オイングス
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■ショートシナリオ
担当:美杉亮輔
対応レベル:2〜6lv
難易度:普通
成功報酬:1 G 87 C
参加人数:8人
サポート参加人数:4人
冒険期間:05月23日〜05月29日
リプレイ公開日:2005年06月01日
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●オープニング
どこかおどおどとした少年が歩いている。
その手にはパンと湯気のあがるシチュー皿ののったトレイ。
青白い顔色の、痩せっぽちの少年は、昼食をとるべく食堂の席をさがしているのであった。
その食堂は値段も安く、そのせいもあってか若者が多く利用している。玉に瑕なのはセルフサービスという点だ。
と――キョロキョロと空いた席を探す少年の顔がぱっと輝いた。顔見知りの少女を見出したのだ。
少年はその少女の元にむかって、おぼつかない足取りで歩き出した。が、その足元に、別の脚がのび――
大きな音をたてて少年は倒れた。むろんトレイは吹っ飛び、シチュー皿は少年の頭に‥‥
しんと静まり返った食堂の真中で、少年はシチューにまみれた顔をあげた。とたんに爆発する哄笑の渦。
中でも、一際手をたたいて嘲り笑うのはハンクという太った少年だ。側には取り巻きのバーンズ、ノルド、ヒックリーの三人。
「相変わらずノロマだな、ニルス」
ハンクのそばかすの浮いた顔がニンマリする。己が足をかけたことなどはおくびにも出さない。
熟したリンゴのように頬を紅潮させると、ニルス慌てて立ちあがろうともがいた。が、こぼれたシチューに滑って、再び手をついてしまう。
その様が可笑しいと、またもや爆笑がまきおこった。いたたまれず、顔を伏せるニルス。と――
白い繊手が差し出された。その手には真っ白なハンカチーフ。
ハッとして顔をあげたニルスの眼前で、彼の顔見知りの美しい利発そうな少女――シルヴィが微笑みかけていた。
「きっとハンクの奴の仕業ね」
ニルスから話を聞き終えたシルヴィは唇を噛んだ。
「あんな奴、ぶっ飛ばしちゃえばいいのよ」
可愛い顔に似合わず過激なことを云う。最近まで一人で妹と弟を養ってきた彼女は、見た目よりずっとタフなのである。
しかし、
「いいんだ。気にしてないから」
と、気弱げにかぶりを振るニルスである。
それがシルヴィは気に入らなかった。叱咤の言葉を彼女が探していると、突然ニルスの素っ頓狂な声があがった。
はじかれたようにニルスの視線に自らのそれを合わせたシルヴィは、見た。林の入り口に立つ馬を。
名工の手に彫りこまれたような見事な体躯。濡れたような毛は緑というより深蒼に近く――見たこともない馬だ。
その異次元めたい美しさに神秘的というより、むしろ魔性に近いものを感じ、シルヴィは我知らず肌を粟立たせた。
が、ニルスの反応は違っていた。彼に似合わぬ素早さで馬に駆け寄って行く。
「やめなさいよ、ニルス。誰かの持ち馬かも知れないわよ」
「違うよ」
鞍がないからとシルヴィに応え、ニルスは眼を輝かせて馬を見つめる。
「何て綺麗な馬なんだ。――そうだ。お前の名はオイングスにしよう」
「オイングス?」
オイングスとはケルトにおける美の神の名らしい。確かにこの世のものとは思えぬ美しい馬ではあるが――
「そうだよ。オイングス――君のアリョーシカと同じように、良い名だろう」
「アリョーシカ‥‥」
アリョーシカ――シルヴィの持ち馬の名であるが、それは同時に大切な名のひとつであった。
かつてシルヴィと幼い兄弟達を狂犬の群れから救い出し、祖父の元へと導いてくれた者がいた。冒険者と呼ばれる者達。
その中の一人の愛馬――その名がアリョーシカであったのだ。以前ニルスに話して聞かせたことがあったが、そのことを彼は覚えていたものらしい。
しかし――
あのアリョーシカの優しい眼にくらべ、眼前の馬のぞっとする眼はどうだろう。まるで闇の深淵のような‥‥
そしてニルスの異様な様子。まるで熱に浮かされたような顔つき――
云いしれぬ不安がインクのように胸の裡に広がるのを覚え、シルヴィはそっと自らの体を抱きしめた。
それから三日後のことだ。
バーンズが行方不明になり、さらに二日後、森の湖で彼の死体が発見された。
そして、また三日後。
今度はヒックリーの死体が発見された。場所は同じ湖だ。
「――ニルス、聞いた? 今度はヒックリーの死体が見つかったそうよ」
不安そうなシルヴィの声に、ニルスはふっと口を歪めた。
「そうかい。あいつらはノロマだから、脚でも滑らせたんだろう」
くつくつと可笑しそうに笑う。
かつてのニルスとは思えぬその様子に、背を冷たい手が撫でるような寒気を覚え、シルヴィはそっと身を離した。その彼女の手を、ニルスがつかむ。いやにネットリとした手だ。
「これからオイングスで遠乗りするんだ。君も来ないかい」
「いえ――」
反射的にニルスの手を振り払い、慌ててシルヴィはぎごちない笑みを浮かべた。
「わ、わたし、祖父に頼まれた用事があるから」
逃げるようにニルスの元から離れたシルヴィであるが、彼女はずっと背に灼けつくような視線を感じていた。それはニルスのものであったかも知れない。それとも――
そして夜。
所用で遅くなったシルヴィは家路を急いでいた。祖父の屋敷まではもうすぐ。この木立の道を抜ければ――
物音に、ハッとしてシルヴィは足をとめた。振り返り、耳を澄ます。
確か足音がしたような気がしたれど‥‥
冷気を吹きつけられたような怖気を感じ、シルヴィは足早に歩きだした。すると、またもや物音が‥‥
間違いない。足音だ!
ひそやかな足音は、つかず離れず、ひたすらシルヴィの後を‥‥
真っ青な顔で屋敷に戻るなり、シルヴィは自室に飛び込み、ペンをとった。
文の宛先は――冒険者ギルド。
●リプレイ本文
「ケルピー?」
友人のレヴィ・ネコノミロクンの推測に、リィ・フェイラン(ea9093)は柳眉をよせた。
「多分、だけど」
続くレヴィの言葉に、リィの眼がちらりと上がった。その冴えた眼差しに、レヴィは艶っぽく紅い瞳を瞑って見せる。
そのやり取りを面白そうに眺めていたジャッド・カルストがエールを飲み干した。
「では、そろそろ」
「えっ、もう行くのかよ」
怪訝な面持ちのライル・フォレスト(ea9027)の視線の端で、レヴィが立ちあがった。
「そういうことだ――しっかり依頼を成功させてくれたまえ」
云い残すとレヴィを誘い、ジャッドが姿を消した。後には、呆然とした三つの影が残されている。
「男に生まれたかったなぁ」
そっとした呟きも、送る熱い視線の対象がレヴィである事も秘密だが‥‥
眼前のリィとライルの憮然とした表情に気づき、フィラ・ボロゴースは慌ててケルピーについての調査結果を話し始めた。時間が足りず噂をまとめた程度のものだが、ないよりはマシに違いない‥‥
手を振り払って走り去る少女。見送る少年の顔には仮面めいた笑みが貼りついたままだ。
その背中を見つめつつ、韋駄天の草履を用いて先行していたエリック・シアラー(eb1715)は眉をひそめた。
話には聞いていたものの、眼前の少年の様子はあまりにも異常だ。やはり、何かある――
指をぱちりと鳴らすと、生き残っている二人の少年――ハンクとノルドの両親に会うべく、エリックは踵を返した。
「――きっと、今もどこかで誰かを助けてるんでしょうね」
懐かしい想いをのせた眼差しを、シルヴィが窓から覗く蒼穹に投げた。同じ空を見つめるライルの面には深い微笑が浮かんでいる。
「ああ。宜しくとだけ言付かってきたよ」
「ところで、そのニルスって少年の事だけど――」
尾行られている時の様子や二ルスの性格――セラフィーナ・クラウディオス(eb0901)が矢継ぎ早に質問を発した。慌てて眼を戻したシルヴィは、その全てに頬を上気させててきぱきと応える。颯爽としたセラフィーナに憧憬に近い想いを抱いているようだ。
「内気な子がいきなり人が変わったようになった、か。操られてるって考えた方がいいのかもね」
シルヴィの応えを聞き終えた梁暁黒(ea5575)が、腕を組んで考えに沈んだ。豊かな胸が形を変え、さらに存在を誇示している事にも気づかず。
「でも‥‥」
何事かに想到したか、暁黒が眼を上げた。
「随分とニルスという少年の事を気にかけているようだけど、何かあるの?」
何気なく問う暁黒に、シルヴィははにかんで頬を染めた。
「別に‥‥。ただ、そうする事で、少しでも恩返しができるかな、なんて‥‥」
長い睫を伏せる少女を、三人の冒険者はただ優しく見守っていた。
「様子はどう?」
問われてリィはちらりと視線を動かした。背後に佇む可憐な娘が小首を傾げている。
リィが見張りを続けてからすでに数刻。まったくノルドという少年に動きはない。
「家に閉じこもったままだ。自分が狙われている事は理解しているのだろうな。‥‥それより、街の方はどうだ?」
「事故とか大蛙の仕業とか‥‥」
フィアッセ・クリステラ(ea7174)は苦笑を浮かべた。
「さすがにケルピーが関わってるとは誰も思ってないみたいだね」
「仕方あるまい。で、ハンクの方は?」
「一人へばりついてるよ。ニルスが狙うとしたら、二人のうちどちらかだろうしね」
やや強張ったフィアッセの応えに、リィは小さく頷いた。
「武器の強さを己の強さと思い込み、抵抗できない者に暴力を振るうのは、ヒトとして恥ずべき行為だ。負ける事の辛さを知る者‥そしてそれに挫けない心を持った者こそが、本当の強さを得る事ができる。自らの犯した償いきれない過ちを自覚できるならまだ良いが‥そうでない場合は、引っ叩いてでも目を覚まさせるべきだろう」
さらりと揺れる銀の髪と同じく、リィの言葉もまた冷たい煌きを帯びていた。
その一人――羽紗司(ea5301)はハンクとの接触を果たしていた。
「君達の仲間が居なくなる前の話を聞きたい」
冒険者ギルドの者だと名乗り、すばり切り出す。相手の懐に直接飛び込むのは彼ならではの妙技である。
「君の仲間が二人、それも立て続けに亡くなっている。偶然だとは思えないんでな――恨まれていたとかは、ないか?」
「‥‥」
ハンクは口を尖らせたまま黙り込んでいる。しかし、その眼に一瞬だけ揺れた細波のような怯えを、司が見逃すことはなかった。
「ま、虐めを止めろとは言わないが、やった事に対して、何かが返って来るぜ、必ずな」
冷然と笑う司。
見返すハンクの顔が、泣き笑いのように歪んだ。
「この辺りのはずだよ」
鏡面のような湖水を前に、ライルは愛犬の頭を撫でた。
森の中で殺害犯人につながる痕跡を求めていたものだが発見できず、捜索個所を死体が発見された湖に変えたのであるが――
「何かあるとすれば、残るのはここだけだね」
周囲を見回す暁黒の眼が、ある一点でふっととまった。
「これは‥‥」
駆けより、暁黒はしゃがみこんだ。伸ばした手が、変色し乾ききった草を掴む。
「ここだけ‥‥枯れてる?」
「どうしたの?」
暁黒の呟きを耳にして、ライルもまた近寄ってきた。その前に、暁黒が崩れかけた草を差し出す。
「見て、この辺りの草を」
「えっ」
慌ててライルが視線をはしらせた。緑の調和音をかき乱すように茶色の侵食がかなりの範囲で起こっている。
その時――
ガサリ。
葉擦れの音に、ライルは慌てて身を潜めた。何事かと口を開きかけた暁黒に向かって、指を口に当ててみせる。片方の手は犬の背の上だ。
その彼等の耳に、さらに葉擦れの音が近くなり――
一人の少年が姿を現した。
痩せて神経質そうな面立ちの少年。その血の気の失せた顔の中で、眼ばかりがギラギラと熱く――
ニルス!
愕然とするライルと暁黒に気づく様子もなく、ニルスは草をかき分けつつ、湖に歩み寄る。彼の歩みがとまったのは、靴先が湿った土を踏みしめた刹那だ。
「――オイングス」
少年とは思えぬほどのしわがれた声で、ニルスが声をあげた。一瞬二瞬、すぐに少年の姿が朧になる。
霧だ。
突如立ち込めた霧によって、少年の姿が乳白色に霞んでいる。
「!」
驚愕に、ライルと暁黒の眼がカッと見開かれた。
少年の前に、深蒼の馬が立っている。が、馬はどこから来たか――彼等は深蒼の馬の接近に全く気づかなかったのだ。
左右のどこからも歩み寄ってきた様子はない。それではまるで、湖から――
「オイングス!」
息をのむ彼等の存在も知らぬげに、ニルスが馬の背に飛び乗った。器用に首に腕を回して掴まる。
ざざ、ざざと――
叢を鳴らして、幽玄の幻のように馬とニルスが立ち去った後、ようやくライルと暁黒は身を起こした。が、うけた衝撃に声もない。
話には聞いていたが――
二人の冒険者は氷の手に掴まれたように身を震わせた。瘴気といおうか妖気といおうか、オイングスという馬から放たれる形容しようもない異様な気にうたれたのだ。
「――あれが、そうか」
突然響いた声に、ライルと暁黒がびくりと身をすくませる。はじかれたように振り向かせた視線の先――木立から凛とした女騎士とエリックが姿を現した。
「アルトリア・シュトルハイム(eb1272)!」
「脅かさないでくれよ」
苦笑を浮かべる暁黒とライル。
が、返すアルトリアの表情は真剣そのものだ。彼女もまたオイングスの魔性の気に怖気をもった一人なのだろう。
「ニルスを尾行していたのですが‥‥」
オイングスに辿りつけるかも知れないと考え、同じ目論みをもったエリックと出会い、ここまで同行してきた――説明するアルトリアに、ライルが勢い込んで尋ねた。
「なら見ただろう。オイングスはどこから現れた?」
「それが‥‥」
全く気づかなかった――頭を振るアルトリアの傍らで、エリックもまた肯首する。
「ニルスの左右、後から奴が近づいた様子はなかったぜ」
「それじゃ、残るのは――」
暁黒が振り返った。彼女の見つめる先を、他の冒険者の視線が追う。
彼等の眼前で、深く蒼い水をたたえた湖は、ただ静かに沈黙していた。
「ケルピー?」
眼を見張るシルヴィに、セラフィーナが頷いた。
「ええ、水の精よ。それも性質の悪いね」
人を操り、水の中に引きずり込む――伝承通りだとすれば、今回の事件と符合する点が多い。。
「そんなものに、ニルスがとり憑かれていたなんて――」
シルヴィは血の気のひいた顔を戦慄かせた。が、すぐに必死の眼の色になり、
「早くニルスを助けないと――」
「いや」
アルトリアが、今にも飛び出していきそうなシルヴィを押しとどめた。
「ニルスがすぐにもどうこうなるということはないでしょう。それよりも――」
危ないのはシルヴィ――落ち着いた口調でアルトリアが告げた。
「それにハンクとノルド――」
セラフィーナが呟いた時だ。もぎとられそうな勢いでドアが開かれた。
「ハンクが行方不明になったよ!」
蒼白な顔で駆け込んで来たフィアッセが叫んだ。
「それで、ニルスは?」
問うシルヴィに、向けるフィアッセの面は憐憫に引き攣っている。
「‥‥まだ、戻らない」
「!」
慌てて差し伸べたセラフィーナの手をすりぬけるように、シルヴィが床に倒れた。
「苛められて仕返ししたいのはわかるけど‥‥流石にやりすぎだよ。そんな子にはお仕置きが必要だね」
森を駆けぬけつつ、フィアッセが長弓を手にとった。怒りのこもった彼女の口調は、焦燥のあらわれである。
傍らを疾る司はただ黙々と――しかし、胸の内ではギリリと歯噛みしていた。
今にして思えば、打ち合わせの時にハンクから眼をはずしていた事が悔やまれる。
「最悪な事にならなければ良いがな」
はっとハンクは眼を開いた。夢から覚めたようにキョロキョロと周囲を見まわす。
暗い森の中‥‥どうしてこんなところに‥‥?
「!」
自分がつかまっているものの正体に気づき、ハンクは息をひいた。闇の中にあってさえ蒼い燐光につつまれているかのような不気味な馬。――どうしてこいつの毛は、こんなに濡れているんだろう?
「どうだい、オイングスの乗り心地は?」
「ニルス!」
くつくつと嗤う声の主の正体を見とめ、ハンクが絶叫した。
「ど、どうしてお前が――」
「うるさいなぁ。オイングスが驚くじゃないか」
キュッとニルスが口を吊り上げた。
「友達が待ってるぞ。オイングスに遊んでもらえ」
その言葉が合図であったかのように、オイングスが脚を踏み出した。水かきのついた蹄が叢を踏みしだき、歩一歩と湖に近寄って行く。
そうと知ってもハンクに動きはない。ただ凍りついたようにオイングスの首にしがみついているだけだ。
ぴしゃり。
オイングスの蹄が湖の水をはね、ニルスの笑みがさらに深まった。刹那――
月光を散らせて疾る銀光が、オイングスの脚をかすめて地に突き刺さった。
「なにっ!」
ニルスが呻き、オイングスがいなないた。はずみで、その背からハンクが転げ落ちる。
「今だ!」
叫びに、一斉に数条の光流が空を切り裂いた。半数以上がレンジャー――今回の冒険者ならではの遠隔攻撃の集中である。
が――
オイングスの眼が蒼く燃え、再びあがる嘶きは氷嵐へと変貌し――
凍りついた銀の矢がぽとりぽとりと地に落ちた。
「おのれっ!」
再び矢を射掛けるべく、セラフィーナ、フィアッセ、リィが弓をひきしぼる。後方からの援護、または魔法や特殊能力を使う隙を与えないようにする為だ。
が、矢を放とうとし――彼女等の指が凍結した。
オイングスの側にニルスがいる。流れ矢が当たりでもしたら――
わずか一瞬、射手に躊躇が生まれた。
その隙を衝くように、またもやオイングスの眼が蒼く煌く。今やオイングスの呪の詠唱を妨げるのは、ライルの愛犬の咆哮のみだ。
「ただではやられはせんでござるよ!」
仲間の逡巡を察し、飛び出した影がある。盾をかまえたアルトリアだ。
敵は人知を超えた魔物であるが――
「太陽の騎士に頂いたこの誇り、今貫き通す!」
アルトリアが盾を振りかぶった。
ほとんど反射的に他の冒険者達も飛び出している。ライルと暁黒、そして司――すなわち白兵においての使い手たち!
しかし対するオイングスの呪はすでに紡ぎ終えられようとしている。今、先ほどのアイスブリザードを放たれれば、盾で防いだとしてもアルトリアの身は只ではすまないだろう。
万事休す――!
誰もがそう思った時、天の弦月に似た光影が閃き、オイングスがのけぞった。
エリックの放ったウインドスラッシュと知るより早く、正面からはアルトリアの盾が、背後からは暁黒の拳がオイングスの胴体にめりこみ、ライルの刃が首を切り裂いた。しぶく鮮血は狭霧となって消え、その彼方にオイングスが後退する。すでに胴体の半ばまでが水面下だ。
そして――
呆然と立ちすくむ冒険者の眼前で、ゆっくりとオイングスの姿が波間に消えて行く。首、そして燐火のように燃える眼が‥‥
「‥‥僕は、いったい‥‥」
司のスタンアタックで気絶させられていたニルスに正気がもどった。顔色の悪さはそのままだが、何かに憑かれたような眼の光は消えうせている。
その背に向かい、エリックが事情を説明した。操られていたとはいえ、彼は事実を知らねばならない。
「‥‥こういう類の化け物は人の心につけ込み利用する。もちろんこの怪物や君を虐めていた少年たちが悪い。だがどんなことでも片方にしか責任が無いということはありえないんだ。こいつにつけ入る隙を与えたのは君だ。だから死んでしまったバーンズやヒックリーのことは絶対に忘れるなよ。それが君がすべきことだ。わかるな?」
エリックが諭した。その言葉を虚ろな眼のニルスが受けとめている。
「本当に強くなりたければ他人の力借りちゃダメだよ。自分で強くならないとね。でもね‥強いっていうだけじゃダメなんだよ。力だけじゃなく心も身体も強くならないとね」
フィアッセがニルスの手に付着した泥を払った。
その彼女の手に――
ポトリ、と熱い雫が落ちた。
「ありがとうね」
にっこりと微笑んで差し出された銀の矢を受取ろうとして、ライルの手がとまった。相手の手が矢から離れない。
「?」
怪訝な面持ちのライルに、無邪気な笑みを向けたまま、そっとフィアッセが囁いた。
「お礼は‥‥身体でいい?」
「!?」
絶句するライルの眼が、否応なく豊かなフィアッセの胸に釘づけになる。
無理もない。彼もまた元気一杯の男の子なのだから。
「なんちゃって。冗談だよ」
すぐにクスクスとフィアッセが笑う。
顔を真っ赤にし、ライルともあろう若者が、ただうろたえるばかりだ。
ケルピーより、眼前の娘の方がよほど恐ろしい――
様々な想いの冒険者をよそに、全ての謎を飲み込んだ湖は寂として――ただ月の光を撥ね返していた。