●リプレイ本文
●鬼の話
「まあ野暮っちゃ野暮だな」
剣の柄で肩をトンと打ちつつ、ローランド・ユーク(ea8761)はうそぶいた。
幽玄の笛の音の主を突き止めろという。
依頼なのだから仕方ないとは云え、幽玄のものは現の彼方に陽炎の如く漠としてあるのが粋だ。掴んだとたん、それは色褪せてしまうだろう。
「それはそうだがな」
憮然としてトーマスは頷いた。
しかし、あんたも聞いてみたくはないか。
問われて、ローランドはニンマリした。
「聞いてみたいさ」
そうでもないと、こんな面倒な依頼は引き受けない。実は恐ろしいほど無精なローランドである。
その彼が出張った理由――それはトーマスと根は同じであった。
好奇心。
純粋にそれのみである。
月夜に響く化生の笛の音。芸事をかじる者として、何としても耳にせずにおれようか。
「鬼の笛で踊ってみたいもんだ」
「しかし、笛を吹くオーガとは‥‥」
わずかに慨嘆の吐息をもらしたのは貴族然とした上品な面立ちの若者である。
名をマカール・レオーノフ(ea8870)といい、ロシア生まれの彼にとって鬼とはオーガの事であった。
が、鬼といいオーガといい、呼び名は様々であるけれど、所詮は爪と牙と筋肉の怪物であり、およそ笛などという風情とは結びつかない。何にしろ奇妙な話ではある。
ところで――長閑に口を開いたのは、闇色のローブを纏った少女と見紛うばかりの美形、ベアータ・レジーネス(eb1422)である。
「人がいなくなったという話はあるんでしょうか?」
問うた。
これもまた肝心な点である。極論すれば、被害がない場合、それはただの御伽噺だ。興味本位の酔狂でしかない。それはそれで、とても面白いことではあるのだけれど、冒険者が受けるほどの危急事ではないのだ。
「いや」
トーマスは頭を振った。そして続けざまに、いや、と。
「笛の音に誘われて姿を消した者が多数いるそうだ。が、その者達のうち、何人かは見つかっている」
「その話を誰から聞いたのですか?」
「それは――」
応えの代わりに、トーマスは傍らの若者に顔を向けた。細身の、どちらかとしいえば気の弱そうな面立ち。
名はナレフ。実際に笛の音を聞いた者だ。
そう紹介を受けて、冒険者達は顔を見合わせた。これほど簡単に笛の音の遭遇者から話を聞けようとは――
トーマスという男、中々に手回しが良い。
「貴方が‥‥」
眼を好奇にキラキラさせ、アディアール・アド(ea8737)は月光の粉をふりかけたような銀の髪を揺らめかせて身を乗り出した。
どのような状況であったか。アディアールが促した。
応えるナレフの声はか細く、未だ夢の中をさ迷っているかのようである。話の内容はトーマスのものと大差なかった。
月夜。笛。影、である。
落胆に睫を伏せたアディアールであるが、ナレフの最後の言葉に、形の良い眉をはねあげた。
「‥‥今、何と?」
「はっ? あの、ですから気がついた時は奇妙な場所に立っていたと‥‥」
「奇妙な場所?」
「はい」
夢から覚めたように正気に戻った時、そこは森の中であった。三メートルを越す奇岩が林立する不可思議な風景。禁忌の場所に踏み込んだ怖気に襲われて、慌てて逃げ出した――ナレフが語った。
「ゴグマゴクの丘というそうです」
「ゴグマゴク?」
マクシミリアン・リーマス(eb0311)は柳眉をひそめた。名の由来は分らぬが、何やら胸にひっかかる響きである。耳にしただけで冷たい手でさわりと背を撫でられたような気色の悪さ。もしかすると禁忌というのは故なきことではないかも知れぬ。
「そこで眼が覚めたんだね?」
若き神聖騎士は考えに沈んだ。
笛の主の探索に、そこは鍵となるかも知れぬ。彼は脳裡にその名を刻み込んだ。
「ところで――」
マクシミリアンは眼を上げた。
「ナレフさんは実際に鬼というか‥‥見たのかな?」
「いえ」
草を踏みしだく音を耳にし、木々の間に揺らめく影を見ただけ。ナレフの返答だ。他の遭遇者も似たようにものだという。
それで、何故鬼という噂が伝わったのか。
一つは当然不可思議な笛の音の為であろうが――
「もの凄く大きな影でした。二メートルを越す‥‥」
ナレフが応えた。
人の心を呪縛する笛の音。それを奏するのは月夜にさ迷う巨躯の影。鬼でないとしても、妖魅の類である可能性は高い。
その時、一陣の疾風が吹き、冒険者達の髪を翻らせた。
まるで何者かが覗き、耳を澄ませて走り抜けていったかのように――
その場にいる全ての者がそう思ったが、誰も口には出さなかった。
●風花
「うーん‥不思議な事もあるものですねぇ?」
数冊の本を机の上にドサリと置くと、セーツィナ・サラソォーンジュ(ea0105)はやや疲れた顔で腰を下ろした。
図書館の中。夏場ではあるが、やや薄暗いそこは、なぜだか涼しい。それは数え切れぬほどの文字と紙が熱を吸いとっているからかも知れぬ。
「行方不明になった人たちも少しだけだけど見つかっているしね」
「笛の音に誘われてかぁ?」
マクシミリアンの言葉を聞いたセーツィナは、一冊の本の表紙に薔薇の視線を落とした。過去、東の森でそのようなことはなかったようだ。
「ギルドの報告書にも、そのようなものはありませんでしたよぉ」
ただ、とセーツィナは声をひそめた。
「図書館に幽霊が出るらしいですけどぉ」
「幽霊?」
小首を傾げたのはジェシュファ・フォース・ロッズ(eb2292)である。
鬼。妖笛。幽霊。
どれが、どの程度信憑性のあるものか分らない。また、そのつながりも。
彼自身、この事件は何者か人の手により引き起こされた悪戯に近いものであると推測している。それがどのような意図の元に企てられたものかは分らないけれど。
何にしろ出鱈目すぎる。一語で表すれば、それがジェシュファの考えだった。
とはいえ、同時期に起こった不可思議な現象に全く関連性がないはずはない。別種の色をもつ糸がどのように絡み合い、それがいかような模様を編み出しているのかは、まだ霧の向こうに隠されて読み解けないけれど。ただ、この静かな学園都市の周辺で、何かきな臭いことが起こりつつあることはたしかなようだ。
その時、
「ゴグマゴク‥‥」
マクシミリアンが言葉を零した。
ナレフという若者から話を聞いた時から、ずっと胸の内にわだかまっていたものだ。
調べてみると、それは昔、東の森を支配していたといわれる巨人の名であるという。邪悪なもので、今はその痕跡もない。多分神話伝説の類の一つであろうが、今回の鬼と呼ばれているのも巨影である。偶然とはいえ、その符合が気になる。
その想いを読み取ったかのように、ぽつりとセーツィナが呟いた。
「大事にならなければ良いけどぉ」
●月下の森
ああ、身が光塵となって散りゆく。
そう思わせる、蒼い月夜であった。
「何が出ても不思議じゃねえ」
震えるほど綺麗な月を振り仰ぎ、ローランドはほっと息をついた。こんな月夜なら、鬼も浮かれて踊り出るかも知れぬ。
迷宮といわれる東の森。
冒険者が踏み込んでから、一刻ほど経った頃である。
「鬼ですか‥‥私は見たことありませんが、いたら大変ですね」
信じられぬという口ぶりは、夜に溶け込むような褐色の肌のハーフエルフだ。名をエリス・フェールディン(ea9520)といい、錬金術の教師を生業としていた。
「別の考えがおありのようですね」
振り返ったのは道案内として先頭をゆくアディアールである。趣味と実益をかねて森を探索することの多い彼女は、水先案内人としてはうってつけであった。が、珍しい草花を見つける度に足をとめ、しげしげと眺めることに時をとられるのは珠に瑕と云えなくもなかったが。
「ええ、まあ‥‥」
曖昧に頷くエリスに、どのような考えなのかと好奇心を露わにしたジェシュファが問うた。
それは――
「すべての原理は錬金術で説明できるのです」
きっぱりとエリスは云い切った。
「錬金術?」
「ええ」
頷き、エリスは怪訝な面持ちのマカールに複雑な想いの色の眼差しを投げた。
魔法よりも錬金術の方が優れている。その信念を胸に抱くエリスにとって、魔法を奉ずる神聖騎士はあまり気持ちの良い存在ではない。
その細波にも似た想いが伝わったか、かたい声でマカールが問うた。では説明してもらおうか、と。
「いいでしょう。まず笛の音は――」
風が岩などに吹いて過ぎる時に音がなることがある。その音響の中には心に作用する音もあるはずだ。硬いものを爪で掻いた時の音のように。要するに、物質が不完全なるが故に起こる現象に過ぎない。
そして影は――
「最近森の周辺で妖精が多く見られると聞きました。影は、その妖精、もしくはモンスターの類でしょう」
「私は精霊の一種の仕業ではないかと思う」
推論を口にしたのはベアータであった。
穴は多いものの、確かにエリスの考えにも一理ある。世の不可思議なる現象の多くは、日の光の元に引きずり出してみれば、たいていは退屈な形骸にすぎぬものだ。鬼が笛を吹くという図は絵巻物にすれば面白いかも知れぬが、あまりにも現実的ではない。
「マクシミリアンはどう思うんだ?」
「僕も風のせいだとは思わないな」
応えはしたものの、実はマクシミリアンはそれどころではない。
月光を直接観ることが狂化条件である彼にとって、他の者には魂静まる月下の夜も、過酷な綱渡りの刻にしか過ぎぬ。マクシミリアンはランタンの灯りから眼を離すことができずにいるのだ。
「とにかく巨大な何者かが、笛を吹いていることは確かなようですね」
木々が教えてくれたこと。アディアールを包む燐光が蛍のように散った。
その時――
静かに、とローランドが全員を制した。
●魔笛
「何か聞こえるぜ」
「!?」
はじかれたように冒険者達は互いの顔を見合せた。
ある者は口を噤み、ある者は眼を閉じ――全神経を耳にのみ集中させる。
それは――
遠く、細く。まだ微かではあるが、確かに笛の音のようだ。
「これは――」
踏み出しかけた足をとめ、マカールが呻いた。
まだかなりの距離があるはずなのに、月光にたゆたう調べは戦慄するほどに美しく。それは神の恩寵のように、夢魔の悪夢のように魂を包み、からみついてくる。
ああ、これが‥‥心が蕩けそうだ。
肩を叩かれ、はっとマカールは我に返った。その眼前にジェシュファが差し出したものは手作りの耳栓だ。ジェシュファが笛の音の影響下におかれていないところをみると、どうやら耳栓は有効であるらしい。
耳栓を受取ったマカールの傍らで、光の斑を躍らせるマクシミリアンが首を振った。命を探るべく張り出した呪力の網にはなにものも捉えられなかったという意味だ。
が、ベアータの眼は輝いている。
笛の音の主は近い、と彼は云ったのだが、耳栓のせいで他の者には伝わらない。これでは痛し痒しである。
「よし」
頷くと、マカールは耳栓を取り去った。続いてマクシミリアンが。
とたんに魂に突き刺さる旋律。ともすれば溶解しそうになる精神に、しかしマカールとマクシミリアンは楔を打ち込んだ。
何者か。正体を見極めねばおかぬ。
望みをきりきり――笛の魔性の力が弱まったようだ。
「あっちだ!」
マカールが森の一点を指差した。笛の調べがもっとも強く響いている一角だ。
雷に撃たれたように、一斉に冒険者達が――マクシミリアンを除いてだが――地を蹴った。ブレスセンサーで捉えたということは、それほど距離があるわけではない。
蒼い湖底を切り裂くように、一気に冒険者達は音源に迫った。そして、見た。
笛の主、それは――
鬼ではない。少なくとも。
しかし人でもない。
二メートルを越す巨躯。衣服から覗く手足は骨に皮を貼りつけたように細く。幽鬼の如く青白い貌の中で、ただ眼だけが魚類のようにギョロリと蠢いている。
それはあまりにも禍々しく、不吉な存在。この世に在ってはならぬ者だ。
凍りついたように茫乎と佇む冒険者をちらりと見遣り、そのものは歩み去る。笛を吹きつつ。
「おい」
喘鳴のような声でローランドが呼びとめた。が、そのものの歩みはとまらない。
しかし言葉は通じるはずだ。何故だかローランドはそう確信した。だから言葉を継ぐ。
「何の目的でこのようなことをする? 誰に、何を訴えたいんだ?」
応えはない。ただ笛の音だけが蕭蕭と。
直後、苛立ちを面に過らせたベアータが呪を紡ぎ始めた。
サイレンス。
笛の音をとめてやる。
刹那、ベアータの身が吹き飛んだ。
影が爆発した――愕然とした冒険者がその事実に気づいたのは数瞬後のことだ。
反射的に冒険者達は身構えている。
彼等は感じとっているのだ。第三の何か――笛の主と同じく邪ななにかの存在を。
「あれは――」
呻く冒険者の前で、それは最初、鬼火として現れた。木々の影に燐のように青白く浮かび上がる一対の魔光。
やがて――
それは正体を見せた。闇と同じ、いや闇よりもなお黒々とした馬だ。
「ここは退いた方が――」
ジェシュファが叫んだ。
もう笛の音はしない。もはや笛の主を追っても及ばないだろう。それよりも、今は眼前の敵だ。戦うのは拙いと脳裡で警鐘が鳴り響いている。
薬を与えられ、再び立ちあがる力を得たベアータを庇うようにアディアールが進み出た。同じくセーツィナが。そして彼等の呪が結実したものが。
からみあう枝葉と立ち込める霧に守られて、粛々と冒険者達は退き下がっていく。黒馬は邪魔をするのが目的であったらしく、深追いしてはこなかった。
「ふん、僕ならあんな馬には負けなかったのに」
突如自信家と化したマクシミリアンを宥め賺し、退避行は続く。まんまと逃げおおせたというのに、しかし冒険者の眼には安堵の煌きはない。
おぞましき巨躯の存在。魔性の笛。悪夢から生まれ出たような黒馬。
結局のところ、そのどれにも解答を得てはいない。鈍色の謎は、この霧と同じく全てを覆い隠している。
ただ――
ケンブリッジに何かとてつもないことが起ころうとしている。
その予感に、冒険者達の胸は震えた。