのはドワーフの青年――オリバー・ハンセン(ea5868)である。想いの豊かな彼の双眼からは憤怒の焔が吹き出ているかのようだ。彼は続けた。
「赤子の為にも、依頼人の娘の為にも一刻も早く見つけ出さねばな」
「甘いな」
刃のような声がした。
一同の注視の中で、声の主――鳳萌華(eb0142)は仮面めいた美麗な顔をあげた。
「まだ赤ん坊が生きているとは限らぬ」
ざわり、と部屋の中の空気が揺れた。
誰もが胸の片隅に潜めておいた暗い可能性だ。そして、誰もが敢えて触れなかった哀しい結末‥‥
「その通りですが、今、それを心配しても仕方ないでしょう」
ぼそりとつぶやくハーフエルフの若者――ラグナス・ランバート(eb1186)の言葉に、同じくハーエルフの若者――レザード・リグラス(eb1171)も頷く。
「そうです。それよりも救出の為の情報収集が問題ですね」
情報屋のレザードらしい台詞だ。
「そうだな」
オリバーが苦笑を浮かべた。
「では、近隣の者に聞き込みといくか。近頃性悪な小悪魔が悪さをしているらしい。教会から調査と退治を依頼されたのだが、何か心当たりはないか。東の方に飛ぶ大きな蝙蝠を見なかったか、などと聞いてみよう。インプが出没しているなら、その悪行がこのシェリルの一件だけとは限るまい。何者かに家畜に悪さをされた、食料品を盗まれた等の被害があるかも知れんからな。夜、蝙蝠の羽音の様な物音を聞かなかったかを尋ねるのも良いかも知れぬ」
「目撃情報や赤子の鳴き声など、インプが向かった方向に手掛かりを求めれば、何か分かるかも知れません。何も得られないようなら、逆に目撃されにくく、赤子の存在を隠しやすい場所・・・・」
思索を追う眼で、文淳が云う。それにイサークが同意した。
「俺もそう思うぜ。インプが潜んでいるとしたら、冬季は使われていない別荘、あるいは廃屋の可能性が高いと思うんだよな。それなりに知恵があるみたいだから、やっぱ、元は人が住んでいた場所に潜みたがるだろ」
「ちょっと待ってください」
文淳が手をあげて一同を制した。
「聞き込みは結構なんですが、赤子がさらわれたいう事項は隠した方が良さそうですね。シェリル殿の立場を考えると・・・・」
「大丈夫ですよ」
ニッと笑ったのはレザードだ。彼はこめかみを指で突つくと、云った。
「記憶を手に入れることなら任せてください」
刺し込む清新な朝の光に、シェリルは目を覚ました。傍らの人の気配に気がつき、よろよろと身を起こす。
「神父さま――」
鈍い頭痛に顔をしかめながらも、シェリルは会釈した。
「また、うなされていたようだね」
痛ましげに神父が問うと、シェリルはこくりと頷いた。
その震える肩に置かれた暖かい手。ハッとして顔をあげたシェリルに微笑を送り、ファリスは云った。
「しかし、もう心配はいらない。悪夢は今日で終わる」
「ここか」
木立の陰から顔を覗かせ、イサークがつぶやいた。
街の東方――街外れから続く森の中である。
彼らの眼前には黒々とした寺院が聳えている。うち捨てられ、廃屋と化したものだ。
インプにも活動範囲の限界はあるという文淳の意見に従い、赤ん坊の泣き声や不思議な現象を見聞きしなかったかという聞き込み続けた結果、辿りついた場所である。
「赤ん坊の反応は?」
鳳の問いに、ピノがかぶりを振った。デティクトライフフォースに反応はないという意味だ。
「まだ遠いか。それとも、すでに・・・・」
鳳のつぶやきを聞き咎めて、イサークが気色ばんだ。
「あいつ、またあんなことを――」
歩み出そうとするイサークを、しかしレザードがとめた。
「あんな態度ですが、不器用なだけですよ、彼女は」
苦笑をうかべるレザードから、はたとイサークは鳳に視線を移した。やがて彼の面にも微笑の翳が揺らいだ。
木々を縫うように、二つの影が動いていた。ピノとラグナスである。赤ん坊の反応を探る為、寺院に接近しているところであった。
「反応は?」
ラグナスの問いに、再びピノはかぶりを振った。
「やはり、もう少し近づかないと無理ですかね」
ラグナスは木々の隙間から見える寺院に目を向けた。寺院の周囲は草地になっており、近づくと姿を曝す結果になる。
「どこにインプの眼があるか分かりません。迂闊に近づく訳には・・・・」
「かと云って・・・・泣き声でもあげてくれれば助かるんですが・・・・」
ひょっとすると声すらあげられぬ状況にあるのでは・・・・
脳裏をかすめた最悪のどす黒い可能性を、慌ててラグナスは打ち消した。
その時――
ピノの手がラグナスの肩を強く掴んだ。
「ありました。小さな、微かな反応が」
「反応が――」
「ええ。ここにいるようです。しかしその他の事は分かりません。慎重にいきましょう」
そのピノの言葉に頷くと、ラグナスは木立から身を滑り出させた。一陣の風と化し、寺院に疾り寄る。
寺院の様子を探るため、影と変じたラグナスは、音も無く動き始めた。
魔物の如く踊る黒炎。
黒球の表面にゆらめくそれを、眺める者もまた魔の眷属だ。
小魔は裂けた口を鎌のように吊り上げると、ニンマリと笑った。
魔球の中の小さな存在。赤ん坊の命は次第に弱まりつつある。
弱者が成す術もなく弱り、生き絶える姿を見るのは、彼らにとって無上の悦びであった。
その時――
ゆらり、と黒球が揺れた。カオスフィールド――魔界の結界が解けようとしているのだ。
そうと気づき、小魔はさらなる結界を張るべく、呪力を展開しようとし――
刹那、黄金色の光の尾をひき疾る矢が、小魔の眼を貫いた。
最強の力――愛の成就を願う聖矢だ。なんで小魔如きがたまろう。
耳を塞ぎたくなるような絶叫をあげて、小魔はもんどりうって祭壇から転げ落ちた。狼狽した残る小魔達は、一斉に黒翼を広げ、空に飛び上がる。そして彼らは見た。魔の結界が途切れる瞬間を狙い、寺院に侵入してきた三つの人影を。
「人間メ、邪魔スルカァ!」
くわっと牙をむき、不遜な虫けらを始末するべく、小魔達は三つの人影に襲いかかった。一切の刃を受けつけぬ魔性の肉体を持つ彼らに、敵対しうる者があろうはずがない。しかし――
オリバーの付与した魔炎燃え立つ刃が、六尺棒が、ナイフが魔物を斬り下げた。黒血がしぶき、地をうつ衝撃が寺院を震わせる。
「図にのるなよ」
ニヤリすると、聖矢の射手――イサークが地に転がった小魔を踏みつけた。
一方――
鋭い呼気と軽やかなステップで、起きあがった小魔を翻弄する者がいた。中条流の鳳だ。
彼女の繊手は得物の長さを選ばない。軽傷を負いながらも、確実に彼女は小魔に傷を刻みつけていく。
そして、もう一人――
身を挺して赤子を守る美影身が一つ。荒法師、長寿院文淳!
回転し、疾る棒は、それ自体生あるものの如く、小魔の牙と爪を受けとめる。
と――
彼らの隙をつくように、祭壇の縁にペタリと爬虫のものに似た手が置かれた。先ほどキューピッドボウに射ぬかれたインプだ。
――小賢しい人間共!
憎悪に面を歪ませて、一気にとどめを刺すべく、赤ん坊めがけてインプが踊りかかった。その刃のような爪は、容易く小さな肉体を引き裂くだろう。
が――
インプの体が動かない。
愕然とするインプは見た。己の手を祭壇に縫いとめている魔炎からみつく矢を。
続けざまに放たれる矢が、次第にインプを針鼠へと変えていく。矢の射手――ラグナスが赤ん坊を抱き上げるのとほぼ同時に、どうとインプは弊れ伏した。
「ピノ!」
呼ばわる声に、静かな眼の男が進み出る。黒き光を放ちながら――
「闇に滅せよ!」
ピノの指先から迸る漆黒の牙が、空に逃れようとする魔物を撃ち落した。
幾許かの後――
静かになった寺院の中には、傷だらけの冒険者の荒い息の音だけが響いていた。と、そこに――
小さな泣声が一つ。赤ん坊だ。
「――生きてるって、訴えているみたいですね」
苦笑するレザードにピノも満ち足りた笑顔を返す。
「小さき者の守護者となれて満足です」
その彼らをよそに――
「抱き方が悪いんじゃないか。貸してみろ」
云って、鳳はラグナスから赤ん坊を奪い取った。
男の子――そうと知って、鳳の顔がひくついている。ゆるむ顔を必死に引き締めているためだ。
緊張でガチガチの彼女の手の中で、小さな命はさらに大きな泣声をあげた。