【聖人探索】深紅

■ショートシナリオ


担当:美杉亮輔

対応レベル:3〜7lv

難易度:難しい

成功報酬:1 G 47 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:09月16日〜09月19日

リプレイ公開日:2005年10月04日

●オープニング

 夜のしじまに深く。
 歌が流れている。
 ふつふつとわだかまる殺気すら解かすように。

 ――それはオクスフォード候の乱の開戦前まで遡る。
「王、ご報告が」
 メレアガンス候との戦端が開かれる直前のアーサー王を、宮廷図書館長エリファス・ウッドマンが呼び止めた。
 軍議などで多忙のただ中にあるアーサー王への報告。火急を要し、且つ重要な内容だと踏んだアーサーは、人払いをして彼を自室へと招いた。
「聖杯に関する文献調査の結果が盗まれただと!?」
「王妃様の誘拐未遂と同時期に‥‥確認したところ、盗まれたのは解読の終わった『聖人』と『聖壁』の所在の部分で、全てではありません」
 エリファスはメイドンカースルで円卓の騎士と冒険者達が手に入れた石版の欠片やスクロール片の解読を進めており、もうすぐ全ての解読が終わるというところだった。
「二度に渡るグィネヴィアの誘拐未遂は、私達の目を引き付ける囮だったという事か‥‥」
「一概にそうとは言い切れませんが、王妃様の誘拐を知っており、それに乗じたのは事実です。他のものに一切手を付けていないところを見ると、メレアガンス候の手の者ではなく専門家の仕業でしょう」
「メレアガンス候の裏に控えるモルゴースの手の者の仕業という事か‥‥」
 しかし、メレアガンス候との開戦が間近に迫った今、アーサーは円卓の騎士を調査に割く事ができず、エリファスには引き続き文献の解読を進め、キャメロット城の警備を強化する手段しか講じられなかった。
 ――そして、メレアガンス候をその手で処刑し、オクスフォードの街を取り戻した今、新たな聖杯探索の号令が発せられるのだった。

 する、と。
 のびた手が老人の首を掴んだ。
「なっ‥‥」
 それっきり声も出せない。息もつげない。それほど圧倒的な膂力であった。
 霞む視界の先で、美麗な面立ちの少年が嗤っている。
「‥‥わ、わしを殺せば‥‥聖杯のことはわから‥なくなる‥ぞ‥‥」
 やっとのことで老人が声を絞り出した。
 が、少年の手が緩むことはない。
「ふふ。お前の協力などいらぬ。必要ならば、いくらでもいただくゆえ、な」
 少年の口の端が鎌のように吊りあがり、老人の首が異様な角度で折れ曲がった。

 そして――
 流れる歌に抱かれるように、騎士は古びた教会の中にいた。
 円卓の騎士中、最強の一人と謳われる「太陽」の異名を持つ男。ガウェイン・オークニーである。
 傍らには歌の主。
 聖女、アイネ。聖杯に関する詩を受け継ぐ者だ。
 今、アイネが歌っているのは、この街の古老ですら記憶にないほどの古い歌である。代々聖杯詩を受け継ぐ者のみが伝承できる歌であるという。
 その歌に聞き惚れていたように眼を閉じていたガウェインであるが――ふっと眼を開いた。その眼差しの先では、アイネが巨大な聖像に祈りを捧げるかのように歌っている。
 ガウェインは立ちあがると、鐘楼に向かって階段を上がりはじめた。
 冷たい石音が響き――
 やがて鐘楼に立ったガウェインは見下ろした。教会の周囲に群がる人々を。
 彼等は――村の者達だ。
 聖人殺害さる。
 その報を聞き、急ぎキャメロット近郊にいるというもう一人の聖人の元へ駆けつけたガウェインであったのだが。
 その村の者達によって、隙を突かれたガウェインの部下数名が惨殺されている。ガウェインのみはその凶手を逃れ、聖女アイネを伴い、教会に逃げ込んだのであるが――
 村の者に包囲され、身動きがとれない。
 さすがのガウェインにとっても相手が多過ぎた。いや、正確にいえばガウェインのみならば血路を開くことも可能であろう。が、アイネがいる。
 彼女を守りつつの逃避行は困難だ。アイネの身にもしものことがあってはならないのだから。
 それにもうひとつ。
 ガウェインを惑乱させていることがある。
 敵――街の者であるが、ガウェインは彼等から邪気を感じとれないでいた。部下を殺戮した者達に邪気がないとは変な話ではあるのだが。しかし、そこには何か理由があるのだと、彼は睨んでいた。
 ゆえに、ガウェインの刃は鈍る。もし村の者達が真正の悪でないならば、手にかけて良いものか――
 しかし同時に、さすがのガウェインも焦りを禁じえない。
 教会の入り口に設けたバリケードがどれほどもつか心許無かったし――村の者も命が惜しいのか、今のところは無理やり入り込んで来てはいない――それになにより、生きる為には食べ物がいる。それにも増して水が。聖水がわずかばかり残ってはいるが、それもあと僅かのことである。
 このままでは気力体力が衰えるのは必然。そうなれば防衛もままならぬであろう。
 ガウェインはちらと階段の下へと視線を転じた。
 俺一人ならば我慢もできようが、あの少女に辛い思いをさせるわけにはいかぬ――

 同じ頃。
 冒険者ギルドの入り口を一人の若者がくぐっていた。
 ここを訪れるのは、これで二度目――ガウェインの侍従の若者である。
「あなたは――」
 ハッと眼を上げたギルドの男の前で、侍従の若者は暗澹たる眼を伏せた。
「お助けいただきたい。ガウェイン卿がお戻りにならないのです」

●今回の参加者

 ea0980 リオーレ・アズィーズ(38歳・♀・ウィザード・人間・ビザンチン帝国)
 ea2593 リン・ティニア(27歳・♂・バード・人間・イスパニア王国)
 ea4939 ユージィン・ヴァルクロイツ(35歳・♂・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 ea5386 来生 十四郎(39歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea6159 サクラ・キドウ(25歳・♀・ナイト・人間・神聖ローマ帝国)
 ea7197 緋芽 佐祐李(33歳・♀・忍者・ジャイアント・ジャパン)
 ea9311 エルマ・リジア(23歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ea9356 ユイス・イリュシオン(46歳・♀・神聖騎士・人間・イギリス王国)

●リプレイ本文

 空を飛ぶように。
 文字通り街道を疾りぬける三つの影があった。
 一つは騎馬で、これは珍しくもないのだが、残る二人は脚だ。馬の後を付いてきている。
 そのうちの一人、羽でもつければ妖精と見えなくもないリン・ティニア(ea2593)の胸には、不安と恐怖がないまぜになっていた。
「ガウェインさまが帰ってこないのは、村でなにかが起こってるからだよね、きっと」
「違いありません」
 鳶色の髪を翻し、緋芽佐祐李(ea7197)が頷いた。
「でも滅多な相手に遅れをとる卿ではありません。むしろ弱き者が盾になっているのでは‥‥」
 ふと、もらす疑問。
 依頼人の侍従から聞いた話では、ガウェインはアイネという聖女を求めて村に旅だったという。聡い佐祐李はこの時点で、不穏な迷図を読み解きつつある。
「弱き者が盾に?」
 問い返したのは来生十四郎(ea5386)。斬り合いと酒に滅法強い浪人者である。
「はい。村での弱き者といえば‥‥村人達が人質もしくは直接立ち塞がっていると」
「なんだぁ!?」
 素っ頓狂な声をあげはしたものの、そのとぼけた面相がすうと鋭くなる。
 昨今の聖杯騒動の裏で、何やら魔性の動きがあるという。村人全てが敵にまわるといういう異常事も決してありえぬ話ではない。
「そうなると、拙いな」
 十四郎がごちた。
「もし村人全てが敵なら、全部を斬り伏せることになりかねないぜ」
「だめだよ、そんなことしちゃ!」
 すでに深紅の光景を幻視したかのように、怯えた声音でリンが叫んだ。
「傷ついたり、傷つけたり、血を流しあったり‥‥そんなことはだめなんだよ‥‥」
「優しいのですね」
 俯くリンの横顔に、佐祐李は日溜りの笑みを向けた。
「ううん。僕はただ嫌いなだけ。血を見たり独りになることが‥‥」
「みんな、同じです。だから――」
 太陽と呼ばれる騎士は今、この時もどこかで堪え、戦っているのです。
 佐祐李の言葉に、十四郎は彼の地に続く天に眼を向けた。
 冒険者にここまで云わせる男――ガウェインとやら、是が非でも会ってみたくなったぜ。

「‥‥聖杯騒動の次は聖人騒動。イギリスは賑やかだねぇ」
 白いマントをはためかせ。馬に揺られるユージィン・ヴァルクロイツ(ea4939)の口調は嘲笑うかのようだ。
 生真面目なユイス・イリュシオン(ea9356)は眉をひそめたが、当のユージィンはどこ吹く風といった風情である。
 眉を顰めて考え込んだとて、事態は何も変わらないし、嗤って一歩引いた方が物事が明瞭になるということもある。それになにより――心に明るさが増す。それは立ち向かう力になるものだ。
 が――
 他の冒険者達の受けは悪いようだ。
 サクラ・キドウ(ea6159)など、そっけないのは何時ものことだが、此度はさらに厳しく唇を引き結んでいる。
 その様子に、ユージィンはやれやれとばかりに首を振った。
「そうかたくなっていると、いざって時に折れてしまうぜ」
「仕方ありませんよ。皆さん、心配なんですから」
 驢馬を引くエルマ・リジア(ea9311)がつぶらな瞳をあげた。
「ガウェイン卿がお戻りならないと、泣く女性は片手では足りませんからね」
「ほお」
 やや呆れたように声をあげると、ユージィンは仲間を見渡した。サクラ、エルマ、ユイス、リオーレ・アズィーズ(ea0980)、そして今は別行動の佐祐李。なるほど五人いる。それに皆、美形揃いだ。
 悔しそうに唸るユージィンの様子に、リオーレは微かに口元をゆるめた。
  
 視線。
 無数の。
 針のように。
 雑貨屋で物色する手をとめ、十四郎は振り返った。
 そこは――
 変哲のない日常。男が、女が、老人が街を行き交っている。
 が――
 背を向ければ、再び視線。もし背に眼があれば、村の者全てが息をひそめ、じっと見つめている様を見とめうることができたかも知れぬ。
「僕、恐いよ‥‥」
 リンが囁いた。

 山の端の残照も消え、村は黒く塗りつぶされている。 
 その闇の中に溶けて、影がひとつ。
 佐祐李。
 彼女はガウェインをもとめ、ひた疾っていた。彼がいる可能性の高いのは聖なる場所――教会だ。おおまかな位置は近隣の村の者から聞き取っている。
 と――
 ぴたりと佐祐李の足がとまった。息をのんで、音もなく身を沈める。
 彼女の前には、闇よりもなお黒々とした教会が佇んでいる。その前――いや、取り巻くように大勢の人影がある。
 それぞれに武器を持ち、皆一様に無言で。身なりからして村人であろう。それが、まるで幽鬼のように教会を見つめている。
 やはり――
 佐祐李は刃の光をゆらめかせた眼をあげた。
 あの中に、ガウェイン卿はいる!

 がさり、と。
 草を踏みしだく音に、冒険者達はびくりと身動ぎし――
「脅かさないでほしいなぁ」
 さして驚いたふうもなく。音の主――ユイスを見とめてユージィンはごちた。
「すまぬ」
 短く詫びる。きりりと引き締まったユイスの声音は闇に颯と。
「で‥どうでした?」
「ああ」
 サクラに問われ、ユイスは棒きれをひろいあげた。
「私の見たところ――」
 棒きれが地をなぞり、簡単な図が姿をあらわしていく。ユイスが描いているのは教会とその周辺の様子だ。
「やはり侵入経路は背後の森からであろうな」
 断じた。思慮深きユイスの判断は心象事象両面を見透かしている。およそ間違いはあるまい。
「では予定通りの策を持ちうるとして‥‥」
 口を開きかけたリオーレであるが、すぐに碧玉のような瞳を曇らせる。
「しかし村人がガウェイン様を襲うなんて‥‥何が起こっているのでしょうか」
「操られているんじゃねえか」
 応えたのはむっつりと腕組みしていた十四郎だ。脳裡には村の者達の仮面めいた顔が焼きついている。
「確かリンがメロディーとかいう呪法が使えたよな」
「えっ」
 突然名指しされ、リンは眼をぱちくりさせた。確かに吟遊詩人のリンにとって呪歌は得意のひとつであるが。
「違うと思うよ。メロディーには強い強制力はないから」
「なら、人形のように糸つきというわけではないんだね」
 ほっと。ユージィンは溜息をひとつおとす。
 完全な操り人形ならば、手繰る糸を断てれば崩折れる。それはいっそ簡単だ。が、意志有る者となれば、事は面倒になる。
 でも、と。まだリオーレの視界の霧は濃い。
「完全に村人の意志とも思えません。ガウェイン卿と聖人を狙う理由がありませんからね」
「では、やはり村人の背後に――」
 ちらりと視線をむけるユイスに、リオーレは頷いて見せた。

「グラーティアっていうんですよ」
 もこもこ――ボーダーコリーを撫でようとした老婆に、エルマは可憐な微笑を向けた。
 本人は意識してはいないが、その笑顔に蕩かされぬ者はいない。案の定、一瞬びくりと身をすくめたものの、老婆は再びグラーティアに手をのばした。
「旅の御方かの」
「はい」
 こくりと頷くエルマは抱きしめたくなる風情だ。老婆は眩しそうに眼を細めた。
「可愛い娘さんじゃのう。カレンも大きくなれば、お前さんのようになれば良いが」
「お孫さんですか?」
 何気なく問うた言葉。
 が、老婆の反応は激烈だった。顔色をなくし、眼を背ける。
「あの‥‥どうかされましたか?」
 慌てるエルマに、老婆は怯えたように戦慄く視線を返した。
「いや、何も‥‥」
 そそくさと踵を返した老婆であるが――その手がぎゅっと掴まれた。
 暖かく、柔らかい――羽毛につつまれた感覚がして老婆が振り返った。
「私は、あなたの力になることができます」
 天使の顔でエルマが告げた。

 黄昏を夜の色が侵食し、教会は闇に沈んだ。
 取り囲む村人の数は変わらず、また彼らから立ち上る殺気も依然として冷たく。
 と――
 村人の表情がわずかに動いた。遠く、何かが近づいてくる物音が響く。それは――蹄の音!
「神のおわす教会を取り巻き何をしている! 不穏な空気は神も嘆かれるぞ」
 騎影から大音声が轟いた。馬首を操る凛たる白き騎士はユイスである。
「ひけい! ひかねば神の騎士たる我が職責において、汝らを駆逐する」
 さらに、告げる。
 とたん、ざわりとざわめきが揺れた。眼を見交わす村人達に狼狽の相が浮かんでいるところを見ると、魂までは黒く歪んでいるわけではなさそうだ。
 それでも、村人達はすぐさま面に凶相を滲ませた。
「騎士であろうが、俺達の邪魔はさせねえ」
 叫び、得物を舞わせてユイスめがけて殺到する。
 そうと見て取り、ユイスは木剣をひきぬいた。
 直後、村人が再びざわめいた。彼らの視線の集中する先、そこに奇妙なものが現出している。氷漬けの人間――エルマによって氷の柩に閉ざされた村人の一人だ。
 その夢幻的な光景に、さすがに殺気立つ村人達も畏怖に足を凍結させた。
「畏れるところを見ると、正気のようだな」
 伏せていた面をあげ、するすると進み出た十四郎は村人の一人を打ち据えた。
 スタンアタック。彼の木剣は一撃のみにて相手の意識をけしとばすことを可能とする。そして――
 それは、合図。
 闇を、冥き恐怖を照らす聖なる祈りを呼ぶための。
 突如、村人の何人かは耳を押さえて蹲った。
 彼らの耳には歌。

 太陽の騎士を、ガウェイン卿を 
 闇の淵より助けんと
 そのために貴方がたに乞い願う
 今宵、かの騎士の力となれ 

 それは魂の旋律。
 少しでも。
 ほんのわずかでも。
 村の人々の心に届け。響いてくれますように!

 金色のリンの願いが闇を薙いだとき、五つの影が教会の裏口に向かって忍びよっていた。わずかに残っていた見張りは佐祐李の春花の術で眠りこけている。
 チチチ。
 小鳥の囀りが佐祐李の唇にのった。一瞬後、ガチャリと裏口の鍵が外される音が流れる。
 戸が開く間も惜しいとばかり、サクラが飛びついた。抑えに抑えた憂心がはじけている。
「よお」
 もれる光の中にうかびあがる笑顔は夏の陽のように白く。
 のびたガウェインの手がサクラの髪の毛をくしゃとかきまわした。
「リンという者から思念を受けて、どれほどの美女が助けの神かと思ったが、とんだ愛想のない女神様だな」
 ニヤリとする。
 憎らしい。かなり弱っているくせに減らず口だけは相変わらずだ。
 が、さしものガウェインもリオーレだけには慌てた。
「ご無事でなによりです」
 ゆるんだ眦から零れる雫。ガウェインはただどぎまぎと――
「い、いや、心配かけてすまぬ」
「聖人の方は大丈夫なのですか」
 覗きこむサクラに、真顔にもどったガウェインは頷いて見せた。
「ではお急ぎください。刻がありませぬ」
 佐祐李が低い声音で急かせた。承知とガウェインが踵を返した、その時――
 絹を裂くような悲鳴が響き渡った。
「どうした!?」
 はじかれたように馳せかえったガウェインに問われ、蹲った少女――聖女アイネはひとつの窓を震える指で指し示した。
「あ、あそこに異形の影が」
「なに!?」
 踏み出したかけたガウェインの背後で、重々しい音を響かせたドアが閉まった。
「どうした?」
「今の騒ぎで、村人がこちらの方に――」
 応えるリンの声は絶望にひび割れていた。

 再びバリケードを施した教会の中は、蝋燭の仄明るい光に夕さり色に染まっていた。
「どうぞ」
 リオーレがアイネに甘い味の保存食を差し出せば、ユージィンはガウェインに発泡酒を手渡す。
「卿には、水よりのコレの方が元気が出るかと思ってね」
「さすがに話がわかる」
 おやつをもらった子供のように笑って、ガウェインは酒を一気に喉に流し込んだ。寄りかかって眼を閉じているサクラを起こさぬように気をつけながら。
 ふうと息をつくのを待って、ユージィンはひそと問う。
「さて、これからどうします?」
 ユイス達は無傷で退いたようだが陽動は完全に失敗だ。もはや村人を斬り伏せるしか脱出の術はないだろう。
 うむと沈思に睫を伏せたガウェインは、傍らで哀しげな眼のリンに気づき、微かに笑った。
「心配するな。お前の嫌いな事はしないさ。が――」
 先ほどと違う重い溜息一つ。さすがに名案は簡単に転がってはいない。
 と、リオーレがガウェインの耳元に唇を寄せた。
「聖女様から目を離さずに居ていただけませんか」
「なに?」
 ふっと。身動ぎしたガウェインに、リオーレの声はさらに低く囁く。
「エルマ様が仰っていました。村人の皆様はやはり脅されてといるようだと。何者によるのかまでは刻がなく判明はいたしませんでしたが。ただ‥‥」
 彼方の面影を追うように、リオーレが遠い眼をあげた。
「リタ様の二の舞は、したく無いですから‥‥」
「!」
 さしものガウェインが息をひいた。
 リタとは先の聖杯探索の際にデビルに惨殺された少女のことだ。デビルはリタを殺害して後、その姿に変形していた。ということは、アイネもまた――
 いいや。
 ガウェインは困惑する。
 眼前のアイネは彼女自身でなければ知らぬ事を身につけていた。古老ですら知らぬ継承歌もその一つだ。
 が――
 サクラを目覚めさせ、ガウェインは立ちあがった。
 たとえ陽炎のような淡い疑惑であろうとも、冒険者の勘を無下にしてはならない。そのことを承知しているガウェインである。
「アイネ殿」
「はい?」
 アイネが顔をあげた。
 刹那――
 黄金光がはね、空に亀裂がはしった。
「やはり」
 ガウェインの眼が凄絶に光った。彼の豪剣はアイネの面前をかすめて過ぎている。しかしアイネの面には糸ほどのかすり傷も見とめられぬ。
 そして、アイネの断ち切れた衣服からぽとりと袋が落ち、中から幾つかの繭玉をやや大きくしたような白い玉が転がり出た。
 にいっと。
 アイネの口の端が鎌のように吊りあがり、おぞましく歪んだ。
「何故に、わかった?」
「聖人や聖詩などより、冒険者を信じたまでよ」
「かっ!」
 斜めに疾りあがったサクラの剣風を避け、アイネの身が空に躍りあがった。
「記憶をいただいたというに、まさか聖人相手に斬りかかろうとは‥‥やはり普通の物差しでは計れぬ奴」
 やや嗤いをおびた声は中空からした。驚くべし。アイネに変形したデビルは見えぬ足場に立つように宙を浮遊している。
「したがガウェインよ、よく覚えておけ。儂は円卓の騎士にしてやられたのではない。冒険者に敗れたということを」
 最後の声音は何もない空から響いた。慌てて攻撃態勢をとる冒険者達であるが、数瞬後、天井に近い窓が突風に吹かれたようにぶち破られた。

「村は‥‥村人はどうなるの?」
 闇暁に沈む村に背を向けた影の一つ――リンが冬の水面の眼で振り返った。
「脅されていたとしても数名の騎士に手をかけたんだ。ただじゃあすまねえだろうよ」
 敢えて感情をまじえず。冷然たる語調で応える十四郎の眼もまた昏い。せめて奪われていた子供の生気を取り戻せたことが慰めであるが‥‥
 イギリスの闇はどこまで深いのだろう。
 九つの影は光を求めるように村を後にした。