鮮血の虎を狩れ!

■ショートシナリオ


担当:三ノ字俊介

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:5 G 97 C

参加人数:14人

サポート参加人数:3人

冒険期間:01月14日〜01月21日

リプレイ公開日:2007年01月15日

●オープニング

●鮮血の虎
 メイにおける冒険者の認識は、まさに百戦百勝の勇士『だった』。
 過去形なのは、それに例外と言える事件が起きたからである。
 『エイジス砦の攻防』と呼ばれる事件で、冒険者は目的を果たしたものの、メイの国は多大な犠牲を払うことになった。砦の防衛に当たっていた騎士と兵士、そして救援に向かった騎士が全滅し、作戦責任者のオルボート・ベノン子爵が戦死。冒険者も半数が叩き伏せられ、『戦争』としては完全敗北に近い結果となったのである。
 それを成したのが、カオスニアンの中で『最強の暴力』と呼ばれる『鮮血の虎』ことガス・クドだ。彼は徹頭徹尾見事な『戦争』をしてのけ、冒険者を敗退させたのだ。
 目的を達成したのに『敗北』の二文字が先行してしまうのは、それまで文字通り百戦百勝していた冒険者が『遊ばれた』という話が、人々の間に流れたためである。人の口に戸は立てられないという故事の通り、冒険者が敵わなかったという事実は、矢のような早さで人々に広まった。それには、エイジス砦の名を冠するに至った英雄が、正面から撃破されたという事実も影響しているだろう。
 王宮は、その事実を隠さなかった。ベノン子爵の訃報も公示され、その後シフールの偵察隊によって、砦には60余りの首が晒されているという報告も入っている。そんな状況になってもベノン家の名誉が守られたのは、有る意味幸いであった。
 しかし、人々は恐れおののいた。『ガス・クド』の威名が、現実になった瞬間だからだ。どこか遠い場所での出来事が、すぐ側に迫っているような恐怖感。もし今カオスニアンに村落が攻められでもしようなら、そこにガスがいなくとも、話のように母親が我が子を殺し自刃してもおかしくない。
 なぜなら、ガスは冒険者すら敵わなかった強敵であり、そしてサミアド砂漠に隣接するすべての領土は、その射程内なのだ。
「エイジス砦の戦略的価値は、まさにそこにあると言える」
 本作戦の担当となるディアネー・ベノン女史は、短く切りそろえた金髪をたくし上げながら言った。ちなみにオルボートの孫娘で、御歳14歳。長い髪を決意と共に切り、騎士叙勲を受けてまだ3日。そして、たった一人になったベノン家の嫡子である。
「カオスニアンにとっても我々メイの国にとっても、位置的には重要な拠点だ。過剰な兵力を投入し、ガス・クドが乗り出してまで奪回に出張ったのは、地理的価値以外にも恫喝や脅迫といった、精神的な効果を狙ってのことだろう。そして冬に入った現在、大がかりな奪還作戦も不可能に近い。その間に砦の城塞化は進み、攻略はより難しくなる。悔しいが、ガス・クドは『戦争』を正しく理解している」
 素人とは思えない利発さで、ディアネーが言う。おそらく座学以上の戦略論や戦術論は学んでいないはずだが、発想が柔軟なのかそれとも勘が鋭いのか、現状把握能力は確かだ。
 いや、ただ必死なのかもしれない。彼女はベノン家とその領地を運営し、配下の家族を養ってゆかねばならない責務があるのだ。
 どこかの貴族に嫁いでベノン領を王に返上する、という選択肢もあった。もとより騎士のほとんどを失ったベノン家は、今後その領地を維持してゆくだけでも難しく、そして兵役もこなせる状況ではないので婿を迎えるにも条件が悪すぎる。名誉は守れたが、王宮も過度な特別措置は出来ない。なぜなら、ベノン家のような目に遭っている領地は、他にもあるからだ。
「しかし、ガスも動かないわけにはいかない。砦の防備がそれなりに固まれば、次の戦地なり補給なりに向かうだろう。そこでシフール義勇軍に監視を依頼した。そして動きがあったのが2日前の話だ」
 無理に男言葉を使っているのがいっそ痛々しいが、彼女も自分の精神を維持するために必死なのだろう。
「敵はガス・クドと十の虎(テン・タイガース)。彼等はガリミムスに乗りトリケラトプス3騎にそれぞれ大型の荷駄を引かせて西進しているという。ガリミムスにはそれぞれ、20人前後の捕虜――ありていに言えば『奴隷』をつないでいるそうだ。おそらくは、近隣の村落などを襲撃したものに違いあるまい」
 そこで、彼女は依頼書を開いた。
「依頼内容は、ガス・クドと十の虎の殲滅。王宮から先日就役した新造フロートシップ『メーン』と『モナルコス後期型』2騎の貸与が許可された。我らからは私と騎士が10名出る‥‥冒険者を、募りたい」
「‥‥‥‥‥‥」
 キセルを吸い付けながら、冒険者ギルドスタッフの烏丸京子(からすま・きょうこ)は、複雑な表情をしていた。

●今回の参加者

 ea0353 パトリアンナ・ケイジ(51歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea0439 アリオス・エルスリード(35歳・♂・レンジャー・人間・ノルマン王国)
 ea0447 クウェル・グッドウェザー(30歳・♂・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea1504 ゼディス・クイント・ハウル(32歳・♂・ウィザード・人間・ビザンチン帝国)
 ea2538 ヴァラス・ロフキシモ(31歳・♂・ファイター・エルフ・ロシア王国)
 ea3738 円 巴(39歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea5243 バルディッシュ・ドゴール(37歳・♂・ファイター・ジャイアント・イギリス王国)
 ea5929 スニア・ロランド(35歳・♀・ナイト・人間・イギリス王国)
 ea6382 イェーガー・ラタイン(29歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea9907 エイジス・レーヴァティン(33歳・♂・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb0754 フォーリィ・クライト(21歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb4189 ハルナック・キシュディア(23歳・♂・鎧騎士・エルフ・アトランティス)
 eb4856 リィム・タイランツ(35歳・♀・鎧騎士・パラ・アトランティス)
 eb8962 カロ・カイリ・コートン(34歳・♀・鎧騎士・人間・メイの国)

●サポート参加者

駒沢 兵馬(ea5148)/ トシナミ・ヨル(eb6729)/ エリオス・クレイド(eb7875

●リプレイ本文

鮮血の虎を狩れ!

●破綻
「――――――っ!!」
 声にならない悲鳴と共に、血が噴き上がった。
 人間は、動脈を斬られれば血を噴き出す。人間の血圧はけっこうなもので、頸動脈を綺麗に斬られれば上空3メートルほどの高さにもなる赤い噴水と化す――ことを、冒険者たちは『今』知った。
 縄につながれていた捕虜のうち4つの首が飛び2つが肉塊に変えられ、5つが遠目にも分かる致命傷を受けていた。悲鳴はほとんど無かった。全て即死か、それに近い致命傷である。幸いなのは、あまり苦しむことなく死んだことだろう。
「わ‥‥わたしは、名乗りを挙げたの、に‥‥」
 ディアネー・ベノン女史が、顔色を紙のように白くしていた。カタカタと鳴るのは、鎧と歯の根である。
 こんな時は誰かがフォローに立つべきなのだが、誰もそれが出来ないほどの衝撃を受けていた。それほど、眼前の光景は『常軌を逸して』いた。
「わたしは名乗りをあげたのだぞ!」
 ついに、ディアネー女史がキレた。それは、自分の心を守るための反動かもしれない。そうでなければ、彼女は狂死していたかもしれないだろう。現実から逃避し自らの殻に閉じこもって――。
 それが出来ないのは彼女の責任感の強さであり、そして不幸でもあった。
 新造フロートシップ『メーン』甲板上。そして地面に展開した冒険者と騎士の眼下に、黒く焦げた大地と赤いまだら模様がある。赤いまだら模様のある場所には荷駄を引く3騎の大型恐獣と11騎の小型恐獣、そして縄につながれた約200名の捕虜たち。
 その全てが、凍り付いた風景のように見える。
 冒険者のほとんどが、『敵は捕虜を人質に使うだろう』と予想していた。
 しかし敵は、メーンの精霊砲による恫喝の後の『ベノンの女騎士』が挙げた名乗りに対し、眉一つ動かさずに捕虜を11名斬り捨てたのだ。誰も予想していなかったし、ゆえに誰にも止められなかった。
「それで?」
 小型恐獣――ガリミムスに乗った、虎の毛皮を纏ったカオスニアンが言った。
 『東方最大の暴力』と呼ばれる男、ガス・クド。別名『鮮血の虎』。
 この瞬間、冒険者たちが検討に検討を重ねて立てた作戦は、半ば以上瓦解した。

●ベノンの女騎士
 冒険者が会ったディアネー・ベノン女史は、どうみても『武』とは反対の方向に居る人物だった。略式の軽装鎧を身に纏っているが、それは実用性からかけ離れており――具体的にはナイフ1本防ぐことも不可能なほど貧弱なもので――御輿以上の職務は不可能に見えた。
 ただ鋭敏な戦略センスと実用レベルの現状把握能力を持っており、武功は立てられなくとも文司や戦略家として身を立ててゆくことは不可能では無さそうだった。
『ただ単に、蓄積と研磨に必要な『時間』が足りない』
 ほとんどの冒険者の評価は、これで一致した。それはある意味、14歳の少女に対しては最大の評価だったと言えるだろう。
 ディアネーは本作戦のために、精力的に働いた。クウェル・グッドウェザー(ea0447)が捕虜救出時の食料の準備を上申すると領地の備蓄を無料で開放し、円巴(ea3738)が戦技訓練の提案を申し入れたら、随伴騎士全ての都合を付けさせ、さらに防諜対策の出来た場所も借りて実行させた。ハルナック・キシュディア(eb4189)がモナルコスの装備について要望を出せばそれを全力で支援し、冒険者の要望をほぼ十全で飲み込んだのである。
 ただ一つ彼女が達成できなかったのは、バルディッシュ・ドゴール(ea5243)の申し出た騎士への登用だけだった。『家督相続権を持つ者』と『領主』には深い溝がある。騎士の登用は領主にならなければ出来ないのだ。
 ただもちろん、バルディッシュがディアネー個人に剣を捧げることは誰にも止められないし、咎められることもない。
 『ガス・クド討伐隊』は、リィム・タイランツ(eb4856)の要望で初期の装備にフロートチャリオット1騎と、救助者輸送用のフロートシップ、輸送艦『リネタワ』をさらに加え、ベノン家としてはこれ以上無いほどの装備と人員で作戦に当たった。
 その頃、メイディアの街には『ベノンの女騎士』の噂が流れるようになっていた。もちろんディアネーのことである。
『天界人を救うために散った領主とその部下の仇を討つために、たった14歳の少女が起(た)つ』
 それはメイの人々にとっては美談であり、そしてそれが成功することを願う者は多かった。日本で言えば、吉良邸討ち入り前の赤穂浪士のような目でディアネーやその部下、そして冒険者たちを見ていたのである。
 冒険者もディアネーも、負けるつもりなど寸毫(すんごう)も無い。しかし『負けられない』という気風はいささかうるさいものがある。特に初陣のディアネーにとっては、心中穏やかでは無かっただろう。実際、準備期間に走り回るディアネーの姿は、それらのプレッシャーを忘れるために無理をしているのが見え見えだった。
 そんなディアネーを、誰もが気遣った。特に気を配っていたのは、スニア・ロランド(ea5929)だった。彼女は無理をし続けるディアネーを諭し、なだめ、その図星を突き、薬師に調合させた安息草を呑ませて、半ば無理矢理に睡眠を取らせるほど彼女に付きっきりだった。
 出立前夜、冒険者たちは最後の作戦会議を開いていた。
「いいかい、僕らの目的はただひとつ。ガス・クドを『冒険者の流儀』以上の手段でこの世から抹殺することだ」
 普段あまり戦意を露わにしないエイジス・レーヴァティン(ea9907)が、きっぱりと言い切った。
「ガス1人のために、メイの人々は恐怖している。冬が明けて春になれば、カオスの侵攻も本格化するはずだ。その前に、僕らの手でガスを倒す」
「ンなこたぁわかってんだヨこの半人間野郎がよぉ!」
 いつもの悪口を吐いたのは、ヴァラス・ロフキシモ(ea2538)だ。が、彼も戦の『和』を乱すつもりは無い。彼曰く「今回はてめえらとも協力してやるッ、癪だがねェーッ!」だそうだが。
「行って、殴って、ぶち殺すっ! それでいいじゃねェか!」
 ナイフを机に突き立てて、ヴァラスが言う。
「それじゃ勝てないのは、わかっているだろう」
 弓の具合を確かめながら、アリオス・エルスリード(ea0439)が言った。その弓は《ペルーンの神弓》と呼ばれる業物だ。
「ガスの戦闘能力は超人的だ」
 壁に背を預けた姿勢で、バルディッシュが言う。
「まともに戦(や)り合っては、勝ち目など無い。正々堂々、『冒険者の流儀』で戦わせてもらうべきだ」
 この場合の『冒険者の流儀』というのは、強力な敵に対し複数の冒険者が協力して当たることを言う。複数の冒険者が正しく『機能』するとき、その戦闘能力は足し算ではなくかけ算的に上昇する。
 つまり、ガスを『モンスター』と認識したのだ。それも超弩級の、である。
「手順と割り振りを確認しよう」
 ゼディス・クイント・ハウル(ea1504)が、会話に割って入った。このパーティー一番の理論派、と思われる人物である。
「我々は、フロートシップ『メーン』で移動する。敵を捕捉次第ゴーレムとチャリオットは出撃。敵の捕捉はフォーリィのペットのイーグルドラゴンパピーに頼む」
「任せて☆」
 フォーリィ・クライト(eb0754)が、力強く請け負った。
「チャリオットには俺とタイランツ、グッドウェザーが搭乗。速度で敵をかく乱し、戦域が我々に有利に働くよう展開する」
「うん!」
「全力を尽くします」
 リィムとクウェルが応じた。
「キシュディアとコートンはモナルコスで恐獣に突撃。これを早期に無力化する。敵に恐獣を使われたらやっかいだ」
「心得ました」
「了解じゃきに」
 ハルナックとカロ・カイリ・コートン(eb8962)が応える。共に鎧騎士ならば、相手は決まったも同然だ。
「十の虎担当はケイジと円、そしてクライトだ。倒す必要は無い。牽制して足止めし、ガスと共闘させなければいい」
「『投げレンジャー』のスープレックスを見せてやるよ」
「戦うのが私の本分なれば」
「ま、順当なところかな?」
 と、これはパトリアンナ・ケイジ(ea0353)と巴、フォーリィ。
「ロランドはグリフォンに乗って援護、でいいんだな?」
「ええ、牽制射で相手の注意を引くわ」
 スニアが弓を引いた。手を離すと、ビン! と小気味よい音がする。
「ラタインとエルスリードは、不意打ちでもだまし討ちでも何でも良いから、弓でガスを攻撃。出来れば先制して、相手の手数を奪う」
「了解です」
「了解だ」
 イェーガー・ラタイン(ea6382)とアリオスが同時にうなずいた。
「そして最後に、ドゴールとロフキシモ、レーヴァティンでガスを叩く。ヤツも3人分の攻撃は捌ききれまい」
 今更言うまでもないという風に、3人は拳を握りしめた。
「我々はガスを倒しベノン家の名誉を回復し、そして捕虜を助ける。優先順位はこの通りだ。俺は、100人ぐらいの犠牲者は計算のうちと考える。まあ、これはベノンのお嬢様には言えない話だが」
 ある意味ひどい言いぐさだが、誰も否定しなかった。心の中では誰もが、無傷の完全勝利など不可能と思っていたからだ。
「作戦は『メーン』の精霊砲による牽制射で開始。ベノンのお嬢様が名乗りを挙げたら一斉に戦域突入だ。カオスニアンは、捕虜を人質として使うだろう。しかしそれは、敵の足を奪う。我々はそこにつけ込み、目的を達成する。以上、いいか?」
 誰も、否を唱える者は居なかった。
「ならば、今日は寝よう。明日の出発は、おそらく国中の注目を集めることになるはずだ」
 ゼディスが言う。

 翌日、出立は式典でも無いのに、500人以上の人間が集まっていた。

●ガス・クド――その伝説の真実
 イーグルドラゴンパピーが、偵察から戻ってきた。
「見つけたよ。ここから約1キロメートルのところを行軍中。数も予定通り。荷馬車は、かなり大きな箱型のものみたい」
 フォーリィが言う。
「そ‥‥総員戦闘配置!」
 ディアネーが声を上げた。
「あまり固くならないで」
 スニアが、ディアネーの手をそっと握る。
「はい‥‥分かってはいるのですが‥‥」
 この数日の世話焼きで、ディアネーはスニアに対して実の姉のような態度で接するようになっている。それはほほえましくもあり、そして今の彼女が『本当の彼女ではない』という事実を確認することになって、スニアの胸は痛んだ。
「ベノン卿、そろそろ『メーン』を出兵高度まで降下させましょう」
 ゼディスが進言する。
「はい、そうですね。船長! 船を降下させてください! ゴーレム隊、歩兵隊、騎馬隊、出撃準備! 出撃後『メーン』は上昇! 以後、指揮は『風信器』で執ります!」
 隊隊言っているが、しょせんは総勢22名の戦隊である。装飾過剰な感は否めないが、意気や良し、であった。
 戦域への部隊展開は、予定通りに進んだ。先に相手を見つけ十全の準備を行い、そして機を逃さず叩く。これだけで、勝負はほぼ勝ったも同然である。ただ一つ難点があるとすれば、冒険者とベノン家の者たちに大きな開きがあることだ。それは戦力とか能力ではなく、作戦の優先順位である。
 ほとんどの冒険者が予想していたことだが、捕虜の多くは無事で済むまい。しかしそれは、冒険者たちは割り切ることが出来る。何せくぐってきた修羅場と覚悟が違う。
 が、14歳の少女にその責を担わせるのは、酷というものだろう。予想通り、作戦前にディアネーは『人命優先』の指示を出していた。それが騎士達の手枷足枷になることはおそらく理解していただろうが、理解していたからと言って感情を完璧にコントロールしろというのも無理な話である。そして彼女にとって『願わくば』という思いが、配下の騎士たちにとっては『是が非でも』という風に理解されるのも、止める術はない。そしてこの瞬間、ベノン家の騎士たちは戦力外になったも同然であった。
「敵騎見ゆ!」
 船の望楼から報告が入る。もう普通の視力でも確認できる距離だ。
「精霊砲発射用意!」
 騎士の一人が精霊砲に着座する。
「狙いを誤るな! 撃て!」
 ぼっ!
 炎の塊が、艦首から噴き出て敵の手前で爆発した。そしてすかさず、拡声器を使用してディアネーが名乗りを挙げる。
『私はディアネー・ベノン。先のエイジス砦での戦で討ち死にしたオルボート・ベノンの血縁の者である! カオスニアン、ガス・クド! 我が祖父の仇を討ちに来た! 我が軍と尋常に勝負されたい! もし貴様が捕虜を人質として使うなら――」
 ばばっ!
「――――――っ!!」
 声にならない悲鳴と共に、血が噴き上がった。
 人間は、動脈を斬られれば血を噴き出す。人間の血圧はけっこうなもので、頸動脈を綺麗に斬られれば上空3メートルほどの高さにもなる赤い噴水と化す。
 縄につながれていた捕虜のうち4つの首が飛び2つが肉塊に変えられ、5つが遠目にも分かる致命傷を受けていた。悲鳴はほとんど無かった。全て即死か、それに近い致命傷である。幸いなのは、あまり苦しむことなく死んだことだろう。
「わ‥‥わたしは、名乗りを挙げたの、に‥‥」
 ディアネー、顔色を紙のように白くしていた。カタカタと鳴るのは、鎧と歯の根である。
 こんな時は誰かがフォローに立つべきなのだが、誰もそれが出来ないほどの衝撃を受けていた。それほど、眼前の光景は『常軌を逸して』いた。
『わたしは名乗りをあげたのだぞ!』
 ついに、ディアネー女史がキレた。
 黒く焦げた大地と赤いまだら模様のある場所には、荷駄を引く3騎の大型恐獣と11騎の小型恐獣、そして縄につながれた約200名の捕虜たちが居る。
 その全てが、凍り付いた風景のように見えた。
 冒険者のほとんどが、『敵は捕虜を人質に使うだろう』と予想していた。
 しかし敵は、メーンの精霊砲による恫喝の後のディアネーが挙げた名乗りに対し、眉一つ動かさずに捕虜を11名斬り捨てたのだ。誰も予想していなかったし、ゆえに誰にも止められなかった。
「それで?」
 ガリミムスに乗った、虎の毛皮を纏ったカオスニアンが言った。ガス・クド。別名『鮮血の虎』。
「あの野郎! やりやがった!」
 カロがモナルコスを駆けさせる。こうなったらもう、あとはやり合うしか無い。たとえ体勢が整っていなくとも。
 ――なんて奴だ!
 アリオスが弓を引き絞る。実はスクロールの《インビジブル》を使用して、姿を隠して接近していたのである。
 びゅん!!
 矢が放たれた。横合い――ガスの死角から。
 ばしっ。
「なっ!」
 しかしガスは、それを一瞥もくれずにたたき落とした。そしてぼりぼりとあごを掻く。
「狙いは悪くないな」
 とん。
 胸に異物感を感じて、アリオスは驚いた。自分の胸に、矢が突き刺さっていた。透明化して狙いにくい自分にである。
 痛みは、少し後から来た。
 ――何っ!
 立て続けに4本の矢が飛来し、そのうちの2本がアリオスの右目と喉をえぐった。
 ――馬鹿な!
 すでにごぼごぼとしか出ない声で、アリオスがうめいた。さらに2本の矢が肺を貫き、アリオスは自分の吐き出す血に溺れて――倒れた。
「カオスニアンの弓使い!?」
 イェーガーは弓をつがえようとして、逡巡した。ガスを狙うか、それとも今の二人の弓使いを狙うかである。戦士たちは飛び道具に弱く、今ほどの集中砲火を喰らえば一人ぐらい容易く殺されてしまう。しかも今の腕を見る限り、鎧のスキマなど容易に貫きそうであった。
 そしてその迷いが、命取りになった。イェーガーの馬が、矢の洗礼を浴びてしまったのである。イェーガーは落馬し、地面を転がった。
「ブリッツ!!」
 馬の名を呼ぶが、馬は重傷を負い復帰は不可能に見える。こうなると、もう馬は潰すしかない。そしてイェーガーは他に隠れる場所が無かったため、愛馬を盾にするしか回避の方法が無かった。
 ピ――――――――――――――ッ!!
 甚大な被害を受けていたのは、スニアも同じである。自分の弓矢が届く距離は、相手の弓矢も届くのだ。牽制射を加えようとして逆に倍する矢の雨を受け、グリフォンは重傷を負っていた。さらに目を射抜かれ、平衡感覚を失ったグリフォンは墜落してしまったのである。
 逃走中の高々度から地面に叩きつけられ、スニアは瀕死の重傷を負った。身体の骨が半分は砕けただろう。
「畜生! ありゃ俺の鷹を殺した連中だ!」
 全力で走りながら、ヴァラスが言う。そう、彼も前回の戦いで、飼っていた鷹を矢で射抜かれ失ったのである。完全に失念していた。
 ――まずい。
 ゼディスは全力で疾走するチャリオットに捕まりながら、頭脳をフル回転させていた。
 実効戦力の30パーセント近くをほとんど一瞬で失いながら、相手は無傷。そして敵には大型恐獣が3騎おり、そして打開策となるはずだった『手数減らし』の弓隊が壊滅。敵は人質など最初から使う気など無く、こちらの見込み違いもはなはだしい。そして敵の弓矢に対抗する手段を、こちらは持ち合わせていない。場所は開けた場所で遮蔽物はほとんど無く、近寄れば雨のような乱射が正確に急所を射抜いてくる。そして敵は、200人もいる捕虜をいつでも盾に出来るのである。
 たった一つ。相手に『機』を与えてしまったがために、作戦は破綻し戦列は崩壊しかけていた。敵に対する読みも、甘かったかもしれない。『ガスは同じ手で戦う』という仮定に基づいた作戦は、その仮定が間違いだと分かったときにはすでに、甚大な被害を出していたのだ。
『全軍停止! 停止!!』
 その時、フロートシップから停止命令が拡声器で放たれた。
「馬鹿な! 今更――」
 ハルナックが反抗しかけたとき、集音器(ゴーレムの耳)から妙な叫びが響いてきていた。
 ――やめ――娘――うちの子――殺され――。
『な‥‥なんじゃ!?』
 カロが疑問の声を上げる。それは、200人の捕虜からだった。
 ――やめてくれ、娘が、妻が、殺される、来ないで、来ないで、息子が、お袋が、親父が、殺される、殺される、殺される、殺される!
 『助けてくれ』とかなら分かるが、救助すべき存在から『やめてくれ』『来ないでくれ』と懇願されるのは、誰もが初めてだった。そして、その理由はすぐに判明した。十の虎の一人が、荷駄の一つに火を放ったのである。

 ぅわっ!!

 悲鳴が上がった――荷駄の中から。がたごとと物音が響き、中から箱を叩く音が聞こえる。
「さあ『戦争』だ!」
 ガスが叫んだ――楽しそうに。
「まずはルールを決めるか。時間は、俺たちかお前たちか、荷駄の中の奴隷が全員死ぬまで。まあ、荷駄3両に300人はいるから、時間には不足しないな」
 ――なっ!!
 全員が驚愕した。
 シフール義勇軍に偵察させていたとは言え、さすがに荷駄の中身までは調べるチャンスは少ない。報告を優先すれば、調査はその分甘くならざるを得ない。
 いやそれ以前に、捕虜に対してさらに人質を取るという手段を、誰が予想できただろうか? 確かに言われてみれば、縄に繋がれ徒歩で連れられているのは、ほとんどが体力のある男である。
 いや、そんな考えも詭弁に過ぎない。相手はガス・クドなのだ。襲われた村の母子が無理心中するという『負の伝説』を持つ、兇刃と同義のカオスニアンなのである。
「ほれ、火を付けたらムチをくれてやれ」
 ガスが言うと、虎の一人が燃える荷駄を引くトリケラトプスに巨大なハンマーの一撃をくれた。
 GUAAAAAAAAA!!
『やばいっちゃ!!』
 カロが、思わず声をあげる。トリケラトプスは、文字通り苦鳴をあげて暴走を始めた。これでは、中の人間を助けることもままならない。そして風に煽られ火は加速度的に燃え広がり、中には煙が充満する。焼け死ぬより先に、中の人間は全員窒息死するだろう――10分と待たずに。
『カロさん、止めて下さい!!』
 船上から、悲鳴のようなディアネーの声。元より、暴走する恐獣を安全に止めることなどゴーレム以外に出来ようも無い。
 カロのモナルコスが、トリケラトプスを追い始める。しかしガスはすでに、2台目の荷駄に火を付けようとしていた。
『待ちなさいガス・クド!!』
 船から、ディアネーの声が響いた。ガスがそれに、面倒くさそうに振り返る。
「‥‥ディアネー‥‥いけない‥‥」
 もうろうとした意識の中で、スニアがうめくように言った。誰にも聞こえなかったが、同じようなことを他の冒険者も感じていた。
『取引しましょう。交換するのは、メイの国ベノン子爵家次期当主のこの私。そちらが出すものは、この場に居る人間全てです』
 そして予想通りの言葉を、ディアネーは言った。その声は震えていた。
 ディアネーの判断は、おそらく正しい。彼女は聡明であり、そして正しい現状把握能力を持っている。
 だが、感情がそれを許さない場合もある。エイジスがまさにその状態だった。
「納得できない!!」
 むき出しの感情を噴出させながら、エイジスが叫んだ。狂化している彼は冷徹なキリングマシーンになるはずなのに、何かが狂っていた。
「だめだよ!」
 フォーリィが叫ぶ。
「そんなことしても、何も解決しないよ!!」
「いや、あの娘の判断は正しいよ」
 顔を伏せながら、パトリアンナ言う。平静を装ってはいるが、全身から鬼気にも似た怒気がにじみ出ていた。
「今の状況では、戦っても勝てる見込みは5割以下だ。だが彼女が身を呈せば、彼女一人でここに居る我々と500人の命が助かる」
 巴がつぶやいた。ガスを葬るのが困難になった以上は、せめて第2目標である『ベノン家の名誉』を確保するしかない。しかしこの状況でベノン家の名誉を守るには、ディアネーが身を呈して500人の命を救ったという事実を作るしかないのだ。
 『メーン』が降下してきた。そして甲板からタラップが降りてきて、ディアネーが下船してくる。バルディッシュが何も言わずにディアネーの前に立ったが、ディアネーはバルディッシュに身につけていたダガーを渡すと、深く礼をしてその場を通り過ぎた。
「よお」
 ヴァラスが、ディアネーを呼び止めた。
「間違っても死ぬんじゃねぇぞ。あの野郎は必ずブっ殺してやるからヨ」
 ディアネーは黙礼だけして、その場を歩み去った。
 ディアネーとガスの交渉は、数分で済んだ。ディアネーは冒険者の命を保証させ、女子供合わせて320名余の解放を約束させ、約200人の捕虜――このまま行けばおそらくは奴隷となるのだろうが――と共に、去っていった。
 これから彼女に降りかかる運命が如何様な物か、想像することすら出来ない。
 残された冒険者は、リネタワとメーンに乗せられるだけの捕虜を収容し、2往復4日かけて全員をメイディア近郊まで運んで避難所を構築した。
「何も出来なかった‥‥」
 リィムが、さすがに落胆を隠せないでいる。クウェルなどは、まるでブラックホール化したかのような暗澹たる雰囲気を纏っていた。
 そう、ほとんどの者が『マトモに戦うことすら出来なかった』のである。
「まさに、『戦争』だ」
 ゼディスが言う。
「相手の長所を発揮させずに、最小限の攻撃で最大の効果を挙げる。我々はガスの『戦争』に敗れたのだ」
「いや、まだ負けたわけじゃない」
 バルディッシュが、ディアネーから渡されたダガーを出して言う。別に魔法も何もかかっていない、何の変哲も無いダガーだ。
「これは、『決意』だ。生きるという決意。自決用のダガーを置いていったのは、そう言う意味だと私は信じる」
 それは、切実な『願い』なのかもしれない。ただ、信じるしかない。ディアネーはまだ生きている、と。

●結び
 ディアネーの行動は、『ベノンの聖女』という名で吟遊詩人などに歌われることになる。
 敗北という結果に終わったが300人以上の命を助けたことに変わりは無く、これ以上無い美談として物語は巷に広まった。ベノン家の名誉は、守られたのである。
 ただ、もはやメイの国にベノン家の者は誰も居ない。
 今ディアネーがどうしているかは、知る術など無い。しかしせめて、生きていることを祈るのみである。どのような恥辱、どれほどの汚穢(おわい)にまみれようとも、生きていれば明日が来る。
 そして生きている限り、助け出すチャンスが来るはずなのだ。

 今は、ただ待つのみである。

【おわり】