●リプレイ本文
闇色の体躯。それは鬼火の眼光を揺らめかせているという。
ケルトの伝説の邪妖精。
人の生気を啜るそのものの名も――
「ナイトメアというらしい」
つまらぬことではあるがな。
怖気を滲ませた声をあげたのはシェゾ・カーディフ(eb2526)である。吟遊詩人である彼には、この世の理の裏側――黄昏の世界がみえすぎるのであろう。それ故の戯言ではあるのだが。
しかし、誰も笑うものはいない。なぜなら――
ここにいる誰もが想到していたのだ。これから対峙する敵もまたひとつの伝説なのだと。
「戦場の影を駆け抜ける悪夢‥‥。まさに影の軍団といったところだな」
一人、辛くも笑ったものがいる。
二階堂夏子(eb1022)。流離うことを望んだ武士。
夏子は敵の侮るべからざることを承知している。故に、嗤う。
天地に独り立つことを誇りとし、茨の中で肩をそびやかすことをこそ矜持としてきたのだ。ここで退くわけにはいかぬ。
「ところで」
ふっと。夢から覚めたかのように眼を上げ、イケル・ブランカ(eb2124)は友人のラミエル・バーンシュタインに視線を転じた。
「ナイトメアについて調べてくれていたようだが‥‥何かわかったかい?」
「それが‥‥」
暗澹たる顔色のラミエルは唇を噛むと睫を伏せた。
それが応え。悪夢のうちは知れなかったということだ。
「すみません」
「いいさ」
イケルは壊れ物を扱うよう微笑んだ。
女性はこの世の生きた宝石だ。大切に扱わねばならぬ。
「そう簡単に奴らの手の内がわかるとは思っていなかったからな」
「とはいえ、やはり厄介だな」
ベナウィ・クラートゥ(eb2238)は静かに指摘する。
敵の陣容。うちに抱く牙の鋭さが知れぬ以上、敵の正体はまだ悪夢以外の何者でもない。おまけに。
というより、これこそが肝心な点だ。標的のことが何も判明せぬ。どのような顔をしているのかはおろか、体つきですら。それは霧の中で針を捉まえるに等しい作業ではないか。
「なら、情報屋のあんたが何とかしろよ」
辛辣に揶揄するイケルに、苦笑をうかべたベナウィはぽりぽりと頭を掻く。
痛いところだ。貴重な情報ほど陽炎の如く捉えにくいのは、身に染みて良く知っている。
「現状ではアーサー軍が優勢ではあるが、遊撃された際の被害は計り知れない物がある。叩くならいましかない」
再び口を開いたシェゾの声は焦りと苛立ちにささくれていた。
時がないのは誰もが承知しているところだ。ナイトメアが動き出してからで暗殺の意味はない。
が――
打ち合わせにより、暗殺のための策は陽動と決まったものの、肝心の標的の情報がない。それでは拙いのだ。
暗殺とは一撃離脱。現場でかける刻の長さは、そのまま命の蝋燭を燃え尽きさせる炎の勢いに相当する。一瞬の遅延は依頼の失敗のみならず、冒険者全員の命にかかわる大事を招きかねないだろう。
暗い面持ちでセシリー・レイウイング(ea9286)は溜息を零した。
可憐な容貌にそぐわぬほど、普段の彼女の胸の内に細波はたたぬ。それは彼女の持って生まれた類い稀な特質なのか、それとも冒険者として暮した修練の賜物なのかわからぬが‥‥
だが、此度は少々勝手が違うようである。なんせイギリス全体を巻き込む戦――にかかわる大事だ。吹き荒れた戦禍はイギリスを業火の底に叩こむだろう。
その災厄に、同じイギリスに住む彼女の家族も無関係ではいられないはずだ。
それを想う時、彼女の胸は山がのしかかってくるかのように重く塞がれる。鉛を放り込まれたように冷たく沈む。
ならば、と彼女は決意するのだ。できるだけ禍根は断っておかねばならぬ、と。
「どのみち、今からではさして情報も得られぬでしょう」
ひどくそっけなく。現実をのみ、淡淡と告げる。
サクラ・キドウ(ea6159)。鋼玉の煌きの怜悧の内で、紅蓮の怒りを溶かすナイトである。
「ならば、打てるだけの手を打ち、少しでも局面を有利にした方が得策かと」
「それについちゃあ、俺に良い考えがあるぜ」
イケルがニヤリとした。が、彼と依頼をこなしたことのあるベナウィは胡散臭げである。
「また得意のほらなんじゃないだろうな」
「いや、ああ」
イケルは否定し、曖昧に頷いた。
確かに策はほらである。が、ほらはほらでも‥‥まあ仕上げを御覧じろ。
「楽しいですねぇ」
くすくすとわいた笑いに、七対の視線が移る。
一人、鷹の頭を撫でながら、先ほどからのほほんとしている若者がいる。名は確か――ユイス・アーヴァイン(ea3179)といったはずだ。
「何が楽しいのですか?」
問うたのは八番目の冒険者である。名を緋芽佐祐李(ea7197)。美姫としか見えぬ清純華麗な面立ちであるが、その心はいつも刃の下に。彼女はくノ一なのである。
「敵が強そうなのが面白くて」
再び、クスクスと。ユイスが笑う。
いったいどのような神経をしているのか。
問うより先に、佐祐李もまた青みがかった微笑を頬に散らせている。困難であればあるほど、刃の下に隠したはずの心が、ごとり、と動き出す。それが戦い忘れた他人の為であれば、なおさら。
「悪夢という名の部隊。ならば私達は夜を照らす月の光として、人々に光明を与えましょう」
「決して明けない夜がある、というコトをこちらからも教えてあげましょ〜」
ユイスがニッと笑った時。
ここらが潮時か。と、ばかりに黄金の髪をさらりとそよがせレジーナ・オーウェンが立ちあがった。
もう行くのか。問う夏子に、彼女は、ええ、と頷いた。
「なかなかに面白いことでありました。では皆様、心おきなくご出立を‥‥わたくしは皆様が失敗した場合に備えて策を講じてしておきましょう」
云って、ふんわりと笑う。
悪夢はアンタだ。夏子は眉を寄せた。
黄昏。
すでに陽はかなり傾いてはいるものの、世界はまだ黄金光の中にある。
その光から逃れるように――
数頭の馬が樹に繋がれている。傍らでは四人の冒険者が準備に余念がない。
ふっと気配に気づいて眼をあげたセシリーは、樹間を抜けてくるベナウィとシェゾの姿をとらえた。
「どうでした?」
「ああ、気づかれずにテントを張り終えた」
荒い息をつき、シェゾは額の汗をぐいと拭った。頭脳労働なら得意の範疇だが、肉体労働は苦手である。できることならお茶を飲みながらこなせる依頼はないものかと思っているほどだ。
その時、ガサリといきなり藪がかきわけられ――
反射的に身構えたベナウィであるが、ひょこっと顔を覗かせたのがイケルであると見てとって、ふっと肩を落した。
「脅かすなよ、イケルさん。もう少しでぶん殴るところだったぞ」
「わりぃ」
イケルは片手をあげて謝意を示した。
獣耳のヘアバンド。おちゃらけている外見だが、ベナウィの手練がそれにはそぐわぬものであることを、また彼が敢えてその事実を利用していることをイケルは承知している。
「で、物見の方はどうだった?」
「ああ‥‥」
イケルは樹上からのテレスコープの結果を告げた。
「奴ら、ざわついてたみたいだぜ」
イケルはほくそ笑んだ。
――オクスフォード軍大敗。オクスフォード侯爵メレアガンス敗走中。追撃部隊として円卓の騎士が派兵された。
道中イケルが流布した偽の噂であるが。どうやらナイトメアにも毒が効きはじめているらしい。なまじ優秀な耳を備えていることが仇となったというところだろう。
「やっとほらが役に立ったな」
「こっちがぶん殴るぞ」
しかめてはみたものの、イケルの顔にはどこか会心の笑みが滲んでいる。
「これというのも敵のルートを先読みした佐祐李さんのおかげだな。っと、彼女は?」
「森の中‥。偵察に‥」
誘き出しの支度に忙しいサクラの返答は、常にも増してぶっきらぼうだ。シェゾは眉をひそめてさらに問うた。
「一人で?」
「ええ。佐祐李さんは引き際を心得ていらっしゃるようだから、心配はいらないでしょう」
「なら、良いが‥‥」
セシリーが云うならと。なぜか人の胸の固くなったところを溶かす彼女の言葉に安堵しつつも、やはりインクの一滴を落されたような一抹の不安を覚え、シェゾは重なり合う樹々の奥を、胸中の暗雲を透かし見た。
岩を洗う清水の音が密やかに空気の底を震わせ。
森のやや開けたところ。そこにナイトメアの野営地があった。
「このようなところで野営など‥‥自軍敗走、円卓の騎士追撃の噂もあるというのに」
やや苛立ちのこもった声で訴えているのは女豹を想起させる褐色の肌の女だ。が、対する巨漢は泰然自若としたままである。
「多くを見、多くを聞く。それが真相に至る道よ。がな、眼と耳に振りまわされてはならぬ」
「しかし」
「それに」
女を制止し、巨漢が続ける。
「飛び交っておる噂、どこかきな臭い‥‥それが俺には怖いのだよ」
どこか気弱げに。自嘲めいて巨漢が笑った。
佐祐李は手をあげてイケルをとめた。
「どうした?」
問うイケルに、佐祐李は足元に視線を落した。細い糸が一筋。罠だ。おそらくは鳴子であろう。
気づけば、そこかしこに罠が設置されている。迂闊に踏み込めば居所が知れるどころか、命の危険すら‥‥
森が殺気で凍りついている。
怖気を振り払うと、佐祐李は唇に指をあてた。
緑の中に溶け消える獣声。
ややあって後、湿り気をおびた風が吹きぬける木々を縫うように、二つの影が動き始めた。
「さて‥ちゃんと乗ってきてくれるとよいのですけど‥」
一つの影がぼそりともらした。サクラである。
「しっ」
もう一つの影――夏子が唇に指を当てた。
「いるよ、どこかに」
感じる。凝視する視線を。木陰に潜み、獣の如く気配を消し、じっとこちらを窺っている。
「来ましたか‥。では退きましょう」
視線を交し合い、二人は背を返した。灼けつく視線に炙られつつ。走り出したい衝動を抑えたその足取りはゆっくりと、しかし確実に罠へと誘っている。
「来たぞ」
小走りに戻ってくるサクラと夏子を見とめ、シェゾは慌てて立ちあがった。同じように視線を投げたセシリーも強く頷く。
「どうやら上手くいったようですね」
落ち着いた声音。それがシェゾの逸りたつ心を沈下させる。
「ベナウィは?」
「暗殺班との伝達係として、どこかに潜んでいるでしょう」
応えたのはユイスだ。鷹を肩にとまらせ、風を観る姿は信じられぬくらいに長閑である。
「では、仕掛けにかかろうか」
苦笑を口の端に刻んだシェゾの身が、次第に銀光を散り零しはじめた。
と――
彼の傍らにうっすらと人影が輪郭を現し始める。
「ふふふ。円卓の騎士殿にお出まし願おうか」
「かかったぞ」
突然のベナウィの声に、イケルははじかれたように振り向いた。
「てめえ、ホントにぶん殴るぞ」
「わりぃ」
「良く見つからずに来れましたね」
佐祐李が問うた。彼女とイケルと違い、ベナウィは忍ぶ技能を持たぬはずだ。
「これさ」
イケルがマントを広げて見せた。少々くたびれたものだが、それは。
パラのマント。念じれば隠身を可能とするものだ。
その時――
ナイトメア野営地が俄に慌しさを増し始めた。
「では、こちらもかかりましょうか」
佐祐李の目配せを受けて、イケルの手がするりと印を結ぶ。その身から舞い散るのは天陽に似た眩しき黄金光だ。
そして――
光の斑が消えた時、イケルの姿も空に溶け消えていた。
奇襲とは一つの賭けである。
虚を突くことに成功すれば、小で大の利を得ることも可能だ。が、虚が満ちていれば待っているのは死の洗礼である。
突如、苦鳴があがった。何もないはずの場で、ナイトメアの一人がはじけとぶ。
身を隠し、顎を開く。バキュームフィールドは悪夢に似てはいまいか。
そして、その発動者。セシリーは夢魔の如く稲妻を撃つ。
できるだけ派手に。できるだけ数多くの敵を狙い撃ち。
しかし、敵も悪夢を名乗る者。無音の疾風と化して殺到する。
「きえい!」
蛍火に似た燐光を零しつつ。サクラの木剣が躍る。
闘気を宿した刃の威力は絶大だ。常ならば倒れぬ敵も一撃で崩折れる。
さらなる獲物をもとめ、サクラはダーツを放った。敵を屠るより、できるだけこの場に釘付けにすること。それを承知の投擲である。
が、敵は無造作にダーツをかわした。一際目立つ女戦士。
手練れ? 何故とはわからぬ。身ごなしからの判断だ。
そのサクラの予想を裏書するように、敵の刃は鋭く迅い。さしものサクラもダーツを放つた姿勢からでは避けきれず――
するするとのびた刃が女戦士のそれを受けとめ、カッと火花を散らせた。
「油断だよ、サクラ」
凄艶な笑みのまま、夏子が左剣を振った。その軌跡のはるか向こうに女戦士が飛び退る。
再び対峙する女剣客二人。流派は違えど凄絶の牙は同じだ。
いや――
夏子の面には冷たい汗と翳り。胸中、彼女には悲鳴にも似た想いが渦巻いている。
――正面からの戦いになったら、この面子では厳しい!
その動揺を見抜いたかのように女戦士が迫った。一瞬、夏子の対応が遅れ――
刹那、鷹が空を切り裂くように翔けた。
慌てて足をとめた女戦士であるが、さらに立ち塞がる影に後退る。
「戦う萌え戦士ベナウィ・クラートゥが相手する!!」
叫ぶベナウィに、女戦士が柳眉を寄せる。
今度は夏子がその隙を見逃さなかった。地を蹴り、唸るは二天一流!
「おのれ!」
迎え撃とうとして――しかし女戦士の刃はあがらない。その腕をしっかと掴まえているのは、地より半身を覗かせているユイスだ!
「上ばかり見ていると、蟻に食い殺されるコトになる。空間戦術は、そんなに甘いモノじゃないんですよね〜」
クスリ、と。ユイスが凄愴の笑みを浮かべた時、夏子の刃が女戦士を斬り下げた。
イケルは焦っていた。
佐祐李の春花の術で忍び込むのは用意であったのだが。
混乱を狙い火を放ったものの、かえって身動きがとりにくくなった。ガーランドと目した男は動き回るし、残った兵達も邪魔でしようがない。
しかし、刻はかけられぬ。長引けば、囮がばれ、こちらの意図が気づかれる。そうなったら暗殺は不可能だろう。おまけに仲間のこともある。ナイトメア相手に、どれだけ持ちこたえられるか。それになにより――
インビジブルの効果時間が心配だ。この場で術が解けた瞬間、イケルは八つ裂きにされてしまうだろう。
よし。
焦燥に突き動かされるように、イケルは足を踏み出した。敵兵をかわしつつ、背を向けたガーランドに忍び寄っていく。
あと数歩。イケルが短刀に手をのばした時――
ガーランドが振り返った。
見えるはずはないのに。
しかしガーランドはイケルを、いやイケルのいる空間をじっと凝視している。
身を凍りつかせたイケルは、ただ息を殺し――
何度目かの唾の嚥下の後、ようやくガーランドが背を向けた。
今だ!
イケルの刃が閃き、佐祐李の放った炎が一際高く燃え上がった。