青が舞う

■ショートシナリオ


担当:美杉亮輔

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや難

成功報酬:0 G 81 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:05月17日〜05月20日

リプレイ公開日:2005年05月28日

●オープニング

 袖から覗く青い傷跡を見とめ、小松富之助は顔色を変えた。
「お二三殿、これは――」
 富之助はお二三の腕をとった。
 めくりあげる袖の下から顕れる白い腕には無数の蒼痣。どうやら傷は殴打の跡らしい。
「まさか、中川が!」
 愕然とする富之助の眼を避けるように、お二三は顔をそむけた。
 その時、がらりと戸が開けられた。
「見たぞ、不義の場を」
 細面の壮年の男が口を歪めた。酔ってでもいるのか、眼に血の筋がからみついている。
 お二三の亭主であり、富之助の友人――中川民部である。
「馬鹿な――」
 慌ててお二三から手を放し、富之助は民部に向き直った。
「そんなことより、民部、お二三殿の傷は何事だ。まさか、貴様が――」
「不義密通をはたらいておりながら、何を偉そうに」
 民部が嘲笑った。
「亭主が妻をどうしようが、他人が口出しすることではないわ。こ奴の心には、まだお前――小松富之助が住みついておる。その小面憎い性根を叩きなおしてやったまでよ」
「ば、馬鹿な――そのようなことの為に‥‥」
「あなた、誤解です!」
 血を吐くような叫びを上げるお二三を、民部はジロリと睨みすえた。
「声を合わせて‥‥相も変わらず、仲が良い――」
 民部が腰の大刀の鯉口に手をかけた。
「不義者。手打ちにされても文句は云えぬぞ」
 民部がさらりと刃を抜き払った。行灯の灯りに、白々と刃が煌いている。
 その前に立ち塞がった美麗な影はお二三である。
「あなた、富之助様は悪くないのです。誤解でございます!」
 哀訴するお二三であるが、その様がなおさら民部の怒りの炎に油を注いだ。憤怒に満面をどす黒く染め、民部が刃を振りかざした。
「痴れ者! 聞く耳もたぬわ!」
 逆上した民部の刃が、お二三めがけて疾った。
 刹那、一条の白光が迸った。しぶく狭霧の如き血煙は――民部のものだ。
「と、富之助様――」
 恐怖に眼を張り裂けんばかりに見開かれたお二三の前で、呆然自失の態の小松富之助が立っている。その手にあるは、民部の血を吸った一振りの刃だ。
 やがて――
 富之助は血走った眼をあげた。
「――お二三殿、逃げよう」
「えっ」
 息をひくお二三の肩を、富之助はそっと掴んだ。
「私ならどうなってもかまわぬ。が、このままではお二三殿も責めにあう。不義密通は大罪だ」
「で、でも、それは間違い――」
「どのように証しをたてるというのだ」
 富之助は血溜まりに沈む民部の亡骸に眼を向けた。
 お二三を庇う為に、とっさに奮った刃であるとはいえ――
「このような仕儀に相成った上は、もはや仕方無し」
 震えるお二三の手を取ると、富之助は包み込むように力をこめた。
「ご子息、拓馬殿は遊学に出ておられたな――幸い、数日中は月道が開く。イギリスに逃れよう。イギリスならば――」
 
 冒険者ギルドから去ろうとする一人の女性。
 年の頃なら四十ほどか。後姿からは窺い知れぬが、美麗な面は憂いに青く沈んでいる。
 その背から視線を外すと、ギルドの男は口を開いた。
「あれが依頼主だ」
 慌てて幾人かの冒険者が振り返った。が、すでに件の人の姿はない。
 冒険者の視線がもどるのを待って、彼は続けた。
「彼女の依頼の内容は――息子さんからご主人を守ることだ」
「何っ!?」
 幾人かの口からもれた声に応え、ギルドの男はあらましを語った。
「――そしてイギリスに逃れた。しかし今、ジャパンより刺客が訪れた。刺客の名は――」

「ようやく仇――富之助を追いつめたな。この街に、必ず彼奴はいる」
 呟くと、ふてぶてしい面構えの侍が腰の大刀に手をかけた。
「奴の命運もここまで。何の駆け落ち者の一人や二人‥‥」
 ニヤリとすると、もう一人の侍が連れの若侍に視線を転じた。
 二人の侍の名は上川典善と矢部兵衛といい、共に北辰流の使い手である。
 そして連れの痩身の若侍――二三の息子である彼の名は、中川拓馬といった。

●今回の参加者

 ea0163 夜光蝶 黒妖(31歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea0582 ライノセラス・バートン(29歳・♂・ナイト・人間・イギリス王国)
 ea0933 狭堂 宵夜(35歳・♂・浪人・ジャイアント・ジャパン)
 ea7059 ハーヴェイ・シェーンダーク(21歳・♂・レンジャー・エルフ・イギリス王国)
 ea7197 緋芽 佐祐李(33歳・♀・忍者・ジャイアント・ジャパン)
 ea7440 フェアレティ・スカイハート(33歳・♀・ナイト・人間・イギリス王国)
 ea8761 ローランド・ユーク(32歳・♂・ナイト・ハーフエルフ・フランク王国)
 ea8773 ケヴィン・グレイヴ(28歳・♂・レンジャー・ハーフエルフ・イギリス王国)

●サポート参加者

クオン・レイウイング(ea0714)/ ライラ・メイト(ea6072)/ バデル・ザラーム(ea9933

●リプレイ本文

 風が、吹く。
 旋律の色は、想いの数だけ多く‥‥
 
 初夏の日差しをあびて、道ゆく人の足も、どこかゆったりとしているように見える。そのうちの何人かがくぐる扉――キャメロットでも有名な酒場の片隅。喧騒の中に沈み込むように酒を酌み交わす二つの影があった。
「初めてジャパンの人間と関わる依頼だってのに‥‥哀しすぎるぜ」
 沈鬱な眼の巨漢が酒をあおった。無頼の浪人、狭堂宵夜(ea0933)である。
 相槌をうつハーヴェイ・シェーンダーク(ea7059)は酒を舐めるだけにとどめている。
「情に基づく事はやっぱり当事者同士の相互理解でないと解決できないと思う。決闘する事で余分な怒りや負い目の感情を流せば話し合う気持ちも生まれるよ。俺達はその状況作りの手助けをするだけさ」
 至極冷静な応えを返す。
 眼前の巨漢がいかに今回の依頼に肩入れしているか、ハーヴェイは承知している。さればこそ、一人でも多く冷静でいる者が必要なのだ――第二の悲劇を防ぐ為に。

「すまぬ。造作をかけた」
 酒場の扉をくぐると、若侍が頭をさげた。
 いいえ、と頭を振るのは高貴な顔立ちの娘だ。
 他の二人の武士は苦笑いを浮かべている。
「本当だ。言葉が通じぬ苦労を散々味わってきた我等にとって天の助け」
「まさに――此度も飯を食うのに、とけほどの時がかかるのかと案じておったぞ」
 うんうんと頷く二人の武士に、娘――緋芽佐祐李(ea7197)は頬を赤らめた。イギリス語の通訳をかってでて友好的に話す雰囲気に持っていく――日程的に同行が無理とバデルが与えてくれた策が、どうやら効を奏したようある。
「――そんな事は‥‥それよりもお伺いしました仇討の件なのですが」
 セブンリーグブーツを用いて先行していた佐祐李は、それとなく仇討の件に水を向けた。

「――全ては私のせいなのです」
 肩を落し、お二三は嗚咽をもらした。
 全てを語り終えたところであるが、その憐れさに、冒険者達は声もない。
 そのお二三の震える手を、富之助が握った。
「いや、私が悪いのだ。咄嗟の事とはいえ‥‥」
 この男は死のうとしいる――言葉をなくす富之助の沈痛な眼の光を読み取って、ライノセラス・バートン(ea0582)は口を開いた。
「事の是非はどうあれ、貴方には生きて支えてあげるべき存在がいる」
 わずかに身じろぎする富之助の背に向かい、ライノセラスは続ける。
「貴方が弊れ復讐が完成しても、拓馬殿は無実の人間を手にかけた業を背負い、二三殿は残された時間を悲しみに生きる。復讐は関わった人全てを不幸にするという事だけは忘れないでいただきたい」
 ライノセラスの言葉に、しかし富之助は応えない。その眼にたゆたう熱をもったような輝きを前に、ただ冒険者達は声もなく立ちつくしていた。

 同じ頃――
 街外れの草地に、かなり深く大きな穴が出来あがりつつあった。
 掘るのはたった一つの人影である。
 口が上手いわけではないから説得などということに興味はない――そう云い捨てて仲間と離れ、刺客を捕らえる為の罠を仕掛けるケヴィン・グレイヴ(ea8773)だ。友人の黒衣の狙撃手――クオン・レイウイングは罠設置の打ち合わせをしたのみで、この場にはいない。
 ケヴィンは流れる汗を拭った。
 氷のように凍てついた眼差しの彼だが、その指のマメは潰れ、すでに血が滲んでいる。それでも彼は手を休めることなく、ただひたすらに――

「あれは――」
「小松富之助!」
 呻き、顔を見合わせた三人の武士。云うまでもなく拓馬達だ。
 その彼等の視線の先――道ゆく者は、遠目であるが紛う事なき仇の富之助!
 目配せ交すと、拓馬達は物陰に見をひそめつつ、富之助のあとを尾行けはじめた。そうとは知らぬ富之助は、さして急ぐ用もないのか、ゆっくりと歩を進めている。
 やがて――彼が行きついたのは街外れの草原だ。
 ほくそ笑むと、二人の武士は拓馬に頷いて見せた。顔を強張らせた拓馬の腰から白光が噴出する。
「待て、小松富之助!」
 拓馬の叫びに応えるように、富之助が振り返った。その顔が驚愕に歪んだようである。
 慌てて逃げ出す富之助を追って、拓馬が駆け出した。それに二人の武士も続く。
 と――
 突如、拓馬の姿が消失した。あとに残ったのはあっという彼の悲鳴のみである。
 落とし穴に落ちた――そうと見てとって、咄嗟に二人の武士が飛びずさった。
「お、おのれ!」
 呻く二人の武士がさらに飛びずさった。ハーヴェイの放った矢が足元に突き刺さったからだ。
 吹きつける灼熱の殺気に呼応し、氷の刃を抜き払った彼等の眼前に二つの影が立ち塞がった。
 一人は凛とした秀麗な女騎士――フェアレティ・スカイハート(ea7440)であり、もう一人は変幻自在の陸奥流の使い手、宵夜だ。
 対するは上川典善と矢部兵衛。千変万化の北辰流の使い手である。
 一語も発さず、二人の武士は刃を疾らせた。大気を灼き斬るような一撃を、しかしフェアレティと宵夜は受けとめた。
 刃と刃が噛みあい――刹那、宵夜の脚が飛んだ。かすめただけで火ぶくれができそうな蹴りであるが、刃をはずした武士は飛んでかわしている。
 直後に響いたのはフェアレティと武士の剣戟の音だ。今回の策に疑問を持ちつつ、しかしフェアレティの剣に曇りはない。
「やるな――」
 ニヤリとする武士の背に、その時冷然たる制止の声が飛んだ。
 慌てて振り向いた武士達は見た。穴の中の拓馬に向けて矢をつがえている銀髪の若者の姿を。
「大人しくして‥大事な用が‥あるんだから」
 告げると、富之助であった者――人遁の術を解いた夜光蝶黒妖(ea0163)は、仮面めいた美麗な表情でロープを取り出した。

「――父の仇を討たずにおれようか。討たねば、中川の面目はない」
 それに主君の命でもある――重い声で、拓馬はフェアレティに応えた。
 彼等がいるのは富之助宅だ。武器は取り上げられているものの、すでに拓馬の戒めは解かれている。
「しかしな――」
 拓馬の前にどっかと腰をおろしたのは八番目の冒険者――ローランド・ユーク(ea8761)である。彼は二三達から聞いた真実を語った。
「‥‥」
 俯いたままの拓馬に、ややあってローランドは続けた。
「――今聞いた通り、二人で逃げたのはお前を捨てた訳じゃない。自分を守るために人を殺め、全てを失くした男‥‥そんな男を見捨てられなかっただけだ。そういう人であるのは分かっているだろう」
「――ふん」
 拓馬は口を歪めた。
「疑いはもっともだ。だがな、お二三さんは筋の通らない嘘を通す人か? お前が疑おうと、あの人はお前のことを絶対に信じ通す人だ。それが母親だ。その心の半分でも、信じてやってくれないか?」
 真摯なローランドの言葉が、しんとした静寂の中に響く。
 が――拓馬の口からもれたのは軋るような怨嗟の言葉だ。
「わしに母などおらぬ。そこにおる不義者など、母とは思わぬ」
「これほど話しても‥‥では、お二三さんの受けた折檻についても知らなかったのですか?」
 溜息まじりの佐祐李の問いを、拓馬は嘲笑った。
「折檻だと? 馬鹿――!」
 拓馬が息をひいた。その眼がカッと見開かれている。
「その様子では心当たりがあるのですね。それでも――」
「黙れ!」
 佐祐李を遮り、拓馬が叫んだ。我を忘れた拓馬の拳が唸る。
 鈍い音を発して拳がめりこんだのは――佐祐李を庇ったライノセラスの頬だ。
「あなたの過去の恨みの分だけ、俺を殴れ。それで二三さん達を許してやれるなら――異国の人間と遠慮は無用だ」
「な、何を――」
 喚き、拓馬は再び拳を振り上げた。
 と、その手をがっしと掴む者がいる。拓馬の人柄を知る為に静観していた豊満美麗なくノ一、黒妖だ。
「憎しみ‥か。自分勝手で‥愚かな‥感情だね」
 告げる彼女の声音はあくまで淡々としたものだ。見返す拓馬の満面は憤怒でどす黒く染まっている。
 それでも続ける彼女の言葉は、その視線と同じく氷の冷ややかさを含んでいる。
「殺された恨みなんて‥知らない‥だけど‥殺された方だけが辛いなんて‥思わないことだ」
「くっ――」
 黒妖の手を振り払い、拓馬が膝をついた。
「――何と云い募ろうと、わしは必ず富之助を討つ」
 しわがれた声は、面を伏せた拓馬からもれた。
 その様子に、もはや詮無しと悟ったハーヴェイが、強いて明るい声で告げた。
「富之助さんを仇討ちとして弊そうとしてるけど、これって実際は犯罪なんだよね。ジャパンで『仇討ち』は非公式で認められてるけどでも、ここはイギリス、ジャパンじゃない。仇討ちをするのならこの国でいう『決闘』でやらないか? 郷に入ったら郷に従え、だよ。犯罪者として掴まると国に帰れないだろうし。正々堂々と、それがブシドーなんだってね」
 仕掛け師ハーヴェイの面目躍如――彼の言葉の罠、ブシドーという言葉が効いたものか、拓馬がゆっくりと顔を上げた。血筋のからみついたその眼は、熱病のように濡れ光っている。
「――やる!」

 風は緑の香りを含み、心地よい。更けた夜は音もなく、ただしのびやかに――
「良いのか、我等の戒めを解いて」
 問う典善に、佐祐李は頷いて見せた。
「このような事をしても、お前達の力になど、ならぬぞ」
「そうでしょうか」
 微笑むと、佐祐李は手裏剣を閃かせた。

 同じ時――
 月の光に蒼く染まる庭を眺めながら、ぼそりと黒妖が呟いた。
「憎しみね‥感情なんて‥面倒臭いだけなのに」
「親子、夫婦、男女、ブシドー‥‥全て大切なもので、断ち切れないもので、一度こじれると難しいものだよね。親子で情があるから尚更苦しいんだろうな。でも互いを想う情だから憎しみの裏には愛があると思うよ」
 確信をこめたハーヴェイの言葉。それにローランドも頷いた。
「お二三さんにゃ幸せになってほしい。もう良いだろう、もう十分苦しんだ。きっと拓馬って男はどっかで母親を信じているぜ。そう信じたいだけなのかもしれないけどよ‥‥
が、その一点に俺は賭けるぜ」
「そうだな」
 ローランドの肩を叩き、宵夜が立ちあがった。
「この悲劇‥‥皆誰かを想ってたってのに。民部もお二三をきっと愛してたし、拓馬もきっと両親が好きだった。なのにどこから狂っちまったんだ? 起きた悲劇はどうすることもできねえ。だけど、これから起こることは‥‥」
 夜空を見上げる宵夜の眼には、月光よりもなお蒼い炎が揺らめいている。
「きっと止められる。止めて見せるぜ」

 まだ朝靄の晴れぬ早朝、人気のない街外れの草地に、十三の影があった。
「決闘にはこれを使ってもらう」
 黒妖が用意したロッドを掲げた。その一本を受取り、ローランドは自ら拓馬に手渡した。
「富之助さんはお前の手にかかって死ぬ気だ。それを贖罪だと信じてる、そういう男だ。そして恩人が自分の息子の手にかかったら‥‥お二三さんは後を追うんじゃないか?」
 ローランドは推測を囁いた。
 わずかに拓馬の表情が動いたようだが、すぐに青ざめた顔色に紛れて消える。
 ややあって、黒妖が法螺貝を手にとった。
「双方‥手加減抜きで‥でなきゃしょーやの拳骨の刑だよ」
 ボキリっと――宵夜の拳の鳴る音が響く。
「それじゃ‥はじめ」
 法螺貝が鳴り響いた。
 直後、拓馬が動いた。一気に富之助との間合いを詰めると、袈裟にロッドを振り下ろす。
 対する富之助は――無防備だ。
 遮るもののない彼の頭蓋に、拓馬のロッドが叩きつけられた。額から鮮血を滴らせ、ガクリと膝をつく富之助。
 が、拓馬に容赦はない。狂ったようにさらなる打擲を加える。
 まだ静寂の深い朝の中に、木が肉と骨を打つ不気味な音だけが響く――
 たまらず、二三が飛び出した。富之助を庇い、拓馬のロッドの前に。
 一瞬後――
 血潮は佐祐李の額から流れた。二三を庇って受けたロッドによるものだ。
「あ‥‥」
 拓馬が力なくよろめいた。が、すぐに歯を食いしばるとロッドをかまえなおす。
「お、おのれ。‥‥庇おうとて、富之助は打ち殺してくれる」
「馬鹿め!」
 拓馬の背をフェアレティの叱咤がうった。
「お主が人を殺めれば、母が傷つく事が分からぬか。お主は父親と同様に母を傷つけるつもりか? それとも母が憎いのか? ならば富之助ではなく、母を殺してみるか」
 さらに続いた痛烈な憤怒の声に、拓馬の顔が歪んだ。それでも、いや、それだからこそ――
 拓馬はかまえたロッドを振り下ろした!

「で、できぬ‥‥」
 強くなり始めた朝日の中で、拓馬の嗚咽が響いた。彼のロッドは地を穿っている。
 その手から、大きくてごつい影――宵夜がロッドを取り上げた。
「もう‥‥いいんじゃねえか? 大の男が二人揃って女を悲しませるんじゃねえよ」
 恐い貌には似合わぬ優しい声音で続ける。
「親を殺されたあんたの気持ちはすげえ分かる。復讐したい気持ちも。だけどな、それでも片親は生きてるじゃんか‥‥俺、あんたが羨ましいよ‥‥お二三さんを泣かせないでくれ」
 沈痛に変わった声音に、拓馬が顔をあげた。
「し、しかし仇をとらねば、わしは戻れぬ。中川の家も潰れる。わしは、どうすれば‥‥」
 苦渋に唇を噛む拓馬。
 と――
「策はあるぜ」
 ニヤリとしたのはローランドだ。
「富之助さんを討ったとして、遺品を証拠に携えジャパンに帰るってのはどうだ?」
 禁じ手と承知の上の策だ。しかし、これより他に彼等三人を救う術はない。
「腐敗する首級の代わりに、遺髪を証しとすれば良いのでは」
 ジャパンの風習に詳しい佐祐李の言葉に、はっと拓馬は顔をあげた。が、すぐに首を振る。
「わ、わしは得心しても‥‥」
 拓馬が頭を巡らせた。その視線の先にあるは、二人の刺客だ。
「君達は‥いらない‥邪魔をするつもりなら‥処分‥する」
 ぞっとするほど冷淡な黒妖の声音。続くケヴィンの言葉はさらに剣呑だ。
「国で余計なことを喋れば、一族郎党、皆始末しにゆく」
 俺は悪魔だから、お前達がどこにいようと必ず見つけ出す――氷の眼差しのまま、ケヴィンは尖った耳を示した。
「馬鹿な――」
 嘲ったのは典善だ。
「脅されたくらいで、そのような茶番にわしらがのると思うか」
 典善が口を歪めた。
 彼等の技量心魂は並ではない。その言葉通り、彼等なら脅しにはのるまい。
 が――
「‥‥いや、わしは富之助が討たれるを見たぞ」
「なっ――」
 眼を白黒させる典善に、兵衛は微笑を返す。
「あの三人の姿を見、事情を知り、これ以上責められようか。我等の武士道とは、そのようなものではなかったはずだ。それに――」
 兵衛はニンマリした。
「こやつらは恐ろしいぞ。本当にジャパンまで追ってきかねん」
 その時、法螺貝の音が鳴り響いた。
「双方‥それまで」
 黒妖が静かに宣した。

 酒場で、独り宵夜は酒瓶を傾けていた。
 報酬は受取らなかったので、今日も安酒だ。が、彼の面には心地良げな微笑がたゆたっている。
「拓馬のためにも、絶対泣かせるんじゃねえぞ」
 宵夜の呟きは、青い月夜に舞って、消えた。